みなさんこんにちは。

お待ちかね!職員インタビューです。

今回はクラフトリンク宮原さんにお話を聞きました。

「世界をよくしたい」と、JICA青年海外協力隊としてネパールへ。

関根(インターン・聞き手):それでは、いままでの経歴を教えてください。
宮原:高校生のときに、1年間オーストラリアに留学へ行っていたのもあり、「世界を股に掛けるような仕事がしたい」と思っていました。そこで、大学は国際関係学科へ進学したんです。いろいろなことを勉強していくなかで、「私は具体的に国際的な何をしたいんだろう」と考えたときに、「国際協力のような人を助けるようなことをしたい」と思うようになりました。

そう思うようになった大きなきっかけは、父親がスリランカの里親支援をやっていて、現地に行ったことです。自分はオーストラリアに1年住んでいたので、「世界を知っている」と今思うと生意気な考えを持っていたのですが、スリランカでの滞在は私の考えを大きく変えました。

しょっちゅう停電があったり、村で爆弾が見つかったり。農村のほうにいくと、学校に行けない子どももいました。そういう人たちや生活を見て、自分はたまたま恵まれた環境に生まれただけなんだなと気が付いたんですね。たまたま日本の、教育を受けさせてくれる両親の元に生まれただけなんだと。この気づきが自分にとっての原点だったのかなと思います。子どものころから、テレビCMでアフリカの栄養失調の子どもの存在を見て、自分とそういう子どもたちの生活の差を考えてはいたんです。スリランカに行って、「たまたまだったんだな」とやっと気が付きました。

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「世界をよくするにはなにをすべきか」と考えたときに、社会学的なアプローチがいいのか、政治学的なアプローチがいいのか、というのが大学生時代の自分のなかでの1つのイシューでした。それで、「社会がよくなるためには、政治がよくならなきゃいけないよね」と思って、大学院では国際政治を専攻したんです。国際協力とはちょっとずれているかなと思いつつ、国の成り立ちや国家間の関係を勉強するのは面白かったです。

国際協力を志しながらも、大学院を卒業したあとは普通の企業に就職し、4年間ぐらい企業で働きました。でも「やっぱり自分は世界をよくしたいな」と思ったんです。それで次はどこからアプローチしようかと思い、草の根じゃないかと。JICAの青年海外協力隊として2年間ネパールへ行きました。

ネパールでは、カトマンズ近郊の女性の自立支援をしているNGOに配属されて、農村女性、特に未亡人や男の子が生めないからといって家を追い出された女性などの自立支援の手伝いをしていました。彼女たちの現金収入の向上や、市民権取得のためのお手伝いなどの活動を手伝っていました。その2年間は、農村のリアリティがよく見え、いい経験をしたのですが、私は何も残せなかったなという後悔の念が山ほどあり、とても悔しい帰国になりました。あの村に対して、なにもできなかった。

帰国したあとに、たまたまシャプラニールの求人がでていて。特にネパール、バングラデシュの駐在も視野にいれた募集だったんです。「これだ」と思いました。もう一回私がやってきたことを完結させるような仕事をしたいなと思って、リベンジの気持ちでシャプラニールに入職しました。

社会を変えるのは難しい。でもシャプラニールだからこそそれができた。

関根:シャプラニールではどんな仕事をされてきたんですか?
宮原:最初、海外活動グループで4年ほど活動しました。ネパールに赴任し、マネジメントとプロジェクト運営をし、「社会を変えるって超難しい」と思いましたね。プロジェクトは私がやるのではなく、ネパール人スタッフにやってもらわなくてはいけなくて。ネパール人スタッフもうまくいかないことはもちろん私に聞いてきます。プロジェクトは社会をよく変えていく方法なんですが、それを自分を含めた周囲にインプットし、アウトプットとして変化をもたらすということがこんなにも難しいことなんて、と。

橋や学校を作ってください、なら分かりやすいですよね。でも人の行動や考え方を変えるっていうことは形としてはっきり見えるわけではなくて。最初は本当に辛かったです。でもネパールでRRNとのチトワン郡での防災活動で、中間評価と最終評価をやったときに、明らかに住民の行動が変わっていると目に見えて分析結果が出たんです。辛かったけど、無駄じゃないんだなと思いました。

社会を変えるほどの大きいことではないけれど、人々の行動を変えることで、命を守れる行動変容につながったということは成果だなと思いました。人々の行動を変えるには、想像を絶するような地道な努力が必要なんです。ちょっと気を抜くと、人は楽な方に流れて行ってしまいます。でもそれができたということはシャプラニールの力だなと。東京、現地スタッフとパートナー団体がいたからこそできたと思っています。

シャプラニールの強みは、相手を大事にする、パートナーシップを大事にすることだと思っていて。パートナーシップとは何なのかをこれほど強くつきつけられる団体は他にないのではないのでしょうか。パートナーとは耳ざわりのいい言葉ではあるけれども、「お金を払ってくれるのがパートナー」と言い切る人もいるなかで、RRNはシャプラニールと一緒に活動して、シャプラニールならなんでも相談できる、シャプラニールとだからできた、といってくれるまでに変化してきたんです。これはシャプラニールがパートナーシップというものをどういう風に見ているかということの表れだと思うんです。

関根:仕事と私生活のバランスはどのようにとっていますか?
宮原:早寝早起きを心がけています。今シャプラニールで時差出勤制度を利用しています。自分は朝型の人間で。いままでシャプラニールは10時から18時の勤務時間だったので、やることがあって残業すると、家に着くのは9時を過ぎていることもありました。今は9時から17時の勤務です。朝に時間をシフトしたことで自分の時間をもてるようになりました。いい仕事をするにはメリハリをつけることはすごく大事だと思っています。

関根さん:私生活についても教えてください。
宮原さん:時々日本にいるネパール人の手助けをしています。知り合いが困っているという案件がよく持ち上がるんです。入国管理局からきた手紙が日本語で読めないから、翻訳したりとか。

ネパールにいたときは、日本にいってしまうネパール人ばかり見ていたんです。大変なんだろうなとは思っていたけれど、どのように大変なのかは具体的にはわかりませんでした。

国際協力は人と人との関係。歳と経験を重ねて分かってきたことがある。

関根:国際協力をしているなかで心がけていることがあれば教えてください。
宮原:私が理解する国際協力は、「人と人との関係」だと思っています。失敗もしてきたからこそ、本当に大事にしています。「ネパール人は」「ベンガル人は」ではなくて、「その人」との関係を作っていくからこそ、組織と組織の関係がよくなって、プロジェクトがうまく運営されていくのではないかなと思っています。もちろんそれには属人的な脆弱性や弱点もあります。しかし、人と人との関係を作っていくことによってその社会のリアリティが見えるようになるのではないかと思います。

もう一つは、日本の文化や社会をちゃんと理解するということも大事だなと思います。私はネパールの農村で活動していましたが、そもそも日本の農村のことをそんなに知らなかったんです。ネパールの農村で「変だな」と思っても、日本の農村でも同じことが行われていたりすることもあって。とある文化圏やコミュニティのなかに入っていくときに、自分のなかに物差しや事例があったほうが、目の前で起こっていることをより簡単に認知・理解できると思います。

ネパールの中に、ネワール民族という民族がいます。その人たちは3日に一回お祭りをやっているといわれるくらい、お祭り好きな民族なんです。お祭りをすると、人に食事を振る舞ったり、贈り物をしたりするのでお金がどんどんでていってしまいますよね。だからお祭りで身を亡ぼす人もいると言われるほどの民族なんです。もちろん全員がそういうわけではありません。私が初めてそれを聞いたときは「そんなことで身を亡ぼすなんて。なんで貯金しないの」と思ったんです。でもいまは、親族の結婚式、引っ越し、いろんなお祝いや行事がありますよね。そういうことを経験していくなかで、その民族の思いだったりも分かってきたような気がしています。

シャプラニールのように、コミュニティのなかに入って変化を起こしていくのであれば、コミュニティの一員としての考え方を理解しなければいけません。なので、日本文化のなかでもそれを理解するのは大切なことだと思っています。

歳をとって経験を重ねていくということは私にとって重要で。ネパールに赴任したての2010年は本当に辛かった。「なんで?」って全てに対して思っていたんです。タイムスリップして、当時の自分に話しかけられるのならば「落ち着いて、それは日本でもあることだよ」と教えてあげたいです。いろんな経験をしたから、人間の厚みとか、人の苦しみとかちょっとだけ分かるようになってきた気がするなと。

フェアトレードを広めて悲しいストーリーをなくしたい。

関根:すごいですね。
宮原:まあ、なにが好きってネパールのおばちゃんの笑顔。本当にすごいんですよ。2015年のネパール地震のあと、激震地の近くまで行ったんです。おばちゃんたちは、農村に住んでて、地震のときは動けず、家も崩れてしまって、仮設テントとか家畜小屋で生活していたんです。それを訪ねていったんですが、彼女たちは「すごくびっくりしたのよ~お茶でも飲んでいったら?」と底抜けに明るいんです。強靭な精神力ですよね。彼女たちは泣きたいときは泣くし、辛い顔もしますが、最後には笑えるのかなと。そこがすごいなと思います。憧れますね。

チャンスが与えられ、必死に食らいつけば、なにか成し遂げられるような社会環境に私たちはいます。でも、そうじゃなく、あきらめざるを得ない環境のなかで一生を終えていく、そこでなにか一石を投じたくて活動しているわけですが、全員を助けることはできない。だけど、そのしなやかなたくましい精神力を持って、人生を謳歌している姿はすごいなと思います。文句言いながらも、笑って日々生活している彼女たちは本当に魅力的ですね。

地震後すぐのカブレ郡の村で

地震後すぐのカブレ郡の村で

関根:今後目指していることはありますか。
宮原:フェアトレードをもっと広めていきたいと思っています。フェアトレードはとても大事なシステムだと思っていて。今クラフトリンクで仕事していますが、ネパールやバングラデシュなど南アジアのフェアトレードの潜在能力を感じていて。もっとフェアトレードが広まれば、日本に出稼ぎに来て、大変な思いをしている人たちが、わざわざ日本に来なくても、自分の国で生活できるようになるかもしれない。出稼ぎがすべて悪いとは言わないけれど、いままで出稼ぎによって起こった悲しいストーリーにも出会ってきたから、それが少なくなればいいなと。だから頑張っていきたいです。


宮原さんから、ネパールが大好きな気持ちが伝わってきて、
私もネパールに行きたくなりました!

次回はクラフトリンク長瀬さんのインタビューを掲載予定です。

(広報インターン 辻千尋)
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