ルムジャタールの空港にて

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P1010299.jpg今回のオカルドゥンガ出張では往復に飛行機を利用した。双発の飛行機でカトマンズから30分でルムジャタール(オカルドゥンガ)の空港に着く。

この30分というのはあくまでも飛行時間のことで、霧の多い冬の時期は出発時間が大幅に遅れることが多く、空港で2~3時間待ち、ひどい時には欠航ということもある。

行きのフライトは朝8:45発だったものが、霧のために3時間遅れて出発した。左にヒマラヤの山々、2,000m級の山が連なるのを下に見ながら飛ぶこと約20分。ウゥゥゥゥ~ンとプロペラの音が騒がしい飛行機がオカルドゥンガの上空に差し掛かった。周囲とは明らかに異なる赤土色の台地が現れた。どうやらルムジャタール空港はそこにあるらしい。舗装されてない空港に着陸すると、もうもうと土煙があがった。

P1010300.jpg小さな空港に降り立つと、そのまま空港の外に出て荷物の到着を待つ。空き地に沢山の人たちが居るのは、見送りや到着客を出迎えるためらしい。

思い思いの格好で待っている人たちのようすはとてものどかだが、かつてマオイストの襲撃によって多くの死者(治安関係者)を出したというだけあって、空港の周りにはまだ鉄条網が張り巡らされ塹壕もそのまま残っていた。そして今でも軍隊が駐屯している。

P1010663.jpg荷物が出てくるのを待っていると、突然獣(けもの)臭くなった。と、大きなヤギが少し離れたところにいる。実はこのヤギ、この辺りでは有名なヤギなのだ。5、6年前、駐屯する軍隊が東部平野からヘリコプターに乗せて連れてきたのだという。当然、食料としてである。ある日殺そうとしたが、このヤギが涙を流して殺さないでくれと頼んだという。その出来事があって、誰もこのヤギを二度と食べようとしないのだそうだ。

今でも元気に村の中を自由に歩き回っている様子は、確かに普通のヤギではないように見える。十何キロも離れた村や郡庁所在地へも一匹で歩いて行って、また空港に帰ってくるのだとも聞いた。しかも、夜は他の動物に襲われないよう人家に泊まり、夜が明けると再び歩き出すのだという。オカルドゥンガのおとぎ話のようなエピソードだ。

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6件のコメント

  1. j、フォキール on

    先のブログにもコメントしましたが、懐かしーーい!ルムジュタール。 JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の記録映画「アジアの呼び声に応えて」のロケで行きました。シャプラのビデオ「私の村から」「私の村、私の国から」の千葉茂樹氏が監督で。その時、伊藤邦幸先生は、それまでの謄写版印刷に限界を感じ、なんと!大型コピー機を持って行かれたのです。写真の飛行機で!スリッパ履きの一人の人夫さんが5時間位だったでしょうか病院まで担いで行きました!電気のないオカルドゥンガ診療所ですからディーゼル発電です。その後、しばらくして一時帰国中に伊藤先生は亡くなり再赴任は叶いませんでした。現在、コピー機はどうなっているのでしょう?電気は開通したのでしょうか?ちゃんと活用されているのでしょうか?藤崎さんご存知ですか?       このヤギは仙人ならぬ万山羊では?いやいや神ですよね?!ヒンドゥー教では牛は神、インドの大都会でも悠々遊々していますね。バングラの藤岡さんの最初の頃のブログに、確か、山羊の目はかわいい!とありましたね。実は、私は、牛や鶏より山羊が好きでして・・、カレーの具としてですよ。「シーシー」と追いやるか、尻を叩くかしかやらない共生は、いいものですよね!?

  2. ふじおか on

    その山羊の話、ひどく気に入りました。泣いて頼む顔が見たかった。あと、J、フォキールさん、私は山羊の目はかわいいとは…言わなかったと思うんですけど(どちらかというと不気味)。でも山羊は好きです。

  3. J,フォキールさん、ふじおかさん、こんにちは。
    たしかに、ヤギを神様のように皆が感じているという話は聞きました。人が集まって話しているところにトコトコと寄って来て一緒に立っている姿などは、このヤギ言葉が判るんではなかろうか、と思わせるくらいでした。
    オカルドゥンガ診療所の最近の様子は知りませんが、ルムジャタールやオカルドゥンガという比較的開けた村(町?)では不安定ながら電気もきていますし、小さなソーラーパネルを備えた家も多いようです。その電気を使ってコピー機を使っているのかもしれませんね。

  4. j、フォキール on

    mOm!ふじおかさん。「不思議でした。伊藤先生の話をもうひとつ。オカルドゥンガ診療所の傍らに先生と奥様(ドクターでした)の墓があり、遺髪が入っています。先生は言っておられました。人生の中で多くの時間を過ごした所に墓を作りたいと。生まれた地とあと1箇所はどこだったか。遺体は献体されました。私は、ふるさと霧島山の麓とアリチャガートとプーリーとラジャスターン砂漠とラサに灰を撒いてもらえれば・・。ポイラもかな!あと30年、まだ増えそうです!

  5. やまちゃん on

    J,フォキールさん 前回のブログにコメントしたコミュニティ。私が体験した範囲内に過ぎませが、教育分野で力を発揮しています。ネパール政府は公立学校でも校舎は建てないので、その地のコミュニティが資金と労力を出し合って校舎を建てると、政府は教員を派遣するが3~5年間は給料を出さない。そこで公立学校なのに実態は「コミュニティ立」学校という事例は数え切れないほどありす。それと、コミュニティ内ではどこの家の子に対しても大人たちが厳しいしつけ教育をしていました。 政府やマオのことはまたの機会にしましょう。

  6. j、フォキール on

    やまさん、ありがとうございます!
    だとしたら、日本のローカルの小さなNGOや個人が世界中で学校建設の支援をしていますが(内実はいろいろあるのでしょうが)、ネパールでの学校建設は、教育普及に大いに貢献していると言えますね?!?まだまだ足りないと思いますが・・。
    今、シャプラのHPでネパールでの活動を調べたら、山間部での教育活動はやっていないようです。
    やまさんは元協力隊ですか?専門は? 私のベースはバングラですが、ネパールとインドも少し。19974年からフォキール(乞食)をしています。ネパール語にも“フォキール”はあるので、含みはお分かりと思います。おっ、コミュニティーの話でした。この先、藤崎さん、バングラの藤岡さん、小嶋さんのブログでもいろいろ教えて下さい!現在お住まいの地域のことなども。

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