リレーエッセイ「ネパールという国」

「うわー、聞いてた通りやなぁ」初めてネパールの地に立った時に、そう思った。今年(2016年)の7月に、僕は人生初のネパール出張に出向いた。

テカに支えられた家々

ずっと放置されたままのレンガ、テカ(つっかえ棒)で支えられた今にも崩れそうな家、いまだに人が住み続けているトタン板でできた仮設住宅。ネパール地震から一年が経過した今も復興が全然進んでいないことは知っていたし、写真もたくさん見ていた。それでも実際にこの目で見るまでは実感がわかなかった。取り上げられる写真は悪い部分を写しているだけとどこかで思っていたのかもしれない。

実際にネパールの街を歩いてみると、本当に聞いていた通り。「絶対こんなん意味ないやろ・・・」と思いながら、怯えつつテカで支えられた家の間を歩いていた。不思議なもので、数日間いると感覚がマヒしてきて、テカがあるのが当たり前にも思えてくる。最初は崩れかけた家の前を通るのは怖かったが、なんとも思わなくなってきた。

放置されたままのレンガ(日が経って苔が生えている)

放置されたままのレンガ(日が経って苔が生えている)

何よりネパールの人たちがこんな状況にも関わらず、すっっっごく明るく、何事もなかったかのように暮らしているので、こちらもこれが平常だと感じるようになったのかもしれない。今回の出張では色んな所に行き、そんな風景・街並みの撮影やたくさんの人へインタビューをしてきた。みんなとてもいい顔をしている。それらは特設サイトにアップしてあるので、ぜひご覧になってほしい。

さてサイトには掲載できなかった、僕自身がすごく驚いたことが一つある。これは事前情報では聞いていなかったこと。
それはネパールの若者がネパール語離れをしているということ。ネパール語を話せる人が少なくなってきているらしい。これは近年学校教育が国語(ネパール語)の授業以外は英語で行われる学校が増えてきたこと(特に私立学校)、そして元々ネパール語は語彙が少なく、英語の方が便利だということが理由とのこと。もちろんネパールの公用語はネパール語であるが、多民族国家であるためそれぞれの民族で言葉を持っており、ネパール語が分からない人も元々たくさんいる。それに加え上記のような理由でネパール語の継承がうまくできていないというのだ。これはすごく大きな問題だと思う。僕は言語は物事を考えたり、文化の継承という点でとても大事なものだと思っているので、このままではネパールの文化がうまく後世に伝わって行かないのではないか、場合によっては消滅してしまうのではないか、そんな危機を感じた。

ネパールの将来を担う若者たち

ネパールの将来を担う若者たち

一方で、そういう環境なのでネパール語と英語を話せるのは当たり前で、加えて自分の民族の言葉や、ヒンディー語(ヒンディー語のTV放送が多い)も話せる人がたくさんいる。これはこれからネパールが経済発展していく中でとても有利なのではないか。ネパール人が海外で活躍するにも、外国からネパールに企業や観光客を誘致するにも、有利になるだろう。実際、僕はネパール語が全く分からないが、ホテルやお店の店員はみんな英語が話せたので困ることはなかった。

そういった現地に行かないと気付かなかったことも含め、ネパールが大好きになった。気候もいい、文化も素敵、なにより食べ物がめっちゃ美味い!僕のいつか住んでみたい国ランキング上位に見事ランクイン。大地震という、辛いことがあったにも関わらず、快くインタビューに答えてくれたり、笑顔で出迎えてくれたネパールの人々に感謝を述べたい。ただ、地震のことについて話してくれているときには笑顔の中にちょっぴり悲しみを感じた。(僕の考えすぎかもしれないが・・・)

%e7%81%bd%e5%ae%b3%e7%ae%a1%e7%90%86%e5%a7%94%e5%93%a1%e4%bc%9a<プロフィール>上嶋佑紀(うえじま・ゆうき)
シャプラニール 国内活動グループ所属(2013年3月~)
2016年7月末~8月上旬にかけて「ネパールのいま」を取材に現地へ。

この記事の情報は2016年9月27日時点です。