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2007年01月27日

障がい者支援活動

先週21~22日にかけてPAPRIに行って来ました。

PAPRIの四半期(10~12月)活動についての報告、次年度の活動
について話し合うミーティング、そして寒波救援活動として最も困難
な状況にある人々への毛布の配布活動を視察しました。

寒波救援活動については藤岡さんのブログで報告されると思います
ので、そちらをご覧下さい。

またこの間、PAPRIがここ数年力を入れている障がい者支援活動で
ジボントリと呼ばれる手術室が配備され、医師が乗船している船で
手術を行ったボンナちゃん(2歳)の家を訪れました。

ジボントリは3つの国際河川をはじめ数多くの川が流れているバン
グラデシュの各地域を移動し、医療活動を行っている船で今はクル
ナに停泊しています。
(昨年10月まではPAPRIの活動地ノルシンディ県に停泊していま
 した)

ボンナちゃんは、生まれつき左足の踝から下が普通と逆方向にな
ってしまう(すみません、日本での病名が分かりませんでした)障
がいを抱えています。

また彼のお父さんも生まれつき同じ障がいを両足に抱えています。

PAPRIのスタッフは1年半ぐらい前に同じ村で活動する少女グル
ープのメンバーから、彼らのことを聞き、彼らの家を訪問して症状
など聞き、PAPRIの障がい者のリストに登録し、手術する機会を
待っていました。

PAPRIのスタッフによると、この手術は生まれてから2~3年以
内に実施するのが効果的で、大人になればなるほど手術は難
しくなるそうです。

先月11日、同じ症状の2名の子どもと一緒にPAPRIスタッフが
同行し、ジボントリが停泊するクルナに向かい、手術を実施。

わたしが訪ねたときには左足にギブスをはめて固定し、くるぶ
しより下も通常の方向を向いていました。

26日には術後の経過を診断するため、再びPAPRIスタッフとと
もにクルナに向かうそうです。

こうした活動は、家族が手術代を含めた諸費用としてPAPRIか
ら無利子で1,200TKを借りることで実施しています。

同行したPAPRIのスタッフからは
「地域には手術すれば直る障がいを抱えた人々がたくさんいる。
 そうした人々全てにこういう機会を与えてあげたいが、PAPRIに
 も限界がある。今はマイクロ・ファイナンスなど自己資金からこ
 うした無利子で貸しているが、これだとほんとに一部の人にし
 か実施できないんだ」
と話してくれました。

シャプラニールの活動にも限度があり、すぐにはこの要望に答え
られないのですが、こうした活動を支援出来る方法を何とか編み
出せないものかと考えてしまいました。

もうひとつ、非常にプライベートなことで質問しづらかったのです
が、お父さんは生まれつき足に障がいを抱え、しかも両親は結
婚前に亡くなっています。

バングラデシュで障がいを抱えた人への偏見は存在します。
(例えば身内に障がいを抱えた人や子どもがいてもそのことを
 隠して表に出さないなど)

さらにバングラデシュの結婚は、特に村では親も含めた親族
同士の合意によって成立するため、大変失礼な考えなのです
が、結婚に母親の親族などから結婚に対して異議などが出な
かったのか?という疑問です。

失礼とは思いつつこの質問をすると
「確かに相手の親族から多少そういうことはあった。けど、人物
 を実際見てくれて、そういう人たちも最後には納得してくれた」
と笑顔で答えてくれたお父さん。

自己満足で本当に申し訳ないのですが、お父さんの答えに何
だかほっとしました。

2007年01月21日

日本からの知らせ(私事で恐縮です!)

今回は私事の文書で、恐縮です。
(スミマセン。っていうか、わたしの場合時事ネタよりもいつも
 身の回りの話題ばかりですが)

11月からバングラデシュで単身赴任の生活となったのですが、
実は相方が出産のために日本に一時帰国したからなのです。

先週はじめ、相方から出産のため病院に入院するという連絡
が入りました。

最初、1日も経てば「産まれた!」という連絡が入るだろうとたか
をくくっていたのですが、なかなか産まれず三日が過ぎの木曜
日(18日)、バングラデシュ時間の午前中にようやく「産まれた!」
という連絡を受けました。

正直、この三日間、いつ連絡が入るかとあまり深い眠りにつけ
ませんでした。
(といっても、しっかり寝床には着いていましたが)

母子共に健康という知らせを受け、正直ほっとしました。そして
三日間頑張った相方に感謝です。

報告を受けたのが職場だったため、同僚のベンガル人からも
お祝いの言葉&握手を求められました。

わたしもこちらの習慣に習い、ミスティと呼ばれる健康にはもの
すごーく悪いであろう甘いお菓子を同僚に振舞いました。
(子どもが産まれたり、結婚が決まったり、子どもがテストでよい
 成績を収めたりと身の回りでよいことがあると、ベンガル人は
 みんなにミスティを振舞うんです)

その後、わが子の画像&映像が、義妹によってメールで送られ
て来たため(4~5年前までは考えられないことですよね)、同僚
と一緒に見ると
「オジマ・バイ(さん)に似てるよ!」
との全員の感想。

わたしは特にそうは思わないのですが、週末暇さえあればその
画像と映像を見ているという早くも親バカ振りを発揮しています。

2007年01月14日

思い通りにはならない!?

年末年始がコルバニイード休暇と重なったため藤岡所長
同様日本に一時帰国しました。

限られた期間での帰国だったため、わたしは最短時間で
日本との行き来が出来る香港経由のドラゴン航空を初め
て利用しました。

年末、日本へのフライトは非常に順調で、ダッカ空港から
約13時間で成田に到着。内心「おっドラゴン、早くていい
じゃん!」と思っていました。

ところが、年明け、帰りの便が香港に着いたら
「本日、霧のためダッカ行きの便はキャンセルとなりました」
との空港職員からのアナウンス。

次の日の朝の便に変更との説明を受け、香港(中国)に入
国し、空港に隣接したホテルに宿泊。

と、ここまでは「まあしょうがないなあ~」と思うぐらいだったの
ですが。。。

翌朝、空港で出国手続きを済ませ、ゲートに行き出発を待って
いると
「ダッカ行きの便は夜7時に変更になりました」
とのアナウンス。

仕方なくまたまた香港(中国)に入国し、隣接ホテルで待機。
夜になってようやく便が飛び立ち、ダッカへ。

機内アナウンスの「あと20分ほどでダッカ空港」の説明
に、「あ~これでやっとダッカに着ける」と思っていました。

とっところがです。

10分後、機長から
「霧によりダッカ空港に着陸できないため、当機はこれよ
りバンコクに向かいます」
と乗客の誰もが耳を疑うアナウンスが鳴り響きました。

バンコクに到着後も、予定外の便のため受入の準備が出
来ず、結局、機内から降りることが出来たのは着陸して2
時間後。

しかも、空港近くのホテルが一杯で宿泊出来ず、空港か
ら1時間近く車で移動した以前の空港の近くのホテルに
チェックインできたのは早朝5時過ぎ。

スタッフからの「お昼12時半にはホテルを出て空港に向
かいます!」との説明を半分眠りながら聞いてました。

その後、夕方4時にバンコクを飛び立った便は、ついにと
いうかようやくというかダッカ空港に到着。着陸した際、
乗客から拍手が沸きあがりました。

同じ便に乗り合わせ、二日間行動を共にしたダッカ在住の
日本人の方が
「これほどダッカのお家に帰りたいと思ったことはない!」
との名言を残されてました。

ダッカ到着後は、藤岡所長のブログに記載の通り、道路
封鎖にはじまり非常事態宣言、総選挙の延期そして新選
挙管理内閣発足とバングラデシュの情勢も日々動いてお
り、地方出張などのスケジュールが変更になったり、スケ
ジュールそのものが立てられなかったりの日々。

「予定は未定。」「人生は思い通りにならない。」
この2つの言葉をここ1週間でとても実感しています。