シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
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2009年3月14日

ボシュンドラ火事・続報

ボシュンドラ・シティでの火事はなんとか昨夜9時ごろおさまったようです。今朝の新聞によるとこの火事で少なくとも7名が死亡、20名負傷ということです。8階以下のショッピングモールには火は回らずにすみましたが、ボシュンドラ・グループのオフィスが入っていたオフィス棟の6階分が燃えてしまいました。

きのうのブログに「ショッピングモールは休みだった」と書きましたが、それは間違いで、モールはやってたみたいですね。お店にも映画館やフードコートにもたくさん人はいたけれど脱出したようです。かなりパニック状態だったようですが、映画館にもたくさん人はいたにもかかわらず、脱出時に将棋倒しになるような事故が起こらなかったのは本当によかったです。

それにしても昨日ボシュンドラ・シティを取り囲んだ見物人のすごかったこと。何千人、何万人という人が道に溢れていました。家族や自分の店を心配して見守っていた人ももちろんたくさんいたはずですが、大半は野次馬です。携帯片手に写真を撮る人も。ボシュンドラ・シティ前の道路、Panta Pathは人の海で、消火や救助のための車両が駆けつけるのにも支障を来たす始末。

そして後からわかったのは、ボシュンドラ・シティのビルの中にはちゃんと自動消火装置はついていたのだけれど、スプリンクラーに給水するタンクに水が入っていなかったため作動しなかったということ。どんな立派な装置をつけても水が入ってなきゃ意味がないじゃないか!これを機にショッピングモールの消火装置の点検が厳しくなるといいんですが。

ショッピングモールは焼けずにすみ、バングラデシュ最初のマルチ・シネプレックスも無事でしたが、モールは2日間休業するそうです。


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2009年3月13日

ボシュンドラ・シティ炎上

今日は金曜日で休みの日ですが、仕事があって朝からノルシンディ県のパートナー団体のPAPRIに行っていました。2時半過ぎ、PAPRIの事務所の食堂で昼ごはんを食べていたら、「ダッカのボシュンドラ・シティが火事だってよ」とのニュース。(新聞サイトのBreaking Newsは→こちら)ええっ?と普通以上に驚いたのは、明日の土曜日、このボシュンドラ・シティの中にある映画館に内山駐在員と二人で映画を見に行く予定にしていたからです。

ボシュンドラ・シティ(Bashundhara City)は2004年にオープンしたダッカ最大のショッピング・モールで、南アジア最大とも言われています。場所は5つ星ホテルのショナルガオン・ホテルからもすぐ近くで、初めてバングラデシュに来た人が見たら、こんなものがバングラデシュにあるなんて!とびっくりするような吹き抜けの巨大ショッピングモールです。店舗のほか、映画館、フィットネス・センター、 フードコートなども入っており、ビルは21階まであります。(ショッピングモールはそのうち8階まで)

夕方家に帰ってきてテレビのLIVE映像を見ていますが、火が出たのはオフィス棟の17階で、17~21階はほぼ焼き尽くされ、今12階ぐらいまで火が降りてきているとのこと。火の勢いはまだ衰えることなく、バングラデシュ時間19時現在、夕闇の中で今も激しく燃え続けています。夕方ダンモンディを通って家に帰る途中、ダンモンディ・レイクにかかる橋の上からも燃えるビルのオレンジ色の炎が見えました。

不幸中の幸いだったのは今日は金曜日でショッピング・モールも会社も休みだったこと。それでもこれまでにボシュンドラ・グループの消防員1名が亡くなり、50名が火傷を負ったとのことです。以前、カウンラン・バザールのTV局などが入っているビルの火災でもそうだったのですが、バングラデシュには11~12階以上に届くようなはしご車も無く、高いところまで水が届くようなポンプ車も無く、消防隊員が着る消防服さえ満足に無い状態で、このような高層ビルで火災が起きるとまったくお手上げなのです。軍のヘリコプターも出動して鎮火に当たっていますが、とても手に負えそうにありません。下手に軽装備の消防隊員が中に入っても自ら被害に遭ってしまうだけでしょう。そもそもこんな火事が起こったら消火できる設備もないのに、高層ビルをどんどん建ててしまうこと自体が問題です。

この火事がショッピング・モールが開店している日に起こったら?と思うとぞっとします。大変な大惨事になったでしょう。明日起こっていたら私たち駐在員二人とも巻き込まれていたかもしれません。

火災の原因はまだわかりません。ビルの中にどれぐらい人がいたのか、ということもよくわかりません。これ以上被害者が出ることなく、早く火が治まるといいのですが...。今のところまだ火はショッピングモールまで降りてきていませんが、このままだとダッカで一番いい映画館も灰になってしまうかもしれません。

ああ、つくづくセキュリティの問題だらけのダッカです。政府もビジネスセクターもNGOも市民ももっと真剣に都市の防災について考えなければ、このまま高層建築ラッシュが続いたらもうどうにもならなくなるでしょう。洪水やサイクロンなど自然災害についての防災も重要だけど、都市の防災のほうがもしかしたら緊急度は高いのかもしれません。


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2009年3月12日

やっぱりJMB

BDR本部での虐殺事件の捜査を一括して担当することが数日前に発表された商業大臣のファルーク・カーンが今日、捜査の結果、今回のBDR事件にイスラム過激派のジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(以下JMB)が関わっていることがわかった、と発表しました。(→新聞記事)やっぱりね...。ちなみにこのファルーク・カーンという人は退役軍人です。事件後の政府の軍への気の遣いようは相当なものがあり、捜査の責任者に彼を据えたのも、軍人たちを納得させるためでしょう。

これに伴い、独立記念日である3月26日のパレードも中止されることが決定。次に狙われるとしたら独立記念日のパレードだよなあ、と思っていたので、中止の決定を聞いてよかった、と思いました。それにしても、叩いても叩いても2~3年するとまたはびこってくるJMB。ゴキブリのようなしぶとさです。何をしでかすかわからない連中が関わっているとわかっただけに、徹底した捜査と事件に絡むJMBメンバーらの一刻も早い逮捕が望まれます。

2006年のJMBの首領逮捕に功績を残したグルザール大佐は、身元不明だった遺体のDNA鑑定により、死亡が確認されました。こういう優秀な人も亡くなっちゃったし、今後のJMB狩りは大変でしょう。

それにしてもシェイク・ハシナ首相率いる新政府、立ち上がってわずか2ヶ月足らずでなんと大きな試練に見舞われたことか。でもここでどうにか踏ん張ってほしいです。バングラデシュが平和なよりよい国になっていくためには、国際社会も現政権が潰れないように、とにかく支えていくしかないと思います。


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2009年3月10日

「ピルカナの悲劇」その後-2

今日はヒジュラ暦(イスラームの暦)の3月12日、預言者ムハンマドの生誕祭ということで祝日です。このところ忙しかったのでどうも疲れ気味。朝からゴロゴロしながらひたすら新聞を読んでいます。3月に入ってから日に日に暑くなってきて、日中の室内の気温は30度近く。今日は曇っているからまだいいですが、日差しの強い日は30度を超えます。停電も増えてきて1回1時間程度の停電が1日4-5回。今からこんな調子じゃ本格的に暑くなる頃どうなるんでしょう。うんざり。

BDR本部での事件について、調査団が報告を出すまでにあと1週間かかるということですが、新聞には既にかなりの情報が載っていて、なんとなく背後にあるものについての想像はついてきた、という感じです。アメリカからFBIの捜査官も2名到着。明日にはスコットランド・ヤードからも捜査官が来るとか。一方で昨日ヘリコプターの墜落でジョソールの軍の高官が死亡したり、BDR本部内で自殺者が出たり、という事件も起こっています。

以下、今朝の英字紙、Daily Starの記事より

BDR本部の包囲は不十分だった(BDR HQ hardly cordoned off)
事件当時、BDR本部の周囲は軍や警察の特殊部隊が包囲していましたが、実際には無防備に近かったエリアがあり、そこから多くのBDR隊員が逃走した、ということです。26日のシェイク・ハシナ首相の演説のあと、約6700人のBDR隊員が逃走したとのこと。当日は「反乱軍は武器を捨てて投降した」と伝えられていましたが、実際のところは軍や警察が踏み込んだときには犯行に関わった者はほとんど逃げてしまってもぬけの殻に近かった、ということですね。

450名の隊員が関与(450 BDR men found involved so far)
これまでわかっただけでも450名のBDR隊員が事件に関わっており、そのうち少なくとも12名がいくつかに分かれた彼らのグループを指揮していた、ということです。

ジョソール地域の軍司令官がヘリコプター墜落で死亡(Jessore GOC killed in chopper crash)
亡くなった司令官は階級でいうとMager Generalだから少将?かなり高位の人です。ヘリコプターを操縦していた中佐(Lieutenant Colonel)も亡くなり、もう1人操縦席にいた少佐(Major)も重症です。墜落する前にヘリコプターが電線に接触したことはわかっているのですが、時期が時期だけにただの事故なのかどうか疑問視する声も。

BDR隊員が自殺(BDR subedar 'kills' himself)
ピルカナの本部内の浴室で45歳のBDR隊員が首を吊って死亡しているのが昨日朝みつかりました。この人は事件のとき本部内にいたそうですが、逃げずに投降したそう。親戚は「自殺とは思えない」と語っているとか。

BDR本部内の教育中断されたまま(Education stays shut inside BDR HQ)
BDR本部内には小学校からカレッジまで4つの学校があって、1万人の児童・生徒・学生たちが事件後教育を中断されたままだそうです。あの中にそんなに学校があるとは知りませんでした。そこで学ぶ子どもたちだけで1万人もいるというのも驚きです。しかし、その子どもたちの中でも親が殺された子あり、親に容疑がかかっている子あり、では、事件が解明されない限り容易に普通の授業には戻れないでしょう。血なまぐさい大事件のあった敷地の中にそのまま住み続けていること自体大変なストレスだと思います。ちょうどSSC(中期中等教育修了認定試験)、HSC(後期中等教育修了試験)といった重要な全国共通試験がある時期なだけに、巻き込まれた子どもたちは本当にかわいそうです。

JMB擁護者リンクを捜査中(Probe on to find JMB patron link)
今日一番注目の記事だったのがこれ。ラッシャヒでイスラム過激派ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)のメンバーと今回のBDR事件、そしてJMBのパトロンと目される政治家とのつながりについて捜査が進んでいます。この記事によれば、BNPとジャマテ・イスラミの連立政権下の2004年ごろから複数名のJMBメンバーが地元政治家の推薦でBDR隊員として採用されていたとのこと。そういった政治家の多くは軍に支援された暫定政権の時代に逮捕されたり逃走したりしたそうで、いまだに地下にもぐったままの人もいるそう。これらのJMBメンバーは共産党の地下組織との抗争での働きに対する「ご褒美」としてBDRに採用されていた、というのです。事件後、JMBメンバーのアジトと見られる家に逃げてきたBDR隊員が数名滞在していたが、2日後、BDRに戻るといって去ったとか。JMBメンバーをBDRに推薦して採用させたパトロンとしてBNPの政治家たち(ほとんどが暫定政権時代に逮捕された)の名前が挙がっています。この記事の内容が本当なら、BDRの隊員たちの中に、数年前からすでにJMBのメンバーが入り込んでいたことになります。そうだとするといろいろなことが腑に落ちます。今回の事件にJMBが絡んでいることはほぼ確信できるレベルになってきた感じです。あとはそのパトロン、要するにBNP関係者とのつながりが問題です。Daily Starがアワミ寄りだということを差し引いて考えても、こりゃだいたい筋書きは見えてきたのでは?と思ってしまいます。

今日はすっかり独断的新聞解説になってしいました。内容がマニアックすぎて普通の読者の方にはわけがわからないかも...。でもこのブログを読んでくださっている方はほとんどバングラデシュ関係者みたいだから、ま、いいか。


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2009年3月 9日

「ピルカナの悲劇」その後

2月25日から26日にかけて起こった国境警備隊(Bangladesh Rifles=以下BDR)での銃撃事件は、結局3月上旬までの発表で74人(うち軍の将校55人)の死者が出る大事件となり(注1)、BDR本部のある場所の地名「ピルカナ(Pilkhana)」から、「ピルカナの悲劇」「ピルカナの虐殺」などと呼ばれることが多くなってきました。

日本でのわずかな報道では何が起こったのかよくわからなかったと思いますが、バングラデシュにおいてはこれは国民の心に大きな傷を残す歴史的な大事件であったといえます。真相の究明に向けて調査団が組織され、近いうちに調査報告が発表されることになっていますが、どうにもこの事件は不可解なことだらけで、今もバングラデシュの多くの人々の胸には、「なぜ、こんなことが起こってしまったのか?」「どうして防げなかったのか?」という疑問と痛みがモヤモヤとしている、という感じです。このモヤモヤは真相が明らかになるまで晴れることはないでしょう。

「BDR本部で銃撃事件」と聞くと、何かひとつの建物の中で事件が起きたのかと思われるかもしれませんが、このBDR本部というのは周囲10キロの広大な場所なのです。この中にBDR隊員や上官である軍の将校たちの住居もあり、バラやユリの花が咲き乱れる庭園やスポーツ施設もありました。広い大学のキャンパスのようなものです。そういう場所なので、事件当時ここに閉じ込められて人質になってしまった人々は軍人だけではありませんでした。女性や子ども、お年寄りを含む軍人やBDR隊員の家族たちも、事件の最中は家から出られず銃声を聞きながら恐怖に震えていたのです。

事件発生当時、ピルカナのBDR敷地内には数千人の人々がいたといいます。しかもピルカナの周囲は密集した住宅街で、北は古くからの高級住宅街のダンモンディに、南はダッカ最大の公務員住宅地アジムプールや常に大勢の人で賑わう商店街のニューマーケットに接しています。バングラデシュの最高学府、ダッカ大学のキャンパスも目と鼻の先です。そんな首都の重要な場所で一昼夜銃声が響き続け、鎮圧のために戦車が住宅地を走り抜け、周囲3キロの住民に避難勧告が出され、あわや市街戦か、という危機一髪のところだったのです。

その最悪の事態をなんとか回避してやれやれと思ったら、ピルカナの敷地の中からBDRのトップ含め数十名の軍の将校たちの無残な遺体が次々と発見されました。30名以上が投げ込まれて埋められた穴や、下水溝に捨てられ川に流れ出た遺体、めちゃめちゃに荒らされて略奪され、血痕が残る軍の将校の住居など、鎮圧後に明らかになったピルカナ内部の状況は凄惨を極め、新聞に掲載された現場写真に背筋が寒くなりました。犯行グループのほとんどは停電中の闇に紛れるなどして塀を乗り越えて逃走し、後には累々たる遺体の山と武器の山、燃やした書類などの灰の山が残されました。ダッカ住民のショックを想像してみてください。

事件が起きた25日の前日、24日はBDR本部で勲章授与式があり、シェイク・ハシナ首相も出席していました。約1週間にわたる行事のために、全国のBDR拠点から軍の将校たちが集まっていました。そういった特別なときに起こった事件でした。銃殺された軍の将校たちはほとんどが25日の朝に殺されたとみられるのですが、その日、TVではBDRの隊員たちが「我々は軍の将校たちに抑圧されている。BDR隊員の待遇は悪すぎる」といったことを訴えていました。その段階では、これほどの数の軍人が既に殺されているとはほとんどの人は思わず、“捨て身で待遇改善を訴えに出た”BDR隊員に同情する人が多かったのです。しかし、事件後の惨状を見て、いまや誰もこの事件が「待遇への不満が爆発」などというレベルのことだったとは思えなくなっています。犯行の主目的は別にあり、「待遇への不満の訴え」は人々の目をくらますための煙幕だったのだろう、と言われています。犯行に関わった“中心メンバーでない”BDR隊員たちも、この煙幕に惑わされ、踊らされてしまったのではないか、とも考えられます。

調査が進むにつれ、BDR隊員の通話記録などから、今回の事件は少なくとも2ヶ月以上前から計画され、BDR内の相当数の人がなんらかの陰謀が進んでいることを知っていたはずだ、といわれています。辛くも虐殺を逃れて生き残った軍の将校は、虐殺の中心メンバーは約20名で、赤や紫などの布で覆面をしていたこと、この覆面グループと顔を出していた(しかし中心メンバーの指図に従って動いていた)BDR隊員メンバーとは明らかに態度が異なっていたことを語っています。BDR隊員の数は非常に多いため、制服は着ていたものの、この覆面メンバーが本当にBDR隊員だったかどうか、居合わせたBDR隊員らもわからなかった、という話もあります。そのため外部の人間だったのではないか、という憶測が飛んでいるのです。イスラム過激派によるものだ、という説、インドの陰謀だ、という説などが流布していますが、真相はわかりません。BDR内にも諜報部門があるのに、なぜこの計画についての情報が事前にキャッチできなかったのか?なぜ上に伝わらなかったのか?ということも今問われています。いずれにしても、現政権を揺さぶるための強烈な嫌がらせである、ということは間違いないように思われます。

覆面メンバーを含め、事件当時の犯行グループメンバーはかなりTVにも映され、写真も撮られています。揃いの布で覆面や鉢巻をしたメンバーたちは確かに眼つきが異様な感じで、顔を出している他の隊員たちとは印象が違います。

他にも様々な「謎」や「手がかり」が報道されています。以下のようなものです。(真偽のほどは保証できませんが広く報道されているものです)

・事件の最中、軍関係のものでもBDR関係のものでもない所属不明の車がピルカナを出入りしていた。
・ピルカナに残された武器の中には、BDRも軍も使用していないものがあった。
・バングラデシュのTVニュースではBDRトップのDirector General(DG)が殺されたことは事件が決着するまで報道されなかったのに、インドのNDTVでは事件が起こった25日の午前中にDGを始めとする主な将校たちが殺されたことが報道されていた。
・犯行の中心メンバーが、事件の最中、「グルザールはどこだ?!」と叫んでいた。グルザール・ウッディン・アフマッド大佐は今も遺体がみつからない5人の将校の1人であり、彼は2年間Rab(警察の特殊部隊)にいた時代、イスラム過激派であるジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)(注2)の首領らの逮捕に中心的役割を果たした。

事件から10日たち、事件当時の政府の対応などをめぐって与野党の非難合戦が始まっています。そんなことをしている場合じゃないだろ!と思いますが、いつもこうなってしまうのが悲しいかなバングラデシュの現実。過去からの因縁は脇におき、与野党が協力して一刻も早く真相を明らかにしてほしいと思うのですが。

ダッカで暮らし、バングラデシュの人々と共に働く私も、事件の真相がわかるまではどうにも気持ちが落ち着きません。事件が起こる前には週末よく買い物に行ったライフル・スクエア(注3)にも当分足が向きそうにありません。


注1:一時は約150名が死亡か、と報道されたのですが、後に訂正されました。情報が混乱しており、その場に軍のオフィサーが何人いたのかすらもなかなか判明しなかったようです。

注2:2005年8月に起きた全国同時爆弾テロの犯行声明を出すなど、バングラデシュ内でももっとも危険と目されていたイスラム過激派グループ。首領アブドゥル・ラーマン、No.2のバングラ・バイら幹部6名は2006年3月に逮捕され、約1年後に死刑に処せられている。

注3:BDR本部のダンモンディ側の門のすぐそばにあるショッピング・モール。スーパー「アゴラ」の1号店、DVD屋やブティック、ファーストフード店などが入り、ダンモンディのショッピング・モールの代表的存在だった。今回の事件中、一時犯行グループに占拠された。

ライフルズ・スクエア.jpg

写真:ライフルズ・スクエア。このモールの前の通りで、BDR敷地内から撃たれた流れ弾に当たった学生やリキシャ引きの男性などが死傷した。この写真は2005年に撮影したもの。


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2009年2月26日

続報・国境警備隊発砲事件

昨日お伝えした発砲事件は、その後も反乱を起こした国境警備隊(BDR)兵士たちが立てこもりを続け、今日は一時かなり緊張が高まり、軍とBDRが衝突する最悪の事態になるかと思われましたが、とりあえずそのシナリオは回避されました。

昨日、首相との会談でいったん事態が収束すると思われたところ、午後からまた激しい銃撃戦が勃発。銃撃は今朝になっても続き、ラッシャヒ、シレット、バンドルボンなど全国各地のBDR拠点でも反乱が起きていることが伝えられました。その後、今日午後2時すぎ、シェイク・ハシナ首相がBDR反乱メンバーと国民に呼びかける形でTV演説を行いました。内容は「あなた方の兄弟たちの血を流すのはおやめなさい。今からでも投降すれば恩赦を与えます。BDRの問題について解決するための委員会もつくりました。平和に解決できるよう政府は努力しています。しかし協力しなければより強硬な行動に出るしかありません」といったもので、かなり情緒的に語りかけるような演説でした。

その後もしばらくBDR反乱グループが投降する様子がなかったため、軍は攻撃に備えた体制を敷き、BDR本部の周囲3キロから一般市民は立ち退くように、という呼びかけもされました。私や内山さんの自宅もその範囲内に入ってしまうので、いったん家に帰り、着替えなどを持って一応モハマドプールの事務所に避難。私たちの自宅の目と鼻の先のダンモンディ27番通りからダンモンディ側は完全に立ち入り禁止になり、私たちがよくリキシャに乗って行き来しているシャート・マスジッド・ロードを戦車が走る、という非常に緊張した状況になりました。ダッカとダッカ外の他県との携帯電話のネットワークも不通になり、地方との連絡も取れない状況になっていました。

このまま内戦状態に突入するのでは...と思っていたところ、夜8時ごろ、BDRの反乱グループが武器を捨てて投降し、BDR本部は完全に警察がコントロール下に置いた、という情報が入りました。今はほぼ事態は落ち着いたようで、ダッカと地方との携帯ネットワークも復活しましたが、地方を含め事件の全貌はまだ明らかになっておらず、いったい合計何人が亡くなったのかもよくわかりません。遺体が確認された死者は8名ということですが、BDR本部内に約150名いた軍の上級オフィサーのうち、いまだに134名が行方不明であり、全員殺されている可能性大、とのことです。現在捜索チームが組織され、BDR本部脇を流れる川などの捜索を行っているそうです。

とりあえず今は最悪の危機は回避したようですが、仲間を殺された軍の兵士たちが「恩赦」におとなしく納得できるのかどうか。これで一件落着というほど簡単にはいかないのではないかと思われます。

まだしばらくは状況を注意深く見守りたいと思います。


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2009年2月25日

国境警備隊本拠地で発砲事件

今朝、ダンモンディ南部方面にある国境警備隊(BDR)の本拠地内で発砲事件があり、軍が事態の収拾のため周囲に陣取り、付近への立ち入りを禁止しています。少し前、政府の代表団が国境警備隊本拠地の外からマイクで呼びかけをし、今回事件を起こしたBDRのメンバー数名が出てきて首相官邸に向かいました。シェイク・ハシナ首相は直接このBDRのメンバーたちと話をするようです。

先ほどBDRのメンバーの1人がテレビ局への電話で不満をぶちまけていましたが、どうも軍に対する待遇に比べ、BDR隊員への待遇が低いこと、軍がBDRを押さえ込んでいることが不満の根源としてあるようです。バングラデシュでは軍の特権というのはすごいもので、食糧の配給や住居から始まり、軍人の子弟のための特別なハイレベルの学校やら、車やら、PKOの海外出張やらと、華々しいのですが、国境警備隊員の地位や待遇はだいぶ落ちるらしく、こういった不満を新政権にぶつけたい、ということのようです。

午後外出禁止令が出るかもしれない、という情報もあったので、私たちのダッカ事務所も午後から休みとし、スタッフを皆家に帰しました。家がBDR本拠地すぐ近くの1名は自宅に帰れず、グルシャンの親戚の家へ。折りしも東京事務所から筒井事務局長と菅原職員、カトマンズ事務所から藤崎駐在員と4人のネパール人スタッフが年度末の会議のため出張中でしたが、カトマンズのメンバーもホテルに送り届け、会議もお昼で切り上げになってしまいました。やれやれです。もっとも、こういったことがバングラデシュ以上に多いカトマンズから来たスタッフたちは全然驚きもせず、おっとりしていました。

今のところ外出禁止令が出る事態にはなっていませんが、ダッカ市内のオフィスや学校はほとんど午後は休みになったようです。公立の小中学校は今日はもともと休みだったのでよかったですが、ダンモンディは私立大学の多い地域で、銃撃の危険のため道路が封鎖されてホステルや自宅に戻れなくなった学生が足止めを食っておろおろしているようです。

こういう騒ぎはちょっと久しぶりだなあ。今日中に解決することを期待していますが、どうなるやら...。


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2009年1月20日

シニア世代は悲観的?

前々回のこのブログ「信じる者は裏切られるのか?」で、あるNGOの専務理事に「アワミ連盟のマニフェストなんて信じちゃだめよ」と言われたことを書きましたが、この件についてクルナへの出張に同行していたダッカ事務所スタッフに話したところ、こんなことを言ってました。

*以下スタッフ談*

なんでだろ、シニア世代の人たちのほうがすごく悲観的なんだよね。ぼくの知ってる人でも過去に政治活動に関わってた人で、「絶対そんなにうまくいくわけがない」「前と同じようになってしまうに決まってる」みたいなことを言う人、多いよね。これまでずーっと酷すぎる政治状況を見続けてきたから、疑い深くなっちゃったんだろうけど(笑)。

ぼくは割と楽観的だけどね。きっと変わると思うよ、今回は。だって今回、新しい政府が立ち上がってほんの数日で、公約で言ってたとおり、肥料の値段をほとんど半分まで下げたんだからね!(→関連英字新聞記事はコチラ 注:バングラデシュではまさに今が乾期の灌漑稲作の田植えシーズン。今肥料の値段が下がることは農民にとって大きな助け)。今までじゃ全くあり得ないことでしょ。

マニフェストねー、確かに原文をちゃんと読んでる人は少ないかもしれないけど、新聞やテレビのトークショーでずいぶん話題になったからね。正確でなくても、マニフェストに主にどんなことが書いてあるのか、たいていの人は知ってるよね。これまでの選挙とは全然違ったよ。前は政党が選挙の前に公約で何を言ったかなんて、ほんとーに誰も気にしてなかったんだから。僕自身も今回はマニフェストを冊子にして道端で売ってたやつを買ったもんね。これまで一度も買ったことなかったんだけど(笑)

今回は投票者の30%以上が初めて投票する若い世代だったってことも選挙文化が変わってきた理由のひとつだろうね。メディアの役割も大きかったと思うよ。とくにパネル・ディスカッション形式のトークショーね。選挙直前のBNPの集会でカレダ・ジアが「メディアが偏向している」って不満を言ってたけど、確かにトークショーのパネリストたちの論調はアワミに有利なものが多かったね。

*スタッフ談ここまで*

・・・ということで、世代によっても受け止め方はだいぶ違うのかもしれません。

P1010408.jpg

新年、牛シリーズこれで最終。普通、バングラデシュの牛はこういう感じ。前に写真をご紹介した面白い顔の牛ちゃんは、「ビデシ・ゴルー(外国種の牛)」だそうです。オーストラリアかどこかの子ですと。


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2009年1月15日

信じる者は裏切られる、のか?

おととい某パートナー団体とのミーティングで、休憩時間の雑談時に前回このブログにも書いたアワミ連盟のマニフェストの話を持ち出したら、その団体の専務理事に「あ~んなモノは忘れたほうがいいわよ。真に受けちゃダメよ。絶対実現しないから。そもそもほとんど読んでる人なんていないよ」とバッサリ言われてしまいました。うーん、そうなの?でもいいんですか、それで。

確かに読んでる人はヒジョーに少ないでしょうね。ベンガル語版、英語版があるけど、ベンガル語だって読み書きできない人が多い国なんだし、新聞購読してる人なんてごく一部のエリートだけだろうし。ほとんどの人は「米の値段を下げる」という話と「肥料を補助する」という話しか気にもしてないかも。「アワミは米の値段をキロ10タカまで下げると言った」「いや言ってない、それはBNPが言ったんだ」「肥料をタダで提供すると言った」「いや言ってない」とか、そんなやりとりばかりがニュースになってますもんね。ああ、あと「デジタル・バングラデシュ」はキャッチーだからけっこうみんな冗談まじりに口にしてますけどね。

それから、今日の昼休みにうちのスタッフの政治好き2人に、前回このブログで触れたDaily Starの記事(1名を除きクリーンな内閣メンバーだ、と書いてあったこと)と、私が前に飛行機で隣り合った人のことを聞いたら、2人とも飛行機の人は確かにビジネス長者だけど比較的クリーンなイイ人で、Daily Starが言ってるのはべつの人のことだろう、っていうんですよね。そうなのかなあ。

あのマニフェスト、しばらくたって気がついたらすーっとアワミ連盟のウェブサイトから消えてたりするのかしら。デキ、キーホベ。

P1010391.jpg

前回と同じ牛ちゃんドアップ。撮ってたらびよーんと接近。カメラに鼻くっつけないで~。


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2009年1月11日

ハシナ新政権発足

選挙で圧勝したアワミ連盟総裁のシェイク・ハシナが1月6日に首相として宣誓し(→新聞記事)、新閣僚メンバーも発表されました(→新聞記事)。ハシナの今回の閣僚の人選は、前もって本人が予告していた通りかなり大胆で、長老たちを排し、多くは初めて閣僚になる、という面々。中でも、外務大臣と内務大臣という重要ポストにそれぞれ閣僚経験のない女性を据えたことは目を引きます。新聞の論調などを見ても、とくに「汚職にまみれていない清潔な人たち」という点ではかなり高得点の人選のよう。(注:この点、Daily Starには「1人を除いて」と書かれてましたが、それが誰かは書いてませんでした。ちなみに私は2年ほど前に飛行機でそれらしき方の隣に座ったことがあります→過去ブログご参照(笑))。ただし、閣僚としての経験は少ない人が多いので、今後どれだけ政治的手腕を揮えるか、というところは未知数ですと。ベンガル語で言うなら、「デキ、キーホベ(見ましょ、どうなるか)」といった感じですね。「汚職のない政府」「ジェンダー・センシティブな政府」ということを内閣の顔ぶれでアピールするのにはまず成功したけれど、これはかなり思い切った賭けであるようです。

昨日1月10日は、独立戦争時にパキスタンに囚われていたハシナの父、シェイク・ムジブル・ラーマンが解放され、独立を果たしたバングラデシュに帰還した日(1972年)。この日、シェイク・ハシナは父の故郷のゴパルゴンジ県トゥンギパラでシェイク・ムジブの墓に詣で、彼女が率いる政府は「我々に投票してくれた人も、そうでない人も分け隔てなく、全ての人に平等な開発を目指す」と延べました。

そんなの普通なら当たり前のことなんですが、今までそうじゃなかったんですよね。例えばこのトゥンギパラなどはBNP政権のときは徹底的に行政から無視され、新しい道路はその間一本もできなかったというし、アワミ連盟だって前に政権についていたときは似たようなものでした。全国各地の橋も道路も、ライバル政党の政権のときに計画されたものは政権が替わったら工事は中止になってほったらかし、というケースがざら。この悪習は本当に改善してほしいものです。

アワミ連盟は選挙前にバングラデシュ独立50年となる2021年までに達成することを目標とした「Vision 2021」というマニフェストを発表しており、その中で5つの優先事項(1.物価高騰への対応、2.汚職対策、3.電気とエネルギー対策、4.貧困と不平等の撲滅、5.よい統治(Good Governance)の実現)を含む23項目に取り組むことを公約としています。その中には農業施策やインフラ整備などに加え、「児童労働を全てのセクターから次第に無くしていく」とか、「1997年に結ばれたチッタゴン丘陵地帯(CHT)和平協定を完全実施する」といった内容も。

このマニフェスト、今後の政府への働きかけや政府との協働について考えていくため、私たちバングラデシュに関わるNGO関係者もよく読んで今後の動きをウォッチしていく必要がありますね。

2021年というとずいぶん先なようですが、数えてみればあと12年先。建国50年か...。シャプラニールも2022年には活動開始から50年になるんだなあ。うへ~あと13年でゴールデン・ジュビリーか...。そのとき私はいくつになってるんだろ?相当いい年だよな(ってすぐだろうけど)。

シャプラニールも現行の中期方針(2007-2011)の次は10年単位の「ビジョン2022」が必要かも?(なーんて今3年先までの計画作るんでも四苦八苦してるのに、余計なこと言っちゃいかん。自分の首が絞まる(汗)。5年ずつやろー5年ずつ(笑)。)

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新年牛シリーズ第2弾。ポイラで先週出会ったちょっとオマヌケ顔の牛ちゃん。


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2008年12月30日

アワミ連盟圧勝

バングラデシュ総選挙の開票結果が発表されました。結果はアワミ連盟率いるグランド・アライアンスの圧勝。bdnews24.comの速報によると、299議席中、グランド・アライアンス262議席、BNP率いる4党アライアンスが32議席、その他の独立政党が5議席を獲得。アワミ連盟は単独で230議席、なんと約77%を占めるという圧倒的な勝利です。

昨夜わりと早い時点からアワミが優勢、というのは伝えられていて、昨夜のうちにアワミ連盟党首のシェイク・ハシナが「正式な結果が出るまで勝利のラリーなどは控えるように」と支持者に呼びかけるような状況でした。

朝事務所に来てうちのスタッフたちと話をすると、手放しで喜んでいるスタッフもいる一方で、「アワミが勝つだろうとは思ったが、ここまで圧勝になるとは予測していなかった。アワミの独裁状態にならないよう、BNPが100議席ぐらいとるとバランスがよかったのだが...」といった意見も。たしかにね。

今回の選挙は、投票者IDカードを持っているのに投票所に行ったらリストに名前がなかった、といった問題は多少発生したものの、全体的にはこれまでになくフェアに行われた、というのがすでに公の認識。BNPもこの結果について異議の唱えようがないでしょう。個別にみると前財務大臣のサイフル・ラーマンが議席を失い、シレットでBNPの議席がひとつもなくなったり、アライアンスを組んだイスラム政党、ジャマテ・イスラミのトップ3人が負けるなど、4党連合は本当にボロボロでした。

圧勝したアワミ連盟がこれからどんな政治をするのか。汚職は少しでも減るのか。マニフェストで唱えた約束ごとは本当に実現するのか。それにバングラデシュの未来がかかっています。


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2008年12月29日

選挙当日

いよいよ7年ぶりのバングラデシュ総選挙当日。今日は晴れて日差しも暖かく、よい投票日和になりました。投票時間は今朝8時から午後4時まで。今回の選挙の有権者の数は全国で約8100万人、うち男性が約3982万人、女性が約4124万人。全国約35,000ヶ所の会場には現地NGOスタッフなど約20万人が選挙監視員として配置され、海外からの選挙監視団員も約500名が参加。シャプラニールの大橋正明前代表理事も日本政府の選挙監視団の一員としておとといの夜到着。今日は早朝からガジプールの選挙会場の方に行かれているはずです。

選挙監視のお仕事には関わっていない私。朝からのんびりとテレビで選挙中継を見ていましたが、どの投票会場でも整然と平穏に投票が行われている様子。選挙管理内閣のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問もダッカで投票し、「これでバングラデシュは前進すると思う」と取材陣にニコニコ答えていました。もうすぐやっと重い肩の荷が下りる、という安堵感が顔に出てましたね。

私も昼過ぎから近くの選挙会場にのこのこ出かけていきました。

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こちらはダッカ13区の会場のひとつ、ラルマティア女子カレッジ。私の自宅から歩いて5分ぐらいです。門は閉じたまま、投票する人は守衛さんが立っている狭い通用口から中に入ります。

守衛さんに「投票者じゃないけど中が見たいんですけどー」と言ったら、「あそこにいる警察のオフィサーと話をしてください」と言われ、緑の制服とベレー坊でライフルを持った警官に「タダのガイジンなんですけど、どんな風に選挙が行われているか見たいんですがー」と相談。警察官氏は穏やかな人で、「アナタは選挙管理委員会の許可がないから写真は撮られると困るけど、見るだけならいいですよ」と中に入れてくれ、しかもずっと付き添いながら解説してくれました。

私が見せてもらったのは女性の投票会場になっている教室(投票会場は男女別です)。教室の中には選挙管理委員が教壇の机に2人座っていて、そこで投票する人は投票者IDカードと整理券を見せます。選挙管理委員の手元には写真入りの投票者リストがあって、それで投票者の顔写真、氏名、住所を確認し、投票用紙と選挙管理委員会のハンコを投票者に渡します。私が行ったときは、10人ぐらいの女性が並んでいました。(今日は結局投票所への携帯電話持込を禁止するかわりに携帯のネットワークそのものは閉鎖されないことになったのだけど、教室に入ってもまだ携帯で喋っている女の子が1人いて、誰も注意してませんでした。そのへんけっこうテキトー)

この投票用紙はペローッと縦長のもので、そこに四角い枠の中に入った各政党のシンボルマークが縦に並んでおり、それぞれのシンボルマークの横にハンコを押す欄があります。投票する人はこの紙とハンコを持って教室の窓側の衝立の中に行き、そこで投票したい政党のシンボルの横にハンコを押して、その用紙を透明な投票箱に入れ、ハンコを返す、というシステム。字を読んだり書いたりする必要はありません。

会場となっている教室の、入ってすぐ左側の壁際には選挙管理委員とは別に何やらリストを持って机に並んで座っている女性たちが3人ほどいました。

私「あの人たちは誰です?」
警察官氏「あの人たちは各政党のボランティアです。手元にあるのは投票者のリスト。顔写真はないけど、氏名と住所が書いてあります」
私「はあ、じゃ投票した人は帰りにあのデスクにも寄って名前を言うんですか?」
警察官氏「いや、選挙管理委員のデスクで投票者の名前とか住所を照らし合わせて読み上げるでしょ。それを聞きながらチェックしてるんです」

なるほど、各政党からも不正がないか監視するために会場内に座ることが許されているわけね。

私「投票に来る人は女性と男性どちらが多いですか」
警察官氏「んー、バングラデシュの投票者人口は女性のほうがちょっと多いですからね。ここもそんな感じですよ」

私が見たところ、けっこう若い女性が多いな、と思いました。今回の選挙は7年ぶりということもあって、初めて投票する人が多いのがひとつの特徴です。今朝の新聞によると選挙人口の32%が今回初めて選挙権を持った人だそう。うちの事務所に先月から入った若いプログラム・アシスタントのサビハも選挙は今回が初めてで、昨日帰り際に年上の同僚たちから選挙会場での投票の仕方を教わっていました。サビハみたいな若者が今日はたくさん投票に行ったはずです。

案内をしてくれた警察官氏に礼を言って外に出ると、投票会場の前には胸に政党のステッカーを貼った人たち(主に若者)が何人か立っています。

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胸にノウカ(小舟=アワミ連盟のシンボル)のステッカーを貼った若者たちに聞いてみました。

私「あなたたち、何の仕事をしてるんですか?」
若者たち「僕たちは政党のエージェントです。これから投票する人にボランティアとして、選挙のやり方などを教えてあげるんです」
私「ふーん。あなたたちはアワミ連盟のエージェントってわけなのね。あ、で、あっちに立ってる人はBNPのエージェントなんだ」
若者たち「はい、そうです。各政党から全部来てますよ」
私「どう、今回の選挙は?今まで見たところどんな感じ?」
若者たち「すごくスムースにうまく行ってると思います。今のところなんの問題も起きてないし」

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こちらはBNPのエージェントたちが座ってるテーブル。投票会場の外の路上に、こういうテーブルがいくつか見られます。ここにもボランティアの若者たちが。写真では小さくてよくわからないと思いますが、左手に座っている女の子にモテそうな茶色いジャケットの若者は襟元に金色の稲穂のブローチをつけていました。けっこうこれがコジャレてて「へーこんな小物もあるのか」って感じ。

私「あななたちは何をしてるんですか?」
若者たち「僕たちは政党からのボランティアです。ここで整理券を配るんです。投票する人はこれに名前と投票者IDカードの番号と住所なんかを書いてIDカードを見せるときに一緒に出すんです。ここはBNPのブースだけど、他の政党もみんなブースを出してて、投票者はどこで整理券をもらってもいいんです」

そこで配られていた整理券はこれ。投票会場を書く欄もあります。これはBNPのブースで配られていた整理券だから左側にBNP候補者や党首の顔やシンボルの稲穂が印刷され、「稲穂マークに投票しよう」と書かれてますね。

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んー、確かに投票会場の中で見たとき、みんなこの整理券を持っていたけど、左側の宣伝部分はもぎってあったな。どこで左側をもぎってたんだろ?投票する人はどの政党のブースに行って整理券をもらってもいいわけだけど、たいてい自分が投票したい政党のところに行くだろうから、それで各政党が整理券の左側のもぎった部分の数を数えて、自分の党に投票した人のだいたいの数を把握する、というシステムなのかな。たぶん投票会場の入り口でこれにスタンプで通し番号を押してもらい、左側をもぎったのを持って中に入る、というふうになってたんでしょうね。

投票会場から家に歩いて戻ってきたら、近所の立ち飲み茶屋兼雑貨屋の兄ちゃんが「アパー、投票した?」と聞いてきました。「私はガイジンでここの選挙権はないから投票しないよ、見てきただけ。あなたはどこの党に投票したの?」と私も聞いてみましたが、店の前で茶を飲んでいた人たちの顔をちらちら見ながら当惑した笑顔で答えてくれず。「人前じゃ言えないか(笑)。秘密?」と聞いたら「はい...秘密です」ということでした。

開票は夕方から始まります。正式な結果が出るのは明日になるでしょうが、今日の夜中にはだいたいわかるはず。各テレビ局も今夜は特別番組を組んでいます。私もワインとチーズなどちびちびやりながら開票結果を見るつもり。


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2008年12月27日

選挙2日前

前のブログで「今回は夜中に選挙演説がうるさくて眠れないこともナシ」と書きましたが、甘かったです...。昨夜うちの近所では夜11時頃から街宣車のようなもの(たぶんスピーカーを積んだリキシャ)がアジ演説(肉声か録音かは不明)を流しながら回りだし、そのうち場所を定めてマイクを通したダミ声演説が響き続けること数時間。何言ってるんだかはよく聞き取れずさっぱりわからないけど、とにかくうるさい。ようやくそれが終了したのが夜中の2時...。勘弁してくれ!って感じでした。「警察でも軍でもいい、早くあのうるさい連中をひっ捕らえてくれ~」とベッドの上で念じていましたが、誰に捕らえられる様子もなく、演説は周囲の眠りを破って快調に響き続けていました。

それにしても、人が眠りたい時間に夜中の2時までラウドスピーカーで演説流してなんの効果があるんだろう??私だったら眠りを妨げられたっていうそれだけで、もうその候補者に投票するのやめるけどな。

選挙運動は28日0時、つまり今日の夜中の12時で終了することになっているので、今日が最後の追い込みです。今も音が割れて何言ってんだかわからない街宣車がうるさく回ってます。今日はBNPのダッカでの最後の大集会があるそう。(アワミ連盟は昨日でした)

明日の夜12時(29日午前0時)からあさって夜12時(30日午前0時)までは選挙に関する車両、選挙監視団の車両以外、自家用車、タクシー、CNG、バスの一般道の走行も禁止となります。携帯も使えなくなる可能性大。選挙当日はダッカ事務所も休みにします。スタッフたちも投票に行かないといけないし、家が遠いスタッフは事務所に来る交通手段もないし。

私は選挙の日は家にこもって大掃除かな...。それかカメラ持って近くの選挙会場を見に行ってみようかな。この日のテレビってどうなるんだろ。中継とかするのかしら。開票はどれぐらい時間がかかるんだろう?

どっちが勝っても負けたほうが結果を不服として連続ホルタル(ゼネスト)などを呼びかける可能性は大いにあります。今のうちに正月の食糧の買出しでもしておきましょう。


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2008年12月24日

選挙5日前

皆さまお久しぶりです。そしてメリー・クリスマス。12月初旬にちょっと一時帰国していたのと、戻ってきてから下の写真のように霧に閉ざされた白~くて薄ら寒いダッカで、「家族や友達と離れて過ごす年末年始も4年目だなあ」なんて考えていたら気が滅入ってしまい、ブログをすっかりご無沙汰してしまいました。

霧の朝.jpg

これは12月18日の朝7時ごろ撮ったもの。1週間ぐらい朝から夕方までこういう状況でした。霧のせいで飛行機がずいぶんキャンセルされたり時間変更になったりし、私が日本から戻る時に乗ったマレーシア航空も夜間のKL-ダッカ便が飛ばず、クアラルンプールで一晩足止めされました。

今日からダッカ事務所は4連休(クリスマス休みが2日+週末)。24日は普通は休みじゃないんですが、クリスチャンが4人いるわが事務所としては、他の宗教のスタッフとの公平性を期すためにも別の休みを削ってクリスマス休みを増やしています。ここ1週間ほど霧でどんよりしていたのが今日は少し日が出てきてほっとしています。

さて、バングラデシュは29日の総選挙まであと5日と迫りました。非常事態宣言も先週解除され、各政党の選挙運動がしきりに行われています。昨日BNPの党首、カレダ・ジアのコミラでの演説会会場近くで手榴弾がみつかったり、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナの命を狙う自爆テロリストが放たれた、という噂があったりしてますが、今のところまあ平穏です。2006年の非常事態宣言発令前、交通封鎖やホルタルが連発され、ダッカ中心部でレンガ投げ合いの暴動が起きたりしていた大揉めの事態から比べると、今回は選挙運動もずいぶんと秩序が保たれている感じです。

以下の写真は出張していた南部の都市ボリシャルで3日ほど前に撮ったもの。

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ちょうどこの日はBNP党首のカレダ・ジアがボリシャル方面に来ることになっていたので、ボリシャルに向かう道の途中ではあちこちで政治集会の人ごみが。でも群集が道をふさいでしまうことはなく、クラクションを鳴らせばたいていよけてくれました。

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道路でラリーを行うBNP支持者たち。

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こんな行列が次から次へと。この日は結局10グループ以上のラリーを見たのでは。手前の子どもが持っている稲穂はBNPのシンボルマークです。対するアワミ連盟のシンボルはノウカ(小舟)。

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ボリシャル中心部に張り巡らされた候補者のポスター。各ポスターには候補者の顔と名前、党首の顔、政党のシンボルマークなどが印刷されています。今年は候補者のカラー巨大看板を商店街に出したり、カラーポスターを壁にベタベタ貼ったりすることが禁止され、ポスターはすべて白黒でこのようにヒモで張り巡らすことだけが許可されており、ダッカの光景もだいたい似たような感じです。拡声器使用も時間を限って許可されているので、2年前のように夜遅くまで演説がうるさくて眠れない、ということもナシ。けっこうなことです。

さて、この選挙の結果はいったいどうなりますか。平和に選挙が終わり、これまでよりまともな政治が行われるようになるといいんですが...。


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2008年11月28日

ムンバイ炎上―ニュース番組への視聴者メッセージ

出張で今日からインドのコルカタに来ています。ムンバイでの同時多発テロはインド独立以来最悪と言われるような悲惨なものになってしまいました。今もゲストハウスの部屋でテレビに貼りついてニュースを見ているんですが、これらの番組ではBREAKING NEWSのサインと共に“War on Mumbai”“India's 9/11”といった見出しが出て、ムンバイからのLIVE映像を前に様々な専門家やジャーナリストが今回のテロについて口から泡を飛ばす勢いで論じ合っています。

現地時間の27日夜10時半現在、確認された死者は125名、すでにタージマハルホテルにいたテロリストは全員が死亡するか捕らえられ、残っていた人質の人たちは避難したようですが、ホテルの建物からはまだ炎が上がっています。オベロイホテルではまだ30~40人の宿泊客が人質にとられており、人質解放のための作戦が続いている模様。警察官はすでに銃撃戦で14人が死亡、テロ対策部隊のチーフも死亡したと伝えられています。

約20人のテロリストがムンバイに潜入していたとみられるということですが、番組によってはこれほどの武器がどうやってムンバイの最大の中心地に持ち込まれたのか、どこからどう入ってきたのか、という分析が始まっています。犯人集団はいくつかのボートに分乗して海から入ってきたという話。

インドのニュース番組はこういった大事件があったとき、視聴者からのメールや電話のメッセージを画面にテロップで流すような工夫をしているものが最近多くなっているようですが、今見ているNDTVの画面に流れている視聴者メッセージにはインドの人々の今の気持ちが現れていて興味深く見ています。「今は非難合戦をしているときではない、皆の気持ちをひとつにしなければ」「政治家たちの日頃の言動は忘れよう。今はテロとの戦いに集中するときだ」「テロリストにインド人の精神をぶち壊されてたまるか」「これは新たな独立戦争だ-テロに打ち勝つための」といった内容がもっとも多くみられます。

分離独立時の暴力から始まり、こういったテロに端を発した宗教間対立の修羅場を数多く経験してきたインドの良識ある市民は、こういった事件がより根深い宗教対立に発展してしまうことをいつも心配しているのだと思います。「この事件を宗教間対立に火を注ぐ新たな機会にしてはならない、そんなことになってはテロリストの思う壺だ」というメッセージも見られます。

セキュリティへの不安・不満を表すメッセージも。「なぜタージマハルホテルやオベロイホテルのようなソフト・ターゲットがこんなに簡単に標的になってしまったのか?」「沿岸警備隊は何をしていたのか?」「もうたくさんだ!私は安心して暮らしたい」--それが多くの普通の市民の本音でしょう。

「政府よ目を覚ませ、インドは輝いてなどいない。苦い内戦の中にあるのだ」「これは世界の新興経済勢力に対する挑戦だ」「インドは本当に新興勢力(Emerging Power)なのか?」というものも。経済の中心地であるムンバイの、それもインド資本による5つ星ホテルであるタージマハルホテルやオベロイホテルは、いわば現代インドの自信のシンボル。とくにタージマハルホテルの特徴ある屋根はニューヨークの貿易センタービル同様、一種のアイコンといってよいかと思います。そこがもろに攻撃を受けた今回の事件で「インドの発展」「新興経済パワー」といったイメージに自ら疑問を投げかけたくなっている人も少なくないのでしょう。とくにムンバイ市民にとっては大きなトラウマになるでしょう。

さて、テレビ画面のムンバイからちょっと離れてコルカタの様子はというと、いたってのんびりしたもので平常どおりです。テレビだけ見ているとインド中が厳戒態勢にあるのか、といった気がしてしまいますが、今日コルカタに到着してみて全然そうでないことがわかりました。空港の警官の数も出入口付近に数人座っているだけでこれもいつもと同じだし、町の中でもほとんど警官の姿はありません。やっぱりインドは大きな国で、ムンバイはコルカタからはずいぶんと遠いんだよなーと思います。同じ国だけれどコルカタの人たちにとって今回のテロは全然身近な出来事ではないんだな、という感じです。

もっとも、よくあるパターンだと、テロが一段落したところでコルカタでも共産党政権である西ベンガル州政府与党、もしくは野党の呼びかけにより、「テロへの抗議のゼネスト」などが実施される可能性はあります。そうなったらコルカタっ子たちも「非常時モード」になるのかもしれません。

先ほど39人の人質がオベロイホテルから無事脱出、というテロップが出たのですが、あとで17人に訂正されました。まだ多くの人たちがホテルの中にとらわれているようです。TVニュースの情報も混乱しています。ユダヤ教関連施設が入っているビル、ナリマン・ハウスにもテロリストが立てこもっているとのこと。人質にとられた全ての人々が一刻も早く解放されますように切に祈ります。


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2008年11月23日

総選挙12月29日に

12月18日と発表されていたものの二大政党のひとつBNPが難色を示し、交渉が続いていた総選挙のあらたな日程が今日発表されました。12月29日に総選挙、1月22日に郡選挙、だそうです。さんざんあーだこーだとやり合ったあとの妥協策なので、さすがにもう変更はないでしょう。(あってほしくない...)

それにしても、BNPが総選挙の日程を10日ずらせと主張していた理由は「ハッジ(メッカへの巡礼)にいった人が選挙に参加できないから」だったんですよね。イスラム暦ではちょうど巡礼の時期にあたり、サウジへハッジに行った人の大半は12月28日ぐらいまでに帰ってくるんだとか。

それで結局12月29日。しかし、「ハッジが...」というのはどう考えても時間稼ぎのこじつけとしか思えません。たった10日延期しただけで何が変わるのかBNPよ。

これで私たちも12月末に予定していたワークショップの日程をずらさなければならないハメに。日本からの選挙監視団の方もこれじゃ年明けに間に合うように日本に帰れるのかな?って感じですね。ご苦労様です。


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2008年11月 8日

え?選挙の日は携帯使えないの?

昨日選挙管理委員会のメンバーが昨日語ったところによると、バングラデシュ総選挙が行われる予定の12月18日、選挙が公正に行われ、よけいな「影響」が及ぼされるのを防ぐため、朝から夕方まで携帯のネットワークが止められるようです。→bdnews24.com

そんなのってアリ?人の生活は選挙だけじゃないんだぞ。その日に急病人が出るかもしれないし、事故にあって緊急連絡する必要が生じるかもしれないし、困るじゃないか?

昨年、ダッカ大学に端を発した学生たちの軍への抗議デモが広がったときも、携帯のネットワークが急に閉鎖されました。一方、暫定政権発足丸1年の日にはなんだかよくわからない祝賀メッセージのようなのが携帯に一斉配信されました。

携帯のネットワークを当たり前のように操作する政府。非常事態宣言下にあるってのはそういうことなのか、とあらためて「国民の基本的な権利が保障されていない状態」にあることを思い出します。一方でそれだけバングラデシュ国内で携帯電話の影響力が大きくなっているんだな、ということも感じます。

選挙日に携帯が使えないことになると日本や世界各国からみえる選挙監視団の皆さんも当日不便でしょうね。みんなが反発して取り下げられるといいですが。


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2008年9月13日

カレダ・ジア前首相仮釈放

日本でもテレビニュースなどで報道されたようですが、おととい11日、汚職事件で拘留されていた前与党BNPの党首カレダ・ジア前首相が仮釈放されました。昨年9月に逮捕されてから1年ぶり。自由の身になったジア前首相は党事務所のバルコニーから支持者の声援に応え、夫の故ジアウル・ラーマン元大統領の墓に詣で、入院中の長男でBNP幹事長のタリク・ラーマンを見舞い、母と息子の病室での再会や涙するジア前首相の様子が報道されました。母との再会を果たした息子タリクは治療のためロンドンへ行き、当分政治からは遠ざかるとのこと。

カレダ・ジア前首相の長年のライバル、アワミ連盟の党首シェイク・ハシナ元首相も、病気治療のためひと足先に6月に仮釈放され、今はアメリカに滞在中です。近いうちに帰ってくるという話。

今朝の新聞によれば、ジア前首相は「党内から悪い要素を廃し、シェイク・ハシナ元首相と共に公正な選挙に向けた話し合いのテーブルに着く」ことに同意した、とのこと。

非常事態宣言下、軍をバックにした暫定政権がバングラデシュを支配していたこの18ヶ月間、二大政党の2人の女性党首を国外に追い出そうとする動きや、グラミン銀行のユヌスさんが新党をつくろうとした動きなどいろいろあったけど、結局のところ、新たなリーダーも現れなかったし、二大政党なしには選挙も成立しないということで元の状態に戻ったような感じ。

汚職一掃を掲げていたこの暫定政権の期間中、いったい何が変わったんだろう?と思います。大物政治家はどんどん逮捕されたけど、結局一番の大物たちは出てきたし、巷の役所などの汚職はちょっとよくなっていたのは最初だけ。そのうち前よりもっと酷くなって元の木阿弥でした。そして公正な裁きもないまま逮捕された人は数万人に及び、治安部隊に命を奪われた人は少なくとも279人、と人権団体が発表しています。物価上昇は甚だしく、とくに食品の物価上昇率は12%以上。昨年から今年にかけてあらたに40万人が貧困線以下に落ちたと言われます。物価高騰は暫定政権のせいだけではなく、世界的な動きではあるけれど。

よかったことといえば何があるんだろう?思い出せるのはサイクロンSIDRの来襲時に軍がよく動いたこと、昨年の冬季灌漑米のシーズンの稲作促進策がそこそこ効果を現したことぐらいか...。ああ、そうか、選挙人名簿とIDカードの作成、というのがあった。これが現政権のやった仕事としては一番大きいですかね。これが出来る前は人によっては2つも3つもダブって投票権持ってたりして滅茶苦茶でしたもんね。

当地の新聞などもこの二大政党両党主仮釈放の動きを歓迎しています。これでやっと選挙ができる、と。結局暫定政権がやったことは最悪の事態を回避して約2年間、時間稼ぎをしたに過ぎなかったのか。これでテープを巻き戻すみたいに、2年前の状況に戻るのかな。

選挙後もあまり変化は期待できないけど、国民に選ばれたのでもない暫定政権が国を治め続けるのはもう限界が来ていると皆が感じています。とにかく平和裏に選挙を実現してもらいたい。そして選ばれた政党は痛い目にあったことを薬としてこれまでより賢い政治をしてもらいたいものです。

選挙実施予定の12月に向け、今後バングラデシュはどうなっていくのでしょう。あんまりぐちゃぐちゃになりませんように。


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2008年8月22日

8月3-4週

普段と変わらぬ暑くて平和な金曜日。このまま何事もなく8月が終わってくれればいいな、と思います。

というのは、ここ数年、8月の3週から4週にかけて、バングラデシュでは何かと「事件」が起こることが多いのです。これまで以下のような事件がこの時期にありました。

*2004年8月21日  アワミ連盟ハシナ総裁暗殺未遂。デモ行進中のアワミ連盟の行列に爆弾が投げ込まれ、24名が死亡、500名が重軽傷。

*2005年8月17日  バングラデシュ全国の64県のうち、63県で計459の爆弾がほぼ同時に爆発。2名が死亡、約100名が怪我。イスラム過激派ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)が犯行声明。

*2007年8月20日  ダッカ大学の学生がキャンパス内に駐屯している軍と衝突。その後、軍への抗議行動が他大学にも飛び火し、外出禁止令が出る騒ぎに。

この8月後半は日本の夏休みにあたり、毎年スタディツアーが来る時期。それだけに、こういう「事件」が起きると気が気じゃありません。しかし、なぜこの時期にいつも暴力騒動が起きるんですかね。人々の頭に血が上りやすい時期なのか?

今年は8月27日にBNP率いる4党連合がジア総裁解放、非常事態宣言解除などを求めて全国で「人間の鎖プログラム」を実施する、ということですが、そんなにキナ臭い感じもなく、このままいけば大丈夫そうな感じ。スタディツアー一行も無事農村部から戻ってきて、今日の午後ダッカで振り返りミーティングとお疲れさま夕食会をして、明日には帰国の予定です。

ツアーが帰るまで何もありませんように。このまま平穏な8月でありますように。(最近、祈ることが多いな...)


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2008年8月16日

インドのCSRとNGO

情報収集のためインドのNGOのウェブサイトを時々ネットサーフィンして見てるんですが、いやーインドのNGOの状況もだいぶ変わってきたもんだなーとつくづく。とくに変化を感じるのはインドのCSR(企業の社会的責任)とNGOを結びつけようという動きが出てきていること。

私は1998年から2001年までニューデリーに住んでいたんですが、その後既にほぼ10年が経ちました。その頃からすでにバンガロールのIT産業などは脚光を浴び始めていましたが、当時はまだ多国籍企業にしろ、国内企業にしろ、インドの国内に拠点を置く企業が社会貢献の一環としてNGOに寄付する、といったことは(小規模なレベルではあったかもしれませんが)ほとんど耳にしませんでした。

でも、今はインド国内のいろんな大企業がCSRの一環としてNGOに寄付したり、独自に社会貢献活動をする時代なんですね。インドのNGO-JICAジャパンデスクのウェブサイトでも紹介されていましたが、イギリスに本部を置くCAF(Charities Aid Foundation)Indiaのサイトを久しぶりに見たら、活動が10年前とすっかり様変わりしていました。ウェブサイトにはドナー向け、企業向け、NGO向け(チャリティ団体、という言葉が使われてますが)のページがあり、社会貢献のために寄付先を探している企業の相談に乗ったり、教育、医療、生計向上などテーマごとにCAFがファンドをつくって、そこに寄付を募り、CAFが選んだNGOに配分する、といったこともしています。ウェブサイトに載っている「CAFの企業パートナー」のリストを見たら、マイクロソフト、コカ・コーラIndia、ベネトンなどの多国籍企業や、TATA、Bajajなどインドの大企業がずらり。うーん、こういう動きはバングラデシュではまだまだだけど、これから必要だよなあ。

ムンバイベースのKarmayogという団体のサイトには、インドの大企業500社のCSR番付、などというリストも掲載されていて、日本とインドの合弁と思われる企業の名前もちらほら。

バングラデシュでも食品や生活用品を扱う多国籍企業はもちろん、衣料メーカーの縫製工場もたくさんできています。これからバングラデシュ国内で活動する企業セクターとNGOセクターを結び付ける仕事も必要になっていくでしょう。この分野ではだいぶ先を走っているインドの状況から学べることもいろいろありそうです。


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2008年8月 8日

フェリーの上の子どもたち

5日から昨日まで、クルナに出張していました。クルナにはサイクロン復興支援活動のパートナー団体であるJJSの事務所があります。サイクロンの救援活動に続く復興支援活動は第一弾として教科書配布やニーズアセスメント調査を行った後、5月から次の本格的な活動開始を予定していたのですが、政府のNGO局の承認を得るのにひどく時間がかかり7月からようやく開始できたところです。(この活動については別途あらためて順次ご報告していきます。)

ダッカからバングラデシュ南西部のクルナ方面に行くには、ポッダ河(ガンジス河)を渡らなければなりません。河口に近いバングラデシュではこの大河の川幅は相当なものになっていて、いまだこの河を渡る橋はないため、フェリーで渡ります。

ダッカからポッダ河をフェリーで渡ってクルナ方面へ行くには、二つのコースがあります。ひとつはダッカから西へ向かい、マニックゴンジ県のアリチャ・ガットからフェリーに乗るコース、もうひとつは南に向かい、マワ・ガットから乗るコース。対岸からクルナまでの距離はマワで渡ったほうがずっと短いのですが、マワ・ガットから出るフェリーは小さくてあまり頻繁に出ないので乗れるまでに相当待たされることが多く、フェリーに乗っている時間も1時間半から2時間かかってしんどいので、アリチャから行くことがほとんどです。アリチャ・ガットから対岸のドウロトディア・ガットまではフェリーが動き出せば40分ぐらい。アリチャのフェリーは大きいので、観光バスやトラックも何台も乗ってきます。

フェリー乗り場周辺やフェリーの上には魚や海老、果物、雑誌、スナックなど様々なものを売る人、物乞いする人などがいつもたくさんいます。その中には子どもたちもいます。

この子どもたちの中にいつも自分よりひとまわり小さい少年を抱きかかえながら物乞いして回っている少年がいます。年の頃は10歳から11歳ぐらいでしょうか。瞳の輝きから賢い子どもであることがわかります。抱きかかえている子は障がいがあるようです。以前小銭をあげたら、この少年が抱えている子と一緒に食事のできる店にすっ飛んで行き、自分は後回しにして抱えていた子どもを甲斐がいしく世話しながら食事させているのを見たことがあったので、今回も20タカあげました。同行したダッカ事務所のスタッフが少年の身の上を尋ねたら、彼は抱きかかえた子どもの頭を時々撫でながらこんな話をしました。

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少年の家はポッダ河対岸のラジバリにあり、父親はリキシャ引きとして働き、母親は他人の家で使用人をしている。いつも抱きかかえているのは少年の兄で、病気のために身体が大きくならない。医者に連れて行ったら腎臓がひとつだめになっていて手術が必要だと言われた。兄は以前は話をすることができたのだが、去年ぐらいから話すことができなくなった。医者は手術すればまた話ができるようになると言っている。少年は毎日兄を抱えてフェリーで物乞いをし、1ヶ月に1000タカぐらい稼ぐ。兄が毎月通院して治療を受けるのに1000タカかかるのでこのお金はほとんど兄の治療に消えるが、お金があまったときは兄の手術のために貯金している。少年自身は2年生まで学校に行き、読み書きもできるが、兄のため物乞いの仕事をしなければならないので学校を辞めた。
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何も知らず通り過ぎてしまえば大勢いる物乞いの一人として記憶にも残らないのかもしれませんが、この子の話を聞いて少なからず衝撃を受けました。病気の兄の日々の世話と命そのものが10歳そこそこの少年の肩にかかっているそのあまりの重さ。この国の貧しい子どもたちはどうしてこんなにも重い運命を背負わなければならないのでしょう。

行きにフェリーから降りた車の中でスタッフから少年の話を聞き、また見かけたらもう少し多めにお金をあげようかと思っていたのですが、帰りのフェリーでは出会いませんでした。

帰りは空きペットボトルを集めている少年と話をしました。1リットルの空きボトルひとつ1タカで売れるそうです。まだ水が少し残っているボトルをあげたら、「ありがと。水も僕が飲むね!」と喜んでいました。

何十万、何百万といるバングラデシュの働く子どもたち。毎年6%とか7%の経済成長を続けるバングラデシュでこの子たちの状況はまだまだ本当に酷いです。酷すぎる。

シャプラニールがいま手がけている様々な働く子どもたちへの支援活動も、どうしたらもっと社会全体を変えていくような大きな動きにつなげていけるのだろう、どうしたら限られた地域・限られた数の子どもを対象にした活動で終わることなく、点から線、線から面にしていけるのだろう、と考え続けています。


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2008年8月 5日

地方選挙始まる

12月の第三週に予定されている総選挙に先立ち、昨日(8月4日)、地方選挙の一部が実施され、開票結果が出ています。昨日実施されたのは、バングラデシュの6つのディビジョン(いくつかの県のかたまりがディビジョン。日本でいえば「関東地方」「東北地方」のような感じ)のうち、ラッシャヒ、クルナ、シレット、ボリシャルの4つのディビジョンの長を決める選挙と、9つの県の県庁所在地の市長選挙です。

結果はアワミ連盟の圧勝。4つのディビジョンは4つともアワミの候補者が勝ち、9つの市長選挙ではボグラをのぞく8つの市長戦でアワミが勝ちました。

今わたしが出張で来ているクルナなどは前の与党であるBNPが元々強い地域で、ここ25年ぐらいアワミ連盟の候補者が選挙に勝ったことがない、という土地柄。それでもアワミが勝ちました。

この結果の原因のひとつはBNPの分裂、さらにアワミのトップレベルのリーダーたちが各地方に飛んで選挙運動をしたのに引き換え、BNPはまったくそれをしなかったこと、BNPと連立を組んでいるジャマテ・イスラミも動きが遅かったことなどがあるだろうと言われています。政府の選挙対策委員会が国会議員レベルのリーダーたちが地方選挙の応援に行くことを禁止していたためですが、アワミ連盟はこれを押し切って応援行脚をし、最高裁もこれを「憲法上問題なし」と後押ししていました。

ちなみにアワミ連盟の総裁シェイク・ハシナはいま「治療のため」一時保釈されてアメリカにいます。BNPのカレダ・ジアはいまだ国会議事堂の敷地内の建物に軟禁状態にあります。

選挙は非常事態宣言下であったこともあり、全般に平穏に行われて大きな問題もなく(僅差だったボリシャルで多少結果をめぐりもめているようですが)、投票率もかなり高かったようです。新聞には杖をつかなければ歩けないようなおばあちゃんも投票に行っている写真が出ていました。新たに導入された写真入IDカードについては、このカードをちゃんと取得した人が選挙会場に行ったらリストに自分のカード番号がない、といった問題が多少あったようです。これについては政府が陳謝し「総選挙までには必ずこういう問題をなくす」ということです。

この後、時期は未定ですがダッカとチッタゴンのディビジョンおよび市長選挙、また10月のイード明けには、様々な議論を経て今回導入されることになった県評議会選挙が予定されています。


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2008年7月30日

石けんの値上がり

最近のバングラデシュでの食料品や日用品の値上がりは凄まじいものがあるのですが、今月とくに激しく値上がりしたもののひとつに「石けん」があります。事務所でもよく使っているLUX石けんの大きいやつは、1個21タカから32タカ(1タカ≒1.6円)になってしまいました。ほかの石けんがいくらぐらいになっているのか、まだチェックしてませんが、これはとても困ったことです。

バングラデシュのスラムや農村部では、今も「トイレの後や食事の前は石けんで手を洗いましょう」というセリフを保健ワーカーやNGOが口を酸っぱくして言い続けています。シャプラニールのプロジェクト地でもそうです。いまだに石けんで手を洗う習慣がついていない人も、石けんを買うお金があったらお米が買いたい、と言う人も少なくありませんが、長年の手洗いキャンペーンのおかげで村やスラムでもかなり石けんの使用は一般的になりました。

しかし、いっきに1.5倍以上、というこのひどい値上がり。石けんの大きいのとお米1キロがほとんど同じ値段だったら、そりゃあ「石けんなんてそんな高価なもん買えるかい」ということになりますよね。

石けん値上がりの理由は「パーム油の値上がり」ということらしいですが、それにしても値上げ幅が大きすぎないか?便乗値上げじゃないんだろうか。インドでは1個あたり1ルピー(≒2.5円)の値上がり(→Times of India 7月2日)なのに、なんでバングラデシュでは10タカ以上も上がるんだ?工場はバングラデシュ国内にあるはずだけど、原料の輸入にバカ高い税金がかかっているからなのか?

私たちは家事使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカ市内3ヶ所で実施していますが、最初の2年弱のパイロット・プロジェクトの評価をしたとき、ダッカ北部のコライル・スラムのセンターに通う少女たちが言っていたことを思い出します。

「このセンターに通う前はあんまり石けんで手を洗ってなかったの。でも今はトイレのあとやご飯の前は必ず洗うようになった」
「お父さん、お母さんが石けんを買うお金がもったいない、って言ったら、病気になって病院に行かなきゃならなくなったら、もっとお金がかかるよって言って石けんを買ってもらうの」

そうやってせっかく石けんを使って手洗いすることが身についた女の子たち。スラムで厳しい生活を送る彼女たちの親は、これまでどおり石けんを買ってくれるかどうか。

スラムには揚げ物なんかの廃油はたくさんあるだろうから、廃油を使った手作り石けん教室をやるのもいいかなあ。うまく作れたら売れるかもしれないし。でも、廃油石けんづくりに欠かせない苛性ソーダは劇薬だから、年端もいかない少女たちに扱わせるのは危なすぎるか...。

うーん、困ったことです。


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2008年4月13日

各地で稲刈り始まる

明日はポイラ・ボイシャキ(ボイシャク月の1日=ベンガル新年)。ベンガル暦ではこのボイシャク月からが夏です。ほんとに暦のとおりで、昨日あたりからぐっと暑くなってきました。日中の最高気温がラッシャヒですでに39度。ダッカでも最高気温は36度を超えています。夜中、家で温度計をふと見ると31度。ファンをまわしてもかなり寝苦しくなってきました。この暑さが肥やしにでもなるように、隣家の庭のマンゴーの実も日に日に育ってきています。

さて、夏を迎え、各地で稲刈りが始まりました。冬に田植えされ、灌漑で育てられた稲は今が刈り取りのシーズン。今年は幸い、まずまずの豊作のようです。テレビでインタビューされてた稲刈り作業中の農民たちもほんとに嬉しそう。これでやっとお米の値段が下がるかな。

今回の米クライシス、米が市場になくなったわけではなく、米の値段が高すぎて庶民が買えない、という危機でした。この背景には、洪水とサイクロンによる昨年の雨期後半の米の不作があったものの、米の仲買人が米をどこかに溜め込んでわざと市場に出さず、米の値段を思いのままに吊り上げている問題も大きいと言われています。

この国の物価はどこでどうなって決まっているのか?なんで農村の物価がダッカより高いのか?わからないことだらけです...。


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2008年4月10日

お米の行列に並ぶ子どもたち

昨日、私たちがダッカで実施している「家事使用人として働く少女支援プロジェクト」の活動地のひとつであるコライル・スラムに行ってきたプログラム・オフィサーのサイフルが、「いやー、やっぱり大変だ。ヘルプセンターの女の子たちもみんななんだか痩せちゃってるよ」と言いながら帰ってきました。

コライル・スラムのヘルプセンターに通う少女たちは、スラムの親元で暮らしながらパートタイムで家事使用人(お手伝いさん)の仕事をしています。その子たちにサイフルが聞いてみると、多くの子が朝早くから安いお米を買うためにBDRマーケットに並んでいると答えたそうです。

「何時から並んでるの?」と聞いたら、「朝5時から」というのは序の口で、「3時から」という子もいたとか。朝3時から並び続けてお米が買えたのは朝9時半だというのです。いまやBDRマーケットは需要に比べ供給量が大幅に足りなくなっているらしく、早くから並ばないとお米がなくなってしまうのだとか。ひとり頭5キロまで、ということになっていますが、実際計ってみると5キロより少ないといいます。場所によってはひとり2キロまでにしたところもあるようです。

おじいさんと妹と.jpg「ファテマもなんだかやせちゃったよ。朝からおじいさん、おばあさんと行列に並んでいるらしいけど。」とサイフル。ファテマというのは昨年の夏期募金のお願いのとき紹介した女の子(写真右)で、とても活発ではっきりものを言う子です。「お米の値段は高いし、仕事はクビになっちゃうし、これじゃ食べていけないよ。どうしたらいいの、サイフルバイ!」と訴えられてしまったそうです。中流階級の家庭も台所事情が厳しくなってきているので、パートタイムの使用人を辞めさせる家庭も増えてきているらしいのです。

サイフルがヘルプセンターに行ったのは午後でしたが、朝早くご飯を食べたきり、夜まで食べられない、という子が8人もいたとか。こんな状況になる前はスラム暮らしでもなんとか日に3度食べていた家族が、今は日に2度に切り詰めているというケースが少なくないことが実証されました。

育ち盛りなのにろくにご飯も食べられない少女たち。こんな状況が続くようであれば何か対策を考えなければ...。


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2008年4月 8日

ジャガイモはあんたが食べなさい?

昨年の大洪水の影響で米はかなりやられたもののジャガイモは大豊作。ジャガイモが採れすぎて値崩れし、農民は泣きながら二束三文でジャガイモを売っています。

先週、軍のトップであるモイーン陸軍参謀長が「皆が米といっしょにジャガイモを混ぜて食べることを習慣づけるとよい。そうすれば栄養も足りるしジャガイモ農家も助かるし米不足にも対応できる」などと発言。なんだか日本の戦時中みたいな話になってきたな、と思っていたら、昨日のテレビのトークショーでジャーナリストのヌルル・コビール氏が「軍の大将がジャガイモを米に混ぜて食べよう、と提案しているが、軍人はこのご時勢でも特別価格で米や食糧を入手している。ジャガイモを米に混ぜて食べるのはまず軍から始めたらいかがか。軍人が得ている米を半分一般人に提供して、その分ジャガイモを混ぜて食べたらいかが?」と発言したそうで(私はその番組を見そびれました)、ダッカ事務所のスタッフたちが「あれはよく言ったよねー!」と喝采していました。今のバングラデシュで軍人の特権について正面切ってそういうことを言うのはなかなかできることじゃないようです。

バングラデシュの軍人は住居や子弟のための特別な(最高レベルの)学校、医療など、あらゆる面で特別待遇を受けているのは知っていましたが、米をキロ1タカや2タカで入手できるようになっているとは知らなかったのでびっくり。聞けばイギリス植民地時代のレートのままなんだとか。そりゃあひどい。

ヌルル・コビール氏は私も愛読している英字紙New Ageの編集長。思い切ったことを言うので、時に嫌われ、時に賞賛され...という評価のアップダウンが大きい人物ですが、やっぱりジャーナリストにはこういう人がいてもらわなきゃ。今後もぜひその勢いで行っていただきたい、と思います。

ちなみにジャガイモ提案をしたモイーン陸軍参謀長は今年の6月で定年退職の予定でしたが、「公の利益のため」ということで大統領が任期を1年延長しました。彼が次の大統領になる...といった噂は(本人は前から否定していましたが)これでとりあえずナシになるということですね。

今日もNew Ageは市場を視察したモイーン参謀長の、「危機がどこにある?確かに物価は上がってるが危機じゃない。危機はつくられたものだ」という発言を社説で批判していました。


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2008年4月 6日

「静かな飢饉」か「隠れた飢え」か

木曜日、食糧・災害担当アドバイザー(暫定政権の閣僚にあたる)が、現在バングラデシュを覆っている食糧難について、「『静かな飢饉(Silent Famine)』とまでは言えないが、『隠れた飢え(Hiddne Hunger)』が広がっていると言えるだろう」と発言し、早速翌日の新聞には「『静かな飢饉』か『隠れた飢え』か、そんな議論をいくらされたって、すきっ腹は埋まらないんだよ!」という怒りの投書が載っていました。至極もっともです。

3月後半から全国的に計画停電が始まり、ダッカでもオフィスアワーの間、2時間は毎日停電しています。地方都市はもっともっとひどいようです。灌漑稲作に必要な田んぼの水を地下水から汲み上げる電動ポンプが止まらないように、電力供給は農村の夜間が優先されているとのこと。4月中旬から後半収穫予定という頼みの綱のボロ米ですが、ジナイダ、ジョソール、チュアダンガなど西部5県で稲が黄色くなり乾燥してしまう病気が広がっているというニュースもあり、心配です。

低所得者層が追い詰められていることを実感させるような出来事を見聞きすることが増え、ダッカ事務所周辺ではひったくり事件も頻発。なんだかとてもイヤーな感じです。暗くなってからリキシャで帰るのはなるべく避けたほうがよさそうです。


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2008年3月31日

お米クライシス

前回も書きましたが、物価の激しい上昇でBDRマーケット(準軍組織のBangladesh Riflesが運営する政府の“フェア・プライス”マーケット)に並ぶ人の列は日に日に長くなっています。昨日はダッカ事務所のドライバーのシポンもこう言っていました。「恥じることじゃないと思うから言いますけどね、アパ。うちの妻も今はBDRマーケットに延々と並んでキロ25タカの米を買ってますよ。僕が家で食べてるのもその米ですよ」

また、農村でもちょっとした異変が起こっています。都市の物乞いはコインをもらうのが普通ですが、農村の物乞いには人々はひとつかみの米をあげるのが普通だとのこと。それが近頃、米でなくコインをあげる人が増えているというのです。米の値段が上がり、米ひとつかみより1タカコインのほうが安くなるからだとか。米ひとつかみは何グラムか、自分の手で測ってみたところ、40グラム強でした。1キロ35タカの米なら40グラムで1.4タカ、キロ25タカならちょうど1タカです。村人たちの計算はなんと正確なのでしょう。

昨年相次いだ洪水、サイクロンという大災害の影響で米の収穫が落ち込んだ上、米の主な輸入先であるお隣のインドはバングラデシュの足元を見てかノン・バスマティ米(インドで高級米とされるバスマティ以外の米)の最低輸出価格を1トン650ドルから1000ドルに上げてきました。一般の輸入卸商人はこれではインドからの米輸入は実質考えられなくなった、というひどい高値です。もっとも交渉の結果、政府に直接売る場合の最低価格は1トン430ドル、ということになったので、それほど問題ない、とバングラデシュの農業省の役人は言っていますが...。

乾期の間に地下水をポンプでくみ上げる灌漑稲作で栽培され、今各地の田んぼで青々と育っているボロとよばれる米が収穫され、市場に出回るのは4月中旬の見込みです。国産の米が出回るその時になれば米の値段も下がるだろう、と言われていますが、もしそれでも下がらなかったら...そのときはいよいよ人々の怒りが噴出するかもしれません。

それを読んでかどうだかよくわかりませんが、バングラデシュ二大政党のひとつアワミ連盟は、拘禁されている党首シェイク・ハシナの解放要求と物価高騰への抗議のため、4月中旬に大規模なハンガー・ストライキを呼びかける予定とのこと。

4月中旬はベンガル暦の新年が始まる時期。果たしてこのベンガル正月、お米クライシスを脱して喜びの時となるか、それとも怒りの時となるか。


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2008年3月25日

ガイジンには見えないもの

物価の上昇が甚だしく、事務所のスタッフたちも、うちのお手伝いさんのイラも、口を開けばその話題です。以下は今日の事務所での会話。

プログラムオフィサーS「アパ、ぼくはここ3年ぐらい、同じ店で同じ品物がいくらしたか、主なものを記録にとってるんですけどね」
私「へー、そうなの」
S「ここ2、3年の物価の上昇率より、ここ2、3ヶ月の上昇率のほうが高いんだよ。とくに大豆油、米、玉ネギなんかね。」
私「ほんとに?そこまでなの?」
S「そうだよ。今日ジャットラバリ(ストリートチルドレンのプロジェクトがある場所)のBDRマーケット(政府の安売り仮設市場)でキロ25タカの米を買うために並んでる人たちを見たけどね(注:普通の市場ではいまやキロ32タカ以下の米を探すのは難しい)、もはや経済的下層階級の人たちだけじゃなくて、ミドルクラスの下のほうの人たちも並んでますよ。ぼくたちもいつ並ぶようになるか、って感じ」
私「…」
S「今日ジャットラバリから事務所までバスで帰ってくるとき、他の乗客の人たちの話も聞いてみたけど、みんなの心の中に怒りがたまってきてる感じだね。ちょっと前まではそこまで怒ってるのはロウワー・クラスの一部の人たちだけだったんだけど、それが確実にもっと上のほうまで広がってるね」
プログラムオフィサーP「そうだよ、アパ。いまこの国の状態はかなりヤバイよ。何かをきっかけに人々の怒りに火がついたらみんなどーっと道に繰り出してくるかもしれないよ」
S「エルシャドの頃なんかはねえ、学生たちがそういうリーダーシップをとったものだけど。いまの学生はそこまで熱くないからねえ」
私「そういうみんなの怒りがたまってきたヤバイ感じっていつ頃から感じてる?」
S「うーん、1月ぐらいからかなあ。ここ3ヶ月ぐらいだね。この物価上昇には僕たちぐらいのミドルクラスレベルでも確実に苦しくなったと感じてるからね。うちも下の娘の家庭教師はそれでやめたし(笑)リキシャやCNG運転してる人たちなんかどれだけきついか。でも政府は公務員の給料を上げることぐらいしか考えてない。政府は公務員のためだけにあるわけじゃないのに、他の国民はほったらかしだ。みんなそりゃ怒るよね」
私「そういえば、最近日雇い労働の相場が下がってるって聞いたけど、ほんと?」
S「ほんとだと思うよ。建築資材の値上がりで建てかけのフラットやビルの工事がいくつも中止になったりしてるからね。労働者のほうがいっぱい余ってるんだよ。そうなると賃金が安くても仕事にありつければ人は働くからね。賃金は下がるわ、物価が上がるわじゃ生活していけないよね」

うーん、物価上昇もニュースとしては見聞きしていますが、少々高くてもスーパーで買い物しちゃうガイジンに過ぎない私には、その苦しさは実感としてはあまり感じられません。巷の人ごみを見ても、みんなそんなに怒ってるようには思えず、いつもと変わらないのんびりした感じに見えてしまいます。でもうちのスタッフは皆、「かなりやばくなってきている」と言うのです。やはりバングラデシュ人の彼らには、ガイジンの私には見えない何かが見えているんじゃないかと思います。

これから次の選挙予定時期まであと約9ヶ月。波乱の山はいつ頃やってくるのか...。
そんな状況の中、明日は独立記念日です。


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2008年1月10日

選挙管理内閣5人交代、コンサルタント任命へ

8日夕方、選挙管理内閣の顧問(通常の内閣の閣僚にあたる)のうち、主だったメンバー4人が辞職したという情報が入ってきました。何があったんだろう、また国内が荒れるかな、大丈夫かな、とちょっと心配になったのですが、とくに治安が乱れることもなく4人は言葉少なく職務を去り、先月すでに辞任していた教育・文化担当顧問のポストも含め、9日、5人の新たな顧問が着任しました。辞めた顧問たちは「個人的理由での辞職」ということに表向きはなっていますが、どうやら問題発言や国民の不評などを理由に辞めされられたというのが本当のようです。

新顧問の顔ぶれのうち、特筆すべきはシャプラニールもメンバーになっているバングラデシュの教育関係NGOネットワーク、CAMPE(キャンペ)の代表、ラシェダ・チョウドリーさんがその一人に選ばれたこと。ラシェダさんは教育関係のNGOの会議などで、日本にも何度も訪問されている方です。

また、選挙管理内閣のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問は、9日、6人から7人のコンサルタントを2~3日中に任命する、と発表。昨年の非常事態宣言→軍に支えられた現選挙管理内閣樹立から1周年を目前にして、にわかに大きな動きです。

非常事態宣言からちょうど1年目にあたる1月11日を、新たな顔ぶれで迎え、選挙実現までの継続を自信をもってアピールしたかったんでしょうね。

あとはこのコンサルタント・メンバーに誰が入るのか?注目です。


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2008年1月 8日

年明け米パニック

バングラデシュでは年明け早々から米の値段が高騰し、1週間でキロ25タカの米が30タカ(1タカ=約1.7円)にまで上がってしまうような状況で、大騒ぎになっていました。2度の洪水やサイクロンで国内の米の生産が減った上、備蓄していた米が流されたり、大量の食糧救援が必要になったりで、米が足りなくなるだろうというのは皆が心配していたことだったのですが、ちょっと前まで政府はのほほんとしていたのです。

年明け早々からあまりのスピードで米価が急上昇し、国境警備隊(Bangladesh Rifles、BDRと略される)が直営する屋外マーケットに人々が早朝から長蛇の列をつくる状況が続いていました。ここ数日やっと政府がこの件についての諮問委員会を開いてタイやベトナムからの大量の米の輸入を決めたことを発表したり、市場の米価格を治安部隊が見回るようになったりしたため、昨日あたりからようやく米の値段が落ち着いてきたようです。

ちなみにバングラデシュ国境警備隊(BDR)は、主に国境警備にあたる準・軍組織なのですが、国境警備以外にも治安維持のための活動をいろいろやっています。現在は、その名も「オペレーション・ダール・バート(ダール=ダール豆、バート=米)」と名づけられた任務の一環として、米・ダール豆・食用油・塩などを安価に販売するBDRマーケットをダッカ市内の約200箇所で実施中。これは、物価の高騰で選挙管理内閣への非難が高まる中、断食月に入る直前の昨年9月1日から始まったもので、それほど質のいいものを売っているわけではないですが安いので、貧しい人たちは列に並んでここから米や豆などを買っています。

BDRマーケットでは1日に一人頭米3kgまでしか買えないことになっているので、年明けの米値上げパニックのピーク時には、貧しい女性たちが子どもを何人も連れて列に並んだりしていました。BDRの隊員は米を売った後、買った人の腕にペンで番号を書き込んだりします。同じ人が1日に何度も買えないように、です。

すでにインドの米は大量に輸入されていて、シャプラニールがサイクロンの食糧救援の際に現地パートナー団体を通じて配った現地調達の米も、かなりがインド米でした。これからベトナムやタイのお米が入ってきますが、果たして米パニックはおさまるかどうか。

政府はすでにサイクロン被災地の260万世帯にVGF(Vulnerable Group Feeding)カードを配って数ヶ月の米配給をすることになっていますが、これに加えてそれ以外の57万世帯の貧困家庭にVGFカードを配布し、5ヵ月の米配給をすることが発表されました。

カードを配った後で、米が足りなくなって配給が途中で滞る、ということだけはないようにしてもらいたいものです。


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2007年12月17日

首都での人災 ビル崩壊

サイクロン救援の努力が沿岸部の被災地で続けられているさなか、首都ダッカの中心部で12月8日に取り壊し中のビル内部が崩壊、少なくとも13人の作業員が死亡するという事故がありました。

事故があったのはRangs Bhaban(ラングス・ボボン)、ダッカに住んでいる人なら誰もが知っている有名な(悪名高い)建物です。その昔ハイジャック事件があった旧空港横の交通量の多いT字路に建つ22階建てのビルで、長い間揉めた末に違法建築のため6階以上の階を取り壊すべしという判決が出、今年8月上旬から取り壊し作業が始まっていました。

首都での高層ビルの取り壊しというのはおそらくバングラデシュでは史上初のことで、しかも6階までは残すという中途半端な判決が出たため、いったいどうやって取り壊すのか誰もが気になっていました。結局安い人件費で雇った大勢の作業員による手作業で取り壊しが進んでおり、私もしょっちゅうこのビルの前を通るので、そのたびに見上げながら少しずつ小さくなっているビルを確認していました。

外側から見ると中の様子はよくわからず、作業はずいぶんゆっくり進んでいるように見えていたのですが、ビル内部はすでにほぼ空洞になっていたようです。8日の土曜日の夜、内部で大きな崩壊事故が起き、何人もの作業員が中に閉じ込められました。今朝の新聞によると、これまでに5人の遺体が運び出されましたが、いまだに少なくとも8人の遺体が中に放置されています。遺体回収作業も危険性が高いため、遅々として進まないらしいのです。

今日は事故が起きて既に9日目。帰らぬ父を探しに農村から出てきた息子が、ビルの中の高いところに自分が父にプレゼントしたルンギ(腰巻)を見つけ、あそこに父がいると号泣したというニュースなども伝えられ、人々は憤慨しています。ビル取り壊しの危険な作業を行っていた人々の多くは、今年二度の洪水に見舞われた農村部で食べていけなくなり、危険を承知で働きにきていた出稼ぎ農民でした。防護服も訓練もなく、腰巻姿でビル取り壊し作業をしていたのです。ビル取り壊しの責任者である首都開発公社(RAJUK)は死亡した作業員の家族に補償金として10万タカ(約17万円)を支給すると発表し、これはおそらくこの国ではかなり高いほうなのでしょうが、それにしても貧しい人々の命の値段の安さに暗然とします。

ビルの取り壊しのみならず、建築現場でも作業する人々は命綱もなくあまりにも無防備な姿で働いています。写真でしか見たことはありませんが、チッタゴン港での船舶解体現場で巨大船を手作業で取り壊す人々も同様です。事故があっても声を上げる力もない貧しい遺族は補償金をもらってあとは沈黙するしかない、という状況です。政府や企業が末端の作業員の安全と生命にも責任をもち、それができなければ罰せられる仕組みがつくられなければ、これからも多くの命が奪われるでしょう。

サイクロンという大きな自然災害の被害者救済のため、日夜懸命な努力を続けるバングラデシュ人たちが大勢いる一方で、ビル取り壊しという危険な仕事を二束三文で貧しい出稼ぎ者たちにやらせ、何日も遺体を放置して平気な人々もいる。いたたまれない思いがします。


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2007年11月14日

村の物価

先週末、コミッラの村に行ってきた総務担当のスタッフが、「半年ぶりに行ったら村の物価が上がっていてびっくりしたよ」と言います。「牛乳がキロ55タカもした。尋常じゃないよ」と。ちょっと前まではせいぜい30から35タカだったそうです。ダッカで売っているようなパックされた牛乳は、だいたい1キロ40タカ程度。

私たちの活動地のひとつであるマイメンシン県のイショルゴンジ郡でも、パートナー団体COLIの代表のヌルル・イスラムが言っていました。「最近、イショルゴンジのバザールの野菜はダッカより値段が高いんだよ、アパ」

なんでこんなことになっているのでしょう?

うんと大雑把に言えば、かつては地産地消が主だったものが、ほとんどの野菜や物資がダッカ経由で外から来るようになったことが原因のようです。ダッカの卸売り市場の野菜がイショルゴンジまで来れば、輸送コストもかかり、ダッカより高くなるのは当然。今年は二度の洪水や大雨のため、多くの地域で野菜が育たずダメになったので、よけいこの傾向に拍車がかかっているようです。イショルゴンジの人々も、野菜や卵などを地元で売らずにダッカにわざわざ売りに行く人が増えています。

先に書いたコミッラの牛乳は土地のものですが、総務担当曰く、この地域では乳牛を育ててミルクを売る人が多かったのが、海外出稼ぎ者が増えて海外にいる息子などが外貨を送ってくるようになり、牛乳を売る人が減ったとか。「それで供給が減り、需要が増えたんだろう」と彼は言います。彼が行った村にはイタリアへの出稼ぎ者を出している家だけで13世帯もあったとか。「イタリア?マレーシアとか中東じゃないの?」と訊くと、「最近中東じゃ賃金が以前に比べて安くなってるし、アジアは出稼ぎ者への制限が厳しくなってきたし。一方でヨーロッパは前より受け入れ条件がゆるくなってるところもあるから、最近はヨーロッパが人気みたいだよ」とのこと。

もうひとつ気になるのは肥料の問題。同じくCOLIのイスラムが言うには、肥料は多く使えば使うほどいいと信じている農民がいまだに多く、やたらとたくさんの肥料を使うのだそうです。そんなに肥料を使ったらかえって土がダメになってしまう、と言っても、「肥料を売っている店の主人がこれぐらい使えと言ったんだ」と言い張り、なかなか聞かないそう。そりゃ売るほうは商売ですから、たくさん使えと言うでしょう。

バングラデシュでは肥料の供給不足がよく問題になります。昨日も肥料が足りないらしい、という噂に恐慌を来たしたラジバリの農民たちが、政府の農業担当官の家や、肥料を保管している店の倉庫を襲うという事件があったばかり。「でも皆が適量の肥料を使えばバングラデシュの肥料不足もそんなに深刻にならずにすむはずだ。みんな高い金を使って大量の肥料を使い、土をだめにしている。」農業を専攻していたダッカ事務所のスタッフもため息交じりにそう言います。

郡に配置されている政府の農業担当官には、私たちの活動の中でも貧しい農民たちへの農業研修の講師を頼んだりしており、そういった研修の際には、殺虫剤を使わなくても炭液でかなり虫が防げることや、肥料の適切な使い方なども教えてくれています。しかしいかんせん、こういった知識の普及がまだ足りなすぎるのでしょう。

殺虫剤や農薬、化学肥料の無茶苦茶な使い方が気になるバングラデシュの農業。ウビニクなど有機農業や輸入でない土地の種の保存の重要性を訴える活動をしているNGOもありますが、大半の農民はハイブリッドの高収量品種と化学肥料を使った農業以外に見向きもしません。

バングラデシュの一般消費者が食の安全や環境問題に目覚め、安全な野菜を求めるようになり、農薬や肥料の量を農民が気にかけるようになるには、まだだいぶ時間がかかりそうです。


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2007年10月27日

ダッカにはびこる新種の麻薬

このところ、「Yaba」と呼ばれる麻薬の錠剤がダッカ市内で大量に押収され、新聞の一面で報道されています。元々タイから入ってきていたらしいのですが、ダッカ市内でも大々的に製造していた人間がおり、今回逮捕されました。インターネットや携帯電話を使って手広く商売していたようです。

ダッカ事務所や私のメールアドレスにもどこで調べたのか怪しい薬の宣伝メールが毎日嫌になるほど届くぐらいなので、インターネットでのクスリ販売というのは世界的に相当広まっているのでしょう(もちろん日本でも)。今回ダッカで発覚したのもほんの氷山の一角なんじゃないかと思います。

このニュースが新聞やテレビをにぎわせるまで、Yabaなどという錠剤の名前は聞いたことがなかったのですが、ふと、そういえば2年ほど前、ストリートチルドレンのドロップインセンターで子どもたちと話をしていたとき、数人の子どもが、「最近、ミャンマーから新しい麻薬が入ってきているようだ。見た目は普通の飲み薬だけどかなりヤバイもので、飲み続けるとボロボロになってしまうらしい」と話していたことを思い出しました。あのとき子どもたちが言っていた薬がこのYabaだったのかも...。

ドロップイン・センターや青空教室では、子どもたちとスタッフとのミーティングの中で麻薬の怖さについて話し合うなど、常に麻薬の害について意識啓発を行っていますが、ここに来ている子どもたちは実際麻薬が飛び交うような環境にいるわけで、常習者のおとなの姿も身近に目にしています。ドロップインセンターに来ている子どもの中には、スラムに家はあるものの、親が麻薬中毒だったり、麻薬の売人をしていて子どもも商売に巻き込もうとしており、スタッフが目を光らせているようなケースもあります。

シャプラニールダッカ事務所のあるモハマドプール地区は、昔から様々なNGOの事務所の多いところなのですが、現在のダッカ事務所の真裏の建物には麻薬依存症の人たちの社会復帰を行っているNGOが入っています。ちょうど女子トイレの窓の向こうがそのNGOの施設なんですが、時々そこに収容されている人たちが皆で何か朗読していたり、歌を歌っているのが聞こえます。

仕事中、裏から楽しそうに歌っている声が聞こえてきたりすると、思わずダッカ事務所のスタッフが「本人たちは楽しそうだけど、今頃家族はどうしているのかねえ。まったく『あなたは天国、わたしは地獄』だよなあ」などと呟いています。夫が麻薬中毒で働かず、妻に暴力を振るう、という話は農村部の活動地でも時々耳にしますが、妻にしてみれば本当にぞっとするような地獄の日々でしょう。

人々の身体や心、家族を壊すような麻薬を大量生産して儲けようとしていたような連中には、厳罰を与えてもらいたいと思います。一部の麻薬が「痩せ薬」として、ティーンエイジャーの少女たちの間に広まっているという話も聞きます。スラムなどこれまで「麻薬危険地帯」とされてきたところだけでなく、一般の若者への麻薬についての啓発活動ももっと必要でしょう。


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2007年8月24日

外出禁止令、土曜日も「緩和」

明日25日土曜日も、朝6時から夜11時まで外出禁止令が「緩和」されることがニュースなどで流れています。「夜間のみ外出禁止」と言わずに、「早朝から深夜まで緩和」という表現をするところが戦略なんでしょうけど、なんだかもったいぶった感じですね。まあ要はおとなしくしている分には日中自由にしていいけど、何かあればまたすぐ強行手段をとる体制はくずしてないぞ、と言いたいのでしょう。

この知らせと同時に、今回の騒ぎで延期されていたHSC(12年生までの課程修了の共通試験)などの試験結果発表を26日(月)に行うことも流れているので、このままいけば来週は平常な日々が戻りそうな感じです。
 
週の休日である金曜日の今日は、朝8時から夜10時まで外出令禁止緩和、ということで、朝のうちは大雨のせいもあって人出は少なかったものの、午後や夕方は買い物などで出歩く人も多く、いつもの金曜日のようなのんびりムードが戻っていました。

ただし、外出禁止令の影響でただでさえ高騰している物価はますます上がり、バングラデシュの食卓には欠かせないカチャ・モリーチ(青唐辛子)が、キロあたり200タカ(約340円)もするほど。外出禁止令が続けばますます物価は高騰し、人々の不満も高まることを考えれば、政府もそうそう外出禁止令を続けることはできないでしょう。

一方、ダッカ大学、ラッシャヒ大学の教授が計5名治安部隊に連行され、まだ解放されていません。外出禁止令はそれほど続かないだろうと思われますが、大学の閉鎖はいつまで続くのか、今後も大学関係者が拘留されるのか、気にかかります。


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外出禁止令一時解除

昨日の夕方4時から7時まで外出禁止令が一時解除されたのに続き、金曜日の今日も朝8時から夜10時まで解除されました。おかげでスタディツアーの一行は問題なく空港に向かえることになり、ひと安心。

しかし、ネットでは、ダッカ大学の教員2名(ひとりは学部長)が拘留されたというニュースも流れており、明日以降どうなるかまだ楽観できません。

私の家では朝から停電でもないのにケーブルテレビが全然つながらず、何も見られません。停電がらみのよくあるトラブル(普通数十分から1時間で元に戻る)かと思って待っていたのですが、いつになっても画面は砂嵐状態のまま。幸い携帯電話はつながっているので、外との連絡やネットを見るのも問題ないんですが、こういうときにテレビニュースが見られないのはこれまた困ります。小嶋駐在員やダッカ事務所のスタッフと連絡をとると、他の地域ではテレビが映っているようで、これはうちが加入しているケーブルTVだけの技術的な問題なんだと思いますが...。早く直してもらわないと困りますね。.

ただし、テレビが映っていてもTVニュースはかなり規制がかかっており、政府からの通達以外、外出禁止令の間の各地の様子などはほとんど報道されていないようです(昨夜もそうでした)。昨日比較的そのあたり自由な報道がされていたのはFMラジオ局のニュースで、ある局の午後のニュースでは、外出禁止令中でも各都市でかなりの人々が身分証明書を持参してオフィスや学校へ行ったこと、しかし行く途中で軍や警察に追い返されたり、暴力を振るわれた人がいたことなどを人々の声もまじえて伝えていました。
新聞やネット媒体は今回の報道規制の対象から外された、というニュースのテロップが昨日の夕方Daily Starのインターネット版には流れていましたが、本当に100%自由に報道できる状況にあるのかどうか。

昨日の夕方、外出禁止令が解除された3時間の間に食糧を調達しておこう、と、私も近所のスーパーへ行ったのですが、その混みようはすごいものでした。レジに並ぶ人は長蛇の列になり、買い物カゴも足りなくなるし、店内を移動するのもひと苦労。レジ前では、「ちょっと割り込まないでよ」「違うのよ私はここに並んでたんだけど、ちょっと卵だけとりにいったのよ」「ぼくは割り込もうとしてるんじゃないよ、空いたカゴが出るのをまってるんだ」といったやりとりが展開され、それでも皆辛抱強く並んでいました。

新聞によると、地方から出てきて足止めを食っていた人たちは、この時間の間になんとか汽車に乗って帰ろうと駅に殺到したようです。結局慌てなくても、今日また1日外出禁止令は解除になったわけですが。

外出禁止令が本格的に解除されるのはいつになるのか、来週普通に仕事ができるのか、まだ全然わかりません。

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2007年8月23日

昨夜から外出禁止令

月曜日の夜からダッカ大学で、学内に駐屯している軍のキャンプ退去を求めて学生たちが抗議行動を起こし、軍・警察と衝突して多数の負傷者を出しました。ダッカ大学では教員たちも学生を支持。学生と教員たちは軍の撤退に加え、非常事態宣言の解除などの要求を出しました。

P1000090.jpgダッカ大学キャンパス内の駐屯軍は退去することがすぐ決まり、昨日の昼には退去が終了したのですが、この抗議行動はエスカレートして昨日全国に拡大し、あらゆる地域の主だった大学で、学生たちと軍・警察が衝突。ラッシャヒ大学内では騒ぎに巻き込まれたリキシャ引きの男性1名が警察の発砲により死亡。午後には学生以外のグループも動き出し、あちこちで道路を封鎖したり、車が燃やされたりし、1日のうちに不穏な空気が全国に広がりました。

写真は我が家のすぐそばのダンモンディ27番通りで昨夕撮ったもの。この通りと交わるシャート・マスジッド・ロードのレストランが放火され、煙があがっているのを見物する人たちの様子です。(たまたま通りがかったのでリキシャの上から撮りましたが、危ないところに野次馬として出かけていって撮っているわけではありません、念のため(笑))

この状況を鎮圧するため政府は昨夜8時より無期限外出禁止令を出しました。また、すべての大学は閉鎖、学生寮にいる学生たちは夜8時までに退去することが命令されました。(ただし夜でもあり、女子生徒については、すぐに出られない事情がある場合はしばらくいてもよい、とされました。)夕方6時ごろから携帯電話も当局の命令により不通となり、報道機関も学生と軍・警察の衝突の状況などを報道することが差し止められました。昨夜取材を行おうとした報道関係者が数名逮捕されましたが、数時間のちに釈放されたとのことです。

今日も外出禁止令は出ていますが、緊急の用事がある場合、許可証(Curfew Pass)があれば通行してよし、ということになっており、許可証が得られない場合は、パスポート、エアチケット、身分証明書などがとりあえずその代わりと認められる、ということになっています。朝になって、携帯電話は部分的に通じるようになったようですが、私の携帯電話は一切通じず、インターネットもできず、外部と一切連絡がとれないので、パスポートと就労許可書をもって事務所に歩いて出てきました。11時を過ぎて、ようやく私の携帯電話も通じるようになったところです。(ただし今夕6時からまた不通になるとのこと)

NHKニュースなどでも報道されたようなので、ご心配くださっている方もあるかと思いますが、私も小嶋駐在員も元気で無事でおります。折りしもシャプラニールを以前から支援してくださっている労組の皆さんがスタディツアーで来訪中なのですが、そのメンバーの皆さんも無事、元気でホテルで待機されています。ツアーの皆さんは明日帰国の予定なので、状況を見ながら空港へ無事お送りする方法を検討しています。今のところ、身分証明書を持って裏通りを歩いたりリキシャで移動するのはとくに問題ない状況ですが、車はたまに救急車が走っている以外、まったく走っていません。大使館からもアドバイスを受け、明日の移動の車には当局からの通行許可証を取得する方向で動いています。

今回の学生たちの動きの広がりは本当に素早いもので、あっという間に全国に拡大しました。エルシャド政権時代の同様な動きを経験しているダッカ事務所のスタッフたちも、そのスピードにはびっくりしていました。各地の学生リーダーたちが携帯でやりとりしていたであろうことは明らかで、それを封じるために当局は携帯のネットワークを閉鎖したものとみえます。しかしバングラデシュでは通常の電話線を引くのはかなり困難で、私も携帯電話しか持っていないので、これが閉じられると一切外部と遮断されてしまい、非常に困ります。携帯以外の通信手段の確保の重要性を改めて痛感しました。

今回の学生たちの抗議行動を昨日ニュースで見て印象的だったのは、女子学生たちの活発な動きです。スタッフたちも、過去にこんなに女子学生が参加した抗議行動はなかったといっています。それだけ社会も、女子学生たちの意識も変わってきたのでしょう。

ここ数ヶ月、まったく改善される様子のみえない物価の高騰、路上での露店の禁止や「違法建築」の強引な取り壊し、ジュート工場など国営工場の閉鎖による大量の失業、政党の活動の禁止などにより、暫定政権やその背後にいる軍、そして非常事態宣言下にあることへの不満はあちこちで高まってきていました。今回の動きは、少しずつ落ちていた水滴がついにいっぱいの水になってコップから溢れるように、ダッカ大学での軍への抗議行動をきっかけとして、人々の不満が溢れ出てきたものといえるでしょう。

バングラデシュでは、独立運動でも、そのきっかけとなったベンガル語公用語化運動でも、運動の先駆けとなったのはダッカ大学の学生たちでした。その他、各地の歴史のある大学、とくにラッシャヒ大学、チッタゴン大学、マイメンシン農科大学、シャバールのジャハンギルナガル大学などは、学生運動が伝統に活発ですが、今回もこれらの大学の学生たちが先んじて動きました。大学が閉鎖され、寮からも追い出され、携帯電話での連絡も制限されている学生たちが、今どんな動きをしているのかはまったくわかりません。

P1000092.jpg今、事務所があるモハマドプールの裏通りは平穏で、向かいの建設現場では工事もしており、時々物売りの声も聞こえます。事務所は基本的に閉鎖していますが、近くに住んでいて安全に歩いてこられるスタッフだけが身分証持参で来ています。写真は今朝8時半ごろ、モハマドプールのタウンホールマーケット前で撮ったもの。店はすべて閉まっていますが、人々はリキシャや徒歩で行き来しています。

しかし、今朝歩いてきたあるスタッフによると、ミルプール・ロードのASA事務所前あたりで、身分証明書を持っていなかった人を、警察が棒で強打しているのを見たとのこと。別のスタッフもモハマドプールで軍人が身分証明書をもっていなかったらしき人を打ち据え、車で連行したのを見ています。

機を見て暴動を起こそうとするグループや、政党関係者があちこちにこそこそと集まっている様子もあり、軍や警察がそれを見つけては蹴散らしているという状況とみられます。とくに茶店やレストランは人々が集まって情報交換したり組織化したりする拠点になるので、小さな茶店でも開いているのをみつけると軍や警察が脅して閉じさせる、といった状況のようです。

シャプラニールの活動地のパートナー団体と連絡をとったところ、とくに今のところ問題は起きていませんが、人々は何が起こったのか、これからどうなるのか、不安を感じているようです。とくに夜間携帯電話が通じなくなり、親戚などと連絡がとれなくなったことで、不安をかきたてられた人は多いことと思います。

昨夜9時半、暫定政権のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問がテレビで国民向け演説を行い、「ダッカ大学の学生たちの要求に答え、キャンパスから軍は撤退させたが、学生の動きに乗じて暴動を起こす人々がいることは遺憾。国民の安全のために外出禁止令を出したが、ごく一時的な措置であり、状況が改善されれば撤回する」と述べました。今日中に撤回されることを期待していますが、どうなりますか。

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2007年8月21日

お料理教室

「ダッカで家事使用人として働く少女支援事業」のプログラムのひとつ、少女たちのためのお料理教室第2弾を、ダッカ市内に2つある少女たちのためのセンターで、それぞれ8月16日と20日に実施しました。

P1000023.jpg8月16日に実施したのはパイクパラの公務員住宅内にあるセンター。
今回のメニューは「チョッポティ」。これはベンガル人なら誰にでもおなじみのおやつです。前回はある雇い主のおうちの台所を借りて、「ビリヤニ」という肉入り炊き込みご飯を作ったのですが、小さな台所で大勢分の料理をつくるのに時間がかかって夕方遅くなってしまい、少女たちが「早く帰らないと雇い主に怒られる」と半ベソになってしまったのと、ビリヤニはちょっとご馳走で材料に費用がかかり、そうそう自分で練習もできない、ということもあって、今回はあらかじめ下ごしらえしたものをセンターに持ち込んで作り方を教える方法にし、メニューも安い材料でたくさん作れ、しかも将来万一生活に窮したとき、「作って売る」ことができるようなものを選びました。

P1000026.jpg
で、チョッポティですが、作り方は大まかに言うと以下のとおり。

1 タマリンドを水につけておく 
2 ヒヨコ豆をゆでる
3 玉ねぎ、きゅうり、トマト、コリアンダーの葉(香菜)、青とうがらしを刻む
4 ゆで卵をおろし金ですりおろす
5 じゃがいもはゆでてつぶす
6 2~5を混ぜ合わせ、「チョッポティ用スパイスミックス」を入れる
7 チップ菓子を袋の上から手でつぶして割る
8 6に1のタマリンドの汁をかけ、7をちらす

P1000028.jpg大きい子の中には「もう作り方知ってるもーん」という子も二人ほどいましたが、ちゃんと作り方を習ったことのなかった子たちは大喜び。とくに、チップ菓子を袋の上から手でバリバリつぶす作業はみんなでキャーキャー大騒ぎ。

できあがったチョッポティはこんな感じ。ヒヨコ豆のさくっとした感じとチップ菓子のパリパリした食感、いろんな野菜の味やタマリンドの酸味が合わさって、おいしいんです、これが。ほんとはスパイスの配合こそが大事なところなんでしょうが、「チョッポティ用スパイスミックス」はバングラデシュならどこでも売っているらしく、手軽なので、今回はまあこれでよし、と。(何が入ってるのか、日本の皆さんのためにはあとで調べておきますね)

講師は前回も少女たちの雇い主のひとりに声をかけて協力をお願いしたのですが、今回もまた別の雇い主にお願いしました。
P1000029.jpgうれしかったのは、今回チョッポティの作り方を教えてくれた雇い主の女性が、「あれ?Phulki(この事業をいっしょに実施しているパートナー団体)の新しいスタッフだったっけ?」と思うほど、その場になじんで子どもたちに親切に接してくれていたことです。少女たちもリラックスしてお料理教室を楽しんでいました。

さて、続いて20日に実施したのはコライル・スラムの中にあるヘルプ・センター。こちらのメニューは「ピャージュー」。ピャージというのはベンガル語で玉ねぎのこと。これもまたバングラデシュではとてもポピュラーなスナックです。

P1000052.jpgコライル・スラムのセンター周辺はごみごみしていて広い場所がないし、室内だと火を使うのは危ないので、どうするのかな、と思っていたら、Phulkiのスタッフが考えたのは、センターの入り口(外)で七輪のようなコンロとなべを持ち込んで講師(こちらも雇い主)が料理し、それを少女たちが4人ずつぐらい順番に見る、という方法。作り方そのものは、センターの中で口頭でも説明できます。

コライル・センターの少女たちはパイクパラ・センターより小さい子が多いのですが、スラムで育つ子たちはたくましく、両親がスラム内で小さなお店をやっていてこういったスナックを作って売っており、「だから私も作れるよー」という子が3人ぐらいいました。

P1000060.jpg玉ねぎの値段が高いときはどうする?とスタッフが質問したら、玉ねぎを減らして代わりにじゃがいもを入れる、とか、青いパパイヤを入れる、という答えが少女たちから返って来ました。こんなに小さいときから経済観念もしっかりしています。

ピャージューの作り方はだいたい以下のとおり。
1 黄色いダール豆を水に2時間以上つけておく
2 やわらかくなったダール豆をグラインダーですりつぶす。このとき、完全につぶしてしまわないで、半分ぐらいつぶつぶを残しておくのがポイント。
3 玉ねぎ、青とうがらしを刻む
4 2と3を混ぜ合わせ、塩で調味する
5 4を平たい団子状にし、油で揚げる

P1000066.jpg油はマスタードオイルを使う人も多いそうですが、今回講師をつとめてくれたパルビンさんによると、大豆油がおいしいそう。みんなで熱々のうちにお味見しました。

来月の半ばぐらいから、イスラム教の断食月、ラマダンが始まり、イスラム教徒は日の出から日没まで断食したあと、イフタールという断食明けの特別な食事をとります。今回つくったチョッポティやピャージューはイフタールや断食月中の夜食に好まれるスナック。少女たちは、ラマダンのときには自分で作るんだとはりきっていました。

ラマダンの間はとくに早朝や夕方に断食前後の食事の用意をしたり、断食明けのお祭りであるイードにそなえて大掃除をしたり、と、どの家でも家事が増えます。ラマダン中はヘルプセンターのクラスの時間帯もずらし、雇い主にはラマダン中子どもたちに過重労働をさせないよう、家庭訪問やミーティングで呼びかけることにしています。


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2007年7月20日

NGO活動にも軍介入?冗談じゃない

昨日と今朝の新聞に「NGO、海外資金の50%を目に見える開発に使うべく要請される」という記事が載りました。バングラデシュ政府でNGO関係の業務を管轄するNGO局から通達が出され、海外からの資金を受け取るNGOは、少なくともその50%を学校建設、道路補修、用水路などの「目に見える」開発に使わなければならない、というのです。

新聞記事によると、7月3日に非常事態宣言下の軍・警察の行政補佐活動をレビューする会議があり、そこで決まったことだと。NGOの活動がその日の議題のひとつだったというのです。今後軍・警察はNGOの活動、とくに人々の意識向上とかキャンペーンといった「目に見えない」活動を厳しく監視し、人々の役に立っていない活動は中止させると。

そんな通達はまだNGO局から届いていませんが、これが本当なら由々しき事態です。活動費の50%を彼らが言うとことろの「目に見える」活動、つまり道路や用水路のようなインフラ整備に使うことが義務化されたら、NGOはやってられません。「人々の役に立っていない活動は閉鎖」といっても、それをいったい誰が、どんな基準で判断するのでしょうか。NGO活動のアカウンタビリティはもちろん重要ですし、成果をいかに客観的に評価するか、というのも大きな課題ですが、建物や道路のように「(ハードが)目に見える」ことイコールアカウンタブルだというのはあまりに幼稚かつ見当違いな話です。

学校を建設するのも、道路や用水路を整備するのも、政府がやるべき仕事のはずです。この国では、政府がやるべきでありながらできていない仕事、とくにそのうち、教育や保健医療、貧困層の生活向上、といった仕事を、ずいぶんNGOが補ってきました。それをインフラ整備までNGOにやれというのでしょうか。それなら政府の仕事はいったい何だというのでしょう。

病棟はあるけれど医者が来ない病院、校舎はあるけれど教師が来ない学校、役場の建物はあるけれど役人が来ない役所、そんなものがこの国にはあふれています。それをいかに機能させるか、お粗末な公教育や公共医療、人々に届かない公共サービスをいかに改善するかを政府は考えるべきです。こういったソフト面で政府の不足を補っているNGOの活動を制限し、ハードに資金を使うことを強要するなど、まったく現実のニーズに逆行しています。

軍主導の暫定政権の強引な「改革」、そのうちNGOにも手が伸びてくるかもしれないと思っていましたが、どうやらそのようです。もちろん、こんな通達が届いたらNGOの側も黙ってはいられませんし、NGOをパートナーとしている国際機関なども困ることになるでしょう。

暫定政権にはNGOの活動に口を出すより、腐敗しきったNGO局をなんとかしてもらいたいと思います。NGO局の役人に要求された賄賂を支払わないことで、今までどれだけ嫌がらせを受けてきたことか。

暫定政権になってからNGOで働く外国人職員に出されるビザ、通称Nビザの発行期間も大幅に縮められました。私は有難いことに4年のビザを持っていますが、後の駐在員がこんな長期のNビザをとれることは今後当分ないでしょう。3年駐在しようと思ったら、度重なるビザの更新の交渉にかなりのエネルギーを割かなければなりません。

通達が本当に届くのか、まだよくわかりませんが、シャプラニールのような海外NGOやそのパートナー団体が、ますますこの国で仕事がしにくくなることは確かなようです。


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2007年6月13日

チッタゴン地すべり死者100名以上に

チッタゴンの地すべり災害の死者は、今日の午前中の段階で118名にのぼっています。今も救出活動は続いており、この数字は残念ながらまだ増えてしまうでしょう。

崩れ落ちた丘の土砂で運河や側溝が埋まり、チッタゴンの町もあらゆるところで麻痺状態になっているようです。チッタゴン港からの荷の輸送にも影響があるでしょう。

おととい「目先のことしか考えない開発に腹が立つ」と書きましたが、実際は「開発業者や土砂業者などが好き勝手に丘を削り、行政もそれを放ったらかしにしてきた」というのが実情のようです。役所には当然こういったことを監視すべき役目の人がいるはずですが、何もしてこなかったか、業者とつるんで儲けていたか、ということなのでしょう。テレビの環境専門家の談話では、丘を削ったり土砂を運び出したりすることを規制する法律を新たにつくるべきだ、という話も出ていました。甚大な被害が出てからでないと問題にしない、動かない、とは、人間とはなんて愚かなのでしょう。

人のことばかりはいえません。「いよいよこれはまずい」という状態になってから「なんとかしなきゃ」と動き出すのは私たちの仕事にもあること。日々の仕事に追われたり、以前から続いてきた仕事に疑問を持たず、惰性で繰り返すようなことをしていると、そういう状況に陥ります。

崖が崩れる前に防ぐこと。崩れるずっと前にその危険性を見通して必要な対策を実行すること。
言うのは簡単ですが、実はそう簡単にできないことです。「崖」はどこにあるのか。いつも気をつけていないといけません。


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2007年5月 8日

ユヌスさん第三の公開レター

また3日ほどコルカタへ行っていたりして更新が滞りましたが、その間にもバングラデシュではいろいろなことがありました。

5月1日(火)ダッカ、チッタゴン、シレットの駅でほぼ同時に小規模な爆弾が爆発。現場にはジュディース・アルカエダと名乗る団体が犯行声明を残したアルミの円盤があり、「アフマディヤ(一般に異端とみなされているイスラム教の一派)とNGOは10日までに活動を止めないと死が待っている」と警告。
5月3日(木)ユヌス氏、3つ目の公開レターで政界出馬断念を表明。
5月6日(日)ジア元首相の秘書の妻が「選挙管理内閣は違法」と最高裁に提訴
5月7日(月)シェイク・ハシナ前首相ロンドンから帰国

爆弾事件もヤな感じではありますが、こういう連中にNGOが脅されるのも今に始まったことじゃなく、いちいちに気にしてられません。攻撃されるとしてもウチと違って大きなNGOでしょうしー。まあ、用心するに越したことはないですけど。

それより日本の皆さんが気にかかっているのは、ユヌスさんの出馬断念のことでしょう。今回は夢破れて...という感じで、あんまり元気の出るような内容じゃないですが、第一、第二の手紙を訳してご紹介した成り行き上、今回の手紙もご紹介しましょう(英語の全文はコチラ)。来週から会議もあるし他の原稿締切りもあって全然暇じゃないんですけど、これを読んでいただくとなんとなく今のバングラデシュを覆う空気も伝わるかと思うので。...とかいって私は昔から試験直前とか引越し作業中に関係ない本を読み始めちゃったりする癖があるんですよね。一種の逃避か(笑)

ちなみに私の周囲のバングラデシュ人の反応は、「最初からそうなると思ってた」「暫定政権が二人の党首の海外送りに失敗したから止めた方がいいってことになったんじゃない」とシビア。「今止める決断をしたのは賢明」というのが共通の意見のようです。残念ですが。

ユヌスさん、Give upとかquitとかいう言葉は使っていません。Stand asideというのはどういうニュアンスなのか正確にわからなかったんですが、どなたか英語が得意な方教えてください。

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ユヌスさんの公開レター第三弾(仮訳:藤岡)

親愛なる市民の皆さんへ

私は以前二度皆さんに手紙を書きました。2月11日の最初の手紙では、私が政界に入るべきかどうか皆さんのご意見を尋ねました。2月22日の二度目の手紙では、皆さんの励ましを得て、政界に出馬し、政党をつくることを宣言しました。政党の名前はたぶん「市民の力」になるだろう、ということもお伝えしました。今回の三度目の手紙は皆さんに私が政党をつくる努力から離れる(Stand aside)ことをお伝えするために書いています。あなた方のサポートに励まされ、新しい政治の流れをつくることへの希望につき動かされて、私は政界入りすることを決めました。この決断をした時点で、私は今まで人生をかけてやってきた全ての仕事を捨てて新しい人生に入り、政党作りに熱中する覚悟ができていました。政党作りの最初の一歩として、私は強力な組織化チームづくりのプロセスにとりかかりました。室内政治禁止令が解除されたらすぐに、皆さんにこのチームを紹介し、政党作りに邁進するつもりでした。しかし、全力を尽くしての努力にも関わらず、私は自信がもてるようなチームをつくることができませんでした。このプロセスから得た経験から、私はこれ以上時間をかけても成功できないだろう、と思ったのです。それで、私はこれ以上この道を進むことは正しくないという現実を受け入れ、退く決意をしたのです。

非常事態宣言が出て新しい選挙管理内閣ができた後、大きな期待感が国中に広がりました。政治の世界にも新たなドアが開かれました。敵対的、分裂的で、衝突ばかりの政治を葬り去り、新たなリーダーシップによる政治の流れの中で、国の経済を推し進める機会が生まれました。誰もがこのような機会はめったに来ないことを理解しました。この国の誰もが、もし善良な政治的意志と、有能なリーダーシップと、よいガバナンスが保証されれば、革新により不可能が可能になると感じています。

私はこのような観点から政界に入ることを決めました。私たちはひとつの夢を持っていました。汚職に無縁の政党、統一され、合意のとれた、共感が持てる、平和的で、世俗的で、大胆な経済発展を推し進める政党をつくる、という夢、人々を衝突や不信や失望から解放し、この国を自信の持てる国に変える、という夢です。私たちは皆、どこへ向かって進むべきかがわかっています。進む方向かわかっていれば、全力を尽くしてそこへたどり着くことができる--私はこの信念からイニシアチブをとったのです。

皆さんは私の呼びかけに、たくさんの手紙や、ファックスや、Eメールや携帯メールで応え、支援を表明してくれました。皆さんは新聞社に手紙を送ってアドバイスをくれたり、新聞の投稿記事やテレビ討議で提案をしてくれたりしました。多くの方たちが自分の地域で準備チームをつくったと知らせてくれました。海外在住の多くの方が、委員会をつくったと知らせてくれました。国内、海外を問わず多くの若い人たちが、ボランティアで時間や才能を差し出すと言ってくれました。皆さんに本当に感謝します。あなた方に希望を与えたあとで政治から離れることを非常に申し訳なく思います。私が早めにこの決断を下したのは、私の決断を遅らせることで皆さんに更なる失望を与えないためです。

私が政党結成を表明したあと、私が知る人や知らない人、政治家や政治家以外で政治に関心がある人が、私に連絡をくれました。私は彼らに党に入ってくれるように勧めました。連絡をくれなかった人でも、この人がいれば党を強めることができる、と私が思った人にはこちらから連絡しました。海外へ出ているときは、毎日何人もの人と連絡をとりました。私と共に政党づくりに向けて働いてくれていた人たちも、これらの人たちと連絡をとり続けました。

このコミュニケーションのプロセスを通じて、ひとつのことがだんだん明らかになってきました。私を励ましてくれる人たちは、各自の問題があって、自分自身では政界には入らないし、公に私を支援することもしないということです。また、政党に所属している人たちは、政党を離れようとしません。少なくとも、今は。もし政治的な状況が変われば、あとで参加するのかもしれませんが。これら全てを計算に入れると、ほとんど何も蓄積されていないことに私は気がつきました。だとすれば、私は誰と強いチームを作れるでしょう?

私は約束を破らず、透明で、汚職がなく、成功できる政党に必要な要素から逸れることなく、政党作りを進めました。私は、新しい政治の道をつくるのに最もふさわしいと思った方法で進めました。この仕事を進めるうちに、私が人々に強く明るいオルタナティブを示すために必要としているような人々は、私を手伝ってくれないことがだんだん明らかになってきました。政党に所属している人も、それ以外で政治に熱心な人々もです。彼らは皆新たな政治の道が拓けることを望み、この国の政治文化を変えることに熱心です。しかし、私は彼らを引き込むことができませんでした。最初は私を励ましてくれた人たちも、だんだんそうでなくなっていきました。

それを見て私は自分自身に疑問を感じ始めたのです。--このまま前に進むべきか、立ち止まって待つべきか?それとも政党をつくるという努力自体を完全に止めるべきか?私は弱い政党をつくりたくはありませんでした。弱い政党で新たな政界づくりに挑むぐらいなら、他の誰かがその努力をして成功するのを待ちましょう。

私はトライしています。私とともにある人たちも、どこにいようとトライしています。私たちは私たちの努力を通じて、新しい政治の流れが必要であることを、提起しています。今、他の誰かが進み出て、この空隙を埋めなければなりません。その人々が大きな成功を収めることを望みます。

この国は大きな可能性のドアの前にいます。私たちにとってこれからの5年間は非常に重要です。この5年こそ変化の時です。政治的にも経済的に大きな決断をし、その決断を実行すべき時です。バングラデシュを地域の商業とコミュニケーションのハブとすべく、地域の交通経路を結び、深い海港をつくるべき時です。世界のエネルギーが枯渇する中、私たちの国には豊かな石炭とガスがあります。これらの莫大な鉱資源を国の発展のために使うべきです。バングラデシュを情報テクノロジー利用において最高の国にすべき時です。国の人材を強化し、世界レベルの教育とトレーニングとで、その人材を国のため、世界のために役立つ人材に育てあげるべき時です。海外在住バングラデシュ人からの送金が生産的に使われ、彼らの技術と資金が国の発展と結びつくようにすべき時です。地方行政を強化すべき時です。

この国の経済や政治のギアを、別段階に入れるべき時が来ています。この国の精神はこれまでの段階を卒業し、より高いレベルに進む準備ができています。今必要なのは、これらの仕事を適切にうまくこなすことができる新たな政党とリーダーシップを作り出すことです。

私たちはこの政治と経済を変える仕事に失敗すべきではありません。

私の失敗や限界にも拘わらず、私を愛し共に苦しんでくれた人すべてに心から深く感謝します。

ムハマド・ユヌス
2007年5月3日
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2007年4月20日

いよいよ大詰め、しかし攻防は続く

昨日の新聞では、カレダ・ジア前首相は今日明日中にもサウジに向け出国の見込みで、荷物も全てパッキングを済ませ、最後の「特別許可」を受けて拘禁下にある息子タリク・ラーマンと面会するという話でしたが、結局昨日はタリクがいるダッカ中央刑務所にも現れず、1日でも出国を遅らせようと頑張っている模様です。

昨日最高裁判所は政府に対し、カレダが違法な軟禁状態にあるのか否か、説明を求めました(新聞記事はコチラ)。BNP幹部の請願に応えての対応のようですが、これがどこまで影響があるのかよくわかりません。
政府関係者が「軟禁状態などない、国外脱出も彼女の意志」と答えればそれで終わってしまいそうな気もします。

カレダ総裁の出国前の心残りNo.1は息子タリクの運命でしょうが、自分が去った後の党の運営についてBNPのリーダーたちと話し合いたいという要望も出しているようです。帰国の途上にある宿命のライバル、アワミ連盟総裁シェイク・ハシナの運命も見届けたいに違いありません。英字紙Daily Starの記事に「ここ15年以上にわたり激しく憎み合い、ほとんど言葉を交わすこともなかった二人の女性党首が、同じような運命を分かち合うことになったのは皮肉なことだ」とありましたが、本当ですね。

シェイク・ハシナの帰国については、政府は18日に以下のようなプレス・ノートを出しました。婉曲的な言い回しですが、要は帰国をブロックすることを宣言したわけです。
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●23日にシェイク・ハシナが帰国すると伝えられているが、昨年彼女のリーダーシップによりアワミ連盟その他の政党が行ったアジテーションにより、法や秩序が乱され、国のセキュリティに著しい混乱をきたし、非常事態宣言を出さざるを得ない状況になった。また、国外にいる間、彼女は内外のメディアを通して現選挙管理内閣や法執行機関に対し、挑発的で悪意ある発言を行った。彼女の帰国により法や秩序が乱され、現在の安定が妨げられ、国民の安全や経済に悪影響を来たす可能性がある。また、彼女自身が党を通じて身辺保護を依頼してきているように、本人も自らの安全を危惧している。これらの理由から政府は彼女の帰国にあたって慎重な対応をとることとする。ただし、これらの対応は一時的なものである。空港や港、航空各社には既にこの件について連絡済みであり、政府関係機関や警察にも必要な措置をとるよう指示済みである。
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ハシナ元首相は既にアメリカを後にし、昨日ロンドンに到着(新聞記事はコチラ)。そこで数人の英国の官僚や国会議員、アムネスティ・インターナショナルの幹部などと面会し、23日にダッカ到着の予定です。空港で逮捕劇が繰り広げられることになるのでしょうか。それとも英国滞在中になんらかの動きがあるかもしれません。

息子ジョイに付き添われ、笑みを浮かべつつダラス空港でチェックインするハシナの写真が今朝の新聞に載っていましたが、果たして勝算はあるんでしょうか?


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2007年4月17日

カレダ・ジアついに出国?

昨日の新聞に、カレダ・ジア前首相の次男で広告のビジネスをしているアラファトが逮捕されたというニュースが載り驚いていたら、今朝の新聞の一面には政府関係者の談話(匿名)として「カレダ元首相がついに国外退去に同意。それを受けて、アラファトも釈放、ともにサウジアラビアへ」というニュース。いやびっくり。カレダ・ジアBNP総裁はすでにだいぶ前から軟禁状態にあり、現暫定政権は相当プレッシャーをかけたようです。先に逮捕されている長男のタリク・ラーマンも後から合流する見込みで、サウジ・アラビア政府も既に受け入れに同意しているという話ですが...。

まだ記事をあんまり詳しく読んでないんですけど、アワミ連盟総裁のシェイク・ハシナも渡航中のアメリカから帰国させないことになりそうだ、という話で、元首相が二人とも国外退去、という状況になるかもしれません。

まだ「匿名の政府関係者の談話」という形での報道で、正式に発表があったわけではないですが(正式発表の際はどういう理由をつけるのでしょう?)、すごいことになったものです。こういうやり方はパキスタンのブット追い出しからヒントを得たんですかね。

最近、うちの通いのお手伝いさんのイラに朝新聞を見ながら意見を聞くのが日課なんですけど、少数民族のマンディ(ガロ)でクリスチャンのイラは、すごくBNPを憎んでるんです。タリクやアラファトが逮捕されたときは大喜びしてましたね。でも、今朝「カレダ・ジアも息子たち連れてサウジアラビアに行くらしいよ」と言ったら、「いつまで海外にいるのやら。また帰ってくるかもしれないんでしょう?とくにタリクはあれだけ悪いことしても刑務所に入らずに逃げられるとしたらおかしい」という厳しい意見でした。「カレダ・ジアは学がない。8年生のときに結婚したんだからSSC(中等教育修了試験)もパスしてない。シェイク・ハシナは大学院出だ。女性でも男性でもいいけど、首相にはちゃんと学のある人がなってもらいたい」とも。

さあどうなるでしょうね。


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2007年4月13日

選挙は2008年末までに

きのうの夜はテレビニュースも見ずにパソコンに張りついていたので今朝新聞を見るまで知らなかったのですが、昨日選挙管理内閣のフォクルウッディン・アフマッド主席顧問の国民に向けての演説がありました。2008年の終わりまでに選挙を実現するつもりであること、現選挙管理内閣は必要以上に居座るつもりはなく、究極的な目的はあくまで純粋な民主主義への移行で、自由で公正、信頼性のある選挙を通して選ばれた政権にハンドオーバーすることだと述べ、この3ヶ月間の暫定政権の成果もアピールしました。

昨日私が書いたように最近の動きをみて「大丈夫なのかこの政権は?だんだん違う方向に行きつつあるんじゃないか?」と不安を感じている人は少なくなかったと思いますが、ここでまたぐわっと文民政権の顔に戻すところが絶妙のバランス感覚(というより必死でバランスをとりながら進めている、というところでしょうか)。非常事態宣言開始から3ヶ月という節目もありますが、ベンガル新年(4月14日)前の週末、というタイミングも意図したのでしょう。

新聞に出ていた演説全文によると、2008年中に選挙は実施できる見込みで、政党の登録は選挙改革の重要項目のひとつとし、候補者の収入・支出・財産などの報告は必須とするとのこと。また、学生組織や各種業界組織などが政党に取り込まれることのないように努力し、次の選挙だけでなく、今後のすべての選挙が正しく公正に行われるための枠組みをつくることを念頭に改革を行っている、とも言っています。また、現在の行政システムでは、国会議員と行政最小単位のユニオン評議会メンバーは選挙で選ばれ、県や郡レベルのトップは中央政府からの派遣なのですが、郡レベルでも選挙を行い、地方行政をより効果的に機能させたいとしています。

電気や肥料の供給不足が乾期の灌漑稲作に悪影響を及ぼしている問題については、肥料、ディーゼル、電気を広範囲に提供すべくあらゆる方策をとっていることを説明し、電気については消費者の権利と同時に市民としての責任も持ち、各家庭でできる限りガスや電気の節約に努めて欲しい、との意識喚起もしています。

このほか、国連の汚職撤廃条約に批准したことや、国内人権委員会を設置したこともアピール。先日のSAARCサミットで2008年が「グッドガバナンスの年」に決められたことを受け、バングラデシュを南アジアの空でで光り輝くグッドガバナンスの星としたい、と高い理想を掲げています。(世界最悪の汚職の国から光り輝くグッドガバナンスの星へ、とまで言ってしまうのはすごい...。)

司法改革などを通じて市民の権利と正義が守られるようにすることや、社会の中で権利を奪われ抑圧されている人々への責任があること、女性たちが今も結婚持参金や違法なフォトワに苦しめられているという耐え難い状況は終わりにすべく、国レベルでも社会レベルでも様々な方策が必要だとも述べています。

最後は、ユヌス氏のノーベル賞受賞や穀物がほぼ自給できるようになったこと、クリケットチームのワールドカップでの健闘、縫製工場労働者の日夜の勤勉な働きぶり、バングラデシュ軍のPKFでの活躍など、国の自信につながる事項を並べ、幸せで豊かで平和なバングラデシュ実現のために国民の協力を呼びかけ、過去の失敗や限界を乗り越えることをバングラ新年前夜の誓約としたい、というまとめ。“We can do it, only if we can do”なんていう言い回しは、ユヌスさんっぽいですね。

うーん、このスピーチの内容が本当にすべて実現したらどれだけ素晴らしいことか。結婚持参金や違法なフォトワをなくす取り組み、というのはぜひ実現してもらいたいしこういった分野でNGOと地方行政の協働を促進することも積極的にプッシュしてもらいたいものです。

言うは易し、行なうは難し、でありますが、この演説内容の具体性と前向きさについては評価したいと思います。今後の動きを注意深く見守りましょう。


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2007年4月12日

ハシナ元首相訴追~非常事態宣言から3ヶ月

また何日か更新が止まってしまいましたが、その間もバングラデシュ政界は激震続き。もういろいろなことが起こりすぎて理解するのも書くのも追いつかないよー、というところです。

4月9日、ウェストモントという電力会社の代表が、アワミ連盟政権時代、発電プロジェクト受託に絡み賄賂を強要されたとして、アワミ連盟党首で元首相のシェイク・ハシナ総裁を告訴。その驚きもさめやらぬ11日、今度は昨年10月28日にダッカ市内の政党支持者間の衝突で7名の死者が出た騒動に関して、ハシナはじめ幹事長のジョリルなどアワミ連盟幹部を含む14党連合関係者46名、BNP側の4党連合にいたジャマテ・イスラミの党首含め10名が、殺人容疑で訴追されました。

シェイク・ハシナは娘と息子が住むアメリカに滞在中で、4月7日にBBCベンガル語放送のインタビューを受け、「現暫定政権は非合法で非民主的」と大胆に選挙管理内閣を批判をしたことがニュースになったばかり。その直後のこの告訴・訴追劇。現政権の背後にいるコワーイ人(たち)の逆鱗に触れ、「おとなしくしておけば見逃してやったものを、楯突く気なら目にもの見せてやる!」とたちまちやられてしまった、という感じがしますね。殺人容疑の訴追のほうは、最初リストにハシナの名前は入っていなかったのが、後から警察が付け加えた、という話です。

ハシナ総裁は14日に帰国して容疑を晴らす、と言っていましたが、「名誉を汚すようなことにはしないから帰国は遅らせたほうがいい」という「ある政府高官のススメ」で帰国を延期。11日夜のTVではアワミ連盟幹部がインタビューに答え、「容疑は政治的意図をもったでっちあげで事実無根」と主張していましたが、声は小さいし肩はがっくり落ちている、という感じでした。

一方、息子タリクが獄中で腰痛に苦しんでいるというBNP総裁の前首相、カレダ・ジアも、弟夫婦など4人の人物以外の邸宅への立ち入りを制限され、事実上軟禁状態。国外脱出するという噂でしたが、それには否定のコメントを出しています。

1月11日の非常事態宣言から3ヶ月。最初のうちは、誰も手をつけられなかった汚職政治家が次々逮捕されるのを見て痛快に感じていましたが、ここへきて私はだんだん心配になってきました。当地の人権擁護団体、オディカールによれば、この3ヶ月で逮捕・拘束された人は推計12万人以上。法の裁きを受けることもないまま、警察などにより殺された人は79人。その中には、少数民族のガロのリーダーで、BNP政権時代、ガロの人々が昔から暮らしてきたモドプールの森を潰し、エコパークをつくる計画への反対運動を引っ張っていたチョレス・リッチル氏もいます。彼は獄中で拷問を受け、死亡しました。公表された彼の遺体の写真は全身痣だらけの痛ましいものでした。彼の死については、モドプールの森を守るために活動してきた環境保護団体なども抗議の声をあげています。

BNP政権時代も警察の特殊部隊が軽犯罪容疑者に銃を乱射したり、少数民族を弾圧したり、という状況は酷かったですが、わずか3ヶ月に12万以上逮捕という数字は尋常ではありません。

この選挙管理内閣のゴールは本当に「公正な選挙を実施し、民主的に国民の代表を選ぶ」ことに落ち着くのでしょうか。現政権は片っ端から人を逮捕したり獄中で拷問したりする一方で、フォクルウッディン主席顧問が「警察の改革は現政府の重要課題。警察は専門性と透明性を備え、奉仕的であるべきだ」と述べるなど、なんだかジキルとハイドみたい。言い換えれば力を行使しようとする軍の顔とそれをコントロールしようとする文民の顔。当初はスマートな文民の顔が前面に出ていたので、「国民の利益のために大胆な改革をする良心的な政権」と歓迎されましたが、だんだん軍の顔が表に出てきている中、ジキルとハイドのバランスがいつまで保たれるのか心配になってきます。そのうち「ええい」と自らマスクを剥ぎ取ったりして…。

「大半の国民が支持している」と言われてきた暫定政権ですが、殺された人の声は聞けないし、獄中の人の声は届きません。スラムを撤去された人の声も、路上を追われた物売りたちの声も、弱すぎて聞こえません。そう考えると安易に「国民の大半が支持」とは言えなくなりますね。聞こえる声しか聞いていないわけですから。

汚職・腐敗が上から下まではびこって、あらゆる公務がまともに機能しない社会も非常に困りますが、汚職を追放するためだから…と人権侵害に目をつぶっていると、そのうち大きなツケが回ってくるのではないか、知らないうちに大変なことが起きるのではないか(もう起きているのかも)、という怖さを最近感じ始めています。


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2007年4月 7日

18ヶ月は選挙はナシ

前にも一度、当面選挙はなさそうだ、という話をお伝えしましたが、昨日選挙管理委員会が「少なくとも18ヶ月は選挙はできない」との見通しを発表しました。(新聞記事はコチラ)顔写真入り選挙人名簿と国民IDカードを同時並行で準備するのに約18ヶ月かかる見込みなので、その仕事が終わるまでは国政選挙も地方選挙も一切ナシ、とのことです。

1年半、結構長いですね。確かにこの機を逃したら選挙人名簿やIDカードはしばらく作れないだろうなあ、とは思いますが、投票で選ばれたのではない選挙管理内閣という暫定政権がそこまで長く続いてよいのかどうか、なんとも言い難いところです。まともにやってくれればいいですが、もしなんらかの形で暴走したら止めようがなさそうだし。

先週の月曜日、ダッカでの政治学協会のセミナーで、モイーン陸軍参謀長が「バングラデシュにはわが国独自の民主主義が必要だ」と発言するなど、非常事態宣言後表立っては姿を見せなかった軍のトップが、最近公的な場で政治的発言を始めているのも気になるところです。

この発言があった直後の昼食時、「わが国独自の民主主義(Our own brand of democracy)」という発言の意味するところについて、うちの事務所のスタッフたちも大議論していました。「エルシャドが政権をとる前と状況が似てる」と警戒心を見せている人もいます。

今後軍はどう動くのでしょう。選挙管理内閣の最大の支援者、という陰の役割に徹することができるのか、それとも表に出てくるのか。民主的でクリーンな選挙は果たして実現するのか。


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2007年3月26日

独立記念日のミーティング

今日はバングラデシュの独立記念日で祝日。この国がパキスタンから独立して36年がたちました。

朝から自宅近くの学校で子どもたちが歌う歌や、独立の詩を朗読する声、先生のスピーチなどが聞こえてきました。空には国旗をつけたヘリコプター。
今日は軍のパレードや軍用飛行機のパーフォーマンス、歌や踊りなど、独立記念日を祝って様々なイベントが行われ、テレビでも独立時の出来事を題材にしたドラマを各局でやっていました。
(最近軍用機がよく飛んでいたのは、今日のための練習だったのかも...)

新聞も独立記念日特集号。昨年は、「独立の頃の希望や夢から我々はなんと遠いところにきてしまったんだろう」というちょっと悲観的な記事が多かったように記憶していますが、今年は「今こそ独立の理想を実現するとき」という希望を感じる記事が多く見られました。英字紙デイリー・スターの独立記念日特別付録紙は、記事すべてを若い世代の執筆に任せたもの。表紙も笑顔の少女たちの写真でした。

発言する女性雇用主.jpg私は午後からダッカ市内の中流階級の多い住宅地、ミルプールのパイクパラ公務員住宅内で行われた、使用人として働く少女たちの雇用主の女性たちとのミーティングに出席。自分の家庭で使用人として働く少女を私たちがはじめたセンターに送っている女性、これから送ろうかどうか考えている女性など、祝日にも関わらず10数人の参加がありました。女性たちの構成は教師や看護士など勤めをもつ女性と専業主婦の女性が半々ぐらい。反応は思っていたより好意的でした。「習ったことを少女たちが実行できているか、家庭訪問もしてほしい」「この年頃の女の子は出入りの運転手や店の男などと恋愛して駆け落ちしたあげく、男にはもう2人ぐらい妻がいた、ということが多い。そういうことにならないような教育も必要」など、いろいろな意見が出されました。センターに通っている少女たちも何人か姿を見せ、雇い主と一緒にちょっと照れくさそうに座っていました。

写真=ミーティングで発言する雇用主の女性

女性雇用主とのミーティング.jpg最初にこのプロジェクトを企画した頃は、女性の雇用主たちに意見交換のために集まってもらうことなど、本当にできるのか半信半疑だったので、こういう会が実現できたことは嬉しかったです。地域の人たちとここまで信頼関係を築いてプロジェクトを形作ってきたパートナー団体のPhulki(フルキ)に感謝。今日はお腹をこわしてややよれっとしていた私、挨拶のあとはPhulkiのスタッフたちの采配にすっかり任せていましたが、安心して見ていられました。こういう場では下手に外国人が口出さないほうがかえっていいのよね、たぶん。Phulkiのスタッフの皆さん、祝日のお仕事ご苦労様。いろいろ気を遣うことの多いプロジェクトだけど、少女たちの笑顔と幸せを増やせるよう、これからもがんばりましょう。

写真=ミーティングにて 中央が私、両端はPhulkiのスタッフ


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bracNetのチャリティ・セール

帰宅後ベンガル語TVニュースをつけて手抜きな夕食をとりながらぼーっと新聞を見ていた私。ふとある広告記事に目がとまって「おおっ!」と驚いてしまいました。その広告というのはこれ。

bracNetの広告.jpg

bracNet セレブの思い出の品セール 
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*アユーブ・バッチュー =バングラデシュの有名ロック・ミュージシャン

ネット上のチャリティ・オークションやチャリティ・セールは、日本や欧米ではもう珍しくもなくなりましたが、バングラデシュで見るのは初めて。bracNetというのは、バングラデシュ最大、かつ世界最大と言われるNGO、BRAC(ブラック)の“系列企業”のひとつで、インターネットのプロバイダー。BRAC本体は3万7千人以上の常勤職員を抱え、マイクロクレジットや教育プログラム、保健衛生プログラムなど大規模で質の高い活動をバングラデシュ全土で行っています。最近はアフガニスタンやスリランカでも活動を始め、「『南』出身の国際NGO」の道を歩みだしたところ。

それだけ大きなNGOなので、BRACそのものはチャリティ・セールの寄付など要らないレベルなんですが、サイトをみてみるとこのbracNet上のチャリティ・セールは、「独立戦争博物館」「身体麻痺者リハビリ・センター(CRP)」「アシッド・サバイバー・ファンデーション(顔や身体に硫酸をかけられた女性たちを支援する団体)」の3団体のためのファンド・レイジングなんですね。

品物を提供している有名人は俳優やミュージシャン、カリスマ美容師、詩人など。「50人以上のセレブが150点以上の品物を提供!」というから大したものです。値つけを担当する4人のうち2人はBRACの手工芸品部門、アーロンのショップ・マネジャーと商品管理マネジャー。企画の協力企業には人気のファースト・フード店や5つ星ホテル、協賛メディアにはこういった活動に熱心な新聞社やテレビ局、ラジオ局が並んでいます。

これ、どんなスタッフが企画したのかなあ。きっと若い人でしょうね。

前にも「汚職反対ロック・コンサート」や「我らバングラデシュ・バンド」のことを書きましたが、バングラデシュのNGO・NPOが国内の有名人や中流階級の若者などに働きかけて、活動に協力してもらおう、という企画が少しずつ出てきてますね。それもメディアを効果的に使ったものが目立ちます。企業の社会的貢献(CSR)もだんだん話題になってきているようですし。

以前は海外のドナーから資金をもらうことしか選択肢になかったのですから、これは大きな変化です。こういう「できることから始める協力」はシャプラニールがまさしく日本で呼びかけていることで、私も大いに関心のあるところ。

ウェブ上の有名人提供品のチャリティ・セール企画、目を留めるのはまだ都会の一部の層かもしれませんが、今後こういう動きがどんな広がりを見せるか、楽しみです。

シャプラニールももっとバングラデシュ国内で斬新な「市民巻き込み企画」ができるといいんだけどなあ。そういうところで日本と何かつなげられたら、すごく面白いんだけどー。

・・・こういう考えはもうちょと寝かせましょう。そのうち発酵するまで、ね。


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2007年3月23日

選挙は2年先?

一泊二日でジナイダ県に地方出張に行ってたので、昨日の新聞を今日読んだんですが、選挙管理委員会がついに国民IDカードと写真入り選挙人リストを同時並行で準備することを決めたそうです。今年7月から準備を始めてその作業に最低1年はかかるとのこと。なので、選挙は2008年の終わりか2009年初めになるだろう、という話です。つまりあと2年近くは現在の選挙管理内閣が続くことになりそうです。新聞記事によると、このIDカードと選挙人リストの準備作業には、30~35億タカかかる予定で、軍が請け負うことになる可能性大とのこと。

次の選挙の結果を見る前に、私の任期も終わっちゃうなあー。まあ、しばらくは落ち着いた日々が続くのかな、という感じではありますが...。あとは非常事態宣言や政治活動禁止令がいつ解除されるかですね。

国民IDカード導入と同時に、出生届けや死亡届けなどもきちんとされるようになることを願っています。出生届けがされていなくて小学校入学手続きもできない、という子どもたちがたくさんいますので。スラム住民の扱いがどうなるのかも気になります。


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2007年3月20日

先が読めない日々

このところ出張もあってインドづいていましたが、バングラデシュの政情が気になる方のために最近の情報を少し。

カレダ・ジア元首相の長男でBNP幹部のタリク・ラーマンが逮捕されたのと前後して、選挙管理内閣はあらゆる政治活動の禁止令を出しました。これが出る前までは、外向きの政治活動は禁止されてはいましたが、政党内部の室内会合とか、文化行事に政治家が出席する、といったことは許されていました。でも、今はこういう「室内政治」さえダメ、ということになって、政党の事務所はもう空っぽで鍵がかかってるような状態です。

そんな中、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナは、病気の親戚を見舞うとかいう理由で、1ヶ月アメリカに旅立ってしまいました。しかも旅立つ前に、「アワミ連盟が次に政権をとったら選挙管理内閣のやったことは全て是認する」と意図のよくわからないコメントを残して。

ハシナ女史が旅立ったと思ったら、数日後、新聞の一面に、ハシナの父で建国の英雄、シェイク・ムジブル・ラーマン(愛称:ボンゴ・ボンドゥ=ベンガルの友)とその一族を1975年に暗殺した犯人と目される元軍人が、アメリカで捕らえられ、近くバングラデシュに引き渡される予定だということが報じられました。

奇しくもこのニュースが報じられたのはボンゴ・ボンドゥの誕生日。この日、選挙管理内閣のフォクルウッディン主席顧問は、ボンゴ・ボンドゥの墓前に花を供え、5月のジアウル・ラーマン元大統領(元軍人でBNPの創設者。カレダ・ジア元首相の夫。1981年に暗殺された)の命日には、同様に墓前に花を供えると発表。今後も両党と同等の距離を保つ、ということのアピールなのでしょうが、普通に私のような素人が一連のニュースを読むと、「選挙管理内閣(&軍)とハシナの間に何か取引があったのかしら」などと思ってしまいます。

一方、新党結成のユヌスさんも、20日間の予定でヨーロッパ、アメリカを外遊中。ワシントンではゴールデン・トレイルブレイザー賞という賞の授賞式に出席、プレゼンターはヒラリー・クリントンでした。帰国は4月1日とのことです。

選挙管理内閣の法務担当顧問は、室内政治活動禁止は近日中に解除する、と発表しましたが、近日といっても2ヶ月なのか3ヶ月なのか。ユヌスさん、どうやって新党の政治活動をするんでしょう。

そんな感じで、選挙管理内閣(と軍)がこれから何をしようとしているのか、どこを着地点にしようとしてるのか、さっぱりわかりません。政治・集会の自由をここまで制限するというのは基本的人権の侵害で、長く続けていいわけがないですが、だからといってそれに対して普通の人々の怒りがたまってきている様子もなく、妙に静かで変に平和。庶民の関心は目下クリケット・ワールドカップだし。

その一方で、最近軍の飛行機などの演習が盛んに行われている、というウワサもあります。また、昨年全国で爆弾テロ騒ぎを起こしたイスラム過激派、ジャマトゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)の幹部の処刑も近く、在住外国人には「報復テロにご注意」のお知らせが回っています。現地の人々はどこ吹く風、という感じですが。

何か起こりそうで、何もなさそうな、なんだか本当に先が読めない日々です。


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2007年3月 8日

アンタッチャブル「王子」ついに逮捕

昨夜遅く、カレダ・ジア前首相の愛息でBNPの幹部でもあるタリク・ラーマンがついに逮捕されました。夜中に前首相の住居を軍と警察が包囲して電話線も切り(携帯電話も不通にし)捕まえる、という逮捕劇があったようです。→新聞記事はこちら

彼が着服したり立場を利用して儲けた金を全部集めれば、海外からの援助がなくてもバングラデシュはやっていけるとまで言われるほど、巨額の汚職に絡むと目される「王子様」ですが、なにしろカレダ前首相と故ジアウル・ラーマン元大統領の間に生まれた長男。ほんの少し前までは誰にもどうにもすることができず、まさに「アンタッチャブル」だったわけです。前にも2度ほど警察と軍が前首相邸を捜索していたことは報道されており、タリクの側近やビジネス仲間も次々逮捕されていたので、これは時間の問題だろうとは誰もが感じていましたが、予想以上に早かったな、という気がします。

同夜、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナ宅にも警察と軍の捜査が2度入り、ハシナの従兄弟にあたるシェイク・ヘラルらを捜索したとのこと。昨日は、チッタゴン市長など他の大物も何人も逮捕されました。

選挙管理内閣は行政と司法の分離を成し遂げ、5年の任期の反汚職委員会の委員長には「いかなる人物も例外にしない」と確固たる意志を表明している元軍人の強面を据えました。政権が変わっても、以前のような「アンタッチャブル」が生まれにくい体制は着々と作られています。

本当にこれは稀にみる周到な「革命」だな、と思います。「選挙管理内閣」という特殊な政権を前面に据えて、戒厳令も敷かずに次々と改革を行う、などというのは世界でも歴史上例のないことでしょう。

スラムの強制撤去や路上の露天商の追放など、最貧層が直撃されるような施策も実行され、追われた大量の人々の状況はどうなっているのか、今後どうなるか、というのは注視していく必要がありますが、こういったかなり強引な施策についても今のところそれほど非難が出ないのは、軍が怖いということもありますが、スラムや路上の人々のみならず、名の知れた大会社や政党の事務所などであっても、違法建築であれば例外なく取り締まったり取り壊したりしているからでしょう。

旧空港近くのRangs Bhabanという数階建てのビルも、政府の土地にブラックマネーを積んで違法に建てられたビルだということで、近々撤去され、そこを通過してグルシャン側につながる道路が作られる予定だと聞きました。このビルの前の三叉路は市内の渋滞ポイントのひとつ。本当に道路ができればかなり渋滞も緩和されそうです。さて、どうなりますか。


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スラムの火事

チッタゴンのスラムで6日未明火事があり、子ども12人を含む21人の住民が亡くなりました。
チッタゴンというのはバングラデシュの第二の都市で、港町です。インドのムンバイにしろ、港町の近くには大きなスラムがあることが多いですが、チッタゴンもその例に漏れず、大小多くのスラムがあります。火元は蚊取り線香の火だとか、電気がショートしたのが原因だとか、新聞によって違うことが書いてありました。日本では師走になると放火などの火事が増えますが、バングラデシュではこれから夏に向かうこの時期に火事が多いのだそうです。最近はスラムの火事も頻発していて、これは強制撤去を簡単にするためではないか?と勘ぐってしまいます。

昨日、インターネットのニュースサイトの速報で最初にこの火事のことを知ったとき、まず感じたのは「21人も亡くなるなんて普通じゃない。変だ」ということでした。先日ダッカで大騒ぎとなった11階建てビルの火災でも、はしご車やヘリコプターを動員して救助活動が行われた結果、亡くなったのは4人。でもスラムの火事でどうしてそんなに多くの人が亡くならなければならなかったのか?火事が夜中に起きたから?消防車が来なかったから?

私がダッカで入ったことのあるような一般的なスラムであれば、確かにごみごみして路地は細いけれど、建物自体はあまり密閉性のないちゃちなものだし、そこで火事があっても声を掛け合ってすぐ逃げれば、命は落とさずにすみそうに思えます。よほど深く寝込んでいたとか、身体が不自由だったとか、重いものに挟まれたというのでない限り、そんなに多くの人が逃げ遅れることはちょっと考えにくいのです。

今朝のミーティングでスタッフに「昨日の火事のことだけど...」と聞いてみると、チッタゴンの大学で学んだスタッフの一人が教えてくれました。「アパ、あそこのスラムはね、一般的なスラムとはちょっとつくりが違うんだよ。土地を占拠した人間がその土地を高い塀で囲って、名前をつけるわけ。ここはフジオカスラム、こっちはオジマスラム、みたいにね。そしてその塀の中に小屋を建てたりして人に貸すわけだけど、この塀というのがおとなの背丈の2倍ぐらいあってすごく高いんだ。そして塀から外に出られる戸口はすごく狭い。それで閉じ込められた人が焼け死んだんだ。」

確かにあとで新聞をよく読んで見ると、「ブロック塀の狭い出入り口の傍の倉庫が燃えていたため、出入り口が塞がれた」とありました。でもそんなに高い塀を作ったのはなぜなんでしょう?

ひとつ考えられるのは、境界を曖昧にしておくと、他の人間にそこに何か建てられたり、囲われたりして、土地を取られてしまうから。実際バングラデシュでは、そうして土地を盗られた、という話をよく聞きます。ダッカ事務所のあるスタッフの実家の土地が急に何者かに占拠されたという電話が入って、そのスタッフが農村の実家にすっ飛んで行ったこともありました。日本でもありそうな話です。

でも、入り口をそんなに狭い1か所だけにしていたのはなぜなんだろう?外からの侵入者を防ぐため?

日本で生まれ育つと、子どもの頃から避難訓練などを繰り返しているせいか、いつも非常口を確認したり、通路を確保したりして、意識的にも無意識的にも、閉じ込められることを避ける行動をとっている気がします。しかし、どうもこちらの人たちは、外からの侵入者を防ぐことは常に神経質なぐらい考えているのに、閉じ込められることの恐ろしさをあまり意識していないように思えてなりません。

今日、政府職員住宅内にある、使用人として働く少女たちのためのセンターに行って、そこの女の子たちと話をしていたのですが、住み込みで働いている少女たちの多くが、「雇い主の家族が全員出かけるときは外から鍵を閉めていく」と言っていました。こちらでは、中からも同じ鍵がないと開けられないようになっている家がよくあります。彼女たちは鍵を預かっていないので、つまり家の中に閉じ込められているわけです。火事があろうと何があろうと、鍵がなければ外に出られません。でも、雇い主は当たり前のように少女たちを中に入れたまま鍵を閉めて出かけてしまう。彼ら・彼女らに言わせればそれは「年頃の少女の安全を守るため」。侵入者を防ぐことイコール安全、という感覚らしいのです。

防災の意識というのは、シュミレーションを繰り返し、無意識に身体が反応するぐらいにならないと用をなさないのかもしれません。閉じ込められることの危険性を常に意識していなければ、今回のような火災を防ぐことはできないでしょう。もし日頃からそういった意識があれば、塀はあったとしても、たとえばこういった事態に備えてはしごを用意しておくとか、出入り口を数カ所設けておく、ということもあり得たはずです。

蚊がわくことを怖れたりして防火用水を汲み置く習慣もないから、火が出てもすぐ消せなかったのかもしれません。タイのスラムには消防団があったけれど、バングラデシュにはスラム内の消防団はないのでしょうか。

機を見て少女たちの雇い主とのミーティングの中でも、「使用人の少女を家に閉じ込めているとき、もし火事が起きたら?」ということを考えてもらう機会を持ちたいと思います。


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2007年2月26日

オフィスビルの火事

午前中、パートナー団体のCOLIとのミーティングを終え、会議室から席に戻ったら、「アパ、カウランバザールで大火事だよ」とスタッフがいいます。ダッカのビジネスの中心部、カウランバザールにある11階建てのオフィスビルで火災が発生し、消防車のほか軍のヘリコプターも出て消火と救出にあたっていますが、いまだに数百人がビルの中にとじこめられているというのです。このビルはntv、RTVの2つのテレビ局、新聞社Amar Deshなどマスコミが多くはいっているビル。ダッカ事務所や私の口座があるスタンダード・チャータード銀行のすぐそば、いつも道路の渋滞がひどいところです。2階から火が出たというのですが、原因は不明です。この事務所ではテレビは見られないので、今どうなっているかよくわからないのですが...。大惨事になりそうで、心配です。


追記(3月4日):この火事では結局4人が亡くなり、50人以上が負傷しました。亡くなった人の中には直前まで夫に携帯電話で助けを求めて泣きながら、最後は窓から飛び降りてしまった、という女性もいて、本当にお気の毒だったのですが、11階のビルがほぼ丸焼けになり、消防車が来るまでに通報から40分かかったこと、ろくな消防設備がなかったことを考えると、この被害で済んだのは奇跡的、という気がします。屋上に逃げた人たちの救出にはビル火災ではバングラデシュ初というヘリコプターによる救出も行われましたが、日本政府から17~18年前に送られたというダッカで唯一その高さまで届くはしご車も活躍しました。他の消防車のクレーンは7階ぐらいまでしか届かなかったため、8階~10階あたりの窓辺で助けを求める人たちの救助は困難を極めました。

ダッカ市内には急激に高層建築が増えていますが、ビル火災に対応する消防態勢は非常にお寒い状況です。バングラデシュには今、13階以上まで届くはしご車やクレーン車はないそうですし、水を放射する射水器もなく、消防隊員数も圧倒的に不足。隊員たちはろくな防火服も着ていない、という状況です。断水も多く、高層フラットの窓にはすべて泥棒よけの金属柵がはまっている(うちもそうですが)ダッカのこと、早く対策を立てなければ、次のビル火災はこんなものではすまないでしょう。

ちなみに、選挙管理内閣でなく、前政権の間にこの火事が起きていたら、もっと被害はひどかっただろう、と一般市民は噂しております。今回ほぼ全焼の被害を被った2つのTV局の創設者は前政権の有力国会議員だったんですけどね。

そういえば、この火事の調査報告書がもう出ているはずなんですが、内容が新聞になかなか載らないのはなぜでしょう。


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2007年2月23日

ユヌス新党正式結成。山は動くか?

昨日、グラミン銀行創設者のムハマド・ユヌス氏が、正式に新党立ち上げを宣言しました。2月11日の公開書簡発表後、新党結成の決意や党名の構想などを語ってはいましたが、正式な立ち上げは昨日。今朝、二通目の公開書簡(英語の全文はコチラ)が新聞に発表されました。2月21日の言語記念日の直後、人々の愛国心が盛り上がっているタイミングに合わせたのでしょう。

公開書簡の仮訳を文末に掲載します。かなり長い手紙なので、ところどころはしょっています(特に「最初の準備チームのつくり方」の部分は長いので半分カット。それでもまだ長いですね)。前回同様、訳が下手なのにはご勘弁を。面白いのは、党設立後の今後の動きについて、「共鳴する人はこんな風に動いてほしい」という依頼が事細かに書かれていること。以前からユヌス氏の熱心な支持者の多くは学生と海外在住バングラデシュ人だろうと思っていましたが、やはりそのようですね。若者たちや在外の人々にとくに配慮した文面になっています。

私自身はユヌスさんの出馬には懐疑的でした。政治経験のないユヌスさんが、政治の世界でもみくちゃにされ、ちょっとした失敗を機に引きずりおろされて批判され、バングラデシュの人々がノーベル賞受賞の英雄も失うことになったら、目も当てられないじゃないか、と思っていました。知識人やNGO関係者が案外冷ややかなことを見ても、これは難しいんじゃないか、と思っていました。

でも、現在の選挙管理内閣の改革の中で、汚職に染まった過去の大物政治家たちの逮捕が容赦なく進み、今までアンタッチャブルだった超大物もどうやら射程距離に入ってきたらしいこと、軍もユヌスさんを支持しているらしいこと(はっきりはわかりませんが、たぶん)などを考えると、これに海外在住者の資金投入や若者の大きなムーブメントが重なれば、山は動くかもしれない、という気がしてきました。

歴史が動くのは様々な人々の思惑や意思が偶然の力も得て重なり、ひとつの大きな流れができた時。バングラデシュの地殻変動が、もしかしたら起きるかもしれません。

今後の人々の反応についても、追々、お伝えしていければと思います。

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ユヌスさんの公開書簡第2弾 (抜粋仮訳:藤岡)

また皆さんに手紙を書くことにしました。2月11日に私が書いた書簡に対し、これほどにも多くの返事が寄せられるとは想像もしないことでした。深く感謝します。皆さんが私が政界入りすることについて、これほどの論理と思いをもって後押ししてくれたことについて驚き、あらためてアッラーの祝福を感じています。(後略)

●私は皆さんのアドバイスに従い政治に参加します

皆さんの熱意に導かれ、私は新たな政治を作り出す皆さんの努力に加わることを決めました。私は政治に参加し、新しい政党をつくります。皆さんの願いを満たし、アッラーが私を祝福してくれるよう祈ってください。私の新しい政党の基盤づくりは、今回政界入りの決断に至ったプロセスと同様、皆さんの意見を聞きながら少しずつ進めたいと思います。

党の名前については、たくさんの提案をいただきましたが、「ノゴリク・ショクティ(市民の力)」に決めました。これは、すべての市民の中にある隠された力が放たれてこそ新たな政治を創造できる、ということを常に人々に思い出してもらうためです。縮めた愛称としては「ショクティ(力)」を使おうと思います。「前進せよ、バングラデシュ」のスローガンの元に、我々の愛する国を優秀な国々の仲間入りをさせたいと思います。また、党の中心となるモットーであり、今日の誇りある市民の心の中にこだまする公約としたいのは、「WE CAN(私たちはできる)」です。(中略)

私たちの党の政治は、過去のように人々を分断するものではなく、町や村の活動家がその意志決定の中心を担うものとしたいと思います。法を破る者はこの党のリーダーになることは許されません。国会議員選挙を含め、すべての選挙へのこの党からの候補者は、地域ごとの委員会で選出され、その人物の誠実さと能力を考慮して決定されます。公にアピールするためには、大規模行進以外の方法を選びます。女性と若者がこの党の生命線です。多くの若者・女性が党のリーダーとなるでしょう。この党はなにもかも自分の党の考えだけで決めるのではなく、他の全ての党や、市民や、専門家、国外居住者らと相談して決めます。(後略)

●私たちの政治

私たちの政治は、独立戦争の夢を実現する政治です。団結の政治、平和の政治、誠実さを打ち立てる政治、労働の政治、人々の運命をできるだけ早く変え、貧困を博物館入りさせる政治です。この政治は特定の宗教によらず、民主的で、汚職や、物事を不要に政治化させることと無縁の政治です。女性に平等をもたらし、若い世代の未来をつくり、外国の圧力に屈せず、高く頭を上げて世界に立つ政治です。(後略)

●この政治に関心をもつ人にやっていただきたいこと

今からこの政治を打ち立てる仕事を始めましょう。まずは今あるもので準備をすることから始めましょう。それぞれの選挙区、村や地区で、できるだけたくさん、20人のメンバーからなる「最初の準備チーム」をつくってください。もしあなたが自分の選挙区の外にいるなら、自分の地域を訪れ、そこの人々の連絡をとって、そこでのチームづくりのイニシアチブをとってください。誠実で能力のある候補者を選びだし、その人物を国や地方の選挙で勝たせることもあなたの仕事です。あなたのためにそれを代わりにやってくれる人は誰もいないのです。あなたの出来る範囲に応じて、資金やリソースを提供してください。可能な人は、「市民の力」の準備事務所やコミュニケーション・センターを自らのイニシアチブや資金で設立してください。必要なら、あなたの店や、個人の事業所や、家に看板やバナーを掲げてください。これがひとつの地域に多ければ多いほどいいのです。看板には、党の名前と、私たちのスローガン、「前進せよ、バングラデシュ」を書いてください。出来る限り、電話、手紙、ファックス、Eメールを受け取れる態勢をつくり、人々に情報提供し、人々の意見を集め、私に知らせてください。(後略)

●最初の準備チームのつくり方

(前略)準備チームは様々なグループの人々からなるものをつくってください。女性メンバーによる準備チームが、必ず同じ数だけ作られるようにしてください。女性チームづくりのため特に努力が必要でしょう。チームづくりをグループ分けするとしたら、以下のようになるでしょう。1.男子学生 2.女子学生 3.働く少年 4.働く少女 5.若い男性労働者 6.若い女性労働者 7.若い男性ソーシャルワーカー 8.若い女性ソーシャルワーカー 9.若い男性公職者 10.若い女性公職者 11.若い男性専門職 12.若い女性専門職 13.若い主婦 14.農民 15.労働者 16.専門家 17.公職者 18.小規模企業家 19.ビジネスマン 20.若い男性ビジネスマン 21.若い女性ビジネスマン 22.主婦 23.高齢者男性 24.高齢者女性
この全てのグループでチームを別々に作らなければならない、というものではありません。もしあるグループで人数が少なければ、ほかのグループに加わっても構いません。(後略)

●選挙区以外の場所で働いている人へ

選挙区の村から離れて仕事をしている人は、1週間の休みをとってあなたの村に帰ってください。村へ行き、そこで「最初の準備チーム」をできるだけたくさんつくり、それから帰ってきてください。これらのプロセスは、あなたが行かないことには始まりません。(後略)あなたの居間で政治を批判していても、何の望みもありません。今こそ過去の政治体質を覆すときです。あなたこそがこの変化の創造者なのです。もしできれば、長い休みをとって故郷へ行ってください。こんな風に政治を変える機会がまた来るかどうかわかりません。怠惰のためにこのチャンスがすり抜けてしまうことのないようにしてください。あなたの運命も、未来の世代の運命も、あなたの手にあるのです。

●サポーター・グループ

個人的な理由でこのような政治的組織づくりができない人は、どこでもあなたのいる場所で「市民の力」サポーター・グループをつくるか、サポーター・グループに入ってください。そしてグループをつくったことを私に教えてください。離れた地域にいる友達同士でも、Eメールや電話、ブログを使ってグループづくりができるでしょう。(後略)

●親愛なる国外の兄弟、姉妹たちへ

あなた方には特に感謝します。私は膨大なEメールや電話をあたなた方から受け取りました。あなた方は私への信頼を表し、政治の変化への関心を明確に示してくれました。今こそ動き始めるときです。お住まいの国でサポーター・グループを作り、その事務所やコミュニケーション・センターをつくってください。インターネットを有効に活用しましょう。あなたのバングラデシュの故郷の村や町でもサポーターグループづくりの一歩を踏み出してください。もしできれば1週間か2週間、一時帰国して、あなたの故郷でサポーターグループをつくり、彼らに資金援助してください。(後略)

●親愛なる若者たちへ

あなた方こそがこの国の偉大な力です。あなた方はこの国の未来をつくることができます。あなたは政治の分野の大きな変化を確実に欲しているでしょう。それならば、革新と熱情をもって一歩を踏み出すべきです。若者の全国的な組織を作らなければなりません。そして学校や大学で「市民の力」サポーター・グループをつくり、効果的な支援を作り出さなければなりません。そして「前進せよ、バングラデシュ」のスローガンを響かせてください。

●この国の女性たちへの呼びかけ

国民の半分は女性です。しかし、あなた方の意思決定プロセスの中での役割は無視されています。あなた方はバングラデシュの新たなアイデンティティの宣伝のためにも前へ出てこなければなりません。あなた方は新たな国の夢を現実にするための、非常に大きな勢力となることができます。あなたの親戚や友人を集めてください。「市民の力」サポーター・グループをつくってください。農村の女性から都市の女性まで、教師、医者、看護士、学生、皆が前に出てこなければなりません。今こそあなた方の抱えるジレンマや、怖れや、不安や、分断を払い落とし、毅然として前進すべき時です。この美しい国を平和の国にするため、前進してください。

●あなたが「市民の力」です

準備チームが各地に作られたらとても嬉しく思います。自らの労働や資金や資産をもって新たな政治の夢を実現するために前進する人々、あなた方こそが「市民の力」です。私はあなた方と共に働きたいと思います。多くの人々があなたの足跡の後ろに続いてくれると強く信じています。あなた方の前にある挑戦は大きく、時間は少ししかありません。しかし、市民の力は非常に強力であることを忘れないでください。あなた方すべてが心の中に「I CAN(私はできる)」という強い信念を持っています。私たちは「前進せよ、バングラデシュ」の宣言とともに国中を目覚めさせたいと思います。慈悲深いアッラーも私たちを助けてくれるでしょう。(後略)

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注:このユヌスさんの公開書簡の仮訳をこのブログに掲載したことは、バングラデシュの政治状況に関心を持つ皆さんに駐在員として最新情報をお伝えしたい、という藤岡個人の考えに基づくものです。シャプラニールの組織としての意向あってのことではありません。訳の間違いなどの責任も藤岡個人にあります。


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2007年2月20日

日曜からお店は7時まで

今度の日曜日から国中のショッピング・モールは夜7時までで閉まることになります。これは昨年にも増して深刻になりそうな今年の電気不足への対応として、選挙管理内閣が決めたこと。意外に思われるかもしれませんが、バングラデシュ、とくにダッカなどの都市部のお店はどこもずいぶん夜遅くまで開いているのが普通です。夜9時は当たり前、10時、11時まで開いている店も少なくありません。

でもこの深刻な電気不足には如何ともし難く、商売熱心なお店も早々に店じまいしなければならなくなります。なにしろ、夏のピーク時には、既存の発電所がフル稼働しても需要の3分の2を賄うのがやっと、という話。(その需要、というのもどうやって計算しているのか...)

わが事務所には発電機はないので、IPSという大型バッテリー装置が頼り。停電時はいくつかの蛍光灯とコンピューター数台を動かすのが精一杯。自宅のフラットには発電機がありますが、停電すればエアコンや湯沸かし器などは使えません。

あと1ヶ月月半もすればまた、毎日数時間の停電でエアコンも使えず、日々忍耐の暑い夏がやって来ます。


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2007年2月19日

気になるインドでの列車爆発

3月に予定しているコルカタ出張のアレンジをメールでいろいろやりながら、そろそろ昼休みだな、とふっとニュースサイトを見たら、インドでの列車爆発のニュースが入ってきました。パキスタンからインドへ向かう列車がインド北部で爆発・炎上し、少なくとも64人が死亡、とのこと。テロの可能性が高いらしい。記事の写真を見ると列車は黒こげでひどい爆発。嫌だなあ...。そういえばインドの外相は今日からバングラデシュ入りしてたはずだけど。

この朝日の記事にもありますが、インドのニューデリーとパキスタンのラホールを結ぶこの列車は、印パ間の友好の象徴です。インドとパキスタンには1947年の分離独立で親族や家族が離れ離れになった人がたくさんいて、お互い思うように行き来が出来ない状況にあります。この列車やバスの開通にどれだけの人が喜んだか。こんなことがあると、また印パの間の門が狭まってしまいそうです。

手前味噌で恐縮ですが、以前ニューデリーに住んでいたことのある私、印パ分離独立時の悲劇についてインドの女性が書いた本を1冊翻訳しております。「沈黙の向こう側~インド・パキスタンの分離独立と引き裂かれた人々の声」(ウルワシー・ブターリア著、明石書店)という本で、あまり本屋さんには置いてないと思いますが、もし印パの分離独立と今にいたるまでの印パ間の政治的確執が普通の人々にどんな影響を与えているのか、興味がある方がいらっしゃいましたら、お手にとってみてください。

追記(2月22日):
列車事故で亡くなった人は結局67人に及び、そのほとんどがパキスタンから長い年月を経て故郷の地へ里帰りを果たしたパキスタン国籍の人たちでした。インド側の親戚が、パキスタン側の親戚(被害者の直接の家族)に辛い知らせの電話を泣きながらしているのをインドのテレビが伝えており、この人たちが楽しみにしていたであろう再会のあまりに悲劇的な結末に胸が痛みました。
インド、パキスタンとも「この事故が両国の和平のプロセスを妨げることはない」と発言し、冷静な姿勢を保っていることが救いです。


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2007年2月12日

ユヌスさんの公開レター

今朝の新聞に、グラミン銀行創設者のユヌス氏からバングラデシュ国民に宛てた公開レターが発表されました。訳は私がばばっとやったのでちょっといい加減ですが、だいたい以下のような内容です。

「国民のみなさん、皆さん一人一人のご意見を聞かせていただければと思ってこの手紙を書いています。私に政治に参加してほしいという声があがっていて、それについて私が考えなければならない状況にあるのは皆さんもご存じの通りです。皆さん同様、私も、わが国の政治体質が、この国に何をもたらしてきたか、この国の未来の可能性をいかに壊してきたか、ということをこの目で見てきました。現在の選挙管理内閣が様々な改革を通じて私たちが受け入れられるような政治環境をつくってきたのを見て、私も国民の皆さんと同じく、楽観的に考えられるようになりました。今こそ、私は、国民の皆さんの期待に応えて、政治に参加し、この国を本来あるべき高さまで引っ張っていくという仕事をすべきだと心から感じています。これまでの政治体質を変えなければ、私たちが目指すゴールにたどりつけないことは誰の目にも明らかです。それはこの政治体質に包括的な変化をもたらすことによってのみ達成できるのです。(後略)」

公開レターはまだまだ続きますが、その中でユヌス氏は、新しい政党づくりについての国民からのアドバイスを求め、またこの手紙を受け取る「あなた」(国民)がそこでどんな役割を担うことができるかを尋ねています。文末にはこの手紙への返信の宛先が書かれ、手紙でもメールでも、電話でも返事ができるようになっています。もし、国民から前向きな反応が得られなければ、政界出馬は取り消す考えとのことです。このような形でまず国民に意見を聞く、というのは、迷った末にユヌス氏が選んだ方法なのでしょう。

さて、このユヌス氏の動きについて、バングラデシュの人たちはどんな考えを持っているのでしょうか?
本当は学生さんなどにも聞いてみたいところですが、とりあえずわがダッカ事務所のスタッフたちに「どう思う?あなたは返事を出す?」と聞いてみました。少なくとも二人は、「今日メールで返事を出す」と言っていましたが、ユヌス氏出馬にイエスか、ノーか、という問いにはどうも「ノー」が多いようです。あくまでわが事務所の限られた人数のスタッフの意見ですが、以下参考までにご紹介。

スタッフA:ぼくは今日、「サー、やめてください」とメールするつもり。なぜなら、彼には政治の中心に自分自身が乗り込んでいくより、プレッシャーグループとして存在するほうが意味があると思うから。国際的にも影響力があり、誰もがその発言に一目置くような人というのはそうそういない。ユヌスさんには、政治の担い手が入れ替わっても、ずっとその動きを監視し、アドバイスをする、という立場にいてほしい。

スタッフB:ユヌス氏が政界出馬を考えた背景には、アメリカのプレッシャーがあるんじゃないかな。今度アメリカの大統領はヒラリー・クリントンでしょう?ユヌス氏がクリントン夫妻と親しいのは有名な話。バングラデシュでは誰かこれまでの政党政治に属さない人で、変化をもたらす人が必要だ。クリントン夫妻がユヌス氏に直接要請してきたんじゃないか?

スタッフC:ユヌス氏は前にも自分の政党を立ち上げようとして呼びかけたことがあるけど、人が集まらなかった。それに前の選挙のときはBNPを支持していたはずだ。バングラデシュの政治が大混乱にあるときには何もしないで、今これだけお膳立てができてからご登場、というのはちょっとどうなのかな。

スタッフD:新しい政党をつくるには時間がかかる。そんなに短い時間でできることじゃないと思うよ。かといって既存の政党から出たのでは意味がないし。ユヌスさんには全国にこれだけグラミン銀行のメンバーや支援者がいるから、そこで票がとれるという目算があるんじゃないかと思うけど、それと政治はべつの話だよね。心意気は買うけど、難しいと思う。

たまたま今朝意見を聞かせてくれた上記4人は全員「ノー」みたいで、かなりコメントも辛口ですが、もうひとり「ユヌスさんにはメールする、でもその内容はヒミツ」と言っているスタッフがいて、彼は「イエス」なんじゃないかと思います。うちのスタッフは悲観的でシニカルな人が揃っているのか?と思われるかもしれませんが、そうでもないでしょう。まあ、ダッカに住む中流階級のNGO関係者の意見というのは、だいたい上の4人と似たり寄ったりの人が多いんじゃないかと思います。

機会があれば、ビジネスマンや若者の意見も聞いてみたいですね。新聞紙上にも明日以降、続々と集まってくる国民からの返信が掲載されるでしょう。

さあどうなる?ユヌスさん、そしてバングラデシュ?


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2007年2月11日

留守の間のニュース

会議のための1週間の日本出張を終え、昨日ダッカに帰ってきました。(会議がメインで忙しかったので、日本でお世話になっている皆さんにもあまり連絡もできないまま戻ってきてしまいましたが...)

二紙とっている新聞を出張中も止めずに確保していたので、山のような新聞がダイニングテーブルに積みあがっているのですが(ネットでも読めますが、私は新聞は紙で読むのが好きです)、気になるニュースがいろいろ。中でも、非常事態宣言以降、「汚職追放」の名の下に各地のゴッドファーザーや犯罪者を1日2千人というすさまじい勢いで逮捕していた軍と警察が、いよいよ大物政治家たちの逮捕に踏み切り始めたのは大きな動き(2月5日の朝日新聞でも報道されていましたね)。当地の新聞、Daily Starの今朝の一面の記事にも、逮捕されたある政治家のここ数年の資産の増殖ぶりが2001年と2007年の比較一覧表入りで事細かに発表されていました。

逮捕されている政治家にはBNPもアワミも両方いますが、やはリ直前まで政権党だっただけにBNPが多数。このままこの動きが続けば、大打撃でしょう。いや、すでに大打撃を受けているというべきか。今までアンタッチャブル状態だった汚職政治家たちに対するこうした逮捕の動きに、国民の多くは喝采を送っているようです。

しかし、こういった大物政治家たちは拘置所や刑務所内でもVIP待遇なんですよね。それ以外の人たちは、ただでさえ元から数の足りなかった刑務所の中、短期間に3万人以上も逮捕者が増えて、どんな状況に置かれているのか想像するだに恐ろしいことです。逮捕を逃れようとして窓から落ちた、とか、拷問などの理由で、すでに数十人が死んでおり、それに対して国内の人権NGOも声を上げています。

このあたりの「選挙管理内閣の改革の光と陰」については、もう少し整理して丁寧にお伝えしたいところですが、とりあえず今日は帰ってきたばかりなのでこのへんで。


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2007年1月24日

若者たちが未来を変える

今夜は私たちが時々行く、グルシャンのスパゲティ・ジャズというお店(ダッカにある数少ないイタリアン・レストランのひとつ)で、「ルネッサン」というこちらのバンドのコンサートがあって、ぜひ行きたかったんですけど結局断念。仕事は片付かないし、明日も朝から日帰り地方出張で、パートナー団体とシビアな来年度予算の話をしてこないといけないし、それどころじゃなかろう...と。あーでもやっぱり残念だったな。

この「ルネッサン」というバンドは、昨年末に行われた「Concert Against Corruption (汚職・腐敗に反対するコンサート)」に出演した約30のグループのうちのひとつ。バングラデシュのロック・バンドの中では、かなり人気の高いバンドです。私も彼らの「21世紀に」というタイトルのCDを持っていて、けっこう気に入ってます。

この「汚職・腐敗に反対するコンサート」、年末の12月29日にダッカのグルシャン・ユース・クラブのグラウンドで開催された、バングラデシュでは初めての試み。主催は世界の汚職・腐敗問題に取り組む国際NGOのトランスペアレンシー・インターナショナル・バングラデシュ事務所(TIB)です。TIBは、とくに若者への働きかけを重視していて、このコンサートも将来に向けて、汚職・腐敗に反対する若者リーダーを育てよう、という「YES」というプロジェクトの一環。若者たちのボランティア・グループを組織して、コンサートのみならず汚職・腐敗に反対する作文や漫画のコンテストなど、いろいろなことをやっているようです。うーん、面白いですね。

このコンサートについて伝える新聞記事はこちら
写真入りで紹介しているブログも発見。このラッセルさんて人もミュージシャンかしら。

このコンサートには、新聞社のDaily Starやチャンネル・アイなどテレビ局2局、先日このブログでもご紹介したダッカの2つのFM局がスポンサーとなり、入場料は無料で、1万人以上の若者たちが集まったとか。見たかったなあ...。バンドだけじゃなくて、クシュティアからバウル(注:ベンガルの吟遊詩人)も来たし、ユヌスさんも挨拶したし、ほかにも何人も有名人が参加したそう。NGOの主催でこっちの企業がスポンサーになって、こういうコンサートをやったっていうのは画期的だと思います。若者に人気のグループや話題のFMラジオ局をしっかり押さえているところが素晴らしい。汚職や腐敗にノー!と言うことこそがカッコイイんだ!と若い人たちが思ってくれるといいですよね。

年明けにTIBの代表の方とお会いする機会があったのに、年末年始一時帰国していた私は不覚にもこのコンサートのことをそのとき知らなかったんですよね。知ってたらいろいろお聞きしたかったのになあ..。

やっぱり未来を変えていくには、若者に働きかけないとな、と思います。私たちの農村のプロジェクト地でも、10代前半で結婚させられそうになった少女の親を説得して思いとどまらせたのは、その少女が参加していた少女グループの仲間たちでした。よそのおとなが説得して早婚を止めさせた、という話は聞いたことがないけど、少女たちが仲間の早婚を止めたケースはいくつか報告を受けています。

日本国内でシャプラニールがやっているような、都市部でのユース・グループの活動や大学を回って話をするキャラバンなど、バングラデシュでもそろそろできるといいんだろうけどなあ。でも、そういう企画をファシリテートするのって大変そう。もうひとり新しいセンスを持った、若いバングラデシュ人スタッフがほしいところですね。


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2007年1月21日

非常事態宣言中は改革のチャンス?

非常事態宣言が出ている、というのは本来異常なことのはずなのですが、この宣言が出る前の、選挙に向けて2大政党勢力が日々争い、交通封鎖やホルタルを連発していた状態のほうがあまりに異常であったため、普通の人々の暮らしは今、かえって落ち着いています。このまま選挙管理内閣がずっと続けばいいのに、などと言っている人もいるぐらいです。

政党が手を出せないこの状況下、軍は警察の特殊部隊(RAB)と協力し、所属政党を問わず、裏金を集めて好き放題していたゴッドファーザーたちを各地で逮捕し、空港から高飛びしようとした者を取り押さえ、公用地を不法占拠した建物を取り壊し、とブルドーザーのごとく「大掃除」を推し進めています。うちの事務所の最寄りのタウンホール・マーケットという市場でも、今日RABがやってきて市場の外の道路に座り込んで野菜を売っていた人たちを追い出したそうで、道路がすかすかになっています。夜テレビニュースを見たら、ダッカでもっとも大きな生鮮市場のひとつ、カウラン・バザールでも大規模な露店や屋台の撤去が行われていました。

この機会に司法を行政から分離させよう、という動きもあり、議論が進んでいます。そのほかにも「今のうちに」とあちこちで“改革”が進行中。

いかにこれまで2大勢力のパワーゲームのためにできないことが多かったか、ということですが、軍やRABの強引な動きの中には、人権侵害とみられることも多々あり、これが悪いほうにエスカレートしなければいいけれど、と思っています。市場を追われた人たちもどうなっているのか...。

一般市民はしかし、今のところこの「大掃除」に概ね好意的な様子。汚職役人の逮捕などは、「どんどんやってくれ」というところでしょう。

そんな動きの中、グラミン銀行のユヌス氏も先週、「この国の政治家は金のために政治をしている。金がなければこの国では何も手に入らない」とAFP通信のインタビューで発言し、BNP幹部もアワミ幹部もカンカンです。BNPの幹事長、マンナン・ブイヤンが、「ユヌス氏のような賢い人がそんなことを言うとは遺憾」といえば、アワミ連盟の幹事長ジョリルも、「金がないと何も手に入らないと言うが、それじゃユヌスさんはグラミン・フォーンのライセンスを得るのに金を払ったんですかね」と仕返し。

何もかもが2大政党の勢力で二つに分かれていた社会が、今ちょっと違う形になり、汚職・腐敗にNO!の気風が強まっています。これがいつまで続くかですが...。

さて、今日は午後7時半からテレビで選挙管理内閣主席顧問が国民にメッセージを出す予定。選挙の日程が概ね決まるのかどうか。

追記:
夜8時半ごろから始まった主席顧問のファクルウッディン・アフマッド氏の演説では、

・政権移譲はできるだけ早い時期に行えるよう努力する
・選挙管理委員会は再編が必要
・IDカード導入については必要なステップを踏む
・汚職・腐敗と戦う

といったメッセージがありましたが、選挙はいつ頃を目指すのかについては明言はありませんでした。IDカードも導入を目指すのかどうかまだよくわかりません。「真に公正な選挙を目指して努力しますぞ」という決意表明、といったところでしょうか。


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2007年1月18日

新選挙管理内閣アドバイザー決定

今日は2回書いちゃいます。

きのう、選挙管理内閣のアドバイザーの残りの5名が決まりましたが、宣誓式に出たのは3人でした。なぜか?5人のうち2人は海外にいたからです。一人はベンガル人だけどアメリカ市民、もう一人はバングラデシュからの現国連大使。

今回の選挙管理内閣アドバイザーの11人のうち3人は軍人。アメリカやUN、世銀と関係が深い人も目立ちます。

うーーーむ。 これって...

BNPは現大統領をなんとか辞任させようと画策しているようです。もし大統領が辞任したりした場合の次の大統領候補者は、現大統領以上にコテコテのBNP寄りだとか。BNPは内部人事も動かして「いざという場合」に備えているらしい。

あと今焦点になってきているのは、次の選挙までにIDカード導入までやるのか、それとも既存の投票者名簿を修正するだけにするのか、ということ。これも状況次第で、早く選挙に持ち込みたい側はIDカードに反対するだろうし、引き伸ばしたほうが有利だと思えばIDカード導入を主張するだろうし。本当にIDカードが必要かを議論するというより、そういう駆け引きの材料になるでしょうね。


追記:その後結局、アメリカ市民権をもつIT専門家のアドバイザー就任は取り消しになりました。過去に機械で読み取れるパスポート導入のプロジェクトが多額の資金を導入しながら失敗に終わったことがあるそうなのですが、この人はそれに絡む汚職疑惑もあったことが問題になったため。就任を決める前にもうちょっとよく調べればいいのに...。


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2007年1月15日

第三者?

きのうの謎の話の続きですけど、私の周囲のバングラデシュ人NGO関係者の中では、「今回の非常事態宣言は軍による一種の無血クーデターである」という見方が優勢です。表立っては誰も言いませんが、内輪話ではそう言う人が多いですね。そして、この動きをとりあえず歓迎している人がほとんど。新選挙管理内閣が、投票人名簿の整備のため、国民IDカード導入を検討する、と言っていることもあって、次の選挙までは相当時間がかかるだろう、少なくともここ2~3ヶ月は平和が続くだろう、という見方が今のところ強いです。IDカード導入なんて本当にやるとしたらどんなにがんばっても1年はかかるでしょう。

表立って戒厳令が出たり、軍人が表に出てきたりすることは今のところないんですが、あえて姿を見せずに表向き「謎」のまま操るというのは、かなりの策士でないとできないんじゃないでしょうかね。

「二つの勢力が対抗し合うばかりでにっちもさっちもいかなくなったら、そりゃ第三者が出てくるのが自然な成り行きってもんだよ」と今日ある人は言っていましたが、ほんとにそうだとすると、その第三者が今後どう動くのか。それが問題ですね。

もし軍によるものだとしたら何が一番のきっかけだったのか。ひとつ、もしかしたら関係あるのでは、と思うのは、国連が「このままバングラデシュ軍が1月22日の一方的な選挙実施に加担するようであれば、国連平和維持軍から外す」と警告したことです。PKOで重要な役割を果たしている、というのはバングラデシュ軍の誇り。そして今海外に4万5千人いるというPKOに参加するバングラデシュ軍人の外貨収入もバカになりません。汚職でもブラックマネーでもなく、正規に得られる大きな収入ですからね。

この最後のあたり、半分はうちのスタッフたちが言ってることの受け売りです。まあ、これが正しいかどうかはわかりませんが、NGOで働いているような中流バングラデシュ人はどんなことを話題にしているのか、という視点で読んでくださいね。


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背後にいるのは誰?

昨日から一泊二日で北部のガイバンダに出張に行って帰ってきました。いやー、朝晩寒かったです。こんな小さな平坦な国でも、けっこう気候の差はあるものですね。バングラデシュに来て初めて車のヒーターを使いました。さて、この2日の国内の動きはというと...

11日の非常事態宣言から今日で3日。12日に選挙管内閣のチーフ・アドバイザーが任命されたのに続き、昨日13日には5人のアドバイザーが任命されました。しかし、彼らに渡された任命書には任期が全然書いてなかったそうで、選挙がいつになるかは今もってまったく不明です。残りのアドバイザーも明日にはたぶん任命されるのではないかと思われます。

チーフ・アドバイザーのファクルウッディン・アフメッド氏は国際的にも認知された評判のよい人・かつ中立的な人みたいで、今のところ文句は聞こえてきません。しかし最初にこの新選挙管理内閣のチーフ・アドバイザーの職を打診されたのは、グラミン銀行創設者のモハマド・ユヌス氏だったらしい。でも彼は断ったのだそうです。そうされて正解でしょう。

今回の突然の非常事態宣言、よくわからないことがたくさんあり、まだ謎に包まれています。NGOの運命も政治の動きに大きく左右されるので、バングラデシュNGO関係者も固唾を飲んで政局を見守っているわけなのですが、彼ら・彼女らも、あーじゃないか、いやこーいうことじゃないか、といろいろな憶測を述べ合っています。

謎その1:大統領の演説の草案は誰が書いたのか?
突然の非常事態宣言に伴うテレビ演説で、大統領はこれまで言っていたこととまったく矛盾するような発言をいくつもしました。選挙は1月22日に実行されなければならない、公正で平和的な選挙は可能だと言っていたのに、今度は投票者名簿を訂正しない限り投票は不可能、90日以内には無理だと。この非常事態宣言の内容、BNPとジャマテ・イスラミの関係者はまったく寝耳に水だったらしく、相当泡を食っていた様子。反対にアワミ連盟はシェイク・ハシナの態度や発言から、これを事前に知っていたのではないか?という憶測を述べる人もあり。大統領演説の内容は、どう考えても本人が書いたんじゃない、と言う人多し。では誰が書いたんだろう?

謎その2:軍の関与
今回の急展開にどこまで軍が関わっているのか?表に出てこないだけによくわからないのですが、今日のニュースによると、アワミ連盟の幹事長、アブドゥル・ジョリルが14党連合を代表して発表した声明に、「選挙管理内閣の改編を促し、一方的な1月22日の選挙実施から国を救った軍の役割を高く評価する」と書かれていたというのです。やっぱり黒幕は軍なのか?

謎その3:国際的な動きの影響
アメリカ、イギリス、EU、日本などドナー国がかけたプレッシャーはどれぐらい影響したのか。影響はあったに決まっているものの、非常事態宣言が出るまでの動きに実際どれぐらい関係があったんだろう?国連総長の発言の影響は?

今のところ非常事態宣言といっても、夜間外出禁止令も解かれたし、一般人にはそれほど不都合はないのですが、近々布告予定で今準備されているという非常事態法には、政党の政治活動の禁止と共にメディアの検閲も入ってきそうだという話。集会や言論の自由が制限されることにならないといいのですが...。

よくわからないことだらけで情報が錯綜しているので、このブログに私が書いていることも、頭から鵜呑みにしないでくださいね。あくまで参考情報ということで。


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2007年1月13日

新選挙管理内閣チーフ決定

なんかニュース速報みたいになってますが、気になってる方もあると思うので取り急ぎ。
今日、新しい選挙管理内閣のチーフアドバイザーが任命されました。元バングラデシュ銀行の総裁で、その前は20年以上世銀にいたというファクルウッディン・アフメッド氏です。彼の宣誓式には、アワミ連盟党首のシェイク・ハシナも、国民党党首のエルシャドも、にこやかに参加していましたが、BNPの党首カレダ・ジアの姿はありませんでした。今、BNPは緊急会議中らしい。

アワミ連盟率いるメガ・アライアンス(結局何党の連合なんだかわからなくなってしまいました。最近、グランド・アライアンスとかメガ・アライアンスとか呼ばれています)は、今週から予定されていたオボロッド(交通封鎖)やホルタル(ゼネスト)などすべての抗議行動の中止を宣言。夜間外出禁止令も取り下げられました。

さて、これからどうなるやら。選挙はいったいいつになるのかなあ。
今は「つかの間の平和」という感じですね。


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2007年1月12日

選挙延期

きのうもう寝ちゃう、と言って大統領演説の結果をここに書かなかったのですが、昨夜のブログを書いた直後、夜11時15分ぐらいにテレビにはためく国旗が大写しになり、国歌が流れてイアジウッディン大統領が現れました。

結果、非常事態宣言に加え、選挙管理内閣のチーフアドバイザーを兼務していた大統領がその職を辞任すること、他のアドバイザーも辞任し、選挙管理内閣を2~3日中に再編成すること、当面のチーフアドバイザー代行は大統領以外のアドバイザーの中で最年長のフォズルル・ホク氏がつとめること、1月22日に予定されていた選挙の日程は延期し、新選挙管理内閣があらたな日程を決めること、などが発表されました。

昨夜からしばらくの間、夜11時から朝5時まで、夜間外出禁止となります。でもまあ、もともとそんな時間にあまり出歩かないからべつに支障はないかな。(救急車、医者、ジャーナリスト、海外への飛行機に乗る人、とくにメッカへの巡礼者などは夜間でも動けます。ただし身分証明書が必要)

非常事態宣言、というとモノモノしいですが、昨日大統領が発表した内容は、ほぼアワミ連盟側の要求を呑んだものになっていて、これでBNP側の激しい反発がなければしばらく少し落ち着くのかな、と思います。(まだまったく油断はできませんが...。)

金曜日の今日、窓の下では魚売りの声がのどかに響き、リキシャがちりりんと行きかい、人々はフツーに出歩いております。非常事態宣言が出たから逆に安心して出歩けるようになったというべきか。

とりあえず、来週予定している地方出張はキャンセルしないですみそうです。


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非常事態宣言

きのうからマイメンシン県イショルゴンジへ1泊出張に行って今夜帰ってきたところなんですが、夜7時半ごろ、車でダッカの手前の渋滞にはまっていたら、ダッカ事務所のスタッフから電話が。
「大統領が非常事態宣言を出しました。夜11時から朝5時まで外出禁止です。もうすぐ大統領がテレビ演説します」だって。うーん、そうなったか。ついに。

BNPとアワミ連盟がそれぞれ率いる二大政治勢力は「公正で平和的な選挙」のために折り合いをつけることが結局まったくできず、アワミ連盟側は選挙のボイコットを宣言。BNP寄りと見られる選挙管理内閣への抗議行動として交通封鎖やホルタル(ゼネスト)が選挙まで続くことになっていたのですが、そこに今日の非常事態宣言。

日中の交通封鎖がなくなるのは助かるけど、このまま対抗馬がボイコットしたまま選挙をして、またBNP政権になるのかしら。それとも選挙が延期になるのか…。

ほんとにこれからどうなるのかなあ、この国は。
「公正で平和的な選挙」はいつ実現するんだろう。
いつになったらこの国の人たちは腐敗してない、本当に国民のために仕事をする政府をもつことができるんだろう。

夜11時をまわり、テレビをつけててもいっこうに大統領の演説が始まる気配なし。どの局も能天気な歌番組やらドラマばっかり。また夜中にやるのかなあ。

もう待ってられん。寝ちゃう。


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2006年12月13日

あなたは何票もってる?その2

プロジェクトの話をぜんぜん書かずに選挙がらみの話ばかりですみませんが、何しろ今バングラデシュではこれが万人の一番の関心事なので、つい...。ダッカ事務所の昼ごはん時も皆口からご飯粒を飛ばしそうな勢いで選挙や政治の話をするので、静かに食事をするどころじゃありません。

きのうの一人あたりの票数の話、他のスタッフにも聞いてみたら、半数以上のスタッフが2票持っていました。ダッカに住んでいて故郷の村には冠婚葬祭とイード休みぐらいしか帰らないのに、そっちにも票が残っているのは、選挙管理委員会がちゃんと調査をして投票者名簿をアップデートしていないことももちろんありますが、もうひとつ大きな理由があるとのこと。

それは、バングラデシュの地方行政の一番末端の機関であるユニオン評議会の選挙のために、自分の世帯の票数を多く確保しておきたいから、親戚が彼らの名前を名簿から消そうとしない、というのです。ダッカに出てきているうちのスタッフたちの親族は、自分たちの一番身近なユニオン評議会のチェアマンやメンバーの選挙にあたり、知り合いや親戚などに一票でも多く投票したいわけですね。それで、「どうせわかんないんだから、●●(ダッカにいる家族)のことは黙ってそのままにしとこう」ということになるようです。チェック機能もなく、みんながみんな当たり前のようにそれをやっているらしい。

投票者名簿をめぐっては、他にもいろいろ問題があります。例えばダッカなどの大都市ではスラム人口が膨れ上がる一方ですが、投票者リストに載せる住所としてスラムの住所は認められないのです。その結果、膨大な数の人々が投票権をもたないことになります。

さて、これから選挙まで、どうなりますやら...。


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2006年12月12日

あなたは何票もってる?

1月21日に予定されていたバングラデシュの総選挙は、2日繰り延べられて今のところ23日の予定ですが、掛け声どおりの「公正で平和的な選挙」は本当にできるんだかどうだか。

抗議行動と選挙管理内閣の「新提案パッケージ」の応酬の末、先週は「ようやくトンネルの先に光が見えてきた」と新聞の見出しにも出て、「やれやれこれでやっと少し落ち着くかな」という雰囲気になっていたのに、数日前なぜか突然軍が出動。この大統領の独断に怒った選挙管理内閣のアドバイザー(大臣にあたるポスト)4人が昨日辞任。今日あらたに4人が任命されましたが、その人選をめぐってまたひともんちゃくありそうな予感。ちなみにこの新たな4人の中には、BRACに次ぐバングラデシュの巨大NGO、ASA(アシャ)の代表も選ばれました。(それじゃNon Governmental Organizationじゃないじゃないか?とつぶやく人多し。)

まっとうな選挙をするためには、年末から年始にかけてのコルバニー・イード(犠牲祭のイード)の休みをはさんで、あと1ヶ月ちょいの間に、投票者名簿の訂正など山のようにやらなければならない仕事があります。いまだに選挙管理内閣や選挙管理委員の人選でもめている現状で、こんな短期間にいったいどこまでできるんでしょう。

この投票者名簿、2001年の選挙のときの名簿を元にして作り直すんだそうですが、どの程度正確なのか?試みにうちの事務所のスタッフにきいてみました。

スタッフA:ぼくは田舎に票をもってるけど、ダッカに出てきたときに手続きがされてないから、ダッカの名簿には入ってなくて、ここでは投票できない。田舎は遠くて帰れないから、結局票はないよね。ちなみに事故で亡くなったぼくのお兄さんの票はまだ名簿から消えてないみたいだよ。

スタッフB:わたしは田舎とダッカに1つずつある。田舎の名簿から名前が消えてないから、本気でやろうと思えば1日に2回投票できます。

スタッフC:ぼくは3票ある。田舎の実家の分が名簿から消えてないのと、ダッカで今の家に移る前の住所のも消してくれって言ったのに消えてない。田舎は遠いから1日で往復は無理だけど、ダッカの今の住所と前の住所は車で10分もあればいけちゃう距離。2回は簡単に投票できちゃうね。

なんじゃそりゃあ、と驚きました。別に彼らは自分で画策したわけでもなんでもなく、「普通に引越ししたりしてたら投票者名簿の名前がダブっちゃってて困ったもんだ」というのです。田舎からダッカに出てきた人は、だいたい2票持っていることになってしまうのでは?あと、親族が死んでもその人の名前が名簿から消えていなければ代わりに投票できちゃうし、逆に成人したばかりの若者は名簿に入っていない人が多いはずです。

これはもう相当にめちゃくちゃですね。出生登録も、死亡登録も、住民登録も、法制度としてはあるのだけれど、ちゃんと機能していないから、というのです。この「制度はあるけど機能してない」という言葉をここへ来ていったい何度聞いたことでしょう。民主主義の「基本のき」の制度を、ちゃんと機能させるにはいったいどこからどう手をつけたらいいんでしょうね。

土台がしっかりしてないのに、上へ上へ積み上げようとすれば、必ずどこかで無理が来るはず。平等・公正がないまま経済成長を続けても本当の意味で豊かな国にはなれないでしょうに。

こんな状況の中、NGOは何をするべきなのか。何ができるのか?本当に悩ましいです。結局政府がやるべきなのにやらない「穴」をNGOが埋め続けてるだけじゃ、なんの変革にもならないじゃないか、と...。

いつになく無力感が漂ってしまうのは、風邪引きだからかな?こういう時はもううんざりなニュースを見るのはやめて、早く寝るに限りますね。


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2006年11月24日

子どもを政治の道具にしないで

総選挙を控えて、毎日のように各政党の政治集会が開かれ、垂れ幕を持っての行進や、人寄せのために演説の合間に歌や踊りを交えたようなプログラムもあちこちで行われています。

その中で気にかかるのは顔や身体にペイントして行進の先頭を歩かされたり、集会で踊らされたり、おとなに交じって石を投げたりしている子どもたちのこと。あまりにも日常的に子どもが政治に利用されている現実に腹が立ちます。こういったことに巻き込まれたために逮捕されている子どもも相当いるに違いないのです。

私たちが現地NGOのオポロジェヨ・バングラデシュと共同運営しているストリートチルドレンのための青空学校やドロップインセンターのあるサイダバッド、ジャットラバリ地域は政治集会などが盛んに行われる、選挙前には荒れがちな地域です。ドロップインセンターの子どもたちには、こういった政治集会には近づかないようにとスタッフが日頃から注意していますが、テレビでこの地域の政党支持者集会の映像が映り、子どもが動員されていたりすると、その中に知っている子の顔がありはしないかとハラハラしてしまいます。

昨日、バングラデシュの子どもの権利に関わる分野で活動するNGO235団体が加盟するシシュー・オディカール・フォーラム(シシューは子ども、オディカールは権利の意)は、各政党に向け、子どもを政治に利用しないように、との声明を出しました(ちなみにこのフォーラムのチェア・パーソンはオポロジェヨ・バングラデシュのプログラム・ディレクターのワヒダ・バヌ氏)。

同じようなメッセージはほかの子ども関係ネットワークや女性弁護士協会なども出しているのですが、そういった声を伝える新聞記事はとても小さく、なかなかメッセージが伝わっているとは思えません。

主だった新聞に一斉に「子どもを政治に使わないで!」という一面広告を出したらいくらかかるんだろう?などと考えてしまいます。NGOが共同で出すことはできないかな。

最近、援助国の大使などが、「平和的な選挙を」と政党のリーダーとの会談で要望する場面を見るけれど、そこでひと言、「子どもが政治の道具になっていることに懸念を感じる」と言っていただいてはどうでしょう。

もうひとつ気になることは、テレビが政治家や選挙管理委員などの事務所でインタビューする際、インタビューを受けている人物の机の上にある家族や子どもの写真などをアップで長々と写すこと。家族や子どもは関係ないじゃないか。プライバシーの侵害だと思うのですが、これも日常的によく目にします。

政党のリーダーやメディア関係者を対象にした子どもの権利研修が必要だ、と思います。(もちろん、子どもの権利のことに敏感で、素晴らしい記事を書いたり取材をしているジャーナリストの方もいるのですが、テレビ画面を見た限りではそうでない人も多い気がします。)

そういう仕事はシシュー・オディカール・フォーラムとかUNICEFのようなところがやるべきなんじゃないかと思うけど、もう何かやっているのかしら。

結局、子どもたちの状況をよくするためには「今困難な状況にある子ども」の救済も大事だけれど、「子どもを困難な状況に陥れているおとなや社会」を変えないとどうにもなりません。バングラデシュは日本より早く1990年に子どもの権利条約に批准しているのですが、政治家たちはこの条約の内容を果たして知っているのかどうか。

シャプラニールの子ども支援活動では、「ストリートチルドレンの周囲にいる地域のおとな」や「使用人として子どもを雇用しているおとな」への働きかけに重点を置いていますが、今後もさらに「おとなを変える」ことを意識した活動を増やしていくべきなんだろうな、と思います。


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2006年11月23日

もー!

今日は夕方帰宅してから夜12時過ぎの今まで、ずっとテレビの前に座っては、牛のように「もー!」を繰り返しています。というのは、再開してから今日で3日目になる交通封鎖が明日解けるのかまだ続くのか、いまだに答えがでないから。1月後半に予定している総選挙を控え、10月末に選挙管理内閣が政権移譲を受けたものの、いまだに選挙管理委員会の人事など、基本的なところで揉め続けているのです。

夜8時すぎ、選挙管理内閣のアドバイザー3人が、アワミ連盟率いる14党連合が辞任を要求していた選挙管理委員長が3ヶ月の長期休暇をとったことを発表。(要は強制的に休みをとらされた)

それを受けて14党連合のリーダーが大統領と会談へ。

11時15分、大統領との会談から出てきたリーダーたちが、11時半に大統領が国民に向けてメッセージを出すので、それを確認してから対応を決めると発表。

11時40分、大統領が国営テレビで国民にメッセージを発表。

それを受けて14党連合が交通封鎖を取りやめるのかどうなのか、今まだテレビをつけたまま待っているところ。今頃彼らはミーティングをしているはず。もう12時半だぞー。いい加減に早く決めてくれ。

こういう動きをずっと追いかけているTVのレポーターや新聞記者も本当に大変だなあ、と思います。ATNバングラのムンニ・シャハさんなど、女性レポーターも夜中まで大統領官邸前の路上でがんばってる。さすがに今日などは、ニュース重視のチャンネル・アイなど、動きがあるとすぐ画面が切り替わり、現場中継になります。

毎日こんな状況なので、明日の予定が立てられず、それが本当に困りますねー。出張者が来て、一緒に活動現場を見る予定になっていたりすると、ますますもって困ります。

学校の授業も遅れ、試験もできず、商売にも差し支え、地方との移動ができないので親戚の結婚式や葬式にも行けず、みんな大弱り。バスターミナルでのストリートチルドレンのための青空学校も、この状況ではお休みするしかありません。

しかし選挙人名簿は偽名だらけ、選挙管理委員はバイアスがかかった人ばっかり、というのもまた困りますしね。そもそも戸籍もない、住民票もちゃんとしてない、出生登録も死亡届もちゃんとしてない状況で、選挙人名簿をつくることからして至難のわざです。

このところ否応なしに毎日辞書を傍においてテレビのニュースに張り付いているので、「シュスト・ニロペッコ・ニルバチョン(平和的で公正な選挙)」とか「ションビダン(憲法)」とか「プロダーン・ウポデシュタ(チーフ・アドバイザー)」とか、いろいろ単語を覚えられたのはよかったんですけどね...。それぐらいでしょうね、いいことは。

夜1時になって、14党連合は明日木曜日も交通封鎖を続けるかどうかは、明日の朝決定する、と発表。もー!

今日何回目の「もー!」かもう忘れた。


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2006年11月19日

ポジティブ・イメージ

明日からまた道路封鎖再開。2大政党とその連合勢力がそれぞれ相手を蹴落とそうといがみ合い、「健全な選挙を」という掛け声も虚しく、なかなか国の明るい未来が見えてきません。新聞を読んでいてもロクなニュースがなくうんざり。(それは日本でも同じかもしれませんが...)

grameen phone PR.jpg道路封鎖だの、抗議集会だの、路上で女性が酸をかけられただの、交通事故だの、という記事で埋もれた2日前の新聞の中ほどに、見開き全面まるまる使った大きな広告が出ました。鮮やかなセロリアン・ブルーの、無限大マークをつなげたようにも、プロペラのようにも見える新しいロゴに、"It's time to move forward"(今は前進の時)のコピー。グラミン・グループ傘下の携帯電話会社、グラミン・フォーンの広告です。

私が購読しているような英字紙を読む人はバングラデシュの中でも知識層。自国の混沌とした政治状況にうんざりしながら新聞を開く人の心をつかむ、うまい広告だな、と思いました。この広告、きのうも今日も少しずつ趣向を変えた全面広告が出ており、町中の通話カードを扱う店先にもこの新しいロゴを刷り込んだグラミン・フォーンのバナーが目立ち始めました。

写真の広告は今朝の新聞に出ていたもの。広告の後ろに、「バングラデシュ国民諸君よ、明るい気持ちで、希望をもって前に進もう」というユヌス氏の顔が見えてくるようです。

携帯電話ではグラミン・フォーンに次ぐ大手のバングラ・リンクも負けていません。こちらはテレビ・コマーシャルで前向きな変化のイメージを演出しています。このところずっと放映していたのは、「成功した漁師編」。ストーリーは以下のようなものです。

<日がな一日魚をとっては安い値で買い叩かれ、いつも暗い顔をしてため息をついている漁師の父。少年だった息子は父の明るい笑顔を見たことがなかった。父と二人、網を手に、とぼとぼと夜道を帰る少年...。(ここまでモノクロ映像) 

一転して明るいカラー映像。燦燦と降り注ぐ陽射しの中、精悍な漁師の若者が携帯を手に船の上で「オーケー、今いくよ」と話している。小船の上には大きな魚が満載。岸に着くと地元の商人が安値で買い叩こうとやってくるが、若者はそれに目もくれない。そこへ先ほど電話で話をつけた取引先が氷を積んだトラックでやってきて、魚を買い取っていく。川岸を「父さーん」と駆け寄ってくる小さな息子を抱き上げ、笑顔の青年。その手にはバングラ・リンクの携帯電話。>

現実はなかなかこう上手くはいかないでしょうが、父の世代と今は違う、これからよくなっていくんだ、というイメージを強く打ち出した印象的なCMです。数日前から、携帯で連絡を受けた女性ジャーナリストが現場に駆けつけて写真を撮る「女性カメラマン編」も放映されていて、こちらもなかなか新しい感じ。

テレビ・コマーシャルは時代を映すもの。バングラデシュのテレビCMにははっとするような垢抜けたものはまだあまりないけれど、その中でも最先端を行く携帯電話会社のCMには、こうあってほしい、という今のバングラデシュを生きる人々の夢が託されているような気がします。

グラミン・フォーンのあの新しいロゴやコピー、誰が作ったのかな。もしバングラデシュの広告代理店の仕事だったらなかなかのものだと思うけど。ホームページも一新されてました。見てみてください。→www.grameenphone.com


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2006年11月 8日

ジダンが来た!

昨夜の飛行機でバングラデシュにジダンが来ました!ワールドカップでの衝撃の頭突き事件で世間を驚かせた仏サッカー界のスーパー・スター、ジダン。招いたのは先日ノーベル平和賞を受賞したばかりのグラミン銀行のユヌス博士。グラミン・グループがフランスの食品会社、ダノンとの合弁で設立した栄養補助食品会社、Grameen Danon Foods Ltd.の工場開設記念式典への招待です。

来るとは聞いてましたが、ほんとにジダンがやってきてバングラデシュのナショナル・サッカーチーム(一応ある)の紅白試合に参加したり、ユヌス教授と一緒にグラミン銀行が支援している村に行って、女性ショミティメンバーに会ったり、村の子どもとサッカーしてるのをテレビで見るとびっくり。

いやー、この政情不安定な時期にはるばるバングラデシュまでよく来たなあー、ジダン。
「バングラデシュの人たちのサッカー熱に感動しました。この国の子どもプレーヤーたちのために何かできたら嬉しい」と語っていました。さすがユヌス教授。ジダンを連れてきてこんな風に語らせてしまうなんて。ブラボー!

ダッカのスタジアムで子どもたちのユニフォームにサインしてやったり、村の裸足の子どもたちとサッカーしてるジダン、いい顔してました。子どもたちも憧れのジダンに会って「夢みたいですっ」と大コーフン状態。インタビューを受けたユニフォーム姿の子どもたちの中に、「おとなになったらジダン選手のようなサッカー選手になります!」ときっぱり宣言した「女の子」がいたのは頼もしかったな。

日本の元スター選手の方もどなたかバングラデシュにいらっしゃらいませんかねえ。シャプラニールの活動地の子どもたちとサッカーしませんか?バングラデシュの子どもたち、ほんとにサッカー好きなんです。靴がなくても、ちゃんとしたボールがなくても、泥んこの田んぼの中で裸足で日暮れまでサッカーしてますよ。あ、本場のカレー好きの方なら尚大歓迎でございます。魚のカレーが美味しいですよ。


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