第8回 ネパールという国(帝京大学名誉教授 山下甫さん)

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リレーエッセイ「ネパールという国」

カトマンドウから約60km西の高原地帯、アダンガットバス停からトリスリ川の渓谷を全長200m高さ50mの吊り橋を渡って崖を登った処に、ダディン郡クンプール村アドンタール部落がある。

アドンタール部落に渡る吊り橋

1998年はじめて訪れた頃、戸数100戸、総人口約500人の部落には電気も電話も無く新聞も届かず、もちろんテレビ・ラジオもないので情報伝達はすべて口コミ、これが意外に早く正確だった。

気温は真冬でも氷点下にはならず、真夏でも30度内外、バナナ、マンゴー、パパイア、パイナップルなどが自生している。空気が良く、星空は美しいが夜間は時々虎が出没して山羊、鶏などを浚ってゆくので出歩くのは危険。村人は人間が襲われない限り虎退治はしないという。

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アドンタール部落の農作業の様子

私たち夫婦は以後15年間毎年1回約ひと月ネパールに滞在、この快適な村にホームステイさせてもらった。村の産業は農業だけ、雨期は水田稲作、乾期は畑作でトウモロコシや豆、野菜類を栽培している。耕
運機などは無いので耕作は人力と牛耕、田畑には女性の姿が多い、牛を使うなどの重労働以外ほとんどの農作業は女性たちが担う。彼女たちは野良着に着かえることはなく、色鮮やかなサリーをまとい、ネックレスなどアクセサリーを残らず身に着け、念入りに化粧して田畑に入る、公園デビューならぬ「田畑デビュー」。未婚の女性はサリーもアクセサリーも身に着けない、また寡婦はアクセサリーを付けられない。田畑デビューは既婚者で家族に大事にされていることを披露しているのだ。結婚前スリムで魅力的だった女性が結婚後に肥りだすがダイエットはしない、肥るのは嫁ぎ先で幸せである証拠と思われるからだ。

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サティワティ校12年生の授業の様子

この村にある10年制の公立学校サティワティ・スクールを12年制にするための支援を要請されていた私たち
は、校舎などのハード面は大阪のNPOに任せ、理事長・校長はじめ教員との交流、11年生対象の講演、図書館の充実などのソフト面で協力した。教員の再教育、休校中の社会教育などの提案が翌年に実現、2年後には郡の正式な事業となった。

病院は8km離れていて医療費も高い、日本には「組合健保」があると話したら、これも翌年には国道沿いの村を含めた健康保険組合が設立され、小さな診療所もできていた。毎日20~30人を診察、重症者は近くの陸軍病院やカトマンドウの提携病院に送る、その後3年間で50人の命を救ったという。クリシュナ理事長・ラクスマン校長の実行力・指導力には敬服した。

今度の大地震で村の建物の90%が全半壊、校舎も3階部分が壊れた、いまクリシュナ氏は地域の復興委員会委員長として活動、ラクスマン氏は校長を後輩に譲り、全国教員組合の書記長として、教員のエンパワーメント運動を展開している。

この国は日本のように法律・制度が整備されてないので、政府頼みでは何も解決しないが、地域のリーダーに力があれば、法制上の規制が無いだけに何でもできてしまう。アドンタールはそれを実証してくれた。

<プロフィール>

2010nepal-yumi06523058430092215549142305843009221555844山下 甫(やました はじめ)

帝京大学名誉教授。1949年早大卒、新聞記者、経済研究所研究員を経て1975~1997年帝京大学経済学部教授、70歳定年退職と同時に妻ゆみ子と共に15年間ネパールでボランティア活動。

 

<シャプラニールとの関わり>
確か1999年だったか、ネパールを支援するためのアドバイスを求めて入会。河口湖畔で開催された「夏のつどい」で実行委員、それ以外とくにシャプラに貢献したことはない。

 

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