昨夜から出張でインド西ベンガル州のコルカタに来ています。今回のメンバーは、東京事務所から出張している中森職員、ダッカ事務所スタッフのサイフル、私の3人。一緒に食事に行ったときなど横で見ていて面白いのはサイフルとコルカタの人々の会話です。コルカタの人たちがバングラデシュをどんな風に見ているのかが垣間見えて興味深いのです。

今日も、泊まっているゲストハウスの近くに最近開いたばかりという小さなレストランに夕食を食べにいったのですが、そのときの会話の一部を再現すると…

店員:そう、バングラデシュから来たのー。最近どうなのバングラデシュは。爆弾犯人がいっぱいいるんでしょ。

サイフル:そんなことないよ。去年はちょっと騒ぎはあったけど、今は全然普通だよ。

店員:そうかい。なんだか危ないのかと思ってたよ。

解説:コルカタの人にはどうも「バングラデシュ→イスラム原理主義が台頭→爆弾」というイメージが強いようで、こういう会話が交わされることがよくあります。コルカタのテレビや新聞の報道の影響でしょうか?

店員:出身はボリシャル?

サイフル:いや、違うよ。同僚にボリシャル出身はいるけどね。

店員:そう。実は私の親戚がボリシャルにいるんだよ。

解説:コルカタにはバングラデシュに親戚がいる、という人がとても多いのです。1971年のバングラデシュ独立のときにインドに移ってきたヒンドゥーの人とか、その逆の人もたくさんいますし、1947年のインド・パキスタン独立のときに移ってきて、親戚の一部が国境の向こう側に残った、という人もいます。もちろん出稼ぎに来ているバングラデシュ人もかなりいます。

店員:ダッカとコルカタの間に汽車が走ると便利になるねえ。

サイフル:そうだねえ。まあ、バスとどっちが早いかだけどねえ。

ふじおか:本当にあとたった1ヶ月で汽車が走れるの?

サイフル+店員:そうさ、だって線路はもうあるんだから。

サイフル:英領インド時代はダッカとコルカタの間は汽車が走ってたんだからね。ぼくの母だってダッカから汽車で来て、コルカタのカレッジで勉強してたんだから。今もそれぞれの国じゃ国内の線路は使ってるんだし、クリアしなきゃいけないのは国境の手続きと人のメンタル・バリアだけの話だよ。

解説:ダッカ-コルカタ間は現在長距離バスは走っていますが、汽車の行き来はありません。先日、インドの外相がバングラデシュを訪問し、選挙管理内閣のフォクルウッディン主席顧問と会談した際、コルカタ-ダッカ間に再び汽車を走らせることが決まりました。4月中旬に開通の予定です。楽しみですね。

サイフル:ここではバングラデシュのテレビは全然見られないんだよね。

店員:そうなんだよねえ。昔は見れたんだよ。バングラデシュのETVとか気に入ってたんだけどねえ。ぜんぶ禁止になっちゃったんだよね。

ふじおか:パキスタンのTVは見られるんですか?

店員:前は見れたけどそれも同時に禁止になったんだよ。まあ、パキスタンのテレビはインドのに比べるとだいぶ遅れてるからな。べつに見なくてもいいけどね。

解説:バングラデシュではインドのテレビは映画、音楽、ニュース何でも見られますが、インドの西ベンガル州では、バングラデシュのテレビ番組は一切見ることができません。言葉はどちらもベンガル語なので、バングラデシュのテレビが見られると相互理解のためにもよいと思うのですが…。禁止になったのはそう昔のことではなく、比較的最近のようですが、どんな理由でいつ禁止になったのかはよく知りません。

バングラデシュの最近の政情についても、どんな風に報道されているのか知りたいところですが、それは明日以降誰かに聞いてみましょう。