地震の時の状況を教えてください

スリジャナ・サハさん:地震の時は家の中でご飯を食べていました。子どもは自宅の二階で寝ていたのですが、急に泣き出したのです。どうしたのかと思い息子を下に連れて来たら揺れが始まり、間一髪逃げることができました。この子が助けてくれました。その時はもう一人の息子と私の母、私の姉とその息子がいました。幸い全員無事でした。

家族構成は?

スリジャナ・サハさん:家族は夫、息子二人、母、夫の兄がいます。夫とは父に言われて結婚をしました。今のところ問題なく暮らしています。父はよくお酒に溺れていました。私自身はNGOの支援で7年生まで学校に行くことができました。

現在の状況は?

スリジャナ・サハさん:大変なこともたくさんあったけど、幸せです。地震で家は無くなり今は仮設住宅に住んでいます。夏は暑く、冬は寒いです。雨が降ると雨漏りもします。そんな環境なので、子どもが遊ぶ場所もありませんし、病気にかかりやすくなりました。農業をしており収入もありますが、食費に消えてしまいます。

コミュニティスペースに期待していることはどんなことですか?

スリジャナ・サハさん:収入向上プログラムとして、例えば縫製やフラワーガーデニングなどの技術訓練を行ってほしいと思います。仕事の合間に通いたいです。

現在の暮らしを教えてください。

ウルミラ・サハさん:地震で家は全壊しました。今は4人で暮らしています。娘が3人いて14歳の長女は自閉症でまだ1年生です。次女は12歳で8年生、一番下の子は8歳で、長女と同じ1年生です。夫は他に女を作って逃げてしまいました。結婚後遠いところに住んでいましたが、そのような状況なので実家のあるここに戻ってきました。私自身は2年生までしか学校に行っていません。
今は特定の仕事がなく、農業や他の人の畑仕事を手伝っています。姉が商売をしていて家計を助けてくれています。

今困っていることは何ですか?

ウルミラ・サハさん:子どもの出生証明書がないことです。証明書は夫の名前でしか受けとれず、私は夫の実家の場所も知らないため証明書を得られず支援を受けることができません。

ここに通うようになったきっかけは?

ウルミラ・サハさん:ここには1ヵ月くらい前に村の女性啓発グループのメンバーと一緒に初めて来ました。その時はここでグループのミーティングを行いました。そこに座っているガンガさん(※カブレ郡の女性グループネットワーク事務局長)がコミュニティスペースを紹介してくれました。その時は2、3時間ここにいたと思います。他のスタッフとも話すことができました。

バクタさん:村では家庭内暴力などさまざまな問題があります。しかし本人がそれを問題と感じていないということもあります。そうした環境の中で、村の中に閉じこもらず、外の世界に触れてもらうためにも、ここへ連れてきました。ここに来ることができればコミュニケーションをとることができます。また村には病気を抱えている人も多いのですが、それが何の病気かも分からないという人が多くいるため、医者を村に連れていったこともありました。
女性グループのミーティングは今まで村でテントの下などで行っていました。ただそうするとミーティングの内容が周りに聞こえてしまいます。その点、コミュニティスペースで話せば自由な議論をすることができます。

家の再建は全く進んでいません。さまざまな所から支援が来ていますが、みんな近くのハイウェイを通過していって、村には届いていません。政府からの20万ルピーの支援の件(※1)もどうなったのか…。自分で建て直そうと思っても、政府のモデルの家以外は作ってはいけないことになっているので全く何もできません。そんな状況なので支援に期待はしていません。コミュニティセンターは当初心理ケアを目的としていました。しかしながら、地震による問題以外にも、被災者はさまざまな問題を抱えていることが分かりました。例えば、先ほどウルミラさんが話していた出生届の問題や病気のことです。

利用者のみなさんは一人では大変だけど、私たちが手伝うことでスムーズに進むこともありますので、そういうときにこの場所を使ってほしいと思っています。

※1 全壊認定された世帯に対して、政府が住宅再建費用として20万ルピー(=20万円相当)の提供を行う支援。