先週、コルカタ出張からダッカに戻った数日後にまた熱を出し、ややこしい感染症だったらマズイ、と思い、仕事を休んで自宅近くの「山形ダッカ友好病院」を訪ねました。院長のエクラスール・ラーマン先生は、日本の山形大学医学部卒で日本語も堪能です。ご専門は外科ですが、この地でウイルス性の下痢や熱、肝炎、腸チフス、デング熱などで先生のお世話になった日本人は数えきれないほどでしょう。

私は先生を訪ねる前に、「パラシタモル」という、ここではどこでも手に入る熱さましの薬を自分で勝手に飲んでいたため、ほとんど熱は下がっていましたが、血液検査や尿検査をしてもらうことにし、その日は自宅で休みました。翌朝結果を聞きに行ったところ、腸チフスやデング熱ではなかったけれど、熱や下痢の原因になる細菌がみつかったとのこと。血圧も非常に低く、血中の成分もいろいろ足りないということで、点滴をしましょう、ということになりました。

もう熱も下がってるし、たいしたことなさそうなのに点滴!そんな大げさな、ポカリスエットでも飲んでおけば十分では、とも思ったのですが、先生は点滴をした上、水やジュースも飲め飲め、とおっしゃいます。とにかく水分をたくさんとって、細菌を洗い流さないとダメ。そうやって毎日水をがんがん飲んで1週間たっても細菌が出ていかなかったら抗生物質を使いましょう、というのです。

検査の結果を聞きに行った日、私はくたくたに疲れてはいましたが、もう熱はなかったしそのまま仕事に行くつもりでした。最初の先生の話では昼休みごろまでには点滴は終わるはずでしたが、予定より長引いた2本目の点滴が終わった後、先生はさらにもう一本入れましょう、とおっしゃいます。結局観念して事務所に電話し、点滴を打ちながら病室でテレビを見たり、時代小説を読んだりして丸1日を過ごしました。

その翌々日が今日なのですが、夕方になって自分がとても元気になっていることに気がつきました。昨日から今日の昼ごろまではまだヘナヘナして気力が出なかったのですが、どうやら完全回復しました。点滴そのものよりも、点滴を打つ、という理由で丸一日追加で完全に休んだことがとても重要だったようです。

信州で地域医療に取り組む医師の色平哲郎先生が、2004年度の文芸春秋のベストエッセイ集にも選ばれた『ケア、人間として人間の世話をすること』というエッセイの中で、こんなエピソードを紹介されていました。

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村人はじつによく働く。

夏、命綱である高原野菜の収穫期ともなれば、午前2時ころから畑に出て、

夜の八時、九時まで猛烈な労働をする。

心身ともくたくたになった農家の人が、たまに「先生、点滴打ってくんねぇかな」

と診療所に来る。

生物学的には、5%のブドウ糖溶液、あるいは0.9%の生理食塩水500cc

の点滴は、カロリー計算すれば大したエネルギー補給にならない。

市販のアルカリイオン水を飲めばいいとの見方もある。

山村に赴任したての頃、点滴を打つべきかどうか逡巡していた私に

大先輩の清水茂文医師(前・佐久病院院長)は「村人の気持ちを察しなさい。

点滴は必要なのだよ」と言われた。

点滴を打ってみて、その意味が理解できた。

顔と顔の安心感は、ウラを返せば互いを監視しあい、共同体内の緊張を高める

ことにもなる。

農繁期、疲労を理由に休んでいると「サボり」と後ろ指をさされる。

しかし精根尽き果てたら労働が続けられない。

その一歩手前で村人は診療所に来て、「合法的に」1、2時間、静かに横たわり、

点滴を受ける。

それは、とても貴重な時間なのだ。

成分分析では推し量れない効果をもたらす。

打ち終わると晴れ晴れとした表情で帰っていく、、、。

(『ケア、人間として人間の世話をすること』 by色平哲郎医師 より)

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私はそれほど猛烈な労働をしているわけでもないし、休んだからとて「サボリ」と後ろ指さされることもないので、倒れる直前まで肉体を酷使するこの村人とは比べるべくもありません。でも、バングラデシュの地で実力もないのに事務所長の看板など背負い、自分よりNGOでのキャリアの長い部下たちに囲まれていると、せめて休みをとらずに働くことで実力不足の埋め合わせをしなければ、と思ってしまい、出張などで休日出勤が続いても代休をとることはしませんでした。それで知らず知らずのうち疲れがたまっていたのかもしれません。

1日かけて打ってもらった3本の点滴、いささかおおげさな感はありましたが、おかげで思う存分休息することができました。ラーマン先生はそこまで考えて点滴を打っていきなさい、と言われたのかどうかわかりません。でも、本当に有難い判断でした。

先生ありがとうございました。点滴、たいそう効きました。またなんとかがんばります。