ビフォー・アフター
ネパールでは常にデジカメを携帯している。面白いシーンを見つけたらいつでも写真を撮れるようにと思ってのことだ。しかし私、撮られるのがもっとも嫌いだが、写真を撮るのもそれに負けないくらい苦手である。特にデジカメになるともうダメ。
なぜかと言うと、相手ときちんと向き合っていないように感じてしまうからである。デジカメで写真を撮るところを想像してみて欲しい。大抵の場合、カメラを構えた人は相手を見ずにモニターを見ている。私にはこれが不誠実に感じてしまう原因なのだと思う。以前、文化人類学のPhDを持っている知り合いに話したら「おもしろい視点だ」と褒められたが、苦手意識は消えていない。しかしこのデジカメも悪いことばかりでない。撮ったその場で相手に見せることが出来るので、少なくとも「撮り逃げ」は避けることも可能なのだ。

上の写真は先日スタッフとスンダリザルにピクニックに行ったときに撮ったもの。帰り道、お母さんに髪を梳かしてもらっている女の子を見かけた。のんびりとした雰囲気が気に入って写真を撮ろうとしたら、女の子が急に恐い顔をした。外人め何をする?とでも言っているようだった。
それが、彼女の写った画像を見せた途端、右の写真のような笑顔に変わった。デジカメ・マジックとでも呼びたいほどの劇的変化だ。
コメント
なんと、なんという2枚の写真でしょう。女の子の身になってみれば当然の初期反応でしょう!そして2枚目も!この様に、行きずりにチョロっと撮ることを「チョロスナ(スナップ)」と言います。
ヨーロッパやアメリカでは、肖像権が厳しいので、例え風景や記念写真の端に映り込んでいたとしても問題になったり、時には裁判沙汰になるケースもあるようです。インドやバングラは、まだ(?!)ないようです。
以前、ネパールのナガルコットの丘で、歩いて来る少年にカメラを向けたら「ルピア、ルピア」とお金を要求されたことがあります。外国人の旅行者との体験がこうさせたんでしょう!
この少女の態度が変わったのは、自分が写っている姿を見たこともあると思いますが、同時に、扉を開いて近づいてきた藤崎さんを受け入れての笑顔だと思います。多分、この女の子にとっては始めての体験だったのでしょう!
いきなり、知らない者にカメラを向けられたら怒るのは当然!私だって!しかし、母親は子どもの反応と外者のことを知っているので笑っていますよね。
インターネットが普及し、誰もが情報発信者になりましたが、プライベートな記録(旅の思い出)としても、あるいは仕事の情報収集としても、撮影者が考えなければいけないことは、「なぜ、何の目的で撮るのか?」それを「どう使うのか?」「相手はどう考えているのか?」だと思います。
私自身のことを言いますと、ご存知のように、バングラは1974年から、チャチャのプーリーは1984年からタール砂漠も1990年から、「広く浅くではなく、狭く深く」のタイプです。バングラのポイラ村やジナイガティー村、プーリー、砂漠では、村人はほとんど私を知っているし、もし知らなくても、知り合いの知り合いですから、全くフリーに動けます。ただし、パルダ(ベールで隠す習慣)や宗教や家庭環境や礼儀はちゃんと守ってのことです。ダッカの町で撮影する時も、被写体を見つけたら(人物でも町の様子でも)、その場にしばらく居ます。
存在を知ってもらって、おもむろに撮影を始めたり、相手と話をしたりする中でシャッターを押します。遠くから(距離も関係も)「これだ!」と思っても、しばらく観察していると、それ以上にすばらしい出来事が自分の前でしょっちゅう起こっているんですよね!
よく旅行会社やカメラメーカー主催の撮影旅行がありますが、あれは大問題です! 身なりもカメラも金持ち日本人が大勢ドカドカと生活やお祭の中に押しかけてきて、全てを無視して、自分のイメージで撮るのですから。その目的は、コンテストで賞を取ることと自慢話。金を出してのヤラセややってもらうこともあるようです。こうやって金満日本人が「ルピア、ルピア」の少年をつくりだしたんですよね。
話は戻りますが、藤崎さんはこの少女とネパール語で話をしたんですよね!この少女は、ひとこと話してて安心したでしょうね!初めて外人さんと話をして、夕餉の団欒話に花が咲いたことでしょう!一生の思い出として残ることでしょう!でこういう時には、やはり現地のことばは話せた方がいいですよね!撮りたいんだ!と言う気持ちがあれば通じますけど・・。
いい出逢いでした!
投稿者: j、フォキール | 2007年05月24日 06:55
j、フォキールさんが写真を撮るときは、話をして相手がカメラを意識しなくなるくらいまで関係を作ってからと聞いたことがあります。
> いきなり、知らない者にカメラを向けられたら怒るのは当然!私だって!
> インターネットが普及し、誰もが情報発信者になりましたが、
> プライベートな記録(旅の思い出)としても、あるいは仕事の情報収集としても、
> 撮影者が考えなければいけないことは、「なぜ、何の目的で撮るのか?」
> それを「どう使うのか?」「相手はどう考えているのか?」だと思います。
本当です。自分に同じことをされたら嫌と思うことを、「する側」になると気がつかなくなるのはどうしてなんでしょうね?大反省です。
> 話は戻りますが、藤崎さんはこの少女とネパール語で話をしたんですよね!
はい。「写真撮っていい?」と「上手く撮れたよ」程度でしたが…。
最近あるきっかけから、コミュニケーションについて考えています
。きちんと伝えなければいけない事は沢山あるけれど、言葉に頼りすぎるのは危険だなあと。特にインターネットの普及で、メールで大切なことを書いちゃったりすると、相手に思わぬ誤解を与えたり。ブログも然りで、言葉(や映像)が独り歩きする可能性があるという意味で、過信は禁物。
今回のコメントと直接関係あるわけではないのですが、二つがどこかでつながるような気がして何かひっかかっています。それが何か判ったら、またブログに書けたらと思っています。(無理かな…)
投稿者: 藤崎 | 2007年05月24日 18:10
写真は、撮影者が「私はこう見た!これを言いたい!」と表現したもの。これに対して見る人の思いは様々。ひとりの人をとってみても、時代や環境や条件によって違う見方をするでしょう。タイトルや説明文やことばで補うこともありますが、私は、写真で勝負(?)のタイプですから、他の手段は必要最低限使います。
ことばと文も、自分を相手や周囲に伝えるひとつの手段ですが、手紙のやり取りの時代(?!)はその中でより関係が深く密になっていきましたよね!しかし、インターネットの時代になり、最近は個人日記のブログの時代にもなってきて、思っていることを即座に出すようになり、また、求められるようになってきました。いつの頃からなんでしょうねー?人間関係を作ることができない社会で育ってきて、深く作りたくない(自分の意思で)人もいます。しかし周囲とは繋がっていたい!(名づけて“つながりたい症候群”)でも、経験が無いので、どう対応していいのか分からない!なんでもないひと言に過敏に反応したり、誤解したりしてしまうケースが多くなりましたね!
個人の思いを出すブログなら軽く出してもいいと思うのですが、(受け取る方もそれなりでしょうから!)シャプラは、商売の会社ではなく社会の問題を扱う仕事ですから、責任を持って出すのは当然!だだそれが為に、ビビったり、躊躇して情報量が少なくなったりするのも問題だと思います!
会話だと相手の状況や反応を見ながら見られながらなので、それ相応の対応ができるのですが・・。
「これを知ってもらいたい!これを言いたい!」伝えたい沢山のことをどんどん発信して下さい!ひと昔前と違い、いろいろな情報と量で問題を解決できる時代にもなりました。
真摯な熱い思いは、必ずや相手や世界を突き動かします!そこには、手段への頼り過ぎや過信やビビリや傲慢はないことでしょう!
ネパールのみならず、日本を、ひとりひとりを、世界をより良く豊かにする為に発信して下さい!!
このブログを通して、多くの人が思いや意見を交換し、対話と関係を深めていければ!と思いながらコメントを書いています。
フォキール=乞食(こじき じゃなくて こつじき)。片手にカメラ、もう一方の手は何かを求めて差し出しているのかも知れません。お返しする何ものもないので、せめて写真を・・・。
投稿者: j、フォキール | 2007年05月25日 08:13
とても興味深いやり取りですね。
J、フォキールさんは、もしかして歌もおやりになる方ですか?
少し違う話になりますが、カトマンズをブラブラしていたときのことです。僕はカメラではなくスケッチブックを持ち歩いていました。
ひと所で10分から30分くらいかかるのですが、スケッチをとっていると、10人くらいは集まってきます。すると、この人たちが「金くれ」と近寄ってくる人を追っ払ってくれるんです。「何も追っ払わなくても」とも思いますが、地べたに座っているのもなんだからと、お店の椅子を持ってきてくれたこともありました。
不思議ということはありませんが、後ろであれこれ言い合っていたり、こういう人たちと過ごす時間は、幸せなものでした。
投稿者: うえはらゆ | 2007年05月26日 13:35
j、フォキールさんの言葉、ありがたく受け取りました。これからブログを書き続けていく中で大切にしたいと思います。もっとこの社会に切り込むようなものが書けたらと思うのですが、身についていないものはアウトップトしようがありません。少しずつ努力していきます。
投稿者: 藤崎 | 2007年05月26日 14:23
うらはらゆさん、情景が目に浮かびます。写真と違って絵は描いている過程を見ることが出来るので、見物の人たちもその描くプロセスに同化することができるということなのでしょうかね。
投稿者: 藤崎 | 2007年05月26日 19:44
藤崎さん、ちょこっと場をお借りしますね!
うえはらゆさんへ、
「天は二物を与えず」と云う諺がありますが、この頃、「餅は餅屋」を実感しています。歌は全然ダメですが、20数年間の時間を掛けて撮った写真集のタイトルが、自分で言うのも気が引けるのですが、「水と大地の詩」ーバングラデシュです。そして、まだまだ若いのですが(!?)人生を詩う歳になりつつはあるのかなー・・と。
路上でのスケッチもいいですよねー!シャプラの古参画家 河野一平氏のことや仕事をご存知ですか?バングラやネパールやパキスタンの地で、ものすごい人垣ができる人です。その中で、あなたと同じように周囲に助けられながら、ササっと描き上げます。藤崎さんや東京の早稲田にあるシャプラの事務所から話を聞かれると、参考と刺激になるはずです!
写真を撮っていてもそうです!誰がが助けてくれるんですよねー!その時はそれに甘えて、離れる時にその人と周囲にお礼を言えば、多分、その場にいた人のその夜の家は幸せに満ちていることと思います。自分の夜もそうです!時には「ドゥスト・チェレ」(いたずら小僧)が調子に乗り過ぎてじゃまをするので、怒った振りもするのですが・・。(よっぽどのことじゃない限り本気は禁物です!)
ところが、インドの街や町では、バングラのような世話焼きは、ほとんどいません!興味はありながらも冷静に見ています。ネパールの人は、恥ずかしがり屋さんで控え目。ニコニコしながら見ています。バングラは、ギョロギョロ見つめ、周囲で勝手に解説や人の整理を始める人がいて・・ホントにおもしろい民族です!!この蜜をなめてしまうと、もうもう麻薬です!バングラとインドの国歌を作った、詩聖ラビンドラナート・タゴールは詩っています「お母さん、あなたの語り声は、私の耳に甘露のように響きます・・」と。あー、私は21歳の時に、この蜜を舐めちゃったんですよねー!だから今でも、いつも、リキシャのベルの音、囲む人垣、ベビータクシーの排ガスのニオイ(規制で、もう無くなったのかなー)、村の緑の風に揺れ動いているんです・・そちらに行きたくて!
藤崎さんも食べましたか?
投稿者: j、フォキール | 2007年05月27日 04:34
藤﨑さん、どうも。
藤﨑さんがおっしゃっているのと少しズレがありますが、後ろで見ている人の多くは、まず、僕が何をやっているのかわからない様子なんですよね。見て絵を描く、という感覚がないようで(嘲笑的な意味ではなく、そうなんだなぁと感じただけ)、僕の真ん前に立つ人も少なくなかったです。例によって、「どけよ」とやってくれるのですが。
ただ、だんだん絵の線が増えてくると、そういうことか、と愉しんでくれるようで、「タパイン」とか言って、近づいてきた老人を描き入れたりすると、この場は絶好調になります!
投稿者: うえはらゆ | 2007年05月29日 04:23
j、フォキールさん、うえはらゆさん、コメント公開が遅くなってすません。週末から1泊2日の出張に出ていました。
> 藤崎さんも食べましたか?
食べました、おなか一杯食べました。ネパールにどこか物足りないところを感じるのはそのせいですね、きっと。(蜜だか毒だか判らなくなることもありますが)
コメント投稿者同士の会話が盛り上がるのがおもしろいので、私はこの辺で。
投稿者: 藤崎 | 2007年05月29日 13:14
(藤﨑さん、出張ご苦労様です。お心遣いに甘えて、少しこの場をお借りします)
j、フォキールさん、
あ、やはり人生を詩う方なんですね。「天は二物を与えず」と「餅は餅屋」が別物ではなくなるという感覚は、なんだか素敵ですね。
実は、河野一平さんの『バングラデシュ絵巻』を持っています。記述していく態度には、敬意を表さずにはいられませんね。
> バングラは、ギョロギョロ見つめ、周囲で勝手に解説や人の整理を始める人がいて・・
僕が今住んでいる愛媛の片田舎にも、通ずる感じがあります。ただ、同じ日本人だと「少しやっかいだなぁ」なんて思ってしまうのは、僕がまだまだ未熟なためでしょうね。
投稿者: うえはらゆ | 2007年05月30日 05:42
おー、出張でしたか。アホなことを書いたので、不採用になったのかと心配していました。
バングラのは食べましたね!実はネパールにもあるんです!そのうち分かります!任期終了間際の頃かなー・・。
藤崎さん、応対が大変でしょうが中途で遠慮しちゃダメですよ!
ネタを提供したんですから、もう少し盛り上げないと!
前文で“つながりたい症候群”と書きましたが、正式には “1,2行だけつながっていたい症候群” と言います。私が勝手に付けた名です。
うえはらゆさん、その後、その老人は、周囲は、ご自身はどうなりましたか?
投稿者: j、フォキール | 2007年05月30日 06:14
> うえはらゆさん、その後、その老人は、周囲は、ご自身はどうなりましたか?
書いて表すのはなかなか難しいのですが、周囲は「あなた」「あなた」と皆が言い始め、当老人は「お、お、おお、おおお」と、だんだん喜んでくれる様子で、これをもって、お兄ちゃんも子どもたちも、おじさんやおばさんを含め、この場は絶好調になりました。
「来い、来い」と呼ばれ、お茶や自家製のお酒をご馳走になったこともありました。おばあちゃんが、「私らの顔は黒くて、ブサイクで全然ダメよ」みたいなことを繰り返して僕に言うのですが、年頃の娘さんの似顔絵を描くと、最後は「泊まってけ」となります。とても愉快な思い出です。
僕は、このとき、“可能性だけ”の存在だったんじゃないかなぁ、なんて振り返ります。
例えばある場所に、赤ちゃんを抱いたお母さんが現れるとすると、その場には何か幸せな空気が漂い、あまり面識のない人同士でも、一体感のようなものが生まれることがあると思います。こういうのに似ているんじゃないかしら。
僕はこの人たちのためにスケッチを描いたわけではありませんでした。かと言って、自分のために描いているというわけでもありません。自分でもよく分からないのですが、そうせざるを得ないような感じで描いていました。藤崎さんの写真もそんな感じでしょうか?
もちろん、僕は幸せでしたので、結果的には、これが良かったのかもしれませんね。僕にとって、“場に居る”という感覚はとても大切で、幸せなことなんです。
投稿者: うえはらゆ | 2007年05月30日 09:03
コメント不採用などということはしませんので、もしコメント掲載が遅れている場合は「忙しいんだなあ」とお待ちいただけたら幸いです。
うえはらゆさんの問いに対する答えは、私も実のところ判りません。仕事関係の写真はその性格上どうしても説明的にならざるを得ないので、興味からというより義務感から撮っているというのは事実です。ただ、それ以外のシーンを本当にカメラに収めておきたいかというと、実はそうでもなくて、自分の目にしっかりと焼き付けておけば満足なのだと思います。もちろん記憶力が悪いので、ほとんど忘れてしまうのですが、ふとした拍子に蘇る記憶、そこで感じたこと(熱とか空気、臭いなんかも含めて)のほうが私にとっては大切なんだなあと思います。
ただ、特にこのブログを始めてから文章や写真が、経験や思いを共有するツールとしては非常に有効で、かつ可能性を秘めているということも理解しました。その辺はシャプラニールの活動への共感をどうやって広めるかということとも共通するかもしれませんね。ひとりよがりにならないという点で。
投稿者: 藤崎 | 2007年05月31日 09:17
うえはらゆさん、「自分でもよく分からないのですが、そうせざるを得ないような感じで描いていました。・・」これは多分?多分!天が描かせたのでしょう!描いている ゆさんと描かれようとしている老人や年頃の娘さん。また、赤ちゃんを抱いたお母さんの例のように、多分!多分!全てに存在理由と役目が、天から与えられているのではないかと思います。「天は誰しもに一物を与えた」、「餅」も!文章、絵、踊り、音楽、ムービー、写真、おしゃべり、無口、料理・・・・。
いやー、ブログは実におもしろいですね!
ゆさん、その内、その絵を見せて下さい!HPかブログをお持ちですか?私のは、「チャチャの海」です。バングラの藤岡さんのブログもご覧になっていますか?
藤崎さん、これからも世界を繋いで下さいね!日本は島国でもあり、中国やインドに圧倒されてしまうのではないか?!と、私は危機感を持っています。
投稿者: j、フォキール | 2007年06月01日 06:27
こんにちは。
3日前から泊りがけで甘夏収穫のお手伝いに行っていたもので、このブログを拝見するのも久しぶりのように感じます。
> 多分?多分!天が描かせたのでしょう!
そうかもしれませんね。
こういった場が呼んでくれたのだとしたら、本当にありがたいことです。
> HPかブログをお持ちですか?
現在は持っていないのですが、そのうち作ってみたいなぁと思っています。出来たときにはご案内させていただきますね。
絵は、実は、僕の悪い癖で、全部あげてしまって、もう手元にひとつもないんです。ごめんなさい。また描き重ねていきたいと思います。
藤崎さんのコメント、とても興味深いですね。j、フォキールさんがおっしゃるように、ブログは実に面白い可能性を秘めていると、あらためて思い直しました。
もしかしたら、以前藤崎さんから提案のあった「ブログリレー」のヒントが、今回のやり取りの中にあったかもしれませんね。
投稿者: うえはらゆ | 2007年06月02日 15:29
> もしかしたら、以前藤崎さんから提案のあった「ブログリレー」のヒントが、
> 今回のやり取りの中にあったかもしれませんね。
私もそう思います。っていうか、ほとんどブログリレーになってますよね。別に新しいコーナーをつくらなくても、私的にはこれで満足ですわ。
投稿者: 藤崎 | 2007年06月03日 20:01
あははは。これって「髪を梳かしてもらっている」じゃなくて、「しらみを取ってもらっている」図、ですよね。多分。いまどきのネパールはデジカメも普及してますから、この子は結構なお茶目さんなのでしょう。うちの娘にもつきましたよ、シラミ。
投稿者: ばなな猫 | 2007年06月04日 23:11
ばなな猫さん、言われてみたらそうかも。しらみ取りみたいですね。観察力不足というよりただの不注意でした…。
投稿者: 藤崎 | 2007年06月05日 07:00
そうです!虱取りの図。なんで風の左垂れがないのでしょうね?昭和30年代まで日本では、頭からDDTを降りかけていたんですよ!
学校で。丸坊主もありました。
バングラでは、ある歳頃に少女も坊主になることがありますよね?特に田舎では。あれもシラミ対策?ネパールではどうですか?その前に、ばなな猫さんは一体どこにお住まいでしょうか?ネパールor日本?
こんど、シラミのアップ写真を見せて下さい。よろしく!
投稿者: j、フォキール | 2007年06月05日 14:13