シャプラニール=市民による海外協力の会
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シャプラニールについて

藤岡ダッカ事務所長のブログ1998年から3年弱インドに住んだのをきっかけに南アジアとの縁ができ、引き寄せられるようにシャプラニールへ…。そして2005年5月からダッカへやってきました。最近の趣味は、そぞろ歩きを楽しむダッカ市民に混じり、サルワール・カミーズにスニーカーを履いて夕方の公園でウォーキングすること。バングラデシュの村や都市で今起こりつつある変化をなるべくコマメにお伝えしていきたいと思っています。どうぞよろしく。

特定非営利活動法人
シャプラニール=
市民による海外協力の会(地図・住所
〒169-8611
東京都新宿区西早稲田2-3-1
早稲田奉仕園内
TEL:03-3202-7863
FAX:03-3202-4593
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2008年01月16日

「復興支援」という言葉

昨夜は一晩中唸りながら、シャプラニールの会報2月号の特集原稿を書いていました。とっくに締切を過ぎていたのを担当者に頼んで延ばしてもらっていたもので、日本時間の今朝がほんとにほんとの締切。テーマはサイクロン被災者救援活動の報告です。

今回のサイクロンがどんなだったか、被災地の今の状況、これまでやってきた支援活動と今後のことなどについて3ページ程度にまとめればよく、写真も数点、ということでフツーに書けばたいした量じゃないし、これまでブログや内部の連絡用メーリングリストに山ほど書いてた報告をかいつまんでちゃっちゃとまとめればすむ話なんですが、結局唸って唸って午前3時すぎまで書いたり消したりしてました。

シャプラニールの会報は会員さんや支援者の方に会の活動についてご報告するもので、隔月でお送りしています。ブログやウェブサイトをご覧になっていない方は、この原稿で初めてシャプラニールのサイクロン救援の報告を読まれることになります。そう思うといい加減には書けません。この2ヶ月ぐらいの間に感じたこと、考えたことはいろいろあるのだけれど、サイクロンや救援活動についての基本的な情報も盛り込まなければいけないし、被災地で見てきたたこと、聞いたことも書きたいし、でもそれがどうしても決められた字数の中に入りきらなくて悪戦苦闘しました。結局、ある程度のところであきらめざるを得ず。最終的には月並みな原稿になってしまったかな...。とほほ。

書きながら、こういった活動の中でよく使われる言葉のいくつかに、自分が違和感や反発を持っていることに気がつきました。たとえば、「復興支援」。普段、英語の「リリーフ・オペレーション」を「救援活動」、「リハビリテーション」を「復興支援」と訳して使っていますが、この「復興支援」という言葉がどうも馴染みがよくない。なんというか、威勢がよすぎる感じがするんですね。「復興支援」というと、すごく「がんばれ、がんばれ」とドーンと花火を打ち上げるような感じがしませんか...。「興」の字のせいかしら。被災地や被災した人たちの今の状況に、この「復興支援」という言葉がなんだか合わない感じがするんです。

あと、使わざるを得ないときもあるけど、なんとなく最近使うことを避けている言葉は「心のケア」。心をケアすることはもちろん必要なんですけど、この「心のケア」という言葉があまりに安易に、ファッションみたいに使われすぎて、なんだか反発したくなるんです。「心のケア」なんてそんなに簡単じゃないよ、って。

被災地での「救援活動」や「復興支援活動」について、なんとなく感じていること、考えていること、たくさんあるのだけどまだ自分の中でまとまらずモヤモヤしています。

そんなとき、関西学院大学教授の野田正彰さんの著書、『災害救援』(岩波新書)を何度も読み返しています。奥尻や阪神大震災の被災地で現地調査を繰り返しながら考察されたことをまとめられたこの本は、国内・海外にかかわらず災害救援にかかわる人には必読の名著だ、と私は思っています。この前一時帰国したときやっと購入したのだけれど、ほんとに買ってダッカに持ってきてよかった。

奥尻での経験を書かれていることなど、今回私たちが救援活動を行い、今後も「復興支援」活動を行っていく予定のショロンコラ郡で起こっていたこととあまりにもそっくりだし、第1章「災害の構造」の中に書かれた「被災者役割と救援者役割」の箇所など思い当たることが多くてどっきりします。第5章「危機管理の焦点」、第7章「『心のケア』の本質」、第9章「救援の思想」などもとても参考になります。私たちがこれから何をしなければならないのか、考えるヒントになることが散りばめられている本です。

野田さんは以前ダッカ事務所にもいらっしゃったのに、私が不勉強でお会いしたときご著書をロクに読んでいなかったことが悔やまれます。ああ恥ずかしい。後悔先に立たず。

でも、他のときじゃなく、今この時期にこの本に出会えたことはよかったのかもしれません。書かれていることが染み込むようによくわかるから...。皆さんもぜひ読んでみてください。


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2007年04月16日

感動の携帯電話接続インターネット

「私は今モーレツに感動している...」というのは言いすぎですが(なんだっけ、このセリフ。なんか漫画の主人公のセリフだったような)、かなり感動しています。グラミン・フォーンの携帯電話で、携帯のネットワークさえあれば、バングラデシュ中どこでもインターネット接続ができるようになったんです!!しかもいくらつないでも月額1000タカ(1タカ=約1.7円)で、これはこちらの普通のインターネットのプロバイダーより安いんです。

この話を最初に聞きつけたのは実は東京にいる前ダッカ事務所長の白幡職員。先日東京事務所で勉強会の講師をしてくれたバングラデシュNGO関係者から聞いたんだそうで、すぐメールで教えてくれました。こっちにいる私より情報が早かったのはさすがパソコン好き。

私はこれまで自宅で使っていたインターネットのプロバイダーがこのところサービスの質が落ち、スピードも遅くてイライラしてたので、早速最寄りのグラミン・フォーン・センターに走りました。そこで「携帯電話にパソコンをつないでインターネットができるようになったって聞いたんですけど何が必要なんですか?」と勢い込んで聞いたところ、ボランティアに興味があるという若いお姉さんが以下のことを教えてくれました。

必要なのは、
●モデム機能をもった携帯電話機
●携帯付属のソフトウェア
●電話とパソコンをつなぐケーブル

これらがあって、後払いのグラミン・フォーン契約者であれば、すぐ使えますよ~とのこと。

携帯でネット.jpg私が使っていたシンプルな携帯電話は、懐中電灯がついているのが停電のときや農村の闇夜で便利ではあったけど、これではネットには繋げない...。ということで、その日のうちに私はおニューの携帯電話をクレジットカードで購入。携帯電話のレベルによって接続スピードも違うというので、奮発してNokiaの最新のセットを買っちゃいました。これ、ラジオも聞けるし、カメラもついてるし、もちろんモデム機能もあるんです。パソコンと繋ぐケーブルや接続ソフトなどが入ったCDもぜんぶセットになっていました。こういう携帯電話は日本で買うより高く、贅沢品です。私が買ったモデルは2万タカしましたが、1万5千タカぐらいでも十分ハイスピードで繋げるモデルはあります。

写真=おニューの携帯をパソコンに繋いでシャプラニールのHPを見ているところ

このブログを読んでくださっている方にはダッカ在住の方や時々出張でバングラデシュにみえる方もいらっしゃるので、申し込みや設定の仕方もついでにかいつまんでお教えしますね(詳しいことはグラミン・フォーンのウェブサイトに出ています→コチラ)。 あまり関係ない方は読み飛ばしてください。

<携帯でインターネット接続できるようになるための手順>
●ソフトウェアをパソコンにインストールする
●使用する携帯から、8080に「Edge p2」とSMSを送る
●そうすると、「了解しました。72時間以内にEdgeサービスがactivateされます」という返事がくる
●8080に「Internet_ (携帯のメーカー名)_(品番) 」とSMSを送る (_はスペース)
 例:Internet nokia 6233
●そうすると、携帯に「PIN CODEを入力してください」という表示が出るので、「1234」と入力
●ここまでやると翌日あたりグラミン・フォーンから電話がかかってくるので、Edgeサービスがactivateされていることをそこで確認
●パソコンに携帯を繋ぎ、インストールした接続ソフト(Nokiaの場合、日本語表示も選べるのでカンタン)のアクセスポイントに「gpinternet」と入力。(ユーザー名、パスワードはなくても繋がる)
注1:ここまでやってもうまくつながらないときは、一度携帯の電源を切ってまたオンにすると繋がる
注2:これをやってもわからないときは、グラミンのカスタマー・サービス121に電話して訊く。

これでついに今日インターネットに繋げました。しかも今まで使ってたサービスよりずっと速いんです。日本のブロードバンドには及ぶべくもないけど、バングラデシュにしちゃこれは十分速い。わ~い、嬉しいわー。もう高くてサービスの悪いプロバイダーは解約しちゃおっと。

...と、しかし。ここでいくつか要注意事項もあったのでした。

ネットも携帯ですることになると、
●ネットに繋ぎながら電話で喋る、ということができない。
●携帯電話への依存度が高まるので、失くしたり盗られると大ショック。
●こういう多機能携帯は充電があまり長くもたない

1点目はネットに繋いでても電話がかかってくれば取れるし、スカイプなら使えるからそれほど問題ないし、3点目もスペアのバッテリーを買えばいいのだけれど、2点目はちょっと考える必要がありますね。地上電話線も引いてない我が家では、今は携帯とインターネットがべつべつで、2つの連絡手段があるけど、携帯だけに頼っていると、グラミン・フォーンののサービスがダメになると両方だめになる。とくに災害時など携帯が繋がらなくなる可能性大で要注意ですね。うーん、でもそのためだけに無駄にプロバイダーにお金払いたくないなあ。そんな大災害だったらプロバイダー接続もダメかもしれないし。

そして、「農村じゃプロバイダーがなくて事務所からメールも送れない、停電でパソコンも使えない」とぼやいている、シャプラニールの農村パートナー団体のマネジャーたちにも教えてあげよっかな、と思ってハタと気がついたのでした。

●農村でも携帯でネットにつなげるようになることがわかっていたら、県庁所在地などに開いたパートナー団体の連絡事務所(そこならインターネットが繋がるので連絡の拠点に、というのが大きな目的のひとつだった)はなくても済んだんじゃないか?

まあ、ネットを使うだけじゃなく行政機関や他団体との連絡拠点、という意味もあるし、周辺で既にいろいろ活動も始めているから、開いちゃってる事務所はいいんですけどね...。

この通信テクノロジーの進歩は、バングラデシュ農村部に拠点をもつローカルNGOには朗報ですね。NGOに限らず、農村にいながらネットに繋げられることで、できるようになる仕事は多いでしょう。携帯電話の普及だけでも、農村部の人々の出稼ぎや市場開拓の動きにかなりの変化をもたらしたようですしね。(パソコンやモデムつき携帯はかなりお金がないと手が出ないものではありますが...。)

日本からの出張者も私たち駐在員も、そのうち「農村部に出張なのでその間メールは見られません」と言えなくなっちゃいますね。いいんだか、悪いんだか...。


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2007年03月26日

bracNetのチャリティ・セール

帰宅後ベンガル語TVニュースをつけて手抜きな夕食をとりながらぼーっと新聞を見ていた私。ふとある広告記事に目がとまって「おおっ!」と驚いてしまいました。その広告というのはこれ。

bracNetの広告.jpg

bracNet セレブの思い出の品セール 
あなたの好きなセレブの持ち物を買って、チャリティに参加しよう! 
アユーブ・バッチューのサイン入りギター!
アユーブ・バッチューがこのES-335チェリー・レッドを弾いてたの覚えてる?
今、このギブソン最高のセミ・アコースティック・モデルのエレキ・ギターがサイン入りであなたのものに! ほかにもたくさん・・・ www.bracnet.net

*アユーブ・バッチュー =バングラデシュの有名ロック・ミュージシャン

ネット上のチャリティ・オークションやチャリティ・セールは、日本や欧米ではもう珍しくもなくなりましたが、バングラデシュで見るのは初めて。bracNetというのは、バングラデシュ最大、かつ世界最大と言われるNGO、BRAC(ブラック)の“系列企業”のひとつで、インターネットのプロバイダー。BRAC本体は3万7千人以上の常勤職員を抱え、マイクロクレジットや教育プログラム、保健衛生プログラムなど大規模で質の高い活動をバングラデシュ全土で行っています。最近はアフガニスタンやスリランカでも活動を始め、「『南』出身の国際NGO」の道を歩みだしたところ。

それだけ大きなNGOなので、BRACそのものはチャリティ・セールの寄付など要らないレベルなんですが、サイトをみてみるとこのbracNet上のチャリティ・セールは、「独立戦争博物館」「身体麻痺者リハビリ・センター(CRP)」「アシッド・サバイバー・ファンデーション(顔や身体に硫酸をかけられた女性たちを支援する団体)」の3団体のためのファンド・レイジングなんですね。

品物を提供している有名人は俳優やミュージシャン、カリスマ美容師、詩人など。「50人以上のセレブが150点以上の品物を提供!」というから大したものです。値つけを担当する4人のうち2人はBRACの手工芸品部門、アーロンのショップ・マネジャーと商品管理マネジャー。企画の協力企業には人気のファースト・フード店や5つ星ホテル、協賛メディアにはこういった活動に熱心な新聞社やテレビ局、ラジオ局が並んでいます。

これ、どんなスタッフが企画したのかなあ。きっと若い人でしょうね。

前にも「汚職反対ロック・コンサート」や「我らバングラデシュ・バンド」のことを書きましたが、バングラデシュのNGO・NPOが国内の有名人や中流階級の若者などに働きかけて、活動に協力してもらおう、という企画が少しずつ出てきてますね。それもメディアを効果的に使ったものが目立ちます。企業の社会的貢献(CSR)もだんだん話題になってきているようですし。

以前は海外のドナーから資金をもらうことしか選択肢になかったのですから、これは大きな変化です。こういう「できることから始める協力」はシャプラニールがまさしく日本で呼びかけていることで、私も大いに関心のあるところ。

ウェブ上の有名人提供品のチャリティ・セール企画、目を留めるのはまだ都会の一部の層かもしれませんが、今後こういう動きがどんな広がりを見せるか、楽しみです。

シャプラニールももっとバングラデシュ国内で斬新な「市民巻き込み企画」ができるといいんだけどなあ。そういうところで日本と何かつなげられたら、すごく面白いんだけどー。

・・・こういう考えはもうちょと寝かせましょう。そのうち発酵するまで、ね。


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2007年02月18日

薬草の村

今日は久々に何も予定のない土曜日。夜、TVのチャンネル・アイで名物番組、「Mati o Manushi(土と人)」を見ました。これはタイトルからも想像がつく通り農村のドキュメント番組で、いうなればバングラデシュ版「明るい農村」(ってNHKでずっと早朝やっていましたが、今もあるんでしょうか)。シャイク・シラーズという、これまたバングラデシュでは有名なTVディレクター兼レポーターが、国中の様々な農村を訪ねて行っては、そこで働く農民たちにインタビューする、という番組で、見ると何かしらいつも感心するような発見があります。元々バングラデシュ国営放送で1980年代半ばからやっていた長寿番組だったのですが、今はケーブルTV局のチャンネル・アイに移っています。バングラデシュの農業に革命的な影響を与えた番組だと言われています。

このシャイク・シラーズという人は、がっしりした体躯にシンプルなシャツとズボン、日に焼けた顔に地味な眼鏡、というおじさんなのですが、農村の家々や畑や茶店、ときにはズボンの裾を捲り上げて田んぼの真ん中までマイクを持って入り込み、実に気さくにうまく農民たちの話を引き出すのです。バングラデシュの農民にとっての知名度は、グラミン銀行のユヌス氏より上でしょう。

今日の番組のサブタイトルは、「薬草の村」でした。ナトール県のある村からのレポートだったのですが、ここは村中の人々がアロエやニームなど、様々な薬草を栽培しているのです。元々は村に住むコビラージュ(まじない師)が治療に使う薬草を栽培していたのが始まりで、彼に倣って村中が薬草栽培を始め、今は「薬草の村」として有名になり、ダッカやチッタゴンなど国中から商人が買い付けに来るようになったのだとか。このコビラージュはほとんど学校教育も受けていない人なのですが、彼が始めたこの村の薬草栽培は今は国の研究機関からも注目されるまでになっているんだそうです。

茶店でシラーズ氏を囲んだ村人たちは、薬草栽培はいい商売になるのだが、マーケティングのルートが確立していないことや、自分たちの知識が足りず、クオリティ・コントロールが十分できないのが問題、と話していました。農民たちがまったく自分たちだけで試行錯誤しながら工夫して、国中からバイヤーが来るまでにしたというのはすごいことだなあ、と感心しました。

開発に携わる人間は、下手をすると地域の人々が持っている存在的な力や知恵を軽視し、知識や技術は外から持ち込むもの、と考えがちですが、もっとこういう地元住民が自力で成し遂げた成功例に学ばないといけませんね。

前にこの番組を見たとき、シラーズ氏は日本の農村を取材していました(この番組は時々海外取材もあるのです)。日本の農協のシステムをレポートし、日本でもバングラデシュでするのと同じように畑に立って農家の人にインタビューしていました。シラーズ氏曰く、バングラデシュでは流通のシステムが十分整備されておらず、農作物の価格の調整も不十分なので、農民が不利な立場に置かれている。国がしっかり施策をたてるべきだと。

マイク片手に国中歩き回り、土とともに生きる人々の声を聞き、農村の生活向上のための提言を続けるシラーズ氏の姿を見ると、この国のメディアの良心を見るようで、なんだか元気が出てきます。


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2007年01月19日

ダッカの人気FM放送

最近、バングラデシュのメディアにはいろいろ新しい動きがあって注目しているのですが、今日はそのうちのひとつ、FMラジオの話です。

ダッカではついこの前まで、FMといえば時間の限られたBBC放送しかなかったのですが、昨年からプライベートのFM放送がスタートし、ラジオを聴く習慣を忘れかけていたダッカっ子たちに新たなブームを呼んでいます。

現在、ダッカで聞けるFMには、昨年7月ごろ開局したRadio Today FM89.6と、数ヶ月遅れて開局したRadio Foorti FM98.4があるのですが、人気なのは断然Radio Today。彼らが目指しているのは「インフォテーメント」だそうですが、その通り、実用的な情報とエンターテイメントがなかなかうまくミックスされたプログラムです。

実用的な情報の代表は、30分に一度流れる道路情報、「ダッカル・チャカ(ダッカの車輪)」。ダッカの渋滞は日に日にひどくなる一方で、全然動かない道路でうんざり、ということもしばしば。そんな中、今どこが渋滞しているか30分ごとに教えてくれるこの放送は便利です。そして、市場価格情報を伝えてくれる「アージケル・バザール(今日の市場)」。今も私はこの放送を聴きなが書いてるんですが、今日の放送はミルプール11番街の市場から。砂糖やダール豆、コンデンスミルク、マスタード・オイルなど、市民の暮らしになくてはならない基本食料品の値段を伝えていました。このほか、1日4~5回のニュースも中立的でわりといい、という評判です。

エンターテイメントのほうは、流行の歌が中心ですが、話題のアーティストやビジネスマンを招待してのインタビュー番組もあります。デジタルの設備を備えているので音質もよく、私が日本から担いできたBoseのMusic Systemでもきれいに入ります。

もうひとつのRadio Foorti(フルティ=大きな喜び、英語で言うならJOY)は、音楽・エンターテイメント中心の番組構成ですが、彼らにとっての不幸はダッカを走っている車の多くが日本車で、FMが90.0までしかキャッチできないこと。これらダッカのFM放送が対象としているような中~上流階級の人たちの多くは車の中でラジオを聴くことが多いので、これはけっこう致命的。

それでも車以外にも、ラジオを聴く人が増えている理由のひとつには、若者を中心に人気を集めている携帯電話のラジオ機能があげられます。わがダッカ事務所の運転手のシポンもこのラジオが聞ける携帯電話を持っていて、ヒマな待ち時間はよくイヤホンをつけてFMを聴いてるんだそうです。電話がかかってくると自動的に電話に切り替わるんだそうで、なかなか便利ですね。

放送がキャッチできる範囲は狭くて、ダッカから80km圏内ぐらい。ウチの事務所のスタッフによると、私たちの活動地でもっとも距離的にダッカに近い、マニクゴンジ県のポイラ村でもぎりぎり聴けた、という話です。マイメンシン県のイショルゴンジではぜんぜん無理。ノルシンディ県でもダメでした。

ちなみにどちらも放送はベンガル語。DJのおしゃべりを聞くのはベンガル語上達にもいいかも。
ダッカに来られたらぜひ、聴いてみてくださいね。


追記(1月21日):今日、ノルシンディ県のPAPRIナラヤンプール事務所にラジオ・トゥデイを聴きながら行ったら、事務所の前までちゃんと聴けました。ノルシンディ県ダメ、というのは間違いでした。


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2006年11月19日

ポジティブ・イメージ

明日からまた道路封鎖再開。2大政党とその連合勢力がそれぞれ相手を蹴落とそうといがみ合い、「健全な選挙を」という掛け声も虚しく、なかなか国の明るい未来が見えてきません。新聞を読んでいてもロクなニュースがなくうんざり。(それは日本でも同じかもしれませんが...)

grameen phone PR.jpg道路封鎖だの、抗議集会だの、路上で女性が酸をかけられただの、交通事故だの、という記事で埋もれた2日前の新聞の中ほどに、見開き全面まるまる使った大きな広告が出ました。鮮やかなセロリアン・ブルーの、無限大マークをつなげたようにも、プロペラのようにも見える新しいロゴに、"It's time to move forward"(今は前進の時)のコピー。グラミン・グループ傘下の携帯電話会社、グラミン・フォーンの広告です。

私が購読しているような英字紙を読む人はバングラデシュの中でも知識層。自国の混沌とした政治状況にうんざりしながら新聞を開く人の心をつかむ、うまい広告だな、と思いました。この広告、きのうも今日も少しずつ趣向を変えた全面広告が出ており、町中の通話カードを扱う店先にもこの新しいロゴを刷り込んだグラミン・フォーンのバナーが目立ち始めました。

写真の広告は今朝の新聞に出ていたもの。広告の後ろに、「バングラデシュ国民諸君よ、明るい気持ちで、希望をもって前に進もう」というユヌス氏の顔が見えてくるようです。

携帯電話ではグラミン・フォーンに次ぐ大手のバングラ・リンクも負けていません。こちらはテレビ・コマーシャルで前向きな変化のイメージを演出しています。このところずっと放映していたのは、「成功した漁師編」。ストーリーは以下のようなものです。

<日がな一日魚をとっては安い値で買い叩かれ、いつも暗い顔をしてため息をついている漁師の父。少年だった息子は父の明るい笑顔を見たことがなかった。父と二人、網を手に、とぼとぼと夜道を帰る少年...。(ここまでモノクロ映像) 

一転して明るいカラー映像。燦燦と降り注ぐ陽射しの中、精悍な漁師の若者が携帯を手に船の上で「オーケー、今いくよ」と話している。小船の上には大きな魚が満載。岸に着くと地元の商人が安値で買い叩こうとやってくるが、若者はそれに目もくれない。そこへ先ほど電話で話をつけた取引先が氷を積んだトラックでやってきて、魚を買い取っていく。川岸を「父さーん」と駆け寄ってくる小さな息子を抱き上げ、笑顔の青年。その手にはバングラ・リンクの携帯電話。>

現実はなかなかこう上手くはいかないでしょうが、父の世代と今は違う、これからよくなっていくんだ、というイメージを強く打ち出した印象的なCMです。数日前から、携帯で連絡を受けた女性ジャーナリストが現場に駆けつけて写真を撮る「女性カメラマン編」も放映されていて、こちらもなかなか新しい感じ。

テレビ・コマーシャルは時代を映すもの。バングラデシュのテレビCMにははっとするような垢抜けたものはまだあまりないけれど、その中でも最先端を行く携帯電話会社のCMには、こうあってほしい、という今のバングラデシュを生きる人々の夢が託されているような気がします。

グラミン・フォーンのあの新しいロゴやコピー、誰が作ったのかな。もしバングラデシュの広告代理店の仕事だったらなかなかのものだと思うけど。ホームページも一新されてました。見てみてください。→www.grameenphone.com


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2006年11月01日

便利なバングラニュースサイト

今日は、バングラデシュのニュースを見るのに便利なサイトをご紹介。
バングラデシュの主な新聞各紙はたいていHPを持っていてそこで新聞記事も読めますが、このサイトは速報が出るのが早いんです。

bdnews24.com というサイトです。

ホルタルが宣言されたとか解除されたとか、今大統領と誰がミーティングに入ったとか、しょっちゅう更新されていて、仕事中でもチェックできるので便利。すっきりしたデザインも気に入ってます。

これであなたも誰よりも早くバングラデシュ・ニュースがチェックできますよ!


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2006年09月28日

【本の紹介】<女中>イメージの家庭文化史

P1010813.jpgダッカじゃまだ「今日も暑いね。雨降らないかねえ」などという挨拶をしていますが、日本では「読書の秋」ですよね?ということで今日は本のご紹介。「<女中>イメージの家庭文化史」清水美知子著(世界思想社)という本です。

ここ数日時代小説ばかり読んで頭が江戸深川べらんめえ調の世界になっていた私。昨夜「こう小説ばっかり読んでちゃあ仕方あるめえ」と思って、ナナメ読みのままだったこの本を読み直したらいやー実に面白かった。

この本は帯にあるとおり、明治時代は<下婢><下女>、その後<女中>、そして<お手伝いさん>と呼ばれるようになった住み込みの家事使用人女性のことを通して、近・現代日本の家庭生活を浮き彫りにした本です。明治から昭和までの新聞や雑誌はじめ膨大な文献から<女中>に関する情報が引用されていて、随所に「へえ、そうだったのか」と唸ったり「これじゃまるで今のバングラデシュと同じじゃないか」と思うような話がいっぱいあるんです。

例えば、明治42年に週刊『婦女新聞』に載ったという「下女と奥様の苦情くらべ」という記事など、去年私たちがダッカで行った調査で使用人として働く少女たちや雇用主から聞いた話ともうまったく同じ。そのまま翻訳したのかと思うぐらい。
孫引きになりますが、この記事の要約として著者が紹介している部分を引用します。

...女中から雇主である奥様(主婦)への苦情を要約すると、①休日や休憩時間など少しも約束通りにしてくれない、②家族の人数などの条件が聞いていたのと違う、③「口に入るものであれば何でもよいのか」というくらいに食事が粗末、④むやみに人を追い使うことばかり考えている、⑤二言目には「のろいのろい」と言う、⑥女中を不正直と決めつけ少しも信用しない、などの声があがった。
 もちろん、女中の態度や行動にまったく問題がなかったわけではない。主婦の側からは①見かけは気が利きそうだが、使ってみると役に立たない②皿を壊したり食物を無駄にするなど不注意で仕方がない、③すぐに嘘をつき信用できない、④用事が多いときにかぎって外出するなど、肝心なときに頼みにならない、⑤面倒を見てやっているのに嬉しそうな顔をせず可愛げがない、といった苦情が寄せられた。(P.39)

もうほんとに同じなんですよねえ、このほとんど全部が。

大正時代に、日本基督教婦人矯風会が女中夜学校をやっていたとか、昭和初期に愛国婦人会が、地方出身の娘が就職先の宛のないまま上京し、淪落の道をたどるのを防ごう、と女中養成所をやっていたというのも興味深い話です。この女中養成所でどんなことをやっていたかというと、

入所した女性たちは1週間の泊まりこみで終日、都会での女中としての心構えと必須事項について、講義と実習を通して学ぶ。-中略- ガス・水道・電気の使い方、基本料理の講義、配膳と後片づけ、銃器の手入れと保存法、ガラスの拭き方、風呂の焚き方、市場での買いだし実習、衣類の手入れと保存法、言葉遣いと電話のかけ方、来客への応対、押し売りへの対処法にいたるまで多岐にわたっている。修了者には「実習証」が授与された。(P.127)

だそうです。昭和4年に「社会立法協会」は東京市およびその近郊の家庭女中6千人を対象にアンケート調査を実施して、その労働状況と「つらく思うこと」「こうして欲しいと思うこと」などを調べたそうで、この結果に基づき、昭和5年に以下のような待遇改善の決議を行ったそうです。(P.132)

一、原則として一日八時間の睡眠時間を確保し、少なくとも一ヶ月一日の割合をもって休日を与ふること
一、少なくとも一日二時間の自由時間を与へ、これを教養に利用することを奨励すること一、一人につき一畳を下らざる採光通風の適当なる女中部屋を供し、十分かつ清潔なる寝具を給すること
一、給金は現金をもって毎月これを支払うこと
一、家族の通常食と同等の食糧を供すること、呼称につき差別的取扱ひを為さざること
一、雇い主の都合により解雇する時は、相当の解雇手当を給すること
一、雇用中の病症に対しては相当療養の処置を講ずること

今のバングラデシュでもこれと同じ決議が必要だと頷いてしまいます。

ほかにも、大正から昭和前期にかけて、朝から晩まで自由もなく雇主に隷属しなければならない女中よりも、時間で給金をもらえる縫製工場の女工のほうが気が楽だと、女工志願者が増え、主婦たちが「女中難」に悩むようになった、という話も今のバングラデシュとよく似ています。

この頃、平塚らいてうが『婦人公論』で、女中がなかなかみつからなくて仕事ができないと嘆き、「これは、最も実際的な家庭問題であり、社会問題であります。」といっていた一方、与謝野晶子は「女中を解放せよ」というエッセイを書いて、「今後の女中は卑屈な奴隷の位置から契約労働の自由職業に移り、女中の個人性が尊重されて、八時間乃至六時間の労働以外には、自己の収容と享楽のために費やす時間を有し、労働の報酬も一日の最低賃金一円を標準とするに至るであらうと思ひます。-中略-之なら女子の職業として一つの安全な職業と云ふことが出来ますが、また一方では家庭で無闇と女中を雇はない事にもなるでせう」(P.84)と述べていたという話には、あっぱれ与謝野晶子、と拍手したい思いでした。本質的なことが見えていた人だったんだなあ。日本社会でこれが実現するのは50年後の話ですからね。

さらに、『婦人之友』の主宰者である羽仁もと子は、創刊当初より衣食住をできるだけ手のかからないように改良して家事を軽減するいっぽうで、主婦が率先して働くとともに家族にも家事を分担させ、女中に頼らない生活をめざすことを提唱していた(P.88)とのこと。当時こういう考え方はきわめて異例だったそうです。

『婦人之友』はさらに、「下婢」や「下女」にかわって使われるようになった「女中」という呼称も差別的な意味合いを感じさせるようになってきたということで、「女中」に代わる言葉を懸賞つきで募集しています。そこで「助婦」「お手伝」「家事婦」の3つが最後に残り、検討を重ねた結果一等に当選したのが「お手伝」だったということです。(P.92)「お手伝いさん」という言葉はこうして生まれたのですね。

何もかも今のバングラデシュの状況とそっくりの昔の日本の「女中」さんの話ですが、これは大きく違うなあ、と思ったことが二点あります。

ひとつは、昔の日本では「教育程度が低い農村の子女」と言ったって、小学校ぐらいは出ているひとがほとんどで、年齢も小学校を出るぐらいの歳にはなっていたということです。バングラデシュの少女たちは、うちの隣のナシマを見てもわかるように小学校すらいっていない子、今まさしく小学校に行かなければならないような年頃の子がたくさんいるのです。

あともう一点は、少女たちを雇う側の女性たち自身による議論がバングラデシュではあまり見られないことです。この二点目のほうは実はあるのだけれど私が拾えていない、という可能性もありますが。

またまた長い文章になってしまいました。でもまだ紹介しきれない面白い話、考えさせられる話がたくさんありますのでぜひこの本、読んでみてください。

こういう本が英語に訳されたら、ダッカやインドで使用人として働く少女や女性たちのプロジェクトを一緒にやっているNGOの人たちにもぜひ読んでもらいたいのになあ、と思います。よい経験も悪い経験も含め、日本の過去の経験がほかの国の問題解決のヒントになることはたくさんあると思います。



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2006年06月01日

ベンガル文学の深い海

私は本が好きなので、ダッカでも最もきれいな本屋へ歩いて2分という我が家のロケーションはとても気に入っています。出張のない休みの日はたいてい、この本屋へ行ってぶらぶらしています。

去年ダッカに来てすぐの頃、本屋で「若手バングラデシュ人が英語で書いた小説」がないか、ずいぶん探したのですが、みつかりませんでした。お隣のインドでは英語で書く若手作家が増えていて、そういう小説を読むと都市の中流階級の若者の気分だとか、様々な地方の習慣とか、いろいろなことがわかるのですが、バングラデシュではどうもそういう本はあまり無いらしい、とあきらめていました。

それが駐在して約1年たち、ベンガル語が多少わかるようになってきたら、ベンガル語で書かれた本たちが向こうから訴えてくるようになりました。バングラデシュ人作家のことも少し調べてみたら、魅力的な作家がたくさんいることがわかってきました。やっぱり、バングラデシュの文学は昔も今もなんといってもベンガル語、だったんですね。

ちょっと前までベンガル語で書かれた本の装丁や印刷はどうもいまいちだったようですが、最近は「世界水準の印刷や装丁でベンガル語の本を」と1997年に設立されたオンノプロカーシュ社などが、思わず手に取りたくなるような素敵な本を出しています。

Humayun Ahmedの本.jpg

左の2冊はバングラデシュでもっとも売れている現代作家、フマユーン・アフメッドの小説。出版社はオンノプロカーシュ。左の本、「黄色いヒムと黒いRAB」など、表紙デザインもなかなか斬新ですよね。(ちなみにRABというのは、2004年に犯罪取り締まり強化のために導入された警察の緊急行動部隊。しょっちゅう街中で軽犯罪者相手に銃撃戦を展開。ヒムというのは彼がよく好んで小説に登場させる人物です。)

2冊買ったものの、実際読んだのはまだ1冊目の4分の1ぐらい、というところなのですが、彼の作品はとても平易な言葉で書かれている上、現代のダッカの風物などがいろいろと出てくるので、都市の中流階級の気分を知るにはまさしくうってつけです。登場人物もとても生き生きと魅力的で、ちょこまかと要領のいい主人公の少年や、財産目当てで未亡人の義姉を引き取った小ずるいお父さん、頭に血がのぼると使用人を呼んで頭にザーザー水をかけさせるお母さん、テレビドラマの女優志望の若いおば、ビデオ屋で働く主人公の兄貴分、などなど、いろいろな人が出てきて、思わず笑ってしまうような面白いことを言ったりやったりするのです。文章にも漱石の「坊ちゃん」を思わせるような独特なリズムがあって(これはベンガル語と語順がほとんど同じ日本語ネイティブだからわかるのだと思う)それも魅力。

フマユーン・アフメッドは元はダッカ大学の化学の教授だったそうですが、70年代から小説を書き始め、その作品は100以上の数に上ります。本屋には彼の著作がずらりと並び、しかもどんどん新刊が出るので、いかに精力的に書いているかがわかります。ドラマの脚本も書くほか、最近は映画監督としても活躍中。お化け話などもよく書いているので読みたくてしかたないのですが、読みたい気持ちにベンガル語力が全然追いつかないのが本当に悲しい。

女性作家の本.jpg


女性作家の作品もいろいろあります。右の2冊は、左が現代バングラデシュでも最も重要な女性作家のひとりといわれるセリナ・ホセインの「戦争」。右は、その著書「ロッジャ=恥(1993)」がコーランを侮辱したとイスラム原理主義者に攻撃され、94年にスウェーデンに亡命したタスリマ・ナスリン(彼女のオフィシャルウェブサイト発見!ぜひリンクをご覧ください)のエッセイ集。(タイトルは訳せば「いかれた娘の戯言」といったところでしょうか。亡命前に書かれ、版を重ねているものです。)

セリナ・ホセインの「戦争」は、1971年の独立戦争時の庶民、とくに女性の生き様を描いた長編小説・・・らしいのですが、悲しいかな私の今のベンガル語力ではこれが読みこなせるようになるのは相当先になりそうです。でも最初の3ページだけ読みました。冒頭の一文は「タラモンの結婚が壊れた」。タラモンという10代半ばのムスリムの少女が、夫に離縁され、父親とともに農村の実家に戻っていくシーンから始まります。離婚されても生まれた家に帰れるのがうれしくてしょうがなくて、手にした小さな荷物をぽんぽん投げ上げながら歩く少女、何があったのか聞くに聞けず黙って歩く父親。・・なんとかして読みたい作品です。

英訳アンソロジー.jpg


ベンガル語現代文学を英語で概観したい方には、こんな本も出ています。「クリシュノチュラの下で」は、1952年から2002年までの50年間に書かれたバングラデシュ文学の中から選んだ詩や短編小説、戯曲のアンソロジー。前述の3人の作家の作品も収められています。ほとんどがベンガル語から英語に訳されたものです。

ああ、なんとかして一夜にしてベンガル語小説をすらすら読みこなせる力が授からないものか...。いや、語学習得に王道なし、地道に努力するほかないのでしょうね。

私のベンガル語は例えていえば、足が着くプールでやっと10メートル泳げるようになった子どもぐらい。深く美しいベンガル語文学の海の前で途方にくれています。


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2006年05月15日

インドの家政婦ベイビーの「普通じゃない人生」

久しぶりに昔住んでいたインドのニューデリー(今は猛暑!)へ行ってきました。5月11日から13日は、ダッカ事務所は祝日含め3連休。何をしようかなーと思っていたところ、デリーでフェミニズム出版社Zubaanを営む敬愛する友人、ウルワシー・ブターリアから新しい本の出版記念イベントの知らせがメールで舞い込みました。(出版社Zubaanのウェブサイトは、http://www.zubaanbooks.com/)

A life less ordinary.jpg


その新しい本というのは、デリー近郊で家庭の使用人(家政婦)として働く女性が、幼い頃からの苦難の人生を自分で記した本。6年生までしか学校へ行っておらず、12歳で結婚させられ、13歳で最初の子どもを産んだ彼女が、現在の雇い主である大学教授の励ましを得て、毎夜仕事の後ノートに向かい、書き上げた本なのでした。タイトルは“A Life Less Ordinary”、直訳すれば「あまり普通じゃない人生」。元は彼女の母語であるベンガル語で書かれたものを、雇用主の大学教授がヒンディー語に翻訳し、それをさらにウルワシーが英語に翻訳したわけです。(ベンガル語版もあとから出版されています)


当日は著者であるベイビー・ハルダールさんが出てくる短いドキュメンタリー・フィルムの上映後、ベイビーさんと、アクティビストとしても知られる女優のナンディータ・ダスさんのトークがあるとのこと。デリー往復のエアチケットはちと高いけど、ダッカの自宅で3日間だらだらしているより、えいっと行っちゃおう!デリーの友人たちにも会いたいし、と思い立ち、行ってきて正解でした。


ベイビーとナンディータ.jpg

ベイビーは今30代前半。たくさんの聴衆を前に相当緊張していましたが、控えめな中にも知性を感じさせるひとでした。ウルワシーが持ちかけたこのトークへの参加を二つ返事で引き受けたというナンディータはインドでは誰もが知っている有名な女優さん。本のフレーズを時々読み上げて紹介しながら、ベイビーの話をうまく引き出し、トークをまとめる知性と美しさに惚れぼれ。才色兼備とはこういうひとのことを言うのだなあ。(ナンディータのことをもっと知りたい人は彼女のオフィシャル・ウェブサイト、http://www.nanditadasonline.com/を見てください。広島にも来ているし、津波のときはスリランカにも行っています。)

photo:思いを語るベイビー(左)とナンディータ 


私はもうヒンディー語をすっかり忘れており、ベンガル語でベイビーさんに質問しました。今の雇い主である大学教授は、あなたが本を書くにあたってどんな風に励ましてくれたのですか?今あなたの前に家庭の使用人として働く小さな少女がいたら、その子になんと言ってあげたいですか?

ベイビーさんは考え考えこのように答えてくれました。「大学教授の私の雇い主は、ずっと教育に携わってきた人なので、人の中にあるダイヤモンドを見つける才能があるのだと思います。そうやって私の中のダイヤモンドを見出し、それを磨くように励ましてくれました。」「使用人として働くほかの少女たちには、家の仕事をするだけでなく、何かひとつ、自分ができるほかのことをみつけなさい、と言いたいです。」


少女時代悲惨な人生を送ってきたベイビーですが、今の雇い主に出会え、才能を見出されたことは本当に幸運でした。今は家政婦の仕事をしながら2冊目の本を執筆中とのこと。

ウルワシー、ベイビー、ナンディータ.jpg


今年からシャプラニールは使用人として働く少女たちのためのプロジェクトをダッカで、家政婦として働く女性たちのためのプロジェクトをインドのコルカタで始めます。コルカタの女性たちも村から早朝ローカル列車に揺られて通勤し、少ない賃金で酷使されて相当大変なのですが、ダッカで使用人として働く少女たちは小さな子どもなだけに悲惨です。ベイビーさんの本はバングラデシュでは残念ながらまだ出版されていないようですが、ベンガル語版が出せれば、バングラデシュで使用人として働く少女たちも小学校4年生ぐらいまで行った子なら、読むことができるでしょう。

なんとかバングラデシュでも(そしてできれば日本でも)この本が出版されるように繋ぎをつけたいものです。


photo:左からZubaanのウルワシー、本を手にうれしそうなベイビー、ナンディータ

(2006年5月14日)


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