遠いを近いに シャプラニール=市民による海外協力の会 Tel: 03-3202-7863 [地図]
 
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シャプラニールの歴史

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失敗から学び、進化するシャプラニール。

矛盾に満ちた援助の姿を目撃

history011972年春、日本の青年ボランティア50数名が、「バングラデシュ復興農業奉仕団」として前年に独立したばかりのバングラデシュへ派遣されました。

彼らが現地で見聞きしたのは、矛盾に満ちた援助の姿でした。援助によって潤っているのは豊かな人たちであり、国民の大部分を占める貧しい者にとって援助は無縁のものでした。同時に、多くの者はバングラデシュの美しい自然と人々の人情に強く魅きつけられました。

4カ月の貴重な経験を持って帰国した団員有志は、「バングラデシュの人々にとって本当に役立つ援助とは何か?」ということを真剣に考えました。

その結果、継続して活動していくための組織として、新宿歩行者天国で街頭募金を集めるなどして資金を作りながら「HBC(ヘルプ・バングラデシュ・コミティ)」を結成しました。現在のシャプラニールの前身です。

 

最初の失敗~ノートと鉛筆の話~

history02バングラデシュの農村に入り、子どもたちにノートと鉛筆を配ることから始まりました。独立戦争や干ばつ、サイクロンなどで疲弊したバングラデシュに対して世界中から支援物資が届きました。

しかし、物資は村々に届く前にどこかへ消えてしまう。そんな中、私たちが訪れた村の人たちは、「この村に支援物資が来たのは初めてだ」と喜びました。

ところが翌日、村の市場に寄ると、昨日渡したノートと鉛筆がたくさん売られている。これが最初の失敗でした。子どもたちにノートと鉛筆を配ったら、明日から学校に行けると錯覚していたのです。

独立間もないバングラデシュでは、飢餓で死ぬ人もいました。子どもたちは文房具を売って食べ物に変え、飢えをしのいだのでしょう。政府の援助を無駄だと批判していた私たちが、まったく同じ失敗をしてしまったのです。

 

駐在生活のはじまり~日本人が主役の支援活動という失敗~

history03猛省ののち、私たちは駐在生活を始めました。村に入り、貧しい人たちと同じものを食べ、同じ言葉を話し、生活をともにして初めて、彼らが本当に必要としているものを知ることができると思い至ったからです。

まず取り組んだのが、青空識字学級と戦争で夫を失った寡婦たちにジュート(黄麻)を使って手工芸品を作ってもらう仕事。これが成功し、女性たちの暮らしは格段に向上しました。

しかし、1977年、駐在事務所が強盗団に襲われ、駐在員が重傷を負うという事件が起こり、私たちは再び猛省を強いられます。現地の風習や文化を十分に理解しないまま、日本人が主役の支援活動になっていなかったか。それが村に新たな軋轢を生んでしまったのではないか、と。

 

直接アプローチへの転換~スタッフのサラリーマン化という失敗~

history0480年代は、現地の住民組織や若い人たちが自分たちで始めた村おこしの活動を、私たちが側面から支援していくというかたちに活動のスタイルは移行していきました。

87年には、村のグループをシャプラニールの傘下に置く直接アプローチというかたちに転換。それによって、組織の運営や現地活動がスムーズになったものの、しだいにスタッフがサラリーマン化し、97年にはストライキが勃発するなど、その後も紆余曲折がありました。

 

日本のNGOとして、南アジアで何ができるか

history0599年~2005年にかけて、もともとあった私たちの村の事務所を、3つの現地NGOにのれんわけし、独立してもらいました。現地のスタッフや村人がより積極的に地域の問題に関われると考えたからです。

そんな中で、日本のNGOとして何をすべきかを改めて問い直したとき、都市化の進展、経済発展によってバングラデシュの社会に生まれてきた「取り残された人々」に目を向けるのが、私たちの役割ではないかと考えるようになりました。2000年に、ダッカのストリートチルドレン支援がはじまったのも、そのような視点があったからです。

 

取り残された人々を側面支援

history06現在、レストランや家事使用人として働く子どもたち、災害の多い地域に暮らす若者たち、スラムに住む人々、高齢者や障害者など、経済発展や開発から「取り残された人々」への支援活動に取り組んでいます。バングラデシュに2名、ネパールに1名の日本人駐在員を派遣し、バングラデシュやネパールに根付く市民団体(NGO)とともに「当事者自身の生活向上への主体的な参加」つまり自分の暮らしは自分でよくすることを基本姿勢にして、住民の依存心を生むことのないよう、細心の注意を払った活動をしています。

 

周りの人々へ働きかけ社会や制度の変化を目指す

history07「取り残された人々」を直接支援するだけではなく、現地の人々が「取り残された人々」を支援する流れを作り出すための働きかけに力を入れ始めています。

現地では、パートナー団体がマスメディアを通じて社会に働きかけたり、行政と連携したりするための働きかけの技能(これを私たちはファシリテーション技能と呼んでいます)を高めていくための協力も開始しました。活動の成果も少しづつ現われています。バングラデシュではストリートチルドレンのドロップ・インセンターの給食に必要な食材のほとんどを地域の商店主などからの現物寄付でまかなえるようになったり、家事使用人として働く少女たちへの支援では支援センターで行う料理教室の先生を地域の人々が担うなどの協力が得られたりしています。

 

新たなキーワード「共生」へ

history08私たちは、もともとはバングラデシュの農村の暮らしを良くしようという思いでやってきましたが、現地で活動していると、これは人ごとではない、自分たちの問題だなと感じられてくる。

バングラデシュを通して、日本を見る。農村の問題やストリートチルドレンの問題を、日本の問題とどうつなげていくか。そういう視点も大切にしていきたいと思っています。ここに至って「協力」だけでもだめなのではないか。今は新たに「共生」が私たちの活動のキーワードになっています。こうした活動に対して、これまでに吉川英治文化賞、東京弁護士会人権賞、外務大臣特別表彰、毎日国際交流賞、朝日社会福祉賞、沖縄平和賞を受賞しています。また、中学校や高等学校の教科書にも活動の様子が掲載されています。