お隣の国の大災害
しばらくご無沙汰しました。5月頭から10日ほど、日本に一時帰国しておりました。ダッカに単身赴任で丸3年、たまに帰らないと家族に忘れられちゃうので。サイクロンがまた来るのではと気を揉みましたが、バングラデシュからは進路が逸れたことを確認してダッカを発ちました。
日本に着いてからも毎日ウェブサイトの災害情報や衛星写真でサイクロンの進路をチェックしていましたが、ナルギスはバングラデシュのお隣のミャンマー(ビルマ)を直撃、大変なことになってしまいました。私はミャンマーには行ったことがないのですが、あそこまで酷い状況になるとは思ってもいなかったので報道に接して愕然としました。ナルギスは昨年バングラデシュを襲ったシドルに比べれば規模は小さいという話だったし、ミャンマーに近づく頃、少し威力が落ちたという報告もあったからです。
しかし結果は大惨事になってしまいました。高潮の被害があそこまで大きかったというのは、上陸時運悪く満潮にあたってしまったということでしょうか。堤防などもなかったのでしょうか。
ナルギスが発生したことがバングラデシュで報道されたのは確か4月29日でした。以来、バングラデシュの新聞には毎日ナルギスの進路について記事が載り、昨年シドルが襲った地域では、またサイクロンが来る!というのでちょっとした住民のパニックもありました。パニックは困りますが、それは裏を返せば、一般の住民もずいぶん早くからサイクロンの発生やそれが近づいてきていることについて、なにがしかの情報を得ていたということです。バングラデシュではナルギスが近づく可能性の高い地域では必要に応じて避難誘導ができるよう、地方行政にも指示が出ていました。国内で活動するNGOもいざという場合に備えて警戒していました。まだ十分とはいえないけれど、悲惨な災害の経験を何度も乗り越え、時間をかけてバングラデシュの防災体制はそこまで来たのです。
しかしお隣のミャンマーではバングラデシュに比べ防災体制がまったく整っていなかったようです。おそらく避難誘導もろくにないまま、人々は寝耳に水の状態で被害に遭ったのでしょう。緊急救援のためのマンパワーを受け入れず、国民投票を優先する軍事政権の愚かさには本当に腹が立ちます。こうしている間にもたくさんの人が死んでいっているというのに。
いくら物資が集まっても、それを遠隔地の人々までまんべんなく届けるというのは至難のわざです。昨年のシドルのときだって、バングラデシュでは軍や国際機関、NGOが総出で連日緊急救援を行い、それでも被災者すべてに行き渡るよう援助を届けるのはとても難しかったのです。今回のミャンマーの被害規模は1991年にバングラデシュのチッタゴン地方を襲ったサイクロンの被害(14万人死亡)を思い出させます。これほどの規模になったら、どんなにたくさん援助機関やNGOが入ってもまったく足りないはずです。救援物資を配るのもシステマティックにやらないと、アクセスのいいところの人たちばかりがたくさんもらって遠隔地にはまったく届かない、とか、間で横流しされて誰かが溜め込む、ということになりかねません。
シャプラニールは救援をやらないのか、と東京事務所にもお問い合わせをいくつかいただいたようですが、南アジア専門のシャプラニールとしては、ミャンマーに拠点もなく、現地の事情にも詳しくないので、今回は救援を行う予定はありません。しかし、日本のNGOで、ミャンマーで以前から活動している団体がいくつも救援活動を始めていますので、何かしたいとお考えの方はぜひそういった団体にご協力いただけたらと思います。日本のNGOのネットワーク団体、JANICのウェブサイトにNGOによるミャンマー救援情報がアップデートされています。昨日起こった中国四川省の地震の救援情報もすでに掲載されています。
現地のニーズをよく知り、きめ細かい対応ができること、人々の手に届くところまで確認できることがNGOの強みです。日ごろから現地で活動している団体に私も寄付します。
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1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。
サイクロン被害でたくさんの人が亡くなったショロンコラ郡を訪れて、何度も耳にした言葉があります。
第三次救援を実施中のゴパルゴンジはバゲルハットよりかなり内陸に入ったところで、ゴパルゴンジ県内でも北部はほとんど被害がなく、南部のトンギパラ郡、コタリパラ郡などで強風による被害がありました。今回救援を行っているコタリパラ郡の中でも南部の3つのユニオンでとくに被害が大きくなっています。サイクロンの進路と地図を見比べて見ると、おそらく南から北上してきたサイクロンはこのコタリパラ郡南部あたりで北東に方向を変え、コミラ方面に抜けたのではないかと思われます。
ショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでは、すでに被災者にVGFカードが配布されていました。「明日あたり最初の米の配布があることになっている」と昨日聞いたので、今日配布があったかもしれません。1度にお米が5Kgもらえます。
短期間に住宅を再建するにはトタンが便利ではありますが、ショロンコラでの救援のパートナーであるJJSのスタッフたちは、「サイクロンの危険のある場所でトタンは配るべきじゃない。トタンの家を100つくるなら10でもコンクリートの家を作ったほうがいい」という考えだと言っていました。その家がいざというときには近隣の人々のシェルター代わりにもなるからです。
サウスカリ・ユニオンのバレッショル河畔に住むサラムさんの一家は両親と弟家族と一緒に暮らしていましたが、このサイクロンでサラムさんの父や弟をはじめ、家族8人を失いました。サラムさんの一番下の娘はまだ2歳。水が来たとき、サラムさんはこの小さな娘を抱えて外に出、木につかまろうとしました。水の中でしっかり木につかまることは両手があいていないとできません。結局サラムさんは娘の服の襟を口でくわえ、噛み締めて持ち上げながら木にしがみついていました。小さな娘はそのおかげで助かりました。
救援物資は送料や手間を最低限にするためにも、なるべく現地に近いところで調達するのを原則としているのですが、今回ビニールシートと毛布については、被災地近くの都市では手に入らないことがわかったため、ダッカで購入しました。
今回最初に立てた予算では、毛布1枚350TK(約560円)で計算していたのですが、1枚250TK(約400円)でカラフルな大判の毛布を買うことができました。厚みがあり、家族4人ぐらいが十分身体にかけて寝られるぐらいの大きさのものです。