8月5、6日ダッカで、9、10日マダリプール県のラジョール村で、森法房さん(※注)率いる山口県の12人が、福島菊次郎さんという戦後の日本を撮り続けた写真家の写真展を催した。福島さんのコレクションの中で、原爆が投下された後の広島・長崎と、日本の経済成長の影にあった公害問題が今回の写真展では取り上げられた。どちらも日本から世界に発信すべきテーマではあるが、ダッカの生活に慣れてしまった私には何年経っても企画できなかったことに違いない。バングラでは日本では考えられないことが沢山ある。交通規則もゴミの分別収集もない。生活排水は垂れ流し、農薬や化学肥料の規制などあってなきがごとし、空気は鼻の穴が真っ黒になるほど汚い。生活者の最大の関心事は、この環境の中でいかに自分を守るかであり、根本的な解決方法ではない。私も恥ずかしながらそんな一人であった。悩みだしたら、きりがなくなりそうで不安でもあった。また、一方で先進国で便利な生活を謳歌してきた私たちが、物質的な発展を強く望むベンガル人に公害の存在を知らせ、釘を指そうとするのは、厚かましくも感じられた。
私もここにに初めて来た頃は、日本が犯した失敗を繰り返さず健全な経済発展をしていけばきっとバングラは素晴らしい国になると考えたし、その為に日本人が発信できることは多いと思っていた。しかし、様々な出来事があっていつしかそんな志は忘れてしまった。
当初、私の家にはスラムに住む貧しい家庭の女性が使用人として働いていた。彼女は働き者で家をいつもきれいにしてくれたが、私がどうにも我慢ならなかったのは洗剤類の消費量だった。例えば洗濯石鹸は1日1つ、台所洗剤は1週間に1本、クレンザーと漂白剤は月にそれぞれ1袋、と全てこのペースで使い果たしていく。それに合わせて水も激しく使う。私は洗剤の使い過ぎから来る健康面、環境面の弊害について何度も彼女に話をしたが、どうも伝わらない。それだけの量の洗剤を垂れ流して将来被害を受けるのは、まず彼女のようなスラムに住み貧しい生活をしている人のはずなのにその因果関係は理解できない。それよりも何故金持ちであるはずの外国人が、洗剤ごときにケチケチするするのか不思議に思っていたに違いない。他の回りにいた日本人も私を神経質だと思っていたようだ。しかし、日本列島を公害の嵐が吹き抜けた70年代に生まれ、その恐ろしさを小さい頃から刷り込まれた私には、自分の家庭でこのようなことが起こることが耐えられなかった。最終的に自分の生活は自分でしか守れないと結論づけた私は、その後一人で家事をやるようになったが、その経験から学んだことは、彼女のようにその日食べるのに精一杯な人に何年か先の環境のことなど話しても簡単には伝わらないということだった。
これは小さなできごとだが、こんなことの繰り返しが「バングラではあがくだけ損」というあきらめの殻で自分を覆うことになってしまった。だから今回山口県の仲間がダッカだけでなく村でも写真展を開くと聞き、一体どんな反響があるか、とても興味が湧いた。もしかしたら自分の殻を壊すきっかけになるかもしれないと思い、私も写真展を手伝わせてもらうことにした。
ダッカでは予想通りNGOの職員やマスコミ関係者など原爆や公害問題に高い意識を持った人々が殆どだった。既に幾つかのNGOは公害対策を活動の一環にしているとのことで、公害についてとても深く理解している人もいた。もっともこの人達はダッカで日々大気汚染に苦しんでいるからそれも当然と言えるが、村は違う。見学者の大半は公害について何の知識もない学校の子どもたちや、GUP(※注)というNGOのショミティのメンバーだ。その人たちの多くは写真に付けられたベンガル語の説明書きを読むこともできない。
実際ある女性はGUPのスタッフから写真についての説明を一通り聞き、とても良く分かったと言ってくれた後で、「実は1歳の娘が病気でGUPの病院に来たのだけど先生が写真展に行っていると聞いて(その日は休日だった)ここまで来た。どうにかしてもらえないか。ここに来た交通費も都合してもらえないか」と訴えた。この時もやはり公害問題なんてベーシックニーズが満たされた後で初めて考えることか、という気持ちがよぎった。
そんな疑問は今でも残るがそれでも写真展は大成功だった。動員数は2千人以上であり、幾つものマスコミにも取り上げられた。見学者の多くは深い感銘を受けた様子で、何人もの村人から「日本のこんな歴史は知らなかった。とても悲しい。私たちの国が同じ道を歩かないように気を付けたい」との感想を聞くことができた。これから先具体的に何をすべきかまでは考えられなくても、人間が好き放題にしていったら将来恐ろしいことが起きるというメッセージは充分伝わったようだった。
今回の写真展の成功の鍵は3つあった。まず、森さん達に本当の日本をバングラに伝えたいという信念があったこと。次にGUP側がこれからのバングラデシュにはベーシックニーズの充足だけでなく、環境や平和の為の行動も必要だとの理解を持っていたこと。そして福島さんが生涯をかけて撮った写真には、国境を越えベンガル人にも理解させるだけの迫力があったこと。この3つが上手く結びつき、写真展は成功した。
この成功は私の心にも大きな変化をもたらした。今まで私はこの社会で自分を活かせる機会なんてないと思っていた。しかし、写真展に関わった人たちが「そんなに難しく考えずとも、一人の外国人生活者として、色んなことを見直したらできることは沢山あるはずだ」と私に気付かせてくれた。今まで私は結果を焦りすぎていたのかもしれない。私がこのエッセイでふれた2人の女性も、お祭り騒ぎで写真展に来ていた子どもたちも、今すぐには行動に移せなくても、心のどこかに私たち日本人からのメッセージを残して置いてくれるかもしれない。今はそれで充分なのだろう。
(※注)森法房さんは山口県立大学の教員で、10年以上前から山口県の仲間と共にバングラデシュに来られている。写真展の主催は、いきいきアジア交流&人間いきいき研究会(シャプラニール山口いきいき連絡会)とGUP(ゴノ・ウンノヨン・プロチェスタ)というNGOであった。
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石山民子(いしやま・たみこ)
1971年3月生まれ。埼玉県出身。社会福祉学専攻。大学卒業後、1995年7月より10カ月間、ボランティアと語学研修の目的にてバングラデ
シュに滞在。帰国後東京都内にある老人保健施設に相談指導員として働く。夫であるシャプラニールスタッフで元ダッカ事務所長の筒井哲朗とともに1998年3月から2001年夏までダッカで暮らした。現在はアジア砒素ネットワークに勤務する。 |
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