今日(土曜日)昼頃、近所のスーパーから家まで戻るのにリキシャに乗りました。このスーパーは私の家からとても近く、間にある本屋の裏口から表へ突っ切っていくと5分もかかりません。帰りは荷物があるのでスーパーの前からリキシャに乗ってぐるっと回って帰ることが多いのですが、近いのでまあ5タカも出せば上等、というのが相場でしょう。

降りて6タカ払おうとすると、リキシャワラはあと2タカくれ、と粘ります。

「こんなに近いのにそんなに出せないよ。6タカでも多いぐらいでしょ」

「マダム、もう3時だけどわたしゃ昼飯も食べてないんですよ」

「そう。でも無いよ、あと2タカは。」

「10タカあるでしょう、2タカおつりがありますよ」

「出さないったら!」

よくあるやりとりです。ここで「私が外人だからふっかけてるんでしょうが!」と怒ってみせたりすることも。

「わかったよ。いいよ6タカで。でも貧乏人に2タカ出したからってあんた何が困るんだい?」

ほんとです。2タカは日本円にすれば4円足らず。それを出そうが出すまいが、私が困ることはいっこうにないのです。なのになぜムキになってしまうのでしょう。

夕方、食事に誘われて、CNG(天然ガスで走るオート三輪タクシー)に乗り、店のあるグルシャン方面へ向かっていました。国会議事堂の横を旧空港へ向かう道の信号待ちのところで、花を売っている子どもたちがいました。そのうちのひとりは前にも2~3度ここで見かけ、ちょっと話したこともある男の子。年は10歳ぐらいでしょうか。ひょうきんで、愛嬌があって、とても可愛い男の子です。小学校のクラスに一人はいた人気者の子、という感じの子です。

私が、「あ、あの子がいるな」と思ったら、その子も私に気づいたようで、花をもって私のCNGにすっとんできました。「アパ、お花買って。ほら、いい香りでしょ?10タカだよ。ねえ。」と愛嬌たっぷりにせまります。座席の横に無理やり花をおいて、CNGの反対側に回って「ね?」と手を出したりします。子どもがさしだした花束は白いフリージアのような、香りの強い花でしたが、少し開きかけていました。

いつもなら、買わないにしても「小銭がないんだよ、ごめんね」とひとこと言うとか、子どもを拒絶しないような断り方をして、子どもも「バイバーイ」と見送ってくれる(買わなくても)ことが多いのですが、今日はなんだか私の心はかたくなで、「ダメダメ、いらない」と花をつきかえしてしまいました。

信号が青にかわり、CNGが動き始め、私につきかえされた花を受け取った子どもの顔がゆがみました。落胆と疲れ、拒絶された悲しみ。この子のこんな顔は見たことがありませんでした。

走るCNGの中、目的地に着くまで、ずっと後悔していました。たかが10タカの花、気持ちよく買ってやればよかったのに。あの子は花が売れるまできっと帰れない。たぶん近くのスラムに家があって、親がこの子の稼ぎをあてにして待っているのでしょう。

一方でストリートチルドレン支援活動をしながら、路上で懸命に花を売る子を突き放す。貧しい人の収入向上と言いながらリキシャ代の2タカに怒る。私はここで何をやっているんだろう?

CNGがグルシャンの大通りに入ると、両手が肘から切断された男性がCNGに寄ってきました。私がどうしようか一瞬迷った間に、CNGのドライバーが静かに彼にコインを渡し、この男性は次の車へと歩いていきました。