1996年の夏から3つの居住区でスラムの実態調査を始めることになった。仏教聖地ボダナートの近くにあるスラムが最初のターゲットだ。このあたりはヒマラヤ登山のガイドとして有名なシェルパ族やカトマンズ盆地を取り巻くように住んでいるタマン族の人たちが多い。チベットから逃れてきた人や隣国ブータンの若者そっくりな衣装を着た人もいて、サリーを着ない私にも馴染みやすい。カレースパイスの香りが漂う市街地のバザールとは違う街の匂いにホッとする。インタビューの対象に合わせてシェルパ族、タマン族、ネワール族(カトマンズ盆地の先住民)、バフン(ネパール語を母語とするアーリア系ヒンドゥ教徒の最上位カースト)とそれぞれ母語が違う4人に調査を手伝ってもらうことにした。
初日の午前中かかって、6、7人の住民と44世帯の住み分け地図を作った。家やポンプ、トイレの場所と所有者を書き込むのだが、姓名を呼び合うことが少ないのか名前が出てこない。2時間後ようやく完成した地図を手に居住区を歩いてみたところ、44番目の家が滅茶苦茶に壊されている。近所の人の話では、地主の家から来た者が竹と麻袋でできた家を壊していったという。家の持ち主は目の不自由な乞食の男性で、観光客相手に仕事をするため朝からボダナートに出かけているらしい。元々家財道具らしきものはなかったから、イスだけが倒れていた。疲れて戻った時、自分の家が屋根も柱もわからないほど潰されていることを知ったら…。その夜、他の住民たちが家を直すのを手伝ったらしいが、翌日は修復できないほどに壊されたため、彼はここを出て行った。実はこの男性の家だけが公有地でなく私有地に建っていたのだ。彼は知っていたのだろうか。初めて知った不法占拠者の凄まじい暮らしだった。
3日目の朝調査員との集合場所に行ってみると、このあたりでは見かけない上等なサリーを着た女性が、5、6人の女性を集めて何か話している。私の姿を見るや否やすぐ姿を消してしまったが、どうやら「○○と答えればお金がもらえるよ」と入れ知恵をしていたらしい。こちらもそういう事態に備えてクロスチェックできる質問を取りそろえているから、そんな入れ知恵で調査の結果が狂うとは思えない。しかし、やっぱり彼らにとって日本人が来ることは即お金がくることなんだと痛感させられた。私は自分の受け入れ先の現地NGOの名を語っていたのだが、住民にとっては「日本人が来た」ことだけが重要だったようだ。前もって事情を話しておいた近所の食堂の主人でさえ、「日本プロジェクトらしいぞ」と店に来る男たちと噂話をしていた。彼らの一方的な期待をどうやって静めればいいのだろう。期待の高まった彼らには、私のやろうとしている小さな試みをどう説明したってわかってもらえそうにない。これが長い付き合いの始まりだった。
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田中雅子(たなか・まさこ)
1967年名古屋生まれ。大学卒業後、会社員を経て留学したイギリスでNGOの活動に出会う。帰国後、シャプラニールスタッフとして勤務した後、1995年よりネパール・カトマンズ在住。現地のNGOとともにスラムの調査を行った。1999年より日本赤十字よりバングラデシュへ赴任。2002年より国際協力事業団の専門家としてガーナに赴任。 |
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