リレーエッセイ「私の好きなバングラデシュ」

私の好きな・・・といわれても、バングラデシュを大好きとは今もって言い切れない。複雑なねじれた思いがあるのが、私のバングラデシュだ。

市場を訪れる筆者。

市場を訪れる筆者

30年前、青年海外協力隊員として初めてバングラデシュに足を踏み入れた。空港での混乱と執拗に荷物をチェックする入国管理、荷物運び屋と称して大金をせしめようとする人、物乞い・・・。また、生活を始めてみると、すべてが値段交渉。仕事では足の引っ張り合いと、どう考えても「大好き」になるところを見出すことなどできなかった。

ただ、日本での常識やそれが前提となる議論が「当たり前」ではなく、すべてが根本から考えるという「訓練」、またその積み重ねの「哲学性」、をあの時期に生身の体で体験できたことは、自分の人間形成に非常に大きな影響を受けたことは間違いない。「公正」とか「公平」という言葉には何の意味を持たず、「正義」と「悪」が混沌として、「強いもの」が「正しい」世の中で、いかに自分の考えを推し進めていくことができるか、こうした訓練を嫌ほど実践できたおかげで、その後のシャプラニールでの仕事、そして今日があるのだと思う。

駐在が長くなり、他の日本人の現地での暮らしぶりや考え方にも影響を受けたおかげで、バングラデシュでのよい面も少しずつわかってくるようになったのは、今思えばずいぶんと後になってからだと思う。

2005年愛・地球博にてバングラデシュの乗り物「リキシャ」を引く筆者

2005年愛・地球博にてバングラデシュの乗り物「リキシャ」を引く筆者

日本の道端や電車の中でバングラデシュ人と思える人を見かけると、声をかけてみたくなる衝動に駆られる自分を「きらい」と思っている自分は不思議に思うのだが、こうした「ねじれた想い」は、かの地に長く暮らした人はある程度共通しているのではないかと思う。

私のバングラデシュへの思いは、「大好き」とは言えないが、もう無くしては考えられない自分の体の一部、あるいは自分のアイデンティティーとなっているのかもしれない。

 

BG130202_2953<プロフィール> 筒井 哲朗(つつい てつお)
一般社団法人シェア・ザ・プラネット代表
シャプラニール=市民による海外協力の会 元事務局長、現評議員
1986年、青年海外協力隊でバングラデシュへ2年間の派遣、その後メーカー勤務を経て94年シャプラニール入職、以降バングラデシュ駐在2回(計5年10か月)、理事及び事務局長を6年務めた。2014年一般社団法人シェア・ザ・プラネット設立。

<シャプラニールとの関わり>
1994年1月から2014年7月までシャプラニール事務局スタッフ。うち1994年~1996年、1998年~2001年はバングラデシュ駐在、2008年~2014年まで理事及び事務局長を務める。

この記事の情報は2016年8月10日時点です。

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