カトマンズ事務所では毎週月曜日の朝、会議を行っている。仕事にまつわる先週および今週の動きを各自が発表し、情報共有を行うのが目的である。私を含めて4人の小さな事務所ではあるが、いや、小さな組織だからこそ全員に同じレベルの情報が伝わっていることが大切だと思う。

さて、昨日の朝会でスタッフに喝を入れた。

これまでずっと気になっていたのだが、通常うちのスタッフは声をかけられるまで会議の席に着こうとしない。毎週月曜日9時30分からと決まっていても、だ。今週一週間の予定をホワイトボードに書き出すことが習慣となっているのに、ペンを持って日付を書き込もうとするスタッフもいない。いつも受身で指示を待っている態度に、昨日はとうとう堪忍袋の尾が切れてしまった。

小学生でもあるまいし、30~40代のスタッフに対して「これはみんなのための会議でしょう?時間になったら自発的に席に着けないの?いわれる前にできることはやろうと考えないの?」と言っている自分が一番辛いのだが、このままでは自分の精神衛生上良くないし、不満をためて後で爆発させる方が最悪とエネルギーを振り絞った。それを判ってか判らずか、スタッフの反応は「おう、そうかそうか。次からは私が書きます」とこんなもの。私が望むのは日付を書き込むとか、席に着くということではないのだよ。とほほ。

ありとあらゆるものがヒエラルキー(カーストや貧富の差、教育レベル、その他モロモロ)によって完全に支配されている社会では、考える頭を持つことがむしろ邪魔になることもある。出る杭が打たれぬよう、とにかくみんな用心深い。感じる力を持つことが危険だと体験的に知っているのかもしれない。悲しいことだが。

以前駐在していたバングラデシュでのこと。一緒に働いているベンガル人スタッフにチャンスをやろうとしたら「なんで私にあんな(全体会議で発表)ことをさせたんですか?他の部門はすべてマネージャーレベルがやっているのに、私に何か気に入らないことをしたとでも言うのですか!?」と詰め寄られたことがあった。周りの目もあるし、一担当者が会議で発表することは、彼女にとっては罰以外のなにものでもなかったのだろう。

しかし、私たちは社会の不公平を無くそうと活動しているNGOだ。社会的経済的格差をなくしていこうと、人々が自分の力で権利を獲得できるようにと支援をしている私たち自身が思考能力を持てなかったら、何の存在意義があるというのか。シャプラニールのホームページには「使命&基本姿勢」として以下の文章が掲載されている。

『すべての人が持つ「生きる力」を信じ、「自立への努力」を側面からサポートすることは、単にモノを配ったり、学校などの建物を建てたりすることよりはるかに忍耐が要ります。

少しずつ、失敗をおそれずに、人々のペースに合わせること、甘えのない心地よい緊張関係を続けていくこと。そして私たちの生活の在り方を考えること。シャプラ二ールのこれまでの、そしてこれからのモットーです。』

まずは自分が変わること、カトマンズ事務所のスタッフがそれに気付く日がくるのは、いつになるのだろう。ちなみに上で触れたバングラデシュ人スタッフだが、半年ほどの間で見違えるような変化が現れとても良い仕事をするようになった。時間はかかるだろうが、スタッフの能力を信頼し、自ら考え行動する場を与え持ち続けるしかない。私も自分に言い聞かせながら、相手のペースに合わせていこう。