月曜日の夜からダッカ大学で、学内に駐屯している軍のキャンプ退去を求めて学生たちが抗議行動を起こし、軍・警察と衝突して多数の負傷者を出しました。ダッカ大学では教員たちも学生を支持。学生と教員たちは軍の撤退に加え、非常事態宣言の解除などの要求を出しました。

P1000090.jpgダッカ大学キャンパス内の駐屯軍は退去することがすぐ決まり、昨日の昼には退去が終了したのですが、この抗議行動はエスカレートして昨日全国に拡大し、あらゆる地域の主だった大学で、学生たちと軍・警察が衝突。ラッシャヒ大学内では騒ぎに巻き込まれたリキシャ引きの男性1名が警察の発砲により死亡。午後には学生以外のグループも動き出し、あちこちで道路を封鎖したり、車が燃やされたりし、1日のうちに不穏な空気が全国に広がりました。

写真は我が家のすぐそばのダンモンディ27番通りで昨夕撮ったもの。この通りと交わるシャート・マスジッド・ロードのレストランが放火され、煙があがっているのを見物する人たちの様子です。(たまたま通りがかったのでリキシャの上から撮りましたが、危ないところに野次馬として出かけていって撮っているわけではありません、念のため(笑))

この状況を鎮圧するため政府は昨夜8時より無期限外出禁止令を出しました。また、すべての大学は閉鎖、学生寮にいる学生たちは夜8時までに退去することが命令されました。(ただし夜でもあり、女子生徒については、すぐに出られない事情がある場合はしばらくいてもよい、とされました。)夕方6時ごろから携帯電話も当局の命令により不通となり、報道機関も学生と軍・警察の衝突の状況などを報道することが差し止められました。昨夜取材を行おうとした報道関係者が数名逮捕されましたが、数時間のちに釈放されたとのことです。

今日も外出禁止令は出ていますが、緊急の用事がある場合、許可証(Curfew Pass)があれば通行してよし、ということになっており、許可証が得られない場合は、パスポート、エアチケット、身分証明書などがとりあえずその代わりと認められる、ということになっています。朝になって、携帯電話は部分的に通じるようになったようですが、私の携帯電話は一切通じず、インターネットもできず、外部と一切連絡がとれないので、パスポートと就労許可書をもって事務所に歩いて出てきました。11時を過ぎて、ようやく私の携帯電話も通じるようになったところです。(ただし今夕6時からまた不通になるとのこと)

NHKニュースなどでも報道されたようなので、ご心配くださっている方もあるかと思いますが、私も小嶋駐在員も元気で無事でおります。折りしもシャプラニールを以前から支援してくださっている労組の皆さんがスタディツアーで来訪中なのですが、そのメンバーの皆さんも無事、元気でホテルで待機されています。ツアーの皆さんは明日帰国の予定なので、状況を見ながら空港へ無事お送りする方法を検討しています。今のところ、身分証明書を持って裏通りを歩いたりリキシャで移動するのはとくに問題ない状況ですが、車はたまに救急車が走っている以外、まったく走っていません。大使館からもアドバイスを受け、明日の移動の車には当局からの通行許可証を取得する方向で動いています。

今回の学生たちの動きの広がりは本当に素早いもので、あっという間に全国に拡大しました。エルシャド政権時代の同様な動きを経験しているダッカ事務所のスタッフたちも、そのスピードにはびっくりしていました。各地の学生リーダーたちが携帯でやりとりしていたであろうことは明らかで、それを封じるために当局は携帯のネットワークを閉鎖したものとみえます。しかしバングラデシュでは通常の電話線を引くのはかなり困難で、私も携帯電話しか持っていないので、これが閉じられると一切外部と遮断されてしまい、非常に困ります。携帯以外の通信手段の確保の重要性を改めて痛感しました。

今回の学生たちの抗議行動を昨日ニュースで見て印象的だったのは、女子学生たちの活発な動きです。スタッフたちも、過去にこんなに女子学生が参加した抗議行動はなかったといっています。それだけ社会も、女子学生たちの意識も変わってきたのでしょう。

ここ数ヶ月、まったく改善される様子のみえない物価の高騰、路上での露店の禁止や「違法建築」の強引な取り壊し、ジュート工場など国営工場の閉鎖による大量の失業、政党の活動の禁止などにより、暫定政権やその背後にいる軍、そして非常事態宣言下にあることへの不満はあちこちで高まってきていました。今回の動きは、少しずつ落ちていた水滴がついにいっぱいの水になってコップから溢れるように、ダッカ大学での軍への抗議行動をきっかけとして、人々の不満が溢れ出てきたものといえるでしょう。

バングラデシュでは、独立運動でも、そのきっかけとなったベンガル語公用語化運動でも、運動の先駆けとなったのはダッカ大学の学生たちでした。その他、各地の歴史のある大学、とくにラッシャヒ大学、チッタゴン大学、マイメンシン農科大学、シャバールのジャハンギルナガル大学などは、学生運動が伝統に活発ですが、今回もこれらの大学の学生たちが先んじて動きました。大学が閉鎖され、寮からも追い出され、携帯電話での連絡も制限されている学生たちが、今どんな動きをしているのかはまったくわかりません。

P1000092.jpg今、事務所があるモハマドプールの裏通りは平穏で、向かいの建設現場では工事もしており、時々物売りの声も聞こえます。事務所は基本的に閉鎖していますが、近くに住んでいて安全に歩いてこられるスタッフだけが身分証持参で来ています。写真は今朝8時半ごろ、モハマドプールのタウンホールマーケット前で撮ったもの。店はすべて閉まっていますが、人々はリキシャや徒歩で行き来しています。

しかし、今朝歩いてきたあるスタッフによると、ミルプール・ロードのASA事務所前あたりで、身分証明書を持っていなかった人を、警察が棒で強打しているのを見たとのこと。別のスタッフもモハマドプールで軍人が身分証明書をもっていなかったらしき人を打ち据え、車で連行したのを見ています。

機を見て暴動を起こそうとするグループや、政党関係者があちこちにこそこそと集まっている様子もあり、軍や警察がそれを見つけては蹴散らしているという状況とみられます。とくに茶店やレストランは人々が集まって情報交換したり組織化したりする拠点になるので、小さな茶店でも開いているのをみつけると軍や警察が脅して閉じさせる、といった状況のようです。

シャプラニールの活動地のパートナー団体と連絡をとったところ、とくに今のところ問題は起きていませんが、人々は何が起こったのか、これからどうなるのか、不安を感じているようです。とくに夜間携帯電話が通じなくなり、親戚などと連絡がとれなくなったことで、不安をかきたてられた人は多いことと思います。

昨夜9時半、暫定政権のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問がテレビで国民向け演説を行い、「ダッカ大学の学生たちの要求に答え、キャンパスから軍は撤退させたが、学生の動きに乗じて暴動を起こす人々がいることは遺憾。国民の安全のために外出禁止令を出したが、ごく一時的な措置であり、状況が改善されれば撤回する」と述べました。今日中に撤回されることを期待していますが、どうなりますか。

追記:午後3時ごろのニュースで、「午後4時から7時までの間、外出禁止令を解除する」という通知が流れました。急な外出禁止令で人々は食糧の買出しもできない状況でしたから、この間に皆こぞって買い物することでしょう。

事務所に来たあと10時ごろ、「政府機関含めすべての事務所は閉鎖すること」という通知がニュースで流れ、路上の警官や軍人の数が増えて、IDカードを持っていても逮捕される人も出ている、といった知らせが入ってきていたので、これで無事帰れる、とちょっとほっとしました。

明日どうなるかはまだ不明ですが、ここではふつう金曜日は休みの日で、イスラム教徒がモスクにお祈りに行く日。1週間の買い物をまとめてする人も多い日です。明日も、少なくとも午後には解除されるといいのですが…。