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■パキスタン大地震被災者支援活動
視察報告と今後の活動について
(2006年2月14日追加)
2005年12月24日から2006年1月5日までパキスタンの被災地を訪れた、当会会員でパキスタン研究を専門とする子島進氏(東洋大学助教授)に現地調査を依頼。被災地域に足を運び、地域住民からの聞き取りなどを通して、見えてきたことなど、子島氏の報告を抜粋してお伝えします。
2005年10月8日の地震発生から、4カ月以上が経過した。この間、パキスタン国内での死者数は7万人を越え、行方不明者も9千人と推計されている。さらに標高1000メートル以上の高地に暮らす被災者に対しては、降雪という「第二の死の波」が押し寄せている。
今回、Kohsar Welfare and Educational Society(以下コサール)とActionAid
Pakistan(以下アクションエイド)の二つの現地パートナーを訪問した。
- カシミール
このあたりは、ゆるやかな丘陵部が延々と続く地形となっている。平地が限られているので、村といっても家と家はかなり離れて建っている。家屋は遠目には大丈夫そうに見えても、近づいてみると例外なく壊れている。まともな形で残っている家は、この村にはない。布を張り合わせたような「テント」を使っている人もいる。標高1500メートルを越えるこの地方では、多い年は2メートル近く雪が積もるというのに、その対策はほとんど進んでいない。
シャプラニールは、緊急支援の第一段階として、10月21日、この村の100世帯を対象に約1カ月分の食料を配布した。そして第二段階として、35戸の仮設住宅建設を決定.。どこに行っても「家をなんとかしてほしい」との訴えを聞く。カットケール村だけで、70から80世帯が自力では家を建てられないとのことだった。男手を失った世帯も多い。周りに似たような状況の村が数限りなく広がっていることに目をつぶっても、「誰を支援するか」というのはかなりの難問である。「貧しく困っている人」の数は、設置できるシェルター数を大きく上回る。
- 北西辺境州
12月30日、アクションエイドのオフィスがあるバタグラムに到着。バタグラムには大規模なテント村があり、大小のNGOもオフィスを構えている。余震が続いたアライから、住民の多くがここに避難している。ラシャンとビヤリの村を訪れる。この2つの村では、女性や子どもたちに防寒具が配られた。ビヤリ村の被害は相当ひどく、死者は60名を数えるという。カットケールと違い、家屋が密集している。それが軒並み倒壊している。
1月1日朝、周囲の山を見渡すと一面雪に覆われている。ついに雪が降り出した。帰路は、雪で立ち往生したバスやトラックのため、数カ所で渋滞。このまま峠道に閉じ込められるのではないかという不安が頭をよぎるが、なんとか通り抜けることができた。
課題
今後、大手のNGOが連絡をとりあって、広大な山間部を網羅するような形で活動を展開するとは考えにくく、「村のNGO」を直接支援し、「村人自身による再建」を促す必要がある。その意味で、シャプラニールが、本当の意味でのローカルNGOであるコサールを支援している意義は大きい。
しかし、被災地では依然として、「テントやシェルター(寒さ対策)の不足」「支援機関間のコーディネーション不足」、「土砂崩れなどによる道路の寸断」、「社会的弱者(子ども、女性、老人、障がい者)に対する配慮の不足」など、緊急救援を行う際にたびたび指摘される課題を抱えている。
今後の活動
仮設住宅をもってシャプラニールとしての活動は終了となるがPNAC、アクションエイドとの連絡は継続しつつ、今後さらに現地調査やモニタリングが必要かどうか判断していく。
■パキスタン大地震被災者支援活動
被災地の様子(文・写真子島進氏)
(2006年1月12日追加)
12月24日から1月5日にかけて、パキスタンの被災地(カシミールのカットケール村周辺)を訪れた当会会員でパキスタン研究を専門とする子島進氏(東洋大学助教授)の報告です。
■パキスタン大地震被災者支援活動
現地視察報告会を開催
(2005年12月20日追加)
10月に発生したパキスタン地震に対し、シャプラニールでは女性や子どもなど特別な配慮が必要とされる人々に対する支援を最優先課題として、カシミール地方と北西辺境州にて救援活動を実施しています。このたび、、当会会員でパキスタン研究を専門とする子島進氏(東洋大学助教授)が12月24日から1月5日までパキスタンの被災地を訪れるので、子島氏に現地調査を依頼しました。被災地域に足を運び、地域住民からの聞き取りなどを通して、当会が現地パートナーとともに行っている活動のモニタリングを実施し、被災地のおかれた状況について、映像を交えながら、下記日程で報告会を行います。
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パキスタン大地震被災者支援活動
現地視察報告会
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2006年1月24日(火)19:00〜20:30 |
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場所:
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早稲田奉仕園 セミナーハウス101(定員30人)
東京都新宿区西早稲田2-3-1(東京メトロ東西線早稲田駅徒歩5分 地図) |
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報告者:
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子島進 氏(シャプラニール会員/東洋大学助教授)
東洋大学国際地域学部助教授。文化人類学、南アジア地域研究、イスラームと開発をめぐる問題を専攻領域とし、1984年以来パキスタンで調査を行っている。
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参加費:
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500円 |
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定員:
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30名 |
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主催:
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特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会 |
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申込:
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事前にお申込をお願いします |
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問合・申込先:
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シャプラニール東京事務局 フジサキ(メール)
(Tel:03-3202-7863 Fax:03-3202-4593)
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■パキスタン地震救援活動 経過報告
(2005年12月10日追加)
10月に発生したパキスタン地震に対し、パキスタン政府および国際社会からの支援が続けられているものの、いまだに多くの人が冬を越すための備えができないままであるといわれています。このような状況では、支援活動は数をカバーすることに主眼がおかれ、女性や子どもなど、特別な配慮が必要とされる人々に対する支援は後回しにされる傾向が強く、シャプラニールでは、そのような人への支援を最優先課題として以下の2つの地域で救援活動を実施しています。また今後のモニタリングについては、当会会員でパキスタン研究を専門とする子島進氏(東洋大学助教授)が12月24日から1月5日までパキスタンの被災地を訪れるので、子島氏に現地調査を依頼します。
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現地NGO
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説明
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活動地域
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支援内容
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PNACはHIV/AIDS対策を行うNGOの連合体で、傘下に6つの地域で活動するネットワークNGOが含まれています。PNACには約300団体が加盟しており被害の深刻だったカシミール地域では20の団体が活動しています。 |
カシミール地方
ムザファラバード県カットケール
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第一段階
10月21日にカシミール地方ムザファラバード県カットケールにおいて100世帯を対象に約1カ月分の食料を配布した。
第二段階
被災者の中でもとりわけ苦しい状況に置かれている人々(夫が死亡もしくは怪我などで働けない状況にある世帯、親を亡くした子どもたち、障がいを持っている人)のニーズについての調査を実施。ほとんどの家屋が全壊しているために、仮設住宅の設置が急務であり、ラヒムコット村において35戸の仮設住宅建築を決定した。次にニーズが高い食料配布を、最も厳しい状況にある30世帯に絞って、3カ月分の食料を配布。
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| KAC(Kashmir
AIDS Consortium) |
カシミール地方で活動するNGOのネットワーク組織。2004年に設立され現在のメンバーは32団体。保健衛生、HIV/AIDSに関する活動を行う組織の能力育成、リンケージを目的としている。 |
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アクションエイドパキスタン(Action Aid)
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1972に設立された国際NGO。現在42カ国で貧困削減を目指した活動を展開しており、緊急救援においても豊富な経験を持っている。日頃の活動も、貧困や社会的に取り残されている人々やそのコミュニティとともに基本的な権利を確
立することに重きをおいた活動を展開している。 |
北西辺境州
バタグラム県
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12月1日から2カ月間、被災地において女性300名(妊婦、乳飲み子を抱える母親など)、子ども600名を対象に防寒着と下着の配布を行う。通常の救援物資ではカバーされていない必需品を150世帯に配布。 |
■パキスタン地震救援活動 緊急報告会を実施しました。
(2005年11月05日追加)
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シャプラニールは10月17日〜23日の日程で現地に日本人スタッフを派遣し、パキスタン地震被災者救援活動のパートナーである、PNACとの調整や現状分析、さらなる支援活動について調査検討を行いました。10月27日に緊急報告会を開催し、現地の様子やこれまでの活動、今後の見通しについての報告を行いました。
当日の報告資料(パワーポイント)はこちらよりよりダウンロードできます。(PDFファイル:1.417KB)
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■救援物資の配布
(2005年10月28日追加)
10月21日にパキスタン地震救援活動の現地のパートナーNGOであるPNAC(Pakistan
National AIDS Consortium)が行ったカット・キールにておこなった救援物資の配布の様子の写真が現地から届きました。(配布した救援物資のリストはこちら)
配布した救援物資(リストはこちら)
救援物資の配布の様子
■パキスタン地震現地レポート
(報告:海外活動グループ藤崎 2005年10月25日更新)
10月20日

地震によって大きく崩れた山
(ムザファラバード市内)
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跡形もなく崩れ落ちたアザッド・ジャンム・カシミール大学
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傷病者を移送するヘリコプター
(ムザファラバード市内)
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肉親に連絡を取るために無料の
電話サービスに並ぶ人々
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被災した人々が身を寄せるテント村
(ムザファラバード市内)
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多くの家が被害を受けた
(ガリ・ドゥパタ)
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跡形もなく崩れた
アエシャさんの自宅
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崩れた道を歩いて村にもどる人々
(ムザファラバード市内)
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イスラマバードにある今回のパキスタン地震救援活動のパートナー団体である※PNAC(Pakistan
National AIDS Consortium)で簡単な打ち合わせを行い、救援物資を見せてもらう。PNACの事務所には100世帯分の配布物資が山積みになっていた。救援物資は一家族(10名平均)が約1週間を過ごせるだけの食料と日用品など。
- 米5Kg、ダール豆2種、ビスケット他
- 塩、砂糖、油、香辛料
- 紅茶、粉ミルク
- 石けん、マッチ、ロウソク、コットン(ケガの消毒などに使うもの)
- 水を入れるためのプラスチックボトル、テント、柱になる竹
- ショベルなど
昼前にイスラマバードを出発、昼食休憩をはさんだ以外は車を走らせた。カシミール地域に入る前後から被害を受けた建物などが見受けられた他、救援物資を運んでいるトラックや乗用車が多く見られた。
地震が起きる前はカシミール地方への外国人の立ち入りはかなり厳しく制限されていたということだが、現在は許可は不要となっている。途中チェックを受けることもなかった。数日前からは携帯電話のサービスも始まったという。
カシミールの中心都市であるムザファラバードに到着。建物の損壊が激しくAJK(アザッド・ジャンム・カシミール)大学も建物のほとんどが倒壊し、地方のキャンパスも含めて200名以上の学生が命を落とした。大学の運動場にはテントが張られ、家を失った人々が生活を始めている。ムザファラバードは人口約12万人、そのうち3万人が命を落としたと地元のNGOのスタッフが教えてくれた。道が閉ざされて被害状況の確認ができていない山村を含めればその数はもっと大きくなるのかもしれない。
今回シャプラニールがパートナーとして選んだPNAC(Pakistan
National AIDS Consortium)はカシミール地方で活動する団体とも結びつきがありそのメンバーであるKoshar
Welfare Foundation(KWF)の事務所を訪問した。KWFが共同プロジェクトを行っているイスラマバードのNGOより薬品が届き、地元の医師とイスラマバードの医師が支援の届きにくい村で巡回医療をおこなっている。カラチから支援に来ているイフティカール氏は、今日一日で175名を診察したという。皮膚疾患が目立って多く70名以上がその症状を訴えた。医師と看護助士の組み合わせで村を巡回するチームが現在4つあり、被害状況のひどいムザファラバードとバーグの20カ所で治療に当たっている。
KWFの事務所周辺は全壊した家屋は少ないものの、多くの人が余震を恐れ家の前にテントを張って生活していた。またある程度お金を持もっている人たちは、イスラマバードなどへ一時的に避難しているようである。私たち一行はそのような家に一晩泊まらせてもらうことになった。
10月21日
前日の到着が遅くなったため、ムザファラバードの市内を少し回った。支援物資を求めて24時間歩いてきたという男性に話をきいた。家が全壊してしまったので何としてもテントを手に入れたいという。イスラマバードでもあちこちで耳にしたが、ここでもテントが不足しているのに代わりはないようで、その男性の手には2枚の厚手の毛布があるだけだった。
その後、山村部の被災状況を確認するためにガリ・ドゥパタ(ムザファラバード郡内)を訪れた。道が崩れた箇所が多く、場所によっては一方通行しかできない。その道を支援物資を背負い村にもどる人々の姿が多くみられる。いまでも崖崩れが断続的に起きているのだろう。大きく崩れた山肌から赤い煙が時折立ち上っていた。
当初私たちもガリ・ドゥパタの町から歩いて村へいくことにしていたが、このような状況の中で結局断念せざるを得なかった。
ガリ・ドゥパタに住むアエシャさんは自分以外の家族と家を失ったという。抱っこしているのはアエシャさんの弟の息子で、この子も姉以外を地震で亡くしてしまった。今は近くの親戚の家に身をよせているが、営んでいた小さな店も失い、この後どうやって生計をたてていけば良いのか、と訴えていた。
同行してくれた地元NGOのスタッフと事務所で別れ、私たちはイスラマバードへ戻った。
この日シャプラニールからの支援物資を載せたトラック2台が昼過ぎにカット・キールに到着、あらかじめ住民との話し合いで選らんだ100世帯に対して物資を手渡し、夕方5時過ぎにカット・キールを出発したが、途中1台が故障してしまいイスラマバードに到着したのは夜の1時を過ぎていた。
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