シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2008年05月13日

お隣の国の大災害

しばらくご無沙汰しました。5月頭から10日ほど、日本に一時帰国しておりました。ダッカに単身赴任で丸3年、たまに帰らないと家族に忘れられちゃうので。サイクロンがまた来るのではと気を揉みましたが、バングラデシュからは進路が逸れたことを確認してダッカを発ちました。

日本に着いてからも毎日ウェブサイトの災害情報や衛星写真でサイクロンの進路をチェックしていましたが、ナルギスはバングラデシュのお隣のミャンマー(ビルマ)を直撃、大変なことになってしまいました。私はミャンマーには行ったことがないのですが、あそこまで酷い状況になるとは思ってもいなかったので報道に接して愕然としました。ナルギスは昨年バングラデシュを襲ったシドルに比べれば規模は小さいという話だったし、ミャンマーに近づく頃、少し威力が落ちたという報告もあったからです。

しかし結果は大惨事になってしまいました。高潮の被害があそこまで大きかったというのは、上陸時運悪く満潮にあたってしまったということでしょうか。堤防などもなかったのでしょうか。

ナルギスが発生したことがバングラデシュで報道されたのは確か4月29日でした。以来、バングラデシュの新聞には毎日ナルギスの進路について記事が載り、昨年シドルが襲った地域では、またサイクロンが来る!というのでちょっとした住民のパニックもありました。パニックは困りますが、それは裏を返せば、一般の住民もずいぶん早くからサイクロンの発生やそれが近づいてきていることについて、なにがしかの情報を得ていたということです。バングラデシュではナルギスが近づく可能性の高い地域では必要に応じて避難誘導ができるよう、地方行政にも指示が出ていました。国内で活動するNGOもいざという場合に備えて警戒していました。まだ十分とはいえないけれど、悲惨な災害の経験を何度も乗り越え、時間をかけてバングラデシュの防災体制はそこまで来たのです。

しかしお隣のミャンマーではバングラデシュに比べ防災体制がまったく整っていなかったようです。おそらく避難誘導もろくにないまま、人々は寝耳に水の状態で被害に遭ったのでしょう。緊急救援のためのマンパワーを受け入れず、国民投票を優先する軍事政権の愚かさには本当に腹が立ちます。こうしている間にもたくさんの人が死んでいっているというのに。

いくら物資が集まっても、それを遠隔地の人々までまんべんなく届けるというのは至難のわざです。昨年のシドルのときだって、バングラデシュでは軍や国際機関、NGOが総出で連日緊急救援を行い、それでも被災者すべてに行き渡るよう援助を届けるのはとても難しかったのです。今回のミャンマーの被害規模は1991年にバングラデシュのチッタゴン地方を襲ったサイクロンの被害(14万人死亡)を思い出させます。これほどの規模になったら、どんなにたくさん援助機関やNGOが入ってもまったく足りないはずです。救援物資を配るのもシステマティックにやらないと、アクセスのいいところの人たちばかりがたくさんもらって遠隔地にはまったく届かない、とか、間で横流しされて誰かが溜め込む、ということになりかねません。

シャプラニールは救援をやらないのか、と東京事務所にもお問い合わせをいくつかいただいたようですが、南アジア専門のシャプラニールとしては、ミャンマーに拠点もなく、現地の事情にも詳しくないので、今回は救援を行う予定はありません。しかし、日本のNGOで、ミャンマーで以前から活動している団体がいくつも救援活動を始めていますので、何かしたいとお考えの方はぜひそういった団体にご協力いただけたらと思います。日本のNGOのネットワーク団体、JANICのウェブサイトにNGOによるミャンマー救援情報がアップデートされています。昨日起こった中国四川省の地震の救援情報もすでに掲載されています。

現地のニーズをよく知り、きめ細かい対応ができること、人々の手に届くところまで確認できることがNGOの強みです。日ごろから現地で活動している団体に私も寄付します。


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2008年04月30日

もう来ないでサイクロン

ナルギス(Nargis)と名づけられたサイクロンがベンガル湾南海上に発生し、勢力を強めながらゆっくりと北上しています。今は衛星写真を数時間おきにネットで見ることができますが、これを見てもナルギスが周囲の雲を集めながらだんだん大きくなっている様子がわかります。

サイクロンは気紛れ。急に速度を落としたり上げたり、方向を急転換したり、途中で弱まって消えてしまったりすることもあります。だからまだなんともいえないのですが、今日中にはだいたいの進路がわかるという話です。

5月は11月に次いでサイクロン襲来の多い月。SIDRは11月15日でしたが、1991年の巨大サイクロンが襲った日は4月29日(つまり17年前の昨日)でした。この時期のサイクロンはミャンマー方向へ向かうことが多いようですが、バングラデシュを直撃する可能性もないとはいえません。

SIDRの傷跡もいえないまま、またサイクロンの直撃を受けたのでは目もあてられません。バングラデシュはちょうど乾期に灌漑稲作で作られたボロと呼ばれる米の収穫の季節ですが、まだ全土で稲刈りが終わったのは15%程度ということです。今週マニックゴンジやノルシンディの農村に行きましたが、一部で稲刈りの様子がみられたものの、まだ青々した田んぼのほうが大半でした。

SIDRほどの規模にはならないとしても、今サイクロンが来たら皆が待ちわびた貴重な米がまた大量にダメになってしまいます。ただでさえ昨年の洪水とSIDRによる米不足、そして世界規模の食料価格高騰のあおりを受けて危機的状況にあるバングラデシュ貧困層にとっては、大打撃となります。

来ないでナルギス、来ないでナルギス、と念じています。


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2008年03月16日

「定番」支援から漏れるもの

サイクロン復興支援のその後について、しばらくこのブログでご報告していなかったので、いったいどうなっているのかな、とお思いの方もいらっしゃることかと思います。

ウェブサイトのサイクロン救援のページに一覧表がありますが、11月15日に巨大サイクロンSIDRがバングラデシュ南西部を襲ったあと、ほぼ1ヶ月は食糧や毛布など生活物資の配布、セックスワーカーとして働く女性たちの子どもたちの支援センター運営などを緊急救援として行っていました。食糧配布などが一段落した後は、子どもたちのセンターを2ヶ月延長、10年生修了共通試験を受ける受験生のための教材配布、そして中等教育(6年生以上)を受けている子どもたちへの教科書配布(現在実施中)と続け、同時に今後の復興支援を検討するためのニーズ・アセスメントをあらためて行いました。

そのニーズ・アセスメントのレポートが上がってきました。アセスメントの方法は主に、被災地の様々なターゲットの人々を対象としたグループ・ディスカッションやインタビューです。今回シャプラニールが緊急救援を中心的に行った地域であるバゲルハット県ショロンコラ郡で、農民、漁民、思春期の少女、少年、高齢者、授乳中の女性、寡婦など対象を分け、それぞれグループで、または個別に話を聞きました。その結果、人々がいま何を必要としているかがかなり見えてきたのと同時に、緊急救援で取りこぼされていたニーズもいくつか明らかになりました。

レポートにはいろいろな人々の声が入っていますが、その中でも胸が痛んだのは思春期の少女たちの訴えです。「緊急救援でいろいろなものが配られたけど、誰も私たちに服をくれなかった」と彼女たちは言うのです。洪水にしろ、サイクロンにしろ、バングラデシュで緊急救援として配られる衣料はサリーとルンギ(腰巻)が定番。これらはどこでも手に入り、また一枚布で縫わずにそのまま使え、着る人のサイズも問わないので、緊急救援時に食糧と同時によく配布されます。シャプラニールも今回そうしました。

しかし、サリーを着るのはおとなの女性たち。結婚前の少女たちは通常サリーは着ず、サルワール・カミーズと呼ばれる長い上着とゆったりしたパンツ、長いスカーフの三点セットの衣装を着ています。サルワール・カミーズは身体に合わせて仕立てるのが普通。既製品を配布するにも対象者にあったサイズを配るとなると手間がかかるので、緊急救援で配布したという話は聞いたことがありません。

しかし、それは配る側の都合です。受け取る側から見れば、たとえば両親と思春期の少女、2人の弟、という5人家族の中で、「お父さんはルンギを、お母さんはサリーをもらった。弟たちもルンギがあれば大丈夫。でも私だけ服がない」という状況になっていたわけです。

かわいそうなことをしてしまった...と思いました。女性たちのためにトイレを、という意識はあったのですが、少女たちの服のことはあまり考えていませんでした。

同じ年頃の少年たちにも話を聞いていますが、「今必要なこと」に優先順位をつけてもらった結果、少年、少女とも第一位は「栄養のある食べ物」、第二位は少年は「勉強道具」、少女は「安全な家とトイレ」、第三位は少年、少女とも「服」でした。男の子も学校にルンギで行くわけにはいかないけれど、シャツやズボンがないのでしょう。女の子たちは仮住まいのセキュリティの悪さとトイレの不足に悩んでいます。第4位は少年は「安全な家とトイレ」、少女は「ミシンとトレーニング」、第5位は両者とも「サイクロン・シェルターをもっとつくる」でした。

だでさえお腹のすく年頃。被災後、肉や魚もなかなか食べられず、毎日米とダール豆ばかりでは育ち盛りにはさぞ辛いことでしょう。政府を通じて他国政府などのドナーが高校生に給食を出せればいいのになあ、と思います。シャプラニールのようなNGOが公立学校で給食を出す、ということは行政絡みもあってまず難しいので。少女たちが日々困っている「服」については、今からでもなんとかできたらいいな、と思っています。雨期に入ると洗濯物が乾かせなくなり、ますます着替えがなくなるでしょうから、できればその前に。

ダッカ事務所のマンパワーの限界を考えて、1月、2月は通常活動の次年度計画・予算策定の仕事を優先したので、本格的な復興支援はやや出足が遅れましたが、明日から筒井事務局次長も出張してきて、ニーズ・アセスメントの結果をもとに今後の支援内容を検討します。

被災地では各国のドナーからの資金を受け、様々なNGOが復興支援活動を行っています。しかし、「定番」的な活動がほとんどで、「ああ、いい点に着目したな」と思うような内容はあまり聞きません。もちろん「定番」的活動にはそうなるだけの理由があり、必要であればシャプラニールも実施するのですが、「定番」から漏れている、でも重要なニーズを拾うことを常に意識していたいと思います。


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2008年01月16日

「復興支援」という言葉

昨夜は一晩中唸りながら、シャプラニールの会報2月号の特集原稿を書いていました。とっくに締切を過ぎていたのを担当者に頼んで延ばしてもらっていたもので、日本時間の今朝がほんとにほんとの締切。テーマはサイクロン被災者救援活動の報告です。

今回のサイクロンがどんなだったか、被災地の今の状況、これまでやってきた支援活動と今後のことなどについて3ページ程度にまとめればよく、写真も数点、ということでフツーに書けばたいした量じゃないし、これまでブログや内部の連絡用メーリングリストに山ほど書いてた報告をかいつまんでちゃっちゃとまとめればすむ話なんですが、結局唸って唸って午前3時すぎまで書いたり消したりしてました。

シャプラニールの会報は会員さんや支援者の方に会の活動についてご報告するもので、隔月でお送りしています。ブログやウェブサイトをご覧になっていない方は、この原稿で初めてシャプラニールのサイクロン救援の報告を読まれることになります。そう思うといい加減には書けません。この2ヶ月ぐらいの間に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだけれど、サイクロンや救援活動についての基本的な情報も盛り込まなければいけないし、被災地で見てきたたこと、聞いたことも書きたいし、でもそれがどうしても決められた字数の中に入りきらなくて悪戦苦闘しました。結局、ある程度のところであきらめざるを得ず。最終的には月並みな原稿になってしまったかな...。とほほ。

書きながら、こういった活動の中でよく使われる言葉のいくつかに、自分が違和感や反発を持っていることに気がつきました。たとえば、「復興支援」。普段、英語の「リリーフ・オペレーション」を「救援活動」、「リハビリテーション」を「復興支援」と訳して使っていますが、この「復興支援」という言葉がどうも馴染みがよくない。なんというか、威勢がよすぎる感じがするんですね。「復興支援」というと、すごく「がんばれ、がんばれ」とドーンと花火を打ち上げるような感じがしませんか...。「興」の字のせいかしら。被災地や被災した人たちの今の状況に、この「復興支援」という言葉がなんだか合わない感じがするんです。

あと、使わざるを得ないときもあるけど、なんとなく最近使うことを避けている言葉は「心のケア」。心をケアすることはもちろん必要なんですけど、この「心のケア」という言葉があまりに安易に、ファッションみたいに使われすぎて、なんだか反発したくなるんです。「心のケア」なんてそんなに簡単じゃないよ、って。

被災地での「救援活動」や「復興支援活動」について、なんとなく感じていること、考えていること、たくさんあるのだけどまだ自分の中でまとまらずモヤモヤしています。

そんなとき、関西学院大学教授の野田正彰さんの著書、『災害救援』(岩波新書)を何度も読み返しています。奥尻や阪神大震災の被災地で現地調査を繰り返しながら考察されたことをまとめられたこの本は、国内・海外にかかわらず災害救援にかかわる人には必読の名著だ、と私は思っています。この前一時帰国したときやっと購入したのだけれど、ほんとに買ってダッカに持ってきてよかった。

奥尻での経験を書かれていることなど、今回私たちが救援活動を行い、今後も「復興支援」活動を行っていく予定のショロンコラ郡で起こっていたこととあまりにもそっくりだし、第1章「災害の構造」の中に書かれた「被災者役割と救援者役割」の箇所など思い当たることが多くてどっきりします。第5章「危機管理の焦点」、第7章「『心のケア』の本質」、第9章「救援の思想」などもとても参考になります。私たちがこれから何をしなければならないのか、考えるヒントになることが散りばめられている本です。

野田さんは以前ダッカ事務所にもいらっしゃったのに、私が不勉強でお会いしたときご著書をロクに読んでいなかったことが悔やまれます。ああ恥ずかしい。後悔先に立たず。

でも、他のときじゃなく、今この時期にこの本に出会えたことはよかったのかもしれません。書かれていることが染み込むようによくわかるから...。皆さんもぜひ読んでみてください。


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2008年01月06日

がんばれ被災地の受験生

バングラデシュの教育制度は5-5-2制です。5年間の初等教育のあと、5年間の中等教育、その上に2年間の上級中等教育があります。日本では中学1年生、とか高校2年生、といった言い方をしますが、バングラデシュでは中等教育(High School)に行っている生徒の学年を言うとき、初等教育の学年から続けて、7年生とか10年生、という言い方をするのが普通です。

5年間の中等教育、つまり10年生の課程を終了すると、「SSC試験」と呼ばれる全国共通試験があります。S.S.C.はSecondary School Certificate(中等教育修了証)の略。SSC試験に受かるとこの修了証がもらえるのですが、この試験に受かるかどうか、またどんな成績で受かるか、ということは子ども本人にとってはもちろん、家族にとっても一大事で、試験初日はたいてい親が会場まで付き添い、合格発表の日は親も朝からそわそわと結果を待ちます。子どもにとっては相当プレッシャーのかかる試験らしく、試験に失敗して自殺する子が毎年数人出ます。

このSSC試験に受かると、カレッジと呼ばれる2年間の上級中等教育に進む資格ができます。カレッジでの11年生、12年生を終えたあとは、今度は「H.S.C.(Higher Secondary Certificate)試験」という共通試験があり、これに受かるとまたこの修了証をもらえます。大学教育を受けるためには、HSCを取得していなければなりません。

SSC取得、HSC取得は履歴書に書ける資格で、これらの試験に受かるかどうかは、進学するにせよ、就職するにせよ、その子の今後の人生に大きな影響を及ぼします。ハイスクールやカレッジの生徒たちは、これらの共通試験のために何ヶ月も必死で受験勉強をします。1年目に受からず、2年目に再挑戦する子も少なくありません。受験料や参考書代が払えず、働いてお金を貯めてから試験を受ける、という子もいます。

今回サイクロンで被災した地域にも、当然ながらこのSSCやHSCに向けて、必死で勉強していた生徒たちが大勢いました。しかし、高潮で家や家財が流されてしまった家庭では、この子どもたちの試験準備の参考書も流されたり、水に濡れたりして失われました。

シャプラニールでは、今後も継続していく救援・復興支援活動のひとつとして、被害の大きかったバゲルハット県ショロンコラ郡で、SSC試験受験生500名に英語・数学の試験準備参考書とノートを、HSC試験の受験生120名に同じく英語・数学の参考書とノートを配布することにしました。ショロンコラ郡では被災した一般児童や生徒が学校で学ぶための教科書は政府から配布されるそうですが、受験生のための参考書は対象にならないため、配布を決めたものです。

今年のSSC試験は当初2月27日から始まる予定でしたが、サイクロンの影響を考慮して1ヶ月延期され、3月27日から始まることになりました(試験は1日では終わらず、数日続きます)。HSCの試験はSSCよりだいぶ後になります。

SSC試験まであと2ヶ月半。被災地の受験生たちにも、最後まであきらめずがんばってもらいたいと思います。


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2007年12月13日

アッラー・バチャエセ

P1000317.jpgサイクロン被害でたくさんの人が亡くなったショロンコラ郡を訪れて、何度も耳にした言葉があります。

「アッラー・バチャエセ (アッラーが生かされた)」

おとなの頭上を超える水の中で奇跡的に助かった小さな子どもや赤ちゃんの話をするとき、人々はこの言葉をつぶやくように言うのです。アッラーによって生かされた命だと。

写真=ショロンコラ郡サウスカリ・ユニオンで見かけた赤ちゃん


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2007年12月11日

北東からの風

バゲルハット県、ゴパルゴンジ県のサイクロン被災現場を訪問し、昨夜帰ってきました。見たこと、感じたこと、いろいろあるのですが、今日は主に風の話。

被災地の倒木は、バゲルハットでも、ゴパルゴンジでも、みな同じ方向に倒れていました。サイクロンの暴風は北東から吹いてきたことがわかります。今回バングラデシュを襲ったサイクロン、SIDRはバングラデシュ南西部に上陸して北上し、途中で北東に方向を変えて抜けていったのですが、サイクロン自体は左回りに回転しながら移動していったので、現地では強風は北東方向から吹いていたわけです。

P1000343.jpg第三次救援を実施中のゴパルゴンジはバゲルハットよりかなり内陸に入ったところで、ゴパルゴンジ県内でも北部はほとんど被害がなく、南部のトンギパラ郡、コタリパラ郡などで強風による被害がありました。今回救援を行っているコタリパラ郡の中でも南部の3つのユニオンでとくに被害が大きくなっています。サイクロンの進路と地図を見比べて見ると、おそらく南から北上してきたサイクロンはこのコタリパラ郡南部あたりで北東に方向を変え、コミラ方面に抜けたのではないかと思われます。

ここはショロンコラのように高潮の被害にあったわけではないので、水で何もかもさらわれてしまった、という状態ではないのですが、強風による家の破壊はかなり激しいものでした。この地域にはかなり広い湿原があるため、その湿原の南側にあたる地域では風をさえぎるものがなく、もろに家が北東からの暴風を受けてしまったようです。元々ヒンドゥーのアウトカーストの人々など、貧しいマイノリティの人たちの多いところなのですが、その中でも寡婦やお年寄りの世帯で家が潰れたところはいかにも大変そうでした。

元々貧しい人たちの家はひ弱だったためということもありますが、地震の後のように潰れた家々を見て、今回のサイクロンの暴風の強さをあらためて感じました。

写真=コタリパラ郡南部のシュワグラム・ユニオンにて12月9日撮影


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2007年12月09日

VGFカードとトタンについて

先日VGFカードのこと、トタンの怪我のことについて書きましたが、その後自分で見て確認できたことがあるので書きます。

VGFカードをもらった人.jpgショロンコラ郡のサウスカリ・ユニオンでは、すでに被災者にVGFカードが配布されていました。「明日あたり最初の米の配布があることになっている」と昨日聞いたので、今日配布があったかもしれません。1度にお米が5Kgもらえます。

昨夜のニュースでもサウスカリ・ユニオンでVGFカード配布、と伝えていましたが、どうも他の被災地に先駆けてまずここで配布されたようです。

写真:VGFカードをもらった人

それからトタンの怪我についてですが、昨日書いたサラムさんの家族はじめ、サウスカリで会った人たちは多かれ少なかれ、トタンで手足や額などに切り傷を負っていて、その傷を「ほらこんなに傷だらけでしょ」と見せてくれました。91年に比べればトタンによる大怪我は少なかったのだろうと思いますが、小さな怪我はやはり多かったのです。

P1000305.jpg短期間に住宅を再建するにはトタンが便利ではありますが、ショロンコラでの救援のパートナーであるJJSのスタッフたちは、「サイクロンの危険のある場所でトタンは配るべきじゃない。トタンの家を100つくるなら10でもコンクリートの家を作ったほうがいい」という考えだと言っていました。その家がいざというときには近隣の人々のシェルター代わりにもなるからです。

しかし、そういう場合、誰の家をコンクリートの家に選ぶのか?というところで揉めそうですよね...。

写真:トタンでできた学校の屋根も暴風でガタガタになっていました


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2007年12月07日

暗い冷たい水の夢

今日はショロンコラの被災地で、シャプラニールとJJSの協力でつくった井戸やトイレ、清掃した池などを見て回りながら、未だサイクロンの爪跡が生々しく残るラエンダ・ユニオンとサウスカリ・ユニオンで被災した人たちに話を聞きました。

サイクロンの夜から20日たちましたが、多くの人たちが、「今も水の夢を見る」と語っていました。
サイクロンが来た夜9時半ごろ、真っ暗な中、暴風と一緒に川の水が溢れてきて、みるみるうちに家の中を水が上がってきた、といいます。このままでは家が潰れる、家の中にいたら死んでしまう、と思って、家の外に出て木につかまり、水をやり過ごした、という人が何人もいました。

人々が頭上を超える水の中で木などにつかまっていたこの2分から5分ぐらいの間が、命を分けることになりました。

サラムさん親子2.jpgサウスカリ・ユニオンのバレッショル河畔に住むサラムさんの一家は両親と弟家族と一緒に暮らしていましたが、このサイクロンでサラムさんの父や弟をはじめ、家族8人を失いました。サラムさんの一番下の娘はまだ2歳。水が来たとき、サラムさんはこの小さな娘を抱えて外に出、木につかまろうとしました。水の中でしっかり木につかまることは両手があいていないとできません。結局サラムさんは娘の服の襟を口でくわえ、噛み締めて持ち上げながら木にしがみついていました。小さな娘はそのおかげで助かりました。
写真:こうやって木にしがみついて助かった、と語るサラムさん。右後方に救援として設置した井戸のポンプがみえる。

一方でサラムさんの弟はこの水の中で生き延びることができませんでした。サラムさんの弟の妻は、暗闇の中で夫と離れ離れになり、8歳の娘と10歳の息子、二人の子どもを胸に抱えるようにして、水の中で木にしがみついていました。しかし、水はどんどん上がってきます。左側に抱えていた息子の服が裏返しになり、顔にかかってしまったのをはずしてやろうとしているうちに息子は手を離れて水にさらわれてしまいました。暗い水の中、必死で手探りしたけれど二度と息子に触れることはできませんでした。右側に抱えていた娘は助かりました。水が引き、翌朝明るくなってから、家のまわりの別々の場所で夫と息子の遺体がみつかりました。夫が抱いていた、赤ん坊だった娘は、ずっと遠くまで流されてモスクの近くで遺体がみつかりました。

もうかなりのお歳になるサラムさんのお母さんは、サイクロンで水が押し寄せた夜に夫を失いました。怪我をした腕の包帯が痛々しく、その日のことを語る声は震えていました。

夜になるとあの日の記憶がよみがえり、暗い中を水が押し寄せてくる夢に目覚めては、水が来ていないことを確かめる、と何人かの人が同じことを言っていました。子どもたちは一見明るそうに見えますが、夜になると「いまシグナルはいくつ?サイクロンシェルターに逃げなくちゃ」と怯えたりするそうです。

サラムさんの家の近くにも井戸をひとつ、トイレをひとつ設置しました。彼らが失ったものの大きさに比べるとささやかな支援ではありますが、「井戸は本当に助かります。水に苦しめられたけれど、水がなければ生きていけないから。どうもありがとう。また来てください」と言ってもらえました。


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助けて、と言えない中流階級の苦悩

今朝ダッカを出て、ゴパルゴンジ県のコタリパラ郡にちょっと寄り、それからクルナのJJS(バゲルハット県ショロンコラ郡を中心に救援活動を行っているパートナー団体)の事務所へ来ました。JJSのスタッフはサイクロン以来毎日夜中まで懸命に救援活動にあたっています。彼らの献身的な働きに感謝を表し、これまでやってきた仕事の状況について報告を聞きました。

そこでスタッフからこんな話を聞きました。

「ショロンコラでは食糧配布は今はだいたい行き渡り、ください、と言える人は何度ももらっている人もいる。でも、実は中流階級の人たちの中に、すべてを失ったのに何ももらっていない人がいる。彼ら・彼女らは施しを受けることが恥ずかしくて、困っていても自分から手をだして『頂戴』と言うことができないんだ。そんなことはしたことがない人たちだし、誇りがあるから。数日前の夜、僕たちが仕事をしているそばで黙って子どもの手を引いて立ってる女性がいたんだ。何か言い出そうとしながら迷っているから近づいていって、困っていることがあったら話してください、と言ったら、もう3日何も食べていないと言って泣き出した。でもだから食べ物をください、とは決して言わないんだ」

サウスカリ・ユニオンのような高潮の被害があった被災地では、すべてを失ったのはもともとある程度のレベルにあった人も、貧しかった人も同じなのですが、走り回って救援物資をかき集め、なんとかしのいでいるある意味逞しい人は、どちらかというと元々貧しかった人なのかもしれません。元の生活レベルとの落差、という点では中流階級(正確にはLower Middle Class)のほうが大きいわけです。

もっとステイタスが上のUpper Classの人たちは親戚などを頼ってどこかへ行き、元々貧しかった人たちは救援の列に並んで逞しくやっている間で、取り残されているのがこの場合Lower Middle Classだというのが彼らの観察です。なかなか複雑なものがあります。

今夜は打ち合わせだけしかできませんでしたが、明日、サイクロンから20日たったショロンコラの状況を見に行きます。


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2007年12月04日

トタンによる怪我が少ない理由

今回のサイクロンの被害の中でちょっと不思議に思っていることがありました。1991年のサイクロンでは家の屋根などに使われているトタンが暴風で舞い上がり、それが空飛ぶ凶器となって多くの人が大怪我をしたり、亡くなったりしたと聞いていたのですが、今回はトタンで大怪我をした、という話をほとんど聞かないのです。91年に比べればバングラデシュ全土ではトタン屋根のの家は確実に増えているはずなのに、なんでなんだろう?

被災地のバゲルハットから帰ってきたダッカ事務所のポリモールにこれについて聞いてみました。

ポリ「そういえば今回はトタンでの怪我ってほとんど聞かなかったね。それより今回は倒木による被害が大きいよね」
私「でもなんで?トタンの家は昔より増えてるはずでしょ」
ポリ「うーん、バゲルハットのショロンコラあたりのことでいえば、あのへんは元々トタンの家は少なかった、ということはいえるかもね」
私「トタンの重さは?昔と今と薄さが違うとか?」
ポリ「うん、いいところに気がついたね。そういえば昔のトタンてすごく重かったよね。僕が子どものころは1枚のトタンをおとな二人でようやく持ち上げてた記憶があるけど、今は4枚重ねてラクラク持ち上げられるからね。」
私「え?逆かと思った。昔のほうが軽くて簡単に飛んだんじゃないかと思ったんだけどそうじゃないの?」
ポリ「逆だよ。昔のトタンは重くて厚かったから、それが飛んで当たると大怪我して大変だったんだよ。今のトタンはペラペラだから、今回のサイクロンでも飛んで木にひっかかったりしてたけど、あれに当たってもそんなにひどい怪我はしないと思う」
私「ふーん、そうなのかなあ。木はどうなの?」
ポリ「今回被害が大きかったクルナ、ボリシャル地方は91年に被害が大きかったチッタゴン方面に比べると大木が多いんだよね。でもその多くは自然にそこに生えてる木じゃなくて移植した木なんだ。今回根こそぎひっくり返った木の根をいくつも見たけど、太い根っこの部分が短くて細い根ばっかりだった。ある程度苗が大きくなってから移植してるから、しっかり根を張ってない木が多かったんじゃないかな。」

以上はまだ昼休みの雑談レベルの話で、ちゃんと根拠を確かめたわけではないのですが、これからこういった事柄についての事実もだんだん明らかになっていくんじゃないかと思います。

バゲルハットとボルグナの被災地に行っていた2チームが戻り、ダッカでの私の調整業務もひと息ついたので、あさってからバゲルハットとゴパルゴンジに自分で行ってくることにしました。ノートパソコンとモデムつき携帯電話を持っていくので、うまくいけば「写真入り現場レポート」が送れるかもしれません。


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2007年12月03日

VGFカードはいつになるのか

バングラデシュ暫定政府は南西部12県のサイクロンの被災者のため、VGF(Vulnerable Group Feeding)カードを今月から大量に発行し、4ヶ月の間対象者に米の配給を行うと宣言していたのですが、早くも「VGFカード発行、遅延の見込み」という記事が12月1日の新聞に出ていました。理由は「被災者のリストづくりが終わっていないから」。いつものパターンですが、人々が飢えているときのこの非効率さ、できもしないことを簡単に宣言する浅はかさには本当にがっくり来ます。

だいたいこの国で人々のリストというものを政府がつくるのに最初に宣言された期限どおりにできた試しはありません。約4千人と発表されている死者の数にしても、遺体が確認された人の数だけです。戸籍や住民票のシステムのないこの国では、そもそもどこに何人住んでいたかという正確な数字もないのですから、そこから何人いなくなったかも正確にはわからないわけです。沿岸部の島などでは数百人単位で人が波にさらわれた、と言われているところがたくさんありますが、政府の発表する数字にいったいどこまで含まれているのか甚だ疑問です。(というより、含まれていないと思います。)

VGFカードは被災者の数だけ、270万だろうが何百万だろうが発行するよう政府の主席顧問に進言した、と軍のチーフは数日前の記者会見で勇ましく語っていましたが、現実はこの有様。リストが完成してから配布を始めるなどと言っていたら、配給開始は早くても半年後になってしまうでしょう。リストが未完成だろうがなんだろうが、把握できたところから配り始めればいいじゃないか、と思うのですが...。

サイクロンが襲った日から2週間以上たちましたが、今も被害状況が正確に把握されていないのは本当にもどかしい思いです。いまだに沿岸部の田んぼの中から遺体がみつかったりしていますし、大きな被害がありながらほとんど救援が届いていない場所もまだたくさんあります。

被害が甚大でメディアなどの報道も多かった地域では、救援も集中し(もちろんその中でも遠隔地など救援が十分届いていない場所は多くありますが)、食糧支援はそろそろ収束、あとは毛布や子どもの教科書、家の再建、そして生計確保のための長期的な支援...という方向になりつつありますが、こういった「取り残された地域」では、今でも「とにかくまず食糧支援」という状況なのです。

こういった大災害時の救援の大きな流れ、そのスピードや移り変わりの傾向が、ここにいるとだんだん見えてきます。救援は被害が甚大で人がたくさん死んだところ、マスコミに多くとりあげられたところ、それでいて比較的アクセスがよく、通信手段の回復が早かったところにどっと流れるのです。また、国際機関などの多くは政府の発表する被害報告を元に救援内容を決めるので、政府発表自体が間違っていたり、漏れがあったりすると、救援も漏れてしまいます。

出生登録や住民登録といったシステムをこの国がきちんと整えることの重要性を災害時にあらためて感じます。その「画期的」手始めとして、暫定政権が進めている投票者リストと写真入り投票者カードづくりも、いつまでかかるのか...。このサイクロンで来年予定されていた総選挙もまた遅れるかもしれません。


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2007年11月29日

毛布1510枚を購入、船積み

毛布2.jpg救援物資は送料や手間を最低限にするためにも、なるべく現地に近いところで調達するのを原則としているのですが、今回ビニールシートと毛布については、被災地近くの都市では手に入らないことがわかったため、ダッカで購入しました。

ボルグナに送る毛布は、昨日品物を決めて業者にオーダーし、今日、ダッカ事務所のスタッフの立会いのもとに数を数えてパッキングし、オールドダッカのショドルガートという船着場まで運んで、ボルグナへ向かう船に乗せました。昨日のうちにボルグナを出てダッカにやってきたパートナー団体のションコルポ・トラストのスタッフ2人が、船に乗り込み、荷物につきそいます。

毛布1.jpg今回最初に立てた予算では、毛布1枚350TK(約560円)で計算していたのですが、1枚250TK(約400円)でカラフルな大判の毛布を買うことができました。厚みがあり、家族4人ぐらいが十分身体にかけて寝られるぐらいの大きさのものです。

写真は今日パッキングに立ち会ったオフィス・アシスタントのアシシが撮ってきたもの。船は今夜ダッカを出て明日30日にはボルグナに着きます。1日に仕分けをし、2日には最初の配布を行う予定。ボルグナに入っている小嶋駐在員とプログラムオフィサーのサイフルが、最初の配布に立ち会ってから帰ってくる予定です。


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ドナー回りをする被災地弱小NGO

シャプラニールがバゲルハット県、ボルグナ県で現地NGOをパートナーとして救援活動を始めて以降、いくつもの被災地の小さなNGOが電話をかけてきたり、請願書のような手紙を持ってダッカ事務所を訪れてきたりしています。今行っている救援活動だけでもいっぱいいっぱいな状態で、私も髪を振り乱している感じなのですが、必死の面持ちで被災地からやってくる彼らに邪険な態度をとることもできず、できる範囲で話を聞いています。

ここ数日目立つのは、今回もっとも被害が大きかったバゲルハット県やボルグナ県、ポトゥアカリ県などの最大級の被災地の隣で、相当の被害がありながらあまり新聞報道などがされず、やや目立たなくなっている地域、ピロジプール県やゴパルゴンジ県、ボリシャル県などの小さなNGO。いずれも「うちの地域はぜんぜん救援が足りない、人々は大変な状況なのに無視されている」と訴えます。

今日訪れたゴパルゴンジ県の団体の人は、「私たちが活動している郡は全国的にはマイノリティであるヒンドゥー教徒が8割を占める地域。日ごろから無視されがちな地域で、政府も邪険なので、サイクロンの救援からも取り残されているんです」と言います。ここは実は建国の父シェイク・ムジブル・ラーマンやその娘の元首相、シェイク・ハシナの出身地。マイノリティの人たちにはアワミ連盟を支持する人が多いので、前のBNP政権のときは徹底して無視されたと言います。「うちの郡に入ったら急に道も悪くなるんですよ」だって...。

こういった地域の今回のサイクロン被害がどの程度なのか、正直なところ行って見てみないとわかりません。ボルグナ県やバゲルハット県など、最大級の被害があって新聞によく写真が載る県の中でも、地区によって被害の甚大だったところ、それほどでもなかったところがありますし。「救援活動を支援して!」と言ってくるところでも、行ってみたら被害はそれほどなかった、ということもなきにしもあらずなのです(逆の場合ももちろんありえます)。また、日ごろ全然お付き合いのない、評判を聞いたこともないNGOといきなり組んで救援活動をする、というのはなかなか難しいものがあります。でも本当に被害が大きくて救援がぜんぜん回っていないのであれば、なんとかしてあげたい、とも思うのですが...。

ダッカ事務所は今、プログラムオフィサー2人と小嶋駐在員が現場からまだ戻らず、ただでさえ事務所の人員が少なくなっています。筒井事務局次長は今日もう日本に帰ってしまったし。2台ある車も出ずっぱりでレンタカーも動員中。これまで決めた2つの現場にはもうかなり資金もつぎ込んでいます。

あっちでもこっちでも救援が足りず、地元の小さなNGOが救援活動をしたくても資金がなくて困っていることはわかっていても、資金にもマンパワーにも限りのある私たちとしてはお断りしなければならない場合がほとんどです。「どうかあなたがたが私たちに協力してくれますように、神のご加護を」と言われて、ううう、と唸っています。


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2007年11月26日

サイクロンから10日過ぎて

緊急救援活動のためバタバタしていて、ブログの更新が滞ってしまいました。サイクロンの夜から10日が過ぎましたが、被災した人々の生活は平常に戻るにはほど遠く、同じ県や郡の中でも救援が届いている場所と届かない場所、もらえた人ともらえない人があり、届いていない人にいかに届けるかが援助関係者の重要課題になっています。これから冬に向けて小さな子どもやお年寄り、身体の弱った人々には厳しい季節。家族を失った人たちも悲しむ余裕さえなく、生きていくことに必死にならざるをえない状態だろうと思います。

昨日の政府のレポートによると、被災者数は680万人に達しています。バングラデシュの人口はだいたい1億4千万人ですから、バングラデシュ人のほぼ20人に1人が被災したということになります。首都ダッカが被害を免れ、被災した南西沿岸部はそれほど人口密度が高い地域ではなかったにもかかわらず、です。

シャプラニールがバゲルハット県ショロンコラ郡で第1弾の緊急救援実施を決めたことはウェブサイトでもお知らせした通りで、この活動はすでに進んでいますが、第2、第3弾の救援のため、24日からダッカ事務所の小嶋駐在員とプログラム・オフィサーのサイフル・イスラムがボルグナ方面へ、23日に来バした筒井事務局次長とプログラム・オフィサーのポリモールが25日から再びショロンコラ郡に入り、現地のNGO関係者とともに被災地を駆け回っています。

私の役回りはダッカ事務所での中継塔。現地入りしている2チームの携帯からの電話を受けたり、東京事務所と連絡をとったりしたりしながら緊急救援活動をコーディネートしています。例えて言えば、ヒマラヤ登山のベースキャンプで、隊員を登頂に送り出し、無線と望遠鏡を持ちながら指示を出している人、という感じでしょうか。もっとも今は、東京の司令塔の一部(筒井)が自らアタック隊に入っているわけですけど。

緊急救援の裏方にはいろいろ地味だけれど重要な仕事があります。政府のNGO局に救援活動用の外貨送金を受け取るための文書を作って出したり、救援物資の入手先を調べて手配したり、パートナー団体への送金の手配をしたり、さらなる救援活動のための情報収集をしたり。ダッカ事務所でこういった仕事の中核を担っている、総務担当のドットや会計担当のルフルも、よくやってくれています。

ドライバーとして被災地の悪路を長距離運転しているミロンとシポンもきっとかなり疲れているはず。安全運転には気をつけてくれていると思いますが、事務所の車はかなり年季が入っているので、故障の起きないことを祈るばかり。

今日はショロンコラに送るためのビニールシートを扱う業者をオールドダッカで見つけ出し、値段交渉をして3千枚のシートを注文し、トラックで現地に運ぶ手配などもありました。クルナやボリシャルなど被災地に近い都市ではビニールシートは手に入らないので、ダッカで買って送らなければなりません。業者にも「救援なんだから協力して。あなたも参加してほしい」と総務のドットがこんこんと話をしたところ、儲けなしでシートを卸してくれることになりました。

被災地では人々が瓦礫の廃材を組んだものにサリーやむしろなどをかけて仮小屋をつくり、そこで眠っていますが、すでに夜は霧が出ているようです。バングラデシュの冬の霧は濃密で、その中にいると髪や衣服がしっとり湿ってしまいます。もうしばらくすれば政府などの住宅再建支援も入ってくるかもしれませんが、それまでの期間をしのぐのにビニールシートは役立つはず。住宅再建のあとも様々な使い道があります。

ショロンコラの第2弾では、このほか井戸やトイレの設置、池の掃除をさらに進めることなども入っています。水の重要性は言うまでもないですが、とくに女性たちにとって、周囲の目を気にせず、安心して使えるトイレは必須です。

ボルグナでも寡婦や障がい者を含む最貧困層を対象に食糧配布を行うことになり、さらなる救援も検討しています。詳しくはサイクロン救援ページの最新情報で近々報告されると思います。

バングラデシュでは今も新聞の一面はサイクロン関係一色、救援活動も各地で懸命な努力が続いていますが、日本の新聞やテレビからはすっかりサイクロン関係のニュースは消えていると聞いて、募金の集まりが心配です。

まだサイクロンから10日、人々はなんとか生き延びつつも、これからどうやって生活していくのか目の前が真っ暗な状態にいます。どうかバングラデシュの680万の被災者のことを忘れないでください。私たちも引き続き努力しますので、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


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2007年11月22日

悲しいマンゴーの木

昨日のこと、シャプラニールが取り扱っている手工芸品生産者のサイクロン被害状況について、東京に送る文書をまとめていたプログラム・アシスタントのイルシャトが、パソコンのキーを打つ手を止めて、「ああ、こんな悲しい亡くなり方があるなんて...」とため息をつきました。

被害の大きかったボリシャル地域でジュート製品をつくっていた、ある女性の話です。お名前は聞いていませんが、仮にロヒマさん、としておきましょう。

ロヒマさんの家の裏には、大きなマンゴーの木がありました。枝ぶりもよく立派なこの木は、ロヒマさんの夫のお気に入りの木でした。バングラデシュでは木は貴重な財産です。果物の木は実を収穫して売ることもでき、大木になれば何かあったときには材木として高く売れます。ロヒマさんの夫はよくこの木を見上げながら、売ったらいくらになるかな、と話していたそうです。

サイクロンの夜、吹き荒れる嵐の中で、ロヒマさんの夫はこのマンゴーの木が心配になりました。ロヒマさんが止めるのも聞かずに、「マンゴーの木を見てくる」と言って家の外に出て行きました。マンゴーの大木はサイクロンの暴風に勝てず、ちょうどロヒマさんの夫が様子を見に行ったそのとき、根こそぎ激しく倒れ、ロヒマさんの夫はこの木に強打されて亡くなりました。

大好きだったマンゴーの木に打たれて命を落としてしまった夫。夏にはたくさんの実をつけてロヒマさんたちを喜ばせたこの木も、あるじと共にその命を終えることになりました。

今回のサイクロンではたくさんの人が倒木に家を潰される被害に遭いました。大事にしていた木の下敷きになって亡くなった、ロヒマさんの夫のような人も、たくさんいたに違いありません。


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2007年11月21日

救援内容決定、物資購入開始

サイクロン被災地、とくに遠隔地では5日たった今でも水の中に遺体や家畜の死骸が沈んでいるような状態で、安全な水不足が深刻になっています。汚染された水のために、心配されていた下痢などの病気がすでに広がっています。下痢で脱水状態になっても安全な飲み水がないのでは、命にかかわります。とくに抵抗力のない小さな子どもやお年寄りは、サイクロンの夜を生き延びても今なおとても危険な状態にあります。

昨夜クルナに戻ったポリモールから、今朝早く第1弾の救援内容の提案と予算書が送られてきました。ウェブサイトのサイクロン救援のページにも載せていますが、この提案をもとに、ショロンコラでの1100世帯への食糧、衣料などの配布と池の清掃、そしてモングラ港の近くにあるバニシャンタとよばれる場所で働くセックスワーカーの女性たちの、子どもたちのためのシェルターを1ヶ月運営することを決めました。

今回のような大災害の際、普通であれば頼りにするのは家族や親戚ですが、セックスワーカーの女性たちは厳しい社会的差別を受けている上、家族と連絡のない人がほとんどです。父親のいない子どもを独りで育てながら働いている女性が多いわけですが、この子どもたちが今回のサイクロンで非常に怯えて不安がっており、また保護も受けられずに厳しい状況にあるということでした。シェルターでは状況が落ち着くまでの1ヶ月間、この子たちに給食を出して世話をする予定です。
ポリモールがこのバニシャンタの状況を今日視察にいったので、あとで報告があるでしょう。ここは近いうちに私も様子を見に行きたいと思っています。

救援物資の購入はJJSの職員数名による購入委員会をつくって今日から明日にかけて完了し、金曜日中には配布も終える予定です。配布を早くしなければと気はあせるのですが、物資購入の際に会計の透明性を確保するのはとても重要。

池の清掃には最低4-5日はかかります。最初はフィルターポンプをつけると聞いていたのですが、人海戦術で家畜の死骸や倒木を取り除いた上で生石灰をまいて汚物を池の底に沈ませる、というやり方でやるとのこと。あの地域では池や川は無数にあるので、私たちとの協働でJJSができるのはそのうちのいくつかにすぎないと思いますが、やらないよりはずっとよいでしょう。

ポリモールにはデジカメを持たせて撮った写真を送ってくれるよう頼んでいたのですが、JJSの事務所からどうもうまく送れない模様で残念。ウェブサイトなどで現地の写真をお見せできるのは金曜日以降になりそうです。


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2007年11月20日

死の土地となった「美しい森」

昨夜クルナ入りしたダッカ事務所の職員、ポリモールは、今日、第1弾の救援のパートナー団体であるJJSの職員と、同じくJJSをパートナーとして緊急救援活動を検討しているSave the Children UKのスタッフとともに被害の大きかったバゲルハット県に向かいました。バゲルハット県はクルナ県の東隣にある南北に長い県で、南側は海に面しており、沿岸部には世界最大のマングローブ原生林であるシュンドルボン(ベンガル語で「美しい森」の意)が広がっています。

ポリモールたちはこのバゲルハット県の中心都市であるバゲルハットの町を通り過ぎて南下していき、事前にJJSのスタッフから被害がもっとも大きいと聞かされていたショロンコラ郡に入りました。ショロンコラ郡はバゲルハット県の最南端にある人口約25,000人の郡で、その土地の半分以上はシュンドルボン、という地域です。

このショロンコラ郡には5つのユニオン(行政村)があるのですが、その中のひとつ、サウスカリ・ユニオンに入ってその被害のひどさにポリモールも圧倒されているようでした。

電話で「こんなにひどい被害は見たことないよ、アパ」といいます。ここでは99%の家が破壊されているというのです。トタンの家が見渡す限り倒壊して瓦礫の地となり、川や池には家畜の死骸が放置され、ひどい悪臭が漂っているとのこと。サウスカリ・ユニオンの、選挙で選ばれた代表であるユニオン・チェアマンは、このサイクロンで一度に24人の家族・親戚を亡くし、茫然自失の状態だといいます。ほとんどの家庭で誰かしら家族が亡くなっており、中には一家全滅の家もあり、人々は亡くなった家族を埋葬したくても、遺体を包む布も手に入らない状況だというのです。

子どもたちも多くが亡くなり、生き残った子どもたちの中には、帰らない両親を呆然と待ちながら何が起こったのかわからない小さな子どももいるとのことです。バングラデシュの観光名所であり、ベンガルタイガーはじめさまざまな野生動物が棲む自然豊かな「美しい森」が、一夜にして死の土地となってしまいました。

この、もっとも被害のひどいサウスカリ・ユニオンで、まずは救援活動を行おうということになりました。ポリモールは今夜一度クルナに戻り、詳細をJJSのスタッフと相談した上で、連絡をくれることになっています。

サウスカリ・ユニオンは車では行けない場所にあり、モレルゴンジの先で車を降りて、フェリーで川を渡り、そこからバイクなどで行かなければならないとのこと。物資の輸送も車ではできないので、途中から荷車に自転車がついた「バンガリ」と呼ばれるものを何台か借りて積み替えるなどして運ばなければなりません。輸送に手間がかかり遠いので大変ですが、バゲルハット県の中でも援助団体の救援はもっと市街地に近い場所で行われているものがほとんど。今サウスカリ・ユニオンで救援を行っているのは、ここに地域事務所があるバングラデシュのNGO、BRACのみで、まだまだまったく救援の手が足りない状況だというので、ぜひそこで救援を行うべきだと思いました。

東京事務所ともやりとりした結果、ポリモールと同行したSave the Children UKとも役割分担して、この地で救援を行うことにほぼ決まりました。今のところ考えているのは食料や衣料の配布と、池の水を飲み水として使えるようにするためのフィルター・ポンプ装置の設置です。

物資を調達して救援活動ができるのは明日以降になります。

追記:23日から筒井事務局次長が東京事務所から駆けつけてくれることになりました。筒井次長は私の前の前のダッカ事務所長で、二度の駐在経験があり、協力隊時代も合わせるとバングラデシュ滞在歴10年というベテラン。ダッカ事務所のスタッフも「チュチュイ・バイ(ベンガル人は「つつい」の「つ」が言えない)」が来てくれれば勇気倍増でしょう。心強い限りです。


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2007年11月19日

ポリモール、現地へ

サイクロンの被害の状況が日に日に明らかになり、そのダメージの大きさに皆ショックを受けています。死者数は万単位になるだろうと言われていますが、海に押し流されたり、土砂に埋まって行方不明のままになってしまう人も