リレーエッセイ「ネパールという国」

トントコトントコ、トントコトントコ〜♪

ネパールの村で、夜に太鼓の音が聞こえてきたら、それは、何かしらのプジャ(儀式)が行われているのかもしれない。軽快なリズムに合わせて、歌声が響き、順々に人々が踊りを披露していく。子どももお母さんもおじちゃんも、みんなおもいおもいに楽しく踊り、そして段々と夜は更けてゆく・・・生活の中に宗教文化が強く根付いているネパールにおいて、そのようなプジャは日常のできごとだった。

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プジャの中では様々な楽器が演奏されます

ネパールで暮らしていた当時、住んでいた家の大家さんが、スワスタニのプジャをしていたことがあった。このプジャを行うと自分の願いが叶えられるという。プジャの行程は約1カ月にわたり、毎晩礼拝を行い、スワスタニの本(宗教の物語が書かれている)を少しずつ読み進めていくというものだった。その間、大家さんの奥さんはきちんとお祈りをするために、毎朝、水で体を清め、ずっとバルタという断食のような状態で過ごしていた。それは、だいたい12月か1月の(このプジャは行われる月が決まっている)一年で一番寒い時期のこと。私は、体の弱い奥さんが体調をくずさないか心配だった。

なぜ、奥さんは大変な祈りを続けるのか・・・それは、旦那さんがもうすぐ海外へ出稼ぎにいくことが決まっていたからだった。一度、海外に出稼ぎに出れば、2、3年は帰ってこれない。そして、その離ればなれの間に、何がおこるかわからない・・・。このプジャは旦那さんの無事と家族全員の健康を願うために奥さんたっての希望で行われたものだった。

現在のネパールでは、大家さんのように、海外へ出稼ぎに行く人がたくさんいる。私がネパールで住んでいた地域の同年代の男性たち(20〜30代)も、今ではほとんどがネパールにいない。ここ4年ほどで、みんな海外へ出稼ぎに出てしまった。出稼ぎの仕事には、いい条件のものもあるが、危険が伴うものも多い。サッカーW杯が開催されるカタールでは、競技場等の建設にネパール人を含めた多くの外国人労働者が動員されており、その過酷な労働現場で亡くなる人も少なくないと海外の報道機関により伝えられている。そのため、奥さんの不安な気持ちは痛いほどわかった。

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お祈りしているときの様子

話はプジャに戻る。長い一カ月のプジャも終わりをむかえ、奥さんの祈りも無事に最後まで続けられた。最後の日には、ヒンドゥー教の祭司を呼んでプジャがとり行われた。親類や近所の人等、多くの人が参加し、盛大なものとなった。そして、その日の夜は、例のごとく、トントコトントコ〜♪みんなおもいおもいに夜通し踊り続けた。もちろん私も一緒に踊った。大家さんの無事と、この家族の幸せを願って。
あれから5年・・・
大家さんは今も海外だが(間に一時帰国はしているものの)、何事もなく、家族みんな元気に過ごしている。

菅野さんプロフィール写真<プロフィール> 菅野 冴花(すがの さえか)
大学時代にシャプラニールのバングラデシュスタディツアーに参加。それをきっかけに、卒業後は、青年海外協力隊としてネパール農村部で2年間活動する。現在は、ソーシャルプロダクツ(フェアトレードやオーガニック等何らかの社会性をもつ商品)の販売、普及に関わる仕事に携わっている。

<シャプラニールとの関わり>
大学時代にシャプラニールが開催したバングラデシュスタディツアーに参加。

この記事の情報は2016年10月14日時点です。