ネパールに限らず南アジアの国で何か申請しようとすると、いつも嫌な気持ちになる。なぜかと言うと必ず父親もしくは夫の名前を記入するように求められるからだ。例えばビザ。最近申請したばかりなのでよく覚えているが、バングラデシュ、ネパール、インドとも父親と夫の名前を書く欄があった。銀行口座の開設書類、携帯電話の購入書類にもやっぱりあった。

女性は必ず誰かの庇護の下にあるべき存在で、一人で生きていけるはずがありません、と言われているようで、いつも無性に腹が立つ。以前聞いた話だが、バングラデシュで携帯電話を購入した日本人の知人が「請求書が父と私の連名で届くのよ、父は日本に住んでいるのに」と笑いながら言っていたのを思い出したらまた腹が立った。ばかばかしいにも程がある。

The Kathmandu Post 30 May 2006.jpg5月31日付けThe Kathmandu Postに「母親からの市民権取得を認める」という記事が載っていた。これまで父親がネパール人である場合にしか取得が認められなかった子どものネパール国籍が、母親がネパール人であっても可能となるという決議が30日の国会でなされたのだという。ただし、現行法規との矛盾が生じてしまうので母親による市民権の申請を実際に受け付けるにはしばらく時間がかかるらしい。

今回の決断は大きく評価すべきだと思うが、頭のどこかでちょっと待って、という声が聞こえる。ストリートに出てきた子どもや青年たちが、運転免許を申請するために市民権が必要だから故郷に戻ってきたという話を一緒に活動しているパートナー団体から良く聞くことからも判るように、ネパールでは市民権は後から取得するものであって、初めから付与されているものではない。上記の新聞では外国人と結婚したネパール人女性を想定して「道が開けた」と書いているが、例えばシングルマザーのようなケースがどうなるのかについては触れていない。

少し時間をさかのぼってみよう。2005年3月に最高裁によって未婚の女性および父親の特定できない子どもに市民権は付与されないという判決が出されていた*。そして同年9月にバディ(ネパール西部に住み伝統的に芸能に携わってきたグループ、売買春によって生計を立てている人も多く不可触民の扱いを受けている)の女性の子どもにネパール市民権を認める判決を下した*。対象を一般の女性にも広げなかったのは父系社会という「秩序」が乱れることを恐れたからだという話も聞いた。

誰かに不利益なシステムというのは、必ずそこから利益を得ている人々が存在することを意味する。単にシステムを壊すだけでは現状は改善されない。むしろ状況が悪化することも十分にありうる。それを防ぐためには、時間がかかっても社会に新しい価値観を創造する努力が同時に必要とされるはずだ。今回の市民権の判断はネパールの社会を変えるだけの意味と力を持っていると信じたい。

2006年6月2日

*NGO-JICAジャパンデスク・ネパールウェブサイト「開発関連記事」3月及び9月より