シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2007年03月28日

 子ども議会

P1020303.jpg今日はオポロジェヨ・バングラデシュと共同運営している路上で働く子どもたちのためのドロップイン・センターで、年に1回のイベント、「子ども議会」を開催中。私も午前中ちょっと様子を見に行ってきました。

こういった「子ども議会」はいろいろなNGOが開催していて、ローカルレベルのもの、全国規模のもの等いろいろありますが、今日行われているのはダッカ市内のこのプロジェクト地を中心にしたローカルレベルのもので今回が4回目。最初の2回はドロップイン・センターやストリート・スクールの子どもたちの中だけで行いましたが、昨年から近隣の学校に通う子どもたちも一緒に子どもたちが直面している問題などについて話し合っています。

P1020300.jpg昨年の外部の学校からの参加は7~8校でしたが、今年は、近隣の18の学校と他のNGOのプロジェクト1ヶ所、計19ヶ所から子どもたちが集まりました。参加校が増えたので、1ヶ所からの参加は2人ずつ。オポロジェヨのプロジェクトからは7人で、計45人が、9人ずつ5つのグループに分かれて話し合いをしています。

こういった場で、オポロジェヨの子どもたちが、臆せず堂々と発言したり、グループのまとめ役を上手にこなしているのを見るのは嬉しいものです。彼らのほうが普通の子たちよりかえってこういったミーティングの場数を踏んでいるから、ということもありますが、とくに古株の子たちには普通の家庭の子たちに負けず劣らず自分たちはできるんだ、という自信を感じます。

P1020298.jpgだんだん近隣の学校の校長先生や地域の人たちにもこの催しが知られ、各校の校長先生や近所の人たちも足を運んでくれるようになりました。バングラデシュの公立学校の中には、教師による体罰が当たり前だったり、子どもたちが自分の意見を発表する場がなかったり、というところも少なからずあるようで、去年初めて「子ども議会」に生徒を参加させた先生の中には、「ドロップインセンターや青空学校の教師から、私たちが子どもへの接し方を学ばなければ」という意見も出たそうです。

ここしばらく来れなかったので久しぶりに訪れたドロップイン・センター。子どもたちの成長は早く、顔見知りの子がちょっと見ないうちに背が高くなっていたり声変わりしていたり。最後の発表までは見届けられずに戻ってきてしまったけど、この「子ども議会」が今年も子どもたちにとって、そして周囲のおとなたちにとって、よい学びの機会となりますよう。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:51 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年03月26日

 独立記念日のミーティング

今日はバングラデシュの独立記念日で祝日。この国がパキスタンから独立して36年がたちました。

朝から自宅近くの学校で子どもたちが歌う歌や、独立の詩を朗読する声、先生のスピーチなどが聞こえてきました。空には国旗をつけたヘリコプター。
今日は軍のパレードや軍用飛行機のパーフォーマンス、歌や踊りなど、独立記念日を祝って様々なイベントが行われ、テレビでも独立時の出来事を題材にしたドラマを各局でやっていました。
(最近軍用機がよく飛んでいたのは、今日のための練習だったのかも...)

新聞も独立記念日特集号。昨年は、「独立の頃の希望や夢から我々はなんと遠いところにきてしまったんだろう」というちょっと悲観的な記事が多かったように記憶していますが、今年は「今こそ独立の理想を実現するとき」という希望を感じる記事が多く見られました。英字紙デイリー・スターの独立記念日特別付録紙は、記事すべてを若い世代の執筆に任せたもの。表紙も笑顔の少女たちの写真でした。

発言する女性雇用主.jpg私は午後からダッカ市内の中流階級の多い住宅地、ミルプールのパイクパラ公務員住宅内で行われた、使用人として働く少女たちの雇用主の女性たちとのミーティングに出席。自分の家庭で使用人として働く少女を私たちがはじめたセンターに送っている女性、これから送ろうかどうか考えている女性など、祝日にも関わらず10数人の参加がありました。女性たちの構成は教師や看護士など勤めをもつ女性と専業主婦の女性が半々ぐらい。反応は思っていたより好意的でした。「習ったことを少女たちが実行できているか、家庭訪問もしてほしい」「この年頃の女の子は出入りの運転手や店の男などと恋愛して駆け落ちしたあげく、男にはもう2人ぐらい妻がいた、ということが多い。そういうことにならないような教育も必要」など、いろいろな意見が出されました。センターに通っている少女たちも何人か姿を見せ、雇い主と一緒にちょっと照れくさそうに座っていました。

写真=ミーティングで発言する雇用主の女性

女性雇用主とのミーティング.jpg最初にこのプロジェクトを企画した頃は、女性の雇用主たちに意見交換のために集まってもらうことなど、本当にできるのか半信半疑だったので、こういう会が実現できたことは嬉しかったです。地域の人たちとここまで信頼関係を築いてプロジェクトを形作ってきたパートナー団体のPhulki(フルキ)に感謝。今日はお腹をこわしてややよれっとしていた私、挨拶のあとはPhulkiのスタッフたちの采配にすっかり任せていましたが、安心して見ていられました。こういう場では下手に外国人が口出さないほうがかえっていいのよね、たぶん。Phulkiのスタッフの皆さん、祝日のお仕事ご苦労様。いろいろ気を遣うことの多いプロジェクトだけど、少女たちの笑顔と幸せを増やせるよう、これからもがんばりましょう。

写真=ミーティングにて 中央が私、両端はPhulkiのスタッフ




投稿者: 藤岡 日 時: 23:28 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)
2007年03月26日

 bracNetのチャリティ・セール

帰宅後ベンガル語TVニュースをつけて手抜きな夕食をとりながらぼーっと新聞を見ていた私。ふとある広告記事に目がとまって「おおっ!」と驚いてしまいました。その広告というのはこれ。

bracNetの広告.jpg

bracNet セレブの思い出の品セール 
あなたの好きなセレブの持ち物を買って、チャリティに参加しよう! 
アユーブ・バッチューのサイン入りギター!
アユーブ・バッチューがこのES-335チェリー・レッドを弾いてたの覚えてる?
今、このギブソン最高のセミ・アコースティック・モデルのエレキ・ギターがサイン入りであなたのものに! ほかにもたくさん・・・ www.bracnet.net

*アユーブ・バッチュー =バングラデシュの有名ロック・ミュージシャン

ネット上のチャリティ・オークションやチャリティ・セールは、日本や欧米ではもう珍しくもなくなりましたが、バングラデシュで見るのは初めて。bracNetというのは、バングラデシュ最大、かつ世界最大と言われるNGO、BRAC(ブラック)の“系列企業”のひとつで、インターネットのプロバイダー。BRAC本体は3万7千人以上の常勤職員を抱え、マイクロクレジットや教育プログラム、保健衛生プログラムなど大規模で質の高い活動をバングラデシュ全土で行っています。最近はアフガニスタンやスリランカでも活動を始め、「『南』出身の国際NGO」の道を歩みだしたところ。

それだけ大きなNGOなので、BRACそのものはチャリティ・セールの寄付など要らないレベルなんですが、サイトをみてみるとこのbracNet上のチャリティ・セールは、「独立戦争博物館」「身体麻痺者リハビリ・センター(CRP)」「アシッド・サバイバー・ファンデーション(顔や身体に硫酸をかけられた女性たちを支援する団体)」の3団体のためのファンド・レイジングなんですね。

品物を提供している有名人は俳優やミュージシャン、カリスマ美容師、詩人など。「50人以上のセレブが150点以上の品物を提供!」というから大したものです。値つけを担当する4人のうち2人はBRACの手工芸品部門、アーロンのショップ・マネジャーと商品管理マネジャー。企画の協力企業には人気のファースト・フード店や5つ星ホテル、協賛メディアにはこういった活動に熱心な新聞社やテレビ局、ラジオ局が並んでいます。

これ、どんなスタッフが企画したのかなあ。きっと若い人でしょうね。

前にも「汚職反対ロック・コンサート」や「我らバングラデシュ・バンド」のことを書きましたが、バングラデシュのNGO・NPOが国内の有名人や中流階級の若者などに働きかけて、活動に協力してもらおう、という企画が少しずつ出てきてますね。それもメディアを効果的に使ったものが目立ちます。企業の社会的貢献(CSR)もだんだん話題になってきているようですし。

以前は海外のドナーから資金をもらうことしか選択肢になかったのですから、これは大きな変化です。こういう「できることから始める協力」はシャプラニールがまさしく日本で呼びかけていることで、私も大いに関心のあるところ。

ウェブ上の有名人提供品のチャリティ・セール企画、目を留めるのはまだ都会の一部の層かもしれませんが、今後こういう動きがどんな広がりを見せるか、楽しみです。

シャプラニールももっとバングラデシュ国内で斬新な「市民巻き込み企画」ができるといいんだけどなあ。そういうところで日本と何かつなげられたら、すごく面白いんだけどー。

・・・こういう考えはもうちょと寝かせましょう。そのうち発酵するまで、ね。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:27 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年03月24日

 次の世代の女性たちのために

今週は水・木と一泊二日でジナイダ県のWE(Welfare Effort)というNGOを訪問していました。ここはショリファさんという女性の代表が、結婚してジナイダ県に移り住んでから始めたNGOで、女性のエンパワーメントのためにとてもよい活動をしていると前から聞いていたので、一度活動を見せてもらいたかったんです。

女性人権委員たちのミーティング.jpg WEは、バングラデシュ内でもよく知られているAin o Salish Kendra (アイノシャリシュケンドロ)という弁護士さんたちがつくった人権保護や法的支援にとりくむNGOの協力を得て、女性たちに結婚や離婚などに関わる法律の研修をし、女性たち自身が地域の女性たちの問題解決に取り組む仕組みをつくっています。最末端の行政機関であるユニオン評議会の女性メンバーとも協力し、ジナイダ県内の弁護士さんたちの協力も得て、実際に早婚を未然に防いだり、夫の重婚で苦しむ女性の裁判を支援したり、と成果をあげています。

写真=木陰で行われていた女性人権委員のミーティング。活動費は皆の貯金でまかなっている。「私たちの地域の問題だから自分たちで解決するのは当然」と語るメンバーはとてもパワフル。男性二人はWEのスタッフ。

今回は、WEの事務所でちょうど行われていた3日間の女性の権利に関する法律研修、研修を受けて「女性人権委員」として活動する村の女性たちのミーティング、ジナイダ県内の弁護士連合会のミーティングなどを見せてもらいました。

研修を受けに来た女性たち.jpg
弁護士さんやスタッフの熱意にも感心しましたが、心を動かされたのは、「女性人権委員」になることを自ら志願して研修を受けに来た女性たちの声です。

女性たちの中には、自らも夫の重婚で苦しめられたり、持参金問題でひどい目にあった末、離婚した、という人が少なからずいました。その彼女たちが自分の苦しみを乗り越え、研修を受けてほかの女性たちのために活動しようと決意したのは、「自分が経験したような苦しみを他の女性に味わってほしくないから」「私たちの経験を生かして次の世代の女性たちにはもっと自分の権利を自覚して生きてもらいたいから」というのです。

写真=研修を受けに来た女性たち。中央の赤と白のサリーがWE代表のショリファさん。
  
日本もバングラデシュも女性たちの思いは同じだな、と思いました。
WEのショリファさんは言います。「朝から晩まで忙しくても活動を続けられるのは、女性たちの笑顔が見たいから。私たちのところに来て、泣いて打ちひしがれて自分の窮状を訴えていた女性たちが、少しずつ力を取り戻し、困難を乗り越え、他の女性たちの支援ができるようになっていく過程を見ると、活動してきてよかった、と思う。」

これこそ、女性のエンパワーメントだと思いました。結婚や離婚をめぐる不公正な仕打ちで傷ついた女性たちにとって、一番力になれるのは彼女たちの境遇に心から共感して協力を惜しまない女性たち。そして話がこじれた際には、法の専門家の支援も重要です。

弁護士会のミーティング.jpg今回の訪問中、村の女性人権委員たちのミーティングの中で、「13歳の女の子と16歳の男の子の結婚を親たちが進めようとしている。どうも男の子の親が女の子の親の財産を狙っているようだ。話し合いが最終段階に入っているようなので急いだほうがいい」というケースが報告されました。それを聞いたショリファさんとユニオン評議会の女性メンバーは女性人権委員数人とすぐにその女の子の家を訪ね、早婚をやめるようこんこんと諭しました。しかし、親たちが聞き入れそうにないのを見ると、ちょうどその日の夕方行われた弁護士会のミーティングでこのケースを報告。弁護士さんたちが双方の家を訪ねるか、警察官を送る、という方策をとることが決められました。

写真=ジナイダ県の弁護士会のミーティング

バングラデシュでは、法的に結婚が許されるのは、男子21歳、女子18歳ですが、結婚登録時に年齢をごまかしたり、登録そのものをしなかったりで、ほとんど無視されている状態です。しかし、きちんと手順を踏めば、法の力をもって早婚を事前に食い止めることもできるのだ、と目からウロコの思いでした。

「法律研修を受けた地域の女性たちの委員会→ユニオン評議会メンバーやWEスタッフのサポート→弁護士会、と何重にもサポートシステムができてるのがすごいですね。地域の女性たちにとってはとても心強いはず」と感想を言うと「そうね、これはジナイダ・モデルとして自慢できるかも」とショリファさん。

ショリファさん.jpg来週末、ダッカ郊外の研修施設で、ダッカ事務所のスタッフやパートナー団体のマネジャーたちを対象に2泊3日のジェンダー・ワークショップを企画しています。ファシリテーターはAin o Sailsh Kendraのトレーニング・チームにお願いしていますが、ショリファさんにもリソース・パーソンとして参加してもらい、WEでの経験を話してもらう予定。

シャプラニールの農村プロジェクトでも、ショミティメンバーへの女性の権利に関する簡単な研修や、早婚や重婚、持参金などに反対するキャンペーン・演劇などは実施していますが、もう一歩踏み込んで実際に苦しい立場にいる女性たちを周囲の女性たち自身が支援し、話がこじれたときは地域の弁護士の助けを得ることができるような仕組みをつくっていけないものか...と思案しています。

写真=WE代表のショリファさん




投稿者: 藤岡 日 時: 18:33 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年03月23日

 選挙は2年先?

一泊二日でジナイダ県に地方出張に行ってたので、昨日の新聞を今日読んだんですが、選挙管理委員会がついに国民IDカードと写真入り選挙人リストを同時並行で準備することを決めたそうです。今年7月から準備を始めてその作業に最低1年はかかるとのこと。なので、選挙は2008年の終わりか2009年初めになるだろう、という話です。つまりあと2年近くは現在の選挙管理内閣が続くことになりそうです。新聞記事によると、このIDカードと選挙人リストの準備作業には、30~35億タカかかる予定で、軍が請け負うことになる可能性大とのこと。

次の選挙の結果を見る前に、私の任期も終わっちゃうなあー。まあ、しばらくは落ち着いた日々が続くのかな、という感じではありますが...。あとは非常事態宣言や政治活動禁止令がいつ解除されるかですね。

国民IDカード導入と同時に、出生届けや死亡届けなどもきちんとされるようになることを願っています。出生届けがされていなくて小学校入学手続きもできない、という子どもたちがたくさんいますので。スラム住民の扱いがどうなるのかも気になります。




投稿者: 藤岡 日 時: 17:30 | | コメ ント (5) | トラッ クバック (0)

2007年03月20日

 先が読めない日々

このところ出張もあってインドづいていましたが、バングラデシュの政情が気になる方のために最近の情報を少し。

カレダ・ジア元首相の長男でBNP幹部のタリク・ラーマンが逮捕されたのと前後して、選挙管理内閣はあらゆる政治活動の禁止令を出しました。これが出る前までは、外向きの政治活動は禁止されてはいましたが、政党内部の室内会合とか、文化行事に政治家が出席する、といったことは許されていました。でも、今はこういう「室内政治」さえダメ、ということになって、政党の事務所はもう空っぽで鍵がかかってるような状態です。

そんな中、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナは、病気の親戚を見舞うとかいう理由で、1ヶ月アメリカに旅立ってしまいました。しかも旅立つ前に、「アワミ連盟が次に政権をとったら選挙管理内閣のやったことは全て是認する」と意図のよくわからないコメントを残して。

ハシナ女史が旅立ったと思ったら、数日後、新聞の一面に、ハシナの父で建国の英雄、シェイク・ムジブル・ラーマン(愛称:ボンゴ・ボンドゥ=ベンガルの友)とその一族を1975年に暗殺した犯人と目される元軍人が、アメリカで捕らえられ、近くバングラデシュに引き渡される予定だということが報じられました。

奇しくもこのニュースが報じられたのはボンゴ・ボンドゥの誕生日。この日、選挙管理内閣のフォクルウッディン主席顧問は、ボンゴ・ボンドゥの墓前に花を供え、5月のジアウル・ラーマン元大統領(元軍人でBNPの創設者。カレダ・ジア元首相の夫。1981年に暗殺された)の命日には、同様に墓前に花を供えると発表。今後も両党と同等の距離を保つ、ということのアピールなのでしょうが、普通に私のような素人が一連のニュースを読むと、「選挙管理内閣(&軍)とハシナの間に何か取引があったのかしら」などと思ってしまいます。

一方、新党結成のユヌスさんも、20日間の予定でヨーロッパ、アメリカを外遊中。ワシントンではゴールデン・トレイルブレイザー賞という賞の授賞式に出席、プレゼンターはヒラリー・クリントンでした。帰国は4月1日とのことです。

選挙管理内閣の法務担当顧問は、室内政治活動禁止は近日中に解除する、と発表しましたが、近日といっても2ヶ月なのか3ヶ月なのか。ユヌスさん、どうやって新党の政治活動をするんでしょう。

そんな感じで、選挙管理内閣(と軍)がこれから何をしようとしているのか、どこを着地点にしようとしてるのか、さっぱりわかりません。政治・集会の自由をここまで制限するというのは基本的人権の侵害で、長く続けていいわけがないですが、だからといってそれに対して普通の人々の怒りがたまってきている様子もなく、妙に静かで変に平和。庶民の関心は目下クリケット・ワールドカップだし。

その一方で、最近軍の飛行機などの演習が盛んに行われている、というウワサもあります。また、昨年全国で爆弾テロ騒ぎを起こしたイスラム過激派、ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)の幹部の処刑も近く、在住外国人には「報復テロにご注意」のお知らせが回っています。現地の人々はどこ吹く風、という感じですが。

何か起こりそうで、何もなさそうな、なんだか本当に先が読めない日々です。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:30 | | コメ ント (6) | トラッ クバック (0)

2007年03月18日

 クリケット・フィーバー

おとといコルカタからダッカに帰ってきました。ちょうどコルカタを出る日に西ベンガル州全土のストが行われることになって飛行機がやたら早い時間に変更になったり、と、いろいろあったんですが、それはあらためて書くとして。

13日から西インド諸島(ジャマイカとか、あのへんですね)で、クリケットのワールドカップが開催されています。バングラデシュ一般市民の関心は政治からどどっとクリケットに移ってしまったかのようで、このために電気屋ではテレビの売れ行きが上がり、ダッカ事務所のスタッフも皆夜中までテレビ中継に張り付いている模様。

昨夜は皆が手に汗にぎったバングラデシュ-インド戦。最近ダッカはだいぶ暑くなってきたので、部屋の窓を開けてカーテンだけ閉めて寝てるんですが、もう夜中の2時近くまでワーとかキャーとか叫ぶ声やら拍手やらがあちこちから聞こえてきて眠れない!みんなこの試合を観戦してたんですね。(私はずっと見てられなくてさっさと就寝。だってクリケットの試合って長いんですもん)

インドはサチン・テンドルカル、ソウラブ・ガングリーなど、世界的に有名なスター選手を抱えるチーム。実力からいけばインドの楽勝、かと思いきや、なんと昨日はバングラデシュが勝利!!それでダッカの人々はみんな夜中まで大コーフンしてたわけです。今回はとくに10代後半や20代前半の若い選手が大活躍した模様。選手たちの体格もよくなってきましたしね。

昨日は金曜日に交通事故で亡くなったチームメイト、モンズルル・イスラム選手にこの一勝を捧げる!という強い意志がバングラデシュチームにはあったようで、喪章をつけてプレイした選手もいたようです。

クリケットのワールドカップ、バングラデシュといえば思い出すのは、1999年、英国で行われた大会。このときバングラデシュチームは初めてパキスタンチームを破ったのでした。大柄なパキスタン選手たちよりひとまわり小柄なバングラデシュ選手たちが、感涙にむせんでいたのを思い出します。

その当時、私はインドのニューデリーにいたのですが、当時ミニコミ誌「恋するアジア」にワールドカップについて書いた記事がウェブにアップされていました。8年前のことで、自分が後にダッカ駐在になるとは思いもしていなかった頃。バングラデシュがバングラディシュになっていたりしてなんともお恥ずかしいのですが、ご笑覧ください。




投稿者: 藤岡 日 時: 16:56 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年03月13日

 タクシードライバーがくれた聖書

ダッカからコルカタに来て、あーインドに来たな、と感じるもののひとつは、街にあふれる黄色いタクシー。とってもクラシックな形のインドの国産車、アンバサダーのタクシーです。

きのう、そんなタクシーに乗って、街の中心部から宿に戻ってきたときのこと。運賃を払って降りようとしたら、ごつい感じの運転手のおじさんが言うのです。

「あんた英語読めるんだよね」
「は?ええ、まあ。」
「これ、あげるから読みなさい」

そう言って私にくれたのは、ポケット版の小さな新約聖書。
「ありがとう...」と言って受け取ると、タクシーはさっさと行ってしまいましたが、
あのおじさんはああやってしょっちゅうお客に聖書を配ってるんだろうか?

私はとくに信仰をもたない不信心者ですが、コルカタのタクシー・ドライバーにもらった聖書、なんだか貴重なものに思えて、時々読もうかな、という気になりました。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:10 | | コメ ント (3) | トラッ クバック (0)

2007年03月12日

 コルカタにて

昨夜から出張でインド西ベンガル州のコルカタに来ています。今回のメンバーは、東京事務所から出張している中森職員、ダッカ事務所スタッフのサイフル、私の3人。一緒に食事に行ったときなど横で見ていて面白いのはサイフルとコルカタの人々の会話です。コルカタの人たちがバングラデシュをどんな風に見ているのかが垣間見えて興味深いのです。
今日も、泊まっているゲストハウスの近くに最近開いたばかりという小さなレストランに夕食を食べにいったのですが、そのときの会話の一部を再現すると...

店員:そう、バングラデシュから来たのー。最近どうなのバングラデシュは。爆弾犯人がいっぱいいるんでしょ。
サイフル:そんなことないよ。去年はちょっと騒ぎはあったけど、今は全然普通だよ。
店員:そうかい。なんだか危ないのかと思ってたよ。

解説:コルカタの人にはどうも「バングラデシュ→イスラム原理主義が台頭→爆弾」というイメージが強いようで、こういう会話が交わされることがよくあります。コルカタのテレビや新聞の報道の影響でしょうか?

店員:出身はボリシャル?
サイフル:いや、違うよ。同僚にボリシャル出身はいるけどね。
店員:そう。実は私の親戚がボリシャルにいるんだよ。

解説:コルカタにはバングラデシュに親戚がいる、という人がとても多いのです。1971年のバングラデシュ独立のときにインドに移ってきたヒンドゥーの人とか、その逆の人もたくさんいますし、1947年のインド・パキスタン独立のときに移ってきて、親戚の一部が国境の向こう側に残った、という人もいます。もちろん出稼ぎに来ているバングラデシュ人もかなりいます。

店員:ダッカとコルカタの間に汽車が走ると便利になるねえ。
サイフル:そうだねえ。まあ、バスとどっちが早いかだけどねえ。
ふじおか:本当にあとたった1ヶ月で汽車が走れるの?
サイフル+店員:そうさ、だって線路はもうあるんだから。
サイフル:英領インド時代はダッカとコルカタの間は汽車が走ってたんだからね。ぼくの母だってダッカから汽車で来て、コルカタのカレッジで勉強してたんだから。今もそれぞれの国じゃ国内の線路は使ってるんだし、クリアしなきゃいけないのは国境の手続きと人のメンタル・バリアだけの話だよ。

解説:ダッカ-コルカタ間は現在長距離バスは走っていますが、汽車の行き来はありません。先日、インドの外相がバングラデシュを訪問し、選挙管理内閣のフォクルウッディン主席顧問と会談した際、コルカタ-ダッカ間に再び汽車を走らせることが決まりました。4月中旬に開通の予定です。楽しみですね。

サイフル:ここではバングラデシュのテレビは全然見られないんだよね。
店員:そうなんだよねえ。昔は見れたんだよ。バングラデシュのETVとか気に入ってたんだけどねえ。ぜんぶ禁止になっちゃったんだよね。
ふじおか:パキスタンのTVは見られるんですか?
店員:前は見れたけどそれも同時に禁止になったんだよ。まあ、パキスタンのテレビはインドのに比べるとだいぶ遅れてるからな。べつに見なくてもいいけどね。

解説:バングラデシュではインドのテレビは映画、音楽、ニュース何でも見られますが、インドの西ベンガル州では、バングラデシュのテレビ番組は一切見ることができません。言葉はどちらもベンガル語なので、バングラデシュのテレビが見られると相互理解のためにもよいと思うのですが...。禁止になったのはそう昔のことではなく、比較的最近のようですが、どんな理由でいつ禁止になったのかはよく知りません。

バングラデシュの最近の政情についても、どんな風に報道されているのか知りたいところですが、それは明日以降誰かに聞いてみましょう。




投稿者: 藤岡 日 時: 01:40 | | コメ ント (4) | トラッ クバック (0)

2007年03月10日

 手料理のパワー

先日このブログにも書いたとおり、最近なんだか疲れがたまってぐたっとしていたのですが、その後立て続けに3件のダッカ在住日本人の方が(べつに私のグチっぽいブログを見たから、というわけではなく)ご自宅に誘って手作りの日本食を振る舞ってくださり、日本語でいろいろ話が弾んだこともあって、だいぶ元気を取り戻しました。お心遣い本当にありがたかったです。おいしい手料理のパワーとか、楽しみながら人と食事することで得られるエネルギーって確実にありますね。ひとりじゃ食事も味気ないですし。

かつて私は「駐在員の妻」として海外にいた時期もあり、その当時は日本語教師などのボランティア的な仕事も多少やりつつ本業は主婦、という感じで、友人や夫の同僚、仕事関係のお客さんに手料理を振る舞うこともよくやっていました。15人分ぐらいの料理の献立を考えて、用意して人を招いたり、エビのすり身だんごや厚揚げやこんにゃくまで自分でつくるところから始めて鍋一杯のおでんを作ったりもしていたのに、今はなんでこうも料理しない人になっちゃったんだろ、と自分で思います。スパゲッティにレトルトソースかけて終わり、みたいな夕食ばっかりで、人に料理を食べさせてた私とは別人みたい。夫は日本でちゃんと料理しているらしいのに。

考えてみたらダッカに来てから自宅にお客さんを招いて夕食を振る舞う、ということをほとんどしていません。ご馳走になるばっかり。

顔ぶれを考えながらお客さんを招待して、喜んでもらえそうな料理を考えて、心を込めて料理して、振る舞う。そういう温かい気持ちとか心の余裕を失くしているとしたらナサケナイ。でもやっぱり余裕がなかったのね。

明日からインド出張で1週間留守にしますが、帰ってきてちょっと落ち着いたら、新しいテーブルクロスとお花でも買って誰かを夕食に招いてみようかな。そんなことを考えるということは、だいぶ元気が出てきたってことでしょうね。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:39 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年03月08日

 アンタッチャブル「王子」ついに逮捕

昨夜遅く、カレダ・ジア前首相の愛息でBNPの幹部でもあるタリク・ラーマンがついに逮捕されました。夜中に前首相の住居を軍と警察が包囲して電話線も切り(携帯電話も不通にし)捕まえる、という逮捕劇があったようです。→新聞記事はこちら

彼が着服したり立場を利用して儲けた金を全部集めれば、海外からの援助がなくてもバングラデシュはやっていけるとまで言われるほど、巨額の汚職に絡むと目される「王子様」ですが、なにしろカレダ前首相と故ジアウル・ラーマン元大統領の間に生まれた長男。ほんの少し前までは誰にもどうにもすることができず、まさに「アンタッチャブル」だったわけです。前にも2度ほど警察と軍が前首相邸を捜索していたことは報道されており、タリクの側近やビジネス仲間も次々逮捕されていたので、これは時間の問題だろうとは誰もが感じていましたが、予想以上に早かったな、という気がします。

同夜、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナ宅にも警察と軍の捜査が2度入り、ハシナの従兄弟にあたるシェイク・ヘラルらを捜索したとのこと。昨日は、チッタゴン市長など他の大物も何人も逮捕されました。

選挙管理内閣は行政と司法の分離を成し遂げ、5年の任期の反汚職委員会の委員長には「いかなる人物も例外にしない」と確固たる意志を表明している元軍人の強面を据えました。政権が変わっても、以前のような「アンタッチャブル」が生まれにくい体制は着々と作られています。

本当にこれは稀にみる周到な「革命」だな、と思います。「選挙管理内閣」という特殊な政権を前面に据えて、戒厳令も敷かずに次々と改革を行う、などというのは世界でも歴史上例のないことでしょう。

スラムの強制撤去や路上の露天商の追放など、最貧層が直撃されるような施策も実行され、追われた大量の人々の状況はどうなっているのか、今後どうなるか、というのは注視していく必要がありますが、こういったかなり強引な施策についても今のところそれほど非難が出ないのは、軍が怖いということもありますが、スラムや路上の人々のみならず、名の知れた大会社や政党の事務所などであっても、違法建築であれば例外なく取り締まったり取り壊したりしているからでしょう。

旧空港近くのRangs Bhabanという数階建てのビルも、政府の土地にブラックマネーを積んで違法に建てられたビルだということで、近々撤去され、そこを通過してグルシャン側につながる道路が作られる予定だと聞きました。このビルの前の三叉路は市内の渋滞ポイントのひとつ。本当に道路ができればかなり渋滞も緩和されそうです。さて、どうなりますか。




投稿者: 藤岡 日 時: 12:32 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)
2007年03月08日

 スラムの火事

チッタゴンのスラムで6日未明火事があり、子ども12人を含む21人の住民が亡くなりました。
チッタゴンというのはバングラデシュの第二の都市で、港町です。インドのムンバイにしろ、港町の近くには大きなスラムがあることが多いですが、チッタゴンもその例に漏れず、大小多くのスラムがあります。火元は蚊取り線香の火だとか、電気がショートしたのが原因だとか、新聞によって違うことが書いてありました。日本では師走になると放火などの火事が増えますが、バングラデシュではこれから夏に向かうこの時期に火事が多いのだそうです。最近はスラムの火事も頻発していて、これは強制撤去を簡単にするためではないか?と勘ぐってしまいます。

昨日、インターネットのニュースサイトの速報で最初にこの火事のことを知ったとき、まず感じたのは「21人も亡くなるなんて普通じゃない。変だ」ということでした。先日ダッカで大騒ぎとなった11階建てビルの火災でも、はしご車やヘリコプターを動員して救助活動が行われた結果、亡くなったのは4人。でもスラムの火事でどうしてそんなに多くの人が亡くならなければならなかったのか?火事が夜中に起きたから?消防車が来なかったから?

私がダッカで入ったことのあるような一般的なスラムであれば、確かにごみごみして路地は細いけれど、建物自体はあまり密閉性のないちゃちなものだし、そこで火事があっても声を掛け合ってすぐ逃げれば、命は落とさずにすみそうに思えます。よほど深く寝込んでいたとか、身体が不自由だったとか、重いものに挟まれたというのでない限り、そんなに多くの人が逃げ遅れることはちょっと考えにくいのです。

今朝のミーティングでスタッフに「昨日の火事のことだけど...」と聞いてみると、チッタゴンの大学で学んだスタッフの一人が教えてくれました。「アパ、あそこのスラムはね、一般的なスラムとはちょっとつくりが違うんだよ。土地を占拠した人間がその土地を高い塀で囲って、名前をつけるわけ。ここはフジオカスラム、こっちはオジマスラム、みたいにね。そしてその塀の中に小屋を建てたりして人に貸すわけだけど、この塀というのがおとなの背丈の2倍ぐらいあってすごく高いんだ。そして塀から外に出られる戸口はすごく狭い。それで閉じ込められた人が焼け死んだんだ。」

確かにあとで新聞をよく読んで見ると、「ブロック塀の狭い出入り口の傍の倉庫が燃えていたため、出入り口が塞がれた」とありました。でもそんなに高い塀を作ったのはなぜなんでしょう?

ひとつ考えられるのは、境界を曖昧にしておくと、他の人間にそこに何か建てられたり、囲われたりして、土地を取られてしまうから。実際バングラデシュでは、そうして土地を盗られた、という話をよく聞きます。ダッカ事務所のあるスタッフの実家の土地が急に何者かに占拠されたという電話が入って、そのスタッフが農村の実家にすっ飛んで行ったこともありました。日本でもありそうな話です。

でも、入り口をそんなに狭い1か所だけにしていたのはなぜなんだろう?外からの侵入者を防ぐため?

日本で生まれ育つと、子どもの頃から避難訓練などを繰り返しているせいか、いつも非常口を確認したり、通路を確保したりして、意識的にも無意識的にも、閉じ込められることを避ける行動をとっている気がします。しかし、どうもこちらの人たちは、外からの侵入者を防ぐことは常に神経質なぐらい考えているのに、閉じ込められることの恐ろしさをあまり意識していないように思えてなりません。

今日、政府職員住宅内にある、使用人として働く少女たちのためのセンターに行って、そこの女の子たちと話をしていたのですが、住み込みで働いている少女たちの多くが、「雇い主の家族が全員出かけるときは外から鍵を閉めていく」と言っていました。こちらでは、中からも同じ鍵がないと開けられないようになっている家がよくあります。彼女たちは鍵を預かっていないので、つまり家の中に閉じ込められているわけです。火事があろうと何があろうと、鍵がなければ外に出られません。でも、雇い主は当たり前のように少女たちを中に入れたまま鍵を閉めて出かけてしまう。彼ら・彼女らに言わせればそれは「年頃の少女の安全を守るため」。侵入者を防ぐことイコール安全、という感覚らしいのです。

防災の意識というのは、シュミレーションを繰り返し、無意識に身体が反応するぐらいにならないと用をなさないのかもしれません。閉じ込められることの危険性を常に意識していなければ、今回のような火災を防ぐことはできないでしょう。もし日頃からそういった意識があれば、塀はあったとしても、たとえばこういった事態に備えてはしごを用意しておくとか、出入り口を数カ所設けておく、ということもあり得たはずです。

蚊がわくことを怖れたりして防火用水を汲み置く習慣もないから、火が出てもすぐ消せなかったのかもしれません。タイのスラムには消防団があったけれど、バングラデシュにはスラム内の消防団はないのでしょうか。

機を見て少女たちの雇い主とのミーティングの中でも、「使用人の少女を家に閉じ込めているとき、もし火事が起きたら?」ということを考えてもらう機会を持ちたいと思います。




投稿者: 藤岡 日 時: 03:25 | | コメ ント (2) | トラッ クバック (0)

2007年03月06日

 雛祭り前日に散った少女たち

3月3日の土曜日、そういえば今日は雛祭だな、と思いながら当地の英字新聞、Daily Starを見ていたら、こんな小さな記事が目に留まりました。

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●2人の家事使用人の遺体収容される

警察は昨日、ダッカ市内のうウットラとダンモンディで、2人のティーンエイジャーの家事使用人の遺体を収容した。
ウットラの政府職員住宅のアブル・ハスナット宅から収容された遺体は、ナズマ・アクタル、17歳、キショルゴンジ県のクドゥス・ミアの娘。遺体は職員住宅3階のメイド部屋で、天井の扇風機に首を吊った形で発見された。この家で働くもう一人のメイド、ロージーの話によると、彼女とナズマは前夜、夜10時に就寝したが、朝ロージーが目を覚ますとナズマが首を吊っていたという。雇用者のハスナットによると、ナズマはこの家で使用人として7年働いていた。
また、ダンモンディ警察はバングラデシュ医科大学病院で昨日午後べつの家事使用人の遺体を収容した。ダンモンディのドクター・モスタク・ラジャ・チョウドリの家で使用人として働いていたアルポナ、14歳は、モスタクの家族の話によると、トイレの中のパイプに自分のスカーフで首を吊り、自殺を図った。アルポナがトイレに鍵をかけて籠もったまま長時間出てこないので、午後1時45分にドアをこじ開けたところ、中で首を吊っていたという。雇用主家族はバングラデシュ医科大学病院に彼女を担ぎ込んだが、医師に死亡を宣告された。
 遺体はそれぞれダッカ医科大学病院の検屍室に解剖のため運ばれ、2つのケースはそれぞれ不審死亡事件としてウットラとダンモンディ警察に報告された。

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Star Weekend Oct 6.2006.jpgああ、またか...と暗い気持ちになりました。バングラデシュでは使用人として働く少女たちの不審な死や明らかに暴力を受けたことによる怪我などが後を立ちません。新聞でこの手の記事が目立つようになってきたのは、必ずしもこういったケースが増えたわけではなく、以前からあったけれど隠されていたものが社会の意識の変化により表に出るようになってきたのだ、という見方もありますが、中には医師や弁護士宅で拷問されたという事件もあり、新聞記事を見てまさかここまで酷いことが、と目を疑うようなことも少なくありません。家庭という外部から隔絶されたプライベートな空間で起こることだけに、真相もなかなか判らず、事前にこういった事態を食い止めることも難しいのです。

写真=6階の窓から雇い主に突き落とされた10歳の少女。雇用主は銀行の重役だった。(Star Weekend Magazine 2006年10月6日号)

シャプラニールはこういった家庭の使用人として働く少女たちを対象にした実験的なプロジェクトを2006年7月から現地NGOのPhulki(フルキ)と共に開始しています。スラムの中にひとつ、政府職員住宅の中にひとつ、使用人として働く少女たちのためのセンターを設置し、インフォーマル教育や家事の基本、保健衛生教育、性暴力を防ぐための性教育などを行っていますが、最初のうちは雇用主を説得して少女たちをセンターに寄越してもらうこと自体が大変でした。フルキの担当スタッフは、目の前でバン!とドアを閉められたことも何度か。とくに経済的に下の方の階級の人たちより中流より上の人たち、中でも女性の雇用主を説得するのが大変でした。今も家庭訪問の努力は続けられていますが、先に始めたスラムの中のセンターに40人、後から最近始めた政府職員住宅の中のセンターに20人弱の少女たちが通ってきています。 

Korail Center.jpg今日もスラムにあるこの少女たちのセンターを訪問してきました。ここに来ている子たちの多くは、近くの政府職員住宅で使用人として働いています。これまで一人きりで他人の家の中で働いていた少女たち、「ここに来るとみんなに会えて勉強したり歌ったりできてほんとに嬉しいの!金曜日はセンターがお休みだから1日が長くて..」と話してくれました。
写真=スラム内のセンターに通う少女たち

本当ならこの子たち全員、すぐに仕事を辞めさせ、学校に行かせたい。でも、少女たちの家庭の状況、社会状況から言って、それはとても困難です。今は少女たちが基本的な読み書きやスキルを身につけ、少しでもよい状況で生活できるようになること、怪我や性暴力から身を守る術を教えること、奪われている子ども時代の楽しみをできる限り返してあげること、雇用主を説得し、彼女たちの休息や学びの時間を確保することなどを目指して活動をしています。もちろん最終的な目的は、子どもが使用人として働かされることのない社会を作ることであることは言うまでもありません。でも、それは一朝一夕にできる事ではなく、使用人として子どもを使っている雇用主や親たちの意識が変わらなければ実現しないでしょう。法を強化することも重要ですが、弁護士や国会議員が当たり前のように子どもを使用人として働かせている状況なのです。

ダッカだけで30万人と言われる使用人として働く子どもたち。その約8割は女の子と言われます。日本では女の子の健やかな成長を願う雛祭の日の新聞に、10代で命を絶つ少女の悲しいニュースが載るようなことがなくなるよう、社会全体を変えていく動きのきっかけを作ることができたら、と願っています。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:15 | | コメ ント (0) | トラッ クバック (0)

2007年03月05日

 峠...なのかも

ここ数日ブログを書けなかったのは、週末にかけて行われたパートナー団体のCOLIの合宿に参加したりして出張していたこともあったのですが、なんだか心身ともに疲れちゃっていたためです。2005年5月にバングラデシュに赴任して1年10ヶ月。幸い熱を出して寝込むようなこともなく、体調不良で休んだのは会議前に大事をとった1日だけで、いたって元気にここまで来たんですが、ここにいると日本にいるよりなんだか老化が早いような気がするんですよね。白髪も増えたし、手のひらのシワも増えて手相が複雑になった感じ。人生も複雑になりつつあるのかしらん。

1月から3月にかけては、来年度の計画や予算をめぐってパートナー団体との協議、書類作成、会議が多く、頭と神経ばかり使って農村を歩き回ったり村人と話をすることが少なかったので、何かバランスが悪くなっているのかもしれません。

ちょうど駐在期間の折り返し地点を過ぎて、なんだかしんどく感じるのは、峠の山道を登っているからなのかも。ラクじゃないのは上り坂だから。そう考えてがんばりましょう。

そういえば去年の今頃も合宿前にバテて、おかゆの写真をブログに載せたりしていたっけ...。季節性のものなのかしら。またカーッと暑くなったり、ざーっとスコールが来たりして、ライチやマンゴーが出回る季節になれば、元気が出そうな気がします。私はやっぱり暑くて汗だくになっているようでないと、調子が出ないんですよね。

たわわに実る大きなマンゴーを思い浮かべるだけでもなんだか楽しい気分になります。ああ、早く食べたいマンゴーよ。




投稿者: 藤岡 日 時: 02:18 | | コメ ント (5) | トラッ クバック (0)
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