シャプラニールは、2006年よりバングラデシュ首都ダッカ市内で、現地パートナー団体のPhulki(フルキ)と協働し、家事使用人の少女たちが基礎教育、職業訓練などを受けられる「支援センター」を運営するとともに、子どもが働くことを当たり前と考えている雇用主や保護者、バングラデシュ社会全体の意識を変えることで、働く子どもがいない社会の実現を目指しています。

2020年度には過去15年間の活動の成果をはかるインパクト評価を実施し、2021年2月に報告書が完成しました。支援センターの卒業生の少女たち、雇用主や保護者、自治会のメンバー等の関係者にインタビューを行い、事業がもたらした意識と行動の変化を調査しました。調査の結果、家事使用人の少女たちだけでなく、周囲の雇用主や保護者、地域住民の間でもポジティブな変化が生まれていることを確認できました。

調査の過程では、支援センターに通う少女や卒業生にインタビューすることができました。

今回は、現在支援センターに通う少女シムさん(仮名)の声をご紹介します。

支援センターで学ぶ少女たち

支援センターで学ぶ少女たち

私が働くようになった理由

私の家は両親と八人兄弟の大家族です。家の経済的状況は良くありませんでした。父親は大工で、母は家事をやっていましたが、父は深刻な病気にかかり、働けなくなってしまいました。学校に行ったことはなく、母には女の子にとって教育はよくないものだと言われました。 そして私がほんの5歳だった時、母は私にフルタイムでの家事労働をさせるためにマイメイシン(バングラデシュ北部の都市)に送り出しました。私はそこで3年間働きましたが、給料は低かったです。そして8歳の時に、より高い給料で家事労働をするため、叔母と一緒にダッカに送られて来たのです。私の給料は上がりましたが、そこの雇用主はとても非情な人でした。重いベッドシーツやカーテンの洗濯を含むあらゆる家事をすべてこなさなければならず、8歳の私にとって本当に大変でした。でもそれは逃れられない運命で、私は何もできませんでした。

支援センターで学んだこと

同じく家事使用人として働いている妹から支援センターのことを聞き、2017年の8月にセンターに通い始めました。私の勉強はアルファベットから始まりました。自分の名前や住所の書き方も覚え、多くのことを教わりました。自分の名前やその他のものも読んだり書いたりできるようになりました。今では計算もできます。 勉強だけではなく、アクセサリー製作、手縫い、ペーパークラフト、仕立ての方法も学びました。これらの研修のおかげでより多くのことができるようになり、新しいビジネスも始めました。自分により自信を持てるようになり、今では、自分の将来は自分自身で変えることができると考えています。

私の将来の夢

支援センターで様々な職業訓練を受け、定期的にセンターで練習もしているので、今は自分の村で仕立屋を開くという夢を持っています。そこで仕立ての仕事や、手作りのアクセサリーや装飾品の販売などをしたいと思っています。この夢を実現するために毎月貯金をし、ついに銀行口座を開設することに決めました。

(シムさん、仮名)

支援センター卒業生の少女たち

支援センター卒業生の少女たち