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20090707Yurino.jpg悲惨さではなく、豊かさを
 シャプラニールが目指している「共生が実現した社会」を吉田さんは、次のように話してくれました。「一言でいうと『共感』。私たちのとなりで困っている人びとへの共感が地球規模で広がった社会。シャプラニールは、これを形にしていく場。まだ発展途上」バングラデシュという現場から、シャプラニールははじまっています。1974年、現場にいた吉田さんは「バングラデシュに送られてくるお金はどのようなお金なのか。悲惨さに訴えて、お金を集めることはバングラデシュの人びとに対して失礼。自立のための支援という考え方と矛盾している。お金の集め方もまずしさだけでなく、豊かさをも伝えた上でのことでなければ」と考えていました。抽象的なまずしい人びとではなく同時代を生きる生身の人間を感じて欲しいと願っています。

共感のセンスの種をまく
 帰国してからは「日本にいる自分にできることはなんだろうか」と考えました。町田、宇都宮と自分が生活する地域で地域連絡会を立ち上げます。また、生涯学習センター、小、中、高校や大学などで講演する機会も多くあります。講話を聞いた生徒が書いた感想文を読むことで、高校での講演が進路指導に役立ったという先生からの話を聞くことで、共感のセンスの種をまいた手応えを感じているようです。

 「大学の先生方は学生が開発援助を学んでも、就職しようとするとそれを活かせるNGOの受け皿がないと言います。しかし、必ずしもNGOである必要はないのでは。様々な組織や職業で活かせます。教員、ジャーナリストなど各々の持ち場で影響力をもち連携することで、シャプラニールが目指す社会により近づくのではないでしょうか」

日本にも問題があるのに、なぜバングラデシュにくるのか
 1974年、ポイラ村の長老から聞いた言葉を今でも忘れられないと言います。「日本にも問題があるのに、なぜバングラデシュにくるのか。そのときは答えることができなかった。宿題として今でも考え続けている」この言葉によって、日本国内での活動の大切さも実感します。「シャプラニールは海外協力の思想『国境を越えて支え、学びあうこと』の大切さを伝えようとしている。バングラデシュの現実も大切、彼らから学んで日本の市民に伝え日本の現実を変えていく運動も大切。シャプラニールが運動をしなければ不十分なのでは」日本国内にある格差や人権、教育、地域の課題などにアンテナをはり、もっとつながり、日本社会を変える新しい価値を伝えていくこと。これがポイラ村の長老の宿題に対する答えになるのでしょう。改めて日本も国際協力の現場だと認識することになった取材になりました。


よしだ・ゆりの
前理事、評議員。シャプラニールとちぎ架け橋の会代表。1973年ヘルプ・バングラデシュ・コミティ(HBC、シャプラニールの前身)の通信員としてバングラデシュへ。現地事務所開設、農村開発プログラム開始にたずさわる。栃木県在住。