ある友人から、バングラデシュに来てそろそろ1年経ちますねというe-mailをもらった。いやいや、もうすぐ2年が経ちますと返事を打ってから、なんと2年間は早かったことかと思った。夫の駐在任期が3月末までと決まり、ダッカ滞在も残すところ1ヶ月。やっと慣れてきたところで帰国するのは残念だという気持ちと、帰国すれば日本語で生活できるのだという嬉しい気持ちが入り交じる。
2年間を振り返ると、のんびりと「専業主婦」をしていたためか、あまりつらい思いはしなかった。しかし「じゃあ、またバングラデシュに来たいと思う?」ときかれる度に、一寸返事に詰まってしまう。バングラデシュ人の友人には「ぜひまた来たい」と答えているが、この国の不便・不都合も多少味わったので、ずっとここで暮らしたい、とは言い出せない。
友だちになったダッカの中流層の人たちもスラムで会った人たちも、乞食をして暮らしている人たちも農村の貧しい村人たちも皆、この国で生き続ける。私がどんなにここの人たちと同じ服装をし、同じ言葉を話し、同じものを食べたとしても、いつか私は日本に「帰る」ことになっている。それでいいんだという気持ちと、いや、いいのだろうか、なぜ日本なのだろうか(そこで生れたから?私が日本人だから?)という疑問を持ちながら、もうすぐバングラデシュを去る。
■大家さんに恵まれてよかった!■
2年前ダッカに着いた時、最初に私を迎えてくれたのは、大家さん一家だった。一軒家の1階に大家が、2階に私たち、3階にはアメリカ人が住んでいる。
大家さんのことを知っている日本人は口を揃えて、こんなにいい人は滅多にいない、ベンガル人にはめずらしいタイプだ、と言う。そんな大家に恵まれたことは、私のここでの生活を安全で快適なものにした。
大家さんちには、お父さん、お母さん、長男夫妻、次男、娘の6人が住んでいる。お父さん(私は彼のことをバングラのお父さんと呼んでいる)は、76歳。歌手として映画にも出たことがあるそうだが、今は学校と家で生徒に歌を教えている。お母さんは56歳。お父さん共々、敬虔なイスラムの信者で、日に5回の祈りを欠かさない。どんなお客さんも大切にもてなし、貧しい人が来れば「あげるお金はないのよ」と言いながらもご飯を食べさせ、時には手元にある小銭をあげる。
長男は34歳、外資系の会社勤め。妻は大学を卒業し、今は家にいる。次男は24歳、学生。末っ子のアレアは養女だが、とても大事に育てられた。今では家の仕事を(お母さんに代わって)彼女が中心に行なっている。アレアは私が来てすぐのころ、バザールでの買い物を手伝ってくれたり、下手なベンガル語の練習相手になってくれた。
こんな人々と家族の様な付き合いができたことが、私の暮らしを楽しく豊かにした。私たちの外出時と帰宅時には「いってきま〜す」「ただいま〜」のあとに世間話。夕方には、しばしばお茶の時間を一緒に過ごす。ときには「食べてね」とおかずを分けてくれる。もちろん来て欲しくない時にウチに来られたり、わずらわしいなあと思うこともあったが、そんなこともいい思い出になりそうだ。
■でも、やっぱりストレスはあった■
以前も書いたが、この国でははっきり「階級社会」あるいは「身分社会」が形成されている。それは「カースト制度」のような、生まれた時から階級・職業が決まっているというのとは異なるが、皆が自分の「身分」を認識してその枠の中で生活し、身分の高い人も低い人もそのことに疑問を持ったり踏み越えようとしないで生きている、そういう「階級社会」が存在している(ように思う)。
その枠組みの中で、私はいきなり「高い身分」に位置付けられてしまった。言い方を変えれば「外国人特権」の枠にはめられてしまった、というところだ。日本とバングラデシュの経済格差を前に、日本では決して高給取りではない私たちでも、ここでは金持ちである。と同時に、何かと「身分の高い者」としての扱いを受ける。しかし「高い身分としての自分」を、私はなかなかうまく受け入れられなかった。
とくに「身分が低い」人に対する接し方では、慣れないのでストレスになった。「身分の高い者」は、常に自分が使う立場だということを自覚し、それなりに振る舞う必要がある。「使われる身分」の人たちは、いつも指示されることを待っているのだ。それは日本の社会での(会社等での)上下関係とはまた違った関係だ。ウチの「使用人」や、時には夫の職場のドライバーや雑用係は、私の指示があってはじめて「動く」。
最初のうちは、ベンガル語もうまくしゃべれず、指示したいことが相手にちゃんと伝わるのに随分時間がかかった。その上「私が人を使う」以上、「使われる人」が私の指示と違うことをしたり、ミスをしたり、仕事の手を抜いたりした際にはそのことを注意し、叱らなくてはならない。そういう時に自分が怒っているという態度で、それは違うということ、どう違うかというは、気持ちの上でもしんどかったし、それだけのベンガル語の能力も追い付かなくてつらかった。
■「自分は女だ」と強く感じるとき■
その1、女性の服装。バングラデシュでは女性は肌を露出しない。とくに脚は見せず、足首まで覆われた服を着る。また、胸と腰のラインを布をかけて隠す。結果、民族衣装のサリー(既婚女性)や、サルワ・カミューズ(主に未婚女性)を身につけることになる。
それで私も、サリーを着て過ごしていた。他の外国人女性に倣って、サルワ・カミューズを着ることもあった。最初は暑くて暑くて、体を覆う布の少ないTシャツと半ズボンがとても恋しかった。でも「私は女」である。ウチの近所は皆ベンガル人だ。ただでさえジロジロ見られるのに、服装まで男みたいにする勇気はない。幸い私がサリーを着ることを知り合いのベンガル人は皆喜んでくれた。また慣れると着ごこちも良く、大好きになった。実は今では、ピッチリして露出度の高い、「オトコが着る様な」洋服が再び着られるのか不安なくらいだ…。
その2、女性だから馬鹿にされること。例えばリキシャやベビーに乗るときや、食材の買い物では、夫と一緒のときより、私1人の時のほうが高くふっかけられがちだ。ごくわずかな額の差だが、度重なるとついカッとしてしまうことがある。値段交渉は夫がすれば男対男の交渉事。しかし私が同じことをすると男対女となり、相手はこちらをなめてかかる。女性の場合は男性の2倍か3倍頑張って、やっと乗り物を拾い、目的地に着く。「それって、東京で電車に乗って目的地に行く時には有り得ないことだよな〜」と思うと、つくづく「自分は女だ」と感じる。
その3、女性だから、行動が極端に制限される。深夜1時に地下鉄に女性1人で乗っても、あまり危険を感じない日本の方が異常かもしれないが、そんな日本から来ると、夜の1人歩きどころか昼間でも「なんで女一人で買い物してるの?」という目で見られる、すべて男の店員しかいない国には、なかなか慣れない。「とりあえず、あんたは外人だからまあいいだろう」と思われているから、こちらも強気で買い物するが、雑貨屋で男の店員たちに次々とセクハラ発言されたような日には、体のすみずみまで疲れてしまう。
外国人がめずらしいからか、「女性」が外を歩いているからか、実は私がとても美しいからか(!?)知らないけれど、ここに住んでもう2年も経つのに、家の300メートル先を歩いているだけで、無遠慮にジロジロ私を見続ける男たちには「あんたたち、もういい加減に私のこと眺め回すのは、やめてちょうだい」と言ってみたい。だんだん、外出するのがおっくうになる。最も「オトコに見られるうちが華」と思うのなら、バングラデシュで暮らすのも悪くないかもしれないけどネ。
■最後に■
わずか2年間の滞在だったが、今回初めてイスラム教の国に暮らす機会を得、世界中に広がる「イスラム社会」がどんな風かということを、少しは想像できるようになったのが、何より大きな収穫だった。またクリスチャンである自分にとって、イスラム信者から学ぶこと、考えさせられることも多く、そういう意味でも良い経験となった。
最終回に少し愚痴っぽくなり、申し訳ない。バングラデシュは「嫌いと同時に好き!」だ。
97年〜99年滞在時の日記は以下でご覧いただけます。
白幡めぐみ(しらはた・めぐみ)
1967年千葉県生まれ。大学卒業後、アメリカのNGOでインターンとして1年間ボランティア活動に従事。帰国後の92年9月から97年3月までシャプラニールのスタッフとして東京事務局勤務。97年から99年までバングラデシュの首都、ダッカに在住。2001年8月から2005年12月まで、再度夫の白幡利雄(シャプラニールダッカ事務所長)とともにダッカに滞在。
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