リレーエッセイ「私の好きなバングラデシュ」

わたしがバングラデシュを訪れたのは中学3年生の春のことでした。
バングラデシュに足を踏み入れたその日から、わたしの生き方は変わりました。

村で出会った親子。

村で出会った親子。

バングラデシュでは、出会う人々皆が優しく、フレンドリーでした。そこにいた子どもたちは、私たちにたくさん話しかけてくれました。皆、活発で子どもらしく、あどけないようなどこかたくましいような、そんな子どもたちでした。
ある人は家に招待してくださり、家にある一番いいものを、とわたしたちにたくさんの食べ物を振舞ってくださいました。私たちを快く受け入れてくれることを嬉しく思う反面、きっとわたしが現地の人の立場であったら、身なりが綺麗で、なに不自由なく生活している日本人に対して、そこまでのおもてなしはできないだろうと思いました。
食べるものがないから、着るものがないから貧しいのか。いや、食べるものがあっても、着るものがあっても、それを幸せだと感じないことが貧しいということなのではないかと、その時気づきました。

ダンスを披露してくれた少女たち。

ダンスを披露してくれた少女たち。

バングラデシュを去るとき、村の女の子たちがダンスを披露してくれました。美しい民族衣装を身にまとい、踊る彼女たちは、心から今を楽しみ、生き生きとしていました。 ダンスを披露してくれた彼女たちは、決して裕福ではありません。一人一人様々な背景があり、むしろ大変な思いをしている子どもがほとんどでした。しかし、彼女たちは、紛れもなく自分がここにいると、謳っているようでした。

 

現在わたしは幼児教育について学んでいます。東日本大震災後、これからのいわきを、福島を、日本を支えていく子どもたちと共に歩みたいと強く思ったからです。また、バングラデシュの子どもたちのキラキラとした目に魅せられ、世界中の子どもたちが等しく、それぞれ幸せと感じる世の中を作っていきたいと思うようになりました。子供達の笑顔が絶えない、そんな世の中になることを願っています。

農村部に住む子どもたちと。

農村部に住む子どもたちと。

最後に、世界には、日本に現在も侍が存在していると思っている人がいます。しかし、そのような人々はきっと日本を訪れて驚くことでしょう。日本=京都、これは日本のほんの一部分であり、こんなにも色々な面があったのかと。
同じように、バングラデシュもきっとまだまだ皆さんの知らない面がたくさんあります。わたしも知らないことだらけです。 良い面がが見えづらくなっている今だからこそ、わたしはバングラデシュの良さを発信したいです。

 

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<プロフィール> 齋藤奈々(さいとう・なな)
福島県いわき市在住。短期大学生2年。2012年にシャプラニールが実施した中学生・高校生スタディツアーで、バングラデシュの高校生に東日本大震災の経験を伝えた。

<シャプラニールとの関わり>
東日本大震災を経験した福島県の中学生・高校生の中から作文による応募書類で選ばれ、2012年3月に実施した中学生・高校生スタディツアーに参加(当時中学3年生)。

この記事の情報は2016年8月13日時点です。

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