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2009年03月一覧
2009年03月27日
しばらくご無沙汰してしまいました。
今頃日本でも花粉症の方はしんどい思いをされていると思いますが、バングラデシュの乾期も鼻や喉の弱い私のような人間にはけっこう辛いものです。1月から2月にかけては毎年次年度の計画や予算づくりの仕事が立て込んでかなり忙しいのですが、それが一段落ついたところで疲れが出てくるのもこの時期。そこへ来て数ヶ月雨が降らずホコリっぽさは頂点に達しているし、急激に暑くなって気温は30度を超え、停電も1日7時間ぐらいに増えています(オフィスアワー中は4時間ぐらい)。
そういうときに風邪を引いたりすると、私の場合、持病の副鼻腔炎が一気に悪化してしまいます。副鼻腔炎てのはやっかいなもので、慢性化するとなかなか治らないんですよね。鼻の奥と目と耳というのは全部つながってるので、悪くなると目や耳にも炎症が飛んでしまうし(耳はとくに飛行機に乗るとダメ)、まったくもって嫌なもんです。去年の今頃は炎症が鼻から目に来て、真っ赤な目のままドナー団体の方とサイクロン被災地に出張したりしてたっけ...。今年は気をつけて抗菌目薬を差し続けてるので目には来てませんが、鼻水・鼻づまりに加え、左の鼻筋から目の周り、頬骨、奥歯の辺りにかけての顔面痛が何日も治らないんです。顔が痛いってヤですよ。リキシャでガタガタ道を通勤するときも響くし...。
昨日は独立記念日、今日・明日は金・土の週末休みで、せっかくの3連休なのですが、食べ物の味もあまり感じないので食欲もなく、顔が痛いので外に出る気もせず、食糧がつきても買い物に出る気もせず、ひたすら寝床の上に丸まって鬼平犯科帳を読むだけ、というトホホな休暇です。(でもなんでそういうとき読むのが鬼平犯科帳なんだろ?自分でもよくわかりませんが、これが一番なんですよ。)
こっちの病院に行けばいいんですけど、それも億劫で...。前に日本で処方してもらった薬の残りを飲みつつなんとか凌いでいます。早く治ってくれー。がんばれ、身体の自然治癒力よ。でも今日はパソコンに向かう気になっただけ少しは回復したのかも。(って書いてる内容はグチだけど。)
3月18日から21日までダッカ事務所のスタッフ全員で年次合宿のためバンドルボンに行ったこととか(これがあったせいでよけいバテた)、BDR事件のその後とか、書きたいことはいろいろあるんですが、元気になってからにします。皆様も年度末の忙しい時期(それに花冷えの季節ですね)、お身体に気をつけて。

死んだように寝てる犬。あたしとおんなじね。
- カテゴリ:ひとり言 2009年03月27日 15:03 |
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2009年03月15日
今年はなんだか早くから暑いです。わずか1ヶ月前、農村出張の際にフリースを着込んで、夜は厚い布団をかぶって寝てたなんて嘘みたいです。まだ朝晩は多少涼しいので窓を開けてファンを回していればそれなりに凌げますが、日中の炎天下や風通しの悪い室内の暑さはもうかなりキツくなってきたな、という感じです。
それに雨が降らないんですよね。もう何ヶ月もまとまった雨は降っていません。2月の半ばにちょっとパラッときてすぐ上がったことが1~2回あった程度です。ダッカも乾ききって空気に粉ボコリが混ざって白っぽくなってる感じ。外を少し歩いただけで鼻の穴が黒くなり、目がチカチカします。農村部の舗装していない道の脇の草木は土ぼこりを浴びて真っ白で苦しそう。おまけに電気不足が日に日にひどくなってきて、停電が頻発。そのせいで水の供給にも支障が出て、ダッカ市内でもとくにミルプールあたりはかなり水事情が悪くなっているようです。
先ほど、災害発生時にいつもSituation Reportを送ってくれるDisaster ForumというNGOから「Situation Report #1」と題するメールが届きました。まだ洪水の季節でもないのに何のSituation Reportだろ?と思って見てみたら...「下痢が蔓延、平年の3倍」という内容でした。
3~4月ごろの急に暑くなる時期、バングラデシュでは下痢が蔓延し、ダッカにあるバングラデシュ国際保健人口研究センター(旧名国際下痢性疾病研究センター:略称ICDDR,B)の入院病棟が満杯になっている写真が毎年新聞に載るんですが、今年は下痢の蔓延の時期がいつもより相当早いらしいんです。送られてきたSituation Reportに載っていたICDDR,Bの医師の談話によると、昨年の今頃は毎日の新規入院患者数が1日250人ぐらいだったのが今年は700人を超えているそう。通常下痢蔓延のピークは4月後半なんだそうですが、そのピーク並みの状況が今年はもう来てしまっているのだそうです。
昨年の3月の1ヶ月間の総入院患者数が7890人、おととしは6765人だったそうですが、今年は3月11日から14日までのたった4日間でもう2792人になってしまったとのこと。その多くは小さな子ども、それもスラムや都市周辺の住環境の悪いところに住む貧しい人たちです。こういったところに住む人たちは汚れた水を飲まざるを得ず、暑さで腐りかけた食べ物を口にすることも多いからです。
シャプラニールの2つのダッカでのプロジェクト、「ストリートチルドレン支援プロジェクト」と「家事使用人として働く少女支援プロジェクト」で支援する子どもたちにも、下痢や体調不良がかなり出始めているようです。子どもたちがセンターやスラムの家などで口にする水や食べ物によくよく気をつけるよう、各プロジェクトの現場を受け持つパートナー団体のスタッフには例年以上に気を配ってもらわないといけません。
私も今朝から風邪を引きました。朝、目が覚めたとき、暑いと思って寝ながら天井のファンを回したら、5分で喉が痛くなりました。鼻水ポタポタでツライです。お腹は元気ですが...。
いよいよ、しんどくて長ーい、バングラデシュの暑い夏の始まりです。

砂の地面に穴を掘って入り込んでいるニワトリ。時々盛大に羽を広げてバタバタして砂を浴びる。そんなことして気持ちイイのかい、トリよ?
- カテゴリ:気候、自然、環境 2009年03月15日 23:11 |
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2009年03月14日
ボシュンドラ・シティでの火事はなんとか昨夜9時ごろおさまったようです。今朝の新聞によるとこの火事で少なくとも7名が死亡、20名負傷ということです。8階以下のショッピングモールには火は回らずにすみましたが、ボシュンドラ・グループのオフィスが入っていたオフィス棟の6階分が燃えてしまいました。
きのうのブログに「ショッピングモールは休みだった」と書きましたが、それは間違いで、モールはやってたみたいですね。お店にも映画館やフードコートにもたくさん人はいたけれど脱出したようです。かなりパニック状態だったようですが、映画館にもたくさん人はいたにもかかわらず、脱出時に将棋倒しになるような事故が起こらなかったのは本当によかったです。
それにしても昨日ボシュンドラ・シティを取り囲んだ見物人のすごかったこと。何千人、何万人という人が道に溢れていました。家族や自分の店を心配して見守っていた人ももちろんたくさんいたはずですが、大半は野次馬です。携帯片手に写真を撮る人も。ボシュンドラ・シティ前の道路、Panta Pathは人の海で、消火や救助のための車両が駆けつけるのにも支障を来たす始末。
そして後からわかったのは、ボシュンドラ・シティのビルの中にはちゃんと自動消火装置はついていたのだけれど、スプリンクラーに給水するタンクに水が入っていなかったため作動しなかったということ。どんな立派な装置をつけても水が入ってなきゃ意味がないじゃないか!これを機にショッピングモールの消火装置の点検が厳しくなるといいんですが。
ショッピングモールは焼けずにすみ、バングラデシュ最初のマルチ・シネプレックスも無事でしたが、モールは2日間休業するそうです。
- カテゴリ:社会 2009年03月14日 13:01 |
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2009年03月13日
今日は金曜日で休みの日ですが、仕事があって朝からノルシンディ県のパートナー団体のPAPRIに行っていました。2時半過ぎ、PAPRIの事務所の食堂で昼ごはんを食べていたら、「ダッカのボシュンドラ・シティが火事だってよ」とのニュース。(新聞サイトのBreaking Newsは→こちら)ええっ?と普通以上に驚いたのは、明日の土曜日、このボシュンドラ・シティの中にある映画館に内山駐在員と二人で映画を見に行く予定にしていたからです。
ボシュンドラ・シティ(Bashundhara City)は2004年にオープンしたダッカ最大のショッピング・モールで、南アジア最大とも言われています。場所は5つ星ホテルのショナルガオン・ホテルからもすぐ近くで、初めてバングラデシュに来た人が見たら、こんなものがバングラデシュにあるなんて!とびっくりするような吹き抜けの巨大ショッピングモールです。店舗のほか、映画館、フィットネス・センター、 フードコートなども入っており、ビルは21階まであります。(ショッピングモールはそのうち8階まで)
夕方家に帰ってきてテレビのLIVE映像を見ていますが、火が出たのはオフィス棟の17階で、17~21階はほぼ焼き尽くされ、今12階ぐらいまで火が降りてきているとのこと。火の勢いはまだ衰えることなく、バングラデシュ時間19時現在、夕闇の中で今も激しく燃え続けています。夕方ダンモンディを通って家に帰る途中、ダンモンディ・レイクにかかる橋の上からも燃えるビルのオレンジ色の炎が見えました。
不幸中の幸いだったのは今日は金曜日でショッピング・モールも会社も休みだったこと。それでもこれまでにボシュンドラ・グループの消防員1名が亡くなり、50名が火傷を負ったとのことです。以前、カウンラン・バザールのTV局などが入っているビルの火災でもそうだったのですが、バングラデシュには11~12階以上に届くようなはしご車も無く、高いところまで水が届くようなポンプ車も無く、消防隊員が着る消防服さえ満足に無い状態で、このような高層ビルで火災が起きるとまったくお手上げなのです。軍のヘリコプターも出動して鎮火に当たっていますが、とても手に負えそうにありません。下手に軽装備の消防隊員が中に入っても自ら被害に遭ってしまうだけでしょう。そもそもこんな火事が起こったら消火できる設備もないのに、高層ビルをどんどん建ててしまうこと自体が問題です。
この火事がショッピング・モールが開店している日に起こったら?と思うとぞっとします。大変な大惨事になったでしょう。明日起こっていたら私たち駐在員二人とも巻き込まれていたかもしれません。
火災の原因はまだわかりません。ビルの中にどれぐらい人がいたのか、ということもよくわかりません。これ以上被害者が出ることなく、早く火が治まるといいのですが...。今のところまだ火はショッピングモールまで降りてきていませんが、このままだとダッカで一番いい映画館も灰になってしまうかもしれません。
ああ、つくづくセキュリティの問題だらけのダッカです。政府もビジネスセクターもNGOも市民ももっと真剣に都市の防災について考えなければ、このまま高層建築ラッシュが続いたらもうどうにもならなくなるでしょう。洪水やサイクロンなど自然災害についての防災も重要だけど、都市の防災のほうがもしかしたら緊急度は高いのかもしれません。
- カテゴリ:社会 2009年03月13日 21:09 |
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2009年03月12日
最近BDR事件のことばかり書いてますが、仕事もちゃんとやってますよーということで、今日のお仕事紹介。今日はマニックゴンジ県のパートナー団体、STEPのドウロトプール事務所で、おばちゃんたちへの山羊・羊授与式がありました。

これはFAOのテレフード・プログラムにシャプラニールが応募して実現したもの。テレフードというのはFAOが実施する反飢餓キャンペーンで、FAOが集めた募金がバングラデシュのように栄養不足の人が多い国での農作物や家畜など、食糧増産のプロジェクトに使われるものです。そのプログラムで今回シャプラニールは山羊と羊の購入資金をもらいました。FAOには前にもじゃがいもの種芋や牛の購入資金をもらったことがあります。
このマニックゴンジ県のドウロトプール郡というところは、川の浸食により移住してきた貧しい人が多いところで、とくに夫が亡くなったり、出て行ってしまったりして女性が世帯を背負っている家庭が多いのです。そういう女性世帯主としてがんばっているおばちゃんたち80人にこのテレフードの資金で山羊もしくは羊を4匹ずつ買って渡し、山羊や羊の育て方について研修をし、病気になったりしないようにフォローアップします。この山羊や羊はタダであげるわけではなく、少しずつその代金を返してもらうのですが、山羊や羊をうまく太らせて高く売ったり、子どもが生まれればそれがおばちゃんたちの利益になります。返してもらったお金でまたさらに多くの女性たちに山羊・羊を配ることができます。
今日はその山羊・羊の手渡しセレモニー、というわけで、地域行政のエライ人やFAOダッカ事務所の職員、郡の獣医さんなどが挨拶をし、最後におばちゃんたちに山羊・羊を手渡しました。

会場は事務所の庭に張ったテントの中だったんですが、これが暑い。そしてテントの裏ではつながれた山羊や羊がメーメーうるさい。来賓は遅れてくるし、おばちゃんたちは暑い中待たされてるし、山羊や羊は炎天下に長くおいてたら死んじゃいそうだし、気が気じゃなかったけど、まあなんとかつつがなく終わってよかったよかった。

こちら羊を受け取ったおばちゃん。立派な羊ですなー。

こちらは山羊。
山羊にするか羊にするかはおばちゃんたちの希望次第だったのですが、山羊のほうが多かったですね。でも山羊より羊のほうが大きくて立派でした。一人当たりの購入費は同じはずなので、羊のほうが割安だったということですかね。
今日手渡された山羊・羊のなかにはすでにお腹に赤ちゃんがいるメスもかなりいました。皆さん、がんばって丈夫に育ててどんどん増やしてね。まず最初の難関は雨期と洪水の時期をどう乗り越えるか。STEPのスタッフのみんな、しっかり家庭訪問してフォローしてね。
- カテゴリ:農村での活動 2009年03月12日 23:11 |
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2009年03月12日
BDR本部での虐殺事件の捜査を一括して担当することが数日前に発表された商業大臣のファルーク・カーンが今日、捜査の結果、今回のBDR事件にイスラム過激派のジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(以下JMB)が関わっていることがわかった、と発表しました。(→新聞記事)やっぱりね...。ちなみにこのファルーク・カーンという人は退役軍人です。事件後の政府の軍への気の遣いようは相当なものがあり、捜査の責任者に彼を据えたのも、軍人たちを納得させるためでしょう。
これに伴い、独立記念日である3月26日のパレードも中止されることが決定。次に狙われるとしたら独立記念日のパレードだよなあ、と思っていたので、中止の決定を聞いてよかった、と思いました。それにしても、叩いても叩いても2~3年するとまたはびこってくるJMB。ゴキブリのようなしぶとさです。何をしでかすかわからない連中が関わっているとわかっただけに、徹底した捜査と事件に絡むJMBメンバーらの一刻も早い逮捕が望まれます。
2006年のJMBの首領逮捕に功績を残したグルザール大佐は、身元不明だった遺体のDNA鑑定により、死亡が確認されました。こういう優秀な人も亡くなっちゃったし、今後のJMB狩りは大変でしょう。
それにしてもシェイク・ハシナ首相率いる新政府、立ち上がってわずか2ヶ月足らずでなんと大きな試練に見舞われたことか。でもここでどうにか踏ん張ってほしいです。バングラデシュが平和なよりよい国になっていくためには、国際社会も現政権が潰れないように、とにかく支えていくしかないと思います。
- カテゴリ:社会 2009年03月12日 23:11 |
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2009年03月10日
今日はヒジュラ暦(イスラームの暦)の3月12日、預言者ムハンマドの生誕祭ということで祝日です。このところ忙しかったのでどうも疲れ気味。朝からゴロゴロしながらひたすら新聞を読んでいます。3月に入ってから日に日に暑くなってきて、日中の室内の気温は30度近く。今日は曇っているからまだいいですが、日差しの強い日は30度を超えます。停電も増えてきて1回1時間程度の停電が1日4-5回。今からこんな調子じゃ本格的に暑くなる頃どうなるんでしょう。うんざり。
BDR本部での事件について、調査団が報告を出すまでにあと1週間かかるということですが、新聞には既にかなりの情報が載っていて、なんとなく背後にあるものについての想像はついてきた、という感じです。アメリカからFBIの捜査官も2名到着。明日にはスコットランド・ヤードからも捜査官が来るとか。一方で昨日ヘリコプターの墜落でジョソールの軍の高官が死亡したり、BDR本部内で自殺者が出たり、という事件も起こっています。
以下、今朝の英字紙、Daily Starの記事より
BDR本部の包囲は不十分だった(BDR HQ hardly cordoned off)
事件当時、BDR本部の周囲は軍や警察の特殊部隊が包囲していましたが、実際には無防備に近かったエリアがあり、そこから多くのBDR隊員が逃走した、ということです。26日のシェイク・ハシナ首相の演説のあと、約6700人のBDR隊員が逃走したとのこと。当日は「反乱軍は武器を捨てて投降した」と伝えられていましたが、実際のところは軍や警察が踏み込んだときには犯行に関わった者はほとんど逃げてしまってもぬけの殻に近かった、ということですね。
450名の隊員が関与(450 BDR men found involved so far)
これまでわかっただけでも450名のBDR隊員が事件に関わっており、そのうち少なくとも12名がいくつかに分かれた彼らのグループを指揮していた、ということです。
ジョソール地域の軍司令官がヘリコプター墜落で死亡(Jessore GOC killed in chopper crash)
亡くなった司令官は階級でいうとMager Generalだから少将?かなり高位の人です。ヘリコプターを操縦していた中佐(Lieutenant Colonel)も亡くなり、もう1人操縦席にいた少佐(Major)も重症です。墜落する前にヘリコプターが電線に接触したことはわかっているのですが、時期が時期だけにただの事故なのかどうか疑問視する声も。
BDR隊員が自殺(BDR subedar 'kills' himself)
ピルカナの本部内の浴室で45歳のBDR隊員が首を吊って死亡しているのが昨日朝みつかりました。この人は事件のとき本部内にいたそうですが、逃げずに投降したそう。親戚は「自殺とは思えない」と語っているとか。
BDR本部内の教育中断されたまま(Education stays shut inside BDR HQ)
BDR本部内には小学校からカレッジまで4つの学校があって、1万人の児童・生徒・学生たちが事件後教育を中断されたままだそうです。あの中にそんなに学校があるとは知りませんでした。そこで学ぶ子どもたちだけで1万人もいるというのも驚きです。しかし、その子どもたちの中でも親が殺された子あり、親に容疑がかかっている子あり、では、事件が解明されない限り容易に普通の授業には戻れないでしょう。血なまぐさい大事件のあった敷地の中にそのまま住み続けていること自体大変なストレスだと思います。ちょうどSSC(中期中等教育修了認定試験)、HSC(後期中等教育修了試験)といった重要な全国共通試験がある時期なだけに、巻き込まれた子どもたちは本当にかわいそうです。
JMB擁護者リンクを捜査中(Probe on to find JMB patron link)
今日一番注目の記事だったのがこれ。ラッシャヒでイスラム過激派ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)のメンバーと今回のBDR事件、そしてJMBのパトロンと目される政治家とのつながりについて捜査が進んでいます。この記事によれば、BNPとジャマテ・イスラミの連立政権下の2004年ごろから複数名のJMBメンバーが地元政治家の推薦でBDR隊員として採用されていたとのこと。そういった政治家の多くは軍に支援された暫定政権の時代に逮捕されたり逃走したりしたそうで、いまだに地下にもぐったままの人もいるそう。これらのJMBメンバーは共産党の地下組織との抗争での働きに対する「ご褒美」としてBDRに採用されていた、というのです。事件後、JMBメンバーのアジトと見られる家に逃げてきたBDR隊員が数名滞在していたが、2日後、BDRに戻るといって去ったとか。JMBメンバーをBDRに推薦して採用させたパトロンとしてBNPの政治家たち(ほとんどが暫定政権時代に逮捕された)の名前が挙がっています。この記事の内容が本当なら、BDRの隊員たちの中に、数年前からすでにJMBのメンバーが入り込んでいたことになります。そうだとするといろいろなことが腑に落ちます。今回の事件にJMBが絡んでいることはほぼ確信できるレベルになってきた感じです。あとはそのパトロン、要するにBNP関係者とのつながりが問題です。Daily Starがアワミ寄りだということを差し引いて考えても、こりゃだいたい筋書きは見えてきたのでは?と思ってしまいます。
今日はすっかり独断的新聞解説になってしいました。内容がマニアックすぎて普通の読者の方にはわけがわからないかも...。でもこのブログを読んでくださっている方はほとんどバングラデシュ関係者みたいだから、ま、いいか。
- カテゴリ:社会 2009年03月10日 17:05 |
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2009年03月09日
2月25日から26日にかけて起こった国境警備隊(Bangladesh Rifles=以下BDR)での銃撃事件は、結局3月上旬までの発表で74人(うち軍の将校55人)の死者が出る大事件となり(注1)、BDR本部のある場所の地名「ピルカナ(Pilkhana)」から、「ピルカナの悲劇」「ピルカナの虐殺」などと呼ばれることが多くなってきました。
日本でのわずかな報道では何が起こったのかよくわからなかったと思いますが、バングラデシュにおいてはこれは国民の心に大きな傷を残す歴史的な大事件であったといえます。真相の究明に向けて調査団が組織され、近いうちに調査報告が発表されることになっていますが、どうにもこの事件は不可解なことだらけで、今もバングラデシュの多くの人々の胸には、「なぜ、こんなことが起こってしまったのか?」「どうして防げなかったのか?」という疑問と痛みがモヤモヤとしている、という感じです。このモヤモヤは真相が明らかになるまで晴れることはないでしょう。
「BDR本部で銃撃事件」と聞くと、何かひとつの建物の中で事件が起きたのかと思われるかもしれませんが、このBDR本部というのは周囲10キロの広大な場所なのです。この中にBDR隊員や上官である軍の将校たちの住居もあり、バラやユリの花が咲き乱れる庭園やスポーツ施設もありました。広い大学のキャンパスのようなものです。そういう場所なので、事件当時ここに閉じ込められて人質になってしまった人々は軍人だけではありませんでした。女性や子ども、お年寄りを含む軍人やBDR隊員の家族たちも、事件の最中は家から出られず銃声を聞きながら恐怖に震えていたのです。
事件発生当時、ピルカナのBDR敷地内には数千人の人々がいたといいます。しかもピルカナの周囲は密集した住宅街で、北は古くからの高級住宅街のダンモンディに、南はダッカ最大の公務員住宅地アジムプールや常に大勢の人で賑わう商店街のニューマーケットに接しています。バングラデシュの最高学府、ダッカ大学のキャンパスも目と鼻の先です。そんな首都の重要な場所で一昼夜銃声が響き続け、鎮圧のために戦車が住宅地を走り抜け、周囲3キロの住民に避難勧告が出され、あわや市街戦か、という危機一髪のところだったのです。
その最悪の事態をなんとか回避してやれやれと思ったら、ピルカナの敷地の中からBDRのトップ含め数十名の軍の将校たちの無残な遺体が次々と発見されました。30名以上が投げ込まれて埋められた穴や、下水溝に捨てられ川に流れ出た遺体、めちゃめちゃに荒らされて略奪され、血痕が残る軍の将校の住居など、鎮圧後に明らかになったピルカナ内部の状況は凄惨を極め、新聞に掲載された現場写真に背筋が寒くなりました。犯行グループのほとんどは停電中の闇に紛れるなどして塀を乗り越えて逃走し、後には累々たる遺体の山と武器の山、燃やした書類などの灰の山が残されました。ダッカ住民のショックを想像してみてください。
事件が起きた25日の前日、24日はBDR本部で勲章授与式があり、シェイク・ハシナ首相も出席していました。約1週間にわたる行事のために、全国のBDR拠点から軍の将校たちが集まっていました。そういった特別なときに起こった事件でした。銃殺された軍の将校たちはほとんどが25日の朝に殺されたとみられるのですが、その日、TVではBDRの隊員たちが「我々は軍の将校たちに抑圧されている。BDR隊員の待遇は悪すぎる」といったことを訴えていました。その段階では、これほどの数の軍人が既に殺されているとはほとんどの人は思わず、“捨て身で待遇改善を訴えに出た”BDR隊員に同情する人が多かったのです。しかし、事件後の惨状を見て、いまや誰もこの事件が「待遇への不満が爆発」などというレベルのことだったとは思えなくなっています。犯行の主目的は別にあり、「待遇への不満の訴え」は人々の目をくらますための煙幕だったのだろう、と言われています。犯行に関わった“中心メンバーでない”BDR隊員たちも、この煙幕に惑わされ、踊らされてしまったのではないか、とも考えられます。
調査が進むにつれ、BDR隊員の通話記録などから、今回の事件は少なくとも2ヶ月以上前から計画され、BDR内の相当数の人がなんらかの陰謀が進んでいることを知っていたはずだ、といわれています。辛くも虐殺を逃れて生き残った軍の将校は、虐殺の中心メンバーは約20名で、赤や紫などの布で覆面をしていたこと、この覆面グループと顔を出していた(しかし中心メンバーの指図に従って動いていた)BDR隊員メンバーとは明らかに態度が異なっていたことを語っています。BDR隊員の数は非常に多いため、制服は着ていたものの、この覆面メンバーが本当にBDR隊員だったかどうか、居合わせたBDR隊員らもわからなかった、という話もあります。そのため外部の人間だったのではないか、という憶測が飛んでいるのです。イスラム過激派によるものだ、という説、インドの陰謀だ、という説などが流布していますが、真相はわかりません。BDR内にも諜報部門があるのに、なぜこの計画についての情報が事前にキャッチできなかったのか?なぜ上に伝わらなかったのか?ということも今問われています。いずれにしても、現政権を揺さぶるための強烈な嫌がらせである、ということは間違いないように思われます。
覆面メンバーを含め、事件当時の犯行グループメンバーはかなりTVにも映され、写真も撮られています。揃いの布で覆面や鉢巻をしたメンバーたちは確かに眼つきが異様な感じで、顔を出している他の隊員たちとは印象が違います。
他にも様々な「謎」や「手がかり」が報道されています。以下のようなものです。(真偽のほどは保証できませんが広く報道されているものです)
・事件の最中、軍関係のものでもBDR関係のものでもない所属不明の車がピルカナを出入りしていた。
・ピルカナに残された武器の中には、BDRも軍も使用していないものがあった。
・バングラデシュのTVニュースではBDRトップのDirector General(DG)が殺されたことは事件が決着するまで報道されなかったのに、インドのNDTVでは事件が起こった25日の午前中にDGを始めとする主な将校たちが殺されたことが報道されていた。
・犯行の中心メンバーが、事件の最中、「グルザールはどこだ?!」と叫んでいた。グルザール・ウッディン・アフマッド大佐は今も遺体がみつからない5人の将校の1人であり、彼は2年間Rab(警察の特殊部隊)にいた時代、イスラム過激派であるジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)(注2)の首領らの逮捕に中心的役割を果たした。
事件から10日たち、事件当時の政府の対応などをめぐって与野党の非難合戦が始まっています。そんなことをしている場合じゃないだろ!と思いますが、いつもこうなってしまうのが悲しいかなバングラデシュの現実。過去からの因縁は脇におき、与野党が協力して一刻も早く真相を明らかにしてほしいと思うのですが。
ダッカで暮らし、バングラデシュの人々と共に働く私も、事件の真相がわかるまではどうにも気持ちが落ち着きません。事件が起こる前には週末よく買い物に行ったライフル・スクエア(注3)にも当分足が向きそうにありません。
注1:一時は約150名が死亡か、と報道されたのですが、後に訂正されました。情報が混乱しており、その場に軍のオフィサーが何人いたのかすらもなかなか判明しなかったようです。
注2:2005年8月に起きた全国同時爆弾テロの犯行声明を出すなど、バングラデシュ内でももっとも危険と目されていたイスラム過激派グループ。首領アブドゥル・ラーマン、No.2のバングラ・バイら幹部6名は2006年3月に逮捕され、約1年後に死刑に処せられている。
注3:BDR本部のダンモンディ側の門のすぐそばにあるショッピング・モール。スーパー「アゴラ」の1号店、DVD屋やブティック、ファーストフード店などが入り、ダンモンディのショッピング・モールの代表的存在だった。今回の事件中、一時犯行グループに占拠された。

写真:ライフルズ・スクエア。このモールの前の通りで、BDR敷地内から撃たれた流れ弾に当たった学生やリキシャ引きの男性などが死傷した。この写真は2005年に撮影したもの。
- カテゴリ:社会 2009年03月09日 02:02 |
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プロファイル
藤岡恵美子(ふじおかえみこ)
2009年9月に駐在を終えてダッカから帰国しました。現在「全国キャラバン」で、北は北海道から南は九州まで全国行脚の講演会実施中です。













