理事・評議員からのメッセージ

シャプラニールの運営に関わる理事・評議員の皆さんから、

ご自身の活動や専門性の高いトピックに焦点を当てたレポートが届きました。

タイムリーな話題、広い視野から多角的な海外協力の今をお伝えします。


「アジアが町にやってきた 〜ディアン君への手紙〜」

シャプラニール評議員/シャプラニールむさしの連絡会代表/日本語教師 横田昌子

私は東日本大震災のあった2011年からシャプラニールのステナイ生活のボランティアとして活動しています。震災の時、早い段階から福島県いわき市で緊急救護を開始したシャプラニールが、土曜日も活動可能なボランティアを募集しているのを知って即応募しました。会社勤めの人間も気軽に参加できるステナイ生活の仕分けボランティアは、”市民による海外協力”の入り口で、その敷居の低さはシャプラニールの真骨頂だと感じています。

 現在私はむさしの連絡会(注1)の代表として、地域で活動していますが、2年前からこの活動に、地域在住の外国人労働者の方に参加してもらっています。自分たちが暮らす町で外国からの労働者の方を見かけるのは全く珍しくなくなった今日この頃です。もはや、”市民による海外協力”はご近所で暮らす外国人労働者の方との交流から始まるはず、そんな思い出新しい“ご近所づきあい”に思いを巡らせる日々です。ニュースで目にすることも多い、”技能実習生”の若者たち。交流を深める中で、故郷を離れて働くことを選択した彼らの色々な思いが伝わってきます。そんな彼らの事を手紙という形でお伝えしたいと思います。アテナのディアン君は今までに私が出会った何人かの技能実習生をモデルにした架空の人物ですが、エピソードは彼らとの交流の中で知ったものです。

(注) 会員が中心となってシャプラニールの活動や国際協力を広げる取り組みを行うボランティア組織「地域連絡会」のひとつ。

おいのり

オンラインイベント「ラマダンの台所から」にてイスラムの礼拝の様子

ラマダンの台所(1)

オンラインイベント「ラマダンの台所から」に参加した皆さん


―出会い― 

 ディアン君、元気ですか?やっとすずしくなってきたけれど、東京の夏の暑さはあなたの故郷のインドネシアよりも厳しくて、仕事の現場で熱中症になった同僚もいると聞きました。朝早くから日が沈むまで、現場で鉄筋やセメントを運ぶ作業に従事しているあなたたち技能実習生にとって、夏は一番やっかいな季節ですね。 

あなたが技能実習生として母国で日本語や生活の研修を受けた後に来日し、建設の現場で働き始めて、この夏でもう2年半になるのですね。東京やその近郊の県の新築住宅の土台は、遠い南の国から来た若者がアパートと建設現場を往復する毎日を積み重ねて作っているということを、あなたと出会って初めて知りました。 

 あなたと出会ったのは、私達が住んでいる市の日本語教室でしたね。一昨年の年明け、私は市の広報誌でずっとやりたかった日本語ボランティアの募集を見つけて、会場の市役所に足を運びました。大学の恩師、村井吉敬先生の影響でインドネシアにはまってもう四半世紀は経つかしら。インドネシアが大好きな私は教室の隅っこで「インドネシアの人がいるといいな。でも、技能実習生は地方に多いのかしら。うちの市は東京都内だし、無理だろうな。」なんて思いながらキョロキョロしていました。すると教室のドアが開いて、あなたが現れたのです。ひと目でインドネシアの人だ、とわかった私はいそいそと同じテーブルの向かいの席に座りました。偶然ですが、あなたもその日初めて教室に見学に来たのでしたよね。自己紹介すると案の定「インドネシアの西ジャワから来ました。」とのことです。私は幸運に感謝しました。幸運は重なり、私は教室であなたを担当することになりましたね。話を聞くと、あなたは市内のアパートに30名あまりの仲間と一緒に住んでいるとのこと。いつのまにか自分の町にインドネシアの若者たちがこんなにたくさん住んでいた、ということにとても驚きました。私は研修生という名のもとに、安価な労働力の提供者として大勢のインドネシアの若者が日本で働いているという話をニュースなどで聞くたびに、どうしてそんな制度が存在するのか、納得できない思いを抱いていました。そのような実習生たちと知り合う方法はないのかなと思ったりもしていました。それがどうでしょう。ディアン君は私の自宅からほんの15分ほどの場所にもう2年以上も住んでいたのですね。ディアン君の先輩の中には技能実習生として来日し、契約を終えていったん帰国した後に、再度短期労働者として来日し、通算5年以上この町に住んでいる人もいると聞きました。 

私がせっせとアジアを旅している間に、アジアのほうが私の町にやって来ていたのです。 

ナシゴレン

料理イベント「みんなでワイワイインドネシア料理を作ろう!」に参加した皆さん

―技能実習生という名前の若者たち― 

 ディアン君、あなたも、あなたの同僚の人たちもほとんどがインドネシア、ジャワ島の地方の若者たちですね。私が会社員だったころ、毎年のように休暇を利用して訪れていたジャワの寛容で心優しい若者たち。ほとんどの人は兄弟の数も多く、中でもディアン君は6人兄弟の末っ子でしたっけ。2つ年上のお兄さんも実習生として、日本の地方都市で同じく建設の仕事をしているのですよね。そして、あなたのお母さんもあなたが2歳のときから5年間、サウジアラビアに家事労働の出稼ぎに行っていたと聞きました。帰国したお母さんを見ても、あなたはその人が自分のお母さんだとわからなかった、という話を聞いて、胸が痛かったです。あなたの夢は、西ジャワに土地を買って、そこで野菜を育てたり、ヤギを飼うビジネスを始めることだと言っていましたね。自分の家を建てて、奥さんとお母さんも一緒に住みたいと。そのために、今は東京でがんばっているのですよね。 

 ところで、今年25歳になるあなたが一番関心があることはなんといっても結婚ですね。同僚のほとんどは20歳代の若者ですから、みんな同じだと思います。今、日本ではそれほどでもなくなりましたが、みんなの故郷ではまだまだ結婚に対する周囲からのプレッシャーはとても強いと聞きました。国に恋人を残して来た人、恋人がいないまま来日して勇敢にも日本で恋人探しをしている人、人それぞれですが、いい人を見つけて幸せな結婚をしたいという気持ちはみんな同じです。20歳から30歳代は人生の土台作りの時期です。結婚もそうですが、職業人としても、これからの人生の基礎となる知識、技術を吸収し、積み上げていくことでその後の人生を生き抜く力を身に付ける、とても重要な時期ではないでしょうか。その大事な時期に来日してアパートと建設現場だけを往復する毎日を過ごすのは、あなたたちの人生から大切なものを奪っていることにはならないでしょうか。 

 そんなことを思いながら、では、あなたたちの労働の受け入れ国の人間として私たちはどんな「ご近所さん」であればいいのだろうと日々思いをめぐらす近頃の私です。 

―市民による海外協力”の始まりはご近所づきあいから― 

 まず、私が思ったことは、あなたたちとこの町に暮らす私達が知り合いになることが必要だ、ということです。あなたたちのような若者の存在を知り、出会い、交流を重ねることで私たちはアジアの人々に思いを寄せると同時に自分の国の在り方を見つめ直すことができるのではないでしょうか。そして、何より、私はあなたたちに日本の人たちと知り合いになって欲しい。とりわけ、シャプラニールの活動に参加して、新しい経験を積み重ねて欲しい、強く、そう思いました。 

 私はまず連絡会で、あなたたちとインドネシアの代表的料理“ナシゴレン”を作るイベントを企画しました。多くの参加者が実習生のみんなの礼儀正しさ、明るさ、料理の手際の良さに感心して、すっかりみんなのファンになりました。その後に訪れたコロナ禍でもみんなはオンラインイベントを通じてイスラム文化を紹介してくれました。こちらも参加者から“多文化共生”を言葉だけでなく実際に感じることが出来た、と大きな反響がありました。自国の文化を外国で紹介して、熱心に受け止めてもらうことが、あなたたち自身の中にも良い経験として残ってくれたらこれほどうれしいことはありません。 

 「アジア各地でひどいこと、むごいことたくさんやってきた俺たちは“面白いこと”やらなくちゃだめなんだよ。」これは、一昨年のNHK大河ドラマ『いだてん』で主人公田畑政治が、なぜ東京にオリンピックを招致するのか、と聞かれて答えたセリフです。アジアの人々とどうやったら良い関係を築き、重ねることができるのだろう、私がずっと抱えているテーマです。そして、その関係を築く相手は、みんなのように今や私たちのすぐご近所に住んでいるのです。 

 私はこれからもむさしの連絡会の仲間たちと共に、“良いご近所さん”になれるよう、“面白いこと”を考えたいと思っています。ディアン君も帰国まであと少し、付き合ってもらえるとうれしいです。どうぞよろしくね。

 

ナシゴレン2

インドネシアの代表的料理“ナシゴレン”の作り方を紹介している様子

 


プロフィールPROFILE     よこた・まさこ

都市銀行勤務の後、環境NGOでインドネシア現地NGOと協働して島嶼部の漁業農業プロジェクトに取り組む。その後、証券会社勤務を経て、国際協力NGOでチャリティーショップ、総務業務に従事。2019年より日本語学校で非常勤講師として勤務。シャプラニールむさしの連絡会代表。 

会報「南の風」294号掲載(2021年12月発行)

本インタビュー掲載号のご購入はこちら