西タライ(平野部)出張

2

ダキア(草編みかご).jpg7月21日から今日までネパール西部のタライ(平野地帯)に行ってきた。途中ハプニングにも見舞われながら、カトマンズから空路1時間、そしてジープで往復600Kmを4日間で疾走するというかなりダイナミックな出張となった。

ネパールは大きくカトマンズやポカラのある丘陵地帯(標高1,000~3,000m)ヒマラヤの山々も含んだ山岳地帯(3,000~8,000m)そして、インドとの国境に広がる平野地帯(0~1,000m)とに分けられる。カトマンズの標高は1,300m、盆地であるがゆえに一日の寒暖の差は大きいものの、夏は比較的涼しく冬もあまり気温が下がらず快適な気候である。一方、タライ地域は海抜が低いため夏の気温が高く、この時期の訪問はカトマンズ在住のネパール人に言わせると「うへー」となるような厳しさらしい。

しかし、今回の出張は、ポカラ訪問とならんで小松職員出張の大きなアジェンダであったので、暑さなどで躊躇してはいられない。前日になって行きのダンガディ行きのフライトがキャンセルになり、急遽ネパールガンジのチケットを取り直し、そのままの勢いで出張してきた。

タライ平原.jpg 定刻通りに飛行機が出発し、(予定していたフライトをキャンセルされたことも忘れ)幸先の良いスタートに満足し、空港に迎えにきてくれていたジープに乗り込んだ。途中に広がる平原の様子や国立公園(野生動物保護区)に目を奪われつつ約300Kmを移動、無事ダンガディに到着した。ホテルに荷物を置いてこの地域で活動するNGOを訪問した。

  1950年以前はジャングルばかりだったこの地域は、マラリアの流行地帯でもあったため先住民であるタルーと呼ばれる人たちが住み、その他の人々はほとんど居なかったという。しかし、その後マラリア蚊の駆除が進み、山岳地帯から多くの人々が入植するようになった。その結果、タルーの人々は土地を奪われただけでなく、(カマイヤと呼ばれる)債務奴隷のような形で代々地主の下で農作業に従事させられるようになってしまった。

2001年ネパール政府による解放宣言によって多くのカマイヤが債務奴隷の状態からは抜け出したものの、これまで長らく耕してきた土地や家から追い出される形となり、むしろこれまでよりも悪い状況での生活を余儀なくされるという皮肉な結果を引き起こしてしまった。解放カマイヤに対して配分される約束になっているはずの土地も、政府側の様々な手続きの遅れのため、全体の5分の1程度しか割り当てられていない。5年が経った今でも、仮住まいの生活が続いている元カマイヤたちが多くいるのだ。

つまり今回の訪問は、シャプラニールが活動をしたカマイヤ再定住キャンプの視察、カマイヤ問題に取り組むNGOとの面会、元カマイヤの人々の現状を知るというの主目的に加え、クラフトリンクで扱っている商品の生産者と会うことも予定されていた。移動距離もさることながら、訪問した団体の数、会った人々の顔ぶれも様々なので、この後何回かに分けて書いてみようと思う。(多分)

馬車・マヘンドラナガルにて.jpg
こんなのにも乗ってみました

Share on FacebookShare on Google+Tweet about this on TwitterEmail this to someone

2件のコメント

  1. 山下 甫 on

    マラリアが無くなると山地民族が移動してきて、先住民が圧迫される話は高原地帯にあるアドンタール村でも聞きました。この地域には「マジ族」と呼ばれる最下層カーストの人たちがいました。昔々、この地域を支配していた王がトリスリ川の両岸に住んで渡し舟を営んでいたマジ族を、川の片方の岸に強制的に移住させ、代わりに渡し舟の独占営業権を与えました。川を越えて外敵が侵入するのを防ぐためでした。
     この地でもしょうけつをきわめたマラリアがなくなると、高地からインドアーリア系やチベット系の民族が移住してきて、農耕や牧畜を始めます。そして先住民のマジは低いカーストに位置づけされます。でも舟運で日銭を稼げるので、マジは農地を持つことも、農業や漁業の技術も学ぶこともしませんでした。20世紀後半にスイスの援助でトリスリ川につり橋が完成、マジは失業、貧困と過酷な日雇い的重労働に追いやられました。
     幸い、この村の最高カーストに属する指導者が、差別撤廃に尽力、学校建設工事にカーストや部落の壁を破って協力を呼びかけ、地域一丸となった協力体制を築き、村おこしを推進しています。いまでは、村の人口の25%を占めるマジ族も農業や建設業の新たな担い手として生きています。

  2. 山下さん
    支援されているアドンタール村の歴史、マジの人たちの経験は開発の負の側面を如実に表している例だと興味深くそして身につまされる思いで読みました。
    以前スタッフから、あるプロジェクトで水源の遠い村に水道が引いたものの、しらばらくしてから女性たちによってその水栓が壊されてしまったという話を聞きました。水を汲みに行く時間は実は女性にとって村や家族の縛りから離れられる貴重な息抜きだったのに、家事負担の軽減という側面からしか考えなかったプロジェクトがその時間を奪ってしまったことに対する反発だったということです。
    どちらも住民主体とはいったい何か、ということを考えさせられる例ですね。

コメント

CAPTCHA