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パキスタン大地震、バングラデシュでの反応は?
10月8日に発生したパキスタン大地震。その日は土曜日で事務所は休み、のんきに昼寝をしていた私は小嶋駐在員の電話で起こされました。「藤岡さん、テレビ見ましたか?インドやパキスタンのほうで地震があって大変ですよ。」慌ててテレビをつけ、ケーブルTVのチャンネルをパキスタンの放送に合わせると、崩壊したイスラマバードの高層アパートが映っていました。インドの放送を見てみると、こちらはアナウンサーがカシミールで大変な被害が出ていることを伝えています。その日はテレビとパソコンに張り付いたまま日が暮れました。
前の駐在員日記でお伝えしましたが、10月8日はラマダン(断食月)が始まって2日後。バングラデシュの人々と同じように、パキスタン北部の人々も、インドのカシミールの人々も、一日の断食後、日暮れのアザーンと同時に家族や友人とイフタールの食卓を囲み、祈りをささげていたことでしょう。今年初めて断食に挑戦し、どきどきしていた子どもたちもいたはずです。地震が起こったのは朝。明け方食事をしたあとまた眠りについて、眠たい目をこすりながら仕事や学校に行く準備をしていた人も多かったでしょう。一日にしてあまりに多くの命が失われ、その後も失われ続けています。冷たい雨に震える被災した人々。聖なる月のこの大災害に、人々はどんな思いで神に祈っているのでしょうか。
この地震を受けて、バングラデシュではどんな反応が出ているの?と日本の友人から訊かれました。イスラム連帯論で助け合おうという論調?それともバングラデシュの人はパキスタンのことは今もよく思っていないの?という質問。
バングラデシュでこの地震を受けてまず出てきたのは、「バングラデシュもパキスタンと同じプレート上にあり、大地震は起こりうる。起こったらどうなるか?」という話です。地震の4日後、10月12日の英字紙デイリー・スターのダッカ版は、大きな記事でダッカがいかに地震に弱いかということを伝えました(写真)。もともと地盤が弱いことに加え、最近の無計画な高層アパート建築ラッシュ。古い建物が密集するオールドダッカ。地震も何もなくても古い繊維工場の建物がいきなり崩壊し、多くの犠牲者を出しているような国のことです。考えるだけで恐ろしい気がします。
この記事で「今回のパキスタンの地震と同規模の地震があったら、ダッカでは数十万人が死ぬだろう。」と予告しているのは、シャプラニールのダッカ事務所のアドバイザーでもあるBangladesh
Disaster Preparedness Center(BDPC)のサイドゥル・ラーマン氏。BRAC大学のチョウドリー教授も、「少なくともダッカの40%の建物が崩壊する」と述べています。
記事によれば7日以内に防災大臣が関連省庁に呼びかけて地震対策会議を開き、アクションプランを作る、とあります。その後この会議が実施されたかどうかは確認できていないのですが、あちこちで地震に備えた防災対策会議が開かれ始めたのは事実のようです。これを機に建築基準法(93年にできたNational
Building Codeというのが一応あります)の実施の徹底、都市計画の見直しなどが多少なりとも進めばよいのですが。
話は変わりますが、アメリカにカトリーナが上陸し、ニューオーリンズが水浸しになったときのこと。あの状況を映像で見たバングラデシュの人々はずいぶん驚き(日本人も驚きましたが)、いろいろなことを思ったようです。ダッカ事務所のスタッフの一人は言いました。「僕たちの国は毎年のように洪水に見舞われて、腰まで水に浸かるような光景は見慣れている。でも(アメリカよりは)もうちょっとましに食料配布もしてるし、あんなふうに略奪が起きたりしない。洪水の時はみんなで助け合っている。それを思うと、僕らの国もそんなに悪くないかも。」私も本当にそうだなあ、と思いました。
日本は地震が多いだけに、海外の地震被災者にはとてもシンパシーを感じます。洪水が多い国の人は、やはり他国の洪水の状況に心が向くようで、バングラデシュの洪水の救援時にもっとも熱心に取り組んでいる国のひとつはオランダだそうです。どーっと一度に来るのではなく、ひたひたと水が増していき、腰や胸の高さまできてしまう水害の怖さ、大変さが、オランダの人々はきっと実感としてわかるのでしょう。
地震の話に戻りますが、今回の地震以来、諸外国政府からの救援を受け入れていなかったインドが、バングラデシュからの救援は受け入れることになったと10月19日夜のテレビニュースが伝えました。薬、食料、衣類などが送られるそうです。政治的な思惑もあってのことかもしれないけど、と言いつつ、このことを私に伝えたダッカのスタッフは嬉しそうでした。パキスタンにはすでに10月12日、毛布や薬、食料を載せたバングラデシュの空軍機が飛び、その後も救援物資は送られています。医療チームを派遣したバングラデシュのNGOもあります。バングラデシュもいつも「援助される国」でばかりいるわけではないのです。
(2005年11月1日追加)
バッグナンバー
第一回:急速に変貌するダッカ(2005/6/14)
第二回:そぞろ歩きはダッカ市民の楽しみ(2005/06/25)
第三回:ベンガル語と格闘しつつ仕事開始!(2005/08/07)
第四回:土曜の午後はプロボルトナで(2005/08/07)
第五回:ジュート収穫の季節(2005/09/08)
第六回:ラマダン(断食月)が始まった(2005/10/27)
第七回:パキスタン大地震、バングラデシュでの反応は?(2005/11/01)
第八回:若者が始めた「我らバングラデシュ」バンド(2005/11/30)
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