シャプラニールは多くの方々とのつながりによって
50年という長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の姿が見えてきました。

シャプラニールは多くの方々との
つながりによって50年という
長き道のりを歩み続けることができました。

そんな私たちにとって
大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の
姿が見えてきました。

ハシナ・アハメッドさん

元ストリートチルドレン

PROFILE
ストリートチルドレンとして路上で生活していたが、シャプラニールとパートナー団体が運営していたドロップイン・センターで暮らすようになり、生活が大きく変わりはじめた。現在は結婚し、第一子の誕生を目前に控えている。

悲惨な暮らしだったと今でも思う

私が5歳か6歳の頃、母は幼い私ときょうだいを連れダッカに出てきました。私たちは生きるために道で物乞いをし、路上で暮らしていました。路上では、時々男の人に嫌がらせをされましたが、幼い私は何も言うことができませんでした。母には精神の病気があり、路上でたくさんの暴力を受けてきたことを知っていたので、自分がされたことを母には言えなかったのです。路上で生活していた時は3食を食べられたことは一度もなく、時々お店から卵や魚を盗んで食べていました。本当に悲惨な暮らしだったと今でも思います。

センターで暮らし始め、毎日が変わった


ドロップイン・センターで生活をはじめた頃のハシナさん

子どもたちの劇団に入ったり、遠足に行ったり、様々な経験をしながら成長

そんな時、シャプラニールと一緒に活動していたパートナー団体のオポロジェヨ・バングラデシュ(Aparajeyo-Bangladesh)のお姉さんとお兄さんに声をかけられたことがきっかけで、センターで暮らすようになりました。センターでは寝る場所と食事を提供してくれただけではなく、勉強もでき、友達をつくることもできました。シャプラニールとの思い出もたくさんあります。スタディツアーでたくさんの日本人が訪問してくれ、一緒に歌ったり踊ったりしたことは、今でも忘れられない良い思い出です。たくさんの日本人の友達もできました。

20歳になったハシナさん

このセンターにいた13年間は、私の人生を大きく変えてくれました。この間UCEPという教育と技術が学べる民間の学校に通い、(日本でいうところの)中学校の卒業資格を取得し、卒業後の2012年に民間企業の仕事に就くことができました。安定して収入を得られるようになったので、ずっと夢にみていた母と一緒に住むための部屋を借りることもできたのです。そして2014年には高等教育の試験にも合格し、オポロジェヨ・バングラデシュの事業スタッフとして働き始めました。

シャプラニールは父と同じくらい大きな存在

私生活では、2018年に結婚しました。夫はオポロジェヨ・バングラデシュのセンターで一緒だった人で、私の今までの境遇も母のこともよくわかってくれている人です。現在、第一子を授かり、もうすぐ私も母になります。家族と共に暮らすことができて幸せです。子どもが生まれて落ち着いたら、理学療法の研修を受けて仕事をしたいという新たな目標があります。


ハシナさんと夫のシャヒンさん

シャプラニールがいてくれなかったら、今の私の人生はありませんでした。あのまま路上で暮らしを続けていていたら、私も母のように心をすり減らしていたでしょう。私にとってシャプラニールは父と同じくらい大きな存在です。