現地レポートVol.2(3月20日、21日)

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3月20日(日)
■大津漁港

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北茨城市で最も津波被害の大きかったという大津漁港周辺を、ウィラブ北茨城の小松さんの案内で見てきました。
漁港近くの海岸線に沿って走る国道6号線の沿道に建つ住宅は、津波によって大きく破壊されていました。片付けもあまり進んでいないようです。
そして大津漁港に着いた私たちは一瞬絶句しました。岸壁に打ち上げられた漁船、窓ガラスが無くなっている住宅、津波が来た14時49分を差したままの時計・・・。津波の威力の大きさをまざまざと見せつけられました。

港にたたずんで話し込んでいる2人の男性に話しかけてみると、漁港に事務所のある漁協の職員で、そのうち一人の自宅も目の前にあって津波に破壊されたとの
こと。「ほらあの茶色い家だよ」と教えてくれました。図々しいとは思いながら、「見せてもらってもいいですか」と尋ねると、一瞬困惑した表情でしたが、
「いいけど、写真は撮らないでね」と言って案内してくれました。家の1階部分は何も無くなっており、「ほら、ここまで水が来たんだよ」と指し示した壁には
くっきりと線が見え、その高さは2mを超えるほどでした。海岸に押し寄せた津波の高さは、10m程に達したそうです。その方は、津波が来る前に高台に避難
して無事だったそうですが、家には住めなくなったため、市内の兄弟の家に身を寄せているとのことでした。

3月21日(月)
前日に、特別養護老人施設や介護老人保健施設など約10カ所の福祉事業所へ支援物資を配給しましたが、この日は、市内にある6カ所の避難所へ物資を届けることにしました。

■市役所訪問
まずは市役所を訪れ、ボランティア登録をしました。入り口ではボランティアセンターの受付が設置されており、これまでにおよそ160名の登録があったとの
こと。炊き出しや支援物資の仕分け作業を手伝っているそうで、今後は被災家屋の片付けなどを手伝ってもらう予定とのことでした。約1割が市外からで、ほと
んどは市内の人たちでした。「北茨城市災害ボランティア」と書かれた腕章をお借りし、避難所へ向かいました。

■避難所の様子

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まず最初に向かったのは、大津漁港の近くにある2つの避難所のうち常北中学校に設けられた避難所です。20日付の情報では避難者数45人となっていました
が、私たちが行った時点では大体30人ほどが避難していました。他の避難所でも同様で、他の地域に移動するなどして日々避難者数は減っているようでした。


この避難者は家を失った人ばかりということもあって、衣類、医薬品などの需要が高く、特に下着の必要性が高いことがわかりました。この点は、他の避難所で
も同様でした。灯油が足りず、暖房設備も限られているため、防寒着やカイロも必要です。小さい子どもも一人いて、ちょうどいいサイズのオムツや衣類が欲し
いとのことで、一度物資の保管場所へ戻り、後でもう一度ここを訪れました。電気や水などのライフラインは来ているものの、まだまだ落ち着いて生活できる状
況ではありません。

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次の大津小学校では、校長先生が対応してくださり、衣類のほかレトルトカレーなどの食料も運び込みました。70人以上が滞在しているとのことでしたが、暖房設備がしっかりしており、先に行った中学校よりは支援物資も充実している様子でした。
その後、少人数の避難所も幾つか回りましたが、そのうちのひとつ、関本多目的集会所には福島県からの避難者が4人いて、みなさんとても不安そうな表情でしたが、その中の一人の男性は、物資を運ぶ作業を手伝ってくださいました。

■合計6カ所の避難所を回ってみて、以下のことが分かりました。
・最低限必要な食糧、飲料水は行渡っている
・避難所によっては、近所の人等による炊き出しが行われている
・病人に対してはバスによる病院への搬送サービスもあり、医療状況は悪くない様子
・避難所によって水道が復旧しているところとそうでないところ、暖房設備が整っているところとそうでないところ、といったように差がある
・子どもはほとんどおらず、高齢者が多い

救援物資・第二便が到着
昼過ぎに、東京から救援物資の第二便が到着。明日(22日)に福島県いわき市へ運ぶことになります。


報告:小松、内山(東京事務所職員)

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