先月はインド古典舞踊を習っていることを書いたが、今月はもう一つの習い事、 「ノクシカタ」について書こう。ノクシカタは動物や木や人、日常生活用品など身の回りのものを多様なステッチで描き出す刺繍のことである。これらの図柄には豊作や子孫繁栄など人々の願いが込められている。そしてこの刺繍の特徴は模様の部分だけでなく布地全体に刺し子をするところにある。私もバングラデシュ
に関わるようになって数多くのノクシカタを見てきたが、まさか自分が挑戦することがあるとは思わなかった。細かいし、不器用な私にはとても大変そうに見え
たからだ。しかし、一年近くまがりなりにもこの刺繍を続け、意外なことに今では楽しんでいる。
自己弁護をするわけではないが、アーロンやクムディニのような輸出用の高級なノクシカタを扱う店の商品ですら、一つひとつの絵に注目するとぴーんと美しい物ばかりではない。亀の甲羅がはみ出していたり、人の口と目が同じ高さにあっ
たり、きっと作った本人はこれが亀や人だと意識して作っていないのではないかと疑いたくなるような絵が結構多い。緑と紫の魚がいたり、椰子の木の上に何故
か櫛があったりと、非現実的な世界である。しかし、それら不完全なものたちの集合体はとても躍動感があり、迫力のある作品に仕上がっている。最近極一部で写実的で非常に細かいノクシカタも売られているが、それらの作品とは違ったユニークさを伝統的なノクシカタは持っている。私も一作品作り終えて気付いたのだが、目が揃っていなくても、少しくらい下絵とずれてしまっても、最終的には結構絵になる、そんな懐の深さがノクシカタの魅力のようだ。
ノクシカタの歴史も興味深い。ノクシカタはもともと着古してすり切れたサリー やルンギを何枚か重ねて縫い合わせ、ふとんや小銭入れなどとして使われていた簡単な刺し子だった。普通はデザインせず直線に縫ってあるだけだ。それを「カ
タ」という。「ノクシ」はデザインの意味である。カタはインド地方で紀元前か らあったようだが、今でもその製造風景を農村の軒先で見ることができる。作り
方を簡単に説明すると、用途に合わせて切りそろえた布を水に濡らして、土の上に何枚か重ねていく。端々を植物の大きな棘で止めてから仕付縫いをする。後は女たちが暇なときに何センチかおきに刺し子をしていく。手間がかかる作業だ。
私もベンガル人の家庭でカタを何度か寝具として使わせてもらったが、使い古されてすっかり柔らかくなった布を、しっかり糸で縫い合わせてあるので独特の柔
らかさとしっとりとした重みがあり肌に馴染む。
ところで、皆さんにも子どもの頃お気に入りの柔らかい布が無いと眠れなかったなんて経験があるのではないだろうか。私の場合は、もうすり切れてしまっている毛布カバーがないと落ちつかなかった。日本では、そんなものをいつまでも持っているとお嫁に行けない、などと大人に言葉巧みに取り上げられてしまうのが普通だが、カタの中にはそういった人間の習性のようなものが残されているよう
に思える。
ベンガル人はとても寂しがりやだ。彼らが一番恐れることは夜一人で眠ることで ある。大人の男性でも人によっては一人で眠ることを嫌がるほどだ。だから私たちが旅先で一人部屋に泊まっていると皆が「恐くないか」と心配してくれる。
私は以前、田舎の女子寮にいたことがあったが、そこには孤児たちも何人か生活 していた。彼女たちと親しくなり、部屋に遊びに行った時「私には家族がいないからカタが一つもない」と言って、他の子どもの寝台に置かれたカタを羨ましそ
うに見ていたのをよく覚えている。たとえ離れて暮らしても、家族がいれば家族 の匂いの染み込んだカタにくるまって眠ることができる。そういった意味でカタ
は家族の絆その物のように感じられる。寂しがりやのベンガル人がカタを愛したのも納得がいく。
カルカッタに行った折り、ベンガル地方のコレクションを展示してあるグルサダ イ博物館という所で、19世紀のノクシカタを見ることができた。大小合わせ50以上の作品があったが全て現バングラデシュの地域からでたものだ。中にはイギリ
ス兵とインド人の地主達の世界を描いた興味深い作品もあった。全ての作品は非 常に細かく、デザインも見事で、見るものの心を動かす力があった。田舎で使わ
れていたシンプルなカタが、どういう風にこうした芸術と呼べるものを作りだしていったのかあまりはっきりしたことは言えない。しかし、この原稿を書く為に何人かに聞いてまわったところ、ある人から「400年以上前にジョソール(現バングラデシュ西部の県)にヒンドゥー教の12人の王がおり、その王達が大きなカタの上にドゥルガ神の像を施させたのがノクシカタの始まりだった」という興味深い話を聞くことができた。
最近では環境も変わり、おっくうがって、カタを作る人が減ってきた、と聞いた。 経済的に余裕があれば、買ったふとんのほうが面倒もないし、温かくていいと言うのだ。人々が便利なものを求める気持ちを止めることはできないが、村人が集まってカタを作ったり、カタが晴れの日に干されていたり、そんな牧歌的な風景がバングラであまり見られなくなってしまったら寂しい。商品としての洗練され
たノクシカタだけでなく、人間くさいカタも残していって欲しいものだ。
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石山民子(いしやま・たみこ)
1971年3月生まれ。埼玉県出身。社会福祉学専攻。大学卒業後、1995年7月より10カ月間、ボランティアと語学研修の目的にてバングラデ
シュに滞在。帰国後東京都内にある老人保健施設に相談指導員として働く。夫であるシャプラニールスタッフで元ダッカ事務所長の筒井哲朗とともに1998年3月から2001年夏までダッカで暮らした。現在はアジア砒素ネットワークに勤務する。 |
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