シャプラニールは多くの方々とのつながりによって
50年という長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の姿が見えてきました。

シャプラニールは多くの方々との
つながりによって50年という
長き道のりを歩み続けることができました。

そんな私たちにとって
大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の
姿が見えてきました。

クリシュナ・デヴィ・マハルジャンさん

「マープチャ(母親グループ)」メンバー

PROFILE
シャプラニールが1999年に組織強化を支援した現地NGO「SOUP(スープ)」の識字教室に通う母親たちで「マープチャ」というグループを結成、収入向上のための仕出し屋を始めた。精神障害を持つ夫と長女のケアをしながら、現在もグループの活動を精力的に進めている。

学校に通う機会がないまま、16歳で結婚

マープチャ(ネワール語で母親グループの意味)を結成してからもう26年も経つのですね。このマープチャの活動を始めるきっかけとなった現地NGO「SOUP(スープ)」との出会いで、私の人生は大きく広がりました。

私は生まれてすぐに祖父母の家で育ったのですが、学校に通う機会がないまま16歳で結婚することとなりました。結婚してからは、精神障害を抱える夫の代わりに働き、朝早く起きて田畑に行って農作業をして、家に戻ってきたら炊事や洗濯などの家事に追われて1日が終わるという毎日でした。

識字教室に通えるようになって、広がった世界

本当は勉強がしたかったので、ある国際NGOが開いた識字教室に通ったのですが、1カ月で義父母に辞めさせられてしまいました。しかしその後、私のことを知ったSOUPの代表が義父母に手紙を書いて、そして家を訪ねて義父母を説得してくれて、SOUPの識字教室に通えることになりました。そこでネパール語を学び、今ではネパール語の新聞も読むことができます。


現地NGO「SOUP(スープ)」が運営していた女性識字教室

当時、義父母に嫌な顔をされもしましたが、家事を急いで片付けて毎日夕方2時間の識字教室に通いました。欠席すると10ルピーの罰金でしたし、何より教室で同じような境遇の女性たちと話ができるのが本当に楽しかったのです。それまで、家族以外とかかわることは喜ばれない文化だったので、ひたすら農作業と家事、義父母の世話をしていて、同じ地区の女性たちと知り合うことさえできなかったのですから。一人だと悲しいことはただ自分で抱えるしかないですが、友人に話すと少しは気持ちが軽くなるでしょう?SOUPと出会って私の世界は明るく開けました。

35歳の頃のクリシュナさん

新たな夢が膨らむ

SOUPから「識字教室の女性たちで、収入向上を目指して、宴会などに料理を届ける”仕出しサービス”を始めてみないか」という提案をされた時には驚きました。主婦として普段作っている料理がお金を稼ぐ手段になるなんて思ってもみず、最初は恥ずかしかったです。開始当初は一人当たり1日50ルピーの収入でしたが、今では400ルピーとなりました。当初7名程で始まったマープチャも今は8名の有給社員を雇う株式会社として仕出しサービスを提供しています。私も株主の一人です。以前はSOUPに助けてもらっていましたが、今では年間利益の2%をSOUPに寄付し地域の若者の活動を支援しています。

仕出しサービスの様子
マープチャの仲間であるインディラさん(左)とガンガさん(中央)

ここ2年はCOVID-19の影響でロックダウンもあり、人々が集まることを避けているので注文が減って多くても週に2回、まったく注文がない週もあります。でも、マープチャとしては今後、いろいろ活動を広げるよりもパーティパレス(宴会場)を建てて料理を出すなど仕出しサービスを軸に発展させていきたいといった目標があり、これからの活動に夢が膨らみます。