今は2月、ネパールはシシールと呼ばれる風の季節である。風の季節というから毎日風がビュービューと吹き荒れるのを想像していたのだが、そうでもなく穏やかな毎日が続いている。朝晩の冷え込みも緩和されてきて、朝方、布団から脱け出すのも辛くはなくなってきた。
第3回に書いた大家さんの家に奉公しながら学校に通っているアショック君は、大家さん夫婦が長期の旅行で家を留守にしているため、心が開放しきっている。一時期あんなにがんばっていた勉強も今は全くしている様子がない。ネパールの学校はシビアで小学生でも試験で合格点を取れないと落第することもあるので、この分では、7月から始まる来年度もまた4年生なのではないか心配である、…などと人のことばかり言えない。私もネパールへ来て8カ月が経ち、買い物や自分の要求を伝えるのには不自由しなくなったせいか勉強に身が入らない。学校へ通う道々、遠くヒマラヤを眺めながら、バスに揺られカトマンズを離れ空気のきれいな山村へ運ばれていきたい…とうっとりと思うのである。
ネパールは、北にヒマラヤ山脈がそびえ起伏に富んだ地形のため、鉄道はほとんど走っていない。1カ所だけ、南部タライ平野にジャナクプール鉄道があるのみである。そのため、長距離の移動は飛行機かバスでということになる。私はローカルバスが好きだ。方向音痴の私もバスを乗り継いで乗り継いで行くと位置関係がつかめ、今、自分がどこを通ってどこに居るのかがよく認識できるのである。
バスには、運転手の他に2人のチケット売りがいて前のドアと後ろのドアを担当し、発車の合図をしたり、お年寄りが乗ってくると席をつくってあげたりしている。女性に対しても満員バスで体が触れるのを気の毒がってか、よく席を確保してくれるのでありがたい。幼児を抱いた女性がバスに乗ってきたが、そのときは誰も席を譲ろうとしなかった。どうしたかというと、その子供だけ近くに座っていた男性の膝に預けられ、子供は嫌がりもせず安心して見知らぬ男性に身を預けていた。その男性も自分の子を抱くようにごく自然にしていた。そのうちバスが空いてきて母親も席を得たが、子供を連れ戻さず、子供も居心地がいいのかそのまま座っている。ネパールの人は他人との間に隔たりがなく、日本人より他人との距離が近いように感じる。だから優しくする時と同様、怒る時も他人の子供を自分の子供と同じように叱りつけもする。きっとネパールでは当たり前のそのバスの光景も私には新鮮に映り、心の底にほんのり暖かいものを感じるのである。
バスの車窓から見える景色も心を和ませてくれる。山の斜面に段段畑が広がり、秋の収穫期には山積みの稲穂、2月のこの季節は菜の花畑など季節を映し出す。それを眺めていると、田畑で働いているのはいつも女性、草をむさぼる山羊の群れを番しながら、数人で腰を下ろし話しこんでいるのは年老いた男性、では働き盛りの若い男性はどこにいるのだろう?
不思議に思い知人にたずねると、収穫期は家族、隣近所とも総出で農作業をするが、それ以外、毎日の田畑の手入れは主に女性の仕事で、男性は、種の買い付け等の仕事や、または街へ出稼ぎに行ったりするようである。田舎の農村では、息子にだけ教育を受けさせ、娘は家事や畑仕事の手伝い、妹弟の子守りをさせ、学校で教育を受ける必要はないという考えが浸透しているところが多いようである。
だがこの間、夜行バスに乗ってカトマンズへ帰る途中の峠の茶屋で聞いたケースは違った。夜の11時頃であったが、夫婦2人で営業している店にバスの乗客がなだれ込んだので、奥で勉強していた息子2人、娘1人が手伝いに出てきた。チャウチャウ(インスタントラーメン)をすすりながら、「こんな遅くまで大変ですね」と店の奥さんに言うと、「夜中の2時まで店を開けているのよ。子供の教育費にお金がかかるの。息子は公立の小学校だけど、娘は私立の小学校に行かせてるのよ」と。息子より娘にお金をかけるというのはあまり聞いたことがなかったのでその理由をたずねると、「だって娘はかわいいんだもの」と答えていた。
こうした談話が聞けたり、地元の人の生活を少し垣間見ることができるのはローカルバスならでは。行く先々で止まり人を乗せ、中古のバスなので故障して、途中足止めを食うこともあるが、隣の席の人と顔を見合わせ「また故障だ」「お手上げだね」と話し出し、「家はどこだ?」「お父さん、お母さんは、どこにいる?」「結婚してるか?」などと話しているうち、バスはブロロロ〜ッと走り出している。
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岡山純子(おかやま・じゅんこ)
1969年大阪生まれ。大阪芸術大学工芸科卒業後、青年海外協力隊員としてモロッコ王国にて陶器製作を指導。帰国後、陶器工房勤務などを経て、1999年7月より夫とともにネパールのカトマンズに在住。現在はトリブヴァン大学附属語学キャンパス・ネパール語学科に在籍中。 |
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