約50年前、日本で最初に取り組んだ
フェアトレードの取り組み

シャプラニールのフェアトレード活動は、1974年、バングラデシュにて、洪水に見舞われた農村の復興の一環として外で働いて収入を得る機会が限られる女性を対象にした活動(農村開発活動)としてはじまりました。私たちは日本で最初にフェアトレードに取り組んだ団体のひとつです。

伝統的な民具づくりの技術を活かした活動

ジュート(黄麻)によるシーカ(網かご)づくりから始まりました

深刻な洪水に見舞われた直後のポイラ村(バングラデシュ首都ダッカから北西へ約80㎞)では、農地が荒れ、町へ働きに行く交通費もない状態でした。さらに物価の高騰が追い討ちをかけ、村人の生活は困難を極めていました。この出来事はシャプラニールがバングラデシュで活動をはじめて間もない1974年のことです。

そこで始まったのが「女性のためのジュート手工芸品生産協同組合」でした。農村部では男性の働く機会も限られている状況の中、女性たちが仕事をして収入を得るために、伝統的なジュート製の民具づくりの技術を活かした手工芸品生産活動が考えられたのです。それは、イスラムの慣習から外で働くことのできない女性にとって、貴重な仕事づくりとなりました。

生きる意欲に火がついた女性たち

組合メンバーである女性たちが次第に収入を得られるようになると、村の中では、風紀が乱れると言ってやっかむ長老たちもいました。しかし、それまで裸足で歩いていた女性たちがサンダルを履いて外出するようになるなど、低い地位に留め置かれていた女性たちにとても大きな変化が現れました。

アミナさん(仮名)
1974年12月30日、28枚のジュート・マットを持ってダッカへ納品に行きました。しかしそのほとんどが品質検査に合格せず、返品されてしまいました。自分たちの技術が足りないんだと思いましたが、返品された商品を見て、組合のメンバーみんなが泣いていたのを覚えています。

ロヒマさん(仮名)
私の家は貧しく、母と妹も組合のメンバーとして仕事をしていました。教育を受けたくても学校へ行くためのお金がありませんでした。仕事を始めて、収入を得られるようになり、学校を辞めずにすみました。この仕事がなかったら学校は続けられなかったし、今の夫とも結婚できなかったと思います。結婚後も学校は続け、識字教室の先生も務めたことがあります。

「フェアトレード」という言葉がまだない時代から

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その後、日本で彼女たちが作ったジュートの商品の販売もはじまりました。もちろん当時はフェアトレードという言葉はありませんでしたが、生産者に寄り添い、対等な関係を築く商品づくり、これがシャプラニールのフェアトレード活動のはじまりでした。

その後、直接生産者から商品を買い上げるのではなく、現地の生産者と環境に寄り添ったものづくりを行うパートナー団体から仕入れるようになり、また、バングラデシュだけでなくネパールにも活動が広がっていき、クラフトリンクの形は大きく変化してきました。しかし、生産者一人ひとりの暮らしが良くなるために、女性たちの自信につながるように、という想いは1974年のあのときから、今も変わっていません。

今も愛されるジュートの商品

クラフトリンクでは、多くの方にご愛用いただいているジュートサンダルや様々な用途にお使いいただけるバッグ、生活雑貨などを多数取り揃えております。ぜひ、ジュートの優しい色味や触り心地を日常に取り入れ、生産者に想いを馳せてみてはいかかがでしょうか。