シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
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FAX:03-3202-4593
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2007年05月31日

 若者がもたらす風

P1020566.jpg昨年の6月ごろ入職し、もうすぐ1年になるプログラム・アシスタントのイルシャト。この1年、ハンディクラフトに関する業務の補佐と、会議の記録とりなどが仕事の主だったのですが、4月に全スタッフと面談をしたとき、「ぜひもっといろいろな仕事をさせてほしい、フィールドにも行きたい」と意欲をみせていました。

今年度はもう少し、モニタリングや評価などの仕事にも関わってもらおう、と思い、ある外部からの委託モニタリング業務の補佐を彼女に頼みました。これはバングラデシュの少数民族支援に関するもので、大学時代論文のテーマとして少数民族問題に取り組んだという人類学専攻の彼女にはうってつけ。

今日、仕事の内容を説明し、「いろいろ勉強になると思うからがんばってね」と伝えたときの彼女の嬉しそうな顔といったら!まだ経験は少ないので、あくまで主担当のプログラムオフィサーの補佐ではあるけれど、新しい仕事に取り組める喜びが表情いっぱいに出ていて、こっちもなんだか嬉しくなってしまいました。

総務担当、プログラムオフィサーとも40代後半にさしかかり、やや高齢化気味?の我が事務所。ベテランが多いのは助かるけど、やる気いっぱいの真摯な若者が事務所にいるっていいなあ、やっぱり。なんだか新鮮な風が彼女から吹いてくるようで。

イルシャト、どんどん新しいことを吸収して、将来のダッカ事務所を背負って立つスタッフに育ってね。楽しみにしているよ。




投稿者: 藤岡 日 時: 21:07 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)
2007年05月31日

 ジュートの使い途いろいろ(建設現場編)

かつて第一次大戦の頃、軍需物資として重用され、一大産業であったバングラデシュのジュートですが、最近は国営工場が相次いで閉鎖されるなど、斜陽状態。先進国のエコロジー志向に乗ってもっと売り上げを増やしたいところですが、なかなか大規模な需要が見込めない(バングラデシュ側にアイディアも足りない)状況とみられます。シャプラニールもジュートエコバッグの販売を通じてささやかながら貢献していますが...。

建築現場のジュート.jpgそうはいっても、やっぱりジュートの産地。いろんなところで使われていて、「おっ、こんなところにも」と思うこともしばしばです。そのひとつは、この工事現場の巨大ジュートシート。ダッカはこの写真のような5~6階建て高層住宅の建築ラッシュなので、あちこちでこのようなジュートシートに覆われた建築現場がみられます。

でもバングラデシュの建築現場ってこわいんですよね。道を歩いていて上から落ちてきたレンガや資材に直撃され、頭を打って死亡、といった事故はしょっちゅう。補償もロクにないだろうし、こんな死に方をしたら家族もほんとに泣き寝入りです。

工事現場の近くを歩くときは気をつけましょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:32 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年05月30日

 オーバーヒート

このところとにかく暑いです。うちは最上階で非常に暑いとはいえエアコンがあるからいいものの(停電すると止まりますが)、家にエアコンなどないスタッフたちは夜眠れなかったりして苦労しているようです。

我が事務所の一番の下っ端である雑務係のトゥトゥールは、数人の弟、妹、昨年結婚した妻とまだ1歳にならない娘とで、狭い窓のない家に住んでいます。窓のある家に移りたいけど、ダッカは家賃が高いので、難しいと。「扇風機はあるんですけど熱い空気をかきまぜてるだけ(笑)夜、娘の額から汗がたらーっと流れて、ぐずってるのをみると、引っ越したいなあと思うんですけど...」とトゥトゥール。

受付係のアシシは、入院中の子どもの手術のため妻が病院に泊り込んでいて、彼自身も朝病院から通勤してきます。「お金があればいい病室に入れるんでしょうけど、すごく高いから無理。泊り込んでる妻のほうが病気になりそうで...」という状態。大部屋の病室には当然エアコンなどなく、付き添いのためのベッドもないでしょう。そんな状況で子どもにつきそうお母さんは本当に大変。

近所で火事があったというのはプログラムオフィサーのサイフル。「びっくりしましたよ、夜中の3時に消防車が来てね。近所のお年寄りが水をくみ上げるポンプのモーターをつけっぱなしにして忘れてたらしい。暑いからオーバーヒートして火が出たんですね。みんな寝静まってる時間にけっこう燃え広がってしまって大変でしたよ。」

この暑さのためか、私たちが支援しているストリートチルドレンのためのドロップイン・センターや青空学校に来る子どもたちも相次いで発熱。ひとりが治ればまたひとり、という感じで、何人か立て続けに倒れたようです。きのう担当プログラムオフィサーのサイフルと小嶋駐在員が打ち合わせにいったところ、子どもたちはだいたい快復していたそうですが、今度は青空学校の担当マネジャーで自ら教師役もするティトゥさんが熱をだしてヨロヨロだそう。

この暑さ、まだまだ当分続きます。食物も傷みやすく下痢が蔓延し、身体の弱ったお年寄りや小さな子どもにはとくに厳しい季節です。




投稿者: 藤岡 日 時: 12:25 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年05月27日

 暑い日・バテた日に美味しいお茶

おかげさまで、ヨレヨレ下痢状態を脱し、復活いたしました。今日は、事務所のお昼ご飯のベンガル料理(本日のメニュー:ごはん、オクラとじゃがいものバジ、鶏肉のトルカリ、ダール豆のスープ、キュウリとトマトの角切りサラダ)もしっかり食べております。

お腹をこわしている間は毎日ポカリスエットを飲んでいましたが、昨日治ってきたところで急にレモンティーが飲みたくなり、ちょっとひと工夫して以下のようなレモン・ミントティーをつくってみたら、身体にしみこむような美味しさでした。

元々これは、コルカタのドッキナパン・マーケットの中にあるダージリン・ティーのお店で飲んだお茶が美味しかったので、それを真似したものです。

日本ではまだ夏までは間がありますが、暑い日、すごーく喉が渇いた日、疲れてるときなどにおススメです。

<レモン・ミントティーの作り方>
①おいしいダージリン・ティーを入れる。
②レモン4分の1個を絞りいれる。
③砂糖、オレンジマーマレード各小さじ一杯を入れて混ぜる。
④ミントの葉を数枚入れる。

お茶はミルクティー用の粉茶より、お湯を注ぐとふわっと葉が開くようなちょっと高級なお茶のほうがおいしくできます。女性の身体にいいといわれるハイビスカス・ティーでこれをつくってもおいしいです。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:49 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年05月25日

 ポカリ、梅干、剣客商売

この3日というもの、ひどい下痢で苦しんでおります。下世話な話で恐縮ですが、もーまったく「水」です。最初の1日は我慢しつつなんとか外出や会議もこなしたものの、2日目(つまり昨日)は、仕事を休んでベッドとトイレの往復。今日午後になってようやく、トイレから少し離れていても大丈夫になり、パソコンを開く元気が出たところ。

出張者の来訪中、夜は外食続きで、いささか食べ過ぎたのがよくなかったのでしょう。会議でストレスがたまったからとて、それだけで下痢するようなヤワな身体ではないのですが、ストレスを「食べて」発散しようとする傾向がよくないんですね...。反省。しかも、この3日ほどダッカはとっても暑い。エアコンを入れていない部屋の温度計を見たら、今33.5度でした。

独りバングラデシュの地でお腹をこわして伏せっていると、だんだん考えることもネガティブになってきて、子どもの頃や中学・高校時代、それに就職してからの自分のダメなエピソードばかりが思い出されます。とくに最後の最後でがんばりきれずに負けた...というようなもの。

例えば、高校の体育祭のスエーデン・リレー。部内ではもっとも遅かったものの一応陸上部だった私は、三走でアンカーにバトンを渡す役割。トップできた二走者からバトンを受けて最初は快調に走っていたのですが、後ろから私よりずっと速い陸上部の仲間が追ってくる。300メートルの最後の50メートル、腿が上がらなくなり、結局抜かされた...。周囲から聞こえる「あ~あ」のため息...。

自分の力量不足に忸怩たる思いでいるときに身体を壊すと、こういう状況になりますね...。

そんなトホホな私を今、支えてくれているのは、ポカリスエットと梅干入りお粥、そして出張者が持ってきてくれた池波正太郎の『剣客商売』の続編数冊。

常盤新平氏が「剣客商売三『陽炎の男』」の解説の最後に、「このシリーズを八年前に夢中で読んでいたことを私は思い出す。不幸なことを忘れたいために読んでいた。ちょうど八月の暑いさかりだった。そのころ『剣客商売』は慰めであり励ましだった」と書かれています。私は別に不幸なことを忘れたい状況にあるわけではないけれど、ちょっとめげているので「剣客商売」が慰めであり励ましであることには強く同感。

池波正太郎先生、『剣客商売』シリーズをありがとう。私め、ふつつかなれど、なんとかこの週末中に立ち直りまする。




投稿者: 藤岡 日 時: 18:57 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)

2007年05月20日

 ライチの季節

P1020679.jpg5月半ばはリチュー(ライチ)の季節。原産は中国福建省だそうですが、バングラデシュでもすっかり季節の果物として定着しています。とくにマンゴーも有名なラッシャヒのものが美味しいと言われています。プルンとした果肉が甘く瑞々しいこの果物、楊貴妃も好きだったそうな。

日本でも缶詰などで食べられますが、やっぱり生のものは全然違います。暑い季節を乗り切るために、マンゴーやライチなどの南国の果物は何よりのご褒美。

マンゴーは種類も多くて比較的シーズンが長く続くのですが、ライチは旬の季節が短くて、2週間ほど。だから出たら高かろうがなんだろうがすぐ買ってこないといけません。

P1020680.jpg...と思って、買ってきました。今年最初のリチュー。美味しそうでしょう?果物屋の兄ちゃんが、「ラッシャヒのリチューだよ、間違いなく全部甘いよ」というので買ってきたところ、確かに甘い。極上。品質は文句なし。んーーやっぱり初物はいいな。美味しいし、季節が感じられるし。

しかし!100個と言って売ってたのに、洗いながら数えたら73個しかない。数が合わないじゃないかー。次に買いにいくときは文句言ってとことん値切るぞ!




投稿者: 藤岡 日 時: 00:33 | | コメ ント (5) | トラッ クバック (0)

2007年05月19日

 一日間違えた…

ネパール出張から戻り、またバングラデシュでがんばるぞ!と気合をいれ、今朝、事務所に来てみたら、出席簿が置いてある台の上に、キタナイ雑巾が置きっぱなしになっています。「なにこれ、ちょっとたるんでるんとちゃう」と鼻息も荒く、お掃除担当スタッフを呼んでみると「ああ、そこ仕事中だったから...」と呑気な返事。事務室に入ると誰もおらず、みんなのパソコンにはホコリ除けの布カバーがかかったまま。あれ?なにこれ?どうしたんだみんな!と思っていたら、お掃除&お料理担当のおばちゃんスタッフ二人が、「アパ、今日仕事するの?土曜日だよ」だって。

ガーン、私ったら1日間違えた。ダッカ事務所は金・土が休みで、土曜日はお掃除などを担当するサービス・スタッフのみが出勤し、平日できない掃除などをすることになっています。私は今日が日曜日だと思ってしっかり出勤してきてしまったのでした。そんなに仕事がしたいのかって?違うよ~。

土曜出勤はしょっちゅうだけど、来る必要のない日に間違えて来ちゃったのはこれが初めて。お掃除担当のスタッフに「私も金曜日の朝来ようとして身支度してて、娘に『おかあさん、今日は金曜日よー』なんていわれたことありますよ」などと慰められ、まーまーとりあえず、とお茶を出してもらい、なんだか損した気分。家でゆっくりできたのにー。

来てそのまま帰るのもなんだかシャクなので、メールをチェックし、いくつか仕事を片付け、今このブログを書いている次第です。なんかやっぱりダッカに帰ってくると、アドレナリンが出ちゃうのね。とほほ。

まあ、しかしおかげで朝だらだらしなかった分、今日は一日が長いぞ。果物屋に行って出始めのライチでも買って来るとしますか。

ということでこれから家に帰ります。ああ、アホやなあ。




投稿者: 藤岡 日 時: 13:44 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)
2007年05月19日

 ヒマラヤの向こう

13日から17日まで、カトマンズに出張に行っていました。東京からの出張者3名と、ネパール+バングラデシュの駐在員3名が、朝から夕方までああだこうだと議論しながらこれからの海外活動のポリシーについて話し合う、という会議。カトマンズ事務所のお座敷タイプの会議室(ネパールは座るスタイルの会議室が多いそう)で、ネパール模様の座布団にあぐらをかきつつ話し合うこと3日。脳みそが疲れました...。

シャプラニールに入ってすぐダッカに赴任した私にとって、初めてのネパール出張。ホテルから事務所の行き帰りと、食事に出る時ぐらいしか街を見る時間はなかったけれど、藤崎カトマンズ事務所長のブログにも紹介されていた美しい紫色のジャガランダの花を愛で、暑いダッカとは大違いの爽やかな涼しい風に吹かれ、日本食レストランで鱒寿司や手打ち蕎麦(どちらもダッカにはない)を食べ、冷えたビール(ダッカでは持ち込まない限りレストランにはない)を飲み、同僚たちとお喋りして、いい気分転換になりました。

今回泊まっていたのは、旅行者の多いタメル地区にあるチベット人経営のゲストハウス。さすが観光地だけあって、カトマンズのホテルは安くて部屋もいいんですよね。15ドルもあれば、お湯もちゃんと出る十分立派な部屋に泊まれます。同じぐらいの部屋に泊まろうと思ったら、ダッカで25ドル、コルカタで40ドルぐらいするんじゃないかなあ。

このゲストハウスのロビーは、天井や壁の模様もチベット風なんですが、ここの壁にかかっていた大きな絵に、私は思わず吸い寄せられました。それはカトマンズの遥か上空から鳥が見下ろした光景を描いたような絵。真ん中より少し上を左から右へ横切るようにヒマラヤの白い峰が連なっており、その下(手前)にカトマンズをはじめとしたネパールの景色が描かれています。絵の上のほう、つまりヒマラヤの向こう側にはチベット高原が広がり、その中央に燦然とラサのポタラ宮殿がそびえているのでした。

カトマンズで暮らしていると見えないけれど、ヒマラヤの向こうに美しい故郷がある―。戻りたくても戻れないチベットへの望郷の念を塗りこめたような絵で、見ていると切なくなってしまいました。

インドに住んでいた頃、デリーで開催されたチベット映画祭で見た、チベットからネパールへ決死の覚悟で亡命した人たちのドキュメンタリーを思い出しました。ヒマラヤの峠越えの道を、信じられないような軽装、破れた靴で歩いて亡命する人たち。途中で行き倒れた人、凍傷で手足の一部を失った人。そうして山越えをしてきた多くのチベット人たちが、今、カトマンズでは逞しく生きていました。

雨期のため、カトマンズの上空は雲が多く、見たくてたまらなかったヒマラヤの峰は、今回の出張中まったく見えず。飛行機からですら、雲に阻まれて遠くにちらっと見えたか見えないか、という程度。窓に張り付いてひと目ヒマラヤを見ようと首をねじる私をあざ笑うように、飛行機はするすると南へ下り、あっという間に広大なベンガル平野に降下し始め、ダッカに着いてしまったのでした。

山好きの私としてはとても心残り。ヒマラヤがきれいに見える乾期の頃に、今度は休暇で絶対行くぞ!できればカトマンズからラサへ陸路で往復してみたいけど、そんな長い休暇はムリよね。

東京からの出張者3人は明日カトマンズからダッカへ移動してきて、あさってから2日間はバングラデシュでの今後の活動方針について話し合う会議。ヒマラヤのことは忘れ、バングラの現実に戻って明日からまた頑張らねば。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:33 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年05月11日

 半身でリキシャをこぐ人

私はオフィスへの通勤に毎日リキシャに乗っています。リキシャをこぐ人の贅肉のまったくない背中を見ながら、ほんとうにこの仕事は重労働だな...といつも思います。リキシャワラ(リキシャの運転手)の標準的服装は、半袖シャツにルンギ(腰巻)、サンダル履き、頭か首、手首などにベンガル風のカラフルな手ぬぐい=ガムチャを巻く、といういでたち。暑いこの季節、彼らのシャツの背中は汗でべったり貼りついています。雨の日もビニール袋を頭にかぶるだけでずぶ濡れになってリキシャをこいでいます。命を縮めるような過酷な仕事ですが、この仕事があるおかげでなんとか食べていける、という人がバングラデシュには万単位でいます。

今日の夕方乗ったリキシャの運転手は、足に片方しかサンダルを履いていなくて、乗るとき一瞬、あれ?と思ったのですが、彼が私を乗せてリキシャをこぎ出してからその理由がわかり、仰天しました。彼は右半身ほとんど不随だったのです。右手はハンドルをつかむこともできないし、サンダルを履いていない右足も、ペダルに乗せているだけ。彼は必死でバランスを取りながら、左手と左足だけでリキシャをこいでいるのです。

私の家の周辺は道路のメンテナンスが悪くて、空のリキシャをこぐのでも苦労するようなひどいガタガタ道です。そこを彼は片手、片足で、「アッラー、アッラー」と言いながら重いリキシャをこぐのです。あまりにも大変な有様でした。これまで2年間、村から出てきたばかりのような若い人、相当な高齢の人など、毎日いろんなリキシャワラがこぐリキシャに乗ってきましたが、これほどの障がいを持ちながら、リキシャをこぎ続けている人に会ったのは初めてでした。

家に着いてリキシャを降りると、彼は自分から何か一生懸命に話し始めました。かなりなまりが強くて聞き取りにくかったのですが、聞いてみると、「苦労しながらも月々貯金してがんばってきたのに、1年ぐらい前から半身不随になってしまい(高いところから落ちたのが原因らしい)、本当に苦労の人生だ」という話をしているのでした。しかし、同情を買おうとしているとか、だからお金をくれ、というのでもなく、ただ自分がどんなに苦労してがんばっているか聞いてほしい、という感じで話すのです。

いつも10タカのところ、20タカあげました。「私のために祈ってくれ」と彼が言うので、「祈ります」と言ったら、彼はかすかに笑ってまた片足でリキシャをこいでいきました。




投稿者: 藤岡 日 時: 22:53 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2007年05月08日

 ユヌスさん第三の公開レター

また3日ほどコルカタへ行っていたりして更新が滞りましたが、その間にもバングラデシュではいろいろなことがありました。

5月1日(火)ダッカ、チッタゴン、シレットの駅でほぼ同時に小規模な爆弾が爆発。現場にはジュディース・アルカエダと名乗る団体が犯行声明を残したアルミの円盤があり、「アフマディヤ(一般に異端とみなされているイスラム教の一派)とNGOは10日までに活動を止めないと死が待っている」と警告。
5月3日(木)ユヌス氏、3つ目の公開レターで政界出馬断念を表明。
5月6日(日)ジア元首相の秘書の妻が「選挙管理内閣は違法」と最高裁に提訴
5月7日(月)シェイク・ハシナ前首相ロンドンから帰国

爆弾事件もヤな感じではありますが、こういう連中にNGOが脅されるのも今に始まったことじゃなく、いちいちに気にしてられません。攻撃されるとしてもウチと違って大きなNGOでしょうしー。まあ、用心するに越したことはないですけど。

それより日本の皆さんが気にかかっているのは、ユヌスさんの出馬断念のことでしょう。今回は夢破れて...という感じで、あんまり元気の出るような内容じゃないですが、第一、第二の手紙を訳してご紹介した成り行き上、今回の手紙もご紹介しましょう(英語の全文はコチラ)。来週から会議もあるし他の原稿締切りもあって全然暇じゃないんですけど、これを読んでいただくとなんとなく今のバングラデシュを覆う空気も伝わるかと思うので。...とかいって私は昔から試験直前とか引越し作業中に関係ない本を読み始めちゃったりする癖があるんですよね。一種の逃避か(笑)

ちなみに私の周囲のバングラデシュ人の反応は、「最初からそうなると思ってた」「暫定政権が二人の党首の海外送りに失敗したから止めた方がいいってことになったんじゃない」とシビア。「今止める決断をしたのは賢明」というのが共通の意見のようです。残念ですが。

ユヌスさん、Give upとかquitとかいう言葉は使っていません。Stand asideというのはどういうニュアンスなのか正確にわからなかったんですが、どなたか英語が得意な方教えてください。

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ユヌスさんの公開レター第三弾(仮訳:藤岡)

親愛なる市民の皆さんへ

私は以前二度皆さんに手紙を書きました。2月11日の最初の手紙では、私が政界に入るべきかどうか皆さんのご意見を尋ねました。2月22日の二度目の手紙では、皆さんの励ましを得て、政界に出馬し、政党をつくることを宣言しました。政党の名前はたぶん「市民の力」になるだろう、ということもお伝えしました。今回の三度目の手紙は皆さんに私が政党をつくる努力から離れる(Stand aside)ことをお伝えするために書いています。あなた方のサポートに励まされ、新しい政治の流れをつくることへの希望につき動かされて、私は政界入りすることを決めました。この決断をした時点で、私は今まで人生をかけてやってきた全ての仕事を捨てて新しい人生に入り、政党作りに熱中する覚悟ができていました。政党作りの最初の一歩として、私は強力な組織化チームづくりのプロセスにとりかかりました。室内政治禁止令が解除されたらすぐに、皆さんにこのチームを紹介し、政党作りに邁進するつもりでした。しかし、全力を尽くしての努力にも関わらず、私は自信がもてるようなチームをつくることができませんでした。このプロセスから得た経験から、私はこれ以上時間をかけても成功できないだろう、と思ったのです。それで、私はこれ以上この道を進むことは正しくないという現実を受け入れ、退く決意をしたのです。

非常事態宣言が出て新しい選挙管理内閣ができた後、大きな期待感が国中に広がりました。政治の世界にも新たなドアが開かれました。敵対的、分裂的で、衝突ばかりの政治を葬り去り、新たなリーダーシップによる政治の流れの中で、国の経済を推し進める機会が生まれました。誰もがこのような機会はめったに来ないことを理解しました。この国の誰もが、もし善良な政治的意志と、有能なリーダーシップと、よいガバナンスが保証されれば、革新により不可能が可能になると感じています。

私はこのような観点から政界に入ることを決めました。私たちはひとつの夢を持っていました。汚職に無縁の政党、統一され、合意のとれた、共感が持てる、平和的で、世俗的で、大胆な経済発展を推し進める政党をつくる、という夢、人々を衝突や不信や失望から解放し、この国を自信の持てる国に変える、という夢です。私たちは皆、どこへ向かって進むべきかがわかっています。進む方向かわかっていれば、全力を尽くしてそこへたどり着くことができる--私はこの信念からイニシアチブをとったのです。

皆さんは私の呼びかけに、たくさんの手紙や、ファックスや、Eメールや携帯メールで応え、支援を表明してくれました。皆さんは新聞社に手紙を送ってアドバイスをくれたり、新聞の投稿記事やテレビ討議で提案をしてくれたりしました。多くの方たちが自分の地域で準備チームをつくったと知らせてくれました。海外在住の多くの方が、委員会をつくったと知らせてくれました。国内、海外を問わず多くの若い人たちが、ボランティアで時間や才能を差し出すと言ってくれました。皆さんに本当に感謝します。あなた方に希望を与えたあとで政治から離れることを非常に申し訳なく思います。私が早めにこの決断を下したのは、私の決断を遅らせることで皆さんに更なる失望を与えないためです。

私が政党結成を表明したあと、私が知る人や知らない人、政治家や政治家以外で政治に関心がある人が、私に連絡をくれました。私は彼らに党に入ってくれるように勧めました。連絡をくれなかった人でも、この人がいれば党を強めることができる、と私が思った人にはこちらから連絡しました。海外へ出ているときは、毎日何人もの人と連絡をとりました。私と共に政党づくりに向けて働いてくれていた人たちも、これらの人たちと連絡をとり続けました。

このコミュニケーションのプロセスを通じて、ひとつのことがだんだん明らかになってきました。私を励ましてくれる人たちは、各自の問題があって、自分自身では政界には入らないし、公に私を支援することもしないということです。また、政党に所属している人たちは、政党を離れようとしません。少なくとも、今は。もし政治的な状況が変われば、あとで参加するのかもしれませんが。これら全てを計算に入れると、ほとんど何も蓄積されていないことに私は気がつきました。だとすれば、私は誰と強いチームを作れるでしょう?

私は約束を破らず、透明で、汚職がなく、成功できる政党に必要な要素から逸れることなく、政党作りを進めました。私は、新しい政治の道をつくるのに最もふさわしいと思った方法で進めました。この仕事を進めるうちに、私が人々に強く明るいオルタナティブを示すために必要としているような人々は、私を手伝ってくれないことがだんだん明らかになってきました。政党に所属している人も、それ以外で政治に熱心な人々もです。彼らは皆新たな政治の道が拓けることを望み、この国の政治文化を変えることに熱心です。しかし、私は彼らを引き込むことができませんでした。最初は私を励ましてくれた人たちも、だんだんそうでなくなっていきました。

それを見て私は自分自身に疑問を感じ始めたのです。--このまま前に進むべきか、立ち止まって待つべきか?それとも政党をつくるという努力自体を完全に止めるべきか?私は弱い政党をつくりたくはありませんでした。弱い政党で新たな政界づくりに挑むぐらいなら、他の誰かがその努力をして成功するのを待ちましょう。

私はトライしています。私とともにある人たちも、どこにいようとトライしています。私たちは私たちの努力を通じて、新しい政治の流れが必要であることを、提起しています。今、他の誰かが進み出て、この空隙を埋めなければなりません。その人々が大きな成功を収めることを望みます。

この国は大きな可能性のドアの前にいます。私たちにとってこれからの5年間は非常に重要です。この5年こそ変化の時です。政治的にも経済的に大きな決断をし、その決断を実行すべき時です。バングラデシュを地域の商業とコミュニケーションのハブとすべく、地域の交通経路を結び、深い海港をつくるべき時です。世界のエネルギーが枯渇する中、私たちの国には豊かな石炭とガスがあります。これらの莫大な鉱資源を国の発展のために使うべきです。バングラデシュを情報テクノロジー利用において最高の国にすべき時です。国の人材を強化し、世界レベルの教育とトレーニングとで、その人材を国のため、世界のために役立つ人材に育てあげるべき時です。海外在住バングラデシュ人からの送金が生産的に使われ、彼らの技術と資金が国の発展と結びつくようにすべき時です。地方行政を強化すべき時です。

この国の経済や政治のギアを、別段階に入れるべき時が来ています。この国の精神はこれまでの段階を卒業し、より高いレベルに進む準備ができています。今必要なのは、これらの仕事を適切にうまくこなすことができる新たな政党とリーダーシップを作り出すことです。

私たちはこの政治と経済を変える仕事に失敗すべきではありません。

私の失敗や限界にも拘わらず、私を愛し共に苦しんでくれた人すべてに心から深く感謝します。

ムハマド・ユヌス
2007年5月3日
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投稿者: 藤岡 日 時: 04:15 | | コメ ント (6) | トラッ クバック (0)
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