避難所となった小学校

4月29日から5月8日にわたって、ピースボート災害ボランティアセンター(PBV)の活動に合流して、益城町の小学校の避難所の運営を益城町役場の方々と一緒に行ってきました。

この小学校には当初約300名が教室に、校庭にも100台以上の車中泊の方がいらっしゃいました。応急危険度判定で家に危険(赤い紙)が貼られてしまったから、判定では要注意(黄色)だが余震で崩れる気がして怖いから、水が出なくて生活ができないからといった理由が、主な避難理由でした。

 

避難所での活動

避難所の運営サポートとして、主に次のような活動を行ってきました。

1.食事支援・物資管理

途中からコンビニエンスストアから1日3食(朝:おにぎり、昼:パン、夜:弁当)が届くようになりましたが、それ以外の炊き出しのスケジュールと量の調整を行いました。発災直後から活動していた、その小学校の学生や卒業生のボランティアのみなさんなしではできない活動でした。

2.教室から体育館へ

5月9日(月)の学校再開に向けて、教室から体育館へ避難されている方々に移動していただく必要が出てきました。そのための人数把握や体育館内のレイアウト案の作成等を、避難所運営の専門の方々と一緒に進めていきました。7日(土)には、避難されている方々の協力の下、体育館への移動が行われましたが、水道や電源の整備などは今後すすめていく必要があります。

避難所では、町役場や私たちが合流したPBVのほか、医療系NGOが医療対応を地元の学生が食事支援を、自治会長の方々が住民の窓口を、学校の教職員の方々が避難所としての学校施設の利用対応を行っていました。そして、トイレ掃除など生活の細かな部分を支えるためにボランティアが活躍をしていました。地域の人たちを中心に多くの関係者がいて、避難所がまわっていきました。

 

自分が避難所にいたら

今回、活動をしながら考えたのは、NGO職員として災害時にどうするかだけでなく、自分が被災者・避難者になった時のことでした。災害への備えだけでなく、日頃から地域のつながりがないと連携して避難所を運営したり、外部からの支援を受けられないのだろうと感じました。

勝井裕美