今、世界がCovid19という感染症の災害と向き合う日々にあります。5年前の4月25日、ネパールは約9,000人もの人々が犠牲となった地震に直面し、なんとか毎日を生き延びようと必死でした。地面が揺れるという想像だにしないことが余震となって生活を揺らし続けました。余震っていつまで続くの?プレートって何メートル掘れば出てくるの?神様の怒りを静めなくては!来週火曜日にまた来るらしい。情報があふれ、でもそれになかなか追いつけなくて余計に不安な気持ちが社会を覆っていたように思います。

生き延びるための食料配布支援の時期をこえ、2016年から生活再建といった復旧の活動を始めながら、しなくてはいけないと思ったのは、正しく怖がるための情報、知識を伝える防災の活動でした。そして、2018年頃から防災活動を本格的に始めました。

その中で、印象的だった変化との出会いがいくつかありました。

とある学校で避難訓練実施前の教師向けオリエンテーション。正直、先生たちはあまり乗り気ではありませんでした。大地震はしばらく起きないのではないかという人も出てきていた時期でした。しかし、改めて2015年の地震の時の自分の体験を振り返る中で、徐々にその記憶が鮮明になったのでしょう、いざという時にどう行動するかを事前に考えておくことの大切さを徐々に自らの口から言うようになりました。

地震が来たときは、頭を守って

地震が来たときは、頭を守って

そして、もう一人が手前味噌ですが、ネパール事務所職員のスリジャナです。地震発生前から、当時始めようとしていた地震防災キャンペーンを担当していましたが、地震が起きた後は明らかに取組み方がより真剣になりました。彼女の家は地震でひびが入り引っ越しをしました。そのときの揺れ、子どもの恐怖の顔を忘れずに、彼女は活動と向き合っていたのでしょう。自分たちが伝える知識、情報で人々が地震の備えをする、それは命に直結することだとプライドを持って取り組んでいきました。

地震の被災者と雑談から話を聞いていく

地震の被災者と雑談から話を聞いていく(左:スリジャナ職員)

地震後の防災の活動は2019年秋に終わりました。それまでに起きた変化は、もちろんこの2つだけではありません。非常持ち出し袋を知らなかったお母さんが用意するようになった、地震が神様のせいだと思っていたおばあちゃんが地震のメカニズムを説明できるようになった、学校で防災授業が行われるようになった、学校で防災クラブができて学生が日本の地震、津波にも興味津々、などなど。

正しく怖がることは、怖いという気持ちで終わることではありません。怖いから何か行動を取ることまでがセットです。正しく怖がれる人が増えたことで、将来、地震が起きたときの被害、社会不安が少しでも減ったのではないかと思っています。

 

ネパール事務所長

勝井裕美