バングラデシュ独立50周年記念 特設ページ

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2021年3月26日、バングラデシュが独立50周年を迎えました。

1971年のこの日、バングラデシュは当時の西パキスタンとの激しい戦争を経て独立を宣言しました。
この戦争で都市から農村部まで多くの人々が犠牲になりました。

シャプラニールの原点

独立宣言の翌年1972年、日本の青年ボランティア50数名が「バングラデシュ復興農業奉仕団」として
戦争で荒廃した土地を小型耕運機を使って復興協力を始めました。
これがシャプラニール発足のきっかけとなり、前身の名称である「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」が結成されました。
以降シャプラニールは約50年もの時をバングラデシュとともに歩んでいます。

シャプラニールはこの記念すべき50周年をお祝いするとともに、改めてバングラデシュの魅力をお伝えします。


INDEX.

01. シャプラニールよりメッセージ

02. シャプラニール、バングラデシュにかかわりの深い方々からのお祝いメッセージ

03. バングラデシュという国

04. バングラデシュの現状とシャプラニールの活動

05. 広がるシャプラの輪


 

01.

 シャプラニールよりメッセージ

坂口代表

坂口和隆

シャプラニール代表理事

2021年3月26日をもってバングラデシュは独立50周年を迎えます。独立の翌年から前身の名称である「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」として活動を始めたシャプラニールの活動の歴史は、バングラデシュの歴史とほぼ重なります。「援助の実験場」とも呼ばれるバングラデシュで多くのNGOの仲間に鍛えていただいてきたシャプラニールにとって、バングラデシュは親のような存在です。

私自身がはじめてバングラデシュを訪れたのは数多くの犠牲者を出した1991年のサイクロン被災の直後でした。被害状況がつかめない中、支援物資のパッキングや駐在員の手伝いをしたことを覚えています。

シャプラニールも2022年には50周年を迎えます。これからも未来を見つめながらともに歩んでいきたいと思います。50周年おめでとうございます。

 
内山事務所長

内山智子

バングラデシュ事務所長

バングラデシュでは、毎年の建国記念日、戦勝記念日などは町中がバングラデシュの旗であふれ、お祝いムードになります。私が初めてバングラデシュに赴任した際、ここまでお祝いすることが不思議に感じるほどでした。しかし考えてみれば、国の年齢としてはとても若く、市民の多くが独立戦争を記憶している、もしくは両親や祖父母から直接話を聞いているからこそ、自分たちで勝ち取った国、という意識が強く、このお祝いムードも納得します。

今年50周年を迎えるバングラデシュ。COVID-19により縮小されているとはいえ、各地でさまざまなイベントが行われています。この貴重な機会に居合わせたことを感謝しています。

現在バングラデシュは、道路や橋など日々開発が進み、町の様子も人々の生活も変わってきています。近い将来、後発開発途上国から卒業すると言われていますが、これからどのような国になっていくのか楽しみにしています。バングラデシュは若い国ではありますが、仏教遺跡やヒンドゥー遺跡なども各地に残る歴史のある地域です。開発・発展が続いていく中で、この豊かな歴史と文化を大切にしながら、美しいバングラデシュになっていくことを祈っています。

 


 

02.

シャプラニール、バングラデシュにかかわりの深い方々からのお祝いメッセージ

シャプラニール・バングラデシュにかかわりの深い方々からのお祝いのメッセージをいただきました。
メッセージの中から垣間見えるバングラデシュの歴史や文化も合わせてお楽しみください。

 
 

一人のバングラデシュ人として、全世界の人々へ、バングラデシュ独立50周年おめでとうございます。

独立の父ボンゴボンドゥシェイクモジブルラホマンのリーダーシップと独立戦争に参加して戦った戦士たち、戦争で死亡した300万人の人々と性被害にあった多くの女性たち、バングラデシュの独立をサポートしてくださった世界中の人々へ感謝致します。

当時、私の叔父も独立戦争に参加しており、私も幼少でしたが、その戦争の大変さや悲惨さを身近に感じていました。そういう大変な独立戦争の結果、バングラデシュが建国されたことを私は一生忘れることはありません。

現在のバングラデシュは、皆の努力の下、独立当事と比べてかなり経済的な発展をしてきました。独立直後からバングラデシュをサポートしてくださった日本政府、シャプラニールにも感謝致します。
今後もバングラデシュと日本の友好関係が永久に継続することを願っています。

パフォーマンス

演劇のパフォーマンスをしている様子(2列目右から4番目)


バングラデシュ独立50周年に寄せて

1994年に初めてバングラデシュに赴任し、これまで4回、通算17年間ダッカに在勤いたしました。妻共々シャプラニールに参加させていただいたのは最初の赴任の翌年、1995年で、それからかれこれ26年間もお世話になっていることになります。シャプラニールの歴史はこの国の建国の歴史でもあり、シャプラニールの皆様からは、最貧国として独立し、災害や貧困、政治的対立など、この国が直面したさまざまな困難に寄り添ってこられた話を伺い、多くのことを学ばせていただきました。最初に赴任した94年から比べても、当国は目覚ましい発展を遂げています。

今後、バングラデシュはLDC(Least Developed Country、後発開発途上国)を卒業し、さらに2041年の先進国入りを目指しています。私は3月1日付で帰国命令を受け、来月本帰国いたしますが、独立50周年の節目の年に立ち会うことができたのは、当国を担当する専門家として誠に幸いであったと思います。

日本とバングラデシュの関係が、ドナー国と貧困国という関係からアジアにおける重要なパートナー国に発展していくことを祈念しております。

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進藤康治氏撮影:日本の円借款で建設中の都市高速鉄道MRT6号線の様子


いまも耳にのこる”ジョーイ!バングラ”

”ジョーイ!バングラ”(バングラ万歳)私たちはどこに行っても、歓喜とともに多くの人びとの大歓迎を受けた。1971年春バングラデシュ独立宣言以後からパキスタン軍との戦争が始まり、バングラ全土は戦火と化し、貧困と飢餓、多くの難民が出ていた。当時、僕は美大の学生、全国に大学紛争の吹き荒れていた時代だ。大学は閉鎖されたが「デザインになにができるか」学園内では激論を交わす日が続く。卒業後デザイン見習いから始めたものの不完全燃焼。満員の通勤電車のある朝『バングラデシュ復興農業奉仕団募集』の新聞記事を見つけ『よしバングラにいくぞ』と決める。暗い車内の蛍光灯が一斉にバババァとそのとき輝いた。とんでバングラの農村の春、小型耕耘機で朝から晩まで働く、荒れ果てた大地を耕し秋には実りを持たらすのが任務だった、が農村にある多くの問題もみえてきた。若者になにができるのか…?

いまこの活動には多くの仲間が集う。目を見張るほど変化を遂げる人もいる。活動する人たちが紡ぐ糸に輝きの光がみえてくる。体験なれども継続する心は力にかわり人生も変わる。これからの50年を期待する。

福澤さんバングラにて街頭募金

福澤氏よりご提供いただきました:
(右)農作業を終え農民ドライバーたちと帰路につく夕暮れ(左から2番目)
(左)新宿歩行者天国での募金活動がこの活動の第一歩だった


バングラデシュが独立して50年、シャプラニールの活動も49年目に入る。
苦悩し発展し、今なお課題がある私たちだ。

1973年12月、私はひとり入国した。実質的な独立直後のことで、戦争の傷跡が生々しかった。首都ダッカの中心部にもスラムが広がり、街に女性の姿はまったく無く、異様な雰囲気だった。日常的な停電、度々発令される外出禁止令、頻発する強盗事件など、治安は不安定だった。

1974年、「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」初めての活動をポイラ村で開始した。半封建的な身分制社会が残っていて、村民の大多数は土地なしか零細な農民で日雇いの農業労働者だった。貧困の悪循環の中にいた。貧しい人々のうちでさらに抑圧されているのは女性と子どもだった。欧米のNGOは対症療法的なプロジェクトを実施していたが、現象ではなく本質にアプローチすべきと考えた。「女性のためのジュート手工芸協同組合」のプロジェクトを立ち上げた。この分野では同国で最も早い活動だったと、後で聞いた。同年日本で、当時フェアトレードという言葉は生まれていなかったが、同じ理念の活動を始めた。日本のフェアトレードのはじまりと位置づけられている。

当時、女性の表情は固く暗い印象があった。90年代ごろからか、女性が写る写真からは明るく、自信に溢れる姿が見られるようになった。各地でNGOがかかわり、ジュート製品やノクシカタなど、暮らしの中にあった手工芸品を作り、輸出したり、内需を掘り起こしたりと、経済活動の一端を担った。そのことにより、外貨を稼いで国に貢献し、何より彼女たちは経済的自立をした。家族、社会の中で女性の地位向上に繋がったと思う。 [続きはこちら]

ポイラ村にて

写真家吉村繫氏撮影:ポイラ村にて村人に話を聞く吉田さん(右下の白い服の女性)

 
 


 
 

03.

バングラデシュという国

「バングラデシュ」と聞くとに何を思い浮かべますか。
国家としては比較的若いですが、歴史は深く、独自の豊かな文化を育みながら、発展を遂げてきました。

独立後は、慢性的な栄養不足、疫病の円満、医療教育施設の不足…など世界の最貧国のひとつとして知られることになり、諸外国からは援助資金が投入され、さまざまな開発が行われてきました。こうした世界の流れから、シャプラニールの前身となる「バングラデシュ復興農業奉仕団」がバングラデシュへ向かうことになります…


バングラデシュはどこにあるの?
地図で示すと緑の国。バングラデシュのある地域をベンガル地方と呼ばれている。現バングラデシュとインドの西ベンガル州、東北諸州を含む広い地域のこと。ヒマラヤ山脈から流れるガンジス川、メグナ川、ジョムナ川などの支流がベンガル湾に注ぐ、河口付近一帯の一大デルタ地帯にあります。

バングラデシュの家事使用人として働く少女支援
 

基本情報

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国名/首都:バングラデシュ人民共和国(People’s Republic of Bangladesh)/ ダッカ
面積:14万7,000km2(日本の約4割)
人口:1億6,555万人*
言語:ベンガル語(公用語)
宗教:イスラム教徒90.4%、その他(ヒンズー教徒、仏教徒、キリスト教徒)9.6%*
主要産業:農業、衣料品・縫製品産業、水産業、ジュート加工業
識字率:72.9%(成人15歳以上)
国旗の由来:緑色は自然豊かさを表し、赤い丸は独立戦争の時に流された血の色を表現しているとも言われている
*2019年、バングラデシュ統計局

 


想像してみよう、バングラデシュの暮らし!

ダッカ市の様子

首都ダッカは近年の経済成長にともないバイクや車を持つ人が増えたことや、仕事を求め都市部へ移り住む人口流出も理由でさらに過密化してきています。新しい高層ビルが立ち並ぶビジネス街、寺院など歴史ある建物、暮らしぶりが垣間見える市場、スラム、さまざまな姿を持っています。

農村地域

ダッカの喧噪から離れ農村地域に足を運べば、緑豊かなさ大地が広がっています。ベンガル地方出身でノーベル文学賞を受賞した詩聖ラビンドラナート・タゴールは、夕日に映し出され稲穂がゆれる美しいこのベンガルの大地を「ショナル・ベンガル(黄金のベンガル)」と表現し、国歌の題名にもなっています。

[注目!]
暮らしや文化、人々について綴ったリレーエッセイ「私の好きなバングラデシュ」

1972年からバングラデシュで活動を続けるシャプラニールが、現地の暮らしや文化、人々についてお伝えするリレーエッセイです。シャプラニールとご縁ある方々のバングラデシュへの想いが綴られています。
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バングラデシュの食文化について知ろう!

シャプラニール『カレーグランプリ』開催!人気のカレーについて聞いてみた!
 
家事使用人として働く少女支援

シャプラニールのバングラデシュ・ネパール・東京の職員は、やっぱりカレーが好き!?
食卓に並ぶ料理にスパイスの入っていないことはない国、バングラデシュ。お馴染みのカレーについて、職員に聞きました!どんなカレーが人気なのか。これを見たら、きっとカレーが食べたくなること間違いナシ!今日はカレーかな!? 》突撃インタビュー!教えて、あなたの『推しカレー』!!
 
[過去ブログ] 
「食欲をくすぐるバングラデシュのご飯」
 
 
[ 注目!] 実は…日本でもバングラデシュのカレーが食べられる!?
シャプラニールの海外事務所では毎日サービススタッフが昼食を作ります。バングラデシュ事務所ではハワさん特製のベンガルカレーが提供されます。どんなカレーかとっても気になりますよね・・・!?実は・・・ベンガル地方の家庭の味を、ハワさんの特別レシピで作る「ベンガルカレースパイスセット」を販売しています。8種類のスパイスがセットとなり、お好みの野菜とお肉を入れるだけで、ベンガルカレーをご自宅で楽しむことができるんです!ハワさん出演の作り方動画も必見です!
詳細 ≫ 通信販売「ベンガルカレースパイスセット」

 


 
 

04.

バングラデシュの現状とシャプラニールの活動

バングラデシュでは、各国からの援助を得て交通インフラ、電力などの大規模開発計画が進み、縫製業を中心に著しい経済成長を続け、2026年には後発開発途上国(LDC: Least Developed Country)から脱却すると言われています。しかし、こうした積極的な経済政策の裏側には、経済格差も進んでおり、元々弱い立場にいる人々をより弱い立場へ追い込んでいるのも事実です。

特に災害時や、COVID-19の影響による経済活動の制限によりさらに顕著になりました。COVID-19の影響や気候変動によっておこる災害で生計手段を失った世帯は子どもを働かせたり、より危険な場所に住まざるをえなくなったりしています。 バングラデシュでは、子どもの約2.7%を占める170万人が児童労働に従事していると言われています。(2018、ユニセフ)

シャプラニールではバングラデシュ社会の変化に合わせた活動をしています。例えば、活動の重点分野のひとつ「子どもの権利を守る活動」では、子どもの健やかな成長を阻害する「児童労働」の削減と、健全な発達や社会参加に欠かせない「教育」を、とりわけ行政やNGOの支援から取り残された子どもたちや地域を対象とする活動を行っています。また青少年グループを「チェンジメーカー」とした気候変動・環境問題を考えることを促す日本の企業と協働した活動も開始しています。

バングラデシュの家事使用人として働く少女支援
バングラデシュの家事使用人として働く少女支援
バングラデシュ統計局の報告では、現在バングラデシュには家事使用人として働く少女が約33万人いるとされています。彼女たちは、閉ざされた室内で働くことを強いられ社会の目が届かず、弱い立場にあり、教育の機会や子どもの権利を奪われています。
シャプラニールでは少女のための支援センターを運営し、基本的な読み書きや保険衛生や性の知識などの習得を支援するとともに、少女たちの現状を広く社会へ訴えることで、児童労働の根本的な解決を目指しています。
 
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バングラデシュのサイクロンが多い地域での防災支援
バングラデシュのサイクロンが多い地域での防災支援
災害は、社会開発の成果を一瞬にして無にしてしまうほど大きな影響を社会に与えます。特に災害に対応する術を持たず、あるいは危険な地域に住まざるを得ない社会的・経済的に厳しいの人々がより多くの被害を受けやすいと言えます。
日常から減災に取り組むことにより、サイクロンや洪水、地震などの災害による被害を軽減する防災活動を行政・コミュニティ・個人レベルで進め、災害に強い地域づくりに取り組んでいます。
 
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05.

広がりつづけるシャプラニールの輪

シャプラニールは、1972年に設立されてから、多くの人の思いや絆によって形作られている組織です。時代や世代を超えて、全国に多くの支援の輪が広がっています。このネットワークこそがシャプラニール最大の原動力と言っても過言ではありません。あらためて皆さまからの南アジアへの想いとご支援に、心から感謝申し上げます。
 

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ぜひフォローして、私たちの活動を通して南アジアへの人々の文化、暮らしを身近に感じてくださいね。
 

 

 
 

お問い合わせ

(特活)シャプラニール=市民による海外協力の会 広報グループ
Email:press@shaplaneer.org Tel: 03-3202-7863


[ 参考文献 ]
・書籍「シャプラニールの熱い風」(1989年発行、めこん)
・独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ) 地域・分析レポート
・外務省 バングラデシュ人民共和国 基礎データ

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撮影:写真家・渋谷敦志氏
朝靄かかるバングラデシュ農村の様子