シャプラニール=市民による海外協力の会
シャプラニール=市民による海外協力kの会
english page 携帯 地図 サイトマップ 検索
シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
メールでのお問い合わせ

 

 
 

メイン

2009年4月 5日

賊は涼しい夜を狙う

それはちょうど1週間前、3月29日のこと。夕方5時半ごろからダッカでは約5ヶ月ぶりに大雨が降りました。激しい雷と叩きつけるような雨はなかなか止まず、バチバチと音を立てて大粒の雹も降りました。ちょうど仕事を終えて人々が帰宅する時間だったので多くの人が足止めを食いましたが、それでもなんとか皆が雨の中家に帰りつく頃、ダッカの町は早くから人通りが少なくなりました。大雨と雹が降った後なので、ホコリも洗い流され、空気はすーっと涼しくなりました。

その夜、午前3時ごろ。私が住むラルマティア地区の7階建てフラットの駐車場に、塀を乗り越えて5-6人の賊が押し入り、6台の車からスティアリングやカーステレオなどのパーツを盗んで立ち去りました。ガードマンの手首を縛り、口にテープを貼ってナイフで脅しての犯行でした。

朝になって犯行が明らかになり、フラット住民は大騒ぎ。脅されて縮こまっていたガードマンは賊の手引きをしたと疑われて泣きの涙で弁解。車のパーツを盗まれる事件はダッカでは珍しくもないこととはいえ、さすがに集団犯に6台いっぺんにやられることはそうそうなかったようで、うちのフラットは不名誉にもテレビニュースにまで出てしまったのでした。

狙われた車は新車や高価な車ばかり。私は自分の車は持っていないので(持ってたとしてもボロ車だったでしょう)被害はありませんでしたが、後から大家さんの妹(国際航空会社勤務・30代後半)の4ヶ月前に買ったばかりの新車も被害に遭ったと聞きました。保険に入っていたので修理費は出るそうですが、ピッカピカのブラン・ニュー・カーだっただけに一家で大ショックだったそう。

ふむ、それにしても...と私は思ったのですが、暑さが和らぎすーっと涼しくなって人々がぐっすり寝入っている夜を狙う、というのは盗みの王道ですな。私の愛読書・鬼平犯科帳にも、盗人の秘伝の書きつけに、「一、家やしきへ忍び入るには、やしき内の人のねむりふかければもっともよし。(中略)夏去らむとして冷気きたるころこそ、つとめばたらきにはもっともよし。」などとあったりするんですが、これって時代と場所を越えて共通なのね。さらに言えば、「人を殺傷せず、証拠を残さず、朝まで気付かれず、盗られて困らぬ人から盗る」というのは、かなり「本格の盗人」と言えましょう。感心している場合じゃないですが...。賊らは下見もしていたに違いありません。夕方のあの大雨の最中から、「よし、狙うなら今夜だぜ」「おう」などと示し合わせていたのでしょうか。

我がフラットではその後、多少セキュリティも厳しくなり、夜はガードマンが二人になったようです。フラットの自治会長の話によれば、賊に乗り越えられた塀とフラットの間の隙間も金属の柵で埋めるそう。

今回は自分の住むフラットとはいえ、被害にあったのは「他人さまの車」のみで怪我人もなかったので余裕でブログに書いたりしてますが、これがもし事務所でウチの会のだいじな車をやられてたりしたら、逆上して「おのれにっくき賊めが!」などとわめいていたことでしょう。

うちの事務所にはタイガー2号という、夜よく吠えて近所から苦情が来るわ、飛びついて言うことを聞かぬわ、というちょっとおバカな犬がいるんですが、事務所のガードマンがうちのフラットの事件の話を聞いて、「夜タイガーがいることでどれだけ心強いか」と真剣に言ってました。そっかタイガーもあれでちゃんと役に立っていたんだね。

ダッカ在住の皆さま、暑い日々の合間に急にすーっと涼しくなった夜は要注意です。鍵をしっかり二重にかけましょう。いい車をお持ちの方はとくにお気をつけて。

P1000376.jpg

タイガー2号。とろいクセに屋根の上が好き。一度落ちて腰を打った。おバカな子だねほんとに。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年1月16日

急がば回れ

サイクロン復興支援活動がらみの出張でクルナに来ています。今日はバゲルハット県ショロンコラ郡の現場まで行ってきました。

昨日ダッカからクルナに来るときは、霧のためダッカからポッダ(ガンジス)河を渡るパトゥリア(アリチャの横)フェリーガートでたくさんの車が足止めを食って大渋滞が起き、何時間もガートで待たなければならなくなっているという話を聞き、急遽ルートを変えて、北部周りでクルナまで来ました。ダッカから北へ向かいタンガイルのジョムナー・ブリッジを渡って、西へ向かい、ラロン・シャー・ブリッジを南へ下りてジナイダを経てクルナに入る大回りのルート。ダッカから8時間ぐらいかかりましたが、それでもダッカからクルナにパトゥリア経由で向かった人たちよりはずっとマシでした。

バングラデシュの冬は濃霧でフェリーが動かなくなるのが国内移動の最大のネック。大小の河川が無数にあり橋のない川が多いバングラデシュでは車で川を渡るのはフェリーが頼り。クルナからバゲルハットを経てサイクロン被災地のショロンコラ郡に入る途中にもフェリーでないと渡れない川があります。このフェリーにタイミングよく乗れたときはほんとに「ラッキー!」と思います。運が悪ければ1時間待ち。

サイクロン被災地は乾期の今、復興支援の第二ピークのラッシュ、という感じ。刻々と現場の状況は変わっています。この話はまた別途。

P1010440.jpg

バゲルハットからショロンコラへ向かう途中のフェリー。今日はわりとラッキーですぐ乗れました。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年1月 2日

新しい年に期待をこめて

DSCF0013.jpg

皆さま、明けましておめでとうございます。

バングラデシュでは昨年末に行われた歴史的な総選挙が大きな混乱もなく終わり、ダッカも平和な新年を迎えています。バングラデシュでは4月14日のベンガル新年がお正月として祝われ、カレンダーの1月1日は"English New Year"と呼ばれて祝日にさえならないのですが、それでも大晦日の夜中から新年に日付が変わる瞬間は多くの若者たちが屋上からロケット花火を飛ばしたり、大通りに出て歓声を上げたりして新年を祝っていました。

写真は農村で撮った子牛です。7年ぶりの総選挙を経て、バングラデシュはようやく民主主義国家としての新たなステップを踏み出したところ。まだ頼りなくてちょうどこの子牛ぐらいの感じでしょうか。老若男女、国民の多くが早朝から投票所に足を運び、自ら選んだ政府が、病にかかったり、栄養失調に陥ったり、間違った道に踏み込んで迷子になったりすることなく、元気に堂々と大きく育っていきますように。

そして転換期にあるバングラデシュでシャプラニールも自らが果たすべき役割をしっかりと自覚しながら、思い切って新しいチャレンジをしていきたいと思います。

2009年、難しい課題があふれる世界の末端で、もっとも大きなしわ寄せに苦しむ人たちが、自らの足で立ちパワーアップしていく過程に私たちの仕事が少しでも貢献できますように。私たち現場の駐在員とダッカ事務所の職員が、時流を見極める感性と、正しい判断力と、影響力ある仕事を実現できる実行力を持って歩むことができますように。東京事務所と効果的に連携しながら、支援してくださる皆さまに活動に参加している手応えを感じていただけますように。

シャプラニールの支援者の皆さま、このブログを読んでくださる皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。2009年が皆さまにとって素晴らしい一年になりますように。私自身にとっても駐在最後の年、今年の半ばには帰国することになると思うので、悔いのない日々を過ごしたいと思います。このブログにも、今年もよろしくお付き合いください。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年11月24日

お疲れさまフィールドサンダル

P1010253.jpg土曜日、ノルシンディ県のメグナ川の中洲の砂地を歩き回っていたら、ブチっと音がしてサンダルのベルトの止め具(ゴム製)が切れました。駐在直前に購入し、フィールド用サンダルとして愛用していたECCOのウォータースポーツ用サンダル。しっかりしていて滑らないし水洗いできるので、砂地、泥道、水の中、と、この3年半どんな悪路でも頼りにしてきたのですが、ついに寿命。左の止め具が切れたと思ったら同じ日のうちに右も切れてしまいました。

写真はフィールドから帰った直後に撮った砂まみれのサンダル。人目にはただのキタナイサンダルだと思いますが、この3年半これを履いていろんなところに行ったよなー、と思うとちょっとした感慨があります。駐在がこんなに長引かなければちょうど任期いっぱいぐらいはもつところだったのに。

まだもうしばらく駐在の日々は続きます。自分もくたびれてブチっといかないようにしないとー。新しいフィールド用サンダル買わなきゃ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年9月30日

夜の事務所で

今日はイード前の最終勤務日。すでに休みに入っている事務所も多いため、朝の通勤時も人通りは少なく、閑散とした雰囲気でした。

そんな中でも出勤してきたスタッフたちは(私も含め)、休暇前にやりかけの仕事を終わらせようといつになく黙々とがんばり、みんな夕方にはなんとかキリをつけて、「よいお休みをー」「イード・ムバーラク」などと言いながら、ひとりまたひとりと帰っていきました。

キリをつけられずにまだ事務所にいる私ひとり。ブログなんて書いてる場合じゃないんけど、ちょうどイフタールを食べて戻ってきたトゥトゥールがお茶を入れてくれたのでちょっと気分転換。

今日はプログラム・アシスタントのイルシャトの勤務最終日でもありました。イタリア外務省の奨学金に受かり、イタリアの大学で4ヶ月間「人類学と開発」について学ぶそう。本人は辞めたくなかったようですが、ダッカ事務所に勉強のための休職制度はないし(ゆくゆく作ろうという話はあります)、勤務してまだ2年ということもあり、勤務年数の長いベテランスタッフの手前など諸事情考えた結果、結局辞めて行ってもらうしかない、と判断したもの。若いだけに休職しても4ヶ月海外で勉強したあと、本当に戻ってくるかどうかもわからないですしね。もっと勉強しようという気になるかもしれないし、この経験を元にもっと給料やポジションのよい職場を探そうと思うかもしれないし。まあ仕方ない...。

P1010608.jpg

写真:イルシャト(中央)とダッカ事務所の女性スタッフたち。プログラムオフィサーのハビバ(右)、最近入ったアシスタント・アカウンツ・オフィサーのジョセフィン(左)もなかなか優秀。

断食月中なのでみんなでフェアウェル・ランチというわけにもいかなかったけれど、誰かが辞めるときにいつもそうするように、みんなでお金を出し合って(もちろん私が一番多めに)ちょっとしたプレゼントとお花を買い、一言ずつメッセージを伝え、事務所の前で記念撮影。すでに休みをとっていたスタッフ2人は参加できなかったけど。

P1010607.jpg

イルシャトは私が来てから採用したスタッフ。期待していたし、もうちょっと長くいてほしかったけんだけどね。でも若いうちに勉強するのもまたよし。4ヶ月といえども若いバングラデシュ女性が結婚1年の夫を置いて海外に勉強しにいくというのはなかなか勇気のいることでしょう。同居のお姑さんの理解も得られてよかったね。

まあがんばって行ってきなされ。身体に気をつけてしっかり勉強してくるべし。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年9月26日

ショドルガットの風景

今週久しぶりにショドル・ガットに行ったので、写真をご紹介。ショドル・ガットはオールドダッカを流れるブリゴンガ川に面した港、というか船着場です。

P1000895.jpg

向こう岸に渡るには、こんなごちゃっとした船着き場から渡し舟(ノウカ)に乗ります。

P1000897.jpg

左に停泊中の船はボリシャル方面行きのローンチ。

P1000898.jpg

ノウカを漕ぐのは力仕事。日差しが強いので傘をさして乗ってる人が多いです。

P1000903.jpg

ちょっとお兄さん、あなたを撮ろうとしてたんじゃありませんてば。

P1000904.jpg

向こう岸は衣料品の問屋街。

P1000909.jpg

問屋から衣料品を運ぶ人たち。この服たちはどこで売られるのかな。

今回のショドル・ガット訪問はここで行われているストリートチルドレンのための青空教室(これはシャプラニールのプロジェクトではありませんが、パートナー団体のオポロジェヨ・バングラデシュが独自に実施しているもの)の子どもたちへのインタビューが目的でした。

そのとき同行した内山駐在員がせっせと子どもたちの写真を撮っていたんですが、痛恨のコピーミスで消えてしまったそう(事務所で「ああっ消えた!」という声と共に内山さん机に突っ伏してました)。うーん、残念だったね、内山さん。元広報担当もたまにはね(笑)。猿も木から落ちる、ということで。

このときのインタビューのことなどはまた別途書きます。


| | コメント (11) | トラックバック (0)
2008年7月30日

石けんの値上がり

最近のバングラデシュでの食料品や日用品の値上がりは凄まじいものがあるのですが、今月とくに激しく値上がりしたもののひとつに「石けん」があります。事務所でもよく使っているLUX石けんの大きいやつは、1個21タカから32タカ(1タカ≒1.6円)になってしまいました。ほかの石けんがいくらぐらいになっているのか、まだチェックしてませんが、これはとても困ったことです。

バングラデシュのスラムや農村部では、今も「トイレの後や食事の前は石けんで手を洗いましょう」というセリフを保健ワーカーやNGOが口を酸っぱくして言い続けています。シャプラニールのプロジェクト地でもそうです。いまだに石けんで手を洗う習慣がついていない人も、石けんを買うお金があったらお米が買いたい、と言う人も少なくありませんが、長年の手洗いキャンペーンのおかげで村やスラムでもかなり石けんの使用は一般的になりました。

しかし、いっきに1.5倍以上、というこのひどい値上がり。石けんの大きいのとお米1キロがほとんど同じ値段だったら、そりゃあ「石けんなんてそんな高価なもん買えるかい」ということになりますよね。

石けん値上がりの理由は「パーム油の値上がり」ということらしいですが、それにしても値上げ幅が大きすぎないか?便乗値上げじゃないんだろうか。インドでは1個あたり1ルピー(≒2.5円)の値上がり(→Times of India 7月2日)なのに、なんでバングラデシュでは10タカ以上も上がるんだ?工場はバングラデシュ国内にあるはずだけど、原料の輸入にバカ高い税金がかかっているからなのか?

私たちは家事使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカ市内3ヶ所で実施していますが、最初の2年弱のパイロット・プロジェクトの評価をしたとき、ダッカ北部のコライル・スラムのセンターに通う少女たちが言っていたことを思い出します。

「このセンターに通う前はあんまり石けんで手を洗ってなかったの。でも今はトイレのあとやご飯の前は必ず洗うようになった」
「お父さん、お母さんが石けんを買うお金がもったいない、って言ったら、病気になって病院に行かなきゃならなくなったら、もっとお金がかかるよって言って石けんを買ってもらうの」

そうやってせっかく石けんを使って手洗いすることが身についた女の子たち。スラムで厳しい生活を送る彼女たちの親は、これまでどおり石けんを買ってくれるかどうか。

スラムには揚げ物なんかの廃油はたくさんあるだろうから、廃油を使った手作り石けん教室をやるのもいいかなあ。うまく作れたら売れるかもしれないし。でも、廃油石けんづくりに欠かせない苛性ソーダは劇薬だから、年端もいかない少女たちに扱わせるのは危なすぎるか...。

うーん、困ったことです。


| | コメント (6) | トラックバック (0)
2008年7月12日

くたびれた日には

ダッカに駐在して3年2ヶ月、仕事の中身にはさほど自慢できることはありませんが、唯一我ながら上出来だと思うのは、これまでほとんど病欠をしていないことです。1年目は確か1日も病欠しなかったし、他の年も具合が悪くて休んだのは年間せいぜい2-3日というところ。今年度はまだ休みなし。上出来、というよりラッキーというべきなのかもしれません。丈夫に生んでくれた親にも感謝すべきでしょう。

しかし、そんな私でも3ヶ月に1回ぐらい、こりゃ起き上がれんわ、というぐらいくたびれ果ててしまう日があります。平日はダッカ事務所のスタッフたちの手前気を張っているのでなんとかなっているのですが、出張続きで2週間ぶりの休み、などというときにバッテリーが切れたみたいにくたっととなります。

昨日(こちらは金・土が休み)はそういう日でした。目が覚めたとき朝だと思って時計を見たら1時半。もちろん昼の、です。起き上がろうとしたけれど腰が痛くて起き上がれない。よろよろと身体をずらしつつベッドから滑りおり、台所に向かってコーンフレークに牛乳をかけたのを食べたものの、力は入らないし頭や腰は痛いし、新聞を読んだりメールをチェックする気力もない。持ち帰った仕事もできそうもない。

こういう日は開き直ってただひたすらゴロゴロするに限ります。結局私は昨日は3回ぐらいしかベッドから降りませんでした。こんなときは固形物を食べるのも控え、ただ芋虫のようにじっとしているのがよろしい。間違ってもレトルト食品やカップラーメンを食べてはいけません。たちまちお腹がロックしてしまい、七転八倒することになるからです。

そうして1日過ごしたら、今日はだいぶ復活しました。お腹を壊しているわけでなくても、こういう時はひたすらポカリスエットを飲み(飲む点滴)、何を食べるかはよくよく吟味します。今日のヒットはジュートのスープ。おととい作った残りを冷蔵庫から出してあっためただけですが、しみじみと「あーこりゃ疲れているときにいいわ」と思いました。明日からまた4日間フィールド出張だけど、なんとかなりそう。

<ジュートのスープのつくり方>
1. にんにく1-2片をみじん切りにする。
2. ジュートの葉適量をネバネバするまでよくみじん切りにする
3.鍋に油を入れ、1、2の順に入れ、ネバネバしたペーストのような状態になるまでいためる。
4.3に少しずつ水を足し、スープの素を入れて味付けする。
5.溶き卵を回しいれて火を止める。

*日本ではモロヘイヤでお試しください。

今のバングラデシュではジュートは一把6タカぐらいですから10円足らず。安いです。バングラデシュではジュートの葉っぱは貧乏人の食べ物だとみんな思っているみたいです。でも、要はモロヘイヤですから鉄分、ビタミンも豊富なはず。バッグなどに使う天然繊維素材としてのジュートだけじゃなく、ジュートの葉も農村の人々の栄養源としてもっと見直されていいんじゃないかなあ。

農村の最貧困層家庭などをこの時期訪ねると、よくジュートの葉を日干しにして保存食をつくっています。私もあれやろうかな。日に干して瓶詰めにしておけば、あとで水で戻してスープがつくれるんじゃないかしらん。

雨期の湿気と暑さでバテ気味のダッカ在住の皆さま、そして梅雨の日本でお疲れのみなさま、ジュートの葉やモロヘイヤ食べると元気出ますよ。お試しあれ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年5月17日

ジャスミンの花輪

ダッカはかなり暑い日が続いています。私の住んでいる部屋はアパートの最上階なので、屋上に日中当たり続けた日差しの熱がこもって、夜になってもなかなか涼しくなりません。エアコンを入れないと夜中でも部屋の温度は34度ぐらい。暑いです。

この季節、路上の子どもたちが車の窓をたたいて売りに来るのは小さなレモンを袋詰めにしたもの(1袋10タカ)やジャスミンの花輪。この花輪はジャスミンの花をひとつひとつ糸に通したものです。これをおとなの中指ぐらいの太さの短い棒にたくさん掛けて、買ってとせがみに来ます。

今夜も会食の帰り道、友人の車で自宅に向かっていたら、交差点で7-8歳ぐらいの小さな女の子がジャスミンの花輪を売りに来ました。私は夜子どもが売りにくるジャスミンの花輪は小銭がある限り必ずといっていいほど買います。ジャスミンの花はとてもいい香りで、寝るとき枕元に置いておくと気持ちよく眠れるのです。

車の窓を開けて「いくら?」と聞いたら「5タカ」という返事。「2つちょうだい」と言ったら、「10タカ」と澄まして言いながら丁寧に2つの花輪を棒から外してくれました。まるでちゃんとしたお店の店員さんみたいに。

夜10時過ぎの交差点。女の子は次のお客を探して花輪の束をかかげながらすたすた歩いていきました。淡々とした顔をして。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年4月23日

4度目の夏

「暑い...」口に出したところで涼しくなるわけではないとわかっていても、思わずボヤいてしまいます。4月後半に入り、バングラデシュの一番暑い時期に突入です。とくにここ数日はダッカの最高気温が人間の体温と同じぐらいまで上がり、日に5-6時間の停電が続き、仕事を終えて家に帰るともう汗だくです。

ダッカ事務所にはIPSという大型バッテリー装置があり、停電してもしばらくはこれで最低限の電気は使えるのですが、この3日間のように午後2時間半とか3時間連続して停電してしまうと、IPSも切れてしまいます。蛍光灯が消え、かろうじてパソコンだけがついている薄暗い部屋で暑さにあえぎながら仕事をしていると、水槽の上に口を出してぱくぱくしている魚になったような気がします(実際息苦しいし)。毎日この状態の中、集中力を持続させるのはなかなか困難...。でも事務所の電気をまかなえるような発電機(ジェネレーター)は値段も高いし、毎日使うとガソリン代がすごいことになるだろうし、とりあえずは耐えて頑張るしかない、という状況です。

しかし新聞報道によるとバングラデシュにはもうあと1か月分しか石油燃料の備蓄がないそうで、政府は緊急ファンドからの支出を決めたりして石油確保に奔走しているようです。なんだかもうギリギリの自転車操業、という感じ。まだ夏は長いのに今からそんな状態でどうなるんだろ。

わが事務所や私の家のある地域では今のところ水の問題はありませんが、ダッカ市内の多くの地域で水道の水も来なくなり、電気はないわ、水は出ないわで大変です。このような状態の中、下痢も広がっており、ダッカにある国際下痢研究所(通称:下痢研)付属病院に4月1日~18日の間に入院した人は7千人だとか。しかしこれも悲しいかな毎年この時期には同じように繰り返される出来事です。(去年かおととしの今頃のブログにはたぶん似たようなことが書いてあるでしょう)

日本では今頃風薫る5月、爽やかな新緑の季節なんだろうなあ...。は~(ため息)。夏は嫌いじゃないのだけれどダッカで迎える4度目の夏、これまで以上にしんどいような気が。これは年齢のせいか、それとも駐在最終年にして片付かない課題が頭上に重たく積みかさなってるせいなのか。

この間、コルカタとダッカを結ぶ汽車(モイトリー・エクスプレス)がやっと走り出したり、イスラム原理主義者たちが政府の女性政策に反対して国立モスク近辺でデモを繰り返し、警官隊と衝突したり...とバングラ情勢についていろいろ書くべき出来事はあるのですが、暑くて脳みそが働かないのでまた今度。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2008年3月23日

事務所の運転手採用試験

ダッカ事務所には車が2台あり、運転手として勤務するスタッフも2名必要なのですが、最近ひとりが辞めたため、昨日(土曜日)の朝、採用試験をしました。試験の内容は簡単な読み書きと計算、面接、そして運転テストです。

応募者6人を総務担当者と一緒に面接しました。こちらからの質問内容としては、これまでの経歴、最長どれぐらい長距離運転をしたことがあるか、事故を起こしたらどう対応するか、車のメンテナンスはどれぐらいの頻度でやるべきか、運転中眠くなったらどうするか、などなど。

これまで事故を起こしたり、ぶつけられたりしたことはありますか?という質問に対し、皆「ありません、インシャッラー」などと答えるのですが、この国で何年も運転手をしててまったく事故がないわけないだろー、と思います。

ハイウェイの中央線を大きく越えて追い越しをしながら、真正面から迫ってくる対向車。車がびゅんびゅん走っている道を平気で渡る歩行者。同じ道路に入り乱れる車とリキシャとオート三輪。ぎりぎりまで車間距離を詰めて走るのがフツーで、日本並みに車間距離を開けていたらどんどん割り込まれてしまう。信号待ちのとき物乞いを装っていきなり近づいてきてミラーに飛びつきはがして持ち去る奴もいる。突然のスコールや冬場の深い霧。アスファルトがクレーターのようにはがれたひどいでこぼこ道...。いやー、この国で車を運転するというのは大変なことだと思います。(ちなみに私はペーパードライバー。ここで運転するなんて考えられません。)

事故についての質問をしていたら、ある候補者が「チッタゴンからの帰り道でニワトリを轢いてしまったことがあります。ニワトリが不規則な動きをしたので避けられなかったんです」と告白したのには思わず笑ってしまいました。(でもニワトリであっても轢いてしまったらきっとすごくイヤーな気分ですよね。)

また、読み書き計算で点数が最低だった候補者に、「8年生までいったのになんでそんなにできないの」と聞いたら、「8年生のときに父が亡くなり、勉強が続けられなくなってその後車の修理工を経て運転の仕事をはじめました。ずっと家族のために働いてきたので勉強はすっかり忘れてしまって...」としょんぼり話されてなんだかかわいそうになってしまいました(その候補者は残念ながら不採用)。

結局候補者は2人に絞りましたが、事務所のまわりを1周するだけの運転テストでは違いがぜんぜんわからないので、来週の土曜日、長距離運転テストをすることにしました。シャバールの独立記念塔まで片道一人ずつ運転してもらって往復する、という計画。行きと帰りはコインでも投げて決めてもらおうかな。

このテストをクリアした一人が晴れてシャプラニールダッカ事務所の新スタッフになります。ドライバーはスタッフや出張者、時にはお客さまの命を預かることになるので慎重に選ばないと。最終候補のお2人さん、テスト中緊張のあまり事故らないでね~。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2008年2月 9日

お札にうるさくなったインド人

すっかりブログをご無沙汰してしまいました。1月から2月にかけては、各パートナー団体と次年度の活動について計画や予算を詰めていく1年で一番忙しい時期なんですが、この1ヶ月ほどは、それにサイクロン復興支援の検討やインド出張なども重なった結果、2週間続けて働いて1日休み、また2週間ぶっ続けで仕事する、というペースでした。今週末は久々の休みでやや脱力気味です...。

さて、インド出張というのは1月末から1週間ほどコルカタへ行っていたのですが、今回なんじゃこりゃ、と思ったのは、コルカタの人々がやたらとお札にうるさくなっていたこと。端がほんの5mm程度切れた500ルピー札が、ゲストハウスでもレストランでも受け取ってもらえません。500ルピー札や1000ルピー札の高額紙幣ならまだわかりますが、真ん中に折れ目がついてそこが少し黒ずんだ20ルピー札さえ、タクシー運転手に拒否される。これはいったいなんなんでしょう。いつからこうなったの??

私がニューデリーに住んでいた98年から2001年ごろは、こんなじゃなかった、という記憶があります。その頃、1000ルピー札は発行されたばかりでほとんど出回っておらず、500ルピー札は「大きすぎて使いにくいから」という別な理由で拒否されることがよくありました。100ルピー札は、ガンジーの絵柄の新札と、アショカ王の獅子柱頭の絵柄の旧札がほぼ半々ぐらいに出回っていて、銀行でお金を下ろすと、新札の場合は紙の帯で束ねられた札束が出てきたけれど、旧札の場合は大きなホチキス2つぐらいでガチガチに留められていて、それを外すのにとても骨が折れ、札束の真ん中からお札を2つに分けて持って力づくで引き剥がさなければならず、その結果100ルピーの旧札の透かしのあたりにはたいてい大穴があいていたものです。お札に数字などがメモされていることも多く、「大事なお金なのにいったいなんちゅう扱いをする人たちだろう」と思っていたものです。

しかし、今やインドの人々は、高額小額にかかわらず受け取ったお金を1枚1枚舐めるようにチェックし、高額紙幣は必ず目の前にかざしてニセ札でないか確認し、わずかでも端が欠けたり汚れたりしていたら受け取らない。そういうお札が自分のところへ来るのを避けようと、相手に押し付け合う様はまるでババ抜き。これも経済成長と関係があるのかしら。でもちょっと極端すぎないか?

バングラデシュに帰ってきたら、使い込まれて煮しめたようになり、絵柄も判然としない2ルピー札が立派に通用していて、ちょっとほっとしました。


| | コメント (5) | トラックバック (0)
2008年1月11日

サプライズ花束

ダッカ事務所では毎朝9時から朝のミーティングを行い、その日の予定や仕事の進捗状況などをシェアします。昨日の朝、いつものように2階の会議室に上がっていったら、いつも私が座る席の前のテーブルの上に、赤い薔薇や色とりどりのグラジオラスが入った大きな花束が置いてありました。

おおっ!と驚いていたら、後ろから上がってきたスタッフたちがみんなで、「アパ、お誕生日おめでとう!」
私の誕生日、覚えていてくれたんだね。

こういうところ、ダッカ事務所のスタッフたちは本当に心優しい。誰かが事務所を去るとき、新しい人が入ったときの歓送・歓迎会に何をしようか?何をあげようか?といったことも、みんなかなり気合を入れて考えます。本人に気づかれないようにこそこそとお金を集めて。小嶋駐在員が帰国するときのお別れ会も、イショルゴンジで買って連れて帰ってきた山羊を事務所の庭でさばき、事務所の料理スタッフに山羊カレーをつくってもらってみんなで食べる、というすごいものでした。(日本じゃちょっと考えられませんね)

私の誕生日のサプライズ花束のことも、前日からみんな相談していたそうだけど、まったく気づかなかった。みんなどうもありがとう。スタッフ全員の署名入りのカードもうれしかったです。

私も皆の気持ちに応えるべく、会議のため来ていたPAPRIのスタッフ5人を含め、全員にミシュティ(ベンガルのお菓子)とシンガラ(つぶしたジャガイモを小麦粉の皮で包んで揚げたスナック)を振舞いました。

残りあと何ヶ月ぐらいみんなのボスでいられるのかわからないけど、帰国のその日までがんばって一緒にいい仕事したいと思います。


| | コメント (5) | トラックバック (0)
2008年1月 1日

明けましておめでとうございます

みなさま、明けましておめでとうございます。お正月をいかがお過ごしでしょうか?

バングラデシュでは西暦の年末年始はとくに休みではないので、ダッカ事務所も今日は平日、通常どおり朝から仕事をしています。昨年12月中旬から後半にかけて、イスラム教の犠牲祭のイード(Eid-ul-Azha)の休みとクリスマス休みがあったので、10日ほど日本に一時帰国していたのですが、クリスマス・イブには日本を出てダッカに戻ってきました。

昨年、2007年はバングラデシュにとって本当にいろいろあった1年でした。軍をバックにした選挙管理内閣が大物汚職政治家を片っ端から逮捕したり、ダッカ大学から波及した政府への抗議行動で外出禁止令が出たりと、政治的にもいろいろありましたが、自然災害の多い年でもありました。年のはじめの寒波、2度の洪水、そして11月半ばの大型サイクロンの襲撃では多くの犠牲者が出、被災した人たちは今も厳しい状況におかれています。

シャプラニールダッカ事務所も昨年度の後半はサイクロン被災者の救援活動で目まぐるしい日々を過ごしました。おかげさまで予想を超える額のご寄付が集まったので、救援と復興支援活動は今後も引き続き実施していきます。第1弾から第3弾までの救援活動はほぼ完了し、今は次なる支援活動について現地パートナー団体と共に鋭意検討しているところです。

また、ダッカ事務所では昨年9月に内山新駐在員が赴任、昨年末には小嶋駐在員が2年5ヶ月の任期を終えて家族とともに帰国しました。プログラム・オフィサーも男性オフィサー1人(ロシドゥル・バリ)が去り、女性オフィサー1人(ウンメ・ハビバ)が新しく入ったので、前よりだいぶ女性が多くなりました。

私も2005年5月に赴任してからあっという間に2年7ヶ月が経ちました。今年は(たぶん)駐在最後の年になります。やらなければならないことはたくさんありますが、残りの時間、ひとつひとつしっかりやっていきたいと思います。

シャプラニールの会員・支援者のみなさま、このブログをいつも読んでくださる皆さま、コメントをくださる皆さま、昨年はどうもありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年10月23日

イード明け

長らくご無沙汰しました。イード休み中、日本にちょいと一時帰国し、昨日ダッカに戻ってきました。10日休みがあっても飛行機での行き帰りに時間がかかるので、日本での休暇は正味1週間といったところ。短い時間ではありましたが、さわやかな日本の秋の気候と秋の味覚を満喫しました。夫を置いて単身赴任の身、せめて休みで帰ったときぐらいは家族優先に...とあまり友人たちとも連絡をとれなかったので、「あんた帰ってたんなら連絡ぐらいしなさいよ」とお叱りを受けそうですが、お許しを。だって1週間てほんとにあっという間なんですもん。

昨日ダッカに戻っての私の第一声は「げー、まだこんな暑いのー」で、家に着くなり靴といっしょに靴下を脱ぎ捨てて室内履きの草履に履き替え、Tシャツの上にはおっていた長袖シャツを脱ぎ捨て、エアコンのスイッチを入れたわけなんですが、今朝起きて窓を開けてみたら、「あ、やっぱりこれでもだいぶ涼しくなったんだな」とわかりました。今日わが事務所ではエアコンも入れず扇風機だけですが、ちょうどいい感じ。3月ごろから続いたダッカの長い夏もようやく終盤にさしかかったようです。

イードの前は断食月だったので、スタッフ皆そろって食堂で昼食をとるのも久しぶり。日本の食べ物はもちろんおいしかったけど、10日ぶりに事務所でベンガル料理を食べるとこれはこれで美味しいわねー、とダールのスープをお代わり。今は食後のお茶を飲みつつこのブログを書いているところです。

12月にまた犠牲祭のイードがあるので、もう12月の頭までスケジュールはぎゅうぎゅう詰め。小嶋駐在員も12月で帰っちゃうし、ほんとにこれでなんとかなるんだろうか。まあでもダッカ事務所はベテランスタッフ揃いなんだし、どんどん彼ら・彼女らにやってもらいましょう。よし、またベンガル料理がんがん食べてよく寝て免疫力つけつつがんばるぞー。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年10月10日

デング・ニールか

このところ、事務所のスタッフやダッカ事務所を訪れた出張者などにデング熱発症者が続発。事務所の管理運営を預かる者としては頭を抱えております。事務所の周辺を見回って水が溜まっているところがないか調べたり、薬をまいたりしていますが、相変わらず蚊はいるし、なかなか有効な手立てがみつかりません。

今日、休日出勤で午後から事務所に出てきた私のスタイルも、暑い中、長袖のサルワール・カミーズに足は靴下にサンダル履き、自宅から日本製の蚊取り線香とライター持参、一人なのに電気代もったいないけど、部屋は締め切ってエアコンを使う、という完全防備体制です。それでもかかるときはかかるんだろうしなあ。

デング熱って軽ければ風邪かな、と思ってやり過ごしてしまう人もいるらしいんですが、普通は高熱が何日も続いて、食事もとれなくなり、とても消耗する病気です。その上、出血性に移行したり、ショック症状が出たり、と重症となると相当大変です。ダッカ事務所の歴代の日本人駐在員およびその家族は、私が把握しているだけでも6人がデング熱にかかりました。7月に出張してきてデング熱にかかった人も合わせれば、実に日本人8人がかかったことになります。このうち、今の事務所に移ってからかかった人は半数の4人ですが、このほかバングラデシュ人スタッフも数人がかかっています。

多い。多すぎる。やっぱり尋常じゃないですね、これは。

自身も最近デング被害にあった小嶋駐在員は、「シャプラニール(睡蓮の家)」じゃなくて「デングニール(デングの家)」に名前変えたほうがいいんじゃないか、などとブラックなジョークを飛ばすし、先日イフタール・パーティをやったときのスタッフのお祈りも「アッラーよ、私たちをお守りください。とくにデング熱の被害から...」というものでした。なんてこった。

デング熱のウイルスを媒介するシマ蚊の卵は乾燥に強くて、乾季にひからびてもそのまま1年生きながらえて来年の雨季に孵化したりするんだそう。なんてしぶとくっていまいましいんでしょう。デング熱にかかって熱を出している人をシマ蚊が刺すと、その体内で、8-9日のうちにデングウイルスは培養され、その蚊がまた人を刺すと感染するのだそうです。刺されたあと発症するまでの潜伏期間は8-9日。私もイード休み中に熱出すかもしれないなあ。

イード休みが明けたら、また殺虫剤大作戦だ。煙くてもそこら中で蚊取り線香を焚かなくては。旅行などでダッカに見える方もお気をつけくださいね。


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年8月27日

配給の思い出

わがダッカ事務所のお昼ご飯は、事務所の食堂でみんなで一緒に食べます。昼食時はみんな喋る喋る、食べながらよくこんなに喋るもんだと思うぐらい喋るのですが、そんな中で時々、珍しい話が聞けます。

例えば今日も話に出たのですが、独立戦争前後の混乱の時代の配給の思い出。

スタッフS:昔配給でさあ、大豆油を始めて食べたんだよね。
スタッフD:そうだね、大豆油なんて見たことなかったものな。
S:マスタード油以外の油なんて食えるのかと思ったけど、使ってみたらけっこうおいしくてね。
D:今は大豆油がずいぶん広まったもんだよねえ。
ふじ:その前は大豆油ってなかったの?
S,D:なかったよ。配給で入ったのが最初だったと思うよ。
D:あと椰子油も来たねえ。マレーシアからさ。
S:ああ、あれはあんまりおいしくなかったねえ。
S:あと日本製の布地ねー。シャツ用のさ。
D:券持って並んだよなあ。あの生地もらうのにね。
S:ぼくは子どもだったけど、欲しくておとなと一緒に並んでたらもみくちゃにされてさ。兄貴にしかられたなあ。
ふじ:それって、出来合いのシャツとかじゃなくて布地だったの?
S:そうそう。でもすごく品はいいものだったよ。みんな日本製の布地がほしくて殺到したんだよ。

こんな話をふむふむと聞きながら、いつもお昼を食べています。同じ話をよく繰り返すスタッフもいて、内心、「その話はもう何度も聞いたよ...」と思うこともありますが、貴重な体験をしてると思います。

昔の学校の教科書の話なんかも面白いんですよね。べつの機会に書きます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年7月28日

5つ星ホテルで出会った「地元」の人

気がついたら1週間以上ご無沙汰してしまいました。7月中旬からフィールド出張が相次いだのと、23日から中田新代表、坂口事務局長、白幡職員が日本から出張して来て、連日喧々諤々の会議をやっているためです。

わたくし先日点滴を打った後、一度は回復したかと思いきや、その後あらためて風邪を引きなおし、咳が止まらず声もすっかりハスキー、まるでボリウッド女優のラニ・ムケルジーのよう。(これはわかる人だけわかってください)。そういう状態で毎日会議だと、ますます治りません(泣)。病院に行くヒマもなし。バングラデシュの週末にあたる金曜も土曜も終日会議。そんなわけでとてもブログを書く余裕がなかったんです。

なんでこんなにしつこく会議をやっているかというと、今年新たなシャプラニールの5ヵ年計画を策定し、それに合わせて現状分析とか国別戦略をどうするか、とか、海外活動実施に必要なガイドラインやパートナーシップ・ポリシーの整備とか、英語版を作ってスタッフやパートナーとシェアするとか、そういったことをエイッとまとめてやろうとしているからです。毎日頭を絞ってとってもしんどいのですが、こういうものが十分できてないと現場の人間(つまり私たち)は余計辛くなると思えば、この機に一気にがんばらねばなりません。

私はこの会議のあと、8月上旬から10日ほど一時帰国の予定なのですが、もう絞りカスのようなヘロヘロ状態で日本に帰ることになりそうです。もっともこの作業は今回だけではとても終わらず、今年いっぱいは会議→宿題→会議→宿題の繰り返しになるでしょう。

さて、今日書きたかったのはそういうグチではなくてべつのことです。夕方、会議のあと、出張者たちと晩御飯を食べに外に出るついでに、ダッカに新しくできたばかりの5つ星ホテル、ウェスティン・ホテルをのぞきに言ったときのこと。ロビーできょろきょろしていると、いかにも高級ホテルのマネジャーらしい、制服をぴしっと着こなした貫禄あるバングラデシュ人男性が私たちに声をかけてきました。彼に、初めて見に来たんだけどここはどんなレストランがあるの?と聞くと15日前にオープンしたばかりという素敵なビュッフェ(お寿司もある!)のあるレストランを案内してくれました。美味しそうだねえ、今度来るね、と言うと「ぜひぜひ」と名刺をくれました。肩書きをみるとDirector of Sales and Marketing、かなりエライ人みたいです。

で、彼に私たちの仕事を聞かれ、シャプラニールってNGOで働いてるんですよ、と答えたら、「おー、シャプラニール。よく知ってますよ」と言うんです。なんで?と聞いたら、「だって有名でしょ」だって。そんなに有名とは思えないので、彼の出身地を聞いてみたところ、ノルシンディ県のナラヤンプールだと。シャプラニールが長く活動してきた地域の、まさしく「地元の人」だったのでした。元シャプラニールの地域活動センターで、今は独立してノルシンディ県で活動するローカルNGOとなったPAPRIの代表、バセッドを知っているかと聞いたら、「知らないわけないでしょ」とのこと。

彼がどんな経緯で5つ星ホテルのマネジャーレベルの仕事をするにいたったのか、彼の実家がどんな家なのかは聞きませんでしたが、スマートな制服のホテルマンがいきなり身近な「うちの地域の人」に変わった瞬間でした。

こういうことがたまにあります。ダッカの空港のイミグレーションで仕事を聞かれ、シャプラニールの名前を出すと、あー私は○○の出身なんでよく知ってますよ、昔あそこでスタッフの交通事故がありましたねえ、などと言われてびっくりしたり。

活動地域はごく限られているとはいえ、35年も活動してきたのだから、その間になんらかの形でシャプラニールと袖すり合った人は相当な数になるはず。そういう人と、ふと思わぬところで出会うと、ちょっと嬉しくなります。中にはシャプラニールと聞いてよい思い出を持たない人もいるでしょうけどね(笑)


| | コメント (1) | トラックバック (0)
2007年7月14日

ココロに効いた点滴

先週、コルカタ出張からダッカに戻った数日後にまた熱を出し、ややこしい感染症だったらマズイ、と思い、仕事を休んで自宅近くの「山形ダッカ友好病院」を訪ねました。院長のエクラスール・ラーマン先生は、日本の山形大学医学部卒で日本語も堪能です。ご専門は外科ですが、この地でウイルス性の下痢や熱、肝炎、腸チフス、デング熱などで先生のお世話になった日本人は数えきれないほどでしょう。

私は先生を訪ねる前に、「パラシタモル」という、ここではどこでも手に入る熱さましの薬を自分で勝手に飲んでいたため、ほとんど熱は下がっていましたが、血液検査や尿検査をしてもらうことにし、その日は自宅で休みました。翌朝結果を聞きに行ったところ、腸チフスやデング熱ではなかったけれど、熱や下痢の原因になる細菌がみつかったとのこと。血圧も非常に低く、血中の成分もいろいろ足りないということで、点滴をしましょう、ということになりました。

もう熱も下がってるし、たいしたことなさそうなのに点滴!そんな大げさな、ポカリスエットでも飲んでおけば十分では、とも思ったのですが、先生は点滴をした上、水やジュースも飲め飲め、とおっしゃいます。とにかく水分をたくさんとって、細菌を洗い流さないとダメ。そうやって毎日水をがんがん飲んで1週間たっても細菌が出ていかなかったら抗生物質を使いましょう、というのです。

検査の結果を聞きに行った日、私はくたくたに疲れてはいましたが、もう熱はなかったしそのまま仕事に行くつもりでした。最初の先生の話では昼休みごろまでには点滴は終わるはずでしたが、予定より長引いた2本目の点滴が終わった後、先生はさらにもう一本入れましょう、とおっしゃいます。結局観念して事務所に電話し、点滴を打ちながら病室でテレビを見たり、時代小説を読んだりして丸1日を過ごしました。

その翌々日が今日なのですが、夕方になって自分がとても元気になっていることに気がつきました。昨日から今日の昼ごろまではまだヘナヘナして気力が出なかったのですが、どうやら完全回復しました。点滴そのものよりも、点滴を打つ、という理由で丸一日追加で完全に休んだことがとても重要だったようです。

信州で地域医療に取り組む医師の色平哲郎先生が、2004年度の文芸春秋のベストエッセイ集にも選ばれた『ケア、人間として人間の世話をすること』というエッセイの中で、こんなエピソードを紹介されていました。

----------------------------------------------
村人はじつによく働く。

夏、命綱である高原野菜の収穫期ともなれば、午前2時ころから畑に出て、
夜の八時、九時まで猛烈な労働をする。

心身ともくたくたになった農家の人が、たまに「先生、点滴打ってくんねぇかな」
と診療所に来る。

生物学的には、5%のブドウ糖溶液、あるいは0.9%の生理食塩水500cc
の点滴は、カロリー計算すれば大したエネルギー補給にならない。

市販のアルカリイオン水を飲めばいいとの見方もある。

山村に赴任したての頃、点滴を打つべきかどうか逡巡していた私に
大先輩の清水茂文医師(前・佐久病院院長)は「村人の気持ちを察しなさい。
点滴は必要なのだよ」と言われた。

点滴を打ってみて、その意味が理解できた。

顔と顔の安心感は、ウラを返せば互いを監視しあい、共同体内の緊張を高める
ことにもなる。

農繁期、疲労を理由に休んでいると「サボり」と後ろ指をさされる。

しかし精根尽き果てたら労働が続けられない。

その一歩手前で村人は診療所に来て、「合法的に」1、2時間、静かに横たわり、
点滴を受ける。

それは、とても貴重な時間なのだ。

成分分析では推し量れない効果をもたらす。

打ち終わると晴れ晴れとした表情で帰っていく、、、。


(『ケア、人間として人間の世話をすること』 by色平哲郎医師 より)

-----------------------------------------------------

私はそれほど猛烈な労働をしているわけでもないし、休んだからとて「サボリ」と後ろ指さされることもないので、倒れる直前まで肉体を酷使するこの村人とは比べるべくもありません。でも、バングラデシュの地で実力もないのに事務所長の看板など背負い、自分よりNGOでのキャリアの長い部下たちに囲まれていると、せめて休みをとらずに働くことで実力不足の埋め合わせをしなければ、と思ってしまい、出張などで休日出勤が続いても代休をとることはしませんでした。それで知らず知らずのうち疲れがたまっていたのかもしれません。

1日かけて打ってもらった3本の点滴、いささかおおげさな感はありましたが、おかげで思う存分休息することができました。ラーマン先生はそこまで考えて点滴を打っていきなさい、と言われたのかどうかわかりません。でも、本当に有難い判断でした。

先生ありがとうございました。点滴、たいそう効きました。またなんとかがんばります。


| | コメント (10) | トラックバック (0)
2007年7月 2日

憎きウイルス

ここのところ、事務所のコンピューターが次々にトロイの木馬ウイルスにやられ、要らないファイルが増産されたり、ドライブが開かなくなったり、散々でした。

ついにあらゆるファイルを緊急移動させ、ウィンドウズを入れなおした結果、ドキュメントファイルは全部無事なものの、ウェブのソフトライブラリーからダウンロードしていたいくつかのソフトウェアが初期化されたり消えてしまい、いろいろとセッティングをやり直さなければならないハメに。

で、午前中いっぱいそれでつぶれました。締め切りすぎの原稿は書けてないし、明日の午後からインド出張だしで、き~時間がないよ~、とあせっていたのですが、そういうときほどこういうことって起こるんですね。

でも、なんとか通常の仕事ができるような状況に復活できてよかった...。
コンピューターウイルスで困るのは世界中いずこも同じ、こういうときにささっとコンピューターをいじって対処できるような人が引っ張りだこなのもいずこも同じです。もちろんバングラデシュでも。

わが事務所で以前からこういう時のヘルプを頼んでいるパソコンのメンテ会社の代表のセリムくんはあちこちで引っ張りだこなものだから、まだ若い青年なのに偉くなってしまって、最近なかなか本人が来てくれません。今回の仕事をやってくれたのは二番手の人。それ以外の人はどうもまだイマイチです。

セリムくん、アナタの会社にもっとデキル人を入れてね、お願い。頼りにしてるんだから。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年6月22日

小さな来客

先週の木曜日のこと。勤務時間中だというのに、事務所のスタッフが順番に出たり入ったりしています。
「どうしたのあなたたち。落ち着かないねえ」と聞いてみると...
「アパ、門の前で男の子が歌ってるの。その歌がすごく上手いんだよ。」とスタッフ。

どれどれ、と私も外に出てみると...

少年たち.jpg事務所の向かい側の建築資材の山の上に、少年が二人腰掛けていました。ひとりはルンギ1枚をたくし上げて短パン状にして着ただけ、もうひとりはシャツとジャージのズボンをはいていますが、このズボンは片足が長ズボン、片足が短パン、という状態になっています。

ルンギの子のほうが朗々と歌を歌っており、近所の人や向かいの建築現場で作業中の人たちやらが耳を傾けていました。

「最初、ドブの掃除をさせてください、と言ってきたんだけど、子どもにそんな危ない仕事をさせるわけにいかない、といったら、じゃあ歌いますといって歌いだしたんだよ。それがあんまり上手いんで感心してしまって、みんなでちょっとずつ小銭をあげたわけ」とスタッフたち。

どこから来た子なのか、なんで歌っているのか、事務所の入り口のところに呼び入れてちょっと聞いてみました。

「どこから来たの?」
「ボラ島」
「そんな遠くから来たの?!」
「うん」

ルンギの子のほうは、ボラ島(バングラデシュ南部のポッダ河の河口にある島)の出身だそう。両親は島にいてここでは叔父さんの家に身を寄せており、いっしょにいる子は従兄弟だということでした。

でも、どうもよく聞いてみると、この子は以前、私たちのパートナー団体のオポロジェヨ・バングラデシュがこの近くでやっているドロップイン・センター(シャプラニールが支援しているプロジェクトとは別のもので、宿泊施設はない)に通っていたらしいのです。子どもの口からはっきり「オポロジェヨ・バングラデシュ」と聞いてびっくりしました。

そこでは勉強もしていたのが、叔父さんに「あそこにいると外国に売られちまうよ」などと脅されて、連れ出されたそう。今は歌を歌ったり掃除をしたりして稼いでは、叔父さんにお金を渡す毎日だというのです。

どうも、この叔父さんという人、歌の上手いこの少年を小遣い稼ぎの道具にしているようです。少年はテレビに出るような歌手になりたいという夢があるそうですが、学校にもいっていないし、毎日歌いすぎて声が枯れ掛けています。

少年たち2.jpg親戚だからといって子どもによくしてくれるとは限りません。子どもを使って稼ぐことしか考えていない人もいます。この子も、ドロップイン・センターに通い続けることができれば、勉強したり他の子どもと遊ぶこともでき、困ったことがあったときには、センターのスタッフに相談することもできたはずなのですが....

ストリートチルドレン支援事業担当のスタッフが、この少年に「もう1回ドロップイン・センターに通ってみたらどうだい?身体も清潔にして、勉強もしないと、将来歌手になれないだろ?」と話すと、神妙な顔で頷きながら聞いていました。

ひとしきり話したあと、少年たちは手を振って去っていきました。この子はしょっちゅうこの辺で歌っているらしいし、スタッフは少年の名前も聞いたので、一度少年がいたドロップイン・センターに連絡してみると話していましたが、子どもがセンターに行きたくとも叔父さんが納得しなければ阻止されてしまうかもしれません。

この子が歌っていた歌の内容は私にはわかりませんでしたが、スタッフの話によると、母親への想いを歌ったものばかりだったそう。
ボラ島にいる少年の母は今どんな気持ちでいるのでしょう。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年6月18日

海外一人暮らしのストレス発散法

バングラデシュは一人暮らしをしていても、あまりさびしい思いはしないですむ国です。リキシャのベル、モスクから聞こえるアザーン、車のクラクションや工事の音など、いつも何か物音がしているし、人々はとてもオープンで、会ったその日に家に誘ってくれたりします。電車に1時間乗っていても誰とも話さないのが普通の日本とは、よくも悪くも別世界。間違い電話まであんたは誰だとしつこく聞いてくるのには閉口しますが...。

しかし、あまりさびしくはならないにしても、ひとりで暮らしながらこの国でこういう仕事をしていると、なんかこう発散しきれないうっぷんやモヤモヤがたまってくる、ということはあります。仕事上のジレンマ、自分の能力の限界、なかなかみつからない解決策、そこに追い討ちをかける暑さと停電、湿度の高い空気...。平日の夕刻自宅でひとり、気分転換もままならない。さて、そんな時は、どうするか。

いろいろ編み出した方法はあるのですが、最近気に入っている発散法のひとつは、エアロバイク(赴任してすぐ3万タカで購入)を部屋で漕ぎながら、日本のCDを1枚分、思い切り大声で歌う、というもの。そうすると約50分、自転車こぎも続けるし歌も歌い続けることになるので、腹筋も鍛えられて効果倍増。この国はあたりかまわず大声で歌っている人なんていくらでもいるので、あまり周囲に恥ずかしく思うこともありません。(さすがに窓は閉めてますが)

これまであれこれ試しましたが、私が持っているCDの中では、自転車こぎをしながら歌うのに一番合っているミュージシャンはスピッツ。作詞・作曲者の草野マサムネ氏自身が自転車が好きなんだと思いますが、歌にも自転車に乗っているシーンが多く、リズムが合ってるんですね。

そういうことで、さー今日もこれからCD1枚分自転車こいで歌うかなーというところ。ストレス発散+体重5キロ減+カラオケの歌がうまくなる、という成果を期待してるんですが、果たして効くか?


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年6月16日

ある金曜日

バングラデシュでは金・土が週末。ダッカにいるときは金曜日は家でたらーっとしていることが多いのですが、昨日はいつになく忙しく、また私にしては気前のよい金曜日でした。そんな1日をご紹介。

<午前中~昼すぎ> 
ダッカ日本人会の総会に出席。これはホテルのホールを借り切って年1回行われるもので、日本人会の理事の選挙もここで行われます。行きのCNG(天然ガスで走るオート三輪タクシー)の運転手が道を間違え、グルシャン界隈をぐるぐる回って約30分遅刻。私は外国人が多い住宅街から離れたところに住んでいるので、日本人の友人・知人とはご無沙汰しがち。ホテルのビュッフェとワインなど楽しみつつ、日本女性どうしのお喋りが楽しかった~。忙しい中、理事を引き受けてくださっている方々に感謝。

タクシーでの帰り道では、路上の子どもがポップコーンを売りに来ました。私は自分ではほとんどポップコーンを食べないのですが、先日花で後悔したこともあり、今日は買うか...と1パック10タカで購入。そのポップコーンは自宅フラットのガードマンたちにあげました。

<夕方その1>
一度自宅に戻ったあと、5時に事務所近くの通称「大家さん」のお宅へ。ここは、過去にシャプラニールの駐在員が何代にもわたって間借りしていたお宅で、この家のご主人は人々に尊敬される有名な歌手でした。病気もされずお元気だったのですが、先月急に眠るように86歳で亡くなりました。

昨日は亡くなってほぼ1ヶ月後の、ミラットとよばれる法事。日本でいえば四十九日のようなものでしょうか。ご自宅の1階に女性たち、2階に男性たちが座り、法事自体は2階の男性の部屋で行われ、イスラム導師の声はスピーカーで1階にも聞こえるようになっていました。

イスラム教の法事は普通こういう風に、男女のスペースが分かれています。法事が始まる冒頭の説教は、「親のある人は親を大切にしなさい、もう親のない人は、なくなった親の魂のために祈りなさい」という主旨のお話でしたが、口調はなんだか講談師みたい。誰にでもわかるようにこういう話し方を工夫するんでしょうね。

長く連れ添ったお連れ合いを亡くされた夫人は、「ほんとうに寂しくて、辛くてねえ...」と話しながらもまめまめしく来客の世話をされていました。

その後パックされたビリヤニが配られたのですが、私はその後直接友人宅へ行く予定で、そこでご馳走になることがわかっていたので、どうしよう...としばし思案。結局事務所へ歩いていき、ひとりで警備をしているガードマンにあげました。彼はもちろん大喜び。

事務所前にいた“知り合い”の犬2匹も、私が「気前イイ・モード」になっていることを感知したらしく、尻尾をふりながらついてきました。6タカでパンを買い、犬にも喜捨。

<夕方その2>
ミラット終了後、またCNGに乗ってミルプールの友人、ディプとジュムルの家へ。ディプのお母さんと一番上のお姉さんがボリシャルからいらしたということで、またまた招んでもらいました。私のお土産は道路際で買ったマンゴー2kg、120タカ。

サンタルのお手伝いの少女、シルピーは前に会った時より、元気になったみたいで、昨日買ってもらったばかりという赤いワンピースを着ていました。ディプに今回さらに詳しく聞いた話では、シルピーはここに引き取られる直前は一時母方のおばあさんの家にいたそう。そこも日に1度食べられるかどうか、という非常な貧しさで、ディプがシルピーに「おばあちゃんちでは何を食べてたの?」と聞いたところ、「ご飯がないから食べ物を盗んで食べてた」と言ったそう。その時に比べれば今はお手伝いの仕事はあるものの、服も買ってもらえ、お腹いっぱい食べられて安心でしょう。

この家ではいつも何種類ものベンガル料理をジュムルがつくってくれ、もっと食べろ、食べろ、と限界まで勧められます。昨日も海老、鶏、山羊、ダール、ビリヤニ、果物など盛りだくさんで、断わって断わってそれでもどう考えても食べ過ぎ。

いざ帰る段になってディプと大通りでタクシーを探していたら、急にお腹が痛くなり、通りに近いディプのおばさんの家に駆け込んでトイレを借りるはめに...。しかもその家の居間では、ディプも昼間参加したという彼の従兄弟の婚礼内輪パーティが継続中で、みんながギターを弾いて歌ったりして賑やか。そんな中、すみませーーんと入っていって案内されたトイレは新郎新婦のベッドルーム付属のもの。こんな部屋に入っていいのか?と思いましたが、急を要するので、ジャスミンやバラの花びらで飾られた新婚のベッドの横をすり抜け、お手洗いを借りました。助かった...。嫌な顔ひとつせず、親切だったご一家、ありがとう。

ディプにタクシーで自宅まで送ってもらい、強力ワカモト9錠を飲んで私の金曜日は終わりました。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年6月15日

タイガーバームは、エライ。

相変わらず、ひどい虫刺されと格闘している私。左肘の内側の腫れが治ったと思ったら、今度は右腕の内側を事務所でまた謎の虫に刺され、肘の内側から手首の近くまで、手のひらより大きいぐらいの範囲がぱんぱんに赤く腫れあがってしまいました。

サブロンクリーム.jpgあんまりひどいので、スタッフに見せて「これどうしたらいいと思う?」と聞くと、「うわっ、なにそれ、アパ?!虫の毒が回ってるんじゃない?それはもうサブロン・クリームを塗らなきゃだめだよ」ですと。
「サブロン・クリーム?」
「殺菌クリームだよ。傷とか火傷とかひどい虫刺されにはサブロン・クリームだよ」
「そうだそうだ、サブロン・クリームだよ」

どうやら、日本のメンソレータムやオロナインに匹敵する、バングラデシュの家庭の常備薬のようです。

薬屋で早速「サブロン・クリーム・小」なるものを22タカ(1タカ=約1.7円)で買い、塗ってみたのですが、いまいち効いてるんだかなんだかわからない感じ。腫れて熱をもった腕は真っ赤なままです。うーん、これは病院に行かないとダメかなあ...。

タイガーバーム.jpgそこでふと、前回も腫れたけど、ここまでひどくなる前に治ったよな...あれはなんで治ったんだろ?と考えてみたら、あ!とタイガーバームを塗っていたことに気がつきました。そういえば、今回、キンカン、ムヒ、ウナコーワ、サブロン・クリームは全滅だったけど、タイガーバームはまだ試してなかった。

そして塗ってみたら、なんか熱っぽかった腕がスースーして、効いてる感じ...。そのまま寝たら、朝はだいぶ腫れが引き、熱もおさまっていました。

たいしたもんだ、タイガーバーム。バンコクの空港で、タイガーバーム(白)をまとめ買いしておいてよかったわー。これからは虫に刺されたら迷わず、タイガーバームだ!


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年6月10日

10タカの花

今日(土曜日)昼頃、近所のスーパーから家まで戻るのにリキシャに乗りました。このスーパーは私の家からとても近く、間にある本屋の裏口から表へ突っ切っていくと5分もかかりません。帰りは荷物があるのでスーパーの前からリキシャに乗ってぐるっと回って帰ることが多いのですが、近いのでまあ5タカも出せば上等、というのが相場でしょう。

降りて6タカ払おうとすると、リキシャワラはあと2タカくれ、と粘ります。
「こんなに近いのにそんなに出せないよ。6タカでも多いぐらいでしょ」
「マダム、もう3時だけどわたしゃ昼飯も食べてないんですよ」
「そう。でも無いよ、あと2タカは。」
「10タカあるでしょう、2タカおつりがありますよ」
「出さないったら!」

よくあるやりとりです。ここで「私が外人だからふっかけてるんでしょうが!」と怒ってみせたりすることも。

「わかったよ。いいよ6タカで。でも貧乏人に2タカ出したからってあんた何が困るんだい?」

ほんとです。2タカは日本円にすれば4円足らず。それを出そうが出すまいが、私が困ることはいっこうにないのです。なのになぜムキになってしまうのでしょう。

夕方、食事に誘われて、CNG(天然ガスで走るオート三輪タクシー)に乗り、店のあるグルシャン方面へ向かっていました。国会議事堂の横を旧空港へ向かう道の信号待ちのところで、花を売っている子どもたちがいました。そのうちのひとりは前にも2~3度ここで見かけ、ちょっと話したこともある男の子。年は10歳ぐらいでしょうか。ひょうきんで、愛嬌があって、とても可愛い男の子です。小学校のクラスに一人はいた人気者の子、という感じの子です。

私が、「あ、あの子がいるな」と思ったら、その子も私に気づいたようで、花をもって私のCNGにすっとんできました。「アパ、お花買って。ほら、いい香りでしょ?10タカだよ。ねえ。」と愛嬌たっぷりにせまります。座席の横に無理やり花をおいて、CNGの反対側に回って「ね?」と手を出したりします。子どもがさしだした花束は白いフリージアのような、香りの強い花でしたが、少し開きかけていました。

いつもなら、買わないにしても「小銭がないんだよ、ごめんね」とひとこと言うとか、子どもを拒絶しないような断り方をして、子どもも「バイバーイ」と見送ってくれる(買わなくても)ことが多いのですが、今日はなんだか私の心はかたくなで、「ダメダメ、いらない」と花をつきかえしてしまいました。

信号が青にかわり、CNGが動き始め、私につきかえされた花を受け取った子どもの顔がゆがみました。落胆と疲れ、拒絶された悲しみ。この子のこんな顔は見たことがありませんでした。

走るCNGの中、目的地に着くまで、ずっと後悔していました。たかが10タカの花、気持ちよく買ってやればよかったのに。あの子は花が売れるまできっと帰れない。たぶん近くのスラムに家があって、親がこの子の稼ぎをあてにして待っているのでしょう。

一方でストリートチルドレン支援活動をしながら、路上で懸命に花を売る子を突き放す。貧しい人の収入向上と言いながらリキシャ代の2タカに怒る。私はここで何をやっているんだろう?

CNGがグルシャンの大通りに入ると、両手が肘から切断された男性がCNGに寄ってきました。私がどうしようか一瞬迷った間に、CNGのドライバーが静かに彼にコインを渡し、この男性は次の車へと歩いていきました。
 


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年6月 9日

窓辺の泣き声

バングラデシュは本格的なモンスーンの時期に入ったようで、毎日のように雷雨があります。一時40度近かった最高気温は32度ぐらいに下がりましたが、湿度は約90%。なんだか毛穴をサランラップで覆われたような息苦しさを感じます。土曜日の今日も朝からどんよりとした曇り空。なんだか憂鬱になってくるような天気です。

朝昼兼用の遅い食事をとった後、台所で食器を洗っていたら、うちと向かい合わせになっている隣の台所の窓からすすり泣く声がします。以前、隣のお手伝いの少女、ナシマがよく顔を出していた窓です。

驚いて見ると、ナシマが村に返された後に来たお手伝いの少女が窓辺で泣いているのです。彼女の名前はアスマ。ナシマよりはだいぶ年上で、16~17歳ぐらいでしょうか。来てすぐの頃はとてもおとなしく内気な感じで、見かけても話をすることもなかったのですが、ちょっと前に私が屋上で風に当たっていたら、「こんにちは」と話しかけてきて、あれ、ずいぶん感じが変わって明るくなったな、と思っていたところでした。

彼女の雇い主である隣人のナディムからは、彼女は故郷のノアカリに赤ちゃんがいて、時々その子のことを思い出しているのか、ぼーっとしているときがあるんだ、という話を聞いたことがありました。ということは彼女は結婚しているのでしょうが、夫はどこにいるんでしょう。泣いているのは、その赤ちゃんに何かあったんだろうか。それとも何か失敗して叱られたのか。

窓から「どうしたの?」と声をかけたら、泣き腫らした顔を上げて、「姉が死んだの」と言います。
「病気だったの?」「そう」
彼女は女4人男2人の6人きょうだいで、2人いた姉のひとりが亡くなったという知らせが、今日届いたようなのです。
「故郷には帰るの?」「うん」
答えながらも泣き続けています。それ以上話しかけるのもかわいそうなので、そっとしておくことにしました。

彼女がダッカへ働きにきているところをみると実家は貧しい家なのでしょう。亡くなったお姉さんは結婚していたのか、実家にいたのかわかりませんが、いずれにしてもまだとても若かったはずです。お姉さんの治療費の負担もきっと積もっていることでしょう。

アスマは隣のお手伝いさん用の小部屋に籠もってまだ泣き続けています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年6月 5日

「養子」と「使用人」の間

ディープ1歳.jpg以前、このブログで、私のバングラデシュ人の友人夫婦が、少数民族の血を引く男の赤ちゃんを孤児院から引き取り、養子にしたことを書きました。この子が1才の誕生日を迎え、お祝いをするというので、先週末彼らの家に行ってきたら、ディープ(前にはディップと書きましたがディープのほうが音に近いよう)という名のこの子はもう部屋から部屋へ歩き回るようになっており、育ての母のジュムルもすっかりお母さんらしくなっていました。お祝いにあげた日本土産の甚平を着たディープは見た目まるで日本の子どもみたい。車と犬が大好きで、外に出たがって仕方ないんだそう。幼稚園から英語で教える有名な学校でよい教育を受けさせるつもりなんだ、と父親のディプが言っていました。

シルピーとディープ.JPGさて、今回訪問して知ったのですが、この家のメンバーにはもうひとり10歳ぐらいの女の子が増えていました。シルピーというひょろっと手足の長い恥ずかしがり屋の少女で、この子もディープとは違う少数民族のサンタルの子だそうです。シルピーの実母は独身寮のようなところで賄いの仕事をしていたそうですが、非常に貧しい上、夜はシルピーをほったらかしていろいろな男の人と遊びに行ってしまい、日本で言うところのネグレクトのような状態にあったようです。シルピーの父親も誰だかわからない、という話でした。シルピー本人も学校に行く気がなく、毎日ただただテレビを見ていたのだと。

共働きのディプとジュムルは、養子のディープの世話や家事のためにおとなの通いのお手伝いさんを一人雇っていますが、もうひとり手伝いが必要だと思っていたところへそういう状況にあるシルピーをみつけ、子守り兼家事手伝いとして引き取ったのだそうです。シルピーは彼ら夫婦をお父さん、お母さん、と呼んでいるそう。私が行ったときも、台所で料理するジュムルを忙しく手伝っていました。

この日はシルピーについてこれ以上詳しいことは聞けなかったのですが、なんだか複雑な思いがしました。ディープもシルピーもこの家にいて、ディプとジュムルをお父さん、お母さんと呼んで育っていく。ディープはこの家の子どもとして高い教育も受け、両親の愛情をいっぱいに受けて育っていくでしょう。ディプとジュムルのことだから、シルピーの将来のことも色々考えて接していくことと思いますが、それでもシルピーはあくまで「お手伝い」であって、書類上も正式にこの家の養子となっているディープとはやっぱり違うのです。シルピーはほとんど学校にも行かずにおとなになるのでしょう。彼女はそのことをどう受け止めながら育つのでしょう?もう既にディープと自分のこの家での立場の違いを理解しているのでしょうか。

シルピーは養子でもなく、完全に「仕事」として雇われているわけでもなく、半分この家の子ども、半分お手伝いさん、といった感じです。このあたりの感覚がなかなか私には理解できないのです。家において食べさせ、育てていることも確かなのですが、自分の子どものようには教育は受けさせないし、いろいろ家事をさせるわけです。この扱いの違いの加減も家によって様々で、限りなく自分の子どもに近い扱いをしている場合も(稀ですが)あるし、人間と思っていないような酷い扱いで、奴隷制度そのものだと思うような場合もあります。年端もいかない子どもがひとりで他人の家で暮らすのは、普通に考えればとても辛いことのはずですが、実の親が暴力を振るったり、まともに食べさせられない場合もあるので、一概に親の家がいいとばかりも言えません。

シャプラニールでは昨年度から「家事使用人として働く少女たちの支援事業」を実施しており、シルピーのような子たちに勉強や家事・手芸などの技術研修、レクリエーションの機会を提供しつつ、親や雇い主への働きかけを行っています。この事業を行いながら、家庭で使用人として働く子どもたちにも様々なケースがあることがわかってきました。住み込みの場合は親戚の家にいる場合もあり、その子の家の中での立場や状況をどう考えたらいいのか難しい時があります。使用人と家族・親族の間の線引きがかなりグレーな場合があるということです。親戚であっても富裕の違いが大きければ、貧しい方が豊かな方の言いなりになる、ということもあるでしょうし...。

いずれにしても日本の感覚だけで判断するのは困難だし、それを押し付けたら間違うだろうと思います。この国の習慣や現状を踏まえた上で、すべての子どもたちの権利が守られる社会に近づけていくには、ここの人たちの考え方を理解し、長期的な展望をもち、この国の心ある人たちに主導してもらって、根気よく働きかけを続けていく必要があるでしょう。

次にこの友人宅を訪ねるときは、ディープだけでなくシルピーにも必ずお土産を持っていこう、と思っています。


| | コメント (7) | トラックバック (0)
2007年6月 1日

姿を見せない虫

暑さがピークに達する中、人間はバテバテですが、虫たちは元気なようです。蟻も多いので、果物をむいたあとの皮など、即座に蓋つきのバケツに入れるようにしています。去年だったか、冷凍したひき肉を解凍していたのをうっかり忘れていて、ちょっと温まっちゃったかなあ、と台所を覗いたら、蟻だらけになっていて驚愕したことがあります。肉に蟻がたかるなんて日本じゃあまり考えられないですよね。

ここ数日、寝ている間に謎の虫にさされることが相次いでいます。蚊ではないのは確かで、寝ている間に痒くて目が覚める、ということもないのですが、起きるとなにやら刺された跡があり、ちょっと痒いのでキンカンなどつけると、だんだん腫れてくるのです。終いには直径5~6センチぐらいに赤く腫れあがってしまい、熱をもってコブのように固くなるので、この虫の毒が蚊などより強いらしい、ということがわかります。

昨日は首筋をやられ、今日はひじの内側が腫れ、という具合で、保冷材で冷やしたりしてるんですが、これほどの腫れをもたらした虫の姿が全然見えないのです。ベッドに潜むダニなのか?南京虫?いずれにしてもごく小さくて強力なヤツだと思うんですが...

なんなんでしょう、この虫?ごぞんじの方は教えてください。


| | コメント (6) | トラックバック (0)
2007年5月19日

一日間違えた…

ネパール出張から戻り、またバングラデシュでがんばるぞ!と気合をいれ、今朝、事務所に来てみたら、出席簿が置いてある台の上に、キタナイ雑巾が置きっぱなしになっています。「なにこれ、ちょっとたるんでるんとちゃう」と鼻息も荒く、お掃除担当スタッフを呼んでみると「ああ、そこ仕事中だったから...」と呑気な返事。事務室に入ると誰もおらず、みんなのパソコンにはホコリ除けの布カバーがかかったまま。あれ?なにこれ?どうしたんだみんな!と思っていたら、お掃除&お料理担当のおばちゃんスタッフ二人が、「アパ、今日仕事するの?土曜日だよ」だって。

ガーン、私ったら1日間違えた。ダッカ事務所は金・土が休みで、土曜日はお掃除などを担当するサービス・スタッフのみが出勤し、平日できない掃除などをすることになっています。私は今日が日曜日だと思ってしっかり出勤してきてしまったのでした。そんなに仕事がしたいのかって?違うよ~。

土曜出勤はしょっちゅうだけど、来る必要のない日に間違えて来ちゃったのはこれが初めて。お掃除担当のスタッフに「私も金曜日の朝来ようとして身支度してて、娘に『おかあさん、今日は金曜日よー』なんていわれたことありますよ」などと慰められ、まーまーとりあえず、とお茶を出してもらい、なんだか損した気分。家でゆっくりできたのにー。

来てそのまま帰るのもなんだかシャクなので、メールをチェックし、いくつか仕事を片付け、今このブログを書いている次第です。なんかやっぱりダッカに帰ってくると、アドレナリンが出ちゃうのね。とほほ。

まあ、しかしおかげで朝だらだらしなかった分、今日は一日が長いぞ。果物屋に行って出始めのライチでも買って来るとしますか。

ということでこれから家に帰ります。ああ、アホやなあ。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヒマラヤの向こう

13日から17日まで、カトマンズに出張に行っていました。東京からの出張者3名と、ネパール+バングラデシュの駐在員3名が、朝から夕方までああだこうだと議論しながらこれからの海外活動のポリシーについて話し合う、という会議。カトマンズ事務所のお座敷タイプの会議室(ネパールは座るスタイルの会議室が多いそう)で、ネパール模様の座布団にあぐらをかきつつ話し合うこと3日。脳みそが疲れました...。

シャプラニールに入ってすぐダッカに赴任した私にとって、初めてのネパール出張。ホテルから事務所の行き帰りと、食事に出る時ぐらいしか街を見る時間はなかったけれど、藤崎カトマンズ事務所長のブログにも紹介されていた美しい紫色のジャガランダの花を愛で、暑いダッカとは大違いの爽やかな涼しい風に吹かれ、日本食レストランで鱒寿司や手打ち蕎麦(どちらもダッカにはない)を食べ、冷えたビール(ダッカでは持ち込まない限りレストランにはない)を飲み、同僚たちとお喋りして、いい気分転換になりました。

今回泊まっていたのは、旅行者の多いタメル地区にあるチベット人経営のゲストハウス。さすが観光地だけあって、カトマンズのホテルは安くて部屋もいいんですよね。15ドルもあれば、お湯もちゃんと出る十分立派な部屋に泊まれます。同じぐらいの部屋に泊まろうと思ったら、ダッカで25ドル、コルカタで40ドルぐらいするんじゃないかなあ。

このゲストハウスのロビーは、天井や壁の模様もチベット風なんですが、ここの壁にかかっていた大きな絵に、私は思わず吸い寄せられました。それはカトマンズの遥か上空から鳥が見下ろした光景を描いたような絵。真ん中より少し上を左から右へ横切るようにヒマラヤの白い峰が連なっており、その下(手前)にカトマンズをはじめとしたネパールの景色が描かれています。絵の上のほう、つまりヒマラヤの向こう側にはチベット高原が広がり、その中央に燦然とラサのポタラ宮殿がそびえているのでした。

カトマンズで暮らしていると見えないけれど、ヒマラヤの向こうに美しい故郷がある―。戻りたくても戻れないチベットへの望郷の念を塗りこめたような絵で、見ていると切なくなってしまいました。

インドに住んでいた頃、デリーで開催されたチベット映画祭で見た、チベットからネパールへ決死の覚悟で亡命した人たちのドキュメンタリーを思い出しました。ヒマラヤの峠越えの道を、信じられないような軽装、破れた靴で歩いて亡命する人たち。途中で行き倒れた人、凍傷で手足の一部を失った人。そうして山越えをしてきた多くのチベット人たちが、今、カトマンズでは逞しく生きていました。

雨期のため、カトマンズの上空は雲が多く、見たくてたまらなかったヒマラヤの峰は、今回の出張中まったく見えず。飛行機からですら、雲に阻まれて遠くにちらっと見えたか見えないか、という程度。窓に張り付いてひと目ヒマラヤを見ようと首をねじる私をあざ笑うように、飛行機はするすると南へ下り、あっという間に広大なベンガル平野に降下し始め、ダッカに着いてしまったのでした。

山好きの私としてはとても心残り。ヒマラヤがきれいに見える乾期の頃に、今度は休暇で絶対行くぞ!できればカトマンズからラサへ陸路で往復してみたいけど、そんな長い休暇はムリよね。

東京からの出張者3人は明日カトマンズからダッカへ移動してきて、あさってから2日間はバングラデシュでの今後の活動方針について話し合う会議。ヒマラヤのことは忘れ、バングラの現実に戻って明日からまた頑張らねば。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年5月11日

半身でリキシャをこぐ人

私はオフィスへの通勤に毎日リキシャに乗っています。リキシャをこぐ人の贅肉のまったくない背中を見ながら、ほんとうにこの仕事は重労働だな...といつも思います。リキシャワラ(リキシャの運転手)の標準的服装は、半袖シャツにルンギ(腰巻)、サンダル履き、頭か首、手首などにベンガル風のカラフルな手ぬぐい=ガムチャを巻く、といういでたち。暑いこの季節、彼らのシャツの背中は汗でべったり貼りついています。雨の日もビニール袋を頭にかぶるだけでずぶ濡れになってリキシャをこいでいます。命を縮めるような過酷な仕事ですが、この仕事があるおかげでなんとか食べていける、という人がバングラデシュには万単位でいます。

今日の夕方乗ったリキシャの運転手は、足に片方しかサンダルを履いていなくて、乗るとき一瞬、あれ?と思ったのですが、彼が私を乗せてリキシャをこぎ出してからその理由がわかり、仰天しました。彼は右半身ほとんど不随だったのです。右手はハンドルをつかむこともできないし、サンダルを履いていない右足も、ペダルに乗せているだけ。彼は必死でバランスを取りながら、左手と左足だけでリキシャをこいでいるのです。

私の家の周辺は道路のメンテナンスが悪くて、空のリキシャをこぐのでも苦労するようなひどいガタガタ道です。そこを彼は片手、片足で、「アッラー、アッラー」と言いながら重いリキシャをこぐのです。あまりにも大変な有様でした。これまで2年間、村から出てきたばかりのような若い人、相当な高齢の人など、毎日いろんなリキシャワラがこぐリキシャに乗ってきましたが、これほどの障がいを持ちながら、リキシャをこぎ続けている人に会ったのは初めてでした。

家に着いてリキシャを降りると、彼は自分から何か一生懸命に話し始めました。かなりなまりが強くて聞き取りにくかったのですが、聞いてみると、「苦労しながらも月々貯金してがんばってきたのに、1年ぐらい前から半身不随になってしまい(高いところから落ちたのが原因らしい)、本当に苦労の人生だ」という話をしているのでした。しかし、同情を買おうとしているとか、だからお金をくれ、というのでもなく、ただ自分がどんなに苦労してがんばっているか聞いてほしい、という感じで話すのです。

いつも10タカのところ、20タカあげました。「私のために祈ってくれ」と彼が言うので、「祈ります」と言ったら、彼はかすかに笑ってまた片足でリキシャをこいでいきました。


| | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年3月18日

クリケット・フィーバー

おとといコルカタからダッカに帰ってきました。ちょうどコルカタを出る日に西ベンガル州全土のストが行われることになって飛行機がやたら早い時間に変更になったり、と、いろいろあったんですが、それはあらためて書くとして。

13日から西インド諸島(ジャマイカとか、あのへんですね)で、クリケットのワールドカップが開催されています。バングラデシュ一般市民の関心は政治からどどっとクリケットに移ってしまったかのようで、このために電気屋ではテレビの売れ行きが上がり、ダッカ事務所のスタッフも皆夜中までテレビ中継に張り付いている模様。

昨夜は皆が手に汗にぎったバングラデシュ-インド戦。最近ダッカはだいぶ暑くなってきたので、部屋の窓を開けてカーテンだけ閉めて寝てるんですが、もう夜中の2時近くまでワーとかキャーとか叫ぶ声やら拍手やらがあちこちから聞こえてきて眠れない!みんなこの試合を観戦してたんですね。(私はずっと見てられなくてさっさと就寝。だってクリケットの試合って長いんですもん)

インドはサチン・テンドルカル、ソウラブ・ガングリーなど、世界的に有名なスター選手を抱えるチーム。実力からいけばインドの楽勝、かと思いきや、なんと昨日はバングラデシュが勝利!!それでダッカの人々はみんな夜中まで大コーフンしてたわけです。今回はとくに10代後半や20代前半の若い選手が大活躍した模様。選手たちの体格もよくなってきましたしね。

昨日は金曜日に交通事故で亡くなったチームメイト、モンズルル・イスラム選手にこの一勝を捧げる!という強い意志がバングラデシュチームにはあったようで、喪章をつけてプレイした選手もいたようです。

クリケットのワールドカップ、バングラデシュといえば思い出すのは、1999年、英国で行われた大会。このときバングラデシュチームは初めてパキスタンチームを破ったのでした。大柄なパキスタン選手たちよりひとまわり小柄なバングラデシュ選手たちが、感涙にむせんでいたのを思い出します。

その当時、私はインドのニューデリーにいたのですが、当時ミニコミ誌「恋するアジア」にワールドカップについて書いた記事がウェブにアップされていました。8年前のことで、自分が後にダッカ駐在になるとは思いもしていなかった頃。バングラデシュがバングラディシュになっていたりしてなんともお恥ずかしいのですが、ご笑覧ください。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2007年3月13日

タクシードライバーがくれた聖書

ダッカからコルカタに来て、あーインドに来たな、と感じるもののひとつは、街にあふれる黄色いタクシー。とってもクラシックな形のインドの国産車、アンバサダーのタクシーです。

きのう、そんなタクシーに乗って、街の中心部から宿に戻ってきたときのこと。運賃を払って降りようとしたら、ごつい感じの運転手のおじさんが言うのです。

「あんた英語読めるんだよね」
「は?ええ、まあ。」
「これ、あげるから読みなさい」

そう言って私にくれたのは、ポケット版の小さな新約聖書。
「ありがとう...」と言って受け取ると、タクシーはさっさと行ってしまいましたが、
あのおじさんはああやってしょっちゅうお客に聖書を配ってるんだろうか?

私はとくに信仰をもたない不信心者ですが、コルカタのタクシー・ドライバーにもらった聖書、なんだか貴重なものに思えて、時々読もうかな、という気になりました。


| | コメント (3) | トラックバック (0)
2007年3月12日

コルカタにて

昨夜から出張でインド西ベンガル州のコルカタに来ています。今回のメンバーは、東京事務所から出張している中森職員、ダッカ事務所スタッフのサイフル、私の3人。一緒に食事に行ったときなど横で見ていて面白いのはサイフルとコルカタの人々の会話です。コルカタの人たちがバングラデシュをどんな風に見ているのかが垣間見えて興味深いのです。
今日も、泊まっているゲストハウスの近くに最近開いたばかりという小さなレストランに夕食を食べにいったのですが、そのときの会話の一部を再現すると...

店員:そう、バングラデシュから来たのー。最近どうなのバングラデシュは。爆弾犯人がいっぱいいるんでしょ。
サイフル:そんなことないよ。去年はちょっと騒ぎはあったけど、今は全然普通だよ。
店員:そうかい。なんだか危ないのかと思ってたよ。

解説:コルカタの人にはどうも「バングラデシュ→イスラム原理主義が台頭→爆弾」というイメージが強いようで、こういう会話が交わされることがよくあります。コルカタのテレビや新聞の報道の影響でしょうか?

店員:出身はボリシャル?
サイフル:いや、違うよ。同僚にボリシャル出身はいるけどね。
店員:そう。実は私の親戚がボリシャルにいるんだよ。

解説:コルカタにはバングラデシュに親戚がいる、という人がとても多いのです。1971年のバングラデシュ独立のときにインドに移ってきたヒンドゥーの人とか、その逆の人もたくさんいますし、1947年のインド・パキスタン独立のときに移ってきて、親戚の一部が国境の向こう側に残った、という人もいます。もちろん出稼ぎに来ているバングラデシュ人もかなりいます。

店員:ダッカとコルカタの間に汽車が走ると便利になるねえ。
サイフル:そうだねえ。まあ、バスとどっちが早いかだけどねえ。
ふじおか:本当にあとたった1ヶ月で汽車が走れるの?
サイフル+店員:そうさ、だって線路はもうあるんだから。
サイフル:英領インド時代はダッカとコルカタの間は汽車が走ってたんだからね。ぼくの母だってダッカから汽車で来て、コルカタのカレッジで勉強してたんだから。今もそれぞれの国じゃ国内の線路は使ってるんだし、クリアしなきゃいけないのは国境の手続きと人のメンタル・バリアだけの話だよ。

解説:ダッカ-コルカタ間は現在長距離バスは走っていますが、汽車の行き来はありません。先日、インドの外相がバングラデシュを訪問し、選挙管理内閣のフォクルウッディン主席顧問と会談した際、コルカタ-ダッカ間に再び汽車を走らせることが決まりました。4月中旬に開通の予定です。楽しみですね。

サイフル:ここではバングラデシュのテレビは全然見られないんだよね。
店員:そうなんだよねえ。昔は見れたんだよ。バングラデシュのETVとか気に入ってたんだけどねえ。ぜんぶ禁止になっちゃったんだよね。
ふじおか:パキスタンのTVは見られるんですか?
店員:前は見れたけどそれも同時に禁止になったんだよ。まあ、パキスタンのテレビはインドのに比べるとだいぶ遅れてるからな。べつに見なくてもいいけどね。

解説:バングラデシュではインドのテレビは映画、音楽、ニュース何でも見られますが、インドの西ベンガル州では、バングラデシュのテレビ番組は一切見ることができません。言葉はどちらもベンガル語なので、バングラデシュのテレビが見られると相互理解のためにもよいと思うのですが...。禁止になったのはそう昔のことではなく、比較的最近のようですが、どんな理由でいつ禁止になったのかはよく知りません。

バングラデシュの最近の政情についても、どんな風に報道されているのか知りたいところですが、それは明日以降誰かに聞いてみましょう。


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2007年3月10日

手料理のパワー

先日このブログにも書いたとおり、最近なんだか疲れがたまってぐたっとしていたのですが、その後立て続けに3件のダッカ在住日本人の方が(べつに私のグチっぽいブログを見たから、というわけではなく)ご自宅に誘って手作りの日本食を振る舞ってくださり、日本語でいろいろ話が弾んだこともあって、だいぶ元気を取り戻しました。お心遣い本当にありがたかったです。おいしい手料理のパワーとか、楽しみながら人と食事することで得られるエネルギーって確実にありますね。ひとりじゃ食事も味気ないですし。

かつて私は「駐在員の妻」として海外にいた時期もあり、その当時は日本語教師などのボランティア的な仕事も多少やりつつ本業は主婦、という感じで、友人や夫の同僚、仕事関係のお客さんに手料理を振る舞うこともよくやっていました。15人分ぐらいの料理の献立を考えて、用意して人を招いたり、エビのすり身だんごや厚揚げやこんにゃくまで自分でつくるところから始めて鍋一杯のおでんを作ったりもしていたのに、今はなんでこうも料理しない人になっちゃったんだろ、と自分で思います。スパゲッティにレトルトソースかけて終わり、みたいな夕食ばっかりで、人に料理を食べさせてた私とは別人みたい。夫は日本でちゃんと料理しているらしいのに。

考えてみたらダッカに来てから自宅にお客さんを招いて夕食を振る舞う、ということをほとんどしていません。ご馳走になるばっかり。

顔ぶれを考えながらお客さんを招待して、喜んでもらえそうな料理を考えて、心を込めて料理して、振る舞う。そういう温かい気持ちとか心の余裕を失くしているとしたらナサケナイ。でもやっぱり余裕がなかったのね。

明日からインド出張で1週間留守にしますが、帰ってきてちょっと落ち着いたら、新しいテーブルクロスとお花でも買って誰かを夕食に招いてみようかな。そんなことを考えるということは、だいぶ元気が出てきたってことでしょうね。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年2月17日

今年も春祭りはすごかった

今日(もう日付がかわって昨日、ですね)はダッカ日本人会の「春祭り」でした。
毎年この時期に日本人学校の校庭で行われるのですが、おそばやおでん、焼きソバなどの屋台あり、劇や踊り、のど自慢などの出し物あり、と夕方4時から夜9時ごろまで盛り上がる、ダッカ日本人会最大のお祭りです。

昨年はじめて参加したときには、そのあまりの気合の入り方に「ここまでやるの?!」と度肝を抜かれました。だって特設ステージはあるし、出し物もどれも練習を重ねたもので、衣装とか、カツラとかも本格的で、すごいんですもん、ほんとに。今年も日本人学校の子どもたちの踊りからスタートし、バンド演奏、インド舞踊、お琴、シャル・ウィ・ダンス&マツケンサンバ、水戸黄門の劇、アキバ系オタク&メイドに扮したダンサーズ...と盛りだくさんでした。

シャプラニールの私たちはM社さん、T社さんと一緒にアンパンマンのバナーが目印のワタアメ屋をやったのと、他の皆さんの出し物の端っこにちょこっと友情出演させていただいた程度ですが、最後はキャンプ・ファイヤーにフォークダンスで締めくくり、楽しい夜でした。

ダッカの日本人会の会員数は確か200人ちょっと。これぐらいの人数だと、だいたい皆さん顔見知り。そのこじんまりさ加減でここまで盛り上がるんでしょうね。実行委員の皆さん、ほんとにお疲れさまでした。

あ、そうそう、福引で小嶋駐在員はダッカ市内の韓国料理レストランのお食事券4人分が当たり、私はなぜか「赤富士」の掛け軸が当たりました。どうしましょうね、ダッカで掛け軸...。赤富士はお部屋の西側に掛けておくとお金が貯まるんだそうですが。

シャプラニールの活動に益々多くのご支援がいただけるよう、事務所の西側の壁にかけておきますかね。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年1月31日

エクセルの夢

ここ数日ブログの更新が止まってしまったのは、来年度のプロジェクト計画や予算について東京事務所スタッフと話し合う「年度末調整会議」が迫っているからです。

非常事態宣言が出てからの最近の社会の動きや活動のことなど、書きたいことはたくさんあるのですが(寒波救援の報告もまだあります)、事務所で遅くまで書類とにらめっこしていると、さすがに家でパソコンに向かう気力が出ないんです。(これは今事務所で書いています。ちょっと休憩、ってことで)

とくに目がダメですねぇ。早くも老眼が始まったんじゃないかと疑っているんですが(べつに早くもないか)、モニターの画面を見る目がかすんじゃって焦点が合わないんです。もーいやになっちゃいますね。

バングラデシュ5つ、インド1つの計6つのパートナー団体から出された予算書を見ながら、うう、と唸る日々を送っていたら、昨夜ベッドに入って目をつぶってもまぶたの裏にエクセルの罫線が...

今日、ダッカ事務所のスタッフに「夢にまでエクセルが出てきた」と言ったら、「だめだよ、アパ。夢はもっと大きなのを見ないとー」と言われてしまいました。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2007年1月27日

ディプとジュムルの選択

本人のブログでも紹介されていましたが、わが事務所の小嶋駐在員の初めてのお子さんが10日前に生まれ、日本から送られてきたデジカメの写真を皆で見せてもらっては、お父さんとお母さんのどちらに似ているか、ひとしきり話題にしてワイワイしていました。「おでこの髪の毛の生え際の形が小嶋さんと同じだ!」という私の意見に、スタッフたちも、「アパの言うとおりだ!」と同意。生まれたての赤ちゃんというのは、本当にいろんな人に幸せな時間を運んでくれますね。

P1020064.jpg昨夜、私はもう一人、べつの赤ちゃんのお祝いに行ってきました。訪ねた家はミルプールにあるバングラデシュ人の友人、ディプとジュムルの家。彼らは夫婦とも別々のNGOのスタッフとして働いています。ちなみにベンガル人は皆小さい頃から本名以外にニックネームを持っていて、ディプ、ジュムルというのも彼らのニックネームです。
写真=ディプに抱かれたディップ。8ヶ月です。

ディプとジュムルは二人ともクリスチャン。結婚してから長い間子どもを授からなかった二人は、オールド・ダッカにあるマザー・テレサ孤児院から男の赤ちゃんを養子にもらうことを決め、様々な手続きを経て、晴れて一昨日この子を家に引き取ったのです。赤ちゃんにはシスターがつけた名前がありましたが、二人は父となるディプのニックネームに音が似たディップ(灯火)という名をあらためてこの子につけました。

二人はベンガル人ですがディップは少数民族のトリプラの子ども。本当の両親もクリスチャンだったそうですが、貧しさのため、6番目の子どもだったこの子を育てきれずに手放し、孤児院に預けたのだといいます。

ディプとジュムルは最初女の子を養子に、と思っていましたが、ディップと会って一目惚れ。シスターに「男の子を引き取ってくれる人が少ないので、ぜひ男の子を」と頼まれたこともあり、この子を養子にすることを決めたのでした。

昨日、ディプとジュムルは晴れて彼らの子どもとなったディップに教会で洗礼を受けさせ、孤児院のシスターやほかの子どもたちにお別れの挨拶をしに行き、夜は親戚一同が集まってこの子を家族に迎えるお祈りをしました。その夜の集いに私を招いてくれたのです。

P1020067.jpgその夜、集まってきたディプの親戚にはいろいろな人がいました。クルナからやってきたディプの伯父さん、伯母さんはバングラデシュの独立直後から戦争孤児たちのための孤児院を立ち上げ、今もたくさんの孤児院や学校を運営しているNGOの創設者。PKOでイラクに行っており、数日前に帰ってきたばかり、という叔父さんもいたし、その息子は私もCDを持っている人気ロックバンド、BLACKの元キーボーディストだったのにはびっくりしました。(彼らはギターとキーボードを持ってきており、私がリクエストした曲をその場で演奏してくれました)
写真=即席コンサート。黒いTシャツの彼が元BLACKのメンバー。

親戚がひととおり集まった後、イタリア人の神父さんもやってきました。ボリシャルから来た元銀行員のジュムルのお父さんが「一生の中でこんなに特別な、嬉しい日はまたとない。」と挨拶すれば、クルナから来たディプの伯母さんは「自分が生んだ子どもを育てることもどれだけ苦労が多いことか。血のつながらない子どもを育てることを決めたこの夫婦にはこれから様々な苦難があることでしょう。どうか、夫婦と幼子が困難に打ち勝ち、災いから守られますように」と祈り、最後に神父さんのお祈りで終わりました。

P1020068.jpg孤児院の子どもを家族に迎えたことを心から歓び、親族が一同に集まって夫婦と子どもを祝福し、彼らの未来のために真剣に祈る姿にはとても心を動かされました。決してお金持ちではない、中流階級の一家です。クルナの伯父さんはパーキンソン病を患っているし、ディプのお母さんも入院しているしで、いろいろ大変そうなのですが、赤ちゃんは「灯火」という名前のとおり、皆の心を明るくしてくれているようでした。
写真=ディップを抱いているのはジュムルのお兄さん。ジュムルは台所で料理中。

いつもながらジュムルのつくるベンガル料理はおいしく、苦しいほどお腹いっぱい。ディプ、ジュムル、家族の大切な日に招いてくれてありがとう。

ディップが健やかに育ち、あなたたちと家族全員に大きな幸せを運んでくれますように。


| | コメント (3) | トラックバック (0)
2006年12月28日

台湾地震でネットが遅い...

今朝事務所に来てメールをチェックしようと思ったらうまく繋がりません。ウェブサイトもダメ。しばらくして遅いながらも繋がるようになりましたが、これは火曜日の台湾地震で国際海中ケーブルがダメージを受けたのが原因だそうです。自宅の壊れたモデムのアダプターを直したはずなのに、どうしてもインターネットがつながらなかったのも、どうやらこのせいみたい。

ただでさえ遅いダッカのインターネットがますます遅くなると何かと不便。・・・なんて言ってると、バチがあたりますかね。うちの事務所だってほんの数年前までは、東京とFAXでやりとりしてたんですもんね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年12月27日

ダミ声演説のクリスマス・イブ

私はバングラデシュの政治家の演説の声(とくに男性の)が苦手です。
日本じゃああいう演説の仕方をする人はほとんどいなくなりましたが、とにかくこちらの政治家たち、ダミ声にドスを利かせ、閻魔大王が猛ってるみたいに興奮してアジるんです。しかもあまり中身のないアジ演説なのに長くて延々続く。マイクは最大音量だから音は割れるし、TVのニュースでもそういう演説が出てくると私は「勘弁してー」と言って切ってしまいます。大臣級から地方のユニオン・チェアマンレベルまで、どうやら演説とはこういう声を出すもんだと思い込んでいる人が多いらしい。

クリスマス・イブの夜、ひとりパソコンに向かって締め切りを延ばしてもらった原稿を書いていましたが、どうにも煮詰まってしまい、よしパッと寝て明日早起きして書くぞ、と決めてベッドに入ったその時...近くのダンモンディのA党拠点と思われるあたりで、政治集会の大演説が始まりました。

窓のサッシをぴっちり閉めていてもうるさくて眠れないほどのダミ声コーフン演説が延々と続き、もう腹が立って「うるさいっ」「静かにしてくれー」と一人でわめきながらベッドでバタバタしていました。だって夜中の1時半までやってるんですよ?いくら選挙前だからって、いくら闘争中だからって、いい加減にしてほしい。しかもクリスマスイブだってのに。数は少ないけどバングラデシュにはクリスチャンだっているんだぞ。

しばらくもがいてから、あ、そうだ、私はいいものを持ってたじゃないか!とハタと思い出し、ノイズキャンセリング・ヘッドホンをして寝ました。いや~助かった。それにしても、だいぶ離れている我が家でさえこんなにうるさいのに、集会会場の近所の人たちはどうやって耐えてたんだろう。それとも慣れちゃって平気なのかしら。

選挙以外にも、12月から2月ぐらいにかけてインド亜大陸は結婚式の季節で、近所でバンドの生演奏入りパーティなどあった日には、夜中の1時、2時まで大音響でうるさいのなんの。「今何時だとおもってるんだ!」なんて言い回しはベンガル語にはないんだろうな。

去年一時帰国したとき、飛行機でゴーッという音がほんとに消えるのか試してみたくて、夫に「高いのにバカみたい」と言われながらフンパツして買ったヘッドホンでしたが、思いがけず冬のダッカでの安眠確保にも威力を発揮したのでした。

それにしても心の安らぎも色気もなんにもない、クリスマス・イブであったなあ...。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年12月18日

続々・隣のナシマ

屋上のナシマ.jpg 前にもご紹介した隣家のお手伝いの少女、ナシマがいなくなりました。田舎の村に返されたようです。数日前から、台所の窓の向こうにナシマの姿が見えないな、とは思っていたのですが、このところだんだん肌寒くなって窓を開けっぱなしにする気候でもなくなっていたし、私も出張したり風邪を引いて寝込んだりしていたので気がつかなかったのです。

 ついにナシマが田舎に返されたらしい、という情報をもってきたのはうちのお手伝いさんのイラでした。イラによると、数日前、ナシマは「もうこの家にはいられない」と激しく泣いていたとのこと。その後見かけないのでフラットの守衛たちにそれとなく聞いてみたころ、彼らの間では「あの娘は盗みを働いて村に返された」ということになっていたそうです。 (写真=屋上で花とチョコレートを手にポーズをとったナシマ)

  「盗みをしたってのは嘘じゃないかねえ。本当のところ何があったのかわからないけど、そんなことする子には見えなかったよ。まだ遊びたい盛りの年頃なのにかわいそうにねえ」とイラ。日頃、「隣のお転婆娘は、私がアイロンをかけていると、おーい、おーいって窓から呼んで邪魔するから困る」とこぼしていた割には同情的です。

実はちょうど1ヶ月前の金曜日、「村に返されることになったの。もうあんたなんか要らないって。今日の午後帰るの」とナシマが言い出し、それならと私が持っていた日本のチョコレートをひと箱餞別に渡し、屋上で写真を撮ってやった日がありました。ナシマの村や家族の名前を聞き、ノルシンディに行ったら写真を持って訪ねていくから、と約束したのですが、その翌朝また、台所の窓辺に呆然と座っているナシマをみつけました。「村に帰るんじゃなかったの?」と聞くと、「そう言われたからそのつもりですっかり準備していたの。でも、それは怒ったから言っただけだったみたい」と言うのです。

そういうことが2回ほどあり、なんだかんだいってもそう簡単に返されることはないらしいと思っていたら、今度は本当に帰ってしまったようです。飛び跳ねながらこちらに手を振る姿が隣の窓にないのは寂しい気もしますが、籠の鳥のように朝から晩まで台所にいるナシマを見るのは辛かったので、村に帰ったと聞いてちょっとほっとしています。しばらくはまた働きに出されることなく、村にいられればいいのですが...。

屋上で撮った写真はイードの里帰りまでにプリントしてあげる、と約束していたのですが、思いがけず早く去っていったので渡しそびれてしまいました。イラが見たとき、激しく泣いていた、というのが気になります。私という「隣の日本人」と話をしていたことについても、どうやら叱られていたようです。

ナシマの故郷の村は、偶然ですがシャプラニールが長く活動してきたノルシンディ県にあります。ナシマが教えてくれた地名をダッカ事務所のスタッフに聞いてみたら、パートナー団体、PAPRIのアムラボ事務所からそれほど遠くないらしいことがわかりました。今度そのあたりに出張したら、写真を持って探しにいってみようと思います。そしてできれば、PAPRIを通じてナシマの家庭をなんらかの形で支援することができ、ナシマがPAPRIの少女グループのメンバーになって、村で同年代の少女たちと元気に歌ったり劇をしたりする姿を見ることができたら...と思い描いています。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年12月11日

オスロのベンガル舞踊

昨日の夜、自宅に帰ってテレビをつけたら、ちょうどオスロでノーベル平和賞を受賞したユヌス教授の演説が生中継されているところでした。「貧困解決が平和への近道」「ソーシャルビジネスが未来を開く」と訴えたユヌス教授のスピーチは日本の新聞にも載ったかと思うのでここでは紹介しませんが、長い演説を終えてユヌス氏が席に戻った直後、満面の笑みをたたえて登場したベンガル舞踊団を見て、私の胸は期待と不安に震えました。

不安、というのはバングラデシュのテレビではよく、呆れるほど動きが揃っていないベンガル舞踊を見せられているので、ここでもそれをやってくれちゃったりして...という不安。期待のほうは、黒っぽいスーツ姿がめだつ取り澄ました会場の参加者たちを、バングラデシュ・パワーであっといわせてやってよね!という期待。

「アマル・ジョンモ・ブミ(私の生まれ故郷)」の音楽にあわせて始まった踊りは、さすがにある程度上手な人を選んできたみたいで、動きの揃い具合はまずまず。カラフルな衣装の袖からむっちりした二の腕を出して田植えのしぐさで踊るお姉さんたちや、魚とりの竹籠を持ったり、ベンガルの吟遊詩人バウルの姿をした兄さんたちの踊りののどかさ、垢抜けなさが、かえって会場となったオスロのホールとはまったく違う土の匂いのする世界を感じさせていいじゃないか、と思って見ていたら、フィナーレに近づいたらしき踊りの一団が、何やらたたんだ布の端をみんなで持ってぱっと開こうとしている...。

ぎゃあ、バングラデシュの国旗だ。緑地に赤い丸の大きな旗をどばっと広げ、その上に白い鳩の人形をふわふわ飛ばすというあまりに学芸会チックな演出。しかも旗の真ん中には切れ込みが入っていて、そこから睡蓮の造花を持ったお姉さんが上半身を出してくるくる回っている....。

私は呆然としながらも「よっしゃそれでいい!」などと言って手をたたいてしまいました。ユヌス教授、舞踊団を拍手しながら見送る笑顔が少しひきつっていましたね?

ベンガル舞踊チームが去り、授賞式のセレモニーが終わって立ち上がった人たちのざわめきは何を言っているかわからなかったけれど、私があの場にいたら隣の人とまず間違いなく「なんかものすごかったですねえ、あの踊りのフィナーレは...」と言っていただろうと思います。

日本でも中継されましたかね、あの踊り...。


| | コメント (1) | トラックバック (0)
2006年12月10日

人の話を聞かぬ癖

先週3日間、東京から坂口事務局長と白幡前ダッカ事務所長、ネパールから藤﨑カトマンズ事務所長の3人をダッカに迎え、小嶋駐在員ともども、初の「駐在員合同会議」というのをやったんですが、そこでいつの間にか自分に悪いクセがついていることに気がつきました。

それは、人がまだ話している途中なのに、それをさえぎって喋ること。

日ごろ、ダッカ事務所での月次会議でも、複数のベンガル人スタッフが口々に話し始めて収拾がつかなくなり、「とにかく!この件はこれ以上ここで話してもしょうがないから終わり!」と強引に議論を断ち切ることはしばしば、というかほぼ毎回あります。

テレビの討論番組でもパネリストが次々に競って話し始め、誰も譲らずに声を張り上げて他の人を黙らせようとし、誰が何を言っているかわからなくなるのを見て、「なんでこの人たちは人の話を聞いてからしゃべろうとしないのかねえ...」などと独りごちていたのですが、どうやらだんだん自分もそうなってきているみたい。

日本人スタッフばかりの会議の中、人の話の終わりを待たずに話し始めて、「あ、ごめんなさい」ということを何度も繰り返してしまいました。

そういえば、私が赴任したての頃、前駐在員のNさん(といえばわかっちゃうか)が、ケアレスミスの言い訳をやめないあるベンガル人スタッフに、「シュネン!シュネン!(聞きなさい!聞きなさい!)」とたたみかけて言いたいことを言っている(片やベンガル人スタッフは黙らず言い訳を続けているので、ハタから見ると激しく言い争っている状態)のを聞いて、「いやー、ベンガル語であれだけ言い合えるってたいしたもんだなあ」とえらく感心したものです。

人の話をさえぎるクセもベンガル語上達のバロメーターか?
・・・でも日本語の会議でそれやっちゃダメですね。


| | コメント (4) | トラックバック (0)
2006年12月 3日

バケツで水浴び

IMGA0035.jpg午後の陽だまりの中、庭先のバケツで赤ちゃんに行水させる若いお母さん。ちょっと逆光で陰になってしまいましたが、親子の顔かたちがよく似ています。髪の分け目につけた赤い粉はシンドゥールと呼ばれる既婚ヒンドゥー女性の印です。

インド西ベンガル州北24ポルゴナ県の農村にて 11月30日撮影


| | コメント (0) | トラックバック (0)
2006年11月22日

ニセ札にご用心

今日の昼過ぎ、銀行から戻った会計担当のルフルが、「アパ、ちょっと困ったことが...」と私の机にやってきました。「なに、どーしたの?」と聞いてみると、なんと事務所の500タカ札の中に、1枚ニセ札が混じっていたとのこと。

下が偽札.jpgこのニセ札がどこからどうやって入ってきたのかわかりませんが、なんだかちょっとヘンな気がして銀行に持っていってみたら、本当にニセ札だったんだそうです。500タカ札はバングラデシュのお札の中では最高額紙幣なので、お釣りでもらうものではなく、両替でつかまされた可能性大。銀行では当然取り替えてくれず、本当ならそこでシュレッダーにかけるところだったのですが、「上司に証拠を見せて事情を説明しないといけないから」と言って、そのまま持って帰ってきたそうで。(難なく持って帰れちゃうところが銀行も甘いなあと思うけど)

写真=上が本物、下が偽物

その500タカ札は私が持っていた本物の500タカ札と取り替えました。(つまり、ニセ札を500タカで買ったわけですね。)

事務所のスタッフたちも、「ニセ札の話はよく聞くけど、本物見るのは初めてー」と言って触ってみたり透かしてみたり。大きさが微妙に本物より小さく、印刷もよくよく見れば鮮明さに欠け、少しぼんやりしているような気がしますが、何枚かの中に混じっていたらまずわかりません。透かしのベンガル虎もちゃんと入っているし、銀色のテープのような縦のラインも入っているしで、相当精巧なものです。それにバングラデシュのお札って、本物でもデザインが同じで大きさが違うのがあったりするので、ますますもってわかりません。

このニセ札の見分け方、いくつか方法があるらしいのですが、スタッフが教えてくれたひとつは、お札をくるっと丸めて端と端を合わせてみること。両端の花のような模様が、ニセ札だとぴったり合わないことが多いんだそうです。

本物.jpgニセ物.jpg

写真=左が本物、右がニセ物。デザインの微妙な違いは本物にもある違い。

早速やってみたら、ほんとだ!合わないぞ、これ。微妙にずれている...。でもいちいちこんなことやってられないよねえ。それに本物は必ずぴったり合う、と果たして言い切れるものか?

ほかのお札は大丈夫かしら。事務所のお金はルフルがよくよくチェックしたはずだけど、最近某5つ星ホテル内の両替屋でドルから替えた私のお金は大丈夫かしら。心配になって1枚ずつチェックしてみたら、端と端の花の形は合ってたけど、なんだか疑心暗鬼になってきました...。

両替したらお札の枚数を数えるだけじゃなくて、大きさや紙質、印刷具合もよく気をつけて見ないといけないですね。皆さんもバングラデシュにおいでの際は気をつけて。

※この写真を撮った後、ニセ札は間違えて使わないよう、破りました。念のため。


| | コメント (2) | トラックバック (0)
2006年11月 8日

蟻の引越し

今朝、朝食を食べていると、なんだかテーブルの周りに蟻がいます。べつに食べ物を置いたままにしておいたわけでもないのに、なぜ蟻が増えたんだろう?と思いながら出勤しようと玄関からエレベーターホールに出ると、斜め向かいの家から長い蟻の行列が我が家に向かって一直線に進んできているのが見えました。

斜め前の家は昨日かおととい引っ越したばかり。蟻たちもそこにいてももう食糧がないことがわかり、大移動することにしたのでしょう。でも、同じフロアに4世帯入っている中で、なぜ距離的には一番遠い我が家を引越し先に選んだのか?数匹が偵察をした後、うちが一番いいと決めたのか?謎です。蟻の集団の意思決定はどうやってなされるんだろう...。

悪いけど蟻たちの移動は殺虫スプレーで阻止。まるごと移動されちゃたまらんもんね。

それにしてもここは8階なのに。どこをどう通って来るのだ蟻たちよ。阻止したつもりが私の勤務中に引越しを完了されていたりして。

そうして「蟻のいる暮らし」は続く...。


| | コメント (0) | トラックバック (0)
坂口事務局長のブログ
藤崎駐在員のブログ

小嶋駐在員のブログ



ストリートチルドレン支援に
ご協力を【詳細はこちら
ノースウエスト航空エアケアチャリティープログラム
バングラデシュ駐在員のブログ
 
 
©2006 Shapla Neer. All rights reserved 
| 個人情報の取り扱いについて | トップページ | 問い合わせ |