本特集ではシャプラニールの活動が始まった1972年に本土へ復帰した沖縄に焦点を当てます。シャプラニールはちょうど10年前(2012年)に沖縄平和賞を受賞した縁から、講演会「Peace & Democracy Forum」やイベントの開催など、少しずつですが沖縄とのかかわりを続けてきました。
2022年5月に行われた沖縄復帰50周年記念式典で、玉城デニー知事は「本土復帰にあたり示された『沖縄を平和の島とする』という目標が達成されていない」と述べるとともに、「子どもの貧困など依然として克服すべき多くの課題が残されている」と、沖縄の現状について語りました。
本特集では、「平和」「多文化共生」「子どもの貧困」といったテーマを軸に、本土復帰50周年を迎えた沖縄で活動する方々へのインタビューを通し、沖縄の人々の想い、そしてシャプラニールの取り組みにもつながる沖縄の課題について考えます。

インタビュー/文 事務局長 小松 豊明

インタビュー① 大仲 るみ子さん

世界各国から多様な人々が集まる沖縄で、「多文化ネットワークf uふ!沖縄」代表として多文化共生の活動を進める大仲さんに、本土復帰50周年を迎えた沖縄の人々の感覚、沖縄における多文化共生の現状などについてお話を伺いました。


f u ふ!の多文化共生

小松:まず「f u ふ!沖縄」について教えてください。名前の由来は?

大仲:どういう意味だと思いますか?

小松:そうですね…、”f”は”fun”の”f”とかでしょうか。

大仲:その通りです!楽しいことは “f” から始まるんですよね。”fun”と”fair”を大切に活動しよう、とみんなで話し合って決めました。多文化共生と一口に言ってもいろんな意味合いがある中で、私たちはまず、対等ではない関係性、楽しくないコミュニケーションがあることを認識し、そこを変えていくことが多文化共生であると捉えています。多様性を表すよう、英語とひらがなをミックスした名前にしました。


「ゆんたく」する場を

大仲:活動を始めたきっかけは、2020年から始まった新型コロナウイルスの感染拡大下、地域に住む外国人市民(留学生、技能実習生含む)と日本人市民、学校側と学生との間に対等ではない関係性があると感じたことでした。国の制度の問題でもあり、私たちに大きなことはできない。そこで考えたのは、いろんな人がゆんたくする場をつくろう、ということでした。

小松:今「ゆんたく」とおっしゃいました。聞いたことのある言葉ですが、具体的にどういう意味でしょうか。

大仲:気軽におしゃべりをする、という意味です。「ゆんたく、ひんたく」なんて言います。

小松:なるほど。「ひんたく」は語呂合わせみたいなことですね。ありがとうございます。

大仲:それで、那覇市の市民活動への助成プログラムを活用して在住外国人を対象としたアンケート調査とヒアリングを行い、432人から回答がありました。その結果を私たちだけで抱えるのではなく、いろんな人と共有しようとネットワークミーティングを開催しました。
入国管理局や市役所の職員、地域の団体の人たちなどに来てもらいました。その時に印象的だったのは、新型コロナウイルスの感染拡大1年目だったことから、留学生たちがアルバイトもできず、国にも帰れない、という困窮した状況を声高に訴えたことでした。その声を入管の職員もちゃんと聞いたわけです。留学生は、入管の役人には変なことは言えない、市役所には話をちゃんと聞いてもらえない、という固定観念をもっている。そうではなく、「言っていいんだよ」「ちゃんと聞いてね」という場になったと思います。
先日、ネパール人の留学生が「本土ではネパール人の自殺が増えている。沖縄でも問題になるかもしれないから何かしたい」「新しく来る留学生に地域生活オリエンテーションをしたい」と提案してきました。自分たちでこのように考えて取り組むのはいいなぁと思い、一緒にやろうかと話しています。

小松:すごいですね。先日、東京の日本語学校から「ネパール人の留学生が生活に困窮している」とSOSがあり、食料を届けたことがありました。確かに、充分稼ぐこともできない留学生の生活課題は深刻かもしれません。

大仲:私たちは見つかった課題を解決することまではできません。市や社会福祉協議会、他団体などみんながつながって、コラボレーションで多文化共生を一緒につくっていければよいと考えています。

ネットワークミーティングのようす


表面だけのウチナーンチュ?

小松:本土復帰50周年を迎えて、沖縄の人々がそれをどのように受け止めているのか、周囲の人たちの声、メディアの論調、そして大仲さんご自身の想いなどをお聞かせください。

大仲:うーん。複雑です。お祝いではないし…。まず、沖縄って何だろう、ということを突き付けられた気がします。何をもって「オキナワンチュ」って言うのだろう。自分は表面だけのウチナーンチュ(沖縄の人という意味)なのではないか。悲しいというか虚無感を感じました。それはなぜかというと、テレビなどの報道で先人たちの生き様、復帰への運動などを見て、知ってはいたけれど、切実には捉えていなかった気がしたからです。50周年の式典を見て、正直「何だこれは?」と思いました。形だけですよね。お金がもったいない。5年前に行われた復帰45周年式典に参加した時も悲しかったです。腑に落ちない感覚がありました。その時に「もっと知らなきゃ」と思ったはずなのに、忘れていたんです。
50周年の式典の時に国歌斉唱があり、なぜか泣きたい気持ちになりました。私たちは何を聞かされているんだろう、と。国家統制の戦略が透けて見えた気がします。先人たちはこれに反対してきたのだろうが、それがまかり通っていて、私たちは沖縄のアイデンティティをどこかに置いてきてしまったのではないか。私が子どもの頃は卒業式で君が代を歌わなければならないという文化はなくて、それを拒否する先生たちが戦っていたのですが。


ネットワークミーティングで現状を伝えるネパール人グループの代表


実は話されていない

小松:本土復帰50周年をポジティブに捉えている人はいますか。

大仲:それがですね、私の周りでは本土復帰について話をする人はいないんですよ。みんな「複雑だね」で話が終わっちゃう。埼玉にいるf u ふ!のメンバーから「沖縄どう?」とよく訊かれるのですが、本土で話されているその熱量が沖縄にはなかったなあ、と思います。それはなぜなのかを考えると、沖縄のことを知らないし目を背けて向き合っていないからではないかと。
琉球大学の我部(がぶ)さんという先生が新聞で、「自ら現状を変えなきゃならない」と語っていたのが、とてもしっくりきました。政府や本土のことよりも、自分たちが考え向き合わないと何も変わらないんですよね。沖縄で暮らす私たち自身が、虐げられていること、それを諦めてしまっている、ということをちゃんとわかっていないと思うのです。

啐啄同時

大仲:もうひとつ、今年は本土との関係性を捉え直すチャンスではないかということ。沖縄の問題をちゃんと考えようとする人が増えている気がします。啐啄同時(そったくどうじ)という言葉があります。ふ化しようと卵の中でひながコンコンコンと殻をつつくのと、親鳥が外から殻をつつくタイミングがぴったり合うとひなが生まれてくる、ということから、またとない好機であることを意味します。沖縄のことを一緒に考えよう、という機運が生まれつつあるのではないでしょうか。

小松:この会報の読者、本土の市民へ何かメッセージはありますか?

大仲:気軽に出会って話しましょう!でしょうか。色々聞きたいです。沖縄のことをどう思うのかとか。壁がなくなったらいいと思います。自分は壁を感じているわけではないんですけどね。ゆんたくしながら、難しい話も柔らかい話もできたらいいですね。

PROFILE 大仲 るみ子(おおなかるみこ)
多文化ネットワークf u ふ!沖縄代表。沖縄出身、岩手県で大学生活、初めての就職は北海道の小学校。県外、海外での暮らしや旅を経験。いろいろな地での出会いや学びが、現在の多文化共生の活動につながっている。元沖縄NGOセンター事務局長。2021年に開催したPeace & Democracy Forumの実行委員会メンバー。

インタビュー② 〈子どもの福祉専門 沖縄大学人文学部文化学科教授 山野良一さん〉インタビューはこちら

会報「南の風」297号(2022年9月発行)掲載