« 2006年11月 | メイン | 2007年01月 »

2006年12月25日

マイ・リキシャ再び

先週の木曜日(21日)はホルタル(ゼネスト)でした。

道路封鎖同様、ホルタルの日はリキシャで30~40分
かけて通勤するので、アパートを出てリキシャを探そう
とすると。

見たことのあるリキシャ引きが近づいてきました。
そうです。三週間前の道路封鎖の際に二日間利用し
たあのリキシャです。

彼はにやっと笑いながら
「モハマドプール(事務所のある場所)ですね」
と言ってきました。

わたしが乗車すると
「今日はホルタルなんで、リキシャが必要だろうと思
 って待ってたんです」
との事。

事務所につくと
「仕事が終わるのはこの前と一緒ですか?」
と言われ、仕事が終わって事務所を出るとちゃんと待
っていました。

これから道路封鎖およびホルタルの際は、しばらくこの
リキシャでの通勤になるかなあ~。
(リキシャを探し、値段交渉せずに済み、さらに事務所
 までの道も知ってる分、わたしにとっては楽ですが)

2006年12月21日

先週は2つの農村に

ここ1ヶ月、道路封鎖などで地方出張の予定がなかな
か立てられなかったのですが、先週、STEP、PAPRIの
二つの農村地域を訪問しました。

STEPは通常のショミティ活動を見学するのをメインに、
ショミティを担当するSTEPのスタッフが一日をどう過ご
しているのか、一人のスタッフに同行。

流れとしては理解していたのですが、午前中訪問した
ショミティの貯金・ローンの返済金を、それぞれのスタ
ッフが12時半までに集計し、それをスタッフのひとりが
銀行に預けるという一連の作業に、改めてマイクロクレ
ジットの現場ではこうして一日が過ぎていくんだなあと
実感しました。

PAPRIでは、最貧困層グループを3つ回りました。

特にチョール(中洲)の最貧困層グループのメンバー
(女性)とは時間をとっていくつか質問したのですが、
ほとんどが産まれてから一度もチョールの外に出た
ことがないという現実に、以前PAPRIのスタッフから
聞いてはいたものの、正直驚きました。

また多くのメンバーが
「このチョールは喧嘩が絶えないので、子どもたちは
 チョール以外で働く場所を見つけて過ごしてほしい」
と午後に識字学級として使用する小屋の中(男性から
見えない場所)で本音も漏らしていました。

そのチョールからの帰り、ちょっとしたアクシデントが。

船がチョールを出てすぐに停止してしまいました。聞
けばガス欠との事。幸いチョールの岸に近かったた
め、そこまで棒で漕ぎチョール内の店でオイルを購
入し、無事出発。

同行したPAPRIのスタッフが笑いながら
「これが河の真ん中だったら、大変だったよ」
という言葉に、わたしも笑いながらも一瞬顔が引きつ
ってしまいました。

2006年12月19日

ひと・ひと・ひとの風景が日常に

先週、東京からクラフト担当のUさんが一週間こちらに
着ていました。

クラフト団体との発注のやり取りやサンプルについての
話し合い、生産者へのインタビュー。わたしもほぼ全日
程同行しました。

限られた日程で8団体を回るというスケジュールだった
のですが、幸い先週は道路封鎖もなく予定通りこなす
事が出来たのは、ほんとよかったです。
(これも普段の行いのおかげですかねえ~)

さて、この同行の中で一つ気づいたところがあります。

出張者のUさんがダッカの街並みを見るたびに
「すごく人が多いねえ~」
と呟いていました。

確かに彼女の目に映った風景は、人・リキシャ・車で
あふれたダッカの街並みです。

驚いたのはその風景を特に驚きもせず、Uさんに
「いつもこんなもんですよ!」
と答えていた自分です。

ダッカに赴任して、あっという間の1年4ヶ月。
この街にも慣れてきたって事でしょうねえ~。

2006年12月14日

騒音

一昨日、わたしのアパートの3軒先の一軒家(豪邸)で
パーティーがあったようです。

なぜ他の家のパーティーについて知っているかというと
まず家の外側、つまり壁に沿って電飾を垂らしていたこ
と。
(日本でいうと。。。ぴったり表現できるものがないんで
 すが、クリスマスの電飾(1色の何のお洒落さもない)
 を壁全体に垂れ下がっているって感じです)

そして、何よりも彼らが流す音楽の大きさ。一昨日は夜
12時近くまで、3軒先のわたしの家まではっきり響く音
量で流していました。

さらに、その家の周りにはパーティーに参加する人の車
が行列をなしており、時折、ガードがマイクを使い
「●●の車、移動してください!」
と叫んでいます。

ベンガル人にとって、こうした騒音に対する(周りに悪い
なあ~と思う)感覚は全くないようです。

3~4ヶ月ほど前、わたしの上の階の部屋の中を建築
していたときも、相当の騒音で昼間暮らしていた相方
はとても大変でした。
(人が住んでいる部屋の上の階を、建物が建築されて
 何年も経ってから、建築するという感覚が日本ではあ
 り得ないですよね)

ちなみにこのパーティーを行っていたのは、こちらの政
治家(つい最近まで閣僚だった)のようです。

2006年12月05日

わたしはおいしいお客

今週も日曜日から野党側の抗議活動としての道路封鎖の
ため、リキシャで通っています。

わたしの住んでるところから事務所までは、10km近くあり
ます。

ベンガル人の同僚には
「そのぐらいの距離の場合は途中でリキシャを乗り換える
 と安くなるし、リキシャもつかまりやすい」
と言われてるんですが、面倒くさがりのわたしはいつも1台
のリキシャで行ってます。

道路封鎖初日(日曜日)には、2台のリキシャ引きから
「そこまでは行けない」
と断られてしまいました。

3台目のリキシャ引きとようやく交渉が成立。この顔
どこかで見たことあるなあ~と思ったら、先々週の道
路封鎖のときも一度利用したリキシャ引きでした。

その彼に事務所の前でお金を払うと
「何時にここを出ますか?」
と聞いてきたので就業時間を伝えたところ、夕方事務
所を出たら、そのリキシャ引きがタバコを吸いながら待
っていました。

家の前に到着し、お金を払うと今度は
「明日の朝は何時に出ますか?」
とにっこり。

ということで、今日(月曜)も彼のリキシャで往復しま
した。

面倒くさがりのわたしは交渉も大雑把で、いつもベン
ガル人の相場よりも多少高めの金額を払っています。

そんなわたしは、彼(リキシャ引き)にとってはいい
お客さんなのでしょう。

そういえば、今日の帰りに彼のうなじが目に入ると、
日中床屋に行ったと思われるカミソリで剃ったライン
があったなあ~。

2006年12月02日

単身赴任が多いバングラデシュ

先週末、PAPRIの少女グループのメンバーのお家を訪れました。

その際に家族を紹介してもらったのですが
「兄はチッタゴンの縫製工場で働いています。その兄の妻と子ども
 たちです」
という紹介を受けました。

4~5歳の娘と2~3歳の息子を抱えたわたしよりも若い感じの
女性が恥ずかしそうに挨拶してくれました。

「お兄さんは月にどれくらい戻ってくるの?」
とのわたしの質問に
「年に3~4回かなあ~。チッタゴンは遠いから」
とのこと。

単身赴任で、年に3~4回しか家族に会えない生活。
この村からチッタゴンまでは300km以上離れているので無理も
ありません。

こうした状況は特異な例でなく、バングラデシュでは珍しくあり
ません。

ダッカ市内でも働くリキシャ引きや住宅地やオフィス街で働く
ガードやドライバー、ダッカ市内や近郊の縫製工場で働くひと
たちと、家族を田舎に残して働いている人がたくさんいます。

実は訳あってわたしも11月より単身赴任生活。
最近、彼らの気持ちがほんのちょっと分かってきたような気が
します。