帰任。

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こんにちは。後任の植田への引継ぎも終了し、バングラ駐在員と名乗れなくなった「元」駐在員の菅原です。11月9日でバングラ赴任からちょうど2年半でしたが、ここでの生活も残すところあと数日となりました。ということでこれがバングラ最後のブログになります。
振り返れば「濃密」という言葉がピッタリくる。そんな2年半でした。一つ前の記事で「嬉しさ半分、切なさ半分」みたいに書いたんですが、いやー、寂しいですね。やっぱり。はっきり言ってしまうと快適な日本での暮らしにそれほど魅力を感じないカラダになってしまいました。実家のガレージで眠っている愛しいバイクに乗れないのは寂しいんですが、暮らしていてワクワクするのは圧倒的にバングラです。
あらゆる整備がなされ、モノやサービスが溢れる日本とは比べるまでもなく未完成な社会。しかし未完成であるということは、創意工夫の余地がたくさん残されているということでもあります。ちょっとした工夫や発想で状況が良くなる。そんな大小様々な「スキマ」が仕事、プライベート問わず暮らしの至るところに溢れていて、自分のアクションに対するレスポンスがわかりやすく結果として現れてきます。
この「スキマ」が社会の中で生きている自分という一個の存在を強く感じさせてくれました。人生の真ん中に当事者としての自分が確かにいる、そういう感覚。この感覚は日本にいるときよりもバングラで過ごした今のほうが圧倒的に強く感じられます。そういえば駐在期間中、スタディツアーでバングラに来られた方の中に、こんな風に感想を述べられた方がありました。
『物や最新技術が溢れ豊かになりすぎた日本人が、精神的にも身体的にも弱くなってしまったことがとても心配になりました。日本が失ってしまったものをいくつもバングラで見た気がします。』
私の今の心境もこれに近いものがあります。誤解を恐れず言いますと、バングラに来てから人間が心身ともに健康を保つためには「すこしたりない」くらいの方が良いのではないかと考えるようになりました。満たされた状態が当たり前になってしまうと、元気に過ごせること、物があること、人がいてくれることという実は素晴らしい幸せを、それと感じ取るアンテナが鈍ってしまうのではないか。問題があってもそれを我が事として考えられなくなるのではないか。満たされてしまった日本では「幸福を感じるための装置」としてあえて少しの飢餓感 を自ら演出する努力が必要なのではないか・・・。足し算より引き算で幸福を感じられるとは逆説的ですね。
それにしても「バングラの人たちの生活上の課題解決のお手伝いがしたい」と思って赴任してきたにも関わらず、その結果として人生の当事者としての自覚というか自信というか、そういうものが自分に与えられるとは思いもよりませんでした。
仮に「エンパワメント」を「与えてもらう側から与える側になること」、その結果「自分の人生に当事者としての自信と自覚を持てるようになること」と定義するならば、実はバングラでエンパワメントされたのはむしろ自分自身だったのではないかと思います。自分が得ようとするのではなく、他人に与えようとすることで初めて与えられる。人に支えてもらうことではなく、人を支えようとすることで初めて支えられる。これまた非常に逆説的ですが、そういう循環が世の中に起きていけばいいなと今はそんな風に考えています。
帰国後はそういうことと併せて、バングラの「今」をたくさんの人にお伝えできればと思います。バングラ駐在中にお世話になった数々の方々、本当にありがとうございました。今後は東京事務局スタッフとしての菅原をどうぞよろしくお願いいたします。
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(ダッカ事務所スタッフから贈られた花束とともに。左から元駐在員・菅原、事務所長・藤崎、新駐在員・植田。)
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