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ストリートチルドレンのケーススタディ <バックナンバー>
モニ(仮名:14歳・男) の場合
家族構成家族は両親と5人兄弟(男2人、女3人)。小さいときに父親を亡くし、その後まもなく母親、きょうだいと共にジャットラバリ(シャプラニールの支援するドロップ・インセンターがある地域)の近くにあるドライパールへ移ったが、12歳の時に家を離れ路上生活を続けていた。
昨日したこと昨日の朝は六時半に起きて、顔を洗って、歯を磨いた。外の店で10タカ(注1)のルティ(小麦粉で作ったパンのようなもの)を食べてから、くず拾いに出た。(収入は)15タカになった。
それで米を買ってドロップイン・センターに戻ったのは朝10時くらいだったな。料理してから水浴びして、からし菜油(注2)を頭につけて、きれいに梳かしてから食事をしたよ。その後ビデオのドラマを見て、ゲームをして遊んだ。眠くなったんで昼寝をした。5時くらいからくず拾いをしにかけた。稼ぎは30タカになった。それからまたドロップイン・センターに戻って夕食を食べて、テレビを見て8時頃に寝た。
ダッカの南西にあるビクロンプールで7人家族(父、母、男2人、女3人)とともに育った。小さいときに父親を亡くし、その後まもなく母親、きょうだいと共にジャットラバリ(シャプラニールの支援するドロップ・インセンターがある地域)の近くにあるドライパールへ移ったが、12歳の時に家を離れ路上生活を続けていた。
バングラデシュの通貨単位、1タカ=約1.8円(2003年10月現在)
注2 からし菜油:
からし菜の種からとれる油で、寒い時期に体に塗ったり髪につけたりする。女性の髪にはからし菜油ではなくココナツ油をつけることが多い。
家を出た理由
父が亡くなった後、モニはフェニ(ダッカの東南)のおじのところに預けられた。そこで4年生まで勉強したが、母親の再婚に伴いダッカへ引っ越しをしたため中断された。母親の結婚相手は警察で仕事をしている男性だった。
ダッカへ来て間もなく、おじがジャットラバリで小さな食堂を始め、モニはそこで手伝いをしていた(その食堂は経営がうまくいかずおじは後日手放すことになる)。
暴力をふるう義父に耐え切れず約2年前に家を飛び出し、ストリートチルドレンとなった。
路上での暮らし
路上で寝ることは辛い、とモニは言う。交通量が多くて熟睡できないのに加えて、大人がモニのようなストリートチルドレンたちへ暴力を振るったり、性的な嫌がらせをするからだ。
警察が暴力を振るうこともあるという。モニはナイトシェルターの利用が始まるまで、ジャットラバリ交差点にある歩道橋の下か、ショマドマーケット(ジャットラバリ交差点の近く)の階段で寝ていた。母方のおばの家に行って寝ることもあった。くず拾いをしたり、ジャットラバリ近くの魚市場やバナナ市場で働いて金を稼いだ。
早朝から朝の9時ぐらいまで仕事をして、少ない時で30タカ多い時なら100タカくらいの稼ぎとなった。食事は近くの食堂でご飯、ポロタ(多めの油を使って鉄板で焼いたパン)アルボッタ(マッシュポテトにタマネギや唐辛子、油を加え団子状にまとめたもの)、ダル(豆のスープ)などを食べ、稼ぎが良い日はちょっと贅沢に鶏カレーを食べることもあるし、近くに住む姉の家に行って生活費を渡してやることもある。ナイトシェルターが利用できるようになるまでは、夕方いつも服を着替えてから外に出たんだ。夜は道で寝るから汚れるし、きれいな格好をして外にでると危ないからさ。
ある夜、大人たちが少女をレイプしようとしているのを目撃した。止めに入ったが、体の小さなモニでは太刀打ちが出来なかった。もし同じようなことに出くわしたら、警察に知らせて今度こそ阻止するんだと言った。路上に生きる女の子たちが、ある年齢を境に売春に関わっていくのをモニは目にしている。父親がいなかったり、父親がいたとしても家族を支えるだけの収入がなかったり、そんな状況におかれた女の子の多くが自分の体を売って金を稼いで来いと自分の親に強要されていることも知っている。しかし、ドロップインセンターに通うようになって女の子たちは売春から少しずつ離れて、魚市場で手伝いをしたり、バナナ市場で働いたりして収入を得るようになっているのは良いことだと感じている。
オポロジェヨ・バングラデシュと出会ってから
ドロップイン・センターのスタッフはモニについてこう言っている。
「変化はとてもゆっくりだが着実なものだと思っている。以前は盗みを働いたりしていたが、今はほとんどしなくなった。母親の再婚が彼の心の中に大きな傷を残している」だが、母親は今年の7月に亡くなっており、このことについてモニは多くを語ろうとしない。スタッフは続けた。
「母親の死によって、モニは『もう戻るところはない』という気持ちになったようだ。モニの実兄が最近ドロップイン・センターによく現れてモニを引き取ると言っているが、目当ては自分の稼ぎだと感じるモニは拒否している。もしモニが兄の元に行ったとしたら、おそらく勉強を続けるチャンスは奪われてしまうだろうし、何よりも本人に意思がない状況で家族の元に戻ることを強制するのは、今の時点で適切な判断ではないと考えている」
ドロップイン・センターは自分の家みたいだ。安心して寝られるし、テレビも見られる。勉強をまた始めたし、自分の名前や母さんの名前をベンガル文字と英語の両方で書けるようになった。以前は気にもならなかったのに、今は毎日水浴びをしなくちゃ気持ち悪いんだ。ナイトシェルターも始まって良かったな。夜に外で寝るのは危険だからね。将来の夢?そうだな、電気技師になりたいな。稼ぎの安定した仕事につくためにドロップイン・センターで職業訓練をしてくれればいいんだけど。
ハシュ(仮名:15歳・男)の場合
家族構成
両親と6人きょうだい(男3人、女3人)。父親は日雇い労働者として様々な仕事をしてきたが、現在は健康を害し長男とともにジャットラバリ近くのドライパールに住む。
ストリートチルドレンになった理由
家族を捨てることを決心した時、ハシュはわずか8歳だった。父親はスイッチ工場で仕事をするようにハシュにプレッシャーをかけた。ハシュはその仕事がいやだったし、暴力を振るったりひどい言葉を浴びせ掛けたりするボスが何よりも嫌いだった。それでも仕事をするしか選択肢はなかった。ぎりぎりの生活の中では、学校に行きたいというハシュの気持ちなど顧みてくれる人は誰もいなかった。
せっかく通っていたBRAC(バングラデシュのNGO)の小学校も途中で止めざるをえなかった。
一番上の兄は気性の激しい人で、ハシュはいつもその兄のことを恐れていた。母が亡くなり、家族との絆も失ってしまった。ある事件を巡って誤解が生じ村の若い者たちから脅かされたこともあり、命の危険をも感じた彼は脅迫された翌日に村を出て、それ以来ストリートチルドレンとなった。ジャットラバリ地域で生活するようになってからは少なくとも3年が過ぎている。
その後水運び(注1)の仕事を始めたが、罰と言って目に唐辛子の粉をかけるような人のもとで仕事をした。ハシュがすぐにその仕事を辞めたのは言うまでもない。ストリートでの生活は、少しずつだが確実な変化をもたらした。初めて味わった「自由」の味。誰にも邪魔されない生活は本当に素晴らしかった。食べ物を分かち、身を寄せあって寝た仲間との間に育つ友情。家や仕事場で感じた苦しみや心の痛みは、仲間と目的もなく歩き回るときだけは忘れることができた。
とにかく食べるために働いた。仲間と一緒に盗みもした。盗んだ野菜や果物を別の場所で売るのだ。武器を運んで一日に2~500タカを稼いだこともあった。麻薬も売った。
水運び:都市でも水道の設備が整っていない場所があって、家事で使うための水をバケツで運ぶ仕事があり、子どもが担うことが多い。
ハシュの今の仕事
卵屋で働くと朝で15タカ、夕方で30タカになる。くず拾いをすれば50~90タカくらいは手元にはいる。今のボスはとても良い人で、彼のもとで働く子どもたちを罵ったり殴ったりしないし、給料もきちんと払ってくれ、ハシュも時にはボスに金を預けることもあるというほど信頼しているという。一日歩き続けるくず拾いはとてもきつい仕事だ。それでも、ハシュは自分が稼ぐ以外にストリートでは生き残る道がないことを知っている。
父親には時々会う。女きょうだいは結婚し、同居している兄はほとんど面倒を見ないので、病弱な父へ200タカとか500タカを渡してやるのだ。二度と家族と一緒に住まないと決めたハシュだけれど、やはり父親に対しては特別な感情があるのだろう。いつもジャトラバリのショマドマーケットで食事をする。たいていはご飯、ダル、卵を食べる。リンゴやブドウを買って食べることもある。稼ぎが良かった日は自分へのプレゼントに鶏カレーとご飯、ヨーグルトを食べるというが、映画も見るし、賭け事もする、タバコも吸うという彼の収入は、その日のうちに消えていく。
家族の元へは絶対に戻らない。父さん、きょうだい、だれもぼくのことを引き取りたくないどころか、家族として認めもしない。そんな愛情のかけらもない場所に戻って一体何になるんだ。





















