シャプラニールの活動にさまざまな形でつながりのある方、
国際協力、社会貢献などの分野で活躍されている方に、その思いを伺っています。


「みんなが少しずつ優しくなること」で、世界はきっとより良い社会になる。

認定NPO法人マギーズ東京共同代表理事 鈴木美穂さん

毎年新たに100万人ががんになる時代。24歳の時に乳がんに罹患した経験から、がん患者とその家族や友人たちのための相談支援センター「マギーズ東京」を設立した鈴木美穂さん。昨年は産学官民及び医療者等の連携を通じて、がんにかかわる包括的な社会課題の解決を目指す「一般社団法人CancerX」を発足。これまでも、これからも進化し続ける鈴木さんに、マギーズ東京の活動やその想い、これから目指していることなどを伺いました。

インタビュー 京井杏奈(国内活動グループ)


京井:マギーズ東京の活動を教えてください。
鈴木マギーズ東京はがんに影響を受けたすべての人たちが無料で利用できるセンターです。センターではさまざまなプログラムを用意し、看護師や心理士など、がんの専門家が利用者の話にじっくり耳を傾け、自分らしさを取り戻せるようサポートしています。一人ひとりに寄り添い、その人が探しているものを一緒に見つけていくお手伝いをしています。

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京井:当事者だけでなく、がんに関わるすべての人が利用できるというところに共感しました。
鈴木:患者向けの医療相談窓口などはありますが、家族を含めたものはなかなかありません。ここは患者だけでなく、家族も友人も同僚も上司も、影響を受けて悩むことがあったら誰でも利用できます。医療従事者の人も来るくらい利用者は多様化しています。毎年新たに100万人ががんになる時代、その数は生まれてくる子どもより多いんです。がん経験者、家族や友人、職場の同僚など、立場は違ってもほとんどの人が、がんに影響を受けていると言える時代なのかもしれません。

最近は、がんになった人が働き続けられるように企業向けの研修やシンポジウムなど、企業連携にも力を入れています。自分らしく生きていくためには、社会や制度が整っていかないといけません。理解が広がり、制度を活用してもらうためにも当事者とその周辺の人々、両方のアプローチが必要だと思っています。また、がんというきっかけがなくともセンターの建築に関心を持つ人、センターの前の花畑活動に参加する人など、さまざまなきっかけで知ってもらうことも大切です。がんになった時に思い出してもらうためには、がんになる前から知っておいてもらわないといけません。「何かあった時に安心できる場所がある」と思われる存在でいたいと思っています。

京井:マギーズ東京の活動で、大切にしていることはどんなことですか?
鈴木:センターとしては「聞くこと」を大切にしています。がんになった時、ゆっくり話を聞いてもらえる場所はあまりありません。がんの種類、治療方法、置かれている状況はそれぞれ違いますが、その人が何に困っていて、何に悩んでいるかをとことん聞きます。こちらから何かを提供するのではなく、その人自身が自分の力を取り戻すことが大事です。活動を進めていく上では、ボランティアにしても企業連携にしても、能動的に関わってもらうことを大事にしています。その人の力を引き出すのが「マギーズ流」ですね。

京井:設立前、クラウドファンディングで1,100人から約2,200万円の支援を集めたと伺いました。それだけ多くの人が共感し、寄付という行動を起こしたことはすごい事実だと思います。
鈴木:組織も何もないときに、共同代表の秋山正子さんと二人で建設に向けた資金集めとして、クラウドファンディングを実施しました。まだ実態も信頼もない状態でどれだけ寄付が集められるか不安でしたが、とにかく多くの人に想いを伝えました。友人や家族、マギーズセンターに関心がある人、このような場を求めていた人たちなどの力が結集し、1100人、2200万円もの支援につながりました。いろんな縁と運が重なり、やるしかない!と背中を押されました。

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京井:闘病後、日本テレビで報道記者として働きながらマギーズ東京を立ち上げた時、多忙を極めていたと思います。全力でチャレンジするその原動力はなんですか。
鈴木:私は一人ではなにもできなくて、周りの人に支えてもらってここまできています。スキルを持った人たちがそれぞれの力を発揮し、私がやりたいと思ったことを一緒に実現してきてくれました。自分でできないことをやってくれる仲間を見つけてこれた、というのが一番大きいですね。また乳がんを患い、死の恐怖に直面した時、がんを克服していきいきと生きる乳がん経験者の女性と出会いました。自分の経験をその後の人たちに役立たせる生き方が、私にとって大きな希望になりました。このまま終わりじゃない!と立ち上がるきっかけになりましたね。闘病中に自分が必要としていたものを届けたい!という一心で活動してきました。

京井:がんに対する理解や制度など、少しずつ社会も変わっていく中でマギーズ東京がこれから目指すことはどんなことですか。
鈴木:この活動はまだ道の半ばです。オープニングの勢いに負けず、発展していかなければなりません。コロナ禍で相談業務もオンライン化する中、センター運営のあり方やイギリスのマギーズをいかに日本で求められる形にアップデートしていくかなど、抱えている課題はたくさんあります。最近は、日本全国の人たちが恩恵を受けられるように、人を育てる役割を担っていく必要があるとも感じています。マギーズ東京の次のステップはどこなのか、どうサステナブルに運営していくかを模索しています。

実は私のところに日々、鬱バージョン、不妊バージョンなど、他の課題を解決するマギーズのような場所が欲しいという問い合わせが来るんです。誰もが課題にぶつかると、その課題を乗り越えた人に会いたいし、それを解決してくれる人や場所、居場所を求めます。がんに限らずみんな一緒ですよね。そういった普遍的な、全世代・全課題対応型の居場所はどうやってつくればいいのか、ということを最近考えています。そのヒントが欲しくて、昨年夫婦で世界一周に出ました。

京井:広い世界を見てきて、改めて日本はどんな社会だと思いますか。
鈴木:日本はもっと自由でいい。同一性を求めるのではなく、人と違うことを認められる社会になるといいなと思います。がんを含めて何らかの事情を抱えた人を型に当てはめて見るのではなく、病気も人生の一つの経験と捉え、もっと寛容であるべきだと思います。多様性・寛容性・自由があればもっと良い社会になるのではないでしょうか。うまくいくときも、いかないときも人にはあるけれど、それをすべて包み込んで、抱きしめられるような社会にしたいです。まさにマギーズ東京のコンセプト「HUG YOU ALL」ですね。

京井:そういった社会を目指して、一人ひとりができること、必要なことはどんなことだと思いますか。
鈴木:みんなが少しずつ優しくなればいい!そして人に関心を持ち、つながりをつくることが大事だと思います。人はつながりの中に生きています。私自身、今の人生もこの活動もすべて、つながりでできていると感じています。

マギーズ東京。施設周辺には緑豊かな庭が広がる。

マギーズ東京。施設周辺には緑豊かな庭が広がる。

konohito_vol287_skインタビューを終えて
実は中学校の同級生である鈴木さん。当時クラスでずば抜けていた行動力と探求心が、マギーズ東京そのものにつながっていました。「自分と同じような人たちを救いたい」という強い意志と覚悟、そして惜しまぬ努力に、友人として、女性として、NPOで働く一人の人間として刺激を受けました。壮絶な闘病体験をした彼女だからこそ、たどり着いたマギーズ東京という場所がこれからも人々の心の拠り所であることを願います。これからも鈴木さんの活動から目が離せません!

会報「南の風」290号掲載(2020年12月発行)
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konohito_vol290PROFILE
鈴木 美穂(すずき・みほ)
2018年まで日本テレビにて報道局社会部や政治部の記者、「スッキリ」「情報ライブ ミヤネ屋」ニュースコーナーのデスク兼キャスターなどを歴任。2008年、乳がんが発覚し手術、抗がん剤治療、放射線治療などを経験。2009年、若年性がん患者団体「STAND UP! !」を発足、2016年、東京・豊洲に「マギーズ東京」をオープン、2019年、がんにまつわる様々な課題を業界を越えて解決していく「CancerX」を発足。著書に『もしすべてのことに意味があるなら がんが教えてくれたこと』(ダイヤモンド社)など。