シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
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2007年08月25日

タゴールソングのさよならコンサート

明日は外出禁止令が朝5時から夜11時まで解除されることになりました。昨日は朝8時から夜10時まで、今日は朝6時から夜11時までだったので、少しずつ解除の時間が長くなっているわけですが、一気に完全解除とはいかないようです。しばらくこの状態が続くのでしょうか。

今日はJICAの専門家として3年5ヶ月滞在され、間もなく帰国されるK先生の奥様、ミセスKの、お別れ会を兼ねたタゴールソングのコンサートがありました。ふわっとした雰囲気で、シックなサリーをさりげなく着こなされているミセスK。タゴールソングと出会ってその素晴らしさに魅かれ、音楽学校の門をたたき、こちらの先生に弟子入りされたそうで、今日はその先生方と一緒に11曲のタゴールソングを披露されました。耳に心地よい、のびやかなお声で、ベンガルの農村風景や、雨や風、おさげ髪をたらした村の少女の姿が目の前に広がるような、タゴールの世界に引き込まれました。きっとずいぶん歌いこまれたのだろうと思います。1曲ごとに朗読のように日本語で詩の解説をされたのもよかったです。

詩聖、ラビンドラナート・タゴール(ベンガル語読みではロビンドロナート・タクール)が残したタゴール・ソングとよばれる歌は千曲以上あるといいます。その歌はベンガルの自然や生命の輝きを讃えるものや、神への思い、人生の悩みや歓びを歌ったものなど、タゴールの深い精神世界を反映しています。シンプルで滞りのない流れをもつベンガル語の詩は、歌のタイトルを読むだけでも、なんてきれいな響きなんだろう、と感じます。

私は恥ずかしいことに、最初から最後までちゃんと歌えるベンガル語の歌がろくにありません。童謡でさえも。今日は何曲ものタゴールの歌、それも深い哲学的な詩をもつ歌の数々を、気持ちよさそうに歌っていらっしゃるミセスKを見てとても羨ましく思いました。

私は以前インドのデリーに住んでいた頃は、近所の子どもたちに交じってインドの歌を習いにいったりしていたこともあるのですが、インドの歌のレッスンには楽譜がないことにまず面くらい、かなりご年配の女性の先生の気まぐれな教え方にもリズムが合わず、そのうち他のことに忙しくなって足が遠のいてしまいました。普段の練習は無伴奏でしたが、ほんの1、2回だけ、タブラーの伴奏でほかの子どもたちといっしょに歌ったことがあって、その気持ちよさはなんともいえないものでした。

ミセスKが通っていらした音楽学校は我が家から目と鼻の先にある女子カレッジの隣にあるそうで、金曜・土曜もクラスをやっていると聞いて、ちょっと心が動いています。この女子カレッジからはベンガル新年の日に学生たちのタゴールソングの歌声がずっと聞こえてきて、私はそれを独り自宅の窓を開けて聴いていたのでした(あとで聞いたらミセスKも「あの時私もあの中で歌ってたのよ~」とのこと)。タゴールソングは大勢の人が声をそろえて歌うと、大地から歌が湧いてくるように聴こえて感動的です。あの中に入って歌ったら気持ちいいいんだろうなあ...と思います。

あと1年あるんだから、ちょっとはベンガルの芸術に触れてみるのもいいなあ。でもやるならちゃんとやらないと中途半端な生徒じゃ先生も迷惑だろうし、休みの日はひっくり返って遅くまで寝てるような私じゃ無理かしら...。

現実は歌うどころか7月からの咳とカスカス声がまだ治らない私。コンサート会場で出会った知人・友人たちとお喋りしていたらますます声が出なくなってしまいました。ちゃんと続けて薬を飲まないからいけないんだ、タゴールソングに憧れる前にまずは喉の治療だ、と思ってコンサート会場からラーマン先生の病院に直行したのでした。


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2007年04月18日

ベンガル正月ファッション

Image002.jpg

前にベンガル正月には赤と白のサリーを着る、という話を書きました。

ベンガル正月明けの15日、昨年入ったわが事務所の女性スタッフ、イルシャトが、ばっちりサリーでキメてきましたのでケータイで記念撮影。

彼女のサリーは赤と白プラス黒と金も入った、はっきりした感じの柄。よく似合ってました。



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2007年04月14日

ベンガル大晦日

明日4月14日はベンガル暦のお正月。だからつまり今日は大晦日。近くの女子カレッジの校庭で新年の文化イベントが行われているようで今日は昼すぎからずっと大音量の歌とタブラーやハルモニウム、バンスリなどの楽器の伴奏が聞こえています。年越し音楽祭という感じ。大晦日だから近所で紅白歌合戦をやっていると思えばいいのかな。

去年もそうだったけど、こういうときに独りでいるのは寂しい、というかつまんないですね。休みの金曜日で大晦日だというのに私が今日家でやっていたことといえば、新聞を読んでブログを書くこととまだ見てなかったホラー映画のDVDを観ること(続けて2回も観てしまった)。暗い...。

今年こそは赤と白のサリーを買って友達誘ってベンガル新年のイベントに行くぞ、と思っていたのですが、先月イスラム過激派JMBの爆弾犯人6名が処刑され、その報復テロがベンガル新年を狙ってあるかもしれない、という物騒な警告も出ていて人ごみの中に行く気もせず、今年もテレビ正月になってしまいそうです。まあ出かけたら出かけたで、あちこち交通規制もあって大変ですしね。

TVニュースでは日本の大晦日さながらに市場の生鮮市場で買い物をする人たちの様子が映り、新巻鮭ならぬバングラデシュの国魚イリッシュ・マーチの値段が、大きいもので一尾3千タカ(約5千円)にまで吊りあがった、とレポートされていました。確かに立派なイリッシュだったけど、ちょっと常識では考えられない高値です。ベンガル新年には素焼きの器でご飯の水漬けとイリッシュマーチを食べる、というのが定番らしいのですが、こんなに高くちゃ誰が買うんだろう、と思います。買いものに来た男性が「イリッシュを買いに来たんだけど、こんなに高いんじゃ山羊一頭買ったほうがいいよ」と言っていました。私もそう思う...。

もうあと20分で年明け。1年を振り返りつつビールでも飲むかな。


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2007年02月21日

言語記念日。ブックフェアは長蛇の列。

ショヒドミナール.jpg今日2月21日はバングラデシュの言語記念日、そして国際母語の日。この国がまだ新国家パキスタンの一部だった1952年の今日、ウルドゥー語を共通語として押し付けられることに反発するベンガル語公用語化運動が盛り上がる中、警察の発砲により4人の学生が犠牲になりました。それ以来、この日はバングラデシュの重要な記念日となっています。4人の学生への追悼を表した記念碑であるショヒド・ミナールには国の要人ほか多くの人が訪れて花を捧げ、国中で言語・教育・文化に関するイベントなどが行われます。
写真右:ショヒドミナール。別の日に撮ったもの。今日はモニュメント前の広場に花が敷き詰められ、華やかに飾られていました。

これらのイベントの目玉のひとつが、毎年この日の前後1ヶ月にわたってダッカ大学構内のバングラ・アカデミーで行われる、エクシェイ・ボイメラ(21日のブックフェアの意)。今日は仕事は休みなので遅く起きてテレビを見ていたら、ブックフェアに行く人たちや、路上で顔にショヒドミナールの絵やベンガル語の文字をペイントしてもらう子どもたちが映っていました。そういえば、去年はこのブックフェアに行きたいと思いながら結局行かなかったなあ。去年の今頃はまだイスラム過激派の爆弾騒ぎの不安が拭えていなかったし...。今日なんか行ったらものすごく混んでて大変だろうなあ、と思いつつ、賑やかに記念日を楽しむ人々の映像を見ていたら行きたくなってしまいました。

行列.jpgよし、行くぞ、と決意したのがもう3時半すぎ。自宅近くからCNG(天然ガスで走るオート三輪)を拾い、バングラ・アカデミーへ行ってみると、ダッカ大学構内のずっと手前、国立博物館の前あたりから長い長い行列が続いています。「これってもしかしてボイメラの列ですか?」と聞くとそうだとのこと。最後尾をようやく探し出して列に加わりました。 
写真左:ブックフェアに並ぶ行列。ようやくダッカ大学手前まで来たところ。

じりじりと前進しながら前後の人たちと世間話。私の前はオールドダッカで電気屋を営むカレックさん親子、後ろは日本に10年いて5年前に帰国したという日本語の話せるお兄さん。お名前を聞きそびれましたが、彼はラベル印刷の仕事を6年、赤坂のイタリアンレストランで4年働いたそう。帰ってきて自分で事業を起こしたけれど、支払いを滞らせる客が多かったりしてあまりうまくいかず、近々閉じるつもりだ、と言っていました。

カレックさん親子.jpgカレックさんは「あなたみたいな外国から来たお客さんをこんな風に並ばせるのは申し訳ないなあ」とずいぶん気を遣ってくれ、うしろの兄さんも「みんな日本人には好意的だからたぶん前のほうで入れてくれるよ」と言ってくれたのですが、「まあでもこうやって世間話しながら並ぶのも得がたい経験だからいいよ。前に割りこむのもずるいし」といって一緒に並んでいたら、二人ともずいぶん感心してくれた様子。割り込もうとする人を協力して阻止したり、来年はもう来ないぞー、とわめいたり、このまま日が暮れて明日になっちゃうんじゃない、などと冗談を言ったりしながら並ぶこと2時間。ようやくブックフェアの入り口をくぐったときには本当に日が暮れて6時すぎになっていました。
写真右:カレックさん親子。子どもたちも辛抱強く並んでよくがんばったね。 

ボイメラ.jpgカレックさんは「私たちの国の言語記念日のブックフェアに並ぶのに苦労をかけましたねえ。1冊本をプレゼントしますよ」と言って、恐縮する私に最初に入ったブースにあった「バングラデシュの独立における日本の役割」という本を買ってくれました。後ろのお兄さんも門をくぐったあとの押しくら饅頭状態の中、すれ違いざまに身体を触ろうとしたりする連中から私をガードしてくれました。本当にどうもありがとう。

夜になっちゃったけど、本を愛する者としては山のように本が並ぶブースの間を歩くだけでも楽しい。見たところ、一番人気は、フマユーン・アフメッドやイムダドゥル・ミロンなど人気作家のベンガル語小説をたくさん出しているオンノプラカーシュ社のブース。近づけないぐらい混んでいました。
写真左:夜になってもにぎわうブックフェア会場

今日ゲットした本.jpg私はバングラデシュの開発や文化に関する英語の本を出しているUPLのブースで、バングラデシュの女性作家の短編小説のアンソロジー、“Galpa: Short Stories by Women from Bangladesh”、書評を見て読みたいと思っていたイギリス統治時代のベンガルでのインディゴ栽培についての本“Global Blue”、そしてバングラデシュでのテロリズムについてここ2年ぐらいの間に主要紙に載った論評をまとめた“Faces of Terrorism in Bangladesh”、そして別の本屋のブースで大河の中洲(チョール)に住む人々の状況についてまとめた“Charland in Bangladesh”をゲット。あとは知り合いの団体のブースを覗いたりして夜8時ごろまでうろつき、またCNGで帰ってきました。その頃になってもまだブックフェアへの行列は続いていました。
写真右:今日手に入れた本たち

疲れたけど満足。あとは買った本を積んどくだけじゃなくてちゃんと読むことですね。


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2007年02月13日

春の始まり

ベンガルの暦の上では今日から春。一年で一番寒いマグ月が終わり、ファルグン月が始まる今日は、「バシュンティ・ウトゥショブ(春祭り)」と呼ばれ、女性たちは黄色い服を着て春の到来を祝うことになっています。気温はかなり上がってきたとはいえ、朝などまだ少し霧が出ていて、いかにも「春が来た!」という感じになるのはまだ少し先になりそうですが、しばらく暑くも寒くもない爽やかな気候が楽しめます。

今日は私もコルカタで買った上から下までまっ黄っきのサルワール・カミーズを着てきました。昨年入った若い女性スタッフのイルシャトも黄色の上下。(彼女はわざわざ昨夜電話をくれて「アパ、覚えてる?明日は黄色い服だよ!」とリマインドしてくれました)

男性たちはとくにいつもと変わらぬ服装ですが、朝リキシャで通勤の途中、すれ違う女性たちの服装をみると、半分ぐらいの女性は黄色い服を着ていました。全部黄色の人もいれば、どこかにワンポイントで黄色が入った装いの人も。こういう風に季節に合わせた色の服を楽しむ文化っていいな。

大学のキャンパスでは、朝から文化イベントが行われ、女子学生たちは黄色いサリーに髪にも黄色の花をつけて着飾り、「キャンパス中黄色」になるんだそうです。

4月中旬のベンガル新年、「ポイラ・ボイシャク」には、赤と白のサリーを着るのが習わし。去年は家で寂しく指をくわえてたけど、今年は紅白のサリー着てお祭りに行きたいな。このベンガル新年が来ると、いよいよ夏。一年で一番暑い季節の到来です。


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2007年01月24日

若者たちが未来を変える

今夜は私たちが時々行く、グルシャンのスパゲティ・ジャズというお店(ダッカにある数少ないイタリアン・レストランのひとつ)で、「ルネッサン」というこちらのバンドのコンサートがあって、ぜひ行きたかったんですけど結局断念。仕事は片付かないし、明日も朝から日帰り地方出張で、パートナー団体とシビアな来年度予算の話をしてこないといけないし、それどころじゃなかろう...と。あーでもやっぱり残念だったな。

この「ルネッサン」というバンドは、昨年末に行われた「Concert Against Corruption (汚職・腐敗に反対するコンサート)」に出演した約30のグループのうちのひとつ。バングラデシュのロック・バンドの中では、かなり人気の高いバンドです。私も彼らの「21世紀に」というタイトルのCDを持っていて、けっこう気に入ってます。

この「汚職・腐敗に反対するコンサート」、年末の12月29日にダッカのグルシャン・ユース・クラブのグラウンドで開催された、バングラデシュでは初めての試み。主催は世界の汚職・腐敗問題に取り組む国際NGOのトランスペアレンシー・インターナショナル・バングラデシュ事務所(TIB)です。TIBは、とくに若者への働きかけを重視していて、このコンサートも将来に向けて、汚職・腐敗に反対する若者リーダーを育てよう、という「YES」というプロジェクトの一環。若者たちのボランティア・グループを組織して、コンサートのみならず汚職・腐敗に反対する作文や漫画のコンテストなど、いろいろなことをやっているようです。うーん、面白いですね。

このコンサートについて伝える新聞記事はこちら
写真入りで紹介しているブログも発見。このラッセルさんて人もミュージシャンかしら。

このコンサートには、新聞社のDaily Starやチャンネル・アイなどテレビ局2局、先日このブログでもご紹介したダッカの2つのFM局がスポンサーとなり、入場料は無料で、1万人以上の若者たちが集まったとか。見たかったなあ...。バンドだけじゃなくて、クシュティアからバウル(注:ベンガルの吟遊詩人)も来たし、ユヌスさんも挨拶したし、ほかにも何人も有名人が参加したそう。NGOの主催でこっちの企業がスポンサーになって、こういうコンサートをやったっていうのは画期的だと思います。若者に人気のグループや話題のFMラジオ局をしっかり押さえているところが素晴らしい。汚職や腐敗にノー!と言うことこそがカッコイイんだ!と若い人たちが思ってくれるといいですよね。

年明けにTIBの代表の方とお会いする機会があったのに、年末年始一時帰国していた私は不覚にもこのコンサートのことをそのとき知らなかったんですよね。知ってたらいろいろお聞きしたかったのになあ..。

やっぱり未来を変えていくには、若者に働きかけないとな、と思います。私たちの農村のプロジェクト地でも、10代前半で結婚させられそうになった少女の親を説得して思いとどまらせたのは、その少女が参加していた少女グループの仲間たちでした。よそのおとなが説得して早婚を止めさせた、という話は聞いたことがないけど、少女たちが仲間の早婚を止めたケースはいくつか報告を受けています。

日本国内でシャプラニールがやっているような、都市部でのユース・グループの活動や大学を回って話をするキャラバンなど、バングラデシュでもそろそろできるといいんだろうけどなあ。でも、そういう企画をファシリテートするのって大変そう。もうひとり新しいセンスを持った、若いバングラデシュ人スタッフがほしいところですね。


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2007年01月19日

ダッカの人気FM放送

最近、バングラデシュのメディアにはいろいろ新しい動きがあって注目しているのですが、今日はそのうちのひとつ、FMラジオの話です。

ダッカではついこの前まで、FMといえば時間の限られたBBC放送しかなかったのですが、昨年からプライベートのFM放送がスタートし、ラジオを聴く習慣を忘れかけていたダッカっ子たちに新たなブームを呼んでいます。

現在、ダッカで聞けるFMには、昨年7月ごろ開局したRadio Today FM89.6と、数ヶ月遅れて開局したRadio Foorti FM98.4があるのですが、人気なのは断然Radio Today。彼らが目指しているのは「インフォテーメント」だそうですが、その通り、実用的な情報とエンターテイメントがなかなかうまくミックスされたプログラムです。

実用的な情報の代表は、30分に一度流れる道路情報、「ダッカル・チャカ(ダッカの車輪)」。ダッカの渋滞は日に日にひどくなる一方で、全然動かない道路でうんざり、ということもしばしば。そんな中、今どこが渋滞しているか30分ごとに教えてくれるこの放送は便利です。そして、市場価格情報を伝えてくれる「アージケル・バザール(今日の市場)」。今も私はこの放送を聴きなが書いてるんですが、今日の放送はミルプール11番街の市場から。砂糖やダール豆、コンデンスミルク、マスタード・オイルなど、市民の暮らしになくてはならない基本食料品の値段を伝えていました。このほか、1日4~5回のニュースも中立的でわりといい、という評判です。

エンターテイメントのほうは、流行の歌が中心ですが、話題のアーティストやビジネスマンを招待してのインタビュー番組もあります。デジタルの設備を備えているので音質もよく、私が日本から担いできたBoseのMusic Systemでもきれいに入ります。

もうひとつのRadio Foorti(フルティ=大きな喜び、英語で言うならJOY)は、音楽・エンターテイメント中心の番組構成ですが、彼らにとっての不幸はダッカを走っている車の多くが日本車で、FMが90.0までしかキャッチできないこと。これらダッカのFM放送が対象としているような中~上流階級の人たちの多くは車の中でラジオを聴くことが多いので、これはけっこう致命的。

それでも車以外にも、ラジオを聴く人が増えている理由のひとつには、若者を中心に人気を集めている携帯電話のラジオ機能があげられます。わがダッカ事務所の運転手のシポンもこのラジオが聞ける携帯電話を持っていて、ヒマな待ち時間はよくイヤホンをつけてFMを聴いてるんだそうです。電話がかかってくると自動的に電話に切り替わるんだそうで、なかなか便利ですね。

放送がキャッチできる範囲は狭くて、ダッカから80km圏内ぐらい。ウチの事務所のスタッフによると、私たちの活動地でもっとも距離的にダッカに近い、マニクゴンジ県のポイラ村でもぎりぎり聴けた、という話です。マイメンシン県のイショルゴンジではぜんぜん無理。ノルシンディ県でもダメでした。

ちなみにどちらも放送はベンガル語。DJのおしゃべりを聞くのはベンガル語上達にもいいかも。
ダッカに来られたらぜひ、聴いてみてくださいね。


追記(1月21日):今日、ノルシンディ県のPAPRIナラヤンプール事務所にラジオ・トゥデイを聴きながら行ったら、事務所の前までちゃんと聴けました。ノルシンディ県ダメ、というのは間違いでした。


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2006年08月07日

タゴールの命日

Coffee House.jpg


今日(これを書いているのはバングラデシュ時間では8月6日)は広島原爆の日ですね。
そして...今日がタゴールの“65thDeath Anniversary”ということで、新聞の文化面は全部タゴール特集。テレビもタゴール記念番組がいろいろ放映され、ダッカ大学や町中でもタゴールソングや戯曲の上演など、タゴールにちなんだ催しが。

だからてっきり私は今日がタゴールの命日だと思って、「そうかタゴールの命日のちょうど4年後に原爆が落とされたのか...」と感慨にふけっていたのですが、よく調べたらタゴールの命日は今日じゃなくて明日8月7日みたい。英語でDeath Anniversaryというときは、命日の1日前までで数えるものなんですか?それともバングラデシュ社会全体がタゴールの命日を1日間違えてるのか?そんなはずはないですよね...。うーん、しかし釈然としないな。

それはまあよいとして、とにかくベンガルが生んだ巨人、詩聖タゴールが亡くなって65年であります。生涯に数千にのぼる詩や歌(インドとバングラデシュの国歌含む)、戯曲や小説を残したタゴールは、今も国境の両側にまたがり、ベンガルの人々の心の宝です。(上の写真はコルカタ大学近くにある有名なコーヒー・ハウス。もう100年以上はたっている建物で、昔も今も知識人や文化人、学生たちの語らいの場です。壁にかかっているのはタゴールの肖像。)

シャプラニールが支援する、バングラデシュの村の貧しい子どもたちの補習教室でも、思春期の少女たちのグループでも、タゴール作詞・作曲の国歌、「アマル・ショナル・バングラ」(わが黄金のベンガル)はよく歌われます。伴奏もないことが多いし、子どもたちの歌は調子っぱずれなので、最初のうちは聞いてもメロディーがよくわからなかったのですが、ゆるやかな、ベンガルの豊かな自然への憧れに満ちた歌です。

命日にちなんでタゴールの人生を少し振り返ろう、と思って、手元の森本達雄著「ガンディーとタゴール」(第三文明社レグルス文庫)のページをめくってみました。持ってはいたけどちゃんと読んでいなかった本のひとつです。(恥ずかしながら私の手元にはそういう本がいっぱい)

この本はNHKラジオで語られたお話を元にまとめられているので、ですます調の語り口の中に、著者の森本氏のタゴールやガンディーへの思いが溢れていて、タゴールやガンディーの命日や誕生日に読むにはよい本です。

あらためて知ったのですが、タゴールがアジアではじめてノーベル賞を受賞したときの他の候補にはフランス文壇の大御所アナトール・フランスや、哲学者のアンリ・ベルグソンもいたんですね。タゴールの推薦書は詩人イェイツの友人がまったく個人の資格で出したただ1通のものでしたが、詩集『ギタンジャリ』を読んだ選考委員たちは深く心を動かされ、この当時西欧社会では無名だったインドの詩人を受賞者に選んだのでした。「当時、『白人』でない詩人に賞が贈られたことに、西洋社会はいたく驚きとまどった」のだそうです。んー、そうでしょうなあ。
でもタゴールは自分の作品が「国境や言語や肌の色を越えて」理解されたことを素直にとても喜んだそうです。

「生来の自然児」であったタゴールは、イギリス式の学校の詰め込み教育に耐えられず、ついに学校の卒業証書はひとつも手にしておらず、教育はすべて家庭で受けています。8歳のときから詩を書き、21歳のときに「世界の普遍的な光」と自己の合一の歓びを感じる体験をし、生涯を通じて大自然と生命の中にある「永遠なるもの」を賛美し続けたタゴールは、30代のとき10年間を農村で暮らし、さまざまな「農村開発」の方法を試みた人でもありました。

この本によるとタゴールは「無力な農民の力を結集すべく、農業共同組合的な自治組織を設立、悪質な高利貸しの魔手を排除するための頼母子講を導入、農閑期の副業としての織物・染物・皮細工などの家内工業の振興と市場の開発に奔走」「自ら家庭医学書を読みあさり、だれにでもできる基本的な病気の治療法や薬草の知識の普及にも努めました」とあります。

これって今シャプラニールやいろいろなNGOがやっていることと、基本的にあまり変わらないですよね。
非常に裕福な家の出のエリートだったとはいえ、自身がベンガル人であるタゴールが100年以上前に「農村開発」に取り組んでいたことを思うと、今のバングラデシュの状況は進歩しているんだかしていないんだかよくわからなくなります。

晩年のタゴールは世界各地へ旅をし、世界平和と機械文明や商業主義への警告を訴え続けました。森本氏の本にはこう書かれています。

「こうしてタゴールは、いよいよ『世界市民』としての自覚と責任感を強め、以来彼は、その死までの晩年の歳月のほとんどを、『狭い国家主義の壁によってばらばらにされない』一つの世界の理想の松明をかかげて、ヨーロッパから南北アメリカ大陸へ、ソヴィエトから中国・日本・東南アジアや中東の国々へと、愛と平和の巡礼の旅を続けたのでした。タゴールほど、自分の頭上にかがやいたノーベル賞の栄誉を、人類に還元したノーべりストはいなかったと言えましょう。」

そして第二次大戦の悲劇に心を痛めながら、しかし、死に瀕してもなお「この世は味わい深く、大地の塵までが美しい-」で始まる生命賛歌の詩を残し、80歳の生涯を閉じたのでした。

タゴールが今生きていたら、ガンディーが今生きていたら、このいまだに不公平と争いに満ちた世界を見てどう思っただろう?と時々考えます。そして彼らが今の時代に生きていたら、どんな行動をとっただろう?

最後に、シャプラニールの評議員でもある、北星学園大学の萱野智篤先生・真理子さんご夫妻に教えていただいたタゴールの詩のひとつを紹介します。

危険から護られるよう祈るのではなく

危険から護られるよう祈るのではなく、恐れる事なく直面しよう。
わたしの苦しみの納まることを願うのではなく、それを克服する心をこそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのでなく、われわれ自身の力をこそ求めよう。
救われることを心配しながら求めるのではなく、わたしの自由を勝ち取る忍耐をば望もう。
わたしが、人生の成功のためのみにあなたの慈悲を当てにする卑怯者ではなく、
わたしの失敗のなかにあなたの手の握りを発見する勇者でありますよう。

ラビンドラナート・タゴール、「果物採取」より
川口正吉訳


目先の仕事だけにとらわれるのでなく、タゴールを生んだこのベンガルの大地で働けることの歓びを、時折タゴールの詩集をひもといて感じながら、日々を過ごしたいものです。

追記:またインド事業に関係ない話になってしまいましたが、次回こそ。



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2006年06月26日

続・布団の話

寝椅子専用布団.jpg

昨日注文した寝椅子専用布団、夕方取りにいったらばっちり完成してました。椅子に敷いたらぴったり!じいちゃん、グーだよグー!!

柄の選択肢があまりなかったので、いかにも敷き布団という感じですが、座ってみると大変快適。ちなみに、バングラデシュの冬用の厚手の掛け布団はほとんどが赤無地なんですが、敷き布団は縦縞(たまにチェックも)が普通で、いくつかの布から選べます。

布団の話ついでに、村に干してあったお布団の写真もご紹介。着古した綿のサリーを重ねて縫い合わせ、キルト状にしたもの。

村のお布団.jpg


何度も水をくぐったサリーは通気性がよくて気持ちよさそう。

こんな風に古い布を重ねて上からステッチを施したもの(カタ)が、今はハンディクラフトとしてシャプラニールも扱っているノクシカタの元祖です。このお布団は色柄ものの古いサリーに白糸で刺し子を施しただけのものですが、白地に様々な色の糸で生命の木や花、船、動物などの模様を刺繍したノクシカタは本当にきれい。母から娘へ、嫁へ、と引き継がれてきた素朴な伝統です。

カタを縫っている女性たちは安らいだ顔をしています。最近、ノクシカタを縫うバングラデシュの女性たちへのインタビューをまとめたブックレット(中森前駐在員の力作!同時にフェアトレードのこともわかる!)も出ましたのでぜひお読みください。

そうそう、昨年「愛・地球博」に出展した巨大タペストリーが、5月下旬から7月上旬まで、フェアトレードキャラバンで全国を回っています。今週は最後の目的地、沖縄へ行くはず...

元々白地が主だったノクシカタですが、今は黒地や赤地のものもあって、ペンケースや壁掛けなどかわいい小物がいろいろあります。(カタログはこちら)見るだけでちょっとほっとする、ベンガルの伝統をお手元にぜひひとつ。


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2006年06月01日

ベンガル文学の深い海

私は本が好きなので、ダッカでも最もきれいな本屋へ歩いて2分という我が家のロケーションはとても気に入っています。出張のない休みの日はたいてい、この本屋へ行ってぶらぶらしています。

去年ダッカに来てすぐの頃、本屋で「若手バングラデシュ人が英語で書いた小説」がないか、ずいぶん探したのですが、みつかりませんでした。お隣のインドでは英語で書く若手作家が増えていて、そういう小説を読むと都市の中流階級の若者の気分だとか、様々な地方の習慣とか、いろいろなことがわかるのですが、バングラデシュではどうもそういう本はあまり無いらしい、とあきらめていました。

それが駐在して約1年たち、ベンガル語が多少わかるようになってきたら、ベンガル語で書かれた本たちが向こうから訴えてくるようになりました。バングラデシュ人作家のことも少し調べてみたら、魅力的な作家がたくさんいることがわかってきました。やっぱり、バングラデシュの文学は昔も今もなんといってもベンガル語、だったんですね。

ちょっと前までベンガル語で書かれた本の装丁や印刷はどうもいまいちだったようですが、最近は「世界水準の印刷や装丁でベンガル語の本を」と1997年に設立されたオンノプロカーシュ社などが、思わず手に取りたくなるような素敵な本を出しています。

Humayun Ahmedの本.jpg

左の2冊はバングラデシュでもっとも売れている現代作家、フマユーン・アフメッドの小説。出版社はオンノプロカーシュ。左の本、「黄色いヒムと黒いRAB」など、表紙デザインもなかなか斬新ですよね。(ちなみにRABというのは、2004年に犯罪取り締まり強化のために導入された警察の緊急行動部隊。しょっちゅう街中で軽犯罪者相手に銃撃戦を展開。ヒムというのは彼がよく好んで小説に登場させる人物です。)

2冊買ったものの、実際読んだのはまだ1冊目の4分の1ぐらい、というところなのですが、彼の作品はとても平易な言葉で書かれている上、現代のダッカの風物などがいろいろと出てくるので、都市の中流階級の気分を知るにはまさしくうってつけです。登場人物もとても生き生きと魅力的で、ちょこまかと要領のいい主人公の少年や、財産目当てで未亡人の義姉を引き取った小ずるいお父さん、頭に血がのぼると使用人を呼んで頭にザーザー水をかけさせるお母さん、テレビドラマの女優志望の若いおば、ビデオ屋で働く主人公の兄貴分、などなど、いろいろな人が出てきて、思わず笑ってしまうような面白いことを言ったりやったりするのです。文章にも漱石の「坊ちゃん」を思わせるような独特なリズムがあって(これはベンガル語と語順がほとんど同じ日本語ネイティブだからわかるのだと思う)それも魅力。

フマユーン・アフメッドは元はダッカ大学の化学の教授だったそうですが、70年代から小説を書き始め、その作品は100以上の数に上ります。本屋には彼の著作がずらりと並び、しかもどんどん新刊が出るので、いかに精力的に書いているかがわかります。ドラマの脚本も書くほか、最近は映画監督としても活躍中。お化け話などもよく書いているので読みたくてしかたないのですが、読みたい気持ちにベンガル語力が全然追いつかないのが本当に悲しい。

女性作家の本.jpg


女性作家の作品もいろいろあります。右の2冊は、左が現代バングラデシュでも最も重要な女性作家のひとりといわれるセリナ・ホセインの「戦争」。右は、その著書「ロッジャ=恥(1993)」がコーランを侮辱したとイスラム原理主義者に攻撃され、94年にスウェーデンに亡命したタスリマ・ナスリン(彼女のオフィシャルウェブサイト発見!ぜひリンクをご覧ください)のエッセイ集。(タイトルは訳せば「いかれた娘の戯言」といったところでしょうか。亡命前に書かれ、版を重ねているものです。)

セリナ・ホセインの「戦争」は、1971年の独立戦争時の庶民、とくに女性の生き様を描いた長編小説・・・らしいのですが、悲しいかな私の今のベンガル語力ではこれが読みこなせるようになるのは相当先になりそうです。でも最初の3ページだけ読みました。冒頭の一文は「タラモンの結婚が壊れた」。タラモンという10代半ばのムスリムの少女が、夫に離縁され、父親とともに農村の実家に戻っていくシーンから始まります。離婚されても生まれた家に帰れるのがうれしくてしょうがなくて、手にした小さな荷物をぽんぽん投げ上げながら歩く少女、何があったのか聞くに聞けず黙って歩く父親。・・なんとかして読みたい作品です。

英訳アンソロジー.jpg


ベンガル語現代文学を英語で概観したい方には、こんな本も出ています。「クリシュノチュラの下で」は、1952年から2002年までの50年間に書かれたバングラデシュ文学の中から選んだ詩や短編小説、戯曲のアンソロジー。前述の3人の作家の作品も収められています。ほとんどがベンガル語から英語に訳されたものです。

ああ、なんとかして一夜にしてベンガル語小説をすらすら読みこなせる力が授からないものか...。いや、語学習得に王道なし、地道に努力するほかないのでしょうね。

私のベンガル語は例えていえば、足が着くプールでやっと10メートル泳げるようになった子どもぐらい。深く美しいベンガル語文学の海の前で途方にくれています。


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2006年05月15日

インドの家政婦ベイビーの「普通じゃない人生」

久しぶりに昔住んでいたインドのニューデリー(今は猛暑!)へ行ってきました。5月11日から13日は、ダッカ事務所は祝日含め3連休。何をしようかなーと思っていたところ、デリーでフェミニズム出版社Zubaanを営む敬愛する友人、ウルワシー・ブターリアから新しい本の出版記念イベントの知らせがメールで舞い込みました。(出版社Zubaanのウェブサイトは、http://www.zubaanbooks.com/)

A life less ordinary.jpg


その新しい本というのは、デリー近郊で家庭の使用人(家政婦)として働く女性が、幼い頃からの苦難の人生を自分で記した本。6年生までしか学校へ行っておらず、12歳で結婚させられ、13歳で最初の子どもを産んだ彼女が、現在の雇い主である大学教授の励ましを得て、毎夜仕事の後ノートに向かい、書き上げた本なのでした。タイトルは“A Life Less Ordinary”、直訳すれば「あまり普通じゃない人生」。元は彼女の母語であるベンガル語で書かれたものを、雇用主の大学教授がヒンディー語に翻訳し、それをさらにウルワシーが英語に翻訳したわけです。(ベンガル語版もあとから出版されています)


当日は著者であるベイビー・ハルダールさんが出てくる短いドキュメンタリー・フィルムの上映後、ベイビーさんと、アクティビストとしても知られる女優のナンディータ・ダスさんのトークがあるとのこと。デリー往復のエアチケットはちと高いけど、ダッカの自宅で3日間だらだらしているより、えいっと行っちゃおう!デリーの友人たちにも会いたいし、と思い立ち、行ってきて正解でした。


ベイビーとナンディータ.jpg

ベイビーは今30代前半。たくさんの聴衆を前に相当緊張していましたが、控えめな中にも知性を感じさせるひとでした。ウルワシーが持ちかけたこのトークへの参加を二つ返事で引き受けたというナンディータはインドでは誰もが知っている有名な女優さん。本のフレーズを時々読み上げて紹介しながら、ベイビーの話をうまく引き出し、トークをまとめる知性と美しさに惚れぼれ。才色兼備とはこういうひとのことを言うのだなあ。(ナンディータのことをもっと知りたい人は彼女のオフィシャル・ウェブサイト、http://www.nanditadasonline.com/を見てください。広島にも来ているし、津波のときはスリランカにも行っています。)

photo:思いを語るベイビー(左)とナンディータ 


私はもうヒンディー語をすっかり忘れており、ベンガル語でベイビーさんに質問しました。今の雇い主である大学教授は、あなたが本を書くにあたってどんな風に励ましてくれたのですか?今あなたの前に家庭の使用人として働く小さな少女がいたら、その子になんと言ってあげたいですか?

ベイビーさんは考え考えこのように答えてくれました。「大学教授の私の雇い主は、ずっと教育に携わってきた人なので、人の中にあるダイヤモンドを見つける才能があるのだと思います。そうやって私の中のダイヤモンドを見出し、それを磨くように励ましてくれました。」「使用人として働くほかの少女たちには、家の仕事をするだけでなく、何かひとつ、自分ができるほかのことをみつけなさい、と言いたいです。」


少女時代悲惨な人生を送ってきたベイビーですが、今の雇い主に出会え、才能を見出されたことは本当に幸運でした。今は家政婦の仕事をしながら2冊目の本を執筆中とのこと。

ウルワシー、ベイビー、ナンディータ.jpg


今年からシャプラニールは使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカで、家政婦として働く女性たちのためのプロジェクトをインドのコルカタで始めます。コルカタの女性たちも村から早朝ローカル列車に揺られて通勤し、少ない賃金で酷使されて相当大変なのですが、ダッカで使用人として働く少女たちは小さな子どもなだけに悲惨です。ベイビーさんの本はバングラデシュでは残念ながらまだ出版されていないようですが、ベンガル語版が出せれば、バングラデシュで使用人として働く少女たちも小学校4年生ぐらいまで行った子なら、読むことができるでしょう。

なんとかバングラデシュでも(そしてできれば日本でも)この本が出版されるように繋ぎをつけたいものです。


photo:左からZubaanのウルワシー、本を手にうれしそうなベイビー、ナンディータ

(2006年5月14日)


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2006年04月17日

ベンガル新年、おめでとう

おとといはベンガルの新年、「ポイラ・ボイシャキ」でした。
バングラデシュでは西暦の1月1日はまったくの平日。お祝いする人はほとんどいないし、職場も休みになりません。ベンガル人にとってのお正月は、ベンガル暦の新年にあたる4月14日なのです。

この日、女性たちは赤と白の華やかなサリーに身を包み、新年を祝います。
私にとってバングラデシュでベンガル新年を迎えるのは始めて。実は少し前から買い物に出るたび、「なんでどの店も赤と白のサリーやサロワール・カミーズばかりなんだろ。暑いんだからブルー系のほうが涼しげなのに」などと無知にも思っていたのです。

しかしこれは新年を迎える晴れ着だったのでした。紅白の衣装でお祝い、というのはなんとなく日本の感覚にも似ていますよね。

商売をしている人はこの日に新しい帳簿をおろすのが習慣で、借金の返済なども年の終わりに終え、すっきりしたところでお祝いする、というのが本来の慣わしだそう。借金や借り物は年を越さずに返さないと、という感覚もなんとなく日本と似ています。

そしてベンガル正月の食べものといえば、国の魚のイリッシュ、じゃがいものボッタ(ゆでた野菜や魚などをつぶして香辛料といっしょに丸めたもの)、そしてパンタ・バート(お茶漬けならぬご飯の水漬け)が定番だそうです。

おとといは「元旦」だというのに自宅でひとり。
前夜、日本に帰国する友人のお別れ会で少々夜更かしし、朝遅く起きたら、外からトントコ太鼓の音が響いてきました。窓に駆け寄ってみると、紅白の服を着た子どもたちが、太鼓を鳴らし、おみこしやのぼりのような飾りを持って、家の前の道を行列していくのがみえました。

テレビをつけると広場に続々と集まり、旗やカラフルなウチワを持ったり、顔にペイントしたりしてはしゃぐ若者たち。
いいなあ、ひとりはつまんないなあ、と思っていた「ピンポーン」とドアに誰かが。それは大家さんからの届け物でした。素焼きの小さな器にきれいに盛り付けられたベンガルのお菓子。温かい気遣いにうれしくなりながら、もし私が日本でアパートの大家だったら、そしてそこにバングラデシュ人の住人がいたら、お正月にわたしは何をしてあげるのだろうか、とふと思いました。

前にも書きましたがベンガル暦はほんとうにここの季節に合っていて、不思議なほどです。
月の変わり目にあわせて気候が変わっていきます。

正月であるボイシャク月の直前からスコールがはじまりました。
「大晦日」にあたる日は夕刻から嵐が来て雷とともに雹が降り、外に出られず事務所で雨が止むのを待っていたら、ベンガル人の同僚が「年の終わりはいつもこうなんだよ」と言っていました。

乾期の間中苦しめられた私の咳は、本格的な雨がふりはじめた途端ぴたりと止まりました。
これからどんどん暑くなり、湿気も高まっていきます。
蒸し暑い気候の中、毎日停電続きでしんどいですが、5月になればライチのシーズン。そしてそのあとは待ちに待ったマンゴーの季節がやってきます。

(2006年4月17日)


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