先日、パートナー団体であるGBKがダッカで共催するワークショップに出席した。ECとICCO(オランダのNGO)の支援を受け、GBKとSEHD(Society for Envoirnment and Human Development)がバングラデシュの紅茶園労働者と、ほとんど知られていない小さな先住民族に関する調査プロジェクトの紹介だった。 

SEHDはバングラデシュの先住民に関して複数の本を出版している。代表者のフィリップ・ガイン(Philip Gain)氏自身、先住民族マンディの出身で、論文だけでなく非常に魅力的な写真を撮る人でもある。

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私が出席したワークショップで配られた冊子「バングラデシュ紅茶園労働者の話(The Story of Tea Wokers)」は、フィリップ氏による同名の著作からの抜粋である。日本でもあまり知られていないバングラデシュの紅茶産業や労働者の置かれた状況について簡潔にまとめられたものである。これから何回かに分けてブログで紹介していきたい。

掲載する写真はすべてインド西ベンガル州ジョルパイグリ県で2011年に撮影したもので、本文とは直接関係ないものであることをお断りしておく。

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<写真:茶摘を終えて昼休憩のために家に戻る女性たち>

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バングラデシュの紅茶園労働者の話* 

フィリップ・ガイン(SEHD

The Story of Tea Workers* Philip Gain

(Society for Environment and Humane Development )

 水の次に世界で親しんで飲まれているお茶は中国が発祥の地といわれている。熱帯および亜熱帯地方で茶の栽培がはじまるまでの4千年もの間、中国の茶農家はほぼ茶の生産を独占してきた。

 インド・アッサムにおける茶葉の栽培は1839年に遡る。バングラデシュではチッタゴンで1840年に試験栽培が開始され、1954年に商業ベースの茶園が作られた。その後、1947年のインドおよびパキスタンの分離、1971年のバングラデシュ独立という歴史的な出来事をくぐり抜けながらバングラデシュの紅茶産業は発展してきた。放棄されたも同然の公有地に作られた紅茶園はイギリスの企業によって整備され、その後経営者が変わった今も継続している。

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<写真:紅茶園の入り口。看板には紅茶園の名前が書かれている>

  現在(2009)バングラデシュには163の紅茶園が存在する。そのうち7つはつい最近パンチャグラ県に作られたものだ。バングラデシュの紅茶園の特徴は。パンチャグラの115,000ヘクタールを除いて、すべてが政府の土地を使っていることである。また、規模が大きく、イギリス植民地時代の遺産ともいえる「シャヘブ(旦那)」と「ザミンダール(地主*)」によって今も管理されている。政府から下付された土地の45%しか茶葉の栽培に使用されていないことは大きな問題である。つまり半分以上の土地が本来の目的から離れた別の用途に使われていおり、茶園労働者の生活に大きな影響を与えている。

 *イギリス支配下のインドのベンガル地方などで、土地所有権を認められ、国家の地租徴収を請け負った領主・地主のこと

 ほとんど知られていないが、インド・パキスタンの分離後、現在のバングラデシュで栽培された紅茶の大部分が西パキスタンで消費されていた。バングラデシュが1972年に独立した後も、パキスタンは紅茶の第一の輸出先であった。しかし、現在ではバングラデシュ国内で生産された茶葉のほとんどは国内で消費されている。2007年、バングラデシュで生産された茶葉は57.9百万キロ。輸出されたのは10.6百万キロ、そのうち82%がパキスタンへ輸出されている。もし、バングラデシュにおける茶葉の生産が伸び悩み、国内の消費がこのまま伸び続ければ、バングラデシュはいずれ紅茶の輸入国となるであろう。そして、2011年には紅茶の輸入が始まったという報告がなされている。2007年世界で10番目の生産量を誇ったバングラデシュではあるが、紅茶はこの国にとって輸出商品としての地位は、もはやゼロに等しい。(続く)