シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
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2009年6月 6日

海水が飲料水に?

今回のサイクロンAilaの被害で、南西沿岸部を今後サイクロン被害から救うには、2つのことについて対策がされなければ根本的解決にならない、延々と同じこと(サイクロン→高潮被害→緊急救援→救援物資・とくに飲料水が足りない→汚れた水を飲んで下痢蔓延)が繰り返されるだけ、ということがはっきりわかりました。

その2つとはズバリ、「高潮を防ぐ堤防」と「飲料水確保」です。

5月29日のこのブログに「塩水から簡単に短時間に、大掛かりな装置も使わずに塩を抜く方法があれば、ずいぶん多くの人が助かるのに...。でもそんな方法があったら人類はとっくに海水を飲料水にしてますよね。」と書いたんですが、その後「海水淡水化」で検索したら、ドバーっと日本国内の海水淡水化プラントやら、淡水化装置の情報が出てきました。

Wikipediaの「海水淡水化」の項によると、海水の淡水化で実用化されている方式には「多段フラッシュ」という蒸留法と、逆浸透膜(RO膜)を使って圧力をかける「逆浸透法」ってのがあるそう。そして、この海水淡水化用の逆浸透膜をもっとも多く製造している国は日本であると推定される、と。

知らなかった...こんなに実用化されていたとは。日本のプラントが中東やら地中海やらにどんどん輸出されてるんですね。それに福岡には海水淡水化センター(まみずピア)なんて立派な施設もある。こういう施設がバングラデシュ沿岸部にもあれば...。

そして6月4日の東京新聞にこんな記事が。

海水から飲料水、自然の力で 民活機構など横浜・山下公園で実験

山下公園なんかでやってないで、今すぐバングラデシュに持ってきてシャトキラで実験して!と叫びそうです。この移動式ってのがいいじゃないですか。でも高いんだろうなあー。それに壊れたらそう簡単には直せないよね、きっと。でもこれ実用化されたらほんとに助かりますよ。1日1500人分の飲料水が作れたらたいしたものです。シャプラニールに1台もらえませんかね...。

今日のDaily StarにもBUET(バングラデシュ工科大学)の先生がこんな記事を書いていました。

Ailaによる破壊への対処

この記事でとくに私が目を止めたのは、「政府は塩水を淡水化する装置を災害対策として導入すべきだ」という部分。私は全然知らなかったんですが、

「2004年のインド洋津波被害の際、インドのタミール・ナド州では飲料水源が高潮のため汚染された。その際、タミール・ナド州政府の要請に応え、Tata Projects Ltd.が1時間に3500リットルの水がつくれる移動式の塩水淡水化装置を設置した。この装置は今も活用されている」

んだそう。で、

「食糧・災害対策省(バングラデシュで災害対策を担当する省)はディーゼルエンジンで動くこういう装置を沿岸部に設置すべきだ」

と。...賛成!救援のたびに毎回ミネラルウォーターを運んだって、全然需要に足りないし非効率でナンセンスだ。インドでTataが作ってるなら、日本やアメリカ製のを買うよりずっと価格もお手ごろなはず。それを買えないものかバングラデシュ政府よ。

中東ではもっと大掛かりな塩水淡水化装置が使われているそうですが、それは蒸留法が多いそう。これには多大な電力が必要だからバングラデシュには適さないでしょう、ですと。その通りですね。バングラデシュでもっともこいういう装置を必要としている地域はほとんど電気通ってないですしね。

このBUETの先生の記事、もうひとつ気になることが書いてありました。曰く、南西沿岸部シャトキラ付近で堤防が壊れやすくなっている理由のひとつは、エビの養殖のために塩水を引く無数のプラスチックのパイプが堤防を通っていたからだ、と。

約20年前から始まり、南西沿岸部で拡大しつつあるブラックタイガーなどのエビの養殖は、バングラデシュの貴重な外貨収入源のひとつですが、土壌や水の塩害とそれによる生態系の破壊という深刻な影響を地域に及ぼしています。

サイクロン、塩害、エビの養殖...バングラデシュ南西部の人々の生活向上について考えていると、「水」をめぐって繋がっている様々な問題の連鎖がみえてきます。


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2009年6月 5日

池の水抜き

第二次救援活動で「池の水抜き作業」を行います、という記事を見て、「は?」と思われた方もあるかもしれません。なんで緊急救援で池の水を抜く必要があるのか?池なんてあとにしとけば。と思われるかも。

でも、これが実はこの地域にはとても大事なんです。飲料水の確保のために最優先でやってほしい、と村人たちが望んでいることです。

今回サイクロンの被害にあったバングラデシュ南西沿岸部は、前にも書いたかもしれませんが、地下水に塩分が混じっていて、井戸を掘っても塩水が出てしまう地域が多いのです。日本みたいな水道なんて村の中には通ってないから、井戸がダメだとなると頼りは池とか川の水、そして雨水しかありません。

私たちが活動しているボクルトラ村も村人の飲み水や生活用水は池の水がたよりです。3000人の村人が暮らす村の中に、大小とりまぜ約500もの池があります。しかし、そのほとんどが今回のAILAによる高潮の被害で塩分の混じった汚い水が入ってしまい、以前のように生活用水として使えなくなってしまったのです。

折りしもバングラデシュはこれから本格的な雨期。しかもAilaの影響もあって今年はモンスーンの雨がいつもより早く降り出すと言われています。この貴重な雨水を池に溜めて使えるように、今すぐ池に溜まった汚い水をポンプで抜き出さなければなりません。

この作業は今すぐに始めて雨期の雨が本格的に降り出す前に完了したいと思っています。なので、池が500あっても実際できるのは30がせいぜい。1つのポンプで池の水抜きを行うと、3日3晩かかります。ポンプ3つで1つの池をいっぺんに水抜きすれば1日ですみますが、いずれにしろ私たちのキャパでは30日で30の池がやっと、というところ。この30の池、どれを選ぶかはよく検討して、多くの村人が共有の池としてとくに飲み水のために使っているものを優先します。

池の汚水をきれいに抜いて中を掃除し、池にとりつけた水の濾過装置の中もきれいにし、そこに新しい雨水が溜まれば、また村人たちはその水を使えるようになります。モンスーンが来るまでに1つでも多くの池の水を抜きたい。時間との闘いです。


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2009年6月 2日

バングラデシュ政府が堤防修復へ

政府が昨日Aila被災者救援についての閣僚会議を開き、堤防修復を含む緊急救援・復興支援内容を決め、発表しました。

Daily Star 6月1日 バングラデシュ政府Aila被災者へ1億タカの救援

この記事によると、昨日1億タカ相当の飲料水の緊急救援を出したとのこと(遅すぎるよ今ごろ。それが届くのにあと何日かかるのか)。そして11億6千万タカ(約16億2千万円)をかけて堤防の修復も行うそうです。被災者の「堤防を直して!」の叫びがようやく通じたか...。

沿岸部の河川の堤防は計200kmが完全に壊れ、1128kmが部分的に壊れているそうです。単純に16億2千万円を1328kmで割ってみたら、1kmあたり約120万円。JJSが見積もったkmあたりの修復に必要な金額とほぼ同じです。まあ計算としてはイイ線だということでしょう。ただしこの11億6千万タカ、4億1千万タカがキャッシュで、残りは7億5千万タカ相当の米と麦だそう。Food for Workでやるってことなのか。

バゲルハット県ショロンコラ郡(私たちが緊急救援を行っているところ)とシャトキラ県のアサスニ、シャムノゴルは軍が、その他の場所はWater Development Boardが直すそうです。

しかしこれを聞いて安心するのはまだ早い。今朝のべつの新聞記事によると、これから雨期に入ってしまうので、本格的な堤防修復工事を始められるのは雨期が明けてから(10月か11月ごろ)になってしまい、まだあと何ヶ月も先になるというのです。応急手当的な修復は10日以内に始める、ということですが...。

Daily Star 6月1日 Ailaの苦しみは数ヶ月続く- 堤防修復に長期間要 

9月から12月にかけて次のサイクロン・シーズンが来てしまうことを考えると、被災した沿岸部住民はまだ当分のあいだ高潮再来の恐怖に怯え続けなければならないことになります。


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2009年6月 1日

救援よりも堤防を!被災住民の叫び

今朝のベンガル語紙、「プロトム・アロ(最初の光、の意)」の一面の写真に目が釘付けになりました。ネット版でも見られるので以下のリンクを見てみてください。

プロトム・アロ 5月31日 無視される沿岸部住民2千万人

今回のサイクロン、Ailaによる高潮のために大きな被害を受けたクルナ県ダコープ郡で、川沿いに住む男性たちが必死の形相で川の堤防を直している写真です。スコップさえなく、まったくの手作業。泥を素手で掴んでは投げ上げ、素足で踏みしめて壊れた堤防を修復しようとしているのです。被災した彼ら、ろくに食事もとれていないだろうに、もう政府をいくら待ってもダメだ、自分たちでやるしかない、と腰まで水に浸かって、まるで賽の河原で石を積むような作業を始めたのです。

昨夜のテレビニュースでも、救援の食糧配給の列に並ぶ男性が叫ぶように訴えていました。「私が求めることはたったひとつだ。堤防を直してほしい。俺たちは何度も何度も救援の列に並びたくなんかないんだ。堤防をちゃんと直してくれ。ただそれだけだ。」

私たちが現在救援活動を行っているバゲルハット県ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンでも、約17kmにわたってバレッショル川の堤防がガタガタに壊れています。堤防といってもコンクリートなどが使われているわけではなく、土を盛り上げた土手です。2007年のSIDRのあと、この土手はついに本格的に修復されることがありませんでした。政府はいつ修復工事を始めるのだろう、と待っても待っても工事は開始されず、ついに修復されないまま今回のAilaの水害に至りました。

ショロンコラ郡の行政は今回のサイクロンAilaの被害を受け、地元のNGOを集めたコーディネーションミーティングで、参加したNGO関係者たちに要求しました。あんたたちで堤防を直してくれ、と。

しかし、私たちは知っています。SIDRのあと、堤防や道路の修復のためとして何十億という単位の資金が日本を含む先進国のODAからバングラデシュ政府に貸し出されたり供与されたりしたことを。いったいそのお金は何に使われたんだろう?道路や橋も重要だけれど、人の命を守るため、次なる災害を防ぐためには堤防は最優先で直される対象だったはず。しかし、今度のAilaの被害でわかりました。ショロンコラだけでなく、ポトゥアカリでも、クルナでも、SIDRで壊れた堤防は放置されてたんだ。

私たちのパートナー団体として現地で救援活動にあたっているJJSがざっと見積もったところでは、堤防の修復には少なくとも1kmあたり80万TK(約120万円)はかかるだろう、とのこと。17km直そうと思ったら、2千万円以上。とてもじゃないけど私らみたいなNGOの手には負えません。でも、SIDRのときがっぽり復興支援の資金を得たはずのバングラデシュ政府にとっては2千万円なんてはした金のはず。土嚢を積んだ程度じゃまた壊れるかもしれないけど、まったくやらないよりはずっといい。今朝の新聞の写真みたいに男たちが手づかみで泥を投げ上げるよりは、ずっとちゃんとした堤防修復ができるはず。1億円あれば5ヶ所直せる。2億円あれば10ヶ所直せるじゃないか。なんでバングラデシュ政府はやらないの?なんでドナー政府はバングラデシュ政府に堤防を優先させるように言わないの?なんで大金貸したあと堤防が直ってるかどうかチェックしないの?

私たちももっと声を上げるべきだったんだ。堤防が直ってない!このままじゃまた高潮の水が村の中に流れ込む!って言い続けるべきだったんだ。

このまま各地の堤防が直されなかったら、今年の秋のサイクロン・シーズンにもまた多くの人が高潮で命や家財を失い、救援が必要な事態になるでしょう。それ以前にも、次に大潮が来るとき、また壊れた堤防の隙間から水が村の中に流れ込むのではないか、と沿岸部の人々は恐れています。

今度の大潮は満月となる6月8日頃です。また川の水が溢れて被害が出ないか私たちも心配です。


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2009年5月29日

Aila来襲から3日

サイクロンAilaによる被害は想像以上に大きなものになってしまいました。政府の発表によるとこのサイクロンによるバングラデシュ国内の死者は147名(155名という報告も)、被災者総数は350万人以上にのぼるということです。インドの西ベンガル州でも大きな被害が出ています。

人々が早めにサイクロン・シェルターなどに避難していたこともあり、Sidrに比べると死傷者はずっと少なかったですが、それでも今回被災した350万の人々の窮状は生半可なものではありません。まず、悲惨なのは今回被災した人の多くが、2007年のSidrの被災者であり、まだ立ち直りきれないうちに新たな災害に遭ってしまった、ということ。また、Sidrの際は頭上を越すような高潮が来たものの、翌朝には水が引いていたのですが、今回はちょうど大潮の時期とサイクロンの上陸が重なってしまったため、満ち潮になるたびに高潮が何度も押し寄せて来て水が何日も引かなかったのも、人々のパニックに拍車をかけました。私たちがSidrの復興支援に重なるような形で今回のAila被災者の緊急救援を始めたバゲルハット県のショロンコラ郡のボクルトラ村周辺では、今日はもう7割がた水は引いたのですが、地域によってはまだ水が引いていないところもかなりあるようです。

「まわり中見渡す限り水、水、水。でも飲み水はない」

これが昨日送られてきた現地NGOからの報告の最初の一行でした。安全な飲料水の確保がとにかく最重要課題ですが、水というのは重いものなので遠くから大量に運ぶのは困難ですし、ミネラル・ウォーターのボトルなどは数本ずつ配ったところですぐに使い切ってしまいます。そのため、現地になるべく近いところで水源を探し、その水を濾過したり沸かしたりして安全な状態にして使用することが現実的だといえましょう。

幸い、私たちが支援活動を行っているボクルトラ村では、村にいくつかあるPond Sand Filter(PSF)という石や砂利、砂を層にした濾過装置が設置されている池の中で、ひとつだけ高潮の水をかぶらずにすんだものがあり、その池の水が村の命の水となっています。昨日から村の中で炊き出しによる食糧支援を始めましたが、その料理に使う水もこの池のフィルターを通した水を運び、沸かして使っています。また、高潮が来た直後は塩辛くなっていた川の水の塩分濃度が日を追うにつれ下がってきたということで、その水を沸かして飲んでいる人もいるそうです。しかし、飲める水が得られる場所が極端に限られてしまった今、高潮の水が引いたばかりの村の中は歩けば膝まで足が埋まるようなぬかるみで、遠くまで水を汲みにいくのは大変なことです。

塩分のない水は十分に煮沸したり浄水剤を使えば飲料水として使えるようになりますが、いったん塩水が混ざってしまうと、水から塩を抜くのは簡単なことではありません。Pond Sand Filterでも、浄水剤でも塩は抜けないですし、いくらきれいな水でも塩辛かったら人は飲めません。塩水から簡単に短時間に、大掛かりな装置も使わずに塩を抜く方法があれば、ずいぶん多くの人が助かるのに...。でもそんな方法があったら人類はとっくに海水を飲料水にしてますよね。

バングラデシュの沿岸部では、井戸を掘っても塩水が出てしまうので日頃から池や川の水に飲料水を頼っている地域が多くあります。ボクルトラ村もそういう場所のひとつで、私たちもSidrの復興支援活動の中で事務所兼研修センターの横に飲料水用の大きな池を掘ってPSFをとりつけ、毎日150世帯ぐらいがこの池の水を使っていました。飲料水用の池だからと水浴びも禁止し、周囲の住民たちも大切に使っていました。この池はサイクロン時に高潮の水がさかのぼってくるバレッショル川から1km以上離れていたし、池の周囲も土盛りしてかなり高くしていたのに、Sidrから2年もたたないうちにまさかの高潮がここまで押し寄せてきて大切な池を飲み込みました。この池の水は一度ポンプで全部抜き出して中を掃除し、雨期の雨水をあらためて溜められるようにしなければなりません。これはかなりの大作業になります。まったくもって悔しいことです。

今日からボクルトラ村、隣のラエンダ村の2ヵ所のサイクロン・シェルターを拠点に炊き出しを始め、計2000人以上の人々にキチュリ(ダール豆、野菜、じゃがいもなどが入ったカレー味のお粥)を提供しました。今日の昼過ぎ、現場に行っていたダッカ事務所のプログラム・コーディネーター、ポリモールからの電話の後ろでは、炊き出しの行列でごった返す人々のざわめきが聞こえてきました。

明日はもっとたくさんの人が来るでしょう。現場での活動を担うパートナー団体のJJSのスタッフたちは、自分たちも衣類を流されたりしながらがんばっています。今のところ政府の支援もこの村の人々にはまったく届いておらず、備蓄していた米や食器も水に流されて家で料理もできず、この炊き出しのキチュリだけが今日の食事、という人がほとんどだったようです。

できるだけ早く人々に元のような生活に戻ってもらえるようにしなければなりませんが、それにはまだだいぶ時間がかかりそうです。現地の状況を注意深く見守りながら、今後の短期・長期の対策を考える日々が続きます。

 


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2009年5月25日

サイクロンAILA、クルナ沿岸へ

久しぶりのブログがサイクロン報告になってしまいました。 

土曜日にベンガル湾上に発生した熱帯低気圧がサイクロンとなってAILA(アイラ)と名づけられ、現在バングラデシュのクルナ沿岸を横断中です。このサイクロン、2007年のSIDRのようにパワフルなものではないので、暴風の被害はそれほどないと思われますが、悪いことに今日は新月、つまり大潮にあたっており、高潮の被害がすでにかなり出ている模様です。沿岸部の人々の多くはサイクロン・シェルターなどに避難しています。 

私たちが復興支援活動を行っているバゲルハット県ショロンコラ郡ボクルトラ村付近も川の堤防が決壊して水が村に流れ込み、かなり被害が出ているとの報告が入ってきています。私たちの活動の根拠地である開発センター(事務所兼研修センター)の中にも水が入ってきてしまい、飲料水用の池の上まで川の水が来てしまったとのこと。村の農業支援用に購入した耕耘機やバイクなども比較的高い場所に避難させているものの、これ以上増水すると水に漬かってしまうかもしれない、とのこと。それ以上に、村の中のサイクロン・シェルターがすでに満杯で避難できない人が出ているらしいことが心配です。

 人口の多い村内にもっとシェルターが必要なことはわかっていたのですが、私たちの資金ではSIDRのあとシェルターを建てるところまではムリでした。しかし、これはなんとかしてシェルターを増設しないと、今後も被害が出てしまいます。それより先に川の堤防を直すべき。これは政府がやるはずの仕事ですが、なぜちゃんとやらなかったのか。政府もあれほどSIDR直後に堤防や道路や橋を直すための資金を日本含めドナー国から得ていたはずなのに。 

今夜暗くなる前にサイクロンが通過し、水が引くといいのですが...。そうでないと電気のない村は真っ暗になることもあり、死傷者が出ないか心配です。ぎゅうぎゅう詰めのシェルターに避難している人たちもそのまま夜を越さなければならないことになると大変です。 

現地のスタッフもサイクロン直撃中の今は自分の身を守らねばならず、避難している状況です。被害状況把握と対応を開始できるのは明日の朝になりそうです。

 

 


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2009年1月16日

急がば回れ

サイクロン復興支援活動がらみの出張でクルナに来ています。今日はバゲルハット県ショロンコラ郡の現場まで行ってきました。

昨日ダッカからクルナに来るときは、霧のためダッカからポッダ(ガンジス)河を渡るパトゥリア(アリチャの横)フェリーガートでたくさんの車が足止めを食って大渋滞が起き、何時間もガートで待たなければならなくなっているという話を聞き、急遽ルートを変えて、北部周りでクルナまで来ました。ダッカから北へ向かいタンガイルのジョムナー・ブリッジを渡って、西へ向かい、ラロン・シャー・ブリッジを南へ下りてジナイダを経てクルナに入る大回りのルート。ダッカから8時間ぐらいかかりましたが、それでもダッカからクルナにパトゥリア経由で向かった人たちよりはずっとマシでした。

バングラデシュの冬は濃霧でフェリーが動かなくなるのが国内移動の最大のネック。大小の河川が無数にあり橋のない川が多いバングラデシュでは車で川を渡るのはフェリーが頼り。クルナからバゲルハットを経てサイクロン被災地のショロンコラ郡に入る途中にもフェリーでないと渡れない川があります。このフェリーにタイミングよく乗れたときはほんとに「ラッキー!」と思います。運が悪ければ1時間待ち。

サイクロン被災地は乾期の今、復興支援の第二ピークのラッシュ、という感じ。刻々と現場の状況は変わっています。この話はまた別途。

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バゲルハットからショロンコラへ向かう途中のフェリー。今日はわりとラッキーですぐ乗れました。


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2008年11月16日

SIDRから1年

昨日11月15日は、巨大サイクロンSIDRがバングラデシュを襲って大きな被害が出た日からちょうど1年。この日は各地で追悼行事が行われたようですが、私たちが現地NGOのJJSと協力して復興支援活動を実施中のバゲルハット県ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンでも記念式典が行われました。この式典はSIDRで亡くなった人たちの追悼と被災後この1年を懸命に生きてきた人たちの勇気づけのため、復興支援活動の一環として企画したもの。地域行政との共催です。

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式典冒頭で追悼の祈りをささげる人たち。女性たちは男性の後ろの別の場所で祈っています。会場はサウスカリ・ユニオンのトファルバリ・カレッジの校庭。

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式典では、郡やユニオンなどの地域行政の代表者や会場となったカレッジの先生など数人がスピーチをしましたが、その人たちも家族の誰かを亡くした人が多く、1年前のことを振り返って話しながら声を詰まらせる人も少なくありませんでした。上の写真は最後に話をしたサウスカリ・ユニオンのチェアマン。彼自身、SIDRで18人もの家族・親族を亡くされたとあって、スピーチの後半は振り絞るような涙声でした。参加者の中にも話を聞きながら目元を拭う人たちの姿がありました。

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スピーチに耳を傾ける人たち。

私もステージの上にいてスピーチの順番が回ってきたので、昨年のSIDRのあと、日本でも多くの方々が募金を寄せてくださったこと、今も「SIDRで被災した人たちはどうしていますか」と声をかけてくれる人たちがいることなどを話しました。皆さん頷きながら聞いてくれました。

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午後は一転して文化プログラム。JJSが、クルナ郊外のルプシャで長年育ててきた若者たちによる劇団が、SIDRをテーマにしたオリジナルの歌や劇を披露しました。

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SIDRが通り過ぎた日の翌朝を表現したシーン。SIDRが襲った夜に暴風雨と高潮の水が押し寄せ、人々が逃げ惑うシーンでは、観衆の中に感情を高ぶらせて、「そうだ、あのとき木につかまって生き延びたんだ!」と叫んだ男性もいました。

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劇に見入る人たち。私たちが復興支援活動を実施しているボクルトラ村の子どもたち、若者たちもたくさん参加しました。中央あたりにいるのは最近組織したボクルトラ村の少女グループのメンバーたち。

この後、前日までに行われた高校生の作文コンテストや就学前の子どもたちのお絵かきコンテストの優秀者の表彰と記念品贈呈も行われました。

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会場の一角ではSIDR直後の写真の展示も。

SIDR被災地域の中でももっとも被害が大きかった場所のひとつ、サウスカリ・ユニオン。復興にはまだ時間がかかると思いますが、この日集まって劇に興じていた子どもたち・若者たちの目の輝きに希望を感じました。


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2008年10月28日

台風一過

今日のダッカは台風一過ならぬサイクロン一過でよく晴れています。心配したサイクロンReshmiは昨日上陸するとすぐ勢力が弱まり、それほど被害ももたらさず北に抜けました(Daily Star紙関連記事)が、それでも死者は6名。うち3名は3つの大河が合流してベンガル湾に注ぐ河口にある大きな島、ボラ島で被害にあっています。バングラデシュは粗末な家に住む人が多く、また地盤がゆるくて木が倒れやすいので、家が潰れたり、倒木の下敷きになったりして、たいしたことのないサイクロンでも死者が出てしまう状況。被害に遭うのはやはりお年寄りや子どもが多いようです。

私たちが復興支援を行っているサウスカリ・ユニオンでは、今回はバレッショル川の水がなんとか溢れずにすんだのでほっとしましたが、昨年のSIDR襲来でこわれた堤防の修復を政府がやるやるといって未だに何もやっていないので、もっと大きなサイクロンが来たら大変です。

11月15日はSIDRから丸1年。その日の前後には私たちの復興支援の活動地でも、亡くなった人の追悼やサイクロンについてのディスカッション、子どもたちのお絵かき大会、高校生の作文コンテスト、演劇などの記念行事を行う予定にしています。

今年もまだサイクロン・シーズンはこれから。油断はできません。


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2008年10月27日

サイクロンReshmi

金曜の午後からバングラデシュに雨を降らせていたベンガル湾上で発生した低気圧が、昨日サイクロンに発展してReshmiと名づけられ今朝クルナ-ボリシャル沿岸部を通過しました。

Sidrほどの規模ではなかったものの、私たちが復興支援活動を実施しているバゲルハット県ショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでも人々は昨夜2時ごろからサイクロン・シェルターに避難。Sidr襲来時に高潮で水が溢れたバレッショル川の水位も、今朝の時点で堤防の高さぎりぎりまで来ていたということです。

サイクロンが同じ場所にしばらくとどまったりするとさらに大きな被害が出る恐れがあったのですが、すでにReshmiは上陸後勢力を弱め、低気圧となってダッカ方面に抜けたということです。ダッカでは今もどんより曇っていますが、風もほとんどなく雨も降っていません。

サウスカリの状況は復興支援実施中のパートナー団体JJSからのアップデート情報を待っています。昨夜は現地事務所の一階の備品などをすべて二階に避難したということでした。

英字紙Daily Starインターネット版の速報によれば、2名死者が出たとありますが、どの地域とは書かれていません。作物や家畜の被害も気になります。被害状況の全体像がわかるのは明日になってしまいそうです。


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2008年5月13日

お隣の国の大災害

しばらくご無沙汰しました。5月頭から10日ほど、日本に一時帰国しておりました。ダッカに単身赴任で丸3年、たまに帰らないと家族に忘れられちゃうので。サイクロンがまた来るのではと気を揉みましたが、バングラデシュからは進路が逸れたことを確認してダッカを発ちました。

日本に着いてからも毎日ウェブサイトの災害情報や衛星写真でサイクロンの進路をチェックしていましたが、ナルギスはバングラデシュのお隣のミャンマー(ビルマ)を直撃、大変なことになってしまいました。私はミャンマーには行ったことがないのですが、あそこまで酷い状況になるとは思ってもいなかったので報道に接して愕然としました。ナルギスは昨年バングラデシュを襲ったシドルに比べれば規模は小さいという話だったし、ミャンマーに近づく頃、少し威力が落ちたという報告もあったからです。

しかし結果は大惨事になってしまいました。高潮の被害があそこまで大きかったというのは、上陸時運悪く満潮にあたってしまったということでしょうか。堤防などもなかったのでしょうか。

ナルギスが発生したことがバングラデシュで報道されたのは確か4月29日でした。以来、バングラデシュの新聞には毎日ナルギスの進路について記事が載り、昨年シドルが襲った地域では、またサイクロンが来る!というのでちょっとした住民のパニックもありました。パニックは困りますが、それは裏を返せば、一般の住民もずいぶん早くからサイクロンの発生やそれが近づいてきていることについて、なにがしかの情報を得ていたということです。バングラデシュではナルギスが近づく可能性の高い地域では必要に応じて避難誘導ができるよう、地方行政にも指示が出ていました。国内で活動するNGOもいざという場合に備えて警戒していました。まだ十分とはいえないけれど、悲惨な災害の経験を何度も乗り越え、時間をかけてバングラデシュの防災体制はそこまで来たのです。

しかしお隣のミャンマーではバングラデシュに比べ防災体制がまったく整っていなかったようです。おそらく避難誘導もろくにないまま、人々は寝耳に水の状態で被害に遭ったのでしょう。緊急救援のためのマンパワーを受け入れず、国民投票を優先する軍事政権の愚かさには本当に腹が立ちます。こうしている間にもたくさんの人が死んでいっているというのに。

いくら物資が集まっても、それを遠隔地の人々までまんべんなく届けるというのは至難のわざです。昨年のシドルのときだって、バングラデシュでは軍や国際機関、NGOが総出で連日緊急救援を行い、それでも被災者すべてに行き渡るよう援助を届けるのはとても難しかったのです。今回のミャンマーの被害規模は1991年にバングラデシュのチッタゴン地方を襲ったサイクロンの被害(14万人死亡)を思い出させます。これほどの規模になったら、どんなにたくさん援助機関やNGOが入ってもまったく足りないはずです。救援物資を配るのもシステマティックにやらないと、アクセスのいいところの人たちばかりがたくさんもらって遠隔地にはまったく届かない、とか、間で横流しされて誰かが溜め込む、ということになりかねません。

シャプラニールは救援をやらないのか、と東京事務所にもお問い合わせをいくつかいただいたようですが、南アジア専門のシャプラニールとしては、ミャンマーに拠点もなく、現地の事情にも詳しくないので、今回は救援を行う予定はありません。しかし、日本のNGOで、ミャンマーで以前から活動している団体がいくつも救援活動を始めていますので、何かしたいとお考えの方はぜひそういった団体にご協力いただけたらと思います。日本のNGOのネットワーク団体、JANICのウェブサイトにNGOによるミャンマー救援情報がアップデートされています。昨日起こった中国四川省の地震の救援情報もすでに掲載されています。

現地のニーズをよく知り、きめ細かい対応ができること、人々の手に届くところまで確認できることがNGOの強みです。日ごろから現地で活動している団体に私も寄付します。


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2008年4月30日

もう来ないでサイクロン

ナルギス(Nargis)と名づけられたサイクロンがベンガル湾南海上に発生し、勢力を強めながらゆっくりと北上しています。今は衛星写真を数時間おきにネットで見ることができますが、これを見てもナルギスが周囲の雲を集めながらだんだん大きくなっている様子がわかります。

サイクロンは気紛れ。急に速度を落としたり上げたり、方向を急転換したり、途中で弱まって消えてしまったりすることもあります。だからまだなんともいえないのですが、今日中にはだいたいの進路がわかるという話です。

5月は11月に次いでサイクロン襲来の多い月。SIDRは11月15日でしたが、1991年の巨大サイクロンが襲った日は4月29日(つまり17年前の昨日)でした。この時期のサイクロンはミャンマー方向へ向かうことが多いようですが、バングラデシュを直撃する可能性もないとはいえません。

SIDRの傷跡もいえないまま、またサイクロンの直撃を受けたのでは目もあてられません。バングラデシュはちょうど乾期に灌漑稲作で作られたボロと呼ばれる米の収穫の季節ですが、まだ全土で稲刈りが終わったのは15%程度ということです。今週マニックゴンジやノルシンディの農村に行きましたが、一部で稲刈りの様子がみられたものの、まだ青々した田んぼのほうが大半でした。

SIDRほどの規模にはならないとしても、今サイクロンが来たら皆が待ちわびた貴重な米がまた大量にダメになってしまいます。ただでさえ昨年の洪水とSIDRによる米不足、そして世界規模の食料価格高騰のあおりを受けて危機的状況にあるバングラデシュ貧困層にとっては、大打撃となります。

来ないでナルギス、来ないでナルギス、と念じています。


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2008年3月16日

「定番」支援から漏れるもの

サイクロン復興支援のその後について、しばらくこのブログでご報告していなかったので、いったいどうなっているのかな、とお思いの方もいらっしゃることかと思います。

ウェブサイトのサイクロン救援のページに一覧表がありますが、11月15日に巨大サイクロンSIDRがバングラデシュ南西部を襲ったあと、ほぼ1ヶ月は食糧や毛布など生活物資の配布、セックスワーカーとして働く女性たちの子どもたちの支援センター運営などを緊急救援として行っていました。食糧配布などが一段落した後は、子どもたちのセンターを2ヶ月延長、10年生修了共通試験を受ける受験生のための教材配布、そして中等教育(6年生以上)を受けている子どもたちへの教科書配布(現在実施中)と続け、同時に今後の復興支援を検討するためのニーズ・アセスメントをあらためて行いました。

そのニーズ・アセスメントのレポートが上がってきました。アセスメントの方法は主に、被災地の様々なターゲットの人々を対象としたグループ・ディスカッションやインタビューです。今回シャプラニールが緊急救援を中心的に行った地域であるバゲルハット県ショロンコラ郡で、農民、漁民、思春期の少女、少年、高齢者、授乳中の女性、寡婦など対象を分け、それぞれグループで、または個別に話を聞きました。その結果、人々がいま何を必要としているかがかなり見えてきたのと同時に、緊急救援で取りこぼされていたニーズもいくつか明らかになりました。

レポートにはいろいろな人々の声が入っていますが、その中でも胸が痛んだのは思春期の少女たちの訴えです。「緊急救援でいろいろなものが配られたけど、誰も私たちに服をくれなかった」と彼女たちは言うのです。洪水にしろ、サイクロンにしろ、バングラデシュで緊急救援として配られる衣料はサリーとルンギ(腰巻)が定番。これらはどこでも手に入り、また一枚布で縫わずにそのまま使え、着る人のサイズも問わないので、緊急救援時に食糧と同時によく配布されます。シャプラニールも今回そうしました。

しかし、サリーを着るのはおとなの女性たち。結婚前の少女たちは通常サリーは着ず、サルワール・カミーズと呼ばれる長い上着とゆったりしたパンツ、長いスカーフの三点セットの衣装を着ています。サルワール・カミーズは身体に合わせて仕立てるのが普通。既製品を配布するにも対象者にあったサイズを配るとなると手間がかかるので、緊急救援で配布したという話は聞いたことがありません。

しかし、それは配る側の都合です。受け取る側から見れば、たとえば両親と思春期の少女、2人の弟、という5人家族の中で、「お父さんはルンギを、お母さんはサリーをもらった。弟たちもルンギがあれば大丈夫。でも私だけ服がない」という状況になっていたわけです。

かわいそうなことをしてしまった...と思いました。女性たちのためにトイレを、という意識はあったのですが、少女たちの服のことはあまり考えていませんでした。

同じ年頃の少年たちにも話を聞いていますが、「今必要なこと」に優先順位をつけてもらった結果、少年、少女とも第一位は「栄養のある食べ物」、第二位は少年は「勉強道具」、少女は「安全な家とトイレ」、第三位は少年、少女とも「服」でした。男の子も学校にルンギで行くわけにはいかないけれど、シャツやズボンがないのでしょう。女の子たちは仮住まいのセキュリティの悪さとトイレの不足に悩んでいます。第4位は少年は「安全な家とトイレ」、少女は「ミシンとトレーニング」、第5位は両者とも「サイクロン・シェルターをもっとつくる」でした。

だでさえお腹のすく年頃。被災後、肉や魚もなかなか食べられず、毎日米とダール豆ばかりでは育ち盛りにはさぞ辛いことでしょう。政府を通じて他国政府などのドナーが高校生に給食を出せればいいのになあ、と思います。シャプラニールのようなNGOが公立学校で給食を出す、ということは行政絡みもあってまず難しいので。少女たちが日々困っている「服」については、今からでもなんとかできたらいいな、と思っています。雨期に入ると洗濯物が乾かせなくなり、ますます着替えがなくなるでしょうから、できればその前に。

ダッカ事務所のマンパワーの限界を考えて、1月、2月は通常活動の次年度計画・予算策定の仕事を優先したので、本格的な復興支援はやや出足が遅れましたが、明日から筒井事務局次長も出張してきて、ニーズ・アセスメントの結果をもとに今後の支援内容を検討します。

被災地では各国のドナーからの資金を受け、様々なNGOが復興支援活動を行っています。しかし、「定番」的な活動がほとんどで、「ああ、いい点に着目したな」と思うような内容はあまり聞きません。もちろん「定番」的活動にはそうなるだけの理由があり、必要であればシャプラニールも実施するのですが、「定番」から漏れている、でも重要なニーズを拾うことを常に意識していたいと思います。


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2008年1月16日

「復興支援」という言葉

昨夜は一晩中唸りながら、シャプラニールの会報2月号の特集原稿を書いていました。とっくに締切を過ぎていたのを担当者に頼んで延ばしてもらっていたもので、日本時間の今朝がほんとにほんとの締切。テーマはサイクロン被災者救援活動の報告です。

今回のサイクロンがどんなだったか、被災地の今の状況、これまでやってきた支援活動と今後のことなどについて3ページ程度にまとめればよく、写真も数点、ということでフツーに書けばたいした量じゃないし、これまでブログや内部の連絡用メーリングリストに山ほど書いてた報告をかいつまんでちゃっちゃとまとめればすむ話なんですが、結局唸って唸って午前3時すぎまで書いたり消したりしてました。

シャプラニールの会報は会員さんや支援者の方に会の活動についてご報告するもので、隔月でお送りしています。ブログやウェブサイトをご覧になっていない方は、この原稿で初めてシャプラニールのサイクロン救援の報告を読まれることになります。そう思うといい加減には書けません。この2ヶ月ぐらいの間に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだけれど、サイクロンや救援活動についての基本的な情報も盛り込まなければいけないし、被災地で見てきたたこと、聞いたことも書きたいし、でもそれがどうしても決められた字数の中に入りきらなくて悪戦苦闘しました。結局、ある程度のところであきらめざるを得ず。最終的には月並みな原稿になってしまったかな...。とほほ。

書きながら、こういった活動の中でよく使われる言葉のいくつかに、自分が違和感や反発を持っていることに気がつきました。たとえば、「復興支援」。普段、英語の「リリーフ・オペレーション」を「救援活動」、「リハビリテーション」を「復興支援」と訳して使っていますが、この「復興支援」という言葉がどうも馴染みがよくない。なんというか、威勢がよすぎる感じがするんですね。「復興支援」というと、すごく「がんばれ、がんばれ」とドーンと花火を打ち上げるような感じがしませんか...。「興」の字のせいかしら。被災地や被災した人たちの今の状況に、この「復興支援」という言葉がなんだか合わない感じがするんです。

あと、使わざるを得ないときもあるけど、なんとなく最近使うことを避けている言葉は「心のケア」。心をケアすることはもちろん必要なんですけど、この「心のケア」という言葉があまりに安易に、ファッションみたいに使われすぎて、なんだか反発したくなるんです。「心のケア」なんてそんなに簡単じゃないよ、って。

被災地での「救援活動」や「復興支援活動」について、なんとなく感じていること、考えていること、たくさんあるのだけどまだ自分の中でまとまらずモヤモヤしています。

そんなとき、関西学院大学教授の野田正彰さんの著書、『災害救援』(岩波新書)を何度も読み返しています。奥尻や阪神大震災の被災地で現地調査を繰り返しながら考察されたことをまとめられたこの本は、国内・海外にかかわらず災害救援にかかわる人には必読の名著だ、と私は思っています。この前一時帰国したときやっと購入したのだけれど、ほんとに買ってダッカに持ってきてよかった。

奥尻での経験を書かれていることなど、今回私たちが救援活動を行い、今後も「復興支援」活動を行っていく予定のショロンコラ郡で起こっていたこととあまりにもそっくりだし、第1章「災害の構造」の中に書かれた「被災者役割と救援者役割」の箇所など思い当たることが多くてどっきりします。第5章「危機管理の焦点」、第7章「『心のケア』の本質」、第9章「救援の思想」などもとても参考になります。私たちがこれから何をしなければならないのか、考えるヒントになることが散りばめられている本です。

野田さんは以前ダッカ事務所にもいらっしゃったのに、私が不勉強でお会いしたときご著書をロクに読んでいなかったことが悔やまれます。ああ恥ずかしい。後悔先に立たず。

でも、他のときじゃなく、今この時期にこの本に出会えたことはよかったのかもしれません。書かれていることが染み込むようによくわかるから...。皆さんもぜひ読んでみてください。


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2008年1月 6日

がんばれ被災地の受験生

バングラデシュの教育制度は5-5-2制です。5年間の初等教育のあと、5年間の中等教育、その上に2年間の上級中等教育があります。日本では中学1年生、とか高校2年生、といった言い方をしますが、バングラデシュでは中等教育(High School)に行っている生徒の学年を言うとき、初等教育の学年から続けて、7年生とか10年生、という言い方をするのが普通です。

5年間の中等教育、つまり10年生の課程を終了すると、「SSC試験」と呼ばれる全国共通試験があります。S.S.C.はSecondary School Certificate(中等教育修了証)の略。SSC試験に受かるとこの修了証がもらえるのですが、この試験に受かるかどうか、またどんな成績で受かるか、ということは子ども本人にとってはもちろん、家族にとっても一大事で、試験初日はたいてい親が会場まで付き添い、合格発表の日は親も朝からそわそわと結果を待ちます。子どもにとっては相当プレッシャーのかかる試験らしく、試験に失敗して自殺する子が毎年数人出ます。

このSSC試験に受かると、カレッジと呼ばれる2年間の上級中等教育に進む資格ができます。カレッジでの11年生、12年生を終えたあとは、今度は「H.S.C.(Higher Secondary Certificate)試験」という共通試験があり、これに受かるとまたこの修了証をもらえます。大学教育を受けるためには、HSCを取得していなければなりません。

SSC取得、HSC取得は履歴書に書ける資格で、これらの試験に受かるかどうかは、進学するにせよ、就職するにせよ、その子の今後の人生に大きな影響を及ぼします。ハイスクールやカレッジの生徒たちは、これらの共通試験のために何ヶ月も必死で受験勉強をします。1年目に受からず、2年目に再挑戦する子も少なくありません。受験料や参考書代が払えず、働いてお金を貯めてから試験を受ける、という子もいます。

今回サイクロンで被災した地域にも、当然ながらこのSSCやHSCに向けて、必死で勉強していた生徒たちが大勢いました。しかし、高潮で家や家財が流されてしまった家庭では、この子どもたちの試験準備の参考書も流されたり、水に濡れたりして失われました。

シャプラニールでは、今後も継続していく救援・復興支援活動のひとつとして、被害の大きかったバゲルハット県ショロンコラ郡で、SSC試験受験生500名に英語・数学の試験準備参考書とノートを、HSC試験の受験生120名に同じく英語・数学の参考書とノートを配布することにしました。ショロンコラ郡では被災した一般児童や生徒が学校で学ぶための教科書は政府から配布されるそうですが、受験生のための参考書は対象にならないため、配布を決めたものです。

今年のSSC試験は当初2月27日から始まる予定でしたが、サイクロンの影響を考慮して1ヶ月延期され、3月27日から始まることになりました(試験は1日では終わらず、数日続きます)。HSCの試験はSSCよりだいぶ後になります。

SSC試験まであと2ヶ月半。被災地の受験生たちにも、最後まであきらめずがんばってもらいたいと思います。


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2007年12月13日

アッラー・バチャエセ

P1000317.jpgサイクロン被害でたくさんの人が亡くなったショロンコラ郡を訪れて、何度も耳にした言葉があります。

「アッラー・バチャエセ (アッラーが生かされた)」

おとなの頭上を超える水の中で奇跡的に助かった小さな子どもや赤ちゃんの話をするとき、人々はこの言葉をつぶやくように言うのです。アッラーによって生かされた命だと。

写真=ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンで見かけた赤ちゃん


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2007年12月11日

北東からの風

バゲルハット県、ゴパルゴンジ県のサイクロン被災現場を訪問し、昨夜帰ってきました。見たこと、感じたこと、いろいろあるのですが、今日は主に風の話。

被災地の倒木は、バゲルハットでも、ゴパルゴンジでも、みな同じ方向に倒れていました。サイクロンの暴風は北東から吹いてきたことがわかります。今回バングラデシュを襲ったサイクロン、SIDRはバングラデシュ南西部に上陸して北上し、途中で北東に方向を変えて抜けていったのですが、サイクロン自体は左回りに回転しながら移動していったので、現地では強風は北東方向から吹いていたわけです。

P1000343.jpg第三次救援を実施中のゴパルゴンジはバゲルハットよりかなり内陸に入ったところで、ゴパルゴンジ県内でも北部はほとんど被害がなく、南部のトンギパラ郡、コタリパラ郡などで強風による被害がありました。今回救援を行っているコタリパラ郡の中でも南部の3つのユニオンでとくに被害が大きくなっています。サイクロンの進路と地図を見比べて見ると、おそらく南から北上してきたサイクロンはこのコタリパラ郡南部あたりで北東に方向を変え、コミラ方面に抜けたのではないかと思われます。

ここはショロンコラのように高潮の被害にあったわけではないので、水で何もかもさらわれてしまった、という状態ではないのですが、強風による家の破壊はかなり激しいものでした。この地域にはかなり広い湿原があるため、その湿原の南側にあたる地域では風をさえぎるものがなく、もろに家が北東からの暴風を受けてしまったようです。元々ヒンドゥーのアウトカーストの人々など、貧しいマイノリティの人たちの多いところなのですが、その中でも寡婦やお年寄りの世帯で家が潰れたところはいかにも大変そうでした。

元々貧しい人たちの家はひ弱だったためということもありますが、地震の後のように潰れた家々を見て、今回のサイクロンの暴風の強さをあらためて感じました。

写真=コタリパラ郡南部のシュワグラム・ユニオンにて12月9日撮影


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2007年12月 9日

VGFカードとトタンについて

先日VGFカードのこと、トタンの怪我のことについて書きましたが、その後自分で見て確認できたことがあるので書きます。

VGFカードをもらった人.jpgショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでは、すでに被災者にVGFカードが配布されていました。「明日あたり最初の米の配布があることになっている」と昨日聞いたので、今日配布があったかもしれません。1度にお米が5Kgもらえます。

昨夜のニュースでもサウスカリ・ユニオンでVGFカード配布、と伝えていましたが、どうも他の被災地に先駆けてまずここで配布されたようです。

写真:VGFカードをもらった人

それからトタンの怪我についてですが、昨日書いたサラムさんの家族はじめ、サウスカリで会った人たちは多かれ少なかれ、トタンで手足や額などに切り傷を負っていて、その傷を「ほらこんなに傷だらけでしょ」と見せてくれました。91年に比べればトタンによる大怪我は少なかったのだろうと思いますが、小さな怪我はやはり多かったのです。

P1000305.jpg短期間に住宅を再建するにはトタンが便利ではありますが、ショロンコラでの救援のパートナーであるJJSのスタッフたちは、「サイクロンの危険のある場所でトタンは配るべきじゃない。トタンの家を100つくるなら10でもコンクリートの家を作ったほうがいい」という考えだと言っていました。その家がいざというときには近隣の人々のシェルター代わりにもなるからです。

しかし、そういう場合、誰の家をコンクリートの家に選ぶのか?というところで揉めそうですよね...。

写真:トタンでできた学校の屋根も暴風でガタガタになっていました


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2007年12月 7日

暗い冷たい水の夢

今日はショロンコラの被災地で、シャプラニールとJJSの協力でつくった井戸やトイレ、清掃した池などを見て回りながら、未だサイクロンの爪跡が生々しく残るラエンダ・ユニオンとサウスカリ・ユニオンで被災した人たちに話を聞きました。

サイクロンの夜から20日たちましたが、多くの人たちが、「今も水の夢を見る」と語っていました。
サイクロンが来た夜9時半ごろ、真っ暗な中、暴風と一緒に川の水が溢れてきて、みるみるうちに家の中を水が上がってきた、といいます。このままでは家が潰れる、家の中にいたら死んでしまう、と思って、家の外に出て木につかまり、水をやり過ごした、という人が何人もいました。

人々が頭上を超える水の中で木などにつかまっていたこの2分から5分ぐらいの間が、命を分けることになりました。

サラムさん親子2.jpgサウスカリ・ユニオンのバレッショル河畔に住むサラムさんの一家は両親と弟家族と一緒に暮らしていましたが、このサイクロンでサラムさんの父や弟をはじめ、家族8人を失いました。サラムさんの一番下の娘はまだ2歳。水が来たとき、サラムさんはこの小さな娘を抱えて外に出、木につかまろうとしました。水の中でしっかり木につかまることは両手があいていないとできません。結局サラムさんは娘の服の襟を口でくわえ、噛み締めて持ち上げながら木にしがみついていました。小さな娘はそのおかげで助かりました。
写真:こうやって木にしがみついて助かった、と語るサラムさん。右後方に救援として設置した井戸のポンプがみえる。

一方でサラムさんの弟はこの水の中で生き延びることができませんでした。サラムさんの弟の妻は、暗闇の中で夫と離れ離れになり、8歳の娘と10歳の息子、二人の子どもを胸に抱えるようにして、水の中で木にしがみついていました。しかし、水はどんどん上がってきます。左側に抱えていた息子の服が裏返しになり、顔にかかってしまったのをはずしてやろうとしているうちに息子は手を離れて水にさらわれてしまいました。暗い水の中、必死で手探りしたけれど二度と息子に触れることはできませんでした。右側に抱えていた娘は助かりました。水が引き、翌朝明るくなってから、家のまわりの別々の場所で夫と息子の遺体がみつかりました。夫が抱いていた、赤ん坊だった娘は、ずっと遠くまで流されてモスクの近くで遺体がみつかりました。

もうかなりのお歳になるサラムさんのお母さんは、サイクロンで水が押し寄せた夜に夫を失いました。怪我をした腕の包帯が痛々しく、その日のことを語る声は震えていました。

夜になるとあの日の記憶がよみがえり、暗い中を水が押し寄せてくる夢に目覚めては、水が来ていないことを確かめる、と何人かの人が同じことを言っていました。子どもたちは一見明るそうに見えますが、夜になると「いまシグナルはいくつ?サイクロンシェルターに逃げなくちゃ」と怯えたりするそうです。

サラムさんの家の近くにも井戸をひとつ、トイレをひとつ設置しました。彼らが失ったものの大きさに比べるとささやかな支援ではありますが、「井戸は本当に助かります。水に苦しめられたけれど、水がなければ生きていけないから。どうもありがとう。また来てください」と言ってもらえました。


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助けて、と言えない中流階級の苦悩

今朝ダッカを出て、ゴパルゴンジ県のコタリパラ郡にちょっと寄り、それからクルナのJJS(バゲルハット県ショロンコラ郡を中心に救援活動を行っているパートナー団体)の事務所へ来ました。JJSのスタッフはサイクロン以来毎日夜中まで懸命に救援活動にあたっています。彼らの献身的な働きに感謝を表し、これまでやってきた仕事の状況について報告を聞きました。

そこでスタッフからこんな話を聞きました。

「ショロンコラでは食糧配布は今はだいたい行き渡り、ください、と言える人は何度ももらっている人もいる。でも、実は中流階級の人たちの中に、すべてを失ったのに何ももらっていない人がいる。彼ら・彼女らは施しを受けることが恥ずかしくて、困っていても自分から手をだして『頂戴』と言うことができないんだ。そんなことはしたことがない人たちだし、誇りがあるから。数日前の夜、僕たちが仕事をしているそばで黙って子どもの手を引いて立ってる女性がいたんだ。何か言い出そうとしながら迷っているから近づいていって、困っていることがあったら話してください、と言ったら、もう3日何も食べていないと言って泣き出した。でもだから食べ物をください、とは決して言わないんだ」

サウスカリ・ユニオンのような高潮の被害があった被災地では、すべてを失ったのはもともとある程度のレベルにあった人も、貧しかった人も同じなのですが、走り回って救援物資をかき集め、なんとかしのいでいるある意味逞しい人は、どちらかというと元々貧しかった人なのかもしれません。元の生活レベルとの落差、という点では中流階級(正確にはLower Middle Class)のほうが大きいわけです。

もっとステイタスが上のUpper Classの人たちは親戚などを頼ってどこかへ行き、元々貧しかった人たちは救援の列に並んで逞しくやっている間で、取り残されているのがこの場合Lower Middle Classだというのが彼らの観察です。なかなか複雑なものがあります。

今夜は打ち合わせだけしかできませんでしたが、明日、サイクロンから20日たったショロンコラの状況を見に行きます。


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2007年12月 4日

トタンによる怪我が少ない理由

今回のサイクロンの被害の中でちょっと不思議に思っていることがありました。1991年のサイクロンでは家の屋根などに使われているトタンが暴風で舞い上がり、それが空飛ぶ凶器となって多くの人が大怪我をしたり、亡くなったりしたと聞いていたのですが、今回はトタンで大怪我をした、という話をほとんど聞かないのです。91年に比べればバングラデシュ全土ではトタン屋根のの家は確実に増えているはずなのに、なんでなんだろう?

被災地のバゲルハットから帰ってきたダッカ事務所のポリモールにこれについて聞いてみました。

ポリ「そういえば今回はトタンでの怪我ってほとんど聞かなかったね。それより今回は倒木による被害が大きいよね」
私「でもなんで?トタンの家は昔より増えてるはずでしょ」
ポリ「うーん、バゲルハットのショロンコラあたりのことでいえば、あのへんは元々トタンの家は少なかった、ということはいえるかもね」
私「トタンの重さは?昔と今と薄さが違うとか?」
ポリ「うん、いいところに気がついたね。そういえば昔のトタンてすごく重かったよね。僕が子どものころは1枚のトタンをおとな二人でようやく持ち上げてた記憶があるけど、今は4枚重ねてラクラク持ち上げられるからね。」
私「え?逆かと思った。昔のほうが軽くて簡単に飛んだんじゃないかと思ったんだけどそうじゃないの?」
ポリ「逆だよ。昔のトタンは重くて厚かったから、それが飛んで当たると大怪我して大変だったんだよ。今のトタンはペラペラだから、今回のサイクロンでも飛んで木にひっかかったりしてたけど、あれに当たってもそんなにひどい怪我はしないと思う」
私「ふーん、そうなのかなあ。木はどうなの?」
ポリ「今回被害が大きかったクルナ、ボリシャル地方は91年に被害が大きかったチッタゴン方面に比べると大木が多いんだよね。でもその多くは自然にそこに生えてる木じゃなくて移植した木なんだ。今回根こそぎひっくり返った木の根をいくつも見たけど、太い根っこの部分が短くて細い根ばっかりだった。ある程度苗が大きくなってから移植してるから、しっかり根を張ってない木が多かったんじゃないかな。」

以上はまだ昼休みの雑談レベルの話で、ちゃんと根拠を確かめたわけではないのですが、これからこういった事柄についての事実もだんだん明らかになっていくんじゃないかと思います。

バゲルハットとボルグナの被災地に行っていた2チームが戻り、ダッカでの私の調整業務もひと息ついたので、あさってからバゲルハットとゴパルゴンジに自分で行ってくることにしました。ノートパソコンとモデムつき携帯電話を持っていくので、うまくいけば「写真入り現場レポート」が送れるかもしれません。


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2007年12月 3日

VGFカードはいつになるのか

バングラデシュ暫定政府は南西部12県のサイクロンの被災者のため、VGF(Vulnerable Group Feeding)カードを今月から大量に発行し、4ヶ月の間対象者に米の配給を行うと宣言していたのですが、早くも「VGFカード発行、遅延の見込み」という記事が12月1日の新聞に出ていました。理由は「被災者のリストづくりが終わっていないから」。いつものパターンですが、人々が飢えているときのこの非効率さ、できもしないことを簡単に宣言する浅はかさには本当にがっくり来ます。

だいたいこの国で人々のリストというものを政府がつくるのに最初に宣言された期限どおりにできた試しはありません。約4千人と発表されている死者の数にしても、遺体が確認された人の数だけです。戸籍や住民票のシステムのないこの国では、そもそもどこに何人住んでいたかという正確な数字もないのですから、そこから何人いなくなったかも正確にはわからないわけです。沿岸部の島などでは数百人単位で人が波にさらわれた、と言われているところがたくさんありますが、政府の発表する数字にいったいどこまで含まれているのか甚だ疑問です。(というより、含まれていないと思います。)

VGFカードは被災者の数だけ、270万だろうが何百万だろうが発行するよう政府の主席顧問に進言した、と軍のチーフは数日前の記者会見で勇ましく語っていましたが、現実はこの有様。リストが完成してから配布を始めるなどと言っていたら、配給開始は早くても半年後になってしまうでしょう。リストが未完成だろうがなんだろうが、把握できたところから配り始めればいいじゃないか、と思うのですが...。

サイクロンが襲った日から2週間以上たちましたが、今も被害状況が正確に把握されていないのは本当にもどかしい思いです。いまだに沿岸部の田んぼの中から遺体がみつかったりしていますし、大きな被害がありながらほとんど救援が届いていない場所もまだたくさんあります。

被害が甚大でメディアなどの報道も多かった地域では、救援も集中し(もちろんその中でも遠隔地など救援が十分届いていない場所は多くありますが)、食糧支援はそろそろ収束、あとは毛布や子どもの教科書、家の再建、そして生計確保のための長期的な支援...という方向になりつつありますが、こういった「取り残された地域」では、今でも「とにかくまず食糧支援」という状況なのです。

こういった大災害時の救援の大きな流れ、そのスピードや移り変わりの傾向が、ここにいるとだんだん見えてきます。救援は被害が甚大で人がたくさん死んだところ、マスコミに多くとりあげられたところ、それでいて比較的アクセスがよく、通信手段の回復が早かったところにどっと流れるのです。また、国際機関などの多くは政府の発表する被害報告を元に救援内容を決めるので、政府発表自体が間違っていたり、漏れがあったりすると、救援も漏れてしまいます。

出生登録や住民登録といったシステムをこの国がきちんと整えることの重要性を災害時にあらためて感じます。その「画期的」手始めとして、暫定政権が進めている投票者リストと写真入り投票者カードづくりも、いつまでかかるのか...。このサイクロンで来年予定されていた総選挙もまた遅れるかもしれません。


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2007年11月29日

毛布1510枚を購入、船積み

毛布2.jpg救援物資は送料や手間を最低限にするためにも、なるべく現地に近いところで調達するのを原則としているのですが、今回ビニールシートと毛布については、被災地近くの都市では手に入らないことがわかったため、ダッカで購入しました。

ボルグナに送る毛布は、昨日品物を決めて業者にオーダーし、今日、ダッカ事務所のスタッフの立会いのもとに数を数えてパッキングし、オールドダッカのショドルガートという船着場まで運んで、ボルグナへ向かう船に乗せました。昨日のうちにボルグナを出てダッカにやってきたパートナー団体のションコルポ・トラストのスタッフ2人が、船に乗り込み、荷物につきそいます。

毛布1.jpg今回最初に立てた予算では、毛布1枚350TK(約560円)で計算していたのですが、1枚250TK(約400円)でカラフルな大判の毛布を買うことができました。厚みがあり、家族4人ぐらいが十分身体にかけて寝られるぐらいの大きさのものです。

写真は今日パッキングに立ち会ったオフィス・アシスタントのアシシが撮ってきたもの。船は今夜ダッカを出て明日30日にはボルグナに着きます。1日に仕分けをし、2日には最初の配布を行う予定。ボルグナに入っている小嶋駐在員とプログラムオフィサーのサイフルが、最初の配布に立ち会ってから帰ってくる予定です。


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ドナー回りをする被災地弱小NGO

シャプラニールがバゲルハット県、ボルグナ県で現地NGOをパートナーとして救援活動を始めて以降、いくつもの被災地の小さなNGOが電話をかけてきたり、請願書のような手紙を持ってダッカ事務所を訪れてきたりしています。今行っている救援活動だけでもいっぱいいっぱいな状態で、私も髪を振り乱している感じなのですが、必死の面持ちで被災地からやってくる彼らに邪険な態度をとることもできず、できる範囲で話を聞いています。

ここ数日目立つのは、今回もっとも被害が大きかったバゲルハット県やボルグナ県、ポトゥアカリ県などの最大級の被災地の隣で、相当の被害がありながらあまり新聞報道などがされず、やや目立たなくなっている地域、ピロジプール県やゴパルゴンジ県、ボリシャル県などの小さなNGO。いずれも「うちの地域はぜんぜん救援が足りない、人々は大変な状況なのに無視されている」と訴えます。

今日訪れたゴパルゴンジ県の団体の人は、「私たちが活動している郡は全国的にはマイノリティであるヒンドゥー教徒が8割を占める地域。日ごろから無視されがちな地域で、政府も邪険なので、サイクロンの救援からも取り残されているんです」と言います。ここは実は建国の父シェイク・ムジブル・ラーマンやその娘の元首相、シェイク・ハシナの出身地。マイノリティの人たちにはアワミ連盟を支持する人が多いので、前のBNP政権のときは徹底して無視されたと言います。「うちの郡に入ったら急に道も悪くなるんですよ」だって...。

こういった地域の今回のサイクロン被害がどの程度なのか、正直なところ行って見てみないとわかりません。ボルグナ県やバゲルハット県など、最大級の被害があって新聞によく写真が載る県の中でも、地区によって被害の甚大だったところ、それほどでもなかったところがありますし。「救援活動を支援して!」と言ってくるところでも、行ってみたら被害はそれほどなかった、ということもなきにしもあらずなのです(逆の場合ももちろんありえます)。また、日ごろ全然お付き合いのない、評判を聞いたこともないNGOといきなり組んで救援活動をする、というのはなかなか難しいものがあります。でも本当に被害が大きくて救援がぜんぜん回っていないのであれば、なんとかしてあげたい、とも思うのですが...。

ダッカ事務所は今、プログラムオフィサー2人と小嶋駐在員が現場からまだ戻らず、ただでさえ事務所の人員が少なくなっています。筒井事務局次長は今日もう日本に帰ってしまったし。2台ある車も出ずっぱりでレンタカーも動員中。これまで決めた2つの現場にはもうかなり資金もつぎ込んでいます。

あっちでもこっちでも救援が足りず、地元の小さなNGOが救援活動をしたくても資金がなくて困っていることはわかっていても、資金にもマンパワーにも限りのある私たちとしてはお断りしなければならない場合がほとんどです。「どうかあなたがたが私たちに協力してくれますように、神のご加護を」と言われて、ううう、と唸っています。


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2007年11月26日

サイクロンから10日過ぎて

緊急救援活動のためバタバタしていて、ブログの更新が滞ってしまいました。サイクロンの夜から10日が過ぎましたが、被災した人々の生活は平常に戻るにはほど遠く、同じ県や郡の中でも救援が届いている場所と届かない場所、もらえた人ともらえない人があり、届いていない人にいかに届けるかが援助関係者の重要課題になっています。これから冬に向けて小さな子どもやお年寄り、身体の弱った人々には厳しい季節。家族を失った人たちも悲しむ余裕さえなく、生きていくことに必死にならざるをえない状態だろうと思います。

昨日の政府のレポートによると、被災者数は680万人に達しています。バングラデシュの人口はだいたい1億4千万人ですから、バングラデシュ人のほぼ20人に1人が被災したということになります。首都ダッカが被害を免れ、被災した南西沿岸部はそれほど人口密度が高い地域ではなかったにもかかわらず、です。

シャプラニールがバゲルハット県ショロンコラ郡で第1弾の緊急救援実施を決めたことはウェブサイトでもお知らせした通りで、この活動はすでに進んでいますが、第2、第3弾の救援のため、24日からダッカ事務所の小嶋駐在員とプログラム・オフィサーのサイフル・イスラムがボルグナ方面へ、23日に来バした筒井事務局次長とプログラム・オフィサーのポリモールが25日から再びショロンコラ郡に入り、現地のNGO関係者とともに被災地を駆け回っています。

私の役回りはダッカ事務所での中継塔。現地入りしている2チームの携帯からの電話を受けたり、東京事務所と連絡をとったりしたりしながら緊急救援活動をコーディネートしています。例えて言えば、ヒマラヤ登山のベースキャンプで、隊員を登頂に送り出し、無線と望遠鏡を持ちながら指示を出している人、という感じでしょうか。もっとも今は、東京の司令塔の一部(筒井)が自らアタック隊に入っているわけですけど。

緊急救援の裏方にはいろいろ地味だけれど重要な仕事があります。政府のNGO局に救援活動用の外貨送金を受け取るための文書を作って出したり、救援物資の入手先を調べて手配したり、パートナー団体への送金の手配をしたり、さらなる救援活動のための情報収集をしたり。ダッカ事務所でこういった仕事の中核を担っている、総務担当のドットや会計担当のルフルも、よくやってくれています。

ドライバーとして被災地の悪路を長距離運転しているミロンとシポンもきっとかなり疲れているはず。安全運転には気をつけてくれていると思いますが、事務所の車はかなり年季が入っているので、故障の起きないことを祈るばかり。

今日はショロンコラに送るためのビニールシートを扱う業者をオールドダッカで見つけ出し、値段交渉をして3千枚のシートを注文し、トラックで現地に運ぶ手配などもありました。クルナやボリシャルなど被災地に近い都市ではビニールシートは手に入らないので、ダッカで買って送らなければなりません。業者にも「救援なんだから協力して。あなたも参加してほしい」と総務のドットがこんこんと話をしたところ、儲けなしでシートを卸してくれることになりました。

被災地では人々が瓦礫の廃材を組んだものにサリーやむしろなどをかけて仮小屋をつくり、そこで眠っていますが、すでに夜は霧が出ているようです。バングラデシュの冬の霧は濃密で、その中にいると髪や衣服がしっとり湿ってしまいます。もうしばらくすれば政府などの住宅再建支援も入ってくるかもしれませんが、それまでの期間をしのぐのにビニールシートは役立つはず。住宅再建のあとも様々な使い道があります。

ショロンコラの第2弾では、このほか井戸やトイレの設置、池の掃除をさらに進めることなども入っています。水の重要性は言うまでもないですが、とくに女性たちにとって、周囲の目を気にせず、安心して使えるトイレは必須です。

ボルグナでも寡婦や障がい者を含む最貧困層を対象に食糧配布を行うことになり、さらなる救援も検討しています。詳しくはサイクロン救援ページの最新情報で近々報告されると思います。

バングラデシュでは今も新聞の一面はサイクロン関係一色、救援活動も各地で懸命な努力が続いていますが、日本の新聞やテレビからはすっかりサイクロン関係のニュースは消えていると聞いて、募金の集まりが心配です。

まだサイクロンから10日、人々はなんとか生き延びつつも、これからどうやって生活していくのか目の前が真っ暗な状態にいます。どうかバングラデシュの680万の被災者のことを忘れないでください。私たちも引き続き努力しますので、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


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2007年11月22日

悲しいマンゴーの木

昨日のこと、シャプラニールが取り扱っている手工芸品生産者のサイクロン被害状況について、東京に送る文書をまとめていたプログラム・アシスタントのイルシャトが、パソコンのキーを打つ手を止めて、「ああ、こんな悲しい亡くなり方があるなんて...」とため息をつきました。

被害の大きかったボリシャル地域でジュート製品をつくっていた、ある女性の話です。お名前は聞いていませんが、仮にロヒマさん、としておきましょう。

ロヒマさんの家の裏には、大きなマンゴーの木がありました。枝ぶりもよく立派なこの木は、ロヒマさんの夫のお気に入りの木でした。バングラデシュでは木は貴重な財産です。果物の木は実を収穫して売ることもでき、大木になれば何かあったときには材木として高く売れます。ロヒマさんの夫はよくこの木を見上げながら、売ったらいくらになるかな、と話していたそうです。

サイクロンの夜、吹き荒れる嵐の中で、ロヒマさんの夫はこのマンゴーの木が心配になりました。ロヒマさんが止めるのも聞かずに、「マンゴーの木を見てくる」と言って家の外に出て行きました。マンゴーの大木はサイクロンの暴風に勝てず、ちょうどロヒマさんの夫が様子を見に行ったそのとき、根こそぎ激しく倒れ、ロヒマさんの夫はこの木に強打されて亡くなりました。

大好きだったマンゴーの木に打たれて命を落としてしまった夫。夏にはたくさんの実をつけてロヒマさんたちを喜ばせたこの木も、あるじと共にその命を終えることになりました。

今回のサイクロンではたくさんの人が倒木に家を潰される被害に遭いました。大事にしていた木の下敷きになって亡くなった、ロヒマさんの夫のような人も、たくさんいたに違いありません。


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2007年11月21日

救援内容決定、物資購入開始

サイクロン被災地、とくに遠隔地では5日たった今でも水の中に遺体や家畜の死骸が沈んでいるような状態で、安全な水不足が深刻になっています。汚染された水のために、心配されていた下痢などの病気がすでに広がっています。下痢で脱水状態になっても安全な飲み水がないのでは、命にかかわります。とくに抵抗力のない小さな子どもやお年寄りは、サイクロンの夜を生き延びても今なおとても危険な状態にあります。

昨夜クルナに戻ったポリモールから、今朝早く第1弾の救援内容の提案と予算書が送られてきました。ウェブサイトのサイクロン救援のページにも載せていますが、この提案をもとに、ショロンコラでの1100世帯への食糧、衣料などの配布と池の清掃、そしてモングラ港の近くにあるバニシャンタとよばれる場所で働くセックスワーカーの女性たちの、子どもたちのためのシェルターを1ヶ月運営することを決めました。

今回のような大災害の際、普通であれば頼りにするのは家族や親戚ですが、セックスワーカーの女性たちは厳しい社会的差別を受けている上、家族と連絡のない人がほとんどです。父親のいない子どもを独りで育てながら働いている女性が多いわけですが、この子どもたちが今回のサイクロンで非常に怯えて不安がっており、また保護も受けられずに厳しい状況にあるということでした。シェルターでは状況が落ち着くまでの1ヶ月間、この子たちに給食を出して世話をする予定です。
ポリモールがこのバニシャンタの状況を今日視察にいったので、あとで報告があるでしょう。ここは近いうちに私も様子を見に行きたいと思っています。

救援物資の購入はJJSの職員数名による購入委員会をつくって今日から明日にかけて完了し、金曜日中には配布も終える予定です。配布を早くしなければと気はあせるのですが、物資購入の際に会計の透明性を確保するのはとても重要。

池の清掃には最低4-5日はかかります。最初はフィルターポンプをつけると聞いていたのですが、人海戦術で家畜の死骸や倒木を取り除いた上で生石灰をまいて汚物を池の底に沈ませる、というやり方でやるとのこと。あの地域では池や川は無数にあるので、私たちとの協働でJJSができるのはそのうちのいくつかにすぎないと思いますが、やらないよりはずっとよいでしょう。

ポリモールにはデジカメを持たせて撮った写真を送ってくれるよう頼んでいたのですが、JJSの事務所からどうもうまく送れない模様で残念。ウェブサイトなどで現地の写真をお見せできるのは金曜日以降になりそうです。


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2007年11月20日

死の土地となった「美しい森」

昨夜クルナ入りしたダッカ事務所の職員、ポリモールは、今日、第1弾の救援のパートナー団体であるJJSの職員と、同じくJJSをパートナーとして緊急救援活動を検討しているSave the Children UKのスタッフとともに被害の大きかったバゲルハット県に向かいました。バゲルハット県はクルナ県の東隣にある南北に長い県で、南側は海に面しており、沿岸部には世界最大のマングローブ原生林であるシュンドルボン(ベンガル語で「美しい森」の意)が広がっています。

ポリモールたちはこのバゲルハット県の中心都市であるバゲルハットの町を通り過ぎて南下していき、事前にJJSのスタッフから被害がもっとも大きいと聞かされていたショロンコラ郡に入りました。ショロンコラ郡はバゲルハット県の最南端にある人口約25,000人の郡で、その土地の半分以上はシュンドルボン、という地域です。

このショロンコラ郡には5つのユニオン(行政村)があるのですが、その中のひとつ、サウスカリ・ユニオンに入ってその被害のひどさにポリモールも圧倒されているようでした。

電話で「こんなにひどい被害は見たことないよ、アパ」といいます。ここでは99%の家が破壊されているというのです。トタンの家が見渡す限り倒壊して瓦礫の地となり、川や池には家畜の死骸が放置され、ひどい悪臭が漂っているとのこと。サウスカリ・ユニオンの、選挙で選ばれた代表であるユニオン・チェアマンは、このサイクロンで一度に24人の家族・親戚を亡くし、茫然自失の状態だといいます。ほとんどの家庭で誰かしら家族が亡くなっており、中には一家全滅の家もあり、人々は亡くなった家族を埋葬したくても、遺体を包む布も手に入らない状況だというのです。

子どもたちも多くが亡くなり、生き残った子どもたちの中には、帰らない両親を呆然と待ちながら何が起こったのかわからない小さな子どももいるとのことです。バングラデシュの観光名所であり、ベンガルタイガーはじめさまざまな野生動物が棲む自然豊かな「美しい森」が、一夜にして死の土地となってしまいました。

この、もっとも被害のひどいサウスカリ・ユニオンで、まずは救援活動を行おうということになりました。ポリモールは今夜一度クルナに戻り、詳細をJJSのスタッフと相談した上で、連絡をくれることになっています。

サウスカリ・ユニオンは車では行けない場所にあり、モレルゴンジの先で車を降りて、フェリーで川を渡り、そこからバイクなどで行かなければならないとのこと。物資の輸送も車ではできないので、途中から荷車に自転車がついた「バンガリ」と呼ばれるものを何台か借りて積み替えるなどして運ばなければなりません。輸送に手間がかかり遠いので大変ですが、バゲルハット県の中でも援助団体の救援はもっと市街地に近い場所で行われているものがほとんど。今サウスカリ・ユニオンで救援を行っているのは、ここに地域事務所があるバングラデシュのNGO、BRACのみで、まだまだまったく救援の手が足りない状況だというので、ぜひそこで救援を行うべきだと思いました。

東京事務所ともやりとりした結果、ポリモールと同行したSave the Children UKとも役割分担して、この地で救援を行うことにほぼ決まりました。今のところ考えているのは食料や衣料の配布と、池の水を飲み水として使えるようにするためのフィルター・ポンプ装置の設置です。

物資を調達して救援活動ができるのは明日以降になります。

追記:23日から筒井事務局次長が東京事務所から駆けつけてくれることになりました。筒井次長は私の前の前のダッカ事務所長で、二度の駐在経験があり、協力隊時代も合わせるとバングラデシュ滞在歴10年というベテラン。ダッカ事務所のスタッフも「チュチュイ・バイ(ベンガル人は「つつい」の「つ」が言えない)」が来てくれれば勇気倍増でしょう。心強い限りです。


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2007年11月19日

ポリモール、現地へ

サイクロンの被害の状況が日に日に明らかになり、そのダメージの大きさに皆ショックを受けています。死者数は万単位になるだろうと言われていますが、海に押し流されたり、土砂に埋まって行方不明のままになってしまう人も多いと思われます。嵐の夜に行方不明になったまま帰らぬ家族を探している人があちこちにいるはずです。今日の段階の情報では、家の破損27万件、沿岸部で被害にあった人々は270万人とのこと。洪水の際も同じことが起こるのですが、まわりは水に囲まれているのに、安全な飲み水が得られず水をもとめてさまよっている人が大勢います。バングラデシュでもこれからはだんだん気温が下がってくる時期なので、着るものもないと大変です。生き残った人たちも、これから生きていくための闘いの中にいます。

昨夜、東京とのやりとりの中でJJSという団体との初動段階の協働を決め、ダッカ事務所のプログラム・オフィサー、ポリモール・クマール・ライを今日クルナへ送り出しました。ポリモールはシャプラニールのダッカ事務所に勤めてほぼ10年のベテラン、その前にも様々なNGOで働いており、緊急救援の現場も何度も経験しています。日本にもシャプラニールの「キャラバン」で各地を講演して回ったことがあるので、会われた方もあるかもしれません。

JJSはクルナに本部があり、今回のサイクロンでもっとも大きな被害が出ているバゲルハット、モレルゴンジなどの地域でも以前から活動している、スタッフ200人強の中規模NGOで、とくに女性や子ども、社会的に差別を受けている人々の支援を人権的見地から行っています。HIV/AIDS感染者、少数民族、危険な労働をさせられている子ども、セックスワーカーなど、社会の中で差別されたり弱い立場にある人々の支援を日ごろから行っている団体なので、緊急救援の中でも、社会の中で見逃されがちな、より大変な状況にいる人たちに届く支援を行ってくれることを期待しています。

ポリモールはそろそろクルナに着いているはず。JJSのスタッフたちは今日1日バゲルハットなどの現場に出ていて被害や救援の状況を目にしているので、今夜、ポリモールがクルナのJJSの事務所で打ち合わせをしてその情報を聞き、その上で明日以降の救援の場所や内容を決定することにしています。

今回のポリモールの派遣は第一段階としての小規模な救援実施と共に、被害状況、他の援助機関の動きなど、現場での情報収集も大きな目的です。状況によって、同じ場所でできるだけ早く第二段階の支援を、ということになるかもしれないし、あるいは被害の大きかったバゲルハットに大きな援助団体が続々と詰めかけるようであれば、後々私たちはもっとどこか取り残されたところを探して行ったほうがいい、ということになるかもしれません。そういったことも刻々と変わる状況を見ながら、東京事務所とも相談の上で決めていきます。


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2007年11月18日

情報収集に追われた1日

日本でも新聞などで大きく報道されているようですが、今回のサイクロンによる死者は遺体が確認されているだけでも2千人を超え、その数は増え続けています。首都ダッカには電気が戻り、ほぼ通常の状態になっていますが、被災地では電話網も絶たれ、電気も通じず、連絡をとるのが非常に困難な状況が続いています。

今日は1日、“被災地となった地域で日ごろから活動していて、シャプラニールともある程度のつきあいがあり、報告能力があり、緊急救援がきちんと実施できる能力があって、しかも他のドナーの援助が殺到していないNGO”についての情報収集に追われました。今はバングラデシュのNGO関係者はみな携帯電話を持っており、とくに現場に出ている人とのやりとりは携帯が頼りですが、被災地に電気がないため携帯の充電ができず、電話が通じない、という場合も多くなっています。とにかく現場に入らないとラチがあかないという状態ですが、拠点も確定しないままやみくもに被災地に向かっても意味ある支援はできないので、ぐっとこらえて今日は地道に各方面から情報収集の1日でした。

UNDPやユニセフ、WFPなどの国際機関や、海外の大きな国際NGO、またBRACなどバングラデシュ国内大手の巨大NGOは巨額の救援を決定し、現地での救援活動をすでに開始しています。またバングラデシュ軍はヘリコプターや海軍の船で沿岸部に行き、食料給付を実施しています。

このようなとき、緊急救援現場では、さまざまなことが起こります。信頼できるよい活動をしている現地NGOにその団体のキャパシティを超えるような大きなドナーの支援が集中してしまい、極端なオーバーロード状態に陥ってしまったり、巨額の支援金が動く現場のなかで、資金の行方が不明瞭になってしまったり。日ごろから活動しているバングラデシュであるだけに、そういった歪みを招くような支援は私たちは避けたい。そういう思いはスタッフの中に強くあります。

シャプラニールは緊急救援だけを実施している専門団体ではないので、緊急事態であっても通常の活動も粛々と続けていかなければなりません。また、今回被害が大きかった地域は、シャプラニールが日ごろからプロジェクトを実施している直接の活動地ではありません。しかし、長年活動してきた活動国内での一大事、できる限りのことはしたいと思っています。

ダッカ事務所の現地スタッフもプログラムに直接かかわるスタッフは数名ですので、効果的な活動ができるかどうかは信頼できる現場のパートナー選びが勝負です。そういうことで、少し出遅れているようにみえるかもしれませんが、日ごろのネットワークを総動員し、駐在経験者の知恵も寄せ集めて、慎重に情報収集してパートナー選びをしています。緊急救援の経験豊富なダッカ事務所の現地スタッフを現地に派遣することも検討しています。

近いうちにHPでも今後の救援活動の方向についてお知らせができるかと思います。「シャプラニールは何をやってるのかしら」と気をもんでいる皆さま、もう少しお待ちください。私たちにできる範囲のことを、誠実にやりたいと思っています。


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2007年11月17日

二夜明けて

ようやくダッカにも途切れ途切れではありますが電気が戻ってきました。2時間ぐらい電気が来ては、また2時間ぐらい切れる、という状況です。政府の発表によれば電気供給がサイクロン前の状態に回復するのに数日はかかるとのことなので、しばらくこんな状態が続くのでしょう。

今朝の段階で、サイクロンによる被害者数は少なくとも700人と発表されていますが、こんな程度ではすまないだろうと思われます。家屋倒壊の被害も甚大で、新聞報道によると11の県で95%の作物がダメになったほか、シャトキラ、クルナ、コックスバザールなどのエビの養殖も壊滅的な被害を受けています。

シャプラニールとしても何ができるのか、何をするべきなのか、被害状況や被災地の現地NGOの動きなどを中心に情報収集を開始しています。


追記:15日のブログで気象上の危険シグナルについて、10段階と書きましたが、実際は11の段階があるそうです。段階としては大きく4つに分かれていて、1から4までが「Warning」、5から7が「Danger」、8から10が「Great Danger」、11が「Failure of Communication」だとのことです。


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2007年11月16日

サイクロン死者少なくとも425人、負傷者数千人

英字紙Daily Starのインターネット版速報によると、昨夜から今朝にかけてのサイクロン被害による死者は、少なくとも425人、負傷者は数千人にのぼるということです。しかし、一方でバゲルハット県内のひとつの郡だけで、200人が行方不明、というニュースもあるので、死者数もこの程度ではすまないのではないかと思われます。一夜にして多くの命が奪われました。

バングラデシュ南西部沿岸地域に広がる世界最大のマングローブ密林地帯、シュンドルボンも大きな被害を受けたと伝えられています。この地域の海老の漁にも大きな影響が出るのではないかと思われます。

サイクロンがボリシャル、クルナ地方の沿岸部を直撃したのは今朝3:00amごろだったとのこと。その後、次第に勢力を弱めて熱帯性低気圧となり、インドのアッサム方面に抜けたとのことですが、この直撃で発電所も被害を受けたらしく、バングラデシュ全域で大停電状態になっているようです。ダッカでも一夜明けて夜7時を過ぎた今もまだ電気は復旧していません。これはかなり時間がかかるのではないか、という気がします。電線があちこち切れた、というレベルの話ではないようです。

私の家が入っているフラットは日没とともにジェネレーターがまた動きだしたので、幸いなことに蛍光灯など多少の電気はついていますが、テレビは見られないので情報を得られるのはインターネットか人との電話だけです。そもそも、全国的な停電のため、バングラデシュ国営放送もすでに3時間ほど放送自体が休止しているようです。

今日は家にこもっていましたが、明日土曜日はちょっと町に出て様子を見てみます。


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サイクロン直撃

昨夜から今朝にかけてバングラデシュを直撃した、SIDRと名づけられたサイクロンは、1970年、1991年のサイクロンに匹敵するといわれる相当な規模のものでした。ダッカでも昨夜は窓を押してくる風圧の強さにちょっと怖い思いをするほどでした。コンクリートとサッシの窓で守られたこんなしっかりした家でも大丈夫かな、と思うぐらいなのだから、トタンや竹などでできた家に住む村の人たちはどんなに心細い思いをしているだろう、と思いました。

このサイクロンの暴風でダッカ市内でもあちこちで電線が切れたらしく、昨夜から我が家でも電気が切れ、一夜明け午後3時を過ぎた今でも、いまだに復旧していません。昼過ぎまでジェネレーターが動いて明かりがついていましたが、それも燃料が切れたのか先ほど止まってしまいました。ダッカ事務所でも同じ状況です。電気がこないということは、水をくみ上げるポンプも動かせず、蛇口の水も出なくなってしまうということなので、バケツに水を汲み置いたりしています。

サイクロンの通り道となったボリシャル、クルナ地方では、とくに被害が大きかったようです。ネットニュースなどを見ると、これまでに確認されている死者は、少なくとも250人。まだ全貌が把握できていないので、まだこの数字は増えるでしょう。

今日金曜日は休みなので私も家にいるのですが、先ほどクルナ方面出身のダッカ事務所の雑用係、トゥトゥールと電話で話したところ、彼の実家でも大きな木が2本家の上に倒れ、大変なことになっているとのこと。彼の村では大きな木が軒並み倒れ、かなり死者が出たらしいと言います。彼も村に駆けつけたかったようなのですが、今日はクルナ方面に行くバスなどもぜんぜん動いておらず、行くのをあきらめたと話していました。

シャプラニールの農村の活動地では、各パートナー団体の代表に電話で聞いたところでは、死者や重傷者が出るような被害はないようです。家が壊れるなどの被害は多少出ていると思われますが、まだ状況は把握できていません。ノルシンディでも、マニックゴンジでも、ダッカ同様昨夜から電気は来ていないそうです。いつまで停電が続くのかが気になります。停電が続くと携帯電話の充電もできなくなるので、外部との連絡もしにくくなりますし。

ネットのニュースサイトも電気がないため、ニュース配信に苦労しているようです。被害の全貌がわかってくるのは明日以降になりそうです。


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2007年11月15日

大型サイクロン接近

大きなサイクロンがバングラデシュ南部沿岸地域に接近しています。バングラデシュには気象上の危険を知らせる10段階のシグナル(10が最強)があるのですが、モングラ港できのうは4だったシグナルが、今日は10に上がりました。コックス・バザール、チッタゴン付近で9。めったに出ない最大級の危険シグナルです。

今日の昼ごろまでには沿岸部が直撃を受けるとみられており、昨日から沿岸部の住民にはラウンドスピーカーなどで避難を促す呼びかけがされ、多くの人々がサイクロンシェルターなど安全な場所に避難しています。沿岸部では暴風が吹いており、チッタゴンの空港も今朝になって一時閉鎖。ダッカでも空はどんよりと暗く、朝から断続的に雨が降り、不気味な感じの風が吹いています。

ところで当地の英字新聞には「ハリケーン接近」と書かれているものと、「サイクロン接近」という表現が両方見られるのですが、インド洋付近で発生したやつはサイクロンと呼ぶんじゃなかったっけ?ウェブでちょっと調べてみても、いまいちハリケーンとサイクロンの違いがよくわかりません。

1991年に巨大サイクロンが南部沿岸地域を直撃した際は、14万人が命を落とす大災害となりました。あれから16年、いくつものサイクロンシェルターが作られ、事前に危険を知らせ避難を呼びかけるシステムもかなり改善されたはずなので、かつてのように多くの人が命を落とすことはないはずですが、それでも直撃となると大きな被害が予想され、心配です。

バングラデシュでは季節の変わり目にあたる3月、11月ごろがサイクロン被害の多い時期です。船が転覆したりすることも多いので、この季節の南部への船旅はとくに要注意。

今年は二度の洪水、サイクロン来襲、と自然災害の当たり年になってしまいました。被害が最小限に食い止められることを祈ります。


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